Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

イスラムの不思議

イスラム国(ISIS)、タリバン、ボコハラムなどのイスラム系テロ集団が世界中の罪もない人々を震撼させています。彼等はコーラン(Quranクルアーン)に書かれている神の教えに従って行動していると自負し、異教徒のみならずイスラム教徒の同朋すら拷問し殺害し、やりたい放題の暴挙を働いていますが、キリスト教徒や仏教徒の中にも共鳴して仲間に加わる若者がいます。その数は決して多くないのですが、なんせ、マシン・ガンで無差別に人を殺すのですから、一体全体、何がどうなっているのか、お釈迦様に訊けば、必ず、その辺りを的確に解説してくれるのではないかと思います、世の中の全ては因果応報ですからね。
a1301.png
しかし、コーランの教えに忠実に従って行動していると主張する彼等は、同朋のイスラム教徒たちから恐れられ、イラク北部やシリアを占領しているISISはイスラム国家のサウジアラビア、トルコ、イラクなどの正規軍の攻撃を受け、つまるところ、イスラムのつまはじき者なのは間違いありません。

それにしても、イスラム教は、一体どのように生まれ、どのような教えを、どのように広め、現在のイスラム世界を形成することになったのか?仏陀を崇拝する無神論者のmhとしては、他の宗教を否定し、改宗を認めないなどという独善的なイスラム教の詳細をいまさら学んで参考にするつもりは毛頭ありませんが、これだけ身近で騒ぎを起こしている集団が、間違った解釈をしているとはいえ、コーランの教えを唱えるイスラム教徒である以上、イスラム教の歴史に無関心ではいれません。

そこで今回、Youtubeで見つけた「Islam Empire of Faith」を中心に、Wikiなどからの情報を付け加え、イスラム教の教えというよりもイスラム教の生い立ちを中心にご紹介します。なお、余計なお世話であることを承知の上で、現在イスラム教徒でない方にはイスラム教に改宗しないことをお勧めします。改宗すると、別の宗教を信仰したり、宗教を捨てて無神論者になったりしたら死罪に当たります!昔、イスラム教徒の女性と結婚した同僚がいたことをご紹介済みですが、彼はイスラム教に改宗しました。そうしないとイスラム教徒の女性と結婚できないんです。逆に言えば、イスラム教徒の女性は他教の男性とは結婚は出来ません。何故なら、イスラム教によればイスラム教徒の結婚相手はイスラム教徒でなければならず、その上、イスラム教を捨てることはできないのですから、一旦、イスラム教徒に組み入れられたら、言い換えるとイスラム教の家族に生まれたら、その女性はイスラム教徒の男性としか結婚できないんです。このような、固い結束を重視し、これを破る人間には死罪をも与えるという考えは、程度の差こそあれ、どのイスラム教徒にも否応なく植え付けられていると思います。礼拝に出ていかなければ改宗したと思われてしまうので、何が何でも礼拝に出なければなりません。現在なら仕事や旅行で外国にいる場合は許されたりするようですが、その時でも1日5回、メッカに向いて礼拝する義務はあります。どうして、こんな縛りを入れることになったのか、この辺りもフィルムを見ると垣間見ることが出来るかもしれません。

以前もブログで言わせて頂きましたが、信者から自由を奪うイスラムの教えを広めたムハメッドは罪作りな男だと私は思います。しかし、考えてみれば、改宗を認めないというのはイスラムに限る話しではなく、恐らく、どんな宗教も、それに似た面を隠し持っていると思います、改宗は仲間たちが寄って立つ宗教の崩壊を意味するのですから。そんなこともあって、mhはいかなる宗教とも与(くみ)しないことを信条としています。仏陀は崇拝しますが、仏教徒に無条件に同調したり、仏教徒と共に他宗教を排除する活動なんかするつもりは毛頭ありません。幸い、仏教徒はよほど迫害を受けない限り、他の宗教を非難する性格がないようなので安心できます。

前置きが長くなってしまいました。それでは「Islam: Empire of Faith. Part 1: Prophet Muhammad and rise of Islam (full; PBS Documentary) イスラム:信仰の帝国パート1」をお送りしましょう。おぉ、その前にこのタイトル、Prophet預言者となってますね。フィルムの中に出てくるタイトルではmessenger伝令者でした!これを使徒と訳すとProphetと同じニュアンスがでてきます。ムハメッドは、自分は使徒ではなく伝令者だと主張していたようです。ムハメッドも言ったように、彼が語ったのは、神の言葉であって、ムハメッドの思想ではないんですね。神が言ったことを唯、伝えただけです。つまり彼は人間なんですね。つまり、神は唯一、ひとつ(一人ではありません、神ですからね、ややこしいです!)であって、自分は単なる人間だという立場を取っていたようです。これが昔からの宗教に凝り固まって行き詰っていた砂漠の民ベドウィンbedouinと呼ばれる遊牧民nomadに受けたようです。

いつものような長い前置きはこれで終えましょう。
・・・・・・・・・・・・
a1302.png
カイロ・・・
a1303.png
イスラム教徒がイスラム教徒に呼びかけている。
a1304.png
1日5回、世界中の都市で行われているアザーン(Adhan:礼拝への呼びかけ)だ。およそ世界の4分の1の人々がこの呼びかけに応じてモスクに集まり、イスラムの精神を保ち続けている。
(mh:モスクに入れるのは男だけで、女は外で礼拝します。)
a1305.png
「神は偉大なり。アッラーのほかに神はなし。ムハンマドは神の伝令者なり。来たりて祈れ。来たりて繁栄せよ。神は偉大なり。アッラーのほかに神はなし。」
God is the most great. アッラーフ・アクバル 
I testify there is no other god but God. アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー 
I testify Mohammad is the Messenger of the God. アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー 
Come and pray! ハイヤー・アラッサラー
Come and flourish! ハイヤー・アラルファラー
God is the most great. アッラーフ・アクバル
There is no god but God. ラー・イラーハ・イッラッラー

人類の歴史でイスラム文化は一つの重大なことを成し遂げた。信仰だけで広まる力は精神革命を引き起こし、3つの大陸にまたがる帝国を打ち建てた。
a1306.png
ベールにつつまれたイスラムは西洋には誤解されがちだ。しかし、イスラム文明は西洋の文明に驚くべき影響を与えた。西洋が暗黒時代だった時、レオナルド・ダ・ビンチが生まれる600年前、ギリシャ文明に影響を与えたのはイスラム教徒の学者だった。
a1307.png
それはルネッサンスの種となった。病を癒す方法から10進法の計算手法まで、文化はイスラム文明によって形成されてきた。
a1308.png
これらは全て、たった一人の普通の人間の人生から始まったのだ。彼が伝えた深淵なるメッセージは世界を永遠に変えた。
彼の名はムハメッド(フィルムのナレーターは“ム(モ)ハメッド”と言っています。ムハンマドとも言われます)。

<ISLAM Empire of Faith:イスラム;信仰の帝国>
a1309.png
イスラム教徒なら誰でもムハメッドの物語を知っている。その中で語られている多くのミステリーやそれと同じくらいの事実は全て神聖なものだと信じられている。
a1310.png
「何世紀にも渡り選別され伝えられている預言者ムハメッドの伝承はイスラム教徒たちが残したいと希望しているものだ。普通の人間ムハンマドに関するこれらの伝承の出所がどこなのかを調べ、真偽を正そうとしても、それは不可能だ。」
a1311.png
彼は西暦570年ころ、アラビア半島の砂漠で生まれたことは判っている。砂以外は何もない殺伐とした砂漠の中で、ベドウィン(砂漠の遊牧民)たちが終わりを知らぬ戦いから抜け出せずにいる中で、両親の最後の男子として生まれた。
a1312.png
「彼はメッカで暮らしたこともあったが、両親ともども町を追い出されベドウィンたちと暮らすようになった。町にはベドウィンの子は合わないと排除されたのだ。ベドウィンは放浪者で、文化や家族関係や生活習慣が町の住民と異なるからだ。」
a1313.png
Wiki:ベドウィンbedouin
バーディヤ(アラビア語badawī:町ではない所)に住む人々の意。
a1314.png
ムハメッドが6歳になる前に両親は死んだ。彼は叔父に育てられることになった。叔父は部族clanの長だった。
a1315.png
幼少時の彼がどのような生活を送ったのかは不透明だ。
「部族長の甥だったから、誰からも自分の子供の様に可愛がられていたかもしれない。」
a1316.png
アラビア半島に暮らすどの部族もそうだったのだが、ムハメッドの部族でも口伝の物語が何世代も語り継がれていた。当時のアラビア世界では、仲間が集まっては口頭で自己表現し、昔話を繰り返すことが習慣だった。
a1317.png
部族の重要人物の何人かは詩人(吟遊詩人)で部族の過去の栄光を繰り返し語った。
a1318.png
「語られる詩は祖先の昔の出来事が多かった。勝ち戦を讃え、負け戦を嘆き、ベドウィンたちは連帯を強めていた。」
a1319.png
戦(いくさ)は危険な瞬間だ。叔父はムハメッドに、勝ち残り生き残る戦の手法を教えた。預言者でも1本の矢や槍で殺されてしまうのだからと言って。
a1320.png
砂漠では、一つの井戸を巡って血眼の戦いが何世代も繰り返されてきた。その中から家族familyや部族clan、種族tribeの繋がりが重視されるようになった。
a1321.png
家族や部族や種族の保護がなければ、誰も砂漠では生きてはいけない。こうしてアラビア半島中に無数の部族や種族の集団が生まれ、これらの間で交易ルートや、井戸を巡る戦が繰り返されていた。
a1322.png
ベドウィンが暮らしていた土地のほとんどが乾き切った土地だったということは重要な点だ。水は誰もが最も重要だと考えるものだった。水が豊富にある土地で育った人には、1年に数回しか雨が降らない砂漠で暮らす人がどれほど水に執着するのかを理解することは出来ない。わずかな水が生と死を分ける時もあるのだ。
a1323.png
それぞれの部族は、それぞれに固有の水や風、火、闇、などの神やトーテム(totem自然や動物などの信仰対象)を信仰していた。
a1324.png
その中心はキャラバンの町メッカMeccaにある、木と石と土塊で造られた「カアバKaaba」と呼ばれる寺院だった。アラビア語で立方体の意だ。
a1325.png
イスラム以前、アラビア人は精神的な神、木・石・泉など自然に関する神、など多くの種類の神々を崇拝していた。カアバはこれらの神々を一堂に集めた最高位の聖地だった。数世紀も前のヘブライ聖書の中でもエイブラハムがカアバのような神殿について言及していた。
a1326.png
カアバには神聖な黒い石が収められていた。天から降ってきたものだという。混乱が支配していた当時、カアバは人々に平穏な時を与える数少ない場所の一つだった。カアバから出る時、ベドウィンは砂以外には何もない砂漠の恐怖に打たれるのだった。

イスラム以前、布で覆われたカアバは神聖な場所だった。カアバを囲むように人々は集まり、交易した。メッカはその中心地になっていった。
a1327.png
そこではアラビアの香、異国情緒あふれる香水、インドの香料、中国の絹、エジプトのリネンなどが交流されていたが最も価値のある宝は豊かで多様な“文明”だっただろう。
a1328.png
メッカの近場から集まってくる人達はそれぞれの部族や種族の神を敬う人々だったが、遠方からはクリスチャン、ユダヤ人、その他の異教徒なども集まってきていた。メッカは地中海とインド洋を結ぶ交易の中心で、ビザンチン帝国とペルシャ帝国を結び、インドや中国とも繋がっていたのだ。
a1329.png
成長するとムハメッドは商人になった。実際の所、彼は大きな情熱を持って交易の仕事に取り組んでいたようだ。25歳の時、北のシリアに向け駱駝の隊商caravanを組んで移動していると、寡婦で裕福な女商人ハディージャに見初(みそ)められた。彼女は彼の手を取り、プロポーズした。
a1330.png
「ハディージャは妻であると同時に商売の師匠mentorでもあったようだ。強い意志の持ち主で、仕事でも有能だった。ムハメッドは彼女を助けて仕事をすることになった。彼は彼女から多くを学んだのではないかと思う。彼は世界の各地からアラビア半島に来る多くの商人たちと接触する機会を持った。とても賢い男だったようだ。寛容で、多様な人々と意見交換もできた。偉大なカリスマ性も持っていただろう。」
a1331.png
ムハメッドは人を扱う知恵を持ち、いさかいを仲介して解決する能力に長(た)けていた。
a1332.png
ある時、カアバの修理をしなければならなくなり、ひとまず場所を移すに当たって、誰が神聖な黒い石を移動する栄誉を与えられるべきかについて部族長たちの間で口論になった。
a1333.png
喧嘩になる直前、ムハメッドは公平な解決策を提示した。4人の長は共に栄誉にあずかったのだ。
a1334.png
喜んだ4人はムハメッドにも石を運ぶ栄誉を分け与えた。以来、彼は「信頼に足る男:アールアニン」と呼ばれるようになった。(mh:黒い石を載せた絨毯の一ヵ所を持つ若い男・・・これがムハメッドです。)
a1335.png
ムハンマドが宗教に関して強い関心を抱いていた証拠は沢山残っている。それは普通の人に比べ格段に強かったようだ。アラブの聖人sageの話や、ユダヤ人やキリスト教徒の聖人について語ることが多かったという。近くの岩の丘に登って瞑想したりもした。

ある時、メッカの近くにあった洞窟の中で、ムハメッドは人生を決める瞬間に遭遇した。
a1336.png
彼が言うには、人間の姿をした天使が目の前に現れ、全能の神の言葉を彼に語り聞かせた。彼にとっても青天の霹靂で、とても混乱したという。
a1337.png
普通の人間が、他人より少し強い人生感や感覚を持っていたとしても、有る時突然、天からの声を聴き、それを他の人に話し始めた瞬間を思い描くのはなかなか難しい。しかし、その瞬間から、預言者としてのムハメッドの人生が始まることになったのだ。

多くの啓示を得るためには、更に数か月が必要だった。叙情的な調べを持つ力強い言葉、すばらしいアラビアの詩よりももっと美しい言葉。しかしそれ以上にムハメッドは人々に伝えるべき一つのメッセージを持っていた。簡単で急進的な宣言だ。「神は一人しかいない。There is only one God.」
a1338.png
「イスラム教の根本は神々の統一だ。神は一人だという彼の言葉がもつ意味は人々を驚かせた。それぞれの種族が崇拝しているそれぞれの神という区別はなくなってしまう!革命的な発想だった。」
a1339.png
メッカでは金持ちや貧乏人が混在し、多くの種族が混在していた。そのような人々にとって、神は唯一人だという考えは驚くべきものだったはずだ。しかし、誰もが同じ神を信仰するという考えは、人種や貧富の差を越えて、誰もが平等な人間として神を敬うという公平感を生むことになった。ムハメッドが彼の言葉を公衆に語り始めると、大勢の人が彼のメッセージに共感した。
a1340.png
ある人は彼を詩人と呼んだ。また、詩人は昔から欲望に駆られて話しているのだから彼は詩人ではない、彼の声は欲望の声ではなく、神の声なんだから、と言う者もいた。ムハメッドに従う人の数は少しずつ増えていった。彼等は自らのことをムスリム(Muslimイスラム教徒)と呼ぶようになった。アラビア語で「神に帰依する者」という意味だ。
a1341.png
彼等はムハメッドが語り伝えた神の言葉を書き記し始めた。コーランの始まりだ。
a1342.png
コーランは人々に、そして後の世に、正確に神の言葉を伝えるために記された。人々はオリジナルのコーランから手書きで複製を作り、神の言葉を人々の間に広めていった。
a1343.png
コーランは倫理的・社会的な指導書で、精神的な教えという「啓示」でもあった。アラビア語で記され、アラビア語で伝えられた。
a1344.png
「コーランの特徴は“自然らしさnaturalness”だ。それは精神の親密さをもつ宇宙の力で、強制と寛容が一体となり、永遠に存在する表現で書かれていた。」
(mh:歴史宗教評論家の抒情的解説を翻訳しているので、なんとも訳の分からない記述になってしまい恐縮です。つまるところ、アラビア語だけを使い、誰もが理解できる易しい言葉で、神の言葉や教えが、いつの時代でもオリジナル通りに書き写され、読まれ、理解される経典。それがコーランだ、ってなことを仰っているのではないかと思います。)
a1345.png
コーランは言葉だけを使って神の教えを信者たちに語り伝えた。ベドウィンたちが昔から詩で語りついでいたものを凌駕する死後のイメージも語られている。

「砂に囲まれ太陽に焼かれて暮らしている様子を思い浮かべてほしい。」
a1346.png
「風は肌を刺すように吹き荒れている。その中を、オアシスを目指して歩き続ける。気温は急激に下がってくる。すると、ふと風は途絶え、辺りに静寂が訪れる。オアシスだ!」
a1347.png
「一面が緑だ!水があふれるパラダイス!そんな中で発せられた言葉で書かれたのがコーランだ。(mh:これもまたなかなか理解しがたいのですが、雰囲気は感じ取っていただけるかも知れません。)」
a1348.png
しかし、コーランに出てくる天国のイメージには、明確な「神」という表現はない。ミステリーは残された。
a1349.png
「神について語ることは難しい。神を人か物のように定義することは出来ないのだから。そのことが、イスラム教徒が偶像を忌み嫌う理由だろう。偶像は危険に満ちている。神に具体的なイメージはないのだ!」
a1350.png
「具体的な神の姿とか、ムハメッドなどより、コーラン自体がもつ“美”がイスラムを讃えているかのようだ。神の言葉それ自体が美しいのだ。絵などはいらない!ムハメッドの顔を描いた絵もいらない。何故なら彼は神ではないのだから。」
a1351.png
過去のある時期、人々がムハメッドのイメージを描いていたことがある。
a1352.png
それは宗教的な意味を持つムハメッドの姿ではなかった。聖人とか神としたものではなかった。単にムハメッドの歴史的な存在を表しただけのものだった。
a1353.png
彼は白い背景の中に薄く描かれたり、顔に白い布をかぶって描かれたりしていた。
a1354.png

ムスリム集団が膨張し始めると、これに対抗する集団の力も増えていった。人々はムハメッドに対して懐疑的だった。「見てみろよ、預言者だとよ。なにが奇蹟なんだよ。コーランやモーゼが奇蹟だっていうのか?キリストが奇蹟だって?」
a1355.png
これに対してムスリムは「これが奇蹟だ。奇蹟はコーランそのものだ!」と応えた。

しかし、先祖から伝えられた神を信仰している人がその答えで納得することはなかった。彼等の疑いは膨らんでいった。死後の生命という考えも彼等には受け入れ難かった。「お前は、俺が死ぬと、バラバラの物質になるが、それがまた集まって生命を得られるって言うのか?」(mh:私も信じられません!)
コーランはこれらの挑戦に答えることは出来なかった。
a1356.png
「ムハメッドはまた、不正の永久的な裁きについても語った。彼は詩的な表現で次の様に説明している。“世界の終わりになると、山が崩れ、空が落ちてくる。その時になると自分が犯した罪の重さを知ることになる。”(mh:最後の審判のことかと思います。)“天使が炎になる”という表現もある。」
a1357.png
ムハメッドを信じていない人々にとっては、彼が話す神の話は荒唐無稽だった。ムスリムはメッカの住民を勧誘してはコーランの教えを説いていった。その行動はメッカの世情を不穏にしていった。
a1358.png
町は安心できるところではなくなり、カアバを訪れる巡礼者や商人たちは長逗留せず、直ぐに町から離れていった。
a1359.png
これではメッカは落ちぶれてしまう!町のリーダー達はモハメッドとその主張を町から永遠に追い出さねばならないと考えた。彼等はムハメッドの伯父から部族長の資格を取り上げるべきだと要求した。これは追放というより暗殺に近い意味がある。
a1360.png
しかし伯父は要求を拒絶した。それなら戦いで決着をつけるしかない!
a1361.png
「ムハメッドは重大な時期だと考えたはずだ。通常の対応ではだめだ。ムハメッドは昔からの神々や種族間の仕来りを放棄するようベドウィンたちに説いてきたので反発は強かったのだ。」

ムハメッドに従うムスリムは交易からはじきだされ、生活に困窮し始めた。部族の保護を受けられないムスリムは拷問されたり殺害されたりした。

西暦619年、ムハンマドの妻ハディージャが、追うようにして彼の伯父も死んだ。
a1362.png
彼が最初に愛した女と彼を保護してくれた男がこの世からいなくなったのだ。
a1363.png
彼の敵にとっては好機だった。

しかしメッカの北のヤスリブYathribというオアシス町がメッカから逃れて来るムハメッドと彼の仲間を受け入れることになる。
a1364.png
ヤスリブでは部族間の争いが絶えず、仲介者を必要としていた。住民はムハメッドが信頼でき、紛争の仲介をする能力がある男だという噂を聞きつけていた。そこでムハメッドたちに町に来るよう勧誘したのだ。ムハメッドは招待を受け入れた。

自分たちの土地や部族を捨て、ムハンマドと共に町を出るか、それとも町に残るかは、ムハメッドと彼の教えに対するムスリムの献身度を確かめる機会にもなった。
a1365.png
メッカを離れる旅を機に彼等は新たな社会、新たな種族を造ることになる。血ではなく信仰で繋がる種族の誕生だ。ひとかたまりのキャラバンとなって砂漠を移動しながら、イスラムはその第一歩を記(しる)すことになった。この旅はヒドゥラ(聖遷)と呼ばれ、キリスト教徒暦(西暦)の622年はイスラム教徒の第1年となった。
a1366.png
Wiki:ヒジュラ暦(イスラム暦)
第2代正統カリフウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。
a1367.png
ムハメッドは直ぐにヤスリブの人々に溶け込み、人々は彼の連帯と平和のメッセージを発展させることになる。
「ムハメッドは人々から種族間の緊張を解放するソロモンのような役割を期待されていた。」

彼の仕事が上手くいき出すと、ヤスリブの町は預言者の町として知られるようになった。メディナMedinaだ。
(Wiki:メディナ:アラビア語で「預言者の町」を意味するマディーナ・アン=ナビー(madīnat an-nabī)の略)
a1368.png
メディナにおけるムハメッドの重要な役割は様々な集団の仲介と信者たちの調和を企画することだった。メディナに暮らす異なる部族たちにムハメッドは連帯感を植え付けることに成功した。しかし、この時点では他の宗教への挑戦は行ってはいなかった。神はそれを求める所に現れるのだ、例えばモーゼやキリストのところにも、人々が迷っているところならどこにでも。コーランを見れば人間性や人としての謙虚さや、神から与えられた義務が骨格をなしていることが判る。
a1369.png
メディナでイスラム教徒の集団が大きくなると、簡単な献身と儀式の生活が生まれた。解放されたアベセニア人の奴隷のビラウがムハメッドの家で信者たちに礼拝への集合を呼びかる最初の男になる。
「アッラーフ・アクバル」
a1370.png
初めてのモスクの出現だ。
(Wiki「アザーン」:イスラム教における礼拝(サラート)への呼び掛けのこと。ユダヤ教のラッパ、キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。「神は偉大なり」という意の句「アッラーフ・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。)
a1371.png
「みんなが集まって祈ることは連帯感を生み、信仰を確認する好い機会となった。揃(そろ)って跪(ひざまづ)き、体、心、精神を統一して祈りを捧げる。これが一体感の象徴でなくてなんであろう。」
a1372.png
メディナに居た時、ムハメッドは「メッカのカアバの方向に向いて祈れ!」との啓示を受けたと言われている。異教徒の偶像に染まっていた人々にとっては世界で初めて唯一神を信じたエイブラハムの寺院と同じようなものだっただろう。
a1373.png
しかし・・・
ムスリム達がメッカに向かって祈りを捧げている時、メッカのムスリム対抗者たちは進軍を開始していた。目的は一つ、ムスリムの抹殺だ!

ムハメッド達は出来る限りの武器を集め、戦の準備を始めた。ムハメッド軍は年寄りや子供を含めても313人で、武器も少なかった。攻め寄せてくる敵は十分な武器を持ち、千倍も強力な軍勢だ。ムスリムを平和裏にメッカに連れ戻したいとずっとムハンマドは望んできたが、今は戦いの時だ。
a1374.png
ムスリムは以前に所属していた自分たちの部族と戦うことになった。兄弟は兄弟と、息子は父と、信念と信仰を味方にして。ムハメッドは神が勝利を導いてくれると信じていた。
a1375.png
「それは本当に血にまみれた戦だった。」
a1376.png
3年間、ムスリムは完全に分が悪い戦に耐え抜いた。

戦の様子を伝える話しが広まるにつれ、周辺の砂漠の民は神の下に戦うムハメッドの勢いを感じるようになっていた。そして徐々にムハメッド軍に加勢し始めた。ムハメッド軍は膨れ上がり、流れは逆転する。そしてついに、ムハメッド軍はメッカの周辺を埋め尽くすことになった。
a1377.png
1ヶ月近く続いた熾烈(しれつ)な籠城戦の末、メッカはムハメッド軍の手に落ちた。630年、メッカの人々は武器を放棄し降伏した。ムハメッド軍は戻ってきた、以前の1万倍もの強力な軍となって!
a1378.png
恐ろしい運命が町の住民を待っていたはずだった。「当時、種族間の戦で負けると、男は殺され、女や子供は奴隷として売り飛ばされるという悲劇が起きていた。それは、世界のどの戦でも同じだった。」
a1379.png
しかしムハメッドは陥落した町に対して驚くべき行動に出た。血にまみれた仕返しはしなかったのだ!そこには寛大さと慈悲が見て取れる。そうは言っても全てがムハメッド軍の牙を逃れたわけではない。カアバに向かって進軍した軍勢は、周りを7回まわってから攻撃をしかけた。
a1380.png

攻撃はカアバの中にいた異教徒たちにではなく、祀られていた神々に対して行われたのだ!神々の偶像は全て破壊された。
a1381.png
「ムハメッドがメッカに入り、カアバの偶像を破壊した時はイスラムの歴史で象徴的な瞬間だった。偶像を破壊することで、固有の神や信仰を持っていた種族という社会構造を破壊したのだ。それはベドウィンにとってはショッキングな出来事だっただろう。父が信じていた神が、種族の信仰が、破壊されたのだ。モーゼがシナイでタブレットを破壊し、キリストが寺院から商売人を追い出したような信じられないショックを与えた。」(mh:この辺りの翻訳には自信がありません。)

偶像の破壊は新しい時代の始まりだった。過去を破壊することで強力な、新しいうねりが生まれ出た。メッカは手始めでしかなかった。以降、周辺の種族は次々とメッカに召喚され、イスラムの旗のもとに統一することを約束させられた。それまで例がなかった歴史、個性、信念でまとまる共同体が生まれ始めていた。
a1382.png
「ムハンマドが社会に持ち込んだのは連帯感、使命感だ。そして、彼はついにアラビア半島の全ての種族を一体化した。」

イスラム軍は北に向けて進軍を始め、レバノンやシリアも傘下に加えた。西にも進軍し、エジプトを傘下に加えると地中海にそって更に進軍した。
a1383.png
彼等の進軍を止めることが出来たのは海だけだった。
a1384.png
「進軍は爆発的だった。西暦622年からわずか50年で小さな町メディナから歴史的な帝国を創り上げたのだ。」
a1385.png
200年後にはスペインや中国まで拡大していた。ペルシャ帝国やキリスト教徒の帝国の三分の二を取り込み、ローマ帝国を凌ぐ帝国になった。西はモロッコ、東は今日のインドの国境のインダス川まで広がっていた!
a1385a.png
どうしてこのような拡大が起きることになったのだろう。最初は小さな軍隊が、こんなにも素早く、こんなにも簡単に、こんなにも大きな帝国を打ち建てるとは!
a1385b.png
「イスラムが中央アジア、中東アジア、北アフリカに拡大できたのは、そこの住民が既存の統治に飽き飽きしていたことが大きな理由だろう。ムスリムは征服した土地のキリスト教やユダヤ教などといった既存の宗教や、既存の行政機構の存続を認めた。だから征服された側は、イスラム教という教えやアラビア人による統治をそれほど深刻には考えなかった。むしろ、昔からの悪政から解放してくれたことで親近感を持つようになっていた。」
a1385c.png
「ローマ帝国は滅び、ビザンチン帝国は強固な帝国ではなくなっていて、何か新しい理想、新しい考え方を必要としていた時だった。ムハメッドの使命は、社会に生まれていたこの空隙を埋めることだった。ある種の一体性を誰もが望んでいた時にイスラムが現れたのだ。」
a1385d.png

メディナやメッカで始まったコーランの教えは世界的な規模で広がることになった。
シリア全土を占領すると、ダマスカスのセント・ジョン洗礼教会を彼等の祈りの場所とした。
a1385e.png
しかし、日曜日はキリスト教徒が教会に出向いて礼拝することを認め、2つの宗教は一つの建物を共用していた。
a1385f.png
イスラム教徒が増え出すとキリスト団体から教会を買い取り、大きなモスクに改造した。
a1385g.png
ビザンチンの職人を雇い、黄金に輝くパラダイスのモザイクでモスクを飾りたてた。
a1385h.png
このダマスカスの偉大なモスクは、以降、帝国で新たに造られる全てのモスクのモデルとなった。

アラブ人は征服地のインフラ施設を維持し改善しながら改革を進めた。チュニジアではローマの遺跡を改造して重力を利用した水浄化システムを造った。
a1386.png
「中心部には2つの巨大な貯水槽が準備されている。上の貯水槽で浄化された水は下の大きな貯水槽に移り、そこからパイプで町中に供給された。このシステムは当時のヨーロッパより数百年進んでいた。」
a1386a.png
水の豊富な山から水を平地まで運ぶ方法も素晴らしいものだった。大きな水車を設置し、昔からの石の水道橋に水を供給して、灌漑システムを再構築した。
a1386b.png
おかげで地中海地方でも小麦が栽培されるようになり農業が繁栄した。

また、神聖なる都市エルサレムの記念碑的施設を保護した。ここでイスラムが最初に行った偉大な仕事は“岩のドーム”の建設だ。
a1386c.png
キリスト教徒、ユダヤ教徒にとって神聖な場所「神殿の丘」に建てられた。
a1386d.png
それは丘に造られた建物の中で最も立派だった! メッカやカアバのように、そこはエイブラハムの時代にも遡る神聖な場所だったのだ。“岩のドーム”にある“岩”の上でエイブラハムは彼の息子を生贄にしようとしたのだ!“岩のドーム”は「神殿の丘」のそばの、キリストが埋葬されたと言われる聖墳墓教会Church of the Holy Sepulchreに対抗するように造られている!
a1386e.png
「“岩のドーム”が特別な理由はエイブラハムや息子のイサクが関係する聖なる場所に造られていることだ。初めてここを訪れる人が何を見て何を感じるか想像してほしい。丘の上に建てられた大きなドーム。それは金色に輝いている。」
a1386f.png
「太陽の光の下では誰もが直ぐに目にするのだ。これは漠然とした何かではない。何か、とても偉大で、重要なものだ。」
a1386g.png
イスラムはこの地にやってきて住み着いた。
a1386h.png
たった百年でムハメッドのビジョンは世界の精神的、政治的な地図を塗り替えた。彼の信奉者はローマ帝国より大きな帝国を打ち建てた。しかし、ムハメッドはそれを見ることは無かった。
a1387.png
イスラム暦の11年、西暦でいえば632年、メッカを占領してたった2年の後、ムハメッドは死んだ。
a1387a.png
メディナの住民は絶望に打ちひしがれ、何日もの間、彼の死を悼(いた)む儀式が行われた。
a1387b.png
ムハメッドは自分が死んでも自分の墓にきて祈らないよう話していた。それは神に対する冒涜だ、神は一人だけなのだからと。
神は人々に話をした。その話しを仲介することが出来たのはムハメッドだけだ。預言者がいなくなった以上、信者たちにとっては神もいなくなってしまったのだろうか?
a1387c.png
ムハメッドが亡くなると、彼に代るリーダーが選ばれた。ムハメッドが後継者として選んだという娘婿のアリーだ。これがシーア・アリー(アリー“派”の意)だ。しかし、この後継者に対抗する派閥が現れる。スンニ派だ。スンニ派の人は「ムハメッドは教えを熟知した年配者の中から後継者を選べと言っていた」と主張した。それはアリーではない!
a1387d.png
ムハメッドを崇拝するのなら彼は既に死んでいる。しかし、神を崇拝するのなら神は永遠だ。ここにイスラムの強さと深遠なる影響力の秘密がある。唯一の神による一体化の力、慈悲と思いやり、共通の信念に裏付けられた個人(mh?)。

ムハメッドは来るべき帝国のための戦を指揮することはなかった。しかし、彼の発したメッセージの力が世界を変えたのだ。イスラムが拡大を続けるにつれ、そのメッセージから生まれ出た知恵が人類を変革していった。
a1387e.png
イスラム教徒を待っていたのは新しい時代だ。彼等は巨大な帝国を崩壊し、新しい世界を切り開くべき運命を与えられていた。
a1387f.png
(Islam Pt-1)

勝手ながら、Part2,3は省略させて頂きます。サラディンと十字軍の戦い、オスマン帝国Ottoman Empireの誕生、コンスタンチノープルの陥落、など、面白そうなところもあるのですが、映像やストーリーに新鮮味が少ないのでブログ化しても面白くなりそうにありません。
が、ご関心のある方は次のURLでお楽しみください。Part1~3をスルーして放映されるはずです。
(時々、消去されています。ブログの公開直前には確認しておくつもりです。)
https://www.youtube.com/watch?v=DCzix7--MLA

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する