Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

中国のピラミッドの不思議

途轍もない権力、想像を絶する贅沢、説明不能なミイラ、豪華を越えた絢爛。
古代中国の死後の世界へようこそ。
a1701.png
秘密に包(つつ)まれ、素晴らしくも悲劇的な巨大墳墓。かつて全能の皇帝だと宣言し、王朝を設立してきた者たちが眠る人工の山にお入りください。
a1702.png
China’s Lost Pyramid-Ancient Secrets
古代の秘密:中国の失われたピラミッド
a1703.png
中国、陝西省Shaan-Xi Province。
a1704.png
西安の数Km郊外。世界で最も急激に経済成長している国のハイウェイだが、今は小型機の滑走路になっている。
a1705.png
これから45分間、専門家たちは小型カメラを搭載した小さな飛行機を陝西省の畑の上で飛行させる。驚くべき世界の映像を求めて。

巨大なマウンド(ぽっこりした丘)の世界。数百もの山が西安の周辺の畑に突き出している。いくつかは大きい。残りは・・・巨大な山だ!
a1706.png
中に何が埋められているのかはほとんど知られていない。
a1707.png
しかし、誰が中に埋葬されているかはミステリーではない。
a1708.png
これらは昔、生存していた皇帝、将軍、王、皇女、富豪、権力者などの墓だ。
a1709.png
2千年前、この平和な農耕地域で、軍隊が壊滅し、王国が勃興しては崩壊し、大量の血が流されていた。
a1710.png

王宮では中国伝統の音楽や笑いに満ちたお祀り騒ぎが蔓延(はびこ)っていた。
a1711.png
数千人の労働者が巨大墳墓を造る苦難のうめき声はそこかしこに聞こえている。しかし、死をもっても終わらないかの如き豪華な世界のモニュメントだ。

建築歴史学者トニア・エクフェルド「墓は権力、富、政治的正統性のシンボルだ。死後も永遠に生前の栄華を維持するためには、兎に角、大きな墓が最善だった。」
a1712.png
中国においても、考古学者が大きな墳墓を掘り起こすチャンスは稀にしか巡り合えない。
a1713.png
トニアは発掘された墓の内部調査を進めている。地中には想像を超えるミステリーが今も埋まっている。

しかし、一つ明確なことがある。何世紀も前にこのような大きな墓を造ることは想像を超える挑戦だった。
a1714.png
皇帝を満足させるため、数百万トンの土を移し替え、数10mの深さの穴を掘り、遺体を埋葬すると、人工の山で覆った。どんな方法でこれを行っていたのだろう。
a1715.png
紀元前246年、中国はまだ存在していない。代わりに7つのちいさな王国が覇権を競っていた。その中の一つ、チン(Qin秦)と呼ばれる王国では、新しい少年王が就任していた。若干13歳だった。
a1716.png
王としての彼の指示の一つは自分の墓の建設の着手だ。13歳で死を心配するのは早すぎるが。
a1717.png
しかし、考古学者チャールズ・ハイエンは2千年前の13歳は今ならもっと年配に相当すると指摘する。
a1718.png
「彼がどのくらい生きていられるか、誰が答えられただろう。20代、30代で死ぬ人も多かった。だから、自分の永遠性を直ちに確保することは彼にとって重要だったのだ。」

王家の墓を造る者たちにとって、工事の成否は一点にかかっていた。場所、つまりどこに造るかだ。
a1719.png
古代中国では、王の墓は、他の誰の墓よりも高くなければならなかった。しかし高台に造ればよいというものでもなかった。もし数10mの墓穴を掘る作業が簡単でなければ工事は難航する。墓建築技師は首都から9Kmのリー山(骊山;梨山)の裾野に造ることにした。
a1720.png
しかし彼等が造ろうとしている墓が世界で最大の墓になることは恐らく気付いていなかっただろう。

秦の少年王は、そんなに早く墓に入ることは無かった。
(mh:Wikiによれば享年49歳です。)
a1721.png
成長して、それまでどのリーダーもしえなかったことを成し遂げる。彼は敵を次々と残虐な戦で打ち破った。
a1722.png
蜀Shu・秦Qin・韓Han・楚Chu・斉Qi・魏Wei・趙Zhao・燕Yan

全土は彼の下に統一され、秦(チンQin)、英語でChinaと呼ばれる王国が生まれた。
a1723.png
紀元前221年、彼は世界で最大の権力者だった。彼自身もそれを自覚していた。そこで、自分を新たな称号で呼ぶことにした。秦始皇帝、中国最初の皇帝だ。彼は、自分の墓についても、何をした誰のものか、見るだけで判るようにすることを望んだ。
a1724.png
自分の権力を誇示すべく、これまでで最大の廟、最大のピラミッドを造ろうと考えていた。

墓建築技師は、歴史上最大の勝利を収めた王に相応(ふさわ)しい墓をつくらねばならなかった。それは、単なる墓などではなく、中国の歴史の中で最も偉大な権力者のモニュメントでなければならない。しかし、彼等に幸運だったのは、参考にすべき見事な墓があったことだ。

1977年、中国人考古学者はゾン・ホー・イーと言う名の官僚の墓を発掘した。秦始皇帝より、およそ200年前に死んだ男だ。彼の墓は、これまでに発見されたどんな墓とも異なっていた。
a1725.png
それ以前の中国の墓は、単純な竪穴だった。
a1726.png
しかし、ゾン・ホー・イーの墓はさながら地下王宮だった。
a1727.png
いくつかの部屋に区切られていて、さながら永遠に暮らす豪華なマンションだった。
a1728.png
「始皇帝より200年前、神聖な概念があった。単なる墓などではなく王宮でなければならない。地下に造られた王宮には、用途が異なる多くの部屋があり、そこで死者は永遠に生きるのだ。」
a1729.png
墓は死後の生活に必要な全てを持ち合わせていた。ゾン・ホー・イーは完全なオーケストラを必要としていたようだ。
a1730.png
墓で見つかった10トンもの素晴らしい青銅の来客用食器、酒器、食器、は、当時なら最高の出来栄えのものばかりだった。
a1731.png
しかし、素晴らしい音楽や豪華な食事だけでは、ゾン・ホー・イーを永遠に喜ばせることはできなかったのだろう。考古学者は彼の墓の中で若い女性8人の遺骸を見つけた。側室たちだ!主人に永遠に仕えるため道づれにされたのだ!
a1732.png

ゾン・ホー・イーの死から2世紀近く経って、墓建築技師たちは始皇帝の墓、中国最高の地下宮殿の建設に着手した。
a1733.png
始皇帝に相応しい墓を造るのだ!
a1734.png
しかし、中国人考古学者ウォン・シュエ・リーに言わせると、彼等は、ある問題を解決するまで墓つくりに取り組むことは出来なかった。それは墓の壊滅に繋がるかも知れない問題だ。

「今いる所はリー山(梨山)から流れ下ってくる川の河口だ。山から流れ出る5つの川は全て始皇帝の墓の方向に流れている。毎年雨季になると、水かさが増し、墓の建設は洪水で悩まされていたはずだ。」
a1735.png
始皇帝の墓の建設の前に、この驚異をそらしておかねばならなかった。ハイウェイを走るドライバーなら2千年前の解決策に気付いたかも知れない。
a1736.png
「私は今、長さ3千m、頂上の幅が20mから70m、高さが12mから15mの土手の上に立っている。」
a1737.png
「墓建築技師たちは、まず平地を掘って溝を作り、土を盛り上げ、川の流れの方向を変えていたのだ!」
a1738.png
しかし、始皇帝の墓建築技師たちは建築サイトの外にダムを造るだけではなかった。
a1738a.png
水対策が済むと、始皇帝に相応しい広大な地下宮殿を造るための穴を掘り始めた。
a1739.png
始皇帝が死んだら、これを人工の山で覆うのだ。
a1740.png

彼等にとって幸運だったのは、中国で最大の墓を、歴史上、注目するに当たる材料で造れたことだ。今でも簡単に確認できる。実際やって見ることもできる。費用は極々わずかだ。

ニュージーランドのノース・アイランドで工学部の学生ジョン・チエのチームが家を造ろうとしている。煉瓦、木材、石材は使わず、土だけで造ろうと言うのだ。そう、土だ。
a1741.png
木枠に入れて突き固めれば数百年、いや数千年の耐久性が得られる。
a1742.png
同じ方法で造られた最古の万里の長城は今も残っている。
a1743.png
単純で、しかし効果的な技術だから、数千年後の今も変わらない。
a1744.png
ニュージーランドの近代的な家であれ万里の長城であれ、この技術では次の2つのことが重要だ。
まず、結合材を土に混ぜる。そうすれば、土が崩れ辛い。そして、少し水を掛けながら、よく混ぜる。
a1745.png
ニュージーランドでの作業では近くで採れたフラックス・ワイバーを土の結合材として使っている。
a1746.png
中国の古代の建築技師は簡単に手に入れられる材料のもち米を使った。マニュア(?)を使うこともあった。

二つ目のポイントは水だ。水が土の中にしみ込んでこないようにすることが肝心なのだ。
a1747.png
一旦しみこんでしまうと水は土を泥に変え、凍り付いて膨れたりすれば土壁は破壊してしまう。そこで、土を使って建物を造るには、その中に水が入り込む空気だまりをなくすことが重要だ。

それを行う唯一の方法がある。土を木枠の中に叩き込んで空気を全て押し出すのだ。
a1748.png
するとコンクリートと同じ密度の硬い土の塊が完成する。出来た土の壁は表面が滑らかで、触ってみると固いことが判る。
a1749.png
西安では、考古学者が古代の将軍の墓の発掘を続けている。凡そ2千年前に造られたのにもかかわらず、穴の側面は今もかなり固くて崩れにくい。
a1750.png
トニア「秘訣は小さな層を積み重ねて造ることだ。土を叩いているのでかなり固い。従ってとても安定した壁になっている。」
a1751.png
「この辺りを見れば、どんな方法で造られたのかが判る。何層もの土の塊で出来ている。
a1752.png
壁の一部分だけでも25から30の層で出来ている。層の境は線になっているので直ぐわかる。この作業だけでも数百人の労働者が必要だった。叩いてみると今でもコンクリートのように硬い。」
a1753.png
数百もの打ち固められた土の層で、この墓穴は造られていた。将軍の墓でもそうだとしたら中国最初の皇帝の墓は比べ物にならないはずだ。辺の長さが350m、高さは50~70mの人工の山で、3百5十万トンの土が使われていたはずだ。それは単なる墓ではなかった。6千haの広さの、世界のどこにも類がない複合墳墓だった。
a1754.png

始皇帝の墓はこれまで発掘されたことはない。しかし古代の記録によれば、墓の中には途轍(とてつ)もないものが造られている。
a1755.png
天井は星空の如く輝いている。
a1756.png
床には水銀が流れる川や海もある。そして王宮のレプリカが皇帝の魂を歓待している。
a1757.png
彼は、全てのものに取り囲まれながら、地下の王国を永久に統治している。
a1758.png
全てだ。全てがあったのだ。古代の書物には記録されていなかったが、墓建築技師たちは墓の一画に、彼等の力量を残していた。
a1759.png
土の軍隊だ。8千体もある。今はテラコッタ戦士として有名だ。
a1760.png
その近くの壕(ごう)には、別の素晴らしい像もある。
a1761.png
ジャグラー、アクロバット、事務官、戦車、馬。
a1762.png
青銅と土で造られた皇帝の国のモデルだ。
a1763.png
そして・・・暗黒の伝統も現れた。
a1764.png
始皇帝以前、中国のリーダーたちは死後にも仕えさせるために、生きた人間を生贄として道連れにしていた。しかし、この偉大な墓の場合は、死後において必要となる人数があまりに多すぎて、生贄とするのは恐ろしすぎる行為だった。
「軍隊の兵士全てを殺すことはさすがにできなかった。レプリカを造っておけば十分だったのだ。」

しかし側室は別だ!!!
a1765.png
古代の記録によれば、始皇帝は子供がない側室は全て道連れにした。しかし、それは真実だろうか?2005年、考古学者チームはそうかも知れないという証拠を見つけた。高台の中に150mx120mの石壁に囲まれた80x50mの部屋を発見した。
a1766.png
周辺の土壌に高密度の水銀が含まれていることにも気付いた。つまり、地下に水銀の川や海があるという話は事実で、側室の生贄についても真実かも知れない!

しかし、信じられない話は、まだこの墓に残されている。今日まで解かれたことが無いミステリーだ。
a1767.png
古代の記録によれば、始皇帝の墓は完成していた。高さは150mだったと言う。今の2倍の高さだ!としたら基礎の正方形の大きさは一辺が500mくらいだったはずだ。規模は現在の5倍、エジプトのクフのピラミッドの4倍だ。
a1768.png
もし、そんなに大きかったとしたら、何故、今は小さいのだろう?

多くの専門家は2千年間に受けた風雨で墓の土が洗い流されたからだと信じている。
しかし、別の考えもある。墓が小さいのは完成していなかったからだと信じている専門家たちもいる。何故、中国の最高権力者が多くの年月を自分の墓の建設に費やしていながら、完成させることが出来なかったというのか?

墓の近くの果樹園で、考古学者のジャン・ジョン・リーはその答えを見つけたかも知れない。大量の骨がある。
「これは足の骨だ。」
a1769.png
「頭蓋骨はここに埋まっている。歯も付いている。だから体はこの方向に横たわっていたんだ。」

始皇帝の墓は値段の安い土だけで造られていたわけではなかったのだ。数千の安い人間の命も費やされていた。
a1770.png
「一体、どのくらいの骨があるのか、まだ判っていない。死体が無作為にまとめて埋められた集団墓地だ!」

これらの人々は誰だったのだろう?最近造られた壁画が近くにある。
a1771.png
始皇帝が中国全土を統一した時、中国の歴史上、最大の労働力を必要としていた。壁画をみれば巨大な墓を造るための労働の様子が判る。
a1772.png
今日、ここを訪れる観光客はヒーローとして描かれている労働者に気づく。しかし、彼等の骨は異なる物語を持っていたのだ。
a1773.png
「この頭蓋骨を見て下さい。」
a1774.png
「歯の状態からみると30歳くらいです。しかし、彼は過酷な労働を過酷な条件下で強いられて死んだんです。」

人生の盛りの強靭な若者にも始皇帝の墓造り作業は生き地獄だったのだ。労働者は夜明けから日暮れまで働かされた。疲れ切って、睡眠や食事も満足に与えられることなく、何千人もが悲劇的な最期を遂げた。
「労働者が死ぬと、個人の墓ではなく、集団の埋葬地に投げ捨てられたのだ。骨が埋まっている層の厚さは10cmもあった。」

トニア「始皇帝の墓は、本当に印象的だ。素晴らしい。革新的で、創造的だ。同時に人の生贄も行われるショッキングなものだった。」
a1775.png

墓が消費したのは労働力だけではなかった。それまで誰も注ぎ込んだことが無い程の大金が使われていたのだ。その価格は余りに高すぎた。

紀元前210年、始皇帝は死んだ。翌年、疲弊した人民は立ち上がり、反乱を起こした。3年後、彼の後継者は殺され、彼の王朝はたった15年で終わった。
a1776.png
始皇帝の死後に起きた混乱で、彼の墓は完成することは無かったのかも知れない。それで、彼の墓が当初の予定よりも小さいことが説明されるのかも知れない。
a1777.png
結局、たった一代で王朝は終わってしまった。しかし、始皇帝が成し遂げた偉大な成果、つまり統一された中国、は崩壊することはなかった。帝国を引き継いだ新しい皇帝たちは、どうすれば、王朝を破壊することなく墓を建てられるのかで苦労することになる。
a1778.png
始皇帝が死んで8年間続いた血みどろの戦いの後、農民出身のリーダーが敵を倒し、中国の次の王朝「漢」を打ち建てた。
a1779.png
「この王朝は、豪華ではなく、ドラマチックなものではなく、厳しくなく、全体主義で国家運営することに努めた。」

しかし、始皇帝の呪いは消えていなかった。彼の巨大な墓は、後継者たちなら、同じ規模の墓を造らねばならぬと威圧するかの如き存在だった。
「初代の漢王朝の皇帝は始皇帝と同じ規模のモニュメント的な墓を造りたいと望んでいた。しかし、人民に厳しい仕事を押し付けることなく進めるにはどうしたらよいのかが問題だった。」漢王朝の皇帝たちは、この問題を受け継いでいった。
a1780.png
巨大な墓は首都の北に並ぶように配置されて造られている。これは偶然ではない。
a1781.png
2千年前、これらの墓は漢王朝と、王朝にとって最大の強敵「匈奴」との間に造られた。毎年、遊牧民「匈奴」は北のステップから攻め込んで来て、富を奪い去っていった。そこで漢王朝は墓が王朝の守りとなるように造ったのだ。
a1782.png
「墓は砦として国の守護になるだけではなく、精神的な意味でも守護となっていた。墓を挟んで、手前と向う側では人民の気分も異なっていたはずだ。」
a1783.png

しかし、シンボル的な守護だけではなく、墓の近くには軍隊も配置されていた。アンリンと呼ばれる墓の近くに考古学者ジョリ・アン・カンはその証拠を見つけた。漢王朝時代に造られた城壁が道を横切って残っている。この村はアンリンの墓を守る砦の町だったのだ。
a1784.png
「私の立っている場所の西側にアンリンの町があった。発掘の結果によれば東西1200m、南北800mの大きさの町だった。」
a1785.png
当時、墓を造り、守るため、数万人が住んでいた。匈奴が攻めてきた時は戦った。
a1785a.png
しかし漢王朝には遊牧民以外にも危険な敵がいた。国境の内側に!
強力な軍を従えた能力のある指揮官や貴族だ。
a1785b.png
彼等は王朝を脅かす潜在的な脅威だった。これが墓の守護をする町を造った別の理由だ。皇帝は力のある官僚を選んで墓の管理を命じた。家族を墓の町に移して暮らさねばならぬとしても、その名誉は誰も拒否できない。
a1785c.png
見返りに納税が免除された。しかし皇帝は最大の恩恵を受けることが出来た。権力闘争のライバルとなりそうな男たちを墓の町に閉じ込めておくことが出来たのだから。
「地方出身の力のある男たちを首都に召喚し、墓の町に閉じ込めれば、彼等をコントロールできるばかりか、地方の力は弱体化して皇帝の力は相対的に強化される。」
a1785d.png

漢王朝の皇帝の墓の大きさは、中に何かを隠しているのではないかと思わせる。それが何か、我々は知ることが出来ない。何故なら、考古学者達はこれまで漢王朝の墓を発掘したことがないのだ。
a1785e.png
「彼等は中国人にとって偉大な祖先だ。そんな人物の墓を掘って調べることが正当で適切だと言えるだろうか。しかも、それは平穏に、永遠に眠っていたいと望んでいる人物たちの墓なのだから。これはとても興味深いジレンマdilemmaだと言える。」
a1785f.png
しかし・・・考古学者達はあの世のために造られた皇族の墓に入り、想像を絶する驚くべき世界を見ている。
a1785g.png
西安の始皇帝陵から東に850Kmの近代都市シュージョウXuzhou徐州。漢王朝時代、皇帝の親族が統治していた所だ。
a1785h.png
現在、誰でも墓の内部を見ることが出来る。そこでは皇族が地上での華麗な生活を死後も続けている。
a1786.png
しかし、生活を確保するため、王は完璧な墓以外にも必要としていたものがあった。数千の翡翠の片から造られた見事な埋葬用衣類だ。
a1786a.png
その衣装は永遠に体を守ると信じられていた。
a1786b.png

記録によれば、漢王朝時、錬金術師やバーミスト(?)達は官僚の肉体で永久に新鮮な状態で保存する方法を試みていたらしい。そして、少なくとも1回は成功していたようだ。
1971年、チャンシャン市でトンネルを掘っていた作業者が、起こりえないはずの信じられない考古学的発見をした。高貴な人物シンジュエXin Zhuiの肉体だ!
a1786c.png
彼女はキリスト誕生より100年も前に死んでいる。しかし、信じられないことに、彼女の肉体は見事に保管されているので、解剖した医師たちは彼女が何故死んだのか、その原因を確認することができた。
a1786d.png
しかし、シンジュエの遺体が、これまで見つかったミイラの中でもっとも自然な状態を保つことができた理由を誰も説明することができなかった。
a1786e.png
mh:別のYoutubeフィルムにこの遺体を解剖する様子を特集したものがあります。気持ちが悪くなるから見ない方がよいと思いますよ。肉体は弾力があって、指で押しても凹みは直ぐに元に戻るんです!お腹を切開して内臓を取り出すんですが・・・死んで数週間後のような・・・スーパーで買ってきた生のサンマから、はらわたを取り出すような・・・ズルズルって感じで手にまとわりついてくるんですね内臓が!おぞましい光景です。)
a1786f.png
しかし、何人かの専門家は、墓建築技師たちが素晴らしい保管技術を行使したからだと考えている。死体は墓の中で空気や水に晒されることで速く朽ちていく。シンジュエは20mの深さの穴に埋められた。遺体はシルクで20層も巻かれ、ラッカーでシールされた4重の棺桶に入れられ、木製の箱で覆ってから1.5mの厚さの炭と、その上から、1mの厚さの高密度の白粘土で覆われた。これが空気と水を完璧に遮断した。このような証拠から、シンジュエの遺体は当時のまま、腐らず、硬直せず、肉体も弾力を保っていたというのだ。
a1786g.png
しかし、漢王朝時、墓は石と瓦礫で覆うのが一般的だった。何故なら、水と空気だけが墓に侵入してくるものではなかったからだ。古代中国では、墓荒らしも死後の平穏な生活を脅かすものだった。
a1786h.png
ある墓では、墓荒らしを退けるための宣伝を掲げていた。グレイ・シャンの墓の地下通路の壁に書かれた2千年前の記事にはこうある。
「この墓には価値のあるものはないので荒らさないでほしい。」
a1787.png
しかし効き目はなかった。グレイ・シャンは全てを盗まれ、失うことになった。
a1787a.png
考古学者チャン・チェン・リンによれば、石や砂利は盗難防止のよい方法だったという。何故なら、孔をほれないからだと言う。「墓を掘ると直ぐに崩れてしまうため掘り続けるのが難しくて盗掘防止に効果がある。」
a1787b.png
それだけが、漢王朝時、墓泥棒の気力を削(そ)ぐものではなかった。漢の将軍の墓で見つかった粘土の兵士の軍隊は、死後の世界の絢爛度を1ランク下げた明確な証拠だ。
a1787c.png
始皇帝の実物大のテラコッタ戦士と比べてみれば判る。武器も本物と比べたら玩具(おもちゃ)のように小さい。
a1787d.png
「つまり、漢王朝の統治者は賢く、現実的だったのだ。」
墓は始皇帝陵と比べて少ない費用で造られることになった。

しかし、墓の調査の結果、漢王朝の墓建築技師たちは始皇帝の時代同様、冷徹だったことが判った。墓造りで死んだ労働者の遺体に鉄のシャックルが付いていた!考古学者チャン・ボーは、このシャックルがどれほど労働者を痛めつけていたかを解説してくれた。
「丸いシャックルのセットは両手首に取り付けられていた。とても重い手錠のようだ。」
a1787e.png
「長い棒がついた鉄の環は、労働者の首に付けられていた。」
a1787f.png
「棒の先は背骨を押す。だから真っ直ぐ立つことが出来ず、いつも腰を曲げて作業することを強いられた。走って逃げられないようにしていたのだ。」
a1787g.png

西暦220年、4世紀に渡る漢王朝は崩壊することになった。後の皇帝たちに墓を守る秘訣を謎として残したままで。
a1787h.png
ある王朝が、過去を分析し、素晴らしい解決策を見つけた。その墓は皇帝の栄光を未だに維持し続けている。
a1788.png
漢王朝の崩壊後に数世紀続いた混乱の中から西暦600年頃、唐王朝がうまれ、以降300年、栄華を極めることになった。
a1788a.png
「首都の長安にはアジア各地ばかりでなく、シルクロードで結ばれたヨーロッパから、世界中から、様々な商品、人、文化が流れ込み、多民族的、多文化的、先進的な時代を迎え、繁栄を謳歌した。」
a1788b.png
しかし、墓については、唐王朝も昔からの問題を抱えたままだった。大きな墓だけが尊敬を保証した。しかし、墓の建造に要する多額の費用を捻出するには宝石類も手放さねばならない。すると、経済力が低下し、次の皇帝の権力は低下してしまう。
a1788c.png
この問題を解決する方法を探していた唐王朝は、その答えをここで見つけた。 
a1788d.png
バーリーンという所に造られた漢王朝の皇帝ウェン・ディーの墓だ。彼の墓だけは莫大な費用や労力を必要とする他の墓と異なっていた。
a1788e.png
バーリーンは、大きな孔を人工の山で覆ったピラミッドではなかった。代わりに、皇帝ウェン・ディーは山に深い洞穴を掘るよう技術者に命じたのだ。
a1788f.png
それは簡単で、費用が少なく、後継者の負担が少なく、多くの労働者も必要ではなかった。

「偉大な皇帝の墓なら、大きなピラミッドでなければならない。この問題は、山を墓とすることで解決された。すべきことは、一つ、長いトンネルを掘ることだ。作業者数は数十人でよい。もし、平地に同じ規模の大きさの墓を造るなら数万人の労働者が必要だ。」
a1788g.png
バーリーンは墓の設計に関する大革命で、唐の墓造りに大きな影響を与えた。

唐の皇帝ウェイは賢人で、人民のことを考えた施政を行い、常識も持っていた。
a1788h.png
彼の墓は現在の西安から83Kmのジュエゾン山(九嵕山きゅうそうさん)にある。
a1789.png
649年に死んだ唐の皇帝タイジョン(太宗たいそう)の墓(昭陵)も同じだ。この山のどこかに玄室に繋がるトンネルがあるのだが、どこにあるのかを知る人はいない。
a1789a.png
古い記録によれば、タイジョン(太宗)の墓建築技師たちは皇帝の遺体が見つかることが無いよう、ジュエゾン山に長く、折れ曲がったトンネルを掘った。
a1789b.png
我々はタイジョン(太宗)の墓を調べることは出来ない。しかし、その近くにある、西暦643年に23歳で死んだ娘のチョングァーの墓には入ることが出来る。
a1789c.png
王女チョングァーは昔の王朝の贅沢さを明らかに1ランク下げた墓に眠っている。実物大の粘土の兵士はいない。小さな像figurineだけだ。
a1789d.png
台所も、宴会場も、トイレも造られていない。壁に描かれた絵だけで死後の世界を楽しんでいる。
a1789e.png
「何体の小さな像figurineを埋めるかについては規則があった。50体又は70体だ。像の大きさは40cmか50cmだ。異なるルールが異なる地位の人々に適用された。」 
a1789f.png
「唐の皇帝たちは墓荒らしにあう危険を十分承知していた。玄室にたどり着く前に価値のない小さな像が並んでいるのを見れば貴重な宝石などはなさそうだと思って諦めるだろうから、死者たちは安心して眠っていることができるはずだ。」
a1789g.png
今後、いつの日か、考古学者たちは始皇帝の墓を開く時が来るかもしれない。また、漢王朝の墓も調査するかも知れない。唐の墓の秘密を探し当てるかもしれない。その時、彼等は何を見つけるのだろう。
見事に生きた姿で保存された貴族たちの遺体か?
a1789h.png
想像を絶する宝物か?墓荒らしが残したものか?

そんな日はこないかも知れない。しかし、墓の中で眠っている、人の心を惹(ひ)きつける何かは、墓を偉大なモニュメントに仕立て上げ、古代中国を大きなミステリーにしている。
a1790.png
China's Lost Pyramids - Ancient Secrets Documentary 2015
https://www.youtube.com/watch?v=0ujFpnbvHW8
ご参考にGoogle Earthの始皇帝廟を挙げておきます。
ピラミッドの一辺はおよそ500mです。
a1790a.png

中国ばかりでなく、古代エジプト、ペルーのカラルにも王を埋葬したピラミッドが見つかっています。
ピラミッドといえば、マヤ、テオティワカン(メキシコ)などにもありますが、こちらの方は王の墓ではなく、神殿でした。つまり、ピラミッドには個人の墓と神殿の2種類があるんですね。で、日本の円墳とか前方後円墳などは明らかに個人の墓で、エジプトや中国のピラミッドと同じ系統です。

古代エジプトでも古代中国でも、飛鳥時代の大和地方でも、権力者たちは生きているうちから自分の墓を造り始めていますので、死後の世界の存在を信じ、永遠に優雅に暮らそうと考えたと見て間違いないでしょう。このような、死後の世界を前提とした墓の建築は今では行われなくなっています。それは古代の王のような権力者がいなくなったからではなく、死後の世界に対する考え方が変わったからです。もし、立派な墓を造れば死後の世界が保証されるなら、今だって、お金持ちはピラミッドのような墓を造っていることでしょう。

昔、人々は様々な自然現象がどのようにして起きるのか理解できていませんでした。この不可解を引き起こし、管理しているのはどこに住む誰なのか?

そうです、天国に住んでいる神様だって考えたんですね。それ以外には思いつかなかったんです!で、神様は永遠の生命を持っているはずだと考えました。ならば、自分もなんとかして神様の住む国で、永遠に楽しく暮らしたいって思うようになったんです。で、大きな墓を造り、じっと眠っていれば、そのうち、天国に行けるチャンスにも恵まれるんではないかと思ったんです。しかし、科学の進歩によって、多くの不可思議には理由があって、神様が関与していないってことが分かるようになるにつれ、神様は存在しないと思うようになり、輪廻や死後の世界も架空でしかないことに気付き、だったら墓を造ることに大切な時間や資源を浪費するのをやめ、今を楽しく、充実して生きることに注力しようと考えるようになったのでしょう。

そう考えてみると、私なんぞはあんなに大きな墓に眠る仁徳天皇などよりもずっと貧乏で権力などは全く持ち合わせていませんが、仁徳天皇よりも幸せな人生を過ごしていることは間違いありません。

なお、一説によれば仁徳天皇は西暦257年~399年の人で享年142歳だったようです。権力者だったようですが、いつ生まれ、いつ死んだかも判っていないようで、仁徳天皇陵と呼ばれる古墳も本当に彼のものかどうか・・・存在すら疑わしい、おぼろな人に思われます。昔から、権力者は無駄なことばかりしてきたんですね。権力者に限定すれば、今も昔と大差は有りません。権力者の皆さま、ご愁傷さまです。
(完)
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する