Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ネムルト・ダギの不思議

Nemrut Dagi(ネムルト・ダギ;ネムルト山)はトルコ東部の標高2、134m(Wiki)の山です。
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山頂にはコンマゲネ(Kommagene)王国のアンティオカス1世Antiochus I(在位;紀元前69~同36年)が眠ると言われる高さ50m直径150mの古墳が、その周囲には“テラスTerrace”と呼ばれる3つの神殿があります。
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この古墳・・・石灰岩limestoneの小石で出来ています!

東テラスの夏の光景。
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そして冬の東テラス。
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テラスに並ぶ巨像は高さ8~9mでしたが、首が折れています。イコノクラスム( iconoclasm聖像破壊運動)と考えられています。

まずは短いフィルム(2分17秒)をお楽しみいただきましょう。ネムルト山に続いてローマ時代に造られたジェンデレCendere橋(詳細は後述)が出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=chWO2bXWO8Q

ネムルト山の古墳に眠ると考えられているアンティオカス1世(在位;紀元前69~同36年)はコンマゲネ王国Kingdom of Commagene(紀元前163 年~西暦72 年)の王です。アレキサンダー大王が創ったマケドニア帝国が分裂して生まれたセレウコス朝の属国でしたが、王朝の混乱に乗じて独立しました。

アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)は紀元前323年に亡くなるのですが・・・
Wikiを引用すると次の通りです。
「残された大帝国(マケドニア帝国)では、彼の遺将たちがバビロン会議、トリパラディソスの軍会という2度の協定によって安定化を目指したものの、大王の遺言に忠実に「最強の者が帝国を継承」しようとして覇を争うことになり、アンティゴノス、セレウコス、プトレマイオス他の諸将によるディアドコイ戦争を経て分裂した。紀元前3世紀にアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトのヘレニズム三王国が出現し、それらは互いに相争っていたもののひとまずはこの三国鼎立(ていりつ)の形に落ち着いた。」

ご参考までに鼎(てい/かなえ)とは3本足の青銅器で、次は殷の末期の劉鼎です。
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で、話を戻しますと・・・
次はマケドニア帝国が分裂した後の紀元前3世紀のヘレニズム諸国の版図で、アンティパトロス朝(緑)、リュシマコス朝(オレンジ)、セレウコス朝(黄)、プトレマイオス朝(青)です。
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しかし、西暦元年頃にはバルカン半島、アナトリア(トルコ)、エジプトはローマ帝国に、中東からインド国境までの広大な領土を持つセレウコス朝は遊牧民の国家パルティアParthiaに取って代わられ、ヘレニズム諸国は消滅しました。

今回のブログの舞台コンマゲネ王国は、マケドニア、つまりギリシャ、に支配され、紀元前163 年に独立したものの、その240年後にはローマ帝国に組み込まれてしまう小国です。コンマゲネ王国に限らず、小アジアAsia Minorと呼ばれるアナトリア(トルコ~カスピ海西岸の一帯)の小国は、いずれも大国に翻弄される歴史を辿(だと)ったようです。

一昨日の4月3日付け朝日新聞によれば、アゼルバイジャンとアルメニアで紛争が起き、双方で1百人程が亡くなりました。
見出「アルメニアとアゼルバイジャン両軍衝突 死者数十人か」
モスクワ2016年4月2日22時37分
「旧ソ連のアゼルバイジャンからの独立を主張しているナゴルノ・カラバフ自治州で2日未明、アゼルバイジャン軍と同自治州に駐留するアルメニア軍が激しく衝突し、多数の死者が出た。双方が停戦違反を非難し合う中、ロシアのプーチン大統領は停戦を求め、収拾に乗り出した。(以下省略)」
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地図から判るように、紛争が起きた自治区はアルメニアとは国境を接していません!完全にアゼルバイジャン内の州です。この自治区を防衛するために隣国アルメニアから派遣されていた(!)軍が、アゼルバイジャンの軍隊と衝突したっていうんです!アルメニアの西にはアゼルバイジャンの飛び地の領土もありますから、ややこしい国境というか民族交錯地帯と言えるでしょう。

この民族交錯は、今日では旧ソ連が絡んで複雑になっているようですが、2千年前、ギリシャ、マケドニア、ローマ帝国、パルティアParthiaが小アジアで覇を競った歴史に源があると考えられます。民族、経済、文化の交差路だった小アジアは大国の思惑が交錯する所でもあったのです。

次の航空写真はアタチュルク湖上空から北東方向を撮影したものです。湖の北に広がる平地にコンマゲネ王国の首都Samosataサモサタ(現サムサット)がありました。聖地ネムルト山は写真の枠から少し右(東)にはみ出ていて見えていません。
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次のGoogle Earthの衛星写真で、シリア北部の小さな黄ピンがネムルト山です。
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シリア、イラクに近いですねぇ!ネムルト山辺りを流れる川が写っていますが、これこそ、メソポタミア文明をもたらした、かの歴史的大河ユーフラテスEuphrates川です!

ネムルト山Nemrut Dagiはトルコのアディアマン州Adiyaman Provinceの州都アディアマンから北東47Kmにあります。
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アディアマン市の南の大きな湖は、ユーフラテスEuphratesをダムで堰き止めて造られたトルコ最大の人造湖で、初代大統領の名からアタチュルク湖と呼ばれています。
ご参考:チグリスTigrisとユーフラテスEuphratesを示す図
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で~、今回は「ネムルト山の不思議」と題してお送りするのですが・・・英語版ドキュメンタリー・フィルムがネットから削除されてしまったので、その代わりと言ってはなんですが、“アディアマン州Adiyaman Province観光宣伝フィルム”の「NEMRUT - God's Heavenly Throneネムルト:天国の神の玉座」を参照してご紹介させて頂くことにしました。

観光宣伝フィルム曰く;
“興味深い遺跡や自然が残るアディアマン”
“文明の揺り籠とも言われるメソポタミア(ギリシャ語で“川の間”)の北部に位置するアディアマン”
をお楽しみ下さい。
・・・・・・
「アデイアマン!アナトリア南東に位置し、太陽が昇る場所アディアマン。神秘に満ちたアディアマン。様々な民族と信仰、言語を持つ人々が棲むアディアマン。肥沃な土壌が広がり、穏やかな地中海性気候と、東部では厳しい内陸性気候も併せ持ち、小麦、トウモロコシ、タバコ、葡萄、ザクロなどの農産物は世界中に出荷されている。雄大な自然、天国を思わせる流れのユーフラテス、トルコ最大のアタチュルク・ダムと湖、多くの文明が残した素晴らしい遺跡、これがアディアマンだ。」
以上は、フィルムの冒頭で、感動的な口調で何度も繰り返して語られる、アデイアマンを讃える美辞麗句を簡素化したものです。少し古風な上に、しつこい感じは否めませんが、アディアマン観光宣伝フィルムだからこんなものかもしれません。

フィルムでは「ネムルト山は古代の8番目の不思議で近代の6番目の不思議」と言っていますが・・・“世界の八不思議”は何十もあるようで、公的なものではありません。Wikiの“中世や現代の世界7不思議”にはネムルト山は含まれていませんから・・・何を根拠に仰っているのか・・・


そうは言ってもアディアマン州は魅力的な場所だと断言できると思います。必ずや訪れたい場所と言っても過言ではありません。

で~州都アディアマンはこんな町です。
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町の中心部に位置する州立博物館。
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建物も地味ですが、内部の展示も地味な感じ。
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州都の「オートラクチ・バザールOturakci Bazaarは、アディアマン州で作られた織物などの産物が並ぶ、最も賑やかな、旅行者なら訪れたい場所だ。」と宣伝フィルムが紹介しているバザール通りです。
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州都の南30Kmにあるトルコ最大のアタチュルク・ダム。
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ダムで生まれたアタチュルク湖はユーフラテス川の一部です。

「伝説上の天国の地を、何世紀もの間、優雅な姿で流れ続ける偉大な川ユーフラテス」と続きます。
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しかし・・・穏やかな流れの大河で、水も澄んでいて綺麗ですねぇ。空の青さがそのまま水面に映えている感じで、素晴らしい光景だと思います。両岸には肥沃な大地が広がっています。実は、ユーフラテス川上流のこの辺りは世界における小麦の原産地なんですね!小麦の栽培が始まって人々は定住し、集落、都市、そしてメソポタミア文明が生まれた大地です。

それでは、車で州都アディアマンを出発し、ネムルト山を目指す旅に出ましょう。
3KmでピリンPrin遺跡に到着です。
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コンマゲネ王国の5都市の一つで、オアシスがあり、キャラバンの宿泊地として栄えました。岩に掘られた共同墓地necropoliceも見つかっています。多くの住居は岩に掘られていたようです。
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更に農耕地が広がる高原にうねうね続く舗装道路を40Kmくらい北東方向に走ると古墳群が残る地域に到着します。道路脇の美しい円墳。
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コンマゲネ王国の二代目の王ミシュリダテスが、母ヒサスのために造りました。石柱の鳥(鷲)の像のイメージから“黒い鳥カラクシュKarakus”古墳と呼ばれています。
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カラクシュ古墳から10Km走ると、古代都市アーサメイアに残るジェンデレCendere橋に到着です。
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この橋は、現在、車の通行は禁止で、車は500m離れた新橋を使います。

およそ1800年前、コンマゲネ王国は消滅してローマ帝国の一部に編入されていました。この辺りの諸侯が当時のローマ皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193-211年)を讃え、ユーフラテスの支流チャビナス・クリークChabinas Creekの上に造った橋だと言われています。
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橋の両側には高さ9mの石柱が2本並べて建てられ、その上に、夫々、ローマ皇帝セウェルス、妻、長男、次男の像が載っていました。しかし、帝位に就いた長男カラカラCaracallaは邪魔者の弟ゲタGetaを暗殺し、ゲタの記録を帝国から消し去る運動をしました。その時にゲタの像が載った石柱は壊されてしまったのです。
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ベルリンの博物館に残る直径30cmの木製のトンド(tondo;円形の絵、像)には、ジェンデレ橋を捧げられたローマ皇帝セウェルス夫婦と2人の息子が描かれていますが、弟の顔は消されています。
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皇帝カラカラは暴君として有名なようですが、遠征中に近衛兵の一人に暗殺されてしまいました。この近衛兵も捕えられ殺されているとのこと。北朝鮮でも将来、同じようなことが起きるのではないでしょうか。

さて、ジェンデレCendere新橋を渡りネムルトを目指して進むと、30Km足らずで古代都市アーサメイアarsameiaの中心に到着します。コンマゲネの夏の都で、ネムルト山の麓(ふもと)に造られました。
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アンティオカスの父ミトリダテス1世が埋葬された場所でもあります。
大きな山と小さな山、その間には小さな川が流れています。
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大きな山には石像や石碑が残っています。
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アンティオカス1世(父のミトリダテス?)とヘラクレスが“互いの右手で握手する(dexiosis)”レリーフ。
(Dexiosisrelief aus Arsameia, Mithridates or Antiochus I with Hercules)
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この“Dexiosis”レリーフはローマと友好関係にあった時代、アンティオカスが権力と不滅を示すために造らせたもので、アーサメイアだけでなく、ネムルト山など王国のあちらこちらに残されています。

谷を隔てた小さな山の上にはエニ・カレYeni Kale (新しい砦)が造られました。
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じつは“古い砦”と呼ばれるエスキ・カレもあるのですが、どれがその砦か判然としません。上の写真で一番左に写っている砦かと思います。一番右の砦は“新しい砦”で間違いありません。

古代都市アーサメイアarsameiaからは登りが15Kmほど続きます。山頂近くの駐車場に到着したら、徒歩で斜面を登っていくと・・・ネムルト山Nemrut Dagiの遺跡サイトです。

この山の紹介は、度々で恐縮ですが・・・旅行宣伝フィルムのトルコ調ナレーションで始まります!
「神の山ネムルト。2千年の歴史の山ネムルト。巨石の像が歴史と戦いながら残る山ネムルト。神々が棲む最も不可思議な世界。不死の男と神が並んで立つ山ネムルト。天の神々の王座の山ネムルト。」
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「アディアマンの歴史はキリスト時代から4万年遡る(?何を言いたいのか不明)。多くの文明が生まれた場所だ。ヒッタイト、ホーリアン(注)、フェィーリアン(注)、アッシリアン、ペルシャン、マサドニアン(マケドニア人)、そしてコンマゲネ!周辺に野心的な戦士が群がる中で、230年間、王国は繁栄した。王アンティオカスのおかげで!」
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(注:ホーリアン、フェィーリアンとはどんな民族か不明ですが、いずれか一方はフェニキアン(フェニキア人)を指していると思います。フェニキアはギリシャ語でPhoiníkē ポイニーケー、ローマ語でPhoenices/Poeni ポエニ、英語で Phoeniciaフェニキアと呼ばれていますから。)

「アンティオカスは不死immortalで神になろうとした。彼の祖先はペルシャ人でもありマサドニアンでもあった。コンマゲネ王国は東のペルシャと西のローマを繋ぐ重要な道にあった。ペルシャ王の娘と結婚して同盟を結び、ローマ帝国に対抗した。」
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「ローマとの戦いにも勝利し、名を遺した。彼に残された望みは永遠の命を得ることだけだった。忘れられないためには何かをしなければならない。何世紀もの後でも、己の名と偉大な力が人々に語られるために!」

で~彼は自分の像と神々の像を2206m(フィルムが言う標高です)のネムルト山の上に造ることにしたと言います。
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ネムルト山はこの一帯で最も高く、日の出と日の入りを見るのに最も適した場所だったので選ばれたようです。
写真は日の入りで、日の出も似たようなものでしたので省略します。
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「彼の目的は、ここで西と東の神々を統一することだった。新しい宗教、新しい信仰システムを造ることだった。そこで神々に2つの名を付けた。」と言います。

一つはマケドニア語(ギリシャ語)、もう一つはペルシャ語の呼び名で、ゼウスZeus=アラマズドAramazd、アポロンApollo=ミトゥラスMithras、Tycheタイケ=バクトBakht、ヘラクレスHercules=ヴァーグンVahagnなどです。何んでこんなことが判ってるのかって言うと、神々の坐像の台座に文字で記録が彫られていたからです。
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「神々が2つの名を持つことで西の文明も東の文明もこの像を壊すことは出来ないと考えた。つまりアンティオカスの最大の恐れは破壊され忘れ去られることだったのだ。」

碑文「この像を守るものは誰であろうと、全ての神々の祝福を受けるであろう。像を壊す者は神々の呪いを受けるであろう。その子孫は怒りの炎で焼かれて土となるであろう。」

「コンマゲネ王国の守護神の鷲は空を支配している象徴だ。ライオンの守護神は大地を支配していることを示している。これらの像は神々やアンティオカスの像の両脇に建てられていた。」
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ネムルトで発見された重要なものの一つと言われるライオンの天宮図horoscope。碑には月や、火星、水星、木星などが名前と共に刻まれています。
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ライオン天宮図は世界でも最も古い形式のもののようですが・・・ここの天宮図は紀元前62年7月7日を示しているらしいです。
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アンティオカスが王に就任した日です!

石像や、古墳の山を形成する小石は全て石灰岩limestoneだと言います。石像をここで彫刻し、その時の小片は古墳に使われたと思いますが、それだけではとても高さ50mの円墳を造ることは出来ません。小山の内部はどうなっているのか、石棺はどの辺りに埋められているのか、埋められていないのか?

ネムルトが発見されて以来、多くの考古学者が古墳の中を覗(のぞ)いて不可思議を解き明かそうと試みたのですが、誰も成功していないとのこと。超音波装置などを使って古墳の中の様子を調査する作業も行われていますが、これらの科学的な調査結果についてはネットでは見つかりませんでした。何かご存知の方がいらっしゃったら是非、教えて下さい。
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ネムルト山は1987年に世界遺産に指定されました。2004年にはGolden Appleを受賞したとのことです。この賞は旅行ジャーナリストや旅行作家の世界連盟FIJETが制定していて、詳細は次のURLで確認できますが・・・ネムルト受賞は2003年となっていました。で~アジアでの受賞はありません。
http://www.fijet.net/fijet_golden_appel_dyn.php?langue=en
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尻切れトンボになりますが、これをもって今回のブログ「ネムルト山の不思議」を終わります。
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アディアマンの観光宣伝フィルムは次のURLでお楽しみください。
NEMRUT - God's Heavenly Throne
https://www.youtube.com/watch?v=SZh9ZANsA80

次回のブログですが・・・アタチュルク・ダムからユーフラテスに沿って70Kmくらい下流に造られた古都の遺跡をダムによる水没から守る人々の活動をお送りする予定です。
(完)
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