Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

タージ・マハールの不思議

ムムターズ・マハールMumtaz Mahal/Taj Mahal
a2501.png
宮廷の大富豪アーサフ・ハーンの娘で、本名アルジュマンド・バーヌー・ベーグムArjumand Banu Begum(1593-1631)。19歳でシャハブッディン・ムハンマド・シャー・ジャハーンShahabuddin Muhammad Shah Jahan(1592-1666)と結婚。1631年、37歳で死亡。シャー・ジャハーンの父、ムガル帝国第4代皇帝ジャハーンギール、から称号ムムターズ・マハールMumtaz Mahal(ペルシャ語:宮殿の光)を授けられたが、インド風のTaj Mahal(王冠宮殿)に変化したと考えられている。夫シャー・ジャハーン(世界の皇帝の意)は父の死後、権力闘争を経てムガル帝国第5代皇帝になった。

つまりタージ・マハールは女性に与えられた称号で、墓廟の名ではありませんでした。しかし、墓廟の美しさを例えるのに、美しい女性の名で呼ぶのがふさわしかろうとのことで、墓廟自体もタージとかタージ・マハールと呼ばれるようになりました。

でサイトのレイアウトですが、幅3百m、長さは1km以上の長方形の敷地に庭園と建物が配置されています。
a2502.png
ガンジスの支流の一つヤムナー川を挟んで南北に分かれていますが、普通、建物がある南側だけ観光します。このmhも訪れさせて頂きました。
a2503.png
次の写真は川向うの庭園から墓廟を見たものです。イスラム教では「対称の美」が尊ばれていて、川を挟んだこの地にも墓廟が建てられるはずでした、白ではなく黒の大理石で!夫シャー・ジャハーンの墓廟が!
a2504.png
しかし・・・タージ・マハールが完成したのはムムターズ・マハールの死から23年後の1654年頃で、この間、Wikiによると、シャー・ジャハーンは、自分の墓の着工などはすっかり忘れて何十人もの側室たちとの好色生活を20年も続け、ふと気づけば父を見限った息子たちが始めた権力闘争に巻き込まれて幽閉され、一人寂しくこの世を去ってしまうのです。彼は、元妻ムムターズ・マハールの眠る墓廟で永遠の眠りにつくことになりました。

タージ・マハールの墓廟の中央には、大理石の透かし彫りに貴石が散りばめられた仕切りで囲まれた八角形のスペースがあり、その中心、つまり墓廟の中心にムムターズ・マハールの棺が置かれていました。そこでシャー・ジャハーンの棺は、その横に据えられることになったのです。
a2505.png
彼の棺の位置は、イスラムが重視する「対象の美」を逸脱していますが、父の不甲斐なさに業を煮やした息子の怒りの現れだとの見方があるとWikiにありました。

しかし・・・いずれの棺も偽物で、中は空です!本物は、この床の下、つまり墓廟の基壇の中に造られた空間に収められているのです。
次の写真がその空間で、小さい方がムムターズ・マハールのものです。
a2506.png
イスラムの伝統によれば、墓は地味でなければいけないので、遺体は人目に触れぬ地下の空間に埋葬されたとのこと。

墓廟の南の大楼門
a2507.png
大楼門から見た墓廟がもっとも美しいと考えられています。
a2508.png
墓廟の東の集会場。西の対称位置には全く同じ造りのモスクがあります。
a2509.png
それではYoutubeに従って「タージ・マハールの不思議」をご紹介しましょう。
・・・・・・
タージ・マハール。インドの象徴、宝石の建物、壮大な情熱の記念碑。
a2510.png
タージ・マハールは“世界の王、”全能のムガル帝国統治者、シャー・ジャハーンによって17世紀に建てられた。
a2511.png
この偉大な戦士王Warrior Kingは、これまで世界が見たことがない最高建築を造り上げた。この物語はそれがどのように造られることになったのかを紹介するものだ。
a2512.png
それは同時に彼の美しい王妃ムムターズ・マハールの伝説でもあり、彼等の愛が完璧に生き続けるためのものでもある。
a2512a.png
世界で最も美しい女性が最後に眠りに就く所として選ばれた世界で最も美しい場所。それがタージ・マハールだ。
a2513.png
しかし・・・タージ・マハールの華麗な部屋は、インドの歴史の転換期にシャー・ジャハーンが彼の生涯と莫大な資金を費やして建てた建物の中で今も密かに隠れている。
a2514.png
「Secrets of the Taj Mahalタージ・マハールの不思議」
a2515.png
今日、タージ・マハールは世界で最高の観光名所の一つだ。毎年3百万以上の人々が最も美しい人間愛を自分の目で確認しようと訪れる。
a2516.png
しかし、インドにとって、タージ・マハールは傑作建造物以上のものだ。
インド人解説者「この建物はインド国民の誇りとも言うべき記念碑だ。国家の象徴とも言える。」
a2517.png
タージ・マハールはインドの歴史の中でも最も繁栄したムガル帝国時代に莫大な費用を投入して造られた。造ったのは、生涯を夢に捧げた偉大なムガルの王シャー・ジャハーンだ。
a2518.png
建物は壮麗さと、壮大さと、力と美を完璧に結合した彼の計画から生まれた。タージ・マハール、「王宮の冠」だ。
a2519.png
タージ・マハール内部の神聖な場所は墓廟だ。ムムターズ・マハールからシャー・ジャハーンの愛は生まれた。彼女の記憶を残すため、ムガル帝国は永遠の愛の詩を石で造り上げたのだ。
a2520.png
建設は1632年に始まった。象の部隊が建築資材をムガル帝国の首都に運搬し始めた。
a2521.png
そして当時の最大の建築プロジェクトになっていった。数年のうちに、タージ・マハールの骨格が完成すると、莫大な費用をかけてこれを大理石で飾り立てる段階になった。
a2522.png
建設サイトとなったヤムナー川の河岸は特別な問題があった。
a2523.png
「川に近いので、土壌の固さが不十分だった。岩盤に到達するまで掘り下げなければならない。しかし、この問題を解決する素晴らしい方法を見つけ出した。今なら人々も、少し変形して行っている方法だ。彼等は“井戸の基礎”を造ることにしたのだ。当時では期的なアイデアだった。ムガル帝国の建築家たちは水の多い層を下げるため、深い井戸を掘り、その井戸を岩やモルタルで埋め、その上に石の柱を建てた。
a2524.png
柱を強固な石の橋で連結すると、出来上がったのは建物を支持する耐力をもつ堅固な石の丘だ。
a2525.png
タージをヤムナー川の流れから永遠に守るものだ。タージ・マハールは永遠の愛の力の証として立ち続けなければならない。シャー・ジャハーンの伝説にもなるであろう。
a2526.png

シャー・ジャハーンは偉大なムガル帝国皇帝のお気に入りの息子で、贅沢で豪華な世界の中で育てられた。1607年の15歳の誕生月には、体重と同じ金や宝石を与えられるという、特別な名誉に授かった。
a2527.png
しかし、それは偉大なムガル帝国の皇帝として彼が選ばれたということではなかった。彼が皇帝になるだろうとの望みは大きかったが、それに相当する大きな危険もあった。彼の兄弟たちは紛れもないライバルだった。最初に生まれた息子が必ず王になるわけではなかったのだ。諸侯たちの息子も死を賭しても帝位を狙っていた。彼の誕生日を祝福する群衆の歓声はなんの意味もない。

王室の歴史書chronicleはシャー・ジャハーンの勝利と災いを記録している。
a2528.png
「王子は子供の花嫁を与えられた。」それは政略結婚だった。空契約で終わる可能性があるものだった。しかし、この愛は永遠に続くことになった。
a2529.png
10年後、彼は25歳になった。彼の星は最高に輝いていた。皇帝の代理として強敵と戦い、連戦連勝をあげていた。そこで皇帝はかれに「世界の王」を意味するャー・ジャハーンという称号を与えた。
a2530.png
ムガル帝国の首都はインド北部の偉大な都市アグラAgraだった。
a2531.png
帝国の中心、インドの権力の中枢の一つ、巨大な“赤い砦Red Fort”がある所だ。
a2532.png
統治者のムガル人やその家族は砦の中にいくつも造られていた壮麗な王宮で暮らしていた。
a2533.png
そこにはハーレムがあり、シャー・ジャハーンが望むどんな気まぐれも与えてくれる女たちがいた。
a2534.png
しかし、彼が最も好んだのは、少年時代からの妻ムムターズ・マハールだった。シャー・ジャハーンは彼女を「王宮の中の選ばれた者」と呼んでいた。
a2535.png
歴史書を見ても、このカップルが特別に親密だったことが判る。
ニューデリーの大学教授「当時のことを考えれば、それは個人的な愛情のなせる業だったのだろう。」
a2536.png
「ロマンスも少しはあったかも知れない。よく言われることだが、愛という概念は欧米的だ。東洋には、人間的とは言えない愛の感覚がある。神格への愛、偶像への愛、父への愛、所属組織への愛、宗教への愛だ。これらは精神的な愛とは言えるがロマンティックな愛ではない。」

しかし、ムムターズ・マハールに関するシャー・ジャハーンの記憶は、世界でも突出したロマンティックな愛の象徴とも言えるものだ。連日、数えきれないほどの訪問者がタージ・マハールを訪れては感動している。理由の一つにはムガル帝国の建築家が用いたいくつかの素晴らしい視覚的なトリックがある。
a2537.png
訪れてまず目にするのは大楼門が切り取る枠に収まる墓廟だ。
a2538.png
門に近づく程タージ・マハールは小さく、遠ざかる程大きく見える。
a2539.png
その時に観光ガイドは必ずこう言う「ここを離れる時、あなたはタージをあなたの国まで連れていく。」
a2540.png
視覚トリックはミナレット(塔)についても同じだ。外側に少し傾いているのだ。
a2541.png
もし垂直に立てられていたら、内側に倒れているように見えるだろう。
a2542.png
左右のミナレットが互いに遠ざかる方向に倒れているので、完璧に垂直に立っているように見えるのだ。それはもうひとつのアドバンテージにもなっている。地震があるとミナレットは外側に倒れるはずだからタージとその偉大なドームは被害を受けなくて済む。
a2543.png
墓廟の上に載っているドームはタージ・マハールの輝ける王冠だ。建物全体をいつの時代でも新鮮に、優雅に見せてくれる要素と言える。
「ドームの造り方は、現代なら、別の方法もあるだろう。巨大な金属支持構造の建物を造ることもできるし、他の材料を使うことも出来る。しかし、当時、彼等は石を使ってドームを造るという課題を解決しなければならなかった。そこで、石を積み上げて石のリングを造り、このリングを積み上げていった。」
a2544.png
ドームは一層ずつ積み上げられていった。石の間に詰められたモルタルが石を安定させた。その結果、内部に梁や柱などを使わず、自分自身で構造を維持できている。ドームの重みは建物の下の石の構造物に垂直に伝わるようになっている。ドームの高さは40m以上で4mの厚みがある。
a2545.png
あたかも大理石の箱の建物facadeの上に浮いているようだ。この応力計算の不思議は現代の建築技術者にも称賛されている。350年以上もの間、このドームはムガル帝国の建築の究極的表現になっている。

1621年、ムガル帝国は転換期を迎えていた。シャー・ジャハーンの父である皇帝が重大な病に罹った。息子たちは権力の空白を埋める準備を整え、帝位を継承しようと暗躍を始めていた。シャー・ジャハーンは、その時が来たことを知っていた。最終で絶対の権力を得るためなら、彼はどんな行為もためらわなかった。毒殺さえも。
a2546.png
偉大なムガル皇帝が死ぬと、シャー・ジャハーンは彼のライバルたちを排除し始めた。報奨が大きい時、兄弟愛は何の意味も持っていない。
a2547.png
「家族や愛情といった概念はあった。しかし、これらの感情には蓋がされ、権力を獲得し、国を思うように統治したいという特別な願望が優先された結果、暴力すらも合理的な意味を持っていたのだ。」

ライバルが全て退(しりぞ)くと、シャー・ジャハーンは王位を獲得した。
a2548.png
1628年、アグラの「Red Fort赤い城」で帝位に就くと、彼は直ぐに、賢く、温厚な統治者の資質を表し、帝国を更なる繁栄に導いていった。
a2549.png
ムムターズ・マハールは陰に控えていたが、シャーにとって最も重要な助言者の一人だった。
a2550.png
彼の帝国は最盛期と同じ栄光の時代を迎える勢いだった。ムガルは戦士の神とも言えるジンギスカンの流れを汲んでいる。
a2551.png
遠い祖先はアジアの草原(ステップ)における強力な戦士、モンゴル人だ。シャー・ジャハーンが権力につくほんの1百年前、ムガルは北からこの地インド平原に侵入してきた。彼等の運んできた大砲はインドの都市を次々と破壊し征服していった。
a2552.png
シャー・ジャハーンの時代までに、ムガルはインドの大半を手中に収めていた。偉大な土地は、およそ2千年間の歴史の中で初めて統一されたのだ。
a2553.png
ムガル人の統治者は彼等の信仰を持ち込んできた、イスラムだ。イスラムは、直ぐにヒンドゥに次ぐインド第二の宗教になった。
a2554.png
侵略者達は人々にイスラムを強制しなかった。彼等はインド固有の文化とのバランスを求めていた。ムガルのリーダーは宗教的に寛大であることを宣言していた。1億人以上のインド人民は商業、工業、技術、芸術の分野で繁栄を果たした。芸術歴史家たちは彼等の統治者ムガル皇帝を現人神のように描き残した。
a2555.png
偉大なムガル帝国の力は尽きるところがないかのようだった。シャー・ジャハーンはあらゆることを意のままに決め、彼の言葉は帝国中に響き渡った。
a2556.png
国中に繁栄と安定がもたらされた。国の歴史書は「シャー・ジャハーンは人々に溢れるばかりの喜びと幸福を与えた」と書き残している。そしてシャー・ジャハーンと彼のムガル帝国は輝かしい絶頂に到達することになった。
a2557.png
しかし、現在、彼の最も偉大な遺産タージ・マハール、インドの象徴、は危機にある。テロリストや原理宗教主義者たちによる爆破の危険が高まったのだ。2006年以来、最高警戒地区に指定され、24時間、警備されている。
a2558.png
廟に近づくことは厳格に管理され、建物内部の見事な装飾を撮影することは禁止されている。どのくらいの期間、この警戒態勢が続くのかは誰も知らない。

芸術歴史家のエバー・コーはこの警戒態勢が始まる前にタージを調査する権利を与えられた。
a2559.png
彼女は建物と歴史に関する国際的な専門家だった。タージの宗教的な表現について次の様に解明している。
「タージ・マハールはイスラムの信仰における現世と来世の建築的な実施形態だ。」
a2560.png
「全体的な配置はその二重性を示している。つまり墓廟とその庭が創る精神的な面、それに対するバザールや市場という世俗的な面だ。」
a2561.png
「興味深いのは世俗的な部分が精神的な部分である墓廟側と鏡対称に配置されていることだ。これらを繋ぐ主要門(大楼門)がある広場は墓廟の庭に繋がり、その向うに墓廟が立っている。」

墓廟の中心には最も神聖な場所Holy of Holiesがある。
a2562.png
タージ・マハールの至高の空間で、シャー・ジャハーンの奥方が永遠に眠る場所だ。“王宮の中の選ばれた人”だったムムターズ・マハールは“赤い砦”の、女性ばかりが住むハーレムで贅沢な生活をしていた。詩人たちは彼女の優雅さと魅力を「月さえも彼女の美しさに出会うとはずかしくて隠れてしまう。」と讃えた。

帝国のファースト・レディーは例えようもない程、見事に着飾っていた。
a2563.png
「彼女はあらゆる資質を持っていた。ハーレムでも第一の女王で、王の最高の寵愛を受けていた。そう断言できるのは、ハーレムの女たちへの支払いに関する興味深い記録が残されているからだ。格差がつけられているのだ、極端に高い支払から極端に少ない支払まで。最高の支払を受けるものは、様々な行事において、いつも極めて高価な贈り物を与えられていた。」
a2564.png
ムガル帝国の財力は伝説的だった。男も女も宝石を身に付けていた。
a2565.png
男たちにとって、宝石は高貴の印だった。彼等はハーレムでお気に入りの女にそれを与えていた。無限とも言える量の宝石がインドを“世界の宝”にしていた。ムガル帝国の時代にインドの宝石芸術は最盛期に到達していた。
a2566.png
貴石は、像、家具、武器、衣服を飾っていた。今日でさえ、ムガルの職人の製品には最高値が付けられている。インドの繊維についても同じだ。綿はこの地で4千年以上も織られていて、今もインドの重要な工業だ。
a2567.png
ムガル帝国のもとで、インドは世界でトップの高級織物輸出国になっていた。偉大なムガル皇帝と彼の一族の支配者たちは、その交易で現金を手に入れた。
a2568.png
シャー・ジャハーンは彼の王国に対する特別の責任を持っていた。後継者を作ることだ。ハーレムに棲む多くの女たちが彼の子を産んだ。
a2569.png
しかし歴史書に記されているように、子を産んだ女には、妻という名が与えられるだけで、その他の特権は何もなかった。シャー・ジャハーンのハーレムは一時期、愛の巣だっただろう。
a2570.png
しかし、直ぐに保育園のような場所になっていたのだ。

「ハーレムはつねに全く非公式な場所だったわけではない。軍の組織のようで、一種の階層社会でもあった。規則と仕来りの場所でもあった。」

帝国が平和な時期には、多くの快楽の時間があった。ムガル人の娯楽だった酒と阿片は伝説になっている。シャー・ジャハーンとムムターズ・マハールはいつも二人で過ごしていた。
a2571.png
歴史書は王宮における彼等の生活をこう述べている「二人の相思相愛の様子は、いかなる階級、いかなる統治者、いかなる夫婦にも見られたことがない親密なものだった。“王宮の中の選ばれた者”に対する王の親密さ、深い愛情、思いやりは、他のものに対するそれらの数千倍だった。」
シャー・ジャハーンにとって、ムムターズ・マハールと一緒にいることは最高の幸福だった。
「もし皇帝のガウンや、彼の部屋や、軟膏や油が置かれた飾り棚を見たなら、多分あなたは、感情を高め、最高の愛人同志に仕立て上げる工夫がなされていたことに気付くだろう。」
a2572.png
二人の愛情と思いやりは心からのものだった。
歴史書は言う「そして、いつもその女性は帝国を見事に統治する皇帝の親密な友で、愛人で、同伴者だった。」
a2573.png
「厳しい時も順調な時も、楽しい時も悲しい時も、旅先でも王宮でも。」
a2574.png
“世界の王”の微笑みは長く続くことは無かった。帝国に不穏な動きが在った。1929年、暴動が起きたとの知らせがアグラの王宮に届いた。遠く離れた州が帝国に再び謀反を起こしたのだ。それは戦いの始まりを意味した。シャー・ジャハーンは軍と共に出陣した。
a2575.png
敵を慈悲なく壊滅しなければならない。来る日も来る日も、彼とムガル帝国軍はインド平原を進軍し続けた。
a2576.png
デカン地方の謀反人たちを叩き潰すため、何度も出軍を繰り返した。戦は終わりがないかのようだった。ムガル帝国は、未だに、大砲を中心とした戦をしていた。トルコから輸入した最新鋭兵器だ。シャー・ジャハーンの軍隊は山を越え、荒れた平地を横切って進軍を続け、敵の城壁を打ち破り、謀反人たちを葬り去りながら戦いを続けた。およそ2年に渡るこの戦にも、ムムターズ・マハールは同行した。何物もムムターズ・マハールと夫との繋がりを割くことはなかった。
a2577.png
しかし、連戦連勝の喜びは悲劇で中断されることになった。戦いの最中にムムターズ・マハールが子供を産んだ。その時、体調に問題が起きてしまう。
a2578.png
妻が衰弱していく時、偉大なムガル王が出来たのは祈ることだけだった。
a2579.png
歴史書は悲しい出来事をこう記録している「1631年7月17日、偉大な王の妃は最後の時を迎え、世界は嘆きの場所となった。」
ムムターズ・マハールは14番目の子を産み落として死んだ。
a2580.png
シャー・ジャハーンの世界は終わりを迎えたかのようだった。皇帝は8日間、部屋に閉じこもって出てこなかったと言われている。2年間、音楽を聞くことは無かった。宝石も香水も身に付けなかった。
a2581.png
「彼の髪と髭は白く変わってしまい、老人のように見えた。彼女の死が強い悲しみだった証拠だ。」
伝説によれば、死ぬ前、ムムターズ・マハールは遺言したという「世界が見たこともない崇高な墓廟を造ってほしい」と。
a2582.png
それはシャー・ジャハーンの余生における最大の仕事になるはずのものだった。彼女の記憶を残すために世界で最も美しい建物を建てるのだ。
a2583.png
タージ・マハールはインドの記念碑として立ち続けている。シャー・ジャハーンの先人たちも華麗な墓廟を造ってきた。
a2584.png
シャー・ジャハーンが建てる記念碑は祖先達の仕事の優れた点を集めて造られることになった。
a2585.png
彼の父のミナレットを備えた墓廟がモデルとなった。彼の祖祖父の墓廟も中央の主建屋を囲む4隅に櫓を持っていた。
a2585a.png
4つの見事な入口portalは祖父の墓から感化されたものだ。そして偉大なドームは有名な祖先の記念碑から採用した。
a2585b.png
異なったモデルが完璧に調和している。大きさ、美しさ、華麗さのどれをとっても、タージ・マハールに迫る墓廟はない。記念碑はこの世の楽園以外の何物でもなかった。象徴となっている墓廟のドームは大理石を丸く削って造られた王妃の記念碑だ。詩人は「時間という頬におちた涙」と詠った。
a2585c.png
1632年。ムムターズ・マハールの死から6ヶ月後にタージ・マハール建設は始まった。当時、世界で最大の建築プロジェクトだっただろう。2万人がかりだされたと言われている。
a2585d.png
歴史書がその状況を記録している。「そして帝国のあらゆる地方から優れた石工の集団が集められ、集団生活を始めた。建物を覆う数百万個の煉瓦は建築現場近くで焼成され、タージは記録的な速度で立ち上がっていった。」
a2585e.png
建築には多くの費用が必要だった。巨大な建築物の建設が続いている間、帝国の宝物は流れ出るように使われ続けた。しかし、偉大なムガル皇帝にとってそんなことは何の問題でもなかった。必要なら他のどんな事業もさしおいて、タージの建築が優先された。タージの建設を止めることが出来るものは何もなかった、たとえ人民が皇帝の熱意のために、どんな苦労を被ろうとも。
インド人解説者「シャー・ジャハーンは人工的な飢饉を創り出した。彼は人民が必要としていた穀物をもアグラに供出するよう指示していた。職工や労働者など、とにかく多くの人々が建築に関与していたので莫大な食料が必要だったのだ。」今日、国民が受けていた苦労を覚えているものは誰もいない。残っているのは崇高な記念碑だけだ。

「色の配置は、とても象徴的だ。世俗的な部分と、その他の建物は赤い砂岩で色付けされている。」
a2585f.png
「白い色は墓廟のために残された。それは強調されるべき建物だった。」
a2585g.png
「ムムターズ・マハールが永遠に暮らす天国的場所だ。純白はここに埋められた人の気高さと信仰を表現している。」

タージ・マハールの白い大理石はラージャスターン州の、今も使われているマックラーナ石切り場から切り出された。
a2585h.png
マックラーナの大理石はシャー・ジャハーン時代にも有名だった。固いが加工しやすい。繊細な彫刻も輝く光沢も可能でムガル帝国の建物に使われていた。切り出された大理石は400Km以上離れたタージ・マハールの建築サイトまで運ばれた。建築にはこの素晴らしい石が大量に使われた。
a2586.png
建物の外郭が完成すると、煉瓦は純白の大理石で覆われ、完全に見えなくなった。表面が磨かれた白い覆いの大理石がタージ・マハールに大きなインパクトを与えている。
「勿論、この白い大理石が建物に美と輝きを与えているのだ。浮遊しているような感覚も醸し出している。それは詩における言葉のように、建物が語りかける手段になっている。」
a2586a.png
「大理石の構造物の隣からは庭が続いている。庭はタージ・マハールの心臓部だ。コーランにおける天国を表している。2つの通路が地形を4つの正方形に分けている。通路に沿った水路はコーランにおける楽園を表現している。水路が合流するところにある池は、天空の池を表現している。天国の楽園に辿り着いたらこの池の水で渇きを癒すのだ。」
a2586b.png
ムガルの伝統に従い、墓廟と庭は割り切れない単位で構成されている。そして墓廟の内装は、コーランにおける8つの楽園を表現している。8つの個室が墓廟の中心を囲むように配置されている。
a2586c.png
ムムターズ・マハールの石棺はその中心に置かれている。
a2586d.png

完成すると直ぐ、巡礼者達が訪れるようになった。極めて敬虔なイスラム教徒だったムムターズ・マハールは今日でさえ、何千もの巡礼者達を世界中から引き寄せている。墓に捧げられる花は預言者ムハンマドが天国に上った時を思い起こさせる。
a2586e.png
彼が天国に到達すると、流した汗の一粒一粒は薔薇に変ったのだ。信心深い者たちは神的な邂逅を求めて故人に献金したりする。インド人のイスラム教徒もムガルの統治者たちの聖地に訪れては同じような祈りを捧げている。
a2586f.png
イスラム原理主義者は聖者を崇拝することはしない。しかし、インドでは、これが一般的なのだ。
a2586g.png
ムガルはイスラムを亜大陸に持ち込んだ。しかし、彼等はコーランを堅苦しく伝えることはなかった。インドでは、長い間、イスラムは寛容と公開opennessの原則に連動していたのだ。

シャー・ジャハーンの統治時代、寛容と公開の原則はインド国境の外まで伝えられた。偉大なムガルは外部の世界からの訪問者を歓待するよう命令していた。彼は外部との交流で多くの利益があることを知っていたのだ。シャー・ジャハーンの宮殿では、帝国の東西から訪れた旅行者たちが常に見受けられた。欧州人は異国情緒ある被り物をしているので簡単に見分けられる。
a2586h.png
大陸を越えた接触で双方は利益を得ることが出来た。欧州人は織物、香料、宝石に魅かれてやって来た。
a2587.png
彼等は代金を銀で支払った。彼等は新しい考えもムガル帝国に運んできた。タージ・マハール自体もインドと欧州の間をつなぐ役目を果たした。豪華な石の花が埋め込まれた、糸を編んだような透かし彫りの大理石がタージ・マハールの中心を囲っている。この技術と構想は遠く離れた欧州から伝えられた。中級の貴石が使われたモザイクはピエトゥラ・ドーラと呼ばれるものだ。
a2587a.png
「ピエトゥラ・ドーラの技術が欧州から直接伝えられたのか、どこかを仲介して伝えられたのかは判っていない。しかし、シャー・ジャハーンの想像を掻き立てた。そこで彼はその技術を使う事にしたのだ、建物が宝石箱に見えるように。」

ピエトゥラ・ドーラは固い石の意味のイタリア語だ。ルネッサンス期、これらの貴重な石は欧州の王宮を飾っていた。その技術がイタリアからインドに伝わり、新たに開花したのだ。
a2587b.png
インドのピエトゥラ・ドーラ工房では数百年以上もの間、同じ技術が使われている。多くの工房では、17世代、18世代もの間、技術が受け継がれている。彼等はタージ・マハールで仕事をした技術者の子孫たちなのだ。
a2587c.png
ピエトゥラ・ドーラは習得するのに苦労が必要な技術だ。モザイクは色がついた小さな石を大理石に埋め込んで作られている。職人は一つのモザイクを造るのに何百もの石を切削しなければならない。
a2587d.png
その各々は正確な形と寸法に削られ、大理石の溝にピタリと嵌りこむように造られる。この職人は貴石を取り付ける花形の穴や溝を大理石に掘りこんでいる。
a2587e.png
繊細な最終調整の後、特殊な接着剤で石を窪みに固定する。石で絵を描く手法は、インドの職人たちの誇りのひとつだ。
a2587f.png
タージ・マハールを飾り付けた職人の名が歴史書に記されることは無かった。しかし、シャー・ジャハーンは彼等の技術を頼りにしていたのだ。
a2587g.png
1643年、タージ・マハールは着工から12年で完成をみた。困難と試練にも拘らず、シャー・ジャハーンは彼の夢を達成したのだ。
a2588.png
「王宮の中の選ばれし者」は、その名にふさわしい寺院の中で眠っている。人間の手で造り得る、考えられる限りのどんなものよりも見事な建物だ。彼女の命日には、「世界の王」シャー・ジャハーンはムナー川を船で移動してタージ・マハールを訪れ、そこで大切な恋人を思い出していた。
a2588a.png
タージ・マハールは残る最後のミステリーを隠していた。墓廟で見る石棺は空の飾りものだ。ムムターズ・マハールは床下の秘密の部屋で邪魔されることなく静かに横たわっている。
a2588b.png
タージ・マハールを完成した後、シャー・ジャハーンはこの国を20年以上、統治し続けた。しかし、王国は惨めな結末を見ることになる。
a2588c.png
彼が進めた莫大な費用のプロジェクトや贅沢な生活が帝国を廃墟の境まで追い込んでしまっていた。1658年、「世界の王」はその地位から転げ落ちてしまう。ムムターズ・マハールと彼の間に生まれた息子が、父の贅沢な暮らしを止めさせ、帝国を救う決意をしたのだ。偉大なムガル人、30年も皇帝の座についていたシャー・ジャハーン、は幽閉されることになった。
a2588d.png
“赤い砦”に閉じ込められ、二度と外に出ることは無かった。
a2588e.png
夜になると召使は、ずっと昔、彼が若かりし頃に成し遂げた英雄的行為、勇気と権力と勝利の物語を彼に読んで聞かせた。
a2588f.png
シャー・ジャハーンの数十年に渡る賢明な統治で、ムガル帝国は頂点に達した。彼の無限の権力や偉業に挑戦できる後継者は誰もいない。しかし、最大の権力者というものは誰よりも厳しいものだ。シャー・ジャハーンに残された安らぎは一つだった。幽閉された部屋の窓から遠い所に、愛した女が眠る、キラキラと輝く記念碑を見ることが出来た。
a2588g.png
彼は「王宮の中の選ばれし者」への愛情を忘れることはなかった。彼等の幸福はいずれ無くなる運命のものだ。しかし、彼等の愛情は永遠だった。
ムムターズ・マハールの墓は歴史の中に彫り刻まれた。シャー・ジャハーンもまた彼の最後の居場所をそこに見つけることになる。
a2588h.png
1666年、74歳でシャー・ジャハーンは死んだ。彼を記した歴史書は次の言葉で終わっている「“世界の王”は死んだ。遺体は川を運ばれ、前王女ムムターズ・マハールの美しい墓に移された。」
シャー・ジャハーンは再び“王宮の中の選ばれし者”と一緒になった。彼等の伝説、世界で最も完璧な建物、は彼等を永遠のものにしている。
a2589.png
Secrets Of TheTaj Mahal- National Geographic
https://www.youtube.com/watch?v=RZy25C1qo4Y&nohtml5=False
(完)
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する