Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

マヤ:失われた王国

中央アメリカで生まれた文明については、既に何度がご紹介させて頂きましたが、今回もマヤ文明に関するYoutubeフィルムで、少々古くて、初演は23年前の1993年です。フィルムには、ブログ「マヤ暗号を打ち破れ」で登場した2人のマヤ文字解読者が出てきます。その一人リンダ・シーレーLinda Scheleは1998年、55歳で夭逝(ようせい)しました。ご紹介するフィルムでは、ジャングルで元気にマヤ遺跡と取り組んでいる生前の彼女を見ることが出来ます。きっと幸せな時間を過ごしていただろうと思います。

で~私事ですが~6月、メキシコ・シティ周辺とユカタン半島のチェチェン・イツァChichen Itza近辺を旅行することにしました。今は5月のゴールデンウイークの最中ですが、このブログが公開される時には、既に帰国しているはずで、そんなこともあるもんですから、個人的な都合で恐縮ですが、出発前に今一度、マヤ文明の総括をしておこうと考え、見つけたYoutubeをブログ化させて頂くことにしました。フィルム自体は、なかなか上手く纏められていると思いますので、マヤ文明の理解を深める一助になるかと思います。
・・・・・・
彼等はコロンブスよりも数千年前からこの地にいた。
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パリがまだ小さな村だった時、彼等はジャングルから都市を彫り上げていた。
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彼等は生死を賭けて球技をしていた。天空の動きに従って暮しの予定を立てていた。彼らが書き記したものは謎が多く、我々はまだ解読段階だ。
(mh:現在は95%以上が解読可能です。)
「わぉ、これを見てくれ!」「本当にすごい!」
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現在、発掘調査速度は速まり、彼らが何者なのか、我々はついに見つけ出しつつある。
人骨専門家「骨っていうの?骨なら沢山あるわ。」
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彼等は神が自分たちをトウモロコシから作ったと言っている。彼等は、そう、マヤ人だ。
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時は1839年。所は西ホンジュラス。アメリカ人探検家ジョン・ロイド・スティーブンスは隊員を率いてコパンcopanと言う名の、人々に見捨てられたマヤの古代都市を探していた。当時、マヤについてはほとんど何も知られていなかった。スティーブンスはそれを知り始めようとしていたのだ。
数千年に渡る熱帯林の成長の中に隠れた、静寂な寺院跡や崩れ落ちた石は、何Kmにも渡って広がっていた。
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スティーブンスは神秘の念に打たれた。誰がこの場所を造ったのか?ここで何が起きたのか?
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それから数日間、スティーブンスと英国人芸術家フレデリック・カサウッドは廃墟の都市に関する印象を記録した。
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「それは我々の目の前に、大海を漂う難破船のよう横たわっている。マストは失われ、乗組員は沈んで消え去ってしまった。その船がいつ来たのか、何が船を破壊することになったのかを語る人は誰もいない。全てはミステリー、暗く、不可解なミステリーだ。」
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次の3年間、スティーブンスとカサウッドは、北の、もう少し知られていたマヤの一帯を訪れた。ユカタンではウシュマルUxmalとチェチェン・イツァChichen Itzaを、チアパスChiapasではパレンケPalenqueを訪れた。それでも同じ疑問は彼等に憑(と)りついていた。
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「誰がこれらの都市を造ったのか?都市は何故、見捨てられたのか?」
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マヤの古代都市は、南側はホンジュラスの一部からエルサルバドル、グアテマラ、北側はベリーズ、メキシコまで広がる一帯に残されている。
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そこに、何百もの小さな王国が点のように散らばって、それぞれ独自の歴史を持っていた。
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学者達が古典的マヤ文明と呼ぶ中心部は南側の低地に在った。そこが今回の物語の場所だ。
まずは最初に科学的な調査が行われたコパンCopanから始めよう。
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今日、一部で修復が進んでいるが、未だに不可思議な雰囲気の中に包まれたままだ。
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ビル・ファッシュはコパン都市計画の責任者だ。
ビル「コパンはマヤの主要な都市の一つだった。見つかっている遺跡からはそうは見えないが、4百年ほど繁栄していた間は、とても素晴らしい所だったんだ。」
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ビル「信じられない程の芸術家、彫刻家、建築家、技術者、天文学者、筆記人scribeたちがいた。現在の文化に例えると、ティカールTikalがニューヨークとすればコパンCopanはパリだったと言えるだろう。」
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この数十年間、毎年、10人以上のマヤ専門家と数百人の作業者たちはコパンの歴史の断片を繋ぎあわせて元に戻そうと試みている。ここで起きた物語は、石を一つずつ積み上げる度に明らかになりつつある。
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ビル「かつて建物を飾っていた、刻印された石の断片は、3万個以上もある。問題は、これらをどうくみ上げていけば答えが得られるのかについて何もヒントがない事だ。それらしい絵見本のようなものがないんだ。我々自身がそれを創り上げねばならない。」
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ビル「問題を悪くしているのはこれだ。ゴックGOKと呼んでいる石片だ。これらの石が建物のどのあたりに使われていたのか、“神のみぞ知るGod Only Knows”だ。」
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ビル「最初にここに来た考古学者たちが、このように、ここに積み上げている。」」
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「ここから石を一個ずつサイトに運んで積み上げてみて、おかしければまた元に戻して他の石で試してみるという具合に作業するしかないんだ。」

この困難にも関わらず、ビル・ファッシュのチームの専門家たちは数千もの刻印された石の断片をくみ上げ直し、数十の建物を甦(よみがえ)らせつつある。年と共に1千年前のコパンの姿は明確になってきた。
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しかし、マヤの権力者たちが自分たちの死体を埋めた寺院には、未だに多くの謎が隠されて残っている。
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古典的なマヤは金属についてはほとんど関心を持っていなかった。だからここには金は埋められていない。しかし、たまに、もっと価値のあるものが掘り出されている。
「これ見て、この顔!」「いいぞ。塗り直されてるな。スタッコstuccoが上塗りされている。」
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1992年ロバート・シャーラーは王家の墓を発見した。いくつかの土器容器も一緒に埋められていた。
「ここに絵文字glyphがある!」
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これらの容器を特に価値のあるものにしているのは、描かれた文様と並んだ絵文字だ。
マヤ文字解読者デイビッド「これらは魅力的な土器ですよ。書かれた絵文字についてどのくらい解読できるかなんとも言えませんけど。」
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40年前、我々は数個の絵文字しか解読できていなかった。今日、凡そ半分は解読できる。しかし、それには専門家が必要だ。
女性考古学者「この容器に足がついたようなものもあるのよ。」
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テイビッド・スチュアートDavid Stuartはマヤ学者の息子で、世界でも最前線の碑文研究者だ。
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デイビッド「今日、絵文字を読めるようになったことで、マヤはだんだんと一般的normalになっている。つまり人間的になっているということだ。何故なら彼らが歴史を持っていたこと、彼等は自分たちのことや人生における出来事について真剣に関心を持っていたこと、が判るようになったから。」

マヤの記述方法の一つはほとんど永遠に失われかけていた。16世紀にスペイン人宣教師がやってきた時、彼等は何百ものコディセスcodicesと呼ばれる折込み本を見つけ、直ちに燃してしまったのだ。
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今日では4冊のコディセスの一部分が残るだけだが、それらが、マヤについて考える道筋を建てる手助けをしてくれた。
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それらは天文学の情報で一杯の暦Almanacだった。
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暦を書いた男や女たちの筆記人は、高度な数学を使って、数千年の過去、そして数千年の未来の夜の空の動きを算出していた。
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彼等は宇宙が、あるものは長い、あるものは短い周期的な動きをしていることを知っていた。日食についても預言していた。季節と彼等の生活における行事の間の関係についても魅惑されていたようだ。
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更に、マヤは、紙よりもずっと長く残る手法で記録を残した。記録には日付や数字以上のものが現されている。
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これはコパンの碑文階段だ。石段の表面に、彼等の統治者の時代に起きた重要な出来事が記録されていた。新しい世界における最も長い記述テキストと言えるだろう。
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しかし、最初にここを修復した考古学者たちが、崩れていた石を無作為に並び直してしまったので、今日、我々は、断片しか解読できない。彫像専門家のバーバラ・ファッシュは階段の上の1200の絵文字のカタログを作っている。
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いつかこれらの絵は、コパンの王たちのもっと完全な物語を話してくれるだろう。

ほかの碑文はここ数十年の劇的な研究進歩のおかげで、もっと容易に解読できるようになっている。
マヤ文字解読者リンダ「これは大地に棒で植物を植えた、という意味よ。」
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「これが日付。それは・・・」
碑文学者のリンダ・シーリーLinda Scheleは絵文字解読作業の一部を分担していた。
リンダ「ここには小さな木、テーがあって、こちら側で東を向いているのは若者で、西側は髭を生やしているでしょ?年寄りよ。」
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リンダ「人々が歴史についての意識を育てあげ、歴史を記録するということは、彼らが何をしたのかということとは別の、特異な面よ。」
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リンダ「今、私たちがやろうとしていることは、失われた歴史を再現することなの。何故って、アメリカの歴史は1492年にコロンブスとともに始まったってわけじゃあないんだから。紀元前2百年に始まっているのよ、最初のマヤの王が自分の名を石に刻んだ時から。」
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最初の王が自分の名を石に刻むよりもずっと前から、マヤ人は肥沃なコパンの谷間で暮らしていた。
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彼等はトウモロコシを育てる農業者だった。彼等の生活は自然界のリズムによって定められていた、植え付けも収穫も、誕生も死も。
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しかし、西暦400年頃、ヨーロッパではローマ帝国が崩壊を始めた頃、ある変化がコパンの谷に広がった。緩やかに褶曲して流れるコパン川の岸辺で、石で造られた建物がジャングルの土地から立ち上がってきた。
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煌(きら)びやかに彩色された建物が、数千人が集まることが出来る、白い砂が敷き詰められた中央プラザを囲んでいた。
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貝殻やカカオ豆を通貨に、タバコや翡翠(ひすい)、羽毛などの取引が行われていた。
都市の中心には球技場が造られていた。
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球技の目的は重いゴム製のボールを、手足を使わずに動かし続けることのようだ。
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ある石垣に彫られた記録によれば、競技者は腰の帯にいくつかの人間の頭をぶら下げていた。しかし、それが競技の敗北者たちに現実に起きたことか、単に象徴的に記録に残されているだけなのか、誰も正確には知らない。
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ビル「ボールは太陽の動きを表すものだと考えられていた、さらに拡大解釈して月や星も。そして、それらが絶えず動き続けていることを彼等は確認したかったんだ。もし、その競技を正しく行えれば、つまり神々を正しい方法で敬えば、農業のサイクルを安定させることができ、太陽は規則正しく昇り、雨は必要な時に降り、豊作になると考えていたんだろう。」
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マヤの神聖な世界では、神々は全ての生命の源で、王だけが神々と接触する能力を持っていた。神は太陽や月とともに物理的な宇宙を維持し、その見返りに人々からの崇拝を要求した。その要求の究極は血だ。
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リンダ「マヤの人々は、神聖な瞬間や、重要な行事に関して何か知りたいと思った時、血を差し出していたの。血は、彼らがチュレルと呼んでいだ“魂”を運ぶ車のようなものだったのよ。」
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リンダ「血は人の体内で流れているだけではなく、建物や木、空の中でも、この世の全ての神聖な物の中で流れていて、彼らが血を差し出す時、それはチュレル(魂)を活性化することだったの。ジョージ・ルーカスの“フォースForce”みたいなものよ。もしオービーワン、カノービ(mh?)だとすれば、死の星Death Starの戦いで“フォース!”って叫びながら宇宙船を操縦して突っ込んでいくようにね。つまり、そういったことをマヤの人々はこの儀式で行っていたの。そうすることで彼等は、宇宙の生きた力と彼らが考えているものに触れていたってことね。その“力Force”は今もここにあるのよ!」

特別な場合は、王さえも血を捧げた。それはマヤの生活の中で最も神聖な儀式だった。何日かの断食と精神的な準備の後、エイ(魚の一種)の脊椎で自分の皮膚に孔を空け、紙の短冊の上に血を垂らした。
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この犠牲的行為によって神々へ続く道が口を開けた。紙の短冊が燃されると、その煙の中を神々が昇って行くのが見える、とマヤの人々は信じていた。
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今日、古代マヤの子孫たちは、彼等の祖先にかなり似た生活を送っている。
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彼らが記憶している神話、彼らが執り行う儀式、これらは全て、時間というものが始まった時に神が彼等に与えてくれたものだとマヤの人々が信じている伝統なのだ。
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カシミロ・サガジャウはマヤの祈祷師で、収穫時の田畑を祝福する。
カシミロ「我々はカチケラ族で古代マヤの直系子孫だ。我々の宗教はずっと昔からのものだ。子供のころ、マヤの祈祷師から学んだ。種まきの時期と収穫の時期、いつ火を点けるか(mh:焼き畑農業です)、いつトウモロコシ儀式をするか、を夢の中でマヤの神々から教えてもらうんだ。」
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マヤ人の儀式に対する特殊な感情は、今から凡そ500年前、ユカタンに到着したスペイン人宣教師たちがここにきて直ぐに気付いたものの一つだった。
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カソリック教会が伝統的な信仰方法を禁止すると、古いやり方は地下に潜(もぐ)ってしまった。
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今日、マヤ人が従う宗教はこれら2つの信仰がまじりあったものだ。彼等は今でも古い文化の多くの面に粘り強く縋(すが)りついている。
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チアパスChiapasやガテマラの高地では、彼等の個性的な着物は、彼らがマヤ人だと言うだけではなく、彼らが暮らす村を象徴している。マヤの女が、フィピールhuipilという伝統的なブラウスを身に付けていると“偉大な命の木が地中から出ているように、夢に従って織られた布の中央から頭が出ている”と言われている。
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(Wiki:ウィピル;メソアメリカの先住民族の民族衣装の1種で、長方形の織物を2~3枚縫い合わせて作られた貫頭衣)
メキシコのチアパス高地で、チップ・モリスは20年以上も機織り人たちの研究をしている。
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チップ「機織り人はいつも、自分たちのデザインは世界の始まりから、つまり文明の始まった時から続いているものだと言っている。」
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「古代の彫像や遺跡を見ると、そこに描かれている文様と、今日、機織りされた布の文様は同じだ。」
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「文様の中にあるのはマヤの世界の地図のようなものだ。それは我々が立っている地表の地図ではなく、夢の世界の地図だ。神々が居る世界で、雨を管理する生き物や天使や雷神が暮らす世界だ。ブラウスの上の文様には道はないし家もない。あるのは雨を創り、命を創り、世界を維持する宇宙の神聖なイメージだ。」
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世俗的な世界と神聖な世界の境界線がどこにあるのかほとんど判らない世界では、全てのことは見えている以上のものだ。
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ピラミッドは祖先が暮らした神聖な山を象徴している。ドアは、山にある危険な地下世界に続く洞窟への入口、通路を表している。
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マヤ人は自分たちが死ぬと地下世界に行くと信じていた。彼等はそこをシバルバXibalbaと呼んでいた。
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そこは畏怖(いふ)の場所だった。水が流れる、病と衰退の世界で、普通の人は逃げ出すことなどとてもできない場所だった。
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マヤの人々が死をどのように考えていたのかが、コパンから200Km北のカラコルCaracolと呼ばれる都市遺跡で調査されている。
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かつて繁栄していた行政上の中心地で、多くの墓が見つかっている。
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「岩をどかすまで、このままにしておこうか。」「そうね」
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アレン・チェイスは土器専門家、ダイアン・チェイスは人骨の専門家だ。彼等はマヤの人々がどのように死を考えていたのかを理解しようとしている。

アレン「我々は物事を西洋的な手法で考えがちだ。しかしマヤは西洋社会ではない。彼等が西洋人がやる方法でしたことなんて一つもない。だからマヤ人がどのように生きたのかを我々西洋人が理解するのは難しいんだ。つまり、我々は普通、たとえば毎日、死人と一緒には暮らさない。我々は死体を自分たちの家の部屋に仕舞っておくことなどしない。しかしマヤ人は、それを何世紀もの間、していたんだ。」

ダイアン「大丈夫よ。とてもいいところだわ、アレン。ここは皇族の墓だわ。」
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一般人は自分の家の床下に、エリートは墓に埋葬された。
ダイアン「容器は素敵で、きれいな形で残っているわ。この多彩の容器は前よりも後ろ側の方が綺麗なままだわ。」
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「骨はどうなってる?」「骨?沢山あるわ。少なくとも2人、頭の向きは南ね。骨の保存状態もいいわ。この隅には誰か別の人の足の骨があるわ。最初の2人のものじゃあないみたい。男じゃあなくて多分女ね。誰か別の人のものよ。」
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マヤの人にとっては家族の一人だけでなく、大勢を同じ場所に埋めることはよくあることだった。
「私は、家族の霊廟だったと考えているわ。祖父が死ぬとまずそこに置かれ、祖母が死んだら、その隣に置いていくのね。」
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「月日がたてば息子や娘も死んで、その時は必要なら祖父や祖母の遺体を少しずらしたりして、息子をその近くに置いたりするの。こうして何人もの死体が収められていって、霊廟は骨だらけになるの。」

考古学者には墓はタイムカプセルのようなものだ。死者と一緒に埋められた物は、時々、正確な時期や名前を示してくれる。それは古代のマヤ人がどのように暮らしていたのかを知る手掛かりになる。
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そして時には、そこで、美しいとしか言いようがない品物も見つかる。
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(いずれも土器の容器です。)
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カラコルの墓のように、コパンの建物も固有の埋もれた歴史を秘めている。
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しかし、それを見つけるには、どこから手を付けて良いかわからない作業が必要になる時もある。
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ホンジュラス人考古学者のリカルド・アグルシアは1978年からコパンで調査を続けている。
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「私の主な関心事はここの人々にどんなことが起きていたのかを探し出すことだ。それは私が引き継いだことの一部、国の仕事の一部でもある。若い時、初めてここの遺跡にやって来たのだが、とても衝撃を受けた。それ以降、いつも考えているんだ。人々に何が起きたのか、彼等は何者か、彼等はどんな生活をしていたのか。」
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この4年間、アグルシアはコパンの人々がどのように暮らしていたかを我々にもっと語り掛けてくれるかも知れない寺院ピラミッドの発掘をしている。第16寺院の造りを見ると典型的な皇族の建物のようだ。その中には考古学的な問題が埋まっていたのだ。
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マヤ人にとっては、特定の場所が神聖だった。そこで、彼等は前からある寺院の上に自分たちの寺院を建てた。
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作業者たちは先に造られていた建物の上層部が大きすぎたら、そこを壊し、その上に新しい構造物を建造したようだ。

アグルシアの調査メンバーは上に積み上げられた構造物の一部を取り除いて、その下に迷路のようなトンネルを造った。
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アグルシア「トンネルの中を歩いていると迷路にいるみたいで混乱するよ。3Dで、上ったり下がったり、よく道を見失うことがあるし、何が見えているのか判らなくなる時もある。」

左側の平坦な壁は、かつて、古い寺院の外壁だった。その壁に沿って最後まで歩けば、元の寺院の寸法を確認することができる。
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アグルシア「私は今回、近道をして、別の壁に突き当たることが出来た。この壁はずっと南に伸びている。そこで上を調べてみたら、埋められていた構造物の上の段に行き着いて、それは更に上に伸びていた。ここから見ても判るようにテラスは更に上に伸びていてかなり大きなピラミッドであることが判る。調べてみたら、およそ8階建ての建物と同じ高さで、テラスは段になってどんどん上に続いている。」
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しかしアグルシアが次に見つけたものは全く思いもよらないものだった。2番目の構造物の内側に3番目の構造物があったのだ。そしてこれは、それまでのものと異なっていた。アグルシアがロウサリラRosalilaと呼ぶその構造物は完璧な形で残されていた。ホコリや土砂を取り除くと、当時の塗料の跡がまだ残る大きな顔(マスク)の一対が現れた。
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「これまで我々が見つけた顔のほとんどは高さ1~2mで横方向には5~6mの大きさだが、調べてゆくと更に横にどんどん伸びていて、まだ終わりがどこか確認できていないんだ。」
ビル「どんな様子?」
アグルシア「あっ、ボス。最近、ここに来ていないでしょ。」
「すごいね。信じられないよ。」
「辺りが全部、赤く塗られてるんです。」
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アグルシア「これから下の方を調べようとしているんです。既に鳥の像が2つ見つかりました。一つは左側のここにあって頭は北向きで、多分、もう一つは、嘴(くちばし)が目の上を覆うように曲がっています。」
ビル「羽根はみんな毛羽立っているね。ここの遺跡のどの鳥よりも高いところにあるから昔なら数Km離れたところからでも見えていただろうな。本当にすごい像だ。」
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明るい彩色が施された彫像で飾られたロウサリラは、かつてコパンでは最も高い寺院だった。
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中央入口の両側には2つの巨大な鳥が落ち行く夕日に向いている。その上では、くねくねうねった大蛇が空に向かって体を延ばしている。ロウサリラに施された念の入った装飾は考古学者達に問題を投げかけている。
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ビル「我々は、ロウサリラが何のための建物かを知りたいと思っている。何故、150年もの間、そこにあって、誰も触ることなく残されたのか?何故、完全に埋められてしまったのか?埋めた人々は、ロウサリラには全く手を加えていないんだ。他の建物は、もっと大きなもの、すごいものを造るために、みんな、解体してしまったというのに。何故、これだけがそんなにまで敬われ、そのままの形で埋められて残されることになったのか?更には、その中に何があるのか?何を仕舞い込んでいるのか?それをアグルシアに見つけてほしいと思っている。」

しかし、新たな発見が行われる前に、雨季がコパンに降りて来た。
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考古学者たちは家に戻り、全ての発掘作業は、雨季の終了まで中止された。

およそ6ヶ月後、雨が上がった。
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天気は爽やかだ。いよいよ第16寺院の発掘が再開された。これから半年間、作業者たちはロウサリラを覆っている土砂を取り去っていく。

雨がまた始まる直前になって、不可思議な寺院は、もう一つの驚きを提供してくれた。構造物の入口通路にある秘密の隠し場所のような所から、アグルシアは1300年前に埋められた何かを見つけたのだ。
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アグルシア「見て下さい。何か黒いもので・・・角はとても鋭くできてます。」
彼らが見つけたのはひとかたまりの刀剣だ。特に神聖な材料だった火打ち石から切り出されている!
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これらの刀剣は恐らく儀式で使われていたものだ。そこに彫られた顔の主は王の祖先だろう。ひょっとしたら生贄にされる人かも知れない。
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このように繊細な、薄く削られた刀剣を造るのにどのくらいの時間がかかったのか、今日では誰も、そんな技術は持っていないので、とても想像することができない。
結局、ロウサリラでは9本の火打石の刀剣が見つかった。恐らく9人の“夜の王”を表しているのだろう。
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アグルシア「ここに1300年もの間、眠っていたんだ。とても信じられないよ。つまり、見事な芸術作品だよ。信じられない程、繊細な造りだ。こんなすごいものを見つけられたなんて光栄だよ。」
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「戦いの炎の中で捕まえられたんだ、きっと。これから写真をとって、寸法を測って、当時の人達のことをゆっくりと考えてみたい。」
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「それは彼等にとってとても重要なことに違いない。とにかく感動している。とても特殊な感覚だ。こんなこと、いつも起きることじゃあないよ。」

アグルシアがロウサリラで見つけた火打石は、古代マヤ文明が最盛期だった西暦7世紀頃に、この場所に仕舞われたようだ。
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当時、マヤの多くの王国で、新しい建物が盛んに造られていた。
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いくつかの都市は道で繋がり、交易で繁栄していた。
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コパンはマヤの南の端だ。しかし、北では、マヤの世界の根底を揺さぶる出来事が起きていた。
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ティカールTikalはマヤの偉大な都市の一つで、周辺の都市が羨むほど繁栄していた。
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恐らく、ティカールの王たちは、他の王国が彼等に驚異を与えるだろうとは考えてもいなかっただろう。しかし562年の春、カラコルCaracolがティカールを攻撃し、打ち破った。それに続いた激動の時期に、王家の一部はジャングルに抜け出し、新たな都市を打ち建てた。今日、研究班のベースキャンプがその場所を示している。
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かつての偉大な都市ドス・ピラスDos Pilasは、今、再びジャングルに覆われている。残された断片を集め、当時の劇的な権力復活の様子を調べ上げる作業はアーサー・デムレスが指揮して進められている。ここで彼が調べ上げたことは、マヤに関する考えを変えつつある。
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アーサー「4,50年前、我々は、マヤの人々は平和を愛し、神政なtheocratic社会で、天空の動きを学んだ学者のような王たちがいて、自分たちだけで静かに暮らしていたと考えていた。しかし、最近の碑文解読や、新たな遺跡の発掘で要塞が確認されたことなどから、マヤの人々はとても暴力的だったことが判ってきた。恐らく新しい文明世界で最も好戦的な人々だったかも知れない。彼等は、絶えず戦や、王国の世襲闘争や、領土拡大に明け暮れていたんだ。」

実は、1990年、アーサーのチームは、この見解を裏付ける明確な証拠を発見したのだ。
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アーサー「それは大きな、完全な姿で残る碑文で、大国ティカールとドス・ピラスを巻き込んだ一連の戦争、紛争、占領などが記録されていたんだ、戦の戦利品についても。それは驚くべき情報の断片だ。これを解析することで、マヤの歴史における、この極めて過渡的な時期に対する我々の考えは変わりつつある。」

デイビッド「これは本当に素晴らしい発見だよ。“彼はこのカラクムール王の部下だ”っていっている。信じられない言い出しだよ。“我々はティカールと対等に戦える”って言っている。」
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スティーヴ「多分、考えなきゃあ駄目だ、つまりそれが従属なのか、それとも・・・」
碑文学者のデイビッド・スチュアートDavid Stuartとスティーヴ・ハウストンSteve Houstonは、石に刻まれた記事がどのくらい解読できるか確認するために呼ばれてやってきた。
「・・・ボナンパックとトニカへの連絡のために。その後は・・・X、これを見て!ここにある。アトゥムだ。この円は祭壇のようなものを示している。そしてここには奉納品が説明されている。階段だな。見て、これは段だよ、段だ。ピラミッドだよ!」
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「つまり、この出来事は、統治者Aの父親を巻き込んだ新しい事件だ。この頭蓋骨の絵文字はティカールの統治者の名前だ。」
(mh:2人の若い文字解読者は興奮していて、話があちこち飛ぶもんですから、仰ってることがうまく翻訳できません!)

アーサー「当初、マヤの戦いは、多かれ少なかれ儀式的だったようだ。多くは宗教的な目的で行われたのだ。ここに描かれている男達は大袈裟に着こんでいる。」
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アーサー「古代の衣装で、大きな旧石器時代の槍を持ち、戦場に出かけては、敵と対峙して叩き合った。そして片方は捉えられ、連れ帰れられて生贄にされていた。」
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石段の碑文が明確にしたのは、8世紀のある時、それまでの儀式的な戦いが、権力拡大のための軍事遠征に道を譲ったということだ。ドス・ピラスの王はパシオン川沿いの町を攻撃し、決定的な交易ルートを抑えた。
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アーサー「戦い方は過激になり、占領目的に変ったように思える。実際、他の領土を吸収する出来事も起きている。つまり、収まりがつかなくなった。ある種の軍事競争が始まったのだ。」
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アーサー「敵国の心臓部への攻撃が公然と行われるようになった。人々の居住地を攻撃し、寺院を焼き払うといったことが。」

新しい形の戦いはカラコルでも行われるようになった。
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アーサー「カラコルやマヤ全域において、8世紀、そして9世紀は大きな変革の時で、沢山の戦いが行われた時期だ。カラコルは、それまで、上手く戦いを進めていた。」
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「しかし、この時期の終わり頃には、隣の文明を打ち負かして、自分たちの王国に取り込むということではなく、大勢を捕えて生贄にすることが行われている。恐らく、人々はとてもびくつき出していたはずだ。」
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アレン「あなたがマヤの都市にいたとしよう。あなたはいつも争いに巻き込まれている、そして「わかった、私は捉えられて役務につく」と言う、恐らく1年の内3ヶ月間、ここを離れた外の地で。しかし、今度はそうではなくなって、略奪的な敵軍が攻め込んできて、男をみんな引っ張って畑に連れ出す代わりに、首を切り落として棒に差し、巨大な頭蓋骨の丘を造るようになった。となれば、あなたは恐怖で慄(おのの)くだろう。」
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「そうなれば誰だって言うに違いない“なんてことだ!ここから逃げ出そう。”」
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ドス・ピラスでさえも、この恐怖に襲われることになった。碑文の石段の上にも、慌(あわ)てて造られた防御壁の名残りがある。
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アーサー「考古学的には、この防御壁は我々がここで発見した最も重要な特徴の一つだ。この石組みがこんなにも整然としている一つの理由は、王宮で、微細に削られ積み上げられていた石を取り崩して持って来て、組み上げているからだ。つまり、この石垣は、生死を賭けた最後の防衛手段で、石段の上までずっと続いていた。」
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都市の最後の日の姿が明らかになってきた。
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攻撃者たちを跳ね除けようとする必死の試みとして、ドス・ピラスの市民は2つの防御壁を都市中心部の周りに造り、その中に移り住んだ。
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「これは、包囲され壊滅されようとしていた時、ドス・ピラスの中央広場を埋め尽くしていた小屋の下に敷かれていた土台だ。」
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「これが示すのは偉大な王国の最後の瞬間の絶望だ。繁栄が驚異的だっただけに、凋落は壊滅的だった。人々は塔のように聳(そび)え立つ寺院の下の儀式用広場に押し合うように集まって最後の時を迎えたんだ。」

一方、コパンは別の問題で苦しんでいた。
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最も権力があった統治者の一人が捕えられ首を切り取られると、王の神格に対する信仰は揺らいだ。
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その当時、コパンの谷では、人口が増え続けていた。
ビル「基本的には、コパン人は自分たちの成功の犠牲になったと言える。都市が発展し、より活き活きと、より活動的になると、この見事な、肥沃な、堆積土の低地は全て家で覆いつくされ、彼等は食糧を得ようと自分自身をも切り取ってしまったのだ。」
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「時と共に全ての森が失われ、土地の浸食が始まり、谷間全域で雨の恩恵が減ると、人々はこの地で生活を続けられなくなったのだ。」

8世紀の中頃・・・マヤ南部一帯で、王国の力は衰えていた。
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病と飢えは日常茶飯事だった。人々は次から次へと町を捨てて出ていった。ヨーロッパでは、暗黒の時代Dark Agesが半ば終わっている時期だった。しかし、このジャングルでは、それが始まろうとしていた。
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ゆっくりと・・・一つ、また一つ・・・偉大な南部の都市は放棄されていった。
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761年、ドス・ピラスの王が捕えられ、殺された。以降、この地で新たな碑文が残されることは無かった。

パレンケに残る最後の記録は799年だ。
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その20年後、コパンが活動を止めた。
カラコルは859年に記録を止めた。
ティカールでの最後の記録の日付は879年だ。
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南部マヤでは10を少し超える都市だけが10世紀の最初の数年を越えて生き延びていた。
ユカタン半島などの北部のウシュマルUxmalやチェチェン・イツァChichen Itzaなどの都市は、さらに数百年、繁栄を続けたが、もはや神格をもつ王によって統治されてはいなかった。
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そして徐々に古い建築方式、記録方法、信仰方法、は失われていった。古代マヤ文明は終焉を迎えたのだ。
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アーサー「マヤ文明に関する一般的な理解を飛躍させる一つの方法は、今はもう打ち捨てられたジャングルの中にあるモニュメントと建築物、科学、記録方法を持つこの高度な文明を見ることだと思う。それを見れば直ぐ、大きな衝撃を受けるはずだ。我々は失敗するものだし、文明というのは複雑な現象で、我々はそれを駄目にしてしまうこともできる、そしてその結果は完全に壊滅的なものにもなり得る、ということを思い出させてくれる。」

チェチェン・イツァChichen Itza
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チェチェン・イツァChichen Itza
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チェチェン・イツァChichen Itza
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ティカールTikal
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古代マヤ文明は失われたかもしれないが、マヤの人々が消えてしまったわけでなない。
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3千年もの間、彼等は自分たちの王や外部の征服者たちの野心の中で生き延びてきた。そして今再び、攻撃にさらされている。
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グアテマラでは、この30年間、マヤ人とは関係なかったはずの内戦に巻き込まれている。
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10万人のマヤ人が殺され、4万人が行方不明になった。誰も、未亡人や孤児の数を数えたことなどない。それでも、彼等はこれら全てに耐えている。
彼等はフィーピルhuipilを織っている。
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彼等はトウモロコシを栽培している。
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デイビッド「私は現在のマヤの人々が多くの点で古代マヤと同じ伝統の中で生きていると感じている。彼らは失ったものにはこだわっていない。古代の王たちの話をするが、話だけだ。彼等はもう王のために働くことはない。自分自身の生活を始め、それを続けているのだ。」
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ビル「私は、人々がマヤは崩壊したと語るのを聞くのが好きではない。マヤは崩壊していない。進化したんだ。彼等は様々な困難な時期、好い時、悪い時、を生き延び、今も我々と共にいる。彼等は今も彼等の習慣を維持しているし、彼らの社会を構築し、それを維持している。古代のマヤの生活方法がどのくらい生き延びているか確かめるのはとても楽しいことだ。」
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アグルシア「我々が掘り出したものは、歴史の一部だ。そしてここに生きた人々は我々が知る限りでは偉大な人々だ。我々がもっともっともっと知らねばならないことはこれらの人々の生活における出来事だ。」
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リンダ「今、起きていることは、これらを造ったヤシュ・パーとかバード・ジェイガルとかパカールとかいう人々が彼等の声を取り戻しているということだわ。彼等は、我々にとって現実になりつつあるの。そして20世紀の人々に語り掛けている、この場所を造ったのが誰か、そして何故か、何を感じていたのか、この世界について何を考えていたのか。彼等はもう名も無い人たちではないのよ。」
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以上でYoutubeフィルムのご紹介は終わりです。

マヤ文明の衰退についてWikiには次の様な記述があります。
古典期マヤ文明の衰退:
9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説、気候変動説、農業生産性低下説など有力な説だけでも多数ある。しかし、原因は1つでなくいくつもの要因が複合したと考えられている。また、古典期後期の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明している。焼畑(ミルパ)農法や、漆喰を造るための森林伐採により、地力が減少して食糧不足や疫病の流行が起こり、さらにそれによる支配階層の権威の失墜と少ない資源を巡って激化した戦争が衰退の主な原因と考えられている。

トルコ南東部のギョベクリ・テペGöbekli Tepeで見つかった1万2千年前の神殿について2014年5月23日のブログ「文明の起源は宗教か?」でご紹介しましたが、人々が遊牧生活をやめ、定住して農耕生活を始めたことで文明が生まれたとの見解が示されていました。
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今回のフィルムでは、コパン発掘責任者ビル・ファッシュが、古代都市周辺で何百年も続いた焼き畑農業で、周辺一帯から木々は消え失せ、土地は痩せ、増加した人口を維持する食糧が確保できなくなって、都市が見捨てられたのだろうと述べています。
文明、具体的には都市、を維持するには、その住民を養うに十分な食料、とりわけ農産物が欠かせないのは論を待ちません。人類は自然を破壊し続け、気象の異常化が常態化しています。農作物の収穫は安定せず、減少方向でしょうから、農耕地帯から離れている都市の生活は難しくなって人々が離れていくと思いきや、東京一極集中で、地方の市町村の人口は減っているっていうんですから、一体全体、日本はどうなっていくのか。仮にどうなろうとも、マヤと同じように、日本人も必ずどこかで生き続け、日本固有の文化や伝統を維持し続けるのでしょうが、どんな時でも人間らしく生きていてほしいと思います。
Lost Kingdom of the Maya - National Geographic (with subtitles)
https://www.youtube.com/watch?v=bSd2P0guPFk
<緊急追記>
バングラディッシュのダッカで日本人7人を含む20人が殺害された事件の犯人と思われるテロリストの写真が見つかりました。
http://bdnews24.com/bangladesh/2016/07/02/site-publishes-photos-of-dhaka-cafe-assailants
投稿したのはSITE Intelligence Groupは白人至上主義者やジハード主義者団体のネット活動情報を追跡しているグループとのことですから、写真が本当に今回の犯人たちのものかどうかは何とも言えないのですが、それにしても、恐らくは写真のような若者たちが、仲間とも言えるイスラム教徒の警官に殺されるのを承知で異教徒を殺害する決断に至った経緯には同情に値するものがあるような気がしていますが、だからと言って、彼等の行為が許されるわけはありません。しかし・・・アッラーの神は、きっと許しているんでしょうね、でなければ、彼等は全く救われないことになりますから。彼等にも家族はいるはずで、にも拘らず、このような暴挙に出るとは親不孝者としか言いようがありませんが、カメラに向かって明かるく笑いかけている彼等の顔を見ていると、ムハンマドが生み出した罰の大きさに唖然とさせられます。
別の記事です。犯人は20~28歳の男子学生のようだとのこと。やはり写真の笑顔の男達かもしれません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000043-jij-asia
(完)
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