Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

東方の三賢人の不思議

もし貴方が仏教徒で“東方の三賢人”が何者かご存知なら、あなたは物知りだと認めましょう。クリスチャンでも知らない方が多いのではないかと思いますが、どうなんでしょうかね。

次の絵は、東方からやって来た三賢人(WISE-MEN)が女性を、ではありません!赤ん坊を、見ている場面です!
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この赤ん坊こそイエスJesusなんですね。
ってことは・・・女性はマリアMaryで、その左にボケッと突っ立っているのは夫のジョセフJosephってことです。

3人の賢人は英語WikiでThe MagiまたはBiblical Magi、時にはWise MenまたはThree Kingsとも呼ばれるようです。つまりメイジャイ(マジ)、聖書のメイジャイ、賢人、三人の王、で、今回は“三賢人”と呼ばせて頂きます。

三賢人は生まれたばかりのイエスにプレゼントを贈るため、はるばる東方からやってきたと言います。名前はっていうと、はっきりしていなかったようです。それでは都合が悪かろうということで、Wikiによれば、7世紀頃の欧州で次の通り名が付けられました。
*メルキオール Melchior (黄金Goldを持参。青年の賢者)
*バルタザール Balthasar (乳香Frankincenseを持参。壮年の賢者)
*カスパール Casper (没薬(もつやくMyrrh)を持参。老年の賢者)

マリアとジョセフが旅をしていて、エルサレムJerusalemの南5Kmの小さな村ベツレヘムBethlehemに辿(たど)り着いた時、イエスは生まれました。そこで三賢人から黄金、乳香、没薬のプレゼントを贈られた後、Youtubeによれば、迫っている危機を噂で知ると、直ぐエジプトに逃げ出します。イエスは赤ん坊ですから、自分ではまだ歩けません。マリアが抱いてエジプトまで逃げたんですね。

で、危機が去ったことを知ると、エルサレムの北100Km程の町ナザレNazarethに移り、暮らし始めました。それでイエスは英語で“Jesus of Nazarethナザレのイエス”と呼ばれるのです。勿論、単にイエスJesusとか、イエス・キリストJesus Christとも呼ばれますが、Christというのは「膏(こう:油)をつけられた者」という意味の、救世主の称号です。知らなかったでしょ?

なんで救世主に“膏(こう:油)が付いている”のか?お釈迦様が仰ったように、因果応報、理由はあるのですが・・・古代、特に中東では、好い臭いがする所は生物学的に清潔で、棲み易い場所と考えられていたようで、主にオリーブ油が珍重されていたようです。これに、時には没薬(もつやく)を混ぜて香りを強調した、王や祈祷師は油とか膏とかを頭から被(かぶ)る風習があった、とネットで見つかりました。真実かどうかは不明です。

三賢人がイエスの誕生を祝福するためにやってきた時の様子を描いた、恐らく最も古い絵がこれです。
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西暦565年製のモザイク画で、イタリアの都市ラヴェンナRavennaのサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂に残されています。3人の衣服は彼等の出身地を、髭の有無と色(黒と白)は彼等の年齢を表しているらしいのですが、重要なのは、彼らがイエスのために持ってきた乳香Frankincense、没薬(もつやく)Myrrh、黄金Goldです。乳香も没薬も日本では見かけない木の樹液から作る香で、一般的には焚いて使われます。

三賢人がベツレヘムでイエスに面会することになった経緯(いきさつ)や、その前後の彼等の行動については、これから紹介するYoutubeで触れるとして、一体全体、何年の何月何日にイエスと面会したのかというと・・・今年は西暦2016年ですから、2016年前の、イエスが生まれた12月25日だろうという考えは間違っているようです!!!

2千年前、日本は弥生時代でした。
Wiki:弥生時代
北海道・沖縄を除く日本列島における時代区分の一つで、縄文時代に続き、古墳時代に先行する。およそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称である。

で~“弥生”ですが・・・
旧暦3月に付けられた名で、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったようです。紀元前3世紀から紀元後3世紀を弥生時代と呼ぶのは、明治時代、東京府・本郷区・向ヶ岡・弥生町(現在の東京都文京区弥生)の貝塚で発見された土器が発見地に因(ちな)み弥生式土器と呼ばれたことに由来する、とWikiにありました。
(弥生式土器)
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弥生時代の丁度真ん中頃に現イスラエルIsraelで生まれたイエスに関係ある三賢人の話となると、随分と古い昔のことのようですが、共和制ローマの執政官カエサル(シーザー:紀元前100年 - 紀元前44年)の方が数十年も古いです。アレキサンダー大王(紀元前356年 - 紀元前323年)は3百年以上も古く、エジプトのツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)になると1千3百年も古いのです!つまり、日本人には2千年前のイエスの話は随分と古い感じがしても、ヨーロッパやエジプトの人には、驚くほど古いものではありません。その時、既に文字もありましたから、いろいろな記録も残されていたはずです。聖書もその一つです。

2千数十年前、現イスラエル一帯はジュディアJudeaと呼ばれ、統治していたのはヘロド(Herodヘロデ)です。ブログ「ヘロド王の不思議2015年8月17日」でご紹介したように、今も残る建築物を手がけましたが、そのいくつかは砦です。自分の保身に、異常なまでの神経を使っていたのでしょう。
次の航空写真はヘロド王が造った砦兼王宮ヘロディアムHerodiumです。
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丘は人工的に造られたもので裾には町も造られました。

ヘロド王はエルサレムJerusalemの“神殿の丘Temple Mount”の整備もしています。
Olive Mountainから見たTemple Mount:
中央の黄金のドームは岩のドームです。
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Wikiによれば、ヘロド王は紀元前73年頃に生まれ、 紀元前4年頃に死んでいます。イエスが生まれたのが西暦元年(西暦元年は西暦1年。西暦0年という年は無い!)とすれば(?)、紀元前4年に死んだと言う事は、厳密にはイエスが生まれる3年前以上前にヘロドは死んだって訳で、イエスの話をヘロドが聞いたはずはありません。しかし、聖書によれば、ヘロドとイエスが同時にこの世で生きていた期間があるのです!一体全体、なんでそんな馬鹿なことが!

思わせぶりなmhの言い回しや辻褄の合わない聖書の記述で、皆さんは、段々、真実からはぐらかされているような、不愉快な気分になっているのではないでしょうか。しかし、お釈迦様も仰ったように、必ずや真実はあるのです。因果応報、世の中には訳の分からない話なんてありません!!!この辺りはブログの最後でmh流にご説明し直すとして、それではYoutube 「Biblical Magi - 3 KINGS, 3 WISE MAN Mysteries聖書のメイジャイ(3人の王、3人の賢人)の不思議」をご紹介しましょう。
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三賢人Wise Menについては「マタイによる福音書」に数行しか書かれていない。
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「賢い男達で、星に導かれ、東方からエルサレムに来て、ヘロド王に「ユダヤの王として生まれた男の子はどこにいるのか?」と聞いた。ヘロドは「その子を見つけたら教えてほしい」と頼んだ。彼等はベツレヘムでイエスに会うと3つの贈り物を渡し、来た時と同様、どこへともなく立ち去った、ヘロド王と再び会うことも無く。」
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聖書には3人とは書かれていない。3つの贈り物をしたので3人だろうと推定されているだけだ。

彼らが何処から来たのか、どこに去ったのかは記録がないので判らない。しかし、ヒントはある。聖書では賢人のことをMagiメイジャイと呼んでいる。
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ギリシャ語、ローマ語、ヘブライ語などではなくペルシャ語で、古代ゾロアスター教を崇拝する祈祷師を指す言葉だ。従って、三賢人を調べるにはペルシャを調べねばならない。現在のイランだ。

イランでは今もゾロアスター教が信仰されている。ゾロアスター教ではユダヤ教と同じように“処女からメシアMessiah(注参照)が生まれる時、星がそれを知らせてくれる”という言い伝えがある。
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(mh:ゾロアスター教はキリスト教やユダヤ教より古い宗教で、その一部はキリスト教に取り入れられたと考えてよいと思いますから、この言い伝えの発端はゾロアスター教ではないかとmhは推察いたします。)
つまり、三賢人(メイジャイMagi)は星を見て、メシアの誕生を予知したのだ。

(注:メシアMessiah
ヘブライ語で「(油を)塗られた者」の意。理想的な統治をする為政者または救世主を意味する。
おぉ、また油が出てきましたね!つまり“聖なるholy塗るためのanointing油oil”です!)

三賢人がペルシャに関係しているという別の根拠もある。イタリアに残る西暦565年のモザイク画に描かれている三人は、尖った帽子、ガウン、ズボンを身に付けている。
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ついでに顎髭(あごひげ)に着目すると、白いひげの男、黒いひげの男、髭のない男として描かれている。3人が若年、中年、高年の男達という証拠だ。

服装について言えば、2千年前、こんな服装の男達がいた所は・・・ペルシャだ!
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その証拠が遺跡ペルセポリスの階段に残されている。
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つまり聖書に記された三賢人はペルシャから来たのだ。
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彼等はいつ頃、イエスの所に来たのだろう?それを知るには、まずはイエスが生まれた時期を知る必要があるだろう。イエスが生まれた年は何年なのか?それは、多分あなたが知っている年ではない!全て神学者ディオニュシウスDionysiusが犯した間違いから来ている。

ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウス(西暦470年頃 - 544年頃)はローマ教皇庁から依頼されて、暦を作ることになった。
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その時、彼はローマ帝国が採用していた暦をイエスの誕生を原点として作りなおすことにした。こうして出来上った暦は、今も世界中で使われる西暦(グレゴリオ暦)の元となっている。
彼はイエスが生まれた年を知っていると考えていたのだが、不幸にも数学は学び始めたばかりで、いくつかの計算間違いをしたのだ。

彼はローマ皇帝が統治していた年代を基に計算を始めた。皇帝オーガスタスの時にキリストは生まれている。オーガスタスの統治時期は紀元前31年~紀元後14年だ。
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しかし、同じ本の別のページには紀元前27年~紀元後14年とある!
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オーガスタスと名乗る前、彼はオクタビアンという本名で4年間、ローマを統治していたのだ。この4年がディオニュシウスの暦策定から漏れてしまった。

彼は更に、もう一つの計算ミスをした。紀元前1年(西暦マイナス1年)と紀元後1年(西暦1年)の間の0年の取り扱い方を間違ってしまったのだ。
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結局、彼の暦には5年のずれが生じることになった。つまり、イエスが生まれたのは西暦1年(西暦元年)ではなく、紀元前5年または紀元前6年なのだ。

ではイエスは、紀元前5又は6年の何月何日に生まれたのだろう?ディオニュシウスが暦を作ったのはイエスの誕生から5百年程後で、何月何日に生まれたのかを覚えている人は誰もいなかった。そこで彼はローマ帝国の冬のお祀りの日(mh:冬至)、つまり太陽の神が生まれたという12月25日を誕生日とすることにした。
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イエスとは全く関係がない。しかし、以降、この日にイエスが生まれたとし、その日に三賢人がしたように、プレゼントを交換する習慣が生まれ、今も続いている。

それはそれとして、では、イエスは実際、何月何日に生まれたのか?どうすればその日が判るのか???それを知るためには三賢人に戻って考えねばならない。彼等は祈祷師で、占星術に長けていて、“星に従って”イエスの誕生を知ったのだ。いつでも見えている星ではないようだ。そんな星が天空にあった時期はいつなのか?
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聖書には次の記述がある。
There came wise men from the east saying “ Where is he that is born King of the Jews?”
東方から賢人が来て言った“ユダヤの王となるべくして生まれた子はどこだ?”

そして更に次の記述もあった。
And lo, the star went before them till it came and stood over where the young child was.
そして、見よ。その星は彼等の前を行き、若き子のいる所の上で留まった。

その星は三賢人をエルサレムに招くと消えてしまい、再び現れると彼等をエルサレムの南のベツレヘムに導いたのだ。そんなことが出来る星とは何だろう?
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もし紀元前5,6年頃、彼等を導いた星を見つけることが出来れば、イエスの誕生日を言い当てることが出来るかも知れない。

何世紀もの間、多くの人が、どんな星なら三賢人をベツレヘムに導くことが出来たか調べてきたが、聖書の記述に整合する星を見つけた人は現れなかった。しかし今、この問題を解決した人物がいる!米国ラッツガーズ大学Rutgers Universityの天文学者マイクロ・モーナー教授だ。古代占星術の専門家でもある。
ローマの硬貨がヒントになった。牡羊が振り返って星を見ている。
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モーナー教授は、長年、星の動きから三賢人の追跡をしている。彼によれば、古代、人々は星の運行を現代人よりも注視していた。星の位置は、その下で暮らす人々の活動に影響を与えていたという。

モーナー教授は、古代占星術において牡牛座(エリーAries白羊宮)がジュディアJudeaを表すことを知っていた。三賢人は牡羊座を見てメシア(救世主)の誕生に気付いた可能性があるという。
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ボブ「モーナー教授。三賢人が見たのはどんな星なんでしょう?」
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モーナー「当時の星の動きをコンピュータで再現してみよう。夜明けに最初に上る星が金星だ。」
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「そして土星、木星、更には太陽が一直線に並んでいる。」
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「木星が重要だ。新しい王を意味している。そして、それが牡羊座エリーの中にあるんだ。」
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「その時にメシアが生まれるという言い伝えがあった。そこで3人はヘロデ大王に聞いたんだ“生まれたメシアはどこなのか?”と。4つの星がこんな配列になるのは、凡そ70年に一回だ。しかし、もう一つ重要なことがある。4つが全て牡牛座の近くにあるということだ。こういうことはめったにない。」

星は王の中の王がジュディアJudeaで生まれたことを伝えた。コンピュータによる過去の星座の運行から求められた日付は紀元前6年、4月17日。これがイエスの生まれた日だ!
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これを裏付ける証拠はあるのだろうか?
聖書にはイエスが生まれた時の羊飼いたちの様子が併記されていた。
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They were keeping watch over their flocks by night.
(彼等は夜も羊の群れを見張っていた。)

いつの季節なら羊たちは夜でも群れていたのだろう?イスラエルに暮らす羊飼いに訊いてみると、4月から9月の6ヶ月間だという。11月以降ならばベツレヘムは極端に寒く、どんな動物も夜まで外で群れていることはない。
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やはりイエスは12月生まれではないのだ。モーナー教授の“4月17日にイエスが生まれた”との説は正しい可能性がある。

三賢人は星を見てエルサレムに向けて出発した。ペルシャからエルサレムへの旅は2千年前なら大仕事だった。アラビア砂漠の上を真っ直ぐ横切っても1600Kmだ。4月17日に現れた星の様子を見て3人はペルシャを出発することにした。しかし、直ぐに夏が始まる。砂漠ならとても暑い。そこで彼等は9月まで出発を待った可能性がある。ペルシャを発った彼等は、砂漠を迂回しチグリス川に沿って北周りで行っただろう。途中で水も補充できるから都合がいい。そして地中海沿岸近くまで行ってから南下し、まずエルサレムに行ったのだ。
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どのルートを採ったかについては確信はないが、間違いなく、およそ1ヶ月の旅程だっただろう。しかし何故、直接、ベツレヘムに行かずにエルサレムに行ったのか?
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実は星が示していたのはベツレヘムそのものではなく、ユダヤJudeaという国一帯だったのだ。都市を示していたのではない。

三賢人がユダヤに到着した時、季節は既に冬で、イエスは生後数か月経過していた。彼等は不幸にも、危険な地域に足を踏み入れていた。
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ユダヤを統治するヘロドは暴力的な王だった。
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既に妻や息子たちや数百人の政敵を殺害していた。その一方で、当時の偉大な建築家でもあった。マサダの頂きに砦を造った。
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ローマ帝国に対抗するためだ。エルサレムの寺院の丘も造った。ユダヤ教徒は、今も彼が造った嘆きの壁に向いて祈りを捧げている。
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その壁に使われている岩はとてつもなく大きい(mh:以前にも紹介しましたが、13.2mx3.3mx4.8mの直方体の岩も使われています)。どこからこんな大きな岩を採ってきたのか。エルサレムの近くに、今は放置されているその採石場がある。
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エルサレムに到着した三賢人は、町の人々に「ユダヤの王となるべき子はどこにいるのか?」と聞きまわっていた。部下から、不思議な質問をする三賢人の報告を受けたヘドロには初耳の話だ。そこで、彼は祈祷師たちを集めて訊いてみた。すると、旧約聖書に次の予言が書かれていたことが判った。
And thou Bethlehem, in the land of Juda, art not the least among the princes of Juda.
ユダヤの王子はベツレヘムで生まれるだろう。

ヘロドは考えたはずだ。「それが事実なら、自分の立場は危ない!しかし、もし兵を送って探すものなら、噂を聞き付けて、その子は隠されてしまうだろう。」

2千年前の12月、三賢人はヘロドに会うために、エルサレムの彼の居城を訪れた。
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ヘロドは三賢人と面談すると言った。「その子供はベツレヘムに居るかもしれない。見つけたらその場所を教えてくれ。私も出向いて祝福したい。」
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恐らく、三賢人はヘドロ王が野蛮な王であることに気付いただろう。直ぐにエルサレムを去り、ベツレヘムに向かうことにした。道のりは8Km。“途中で彼等はまた星を見た”と聖書は言っている。
And lo, the star went before them till it came and stood over where the young child was.
そして、見よ。その星は彼等の前を行き、若き子のいる所に来ると留(どど)まった。

その星は三賢人をエルサレムに招くと消えてしまい、再び現れると彼等をエルサレムの南のベツレヘムに導いたのだ。そんなことが出来る星とは何だろうか???
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何世紀もの間、この言葉が何を意味しているのか、人々は頭を悩ませてきた。しかし、今なら我々は知っている。

再び、モーナー教授に訊いてみよう。
モーナー「木星が紀元前6年4月17日に東の空に在った時からその年の12月までの様子を見てみよう。木星は牡羊座に対して左に動いてから右に戻っている。」
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「聖書ではこう言っている。
And lo, the star went before them till it came and stood over where the young child was.
そして、見よ。星は彼等の前を行って、ついには若き子供がいる場所まで来ると停止した。
エルサレムで見た星の様子はこうだ。ここに牡羊座がある。木星はここだ。南がベツレヘムだ。」
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「星は動いているのだが、この時、木星はベツレヘムの上に静止しているように見えていたのだ。
つまりベツレヘムの星というのは木星だったんだ。」
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彼らがベツレヘムでイエスに会ったのは星の運行から紀元前6年の12月19日だと導かれた。2千年前のミステリーは今、占星術と天文学によって解き明かされたのだ。
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イエスは生後8カ月だった。しかし、彼等はどこで聖なる家族と会ったのか?どこかの家のはずだ。多分、これとあまり変わらないだろう。
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ジョセフとマリアがベツレヘムに来た時、宿はどこも満室だったと聖書にある。しかしそれは誤訳だろう。当時、ベツレヘムに宿があったはずがない。彼等は普通の家の最下階で休憩させてもらったのだ。当時、普通の家では、今と同じように住民は上の階で暮らし、最下階は家畜を飼う所だった。だから聖書にあるように、マリアはイエスを“飼い葉桶に寝かせた”のだ。

生まれた場所に造られたと言われる降誕教会Church of the Nativity。
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本当にこの場所かどうかは誰も確信を持っていない。しかしイエスの死から160年後、ここがその場だと認定されている。
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つまり、この場所で三賢人がペルシャから持ってきた金・乳香・没薬(もつやく)をイエスに渡したのだ。金は今でも最も高価な金属だが、乳香と没薬(もつやく)は当時なら金よりも価値があった。今でもカイロの香辛料市場に行けば乳香と没薬(もつやく)が整腸剤として売られている。
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当時は勿論、そんな目的ではない。乳香と没薬(もつやく)から作られる香りは、神の臭いだと言われていたのだ。今でも降誕教会ではこの2つが焚かれ、その煙は天に上っていく。
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メシア(救世主)に対する贈り物でこれ以上素晴らしいものがあると言うのだろうか。

いよいよ三賢人は祖国に帰るのだが、ヘロド王から受けた「子供を見つけたらその場所を知らせてほしい」との依頼についてはどうなったのだろう?
聖書には次のように書かれている。
And being warned of God in a dream that they should not return to Herod, they departed into their own country another way.夢で、ヘロドのところに戻らぬよう、神から忠告を受けたので、彼等は別の道を通って故郷へ向かって出発した。

情報が夢の中で与えられたとは意味深長だ。ペルシャのメイジャイmagi(祈祷師)は魔術magicを使い、その上、夢占いの能力を持っていることで知られている。
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マジックmagicという言葉はメイジャイmagiから来ている。あなたも“ハリーポッターHarry Potter”で尖った帽子を被った賢者を見たことがあるかも知れない。
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メイジャイMagiは昔、夢占いをすることで知られていた。彼等は“夢の本Dream Book”を持っていた。夢を見たら、それが何を意味するか、夢の本で確認するだ。ここにあるのはエジプトの夢の本だ。
例えば帆船で海を移動している夢を見たとしょう。この列のこれが帆船での移動だ。
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そこの隣を見ると、もう直ぐ友と会うだろう、と書いてある。つまりメイジャイは夢占いが得意だったから、神が見させてくれた夢なら、その意味が何かは直ぐに判り、それに従ったはずなのだ。

三賢人について知れば知るほど、聖書の中の記述は意味を持ってきた。
聖書によれば三賢人は天空と夢占いに導かれて行動した。これはメイジャイが祈祷師でこれらに精通していたことと一致する。夢のおかげで、彼等はイエスが何処で生まれたのかをヘロドに知らせることなく故郷に帰ったのだ。

更に聖書は言っていた。
Then Herod,…slew all the children that were in Bethlehem, …from two year old and under.そしてヘロデはベツレヘムの2歳以下の子供を全て殺した。

mh:ヘロドの“幼児虐殺”として有名です。しかし、当時、ベツレヘムは人口数百人の村だったようですから、多く見積もったとしても20~30人だっただろうとWikiにありました。

降誕教会近くの地下の洞窟には悪いことをしたわけではないのにヘロドによって殺された多くの人々の骨が残っている。心が揺さぶられる所だ。
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これらの遺骸が何歳くらいのものか判らない。しかし、よく見れば、多くは大人のようだ。小さい遺骨も多くは幼児というよりも成長した子供だろう。

ヘロドは何故2歳までの子供としたのだろう?三賢人が生まれて直ぐのイエスに会ったなら6ヶ月以下としても十分だったはずだ。しかし、モーナー教授の理論に従えば、その時、イエスは生後8ヶ月だった。その上、ヘロドは、いつイエスが生まれたのかについての正確な情報を持っていなかった。そこで残忍な王は2歳としてみたのだろう。

イエスはどのようにしてヘロドの魔の手を逃れたのか?ジョセフとマリアは、ヘロドの恐ろしい計画の噂を聞き付けたのだ。2人はイエスを抱いて直ぐにエジプトに逃れた。イエスにスフィンクスやピラミッドを見せたかも知れない。
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今でも、カイロを訪れる巡礼者はイエスを連れた聖家族が休憩したと言われる場所を訪れている。
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そこに聖家族が滞在したことを裏付ける物語もある。イエスが生まれる30年前、エジプトの女王クレオパトラが有名な木“ギリアッド”をユダヤからこのカイロに輸入したという。
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彼女はユダヤ人護衛兵を雇っていたのだろう。だから30年後、ジョセフとマリアがエジプトに逃げた時、彼らの故郷ユダヤから移り住んだ人が住む集落に駆け込んだのだ。

2年後、ヘロド大王が死ぬと、彼等は故郷に戻った。それが聖書の中の三賢人に関する物語の終わりで、以降、彼等は登場してこない。

となれば、どこから彼等の物語を手に入れればよいのか?6世紀のモザイク絵に戻って見直してみよう。
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白い顎鬚(あごひげ)の男は年寄りだ。黒い顎鬚の男は中年で、若い男は髭がない。つまり6世紀の伝統によれば三賢人は異なる年齢の男達だ。

別の伝統もある。彼等は一緒に埋葬されているというのだ。今も一緒にいる!何処に?恐らく誰も思いもつかないだろう。ドイツのケルンだ。見事な大聖堂Cathedralは彼等の骨を保存するために建てられたのだ! 
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屋根の上の印は十字架ではない!星だ!三賢人が導かれたという星だ。
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この中に彼等の遺骨がある、8世紀以上もの間。これは中世の最大の宝物の一つだ。これと同じものはどこにもない。
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前面パネルは着脱が可能で、その直ぐ裏に3人の賢人の頭蓋骨がある。
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しかし本当に3人の賢人の頭蓋骨だろうか?大きな疑念がある。中世の欧州では、イエスの時代に関して数百もの偽物や間違いが生み出されてしまったという事実がある。従って、ドイツに三賢人の骨がある可能性は少ない。ヨーロッパの大聖堂で例を挙げると、パリには磔(はりつけ)にされたイエスが被っていた冠がのこされている、ローマにはイエスのへその緒が、アヘンAachenには幼児の頃の覆いの布が、トリーアTrierにはコートが、ブルースBrugesには・・・・(省略)
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これらはみんな中世の物語に端を発している。現れたのは8世紀以降だ。

三賢人の骨は偽物が多い中世ではなく、それ以前のものだという証明はできないだろうか?証明できる!そのことは14世紀に大聖堂の壁に描かれている!王冠を被った女性。コンスタンティンのローマ皇帝の母の聖ヘレナだ。
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彼女は信じられない程の“買い物狂”だった。4世紀、ヘレナはイエスの生涯に関係する品を買い漁っていたのだ。

壁に描かれた、三賢人の骨が収められているという箱を見ると、骨がある。
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彼女はこれを買ってコンスタンティノープルに持ち帰ってきた。しかしコンスタンティノープルは三賢人の最初の安息場所でしかなかった。骨は4世紀の聖ヘレナから、数世紀を経てケルンまでやってきたのだ。

大聖堂に残る、骨を包んでいたという布にもヒントがある。小さな紫の部分がある。
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染料はフォエネシア(Phoeniciaフェニキア;現シリア)から来たものだ。中東のもので、欧州のものではない。シリア人は2、3世紀頃、偽物を作る発想は無かった。

今のところ、問題なさそうだが、もう少し事実が必要だ。肝心の骨はどうだろうか?誰も骨を調べることは許可されたことがない。しかし、別のやり方もある。私はミイラ研究の専門家だ。あるルートでケルンの大聖堂の三賢人の頭蓋骨を収めた写真を手に入れている!私の大学には特別な技術がある。写真から何が見えるか、調べてみよう。
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その前に頭蓋骨の特徴について説明しておこう。頭蓋骨はいくつかの骨から出来ていて、骨は後頭部の縫合(suture)と呼ばれる部分で出会っている。
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若い人の縫合は少し開き気味なので、はっきり見て取れる。老人になると骨は完全に接合して縫合が見えなくなる。

ケルンの3つの頭蓋骨は、縫合が良く見えるもの、わずかに見えるもの、それと全く見えないもので、若い男、中年の男、高年の男のものだと判る。
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だからと言って、これが本当に三賢人のものだと結論付けることは出来ない。しかし、全ての証拠を集めると、その可能性があるというのはとても驚くべきことだ。

骨は4世紀まで遡るものだ。偽の骨ではないようだ。骨を包んでいた布の染料からみて欧州のものではなく、中東のものだ。縫合から若年、中年、高年のものだと判る。神話と同じ年齢配分だ。つまり、この頭蓋骨は本物の三賢人のものかもしれないのだ。

クリスマスの発想は三賢人の物語から始まった。クリスマスにプレゼントを交換するのは、昔、三賢人が乳香、没薬(もつやく)、黄金をイエスに届けたことに由来する。
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しかし、もう一つ、我々には三賢人から教えてもらったことがある。古代ペルシャでは握手をする習慣があった。それはペルセポリスの壁画にも残されている。
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ギリシャ、ローマ人、エジプト人、ヘブライ人は、敬礼したり、お辞儀したり、抱き合ったり、キスしたり、帽子を脱いだりして挨拶するが、握手の習慣はなかった。しかし、ペルシャでは握手が友情と誠意の表現だった。握手をする時は是非、三賢人と彼等の信じられない旅を思い浮かべてほしい。
(フィルム完)
・・・・・・・・・
キャスターはボブ・ブライヤーRobert Brier/Bob Brier。1943年生のアメリカ人考古学者でニューヨークLong Island Universityの上級研究員Senior Research Fellowです。

ご紹介したフィルムは、彼や彼の仲間のアイデアを纏めて脚本化され、撮影されたものだと考えて良いでしょう。

さて、このフィルムを見て、みなさんはどんな感想をお持ちになりましたか。胡散臭い話ばかりじゃあないのって感じをお持ちになったんですね?実は私も同じです。フィルムを見て頂くと好く判るのですが、キャスターのBobは、典型的な、頭が切れるアメリカ人を思わせる早口で矢継ぎ早な語り口で、テンポ良くストーリーを展開します。聞き取り困難な説明も多く、大雑把な性格のmhですから、前後の脈絡から推定するか、切り捨てるかして、矛盾がない流れにさせて頂きましたが、牡羊座と木星が、エルサレムからベツレヘムに三賢人を導いた根拠については理解できず、曖昧なままになってしまいました。しかし、それはmhの責任というよりも、天文学者モーナー教授と、彼から答えを引き出すボブBobの駆け引きが素っ頓狂だったからだと、言わせて頂きましょう。

それにしても、いくつも疑問が残ります。
三賢人はいたのか?
三賢人は星に導かれてイエスと会ったのか?
その時、黄金・乳香・没薬をイエスに渡したのか?
ヘロド王はイエスを狙い、幼児虐殺をしたのか?
ケルンの大聖堂にある頭蓋骨は三賢人のものか?
そもそも、イエスは神であって人間ではないのか?

フィルムで引用されている『新約聖書New Testament』ですがWikiにはこうあります。
「27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており『ヨハネの黙示録』が最後におかれている。」
つまり色々な人が、異なる時期に、異なる場所で書いたものを寄せ集めて新約聖書としているんですね。

で~三賢人が現れるのは“マタイによる福音書”です。マタイはイエスの十二使徒の一人、つまり直系の弟子ですから、彼が書いたとすれば信憑性は高いと普通なら考えるでしょう。しかし、書にはマタイという署名もなく、言い伝え以外にはマタイが書いたという証拠もなく、記事の内容や引用している年代表記などから、マタイと異なる時代の人が書いたとしか考えられないというのが科学的定説のようです。勿論、宗教関係者はそれを認めません。

しかし、もし、三賢人が、星の予言に従い、わざわざ東方からイエスの誕生を祝うために数千Kmも旅をしてきたというなら、特記されるべき歴史的行事ですから、多くの記録があってしかるべきだと思うのですが、三賢人については“マタイによる福音書”の中で、わずかに数行、述べられているだけだと言います!

また、ヘロド王が、イエスを抹殺するため、やみくもに2歳以下の赤子を虐殺したって話も、“マタイによる福音書”に残されているだけです!実はヘロドは、ハスモン王アンティゴノスを暗殺して王に収まり、その王の娘、つまり王女、を妻に迎えたんですね、自分の王位の正統性を確保したいと考えたんでしょう。しかし、その妻から息子が生まれると、急に心配になってきました。自分は王位を奪還しようとする息子たちに殺されることになるのではないのか?で、自分の息子を二人も殺してしまうんです。その時期が、たまたまイエスの誕生の時期と重なるので、イエスを狙った幼児虐殺という作り話が生まれたのではないか、というのがもっぱらの噂です。

イエスが家族もろともエジプトに逃げたと、これまた“マタイによる福音書”にあるようですが、これを裏付ける事実は見つかっていなくて、むしろ、それを否定する証拠ばかりが見つかっているようで、エジプトに逃げたという話は全くの絵空事だと考えられています。

ここまで来ると、三賢人の存在すら怪しくなります。ブログ「チベットの不思議1/5」(‘16・02・08)でご紹介しましたが、チベット仏教の最高位ダライ・ラマが死ぬと、賢人たちが、先代の言行や、神聖な湖の状態、夢占いなどをして、ダライ・ラマの生まれ変わりがどこで生まれたかを割り出し、そこに行って、それらしい子を見つけだして新たなダライ・ラマに育てるという伝統があります。イエスの誕生にまつわる三賢人の話も全く同じで、どの宗教も、神を仕立て上げるのには苦労しているようです。

で、三賢人は星に導かれてイエスに辿り着いたと言う件ですが・・・星はいろいろあるし、色々な動きをしていますので、理屈を付ければ、ある時期、ある場所で、誰か重要な人物が生まれるって予言することは可能です。そしてその場所に行ってみれば、そこが数百人の村なら、若い夫婦が何組か暮らしているでしょうから、必ず、一人や二人の赤子を見つけることが出来ます。そう考えれば、三賢人と呼ばれる星占い者がイエスに会った可能性もありますが、それ自体は大して神聖な意味をもつものだとは思えません。単なる星占い者の思い込みだって考えることもできますからね。イエスの神格を高めようと、作って付けた話だと考えても好いでしょう。

仮に三賢人がイエスの所に来たとして、持ってきた3つの贈り物はどうなったのでしょう?神の子の生活費として黄金を食糧に換え、香料を焚いて、神の臭いを作ったとしても、贈り物の量は少なそうですから、そのうち、直ぐに底をついてしまったはずです。マリアやジョセフは、赤ん坊が神様だと知らされたのでしょうから、以降、畏(おそ)れ多くて、仮に悪いことをしても叱ることができず、精神的にはかなり抑圧状態にあったでしょう。この辺りの話は記録にないようですから、イエスが青年になるまで、普通の子として扱っていたと思います。とすれば、3つの贈り物の価値は直ぐに失せてしまっているわけで、そんなものをわざわざ数千Km離れたところから持ってくるということなど、あり得ないと思われます。

星占いを信じる人がいて、星が聖人の誕生を告げたと思ったとして、何千Kmも砂漠をラクダに乗って危険な旅をして贈り物をするというのは、普通の人ならやりそうにないことです。それをしたとなると、三賢人は普通の人ではなくて神か天使だってことになり、神や天使が世界中に、かなり大勢いるってことになりますが、唯一神を唱える宗教には不都合です。

やはり、三賢人がいたという話は、マタイの作り話だと断言できるでしょう。新約聖書に関係するその他の聖人は誰一人、三賢人について言及していないという事実もありますから、マタイはきっと、適当な話をでっちあげたのです。ドイツのケルンに保存されている遺骨も、ある時、恐らく中世に、誰かが、矛盾がないよう周辺固めをした上でそれらしいものを寄せ集めて世に出したのだと思います。遺骨のDNA分析をしたら、不都合な事実が沢山、見つかるのではないでしょうか。

ここまでくるとイエス自身の存在すら、どうなんでしょうねぇ、と言いたくなりますが、恐らく、イエスという聖人というか、信念の人はいたと思います。なかなか、好いことを言い、彼に従う人が多くなったんでしょうね。で時の為政者には目障(めざわ)りだったので、磔(はりつけ)にされ、神格化されることになったのだと思いますが、mhは彼が神だとは思いません。神とは何か、っていう定義を最初にしなければならないのですが、話が長くなるので、止めておきましょう。

Youtube「Biblical Magi - 3 KINGS, 3 WISE MAN Mysteries聖書のメイジャイ(3人の王、3人の賢人)の不思議」では、三賢人にまつわる話を事実であるかの如き理屈で飾り立てました。それが全て絵空事だ、と言う蛮勇あるというか大人気ない者はmhだけで、大半の人は「そうかもね。それが事実だったら楽しいね」って感じで心大きく受け流して、楽しんで頂けたのではないかと思います。もう直ぐ70歳になろうというmhが未だに大人になり切ってないってことは、まだまだ長生きできそうで、御目出度い話だと言えなくもありません。

Biblical Magi - 3 KINGS, 3 WISE MAN Mysteries - Documentary Film HD
https://www.youtube.com/watch?v=Ts_w2r4mpqs

(完)

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