Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エーゲ海の黙示録の不思議

今回はYoutube「The secrets of the Agean Apocalipseエーゲ海の黙示録の秘密」(Bronze Age collapse青銅時代の崩壊)をお送りしましょう。

クリスチャンでもない日本人でも“黙示録”という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。私の場合はハリウッド映画「地獄の黙示録(原題:Apocalypse Now)」でしょうか。
a3301.png
舞台はベトナム戦争当時のベトナムです。戦争の開始時期についてはいろいろな見方があるようですが、アメリカの本格的な参戦はトンキン湾事件(1964年)からで、以降10年以上続いた戦いは、1975年4月30日のサイゴン陥落で終結しました。

映画「Apocalipse Now」の撮影開始は1976年で終戦の翌年です。ロケ地はさすがにベトナムという訳にはいかず、フィリピンのジャングルでした。
映画の日本公開は1980年で主演は次の通りです。
a3302.png
ところで、黙示録とは一体全体なにか?
Wiki:黙示録
ヨハネの黙示録(Apocalypsis Iōannis)のこと。『新約聖書』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。
で、英語表記はThe Book of Revelation又はRevelation、又はThe Apocalypse of Johnです。

黙示録を書いたと思われる人物のヨハネについては、よく判っていないようです。呼び方も、日本語のヨハネはローマ語Johannesヨハネスから来ていますが、 フランス語Jeanジャン、イタリア語Giovanniジョヴァンニ、英語Johnジョン、スペイン語Juanフアン、ドイツ語Johannesヨハネス(省略形で Hansハンス、Johannヨハン)と様々で、訳が分かりません!

黙示録が予言するものは明確で「世界の終末Apocalypse」です。
「キリストが空中に再臨し、クリスチャンを空中にひきあげ(携挙)、その後大きな困難が地上を襲う(患難時代)。患難期の最後にハルマゲドンの戦いが起こり、そのときキリストは地上に再臨し、最後の審判をした後でサタンと地獄へ行くべき人間を滅ぼし、地上に神が直接統治する王国を建国する。千年が終わった後に新しい天と地(天国)が始まる。(千年王国)」

ペルー旅行の報告で、最後の審判の絵が描かれた教会が多いとお伝えしましたが、キリスト教以前に、最後の審判の概念はあったと言います。
Wiki:最後の審判(抜粋)
「最後の審判」という概念はキリスト教やイスラム教に特有のものではなく、それより先発のゾロアスター教に既に存在している。ゾロアスター教の世界観では、世界は善なる神アフラ・マズダ(注を参照)と悪なる神アンラ・マンユとの闘争の場として考えられており、最終的に悪が滅びた後で世界も滅び、その後、最後の審判が行なわれると考えられている。ゾロアスター教の最後の審判は、地上に世界の誕生以来の死者が全員復活し、そこに天から彗星が降ってきて、世界中のすべての鉱物が熔解し、復活した死者たちを飲み込み、義者は全く熱さを感じないが、不義者は苦悶に泣き叫ぶことになる。一説には、これが三日間続き、不義者の罪も浄化されて、全員が理想世界に生まれ変わるとされる。別の説では、この結果、悪人(不義者)は地獄で、善人(義人)は天国で永遠に過ごすことになるとされる。

注:アフラ・マズダ(Wiki)
ゾロアスター教の最高神である。 宗教画などでは、有翼光輪を背景にした王者の姿で表される。その名は「智恵ある神」を意味し、善と悪とを峻別する正義と法の神であり、最高神とされる。
ゾロアスター教の神学では、この世界の歴史は、善神スプンタ・マンユと悪神アンラ・マンユらとの戦いの歴史そのものであるとされる。 そして、世界の終末の日に最後の審判を下し、善なるものと悪しきものを再び分離するのがアフラ・マズダの役目である。その意味では、彼は善悪の対立を超越して両者を裁く絶対の存在とも言える。
a3303.png
アフラ・マズダ神(右)から王権の象徴を授与されるアルダシール1世(左)のレリーフ

イエスの生誕を祝おうとお土産を持って訪れた三賢人はゾロアスター教の祈祷師マジMagiだという話はご紹介済みですが、キリスト教はヘブライ聖書に、ヘブライ聖書はメソポタミア文明に影響を受けていますから、メソポタミアやペルシャで信仰されていた世界最古の一神教といわれるゾロアスター教がキリスト教に影響を与えたのは、我が尊敬するお釈迦様が仰るように因果応報ってものでしょう。

それでは、ダラダラ続いた長い前置きはこれで終え、Youtube「The secrets of the Agean Apocalipseエーゲ海の黙示録の秘密」をご紹介いたしましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハルマゲドン・・・アポカリプス・・・世界終焉・・・
何千回も予言された出来事だが、紀元前1千2百年、それが現実に起きた。
a3304.png
その様子を目撃した物は誰もいない。しかし、いくつもの偉大な文明が、わずか一世代の間(mh:30~50年か?)に消し去られてしまったのだ。
ジョージ・ワシントン大学エリック・クライン教授「全てが破壊され、崩壊した。」
a3305.png
ノヴィツキー「紀元前13世紀の末に起きた出来事は今もミステリーのままだ。」
a3306.png
それはホメロスの叙事詩イリアスIliadやオデッセイOdyssey、旧約聖書のジョシュア記Book of Joshuaや士師記Book of Judgesにも記録された出来事だ。
a3307.png
しかし、何がこの叙事的epic崩壊を引き起こしたのだろう?エリック「人間か?母なる地球か?」

それは何十年もの間、激論された課題だった。しかし、山の上で発見された古代遺跡が新しい考古学的証拠を提供してくれたおかげで、古代の天変地異cataclysmの原因は姿を現したと言えるかも知れない。
a3308.png
The secrets of the Agean Apocalipseエーゲ海の黙示録の秘密
a3309.png
考古学者にとって、過去とは残された遺跡や遺物によって語られるものだ。ツタンカーメンの墓の宝、クノッサスの偉大なギリシャ神殿の崩壊した塔、古代の土器、繰り返される戦いを描いた石のレリーフ。
a3310.png
これらは後に武器に使われていた金属から青銅器時代と名付けられた紀元前1千3百年の古代世界のものだ。
a3311.png
古代世界、エジプトから黒海まで広がった一帯には、王や軍隊によって支配された好戦的で強力な国家がひしめき合っていた。マイセニアンやミノアンやエーゲ海の伝説的な英雄たちはギリシャ、クレタ島、エーゲ海の島々に王宮を建てていた。旧約聖書にも引用されているファラオのラムセスは、ナイルの肥沃な土地を変革し、カルナック神殿を増築していた。聖書にエジプトの好敵手と記されている好戦的なヒッタイトは現在のトルコと北シリアを支配していた。
一方、交易の重要なルートに暮らす商人ケニオナイツは後に聖なる土地と呼ばれることになるイスラエル、レバノン、ヨルダンを管轄していた。
a3312.png
(御参考)
HATTIハッティ:ヒッタイト民族
CANAANケイナン(日本語:カナン):地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の人々。聖書で神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、約束の地“カナン”とも呼ばれる。

それはあたかも近づき、時には離れ合う、特徴的な構成や文明を持つ多くの王国で作られたパッチワークだった。しかし、1930年代に考古学者たちが初めてこの一帯を発掘した時、混乱の様相を示す遺物が現れ始めたのだ。
a3313.png
エリック「我々が掘り出した物は一連の破壊の痕跡だった。主要な都市や町や宮殿のほとんどが様々な原因で破壊されていた。」
破壊の証拠は一帯に広がっていた。破壊が起きた時期は一致する。紀元前1千2百年前後だ。
エリック「その50年間で、少なくとも4つの大きな文明が崩壊している。マイソニアンが消失し、ミノアンが消失し、ヒッタイトが消失し、ケイナイツが大幅に消失し、エジプトも衰弱して昔の面影はなくなった。驚くべきは、この大規模な崩壊が1,2世代の中に行われたことだ。」
シカゴ・オリエンタル大学エミリー「ラムセス三世が就任した時のエジプトは強力な国家で、見事な建築物を建て、巨大な富を所有していた。が、体制に小さな亀裂が入り、経済的にも宗教的にも急速に衰退しつつあった。」
a3314.png
「その後、彼の代に、驚くほどのインフレが起き、記念碑のサイズも小さくなり、税制度も維持できず、大きな経済問題を抱えることになる。「神よ、助け給え」と救いを求める言葉が記されたヒエログリフも残こされた。そんなことは、以前に起きたことはなかった。」
a3315.png
紀元前1千3百年にウガリットUgrit(注)でアルファベット式記述が急速に発達し、最初の音楽表記法がシリアでや生まれていたが、その1世紀ほど後、全ての記録が突然、途絶えてしまったのだ。
(注)ウガリット:現在のシリアにあった古代都市国家。
a3316.png
その後に来たものは不吉にも暗黒時代Dark Ageとして知られることになる。
エリック「エーゲ海や東地中海の暗黒時代には2つの重要な側面がある。文明の重要な部分が全く失われたことだ。その後2百年程の間、ギリシャでは文字が消え失せた。大きな建物の建設も行われていない。再び現れるまでに、2,3百年もかかっている。それは我々考古学者にとっても暗黒な時期だ。何が起きたのか、判っていないのだ。」
a3317.png
記録されたものがなければ、考古学者は、紀元前1千2百年頃の研究が不可能だ。クレタ島では、貿易や商業に携わる人々は海岸に近い定住地から内陸側の山岳地帯に押し込まれ、農夫や牧夫のように暮らすことになった。
a3318.png
クレタ・先史エーゲ海研究所ドナルド・ハギス「マイソニアン時代には、この後ろの内陸部には、人が棲んでいた痕跡はほとんど見当たらない。」
a3319.png
「居住数はとても少なかった。しかし数世紀後、内陸部、山岳部の人口は増えている。何故、どこから来たのかは明確になっていない。」
a3320.png
都市の崩壊の跡と住民の消滅は何かを語り掛けているはずだが、どう考えても平和的な集団移動ではなさそうだ。
エリック「崩壊の原因が何がを明言するのはとても難しい。発掘をすると、燃えカスや灰や、骨が見つかる。破壊が起きたのは明らかだ。しかし、何がこれらの破壊を起こしたのだろうか。」

答えは、王宮の瓦礫の中にではなく、町から離れた山の中にあるのかも知れない。一人の考古学者が彼の人生をかけて、そのヒントとなる痕跡を調査し続けている。
a3321.png
彼は急峻な崖を這うように続く道を発見した。生き残った人々の足跡を見つけたのだ。どのように、どうして、彼等の世界が崩壊したのかが判るかも知れない。数十年の間ミステリーとされている紀元前1千2百年頃の、海岸近くの偉大な都市や王宮の突然の崩壊。何がそれを引き起こすことが出来たのか?

多くの調査員たちは偉大な都市を発掘して、そのヒントを見つけようとしている。しかし本当の証拠は、そんなところにではなく、エーゲ海の島々の内陸部にある山や谷に潜(ひそ)んでいる。下層階級の農民や牧夫たちがかつて大麦やレンズ豆lentilsやオリーブを作っていたところだ。1983年の夏、初めてその地に光があたることになった。当時26歳の学生だったポーランドの考古学者クリストファー・ノヴィツキーKrzystof Nowickiはクレタ島の山カーフィKarfiに登った。
a3322.png
当初の目的は有史前prehistoricの人々がカーフィの山頂に造った新石器時代neolithicの宗教的寺院を研究することだった。

しかし、海抜1200mの頂上に到達した彼は別の遺跡群に引き付けられた。山頂の村だ。英国人考古学者ジョン・ペンドゥルブリーによって1930年代に部分的に発掘が済んでいて、その後は見捨てられていた。
a3323.png
極寒のひと冬をカーフィ山頂で体験したジョン・ペンドゥルブリーは、村が全く一時的な、季節的な住居地だろうと結論付けた。しかし、ノヴィツキーには、大きな塊の石で組み立てられた遺跡は何か別の事実を暗示していた。
a3324.png
ポーランド科学学院クリストファー・ノヴィツキー「ここの家々で私の関心を引いたものは、しっかり積み上げられた石組みだ。きっと長い間、住み続けるつもりだったのだろうと思った。」
a3325.png
発掘された痕跡にそって住居を地図に配置しながら、彼は自分の予想が正しいと確信した。
a3326.png
ノヴィツキー「発掘の結果、すくなくとも25から30の家が見つかっていた。現時点では、保存状態は良くないが、住居の壁や部屋の跡ははっきり確認できる。恐らく120から150家族が暮らし、6百人から1千2百人の住民がいた、かなり大きな村だったことは間違いない。」
a3327.png
新たに造られた村は海抜1千1百mの高地にあり、人が棲む場所としては奇妙に思える。
ノヴィツキー「高地の岩山で暮らすことを人々に強いたのは何かを明確にすることは難しいと思っていた。今は夏で暖かいが、冬になれば風が強くて温度もとても低い。快適に暮らせる所だとは思えない。」
a3328.png
住民たちは何故、低地の丘や平地を離れ、高地を居住地としたのか?
ノヴィツキー「何故人々はこの地に移ってきたのか?何故人々は登るのも難しい山の上に家を造ったのか?何故、彼等は家族を引き連れてこの場所に移ったのか?何故彼等は、全ての生活基盤をこんな場所に移したのか?」
a3329.png
最初にここを訪れた英国人考古学者ジョン・ペンドゥルブリーはこれらの住居は新しい時代のものだろうと考えていたが、土器やその他の手工芸品などから炭素年代測定すろと、それは正に、青銅器時代の惨事が起きていた紀元前1千2百年頃のものだと判明したのだ。
「紀元前1千2百年までは、人々は海の近くや平地や谷間で暮らしていた。まさに紀元前1千2百年の直前、これらの多くの都市は破壊されるか、放棄されている。」
a3330.png
避けて通れない疑問は、何がこれらの人々を海岸から山に移したのかだ。ノヴィツキーは歴史的、考古学的な記録を調査し直すことにした。しかし、突然でかつ劇的な変化を示すどんな事実も見つけることが出来なかった。
a3331.png
エリック「青銅器時代の初期におけるこの現象を理由づけるため、考えられるあらゆる気違いじみた思い付きが提示されていた。火山爆発、宇宙人来襲、とにかく、何でもありだった。」
しかしほとんどの仮説は、昔から常に存在している自然の驚異と関係しているものだった。
エリック「主要なものは旱魃(かんばつ)説だ。エーゲ海全域や地中海の東側一帯、更には欧州南部に起き、人々を移動させたというのだ。確かに水位が下がった事実はあるようだ。」
別の可能性は、この地一帯で定期的に発生した破壊的な地震だ。
エリック「青銅器時代の後期、エーゲ海や地中海では地震で、たった50年の中に多くの町が破壊された証拠を持っている。マイセニ、トロイ、ウガリット、メギドなどだ。」
a3332.png
「問題は、一つの地震が全ての場所を破壊したというのは考えずらいということだ。これらの都市は50年の内の異なる年代で破壊されているのだ。」
地震による破壊の時期が異なっているとは言え、やはり、原因は地震だったのかも知れない。
エリック「現在の地球物理学者が言う所の地震連鎖というものがあるのかも知れない。地震の嵐とも言えるもので、地震はそのエネルギーの一部を放出し、1年後、10年後、残りのエネルギーを放出し続けると言う考えだ。地震の発生場所は東から西に、北から南に、徐々に移動を繰り返し、地震の嵐というよりも連鎖地震を30年から60年に渡って起こしたというのだ。断層の上に造られていた多くの都市は次々に破壊されていった。破壊された都市を地図にプロットしてみれば、断層に近い場所に造られているという。」
a3333.png
しかし地震説は、これまで反論も多かった。
ハギス「人間は地震による災害から短期間に回復するものだ。かりに地震が何度も繰り返すからと言っても。」

ノヴィツキーは、どんな自然災害も、人々を平地から山岳地帯に移動させた理由の説明にはならないと考えていた。
ノヴィツキー「1千1百mの山岳地帯に人々が移る理由は自然災害なんかではなかったはずだ。地震から逃げるために岩山の頂で暮らすことにしたと言うのか?自然災害から逃げ出して岩山に移り住む人が居るとは考えれれない。意味がない。」
a3334.png
ノヴィツキーは、人を寄せ付けない、思いもしないような高地に人々が移り住んだのは、自然災害からではなく敵対する人間から逃げるためだったからではないか信じている。
a3335.png
ノヴィツキー「這いつくばりながら登らねばならない岩山なら敵の襲撃から身を護るのに最適だ。」
a3336.png
もしエーゲ海の黙示録に関するノヴィツキーの理論が正しいとすれば、クレタ島の高い山々には、一ダース以上の避難地が、発掘されるのを待って隠れて眠っているはずだ。
a3337.png
もし彼がそれらを見つけることが出来れば、人も棲み着かないような高地に逃げて生き残りの人々と、彼等を山にまで追いやることになった敵との、生と死の戦いの詳細を明らかに出来るだろう。

紀元前1千2百年、ヒッタイトやケイオナイツやマイソニアンやミノアンの輝かしい青銅器時代の文明を破壊した“黙示録”を引き起こしたものに関しては多くの理論がある。ある人達は怒る神が引き起こした自然災害や疫病pestilenceが原因だという。しかし、もし、自然ではなく人が引き起こしたものだとするなら、誰が繁栄していた文明を一世代のうちに破壊し尽くしたというのか。
a3338.png
数十年の間、考古学者は放棄された都市遺跡を次々と調査し続けていたが、わずかな断片的なヒントしか得られていなかった。そして1930年代に、決定的な記録が記された石板stone tabletが北シリアで見つかった。紀元前1千2百年頃、火をかけられ破壊したウグリットの王宮の跡で見つかったこの石板は、来るべき破壊の前触れを告げるものだった。ウグリットの王が言ってる“父よ。敵の7隻の船が我が国土に横付けされ、大きな損失を引き起こしている。もし、更に敵の船が来るのを見たら、教えてほしい”。」
a3339.png
「この石板は父に送られることはなく、敵が町を破壊した時、石板を焼き固めようとしていた窯の中から見つかった。」

海からやってきた敵とは誰だろう?唯一、エジプトだけが青銅器時代の崩壊を生き抜き、その敵に名前を付けていた。
a3340.png
古代の絵文字は、恐ろしい敵の戦士たちを“海の民Sea People”と呼んでいた。
エリック「海の民がどんな人だったのかはエジプトの記録だけに残されている。壁に残された記録文や、彼らの外観を示すレリーフ絵もある。ある種の兜(かぶと)や頭飾りheaddressを付けていた。妻や子供達家族や家財道具を載せて牛が牽く車で移動している様子が示された絵もある。」
a3341.png
エミリー「これは地中海の東一帯における全ての古代文化を揺り動かした大きな流れだった。それまで起きたことが無い事件で、偉大な帝国だったエジプトでさえも海の民の動きに震え上がったのだ。海の民は攻撃してくるだけではなく、一部は征服した土地に住み着いたのだ。」
a3342.png
それらは考古学者ノヴィツキーがカーフィの山頂で初めて住居遺跡を見つけた時に予想したことだった。追い詰められた牧夫や農夫たちは昔から良く知っていた山に追いやられたのだ。
a3343.png
しかし、彼はカーフィだけが特殊例ではないということを証明できるのだろうか。つまり計画的な住民の大移動が他でも行われていた例を示すことが出来るのだろうか。

ノヴィツキーは自らの理論を裏付けようと20年以上を費やした。最小限の食糧や毛布などを持って一人で山岳地帯を移動した。山は時には険しく、岩に貼り付きながら登らねばならないこともあった。そして、この、考えられない高地で、彼は重大な発見をした。カタリマータKatalimataの山頂の居住地だ。
a3344.png
この場所を訪れようとしたら、ゴツゴツの岩壁を、どこにあるか判らない手掛かりを探りながら岩に貼付いて登るしかない。
a3345.png
1990年、現地確認のためドナルド・ハギスがノヴィツキーと一緒に訪れた。
ハギス「この場所はものすごい所だ。平地からそそり立つ石灰岩の鋭い岩壁にある。足を掛けるとガリガリ音を立てる岩肌にしがみ付きながら登らなければならない。渓谷に入るには細い道を通る必要がある。」
a3346.png
そこで見つかった手工芸品artifactsは岩壁で暮らす人々がいたことを示している。ここに暮らしていた牧夫や農夫は生活用品を急斜面に造られた道なき道を辿って一つづつ、住居まで運ばなければならなかった。老人や体の弱い人達は運び上げられた。死者が出ると死体は山頂に造られた墓穴に埋められた。下の谷では、安全な時だけ、家畜や穀物の世話をしていた。
a3347.png
ハギス「調査で見つかった証拠は、彼らが住居を、かなり長期間使っていたことを示している。生活するには快適な所とは言えない。住居も狭く、拡張できる場所は少なかった。」
a3348.png
カタリマータの生活は極端に困難なものだったとは言え、一つだけ優れた点があった。警備securityだ。
ノヴィツキー「この場所は、普通の考えではとても暮らせる所ではないだろう。登るのだって大変だ。」
ハギス「そこは砦のような場所だ。自然を要塞として活用している。」
a3349.png
この住居に侵入を試みるどんな外敵も何Kmも先に発見できるので、山の住民は準備の時間が十分とれただろう。一方、侵入者たちは、一人づつ、手には十分な武器を持てぬまま、岩にしがみつき、岩を這うように登らねばならない。
a3350.png
ノヴィツキー「彼等が登坂ルートを見つけたとしても、簡単に阻まれてしまっただろう。たった数人で大勢の敵を退散させることが出来たはずだ。」

カタリマータはノヴィツキーが見つけた沢山の逃避地の最初のものでしかない。クレタ島の2千もの山岳地を調査した結果、彼は80もの逃避地を発見した。
a3351.png
これらは全て紀元前1千2百年頃のものだと思われるものだった。一つの共通事項は、海の民の攻撃に対処できる場所だということだ。

ノヴィツキー「住民が海からやってくる人々を恐れていたとどうして判るのかというと、彼らが恐れていたのが近隣の人々ではないからだ。それぞれの住居がどんな場所にどのように作られているかを見れば明らかだ。山に住居を造ったのは海からやって来る敵から逃れるためだったのだ。」
a3352.png
海の民の流入は古代世界の様相を変えたはずだ。一体、海の民とは何者なのだろうか?エジプトのメディネ・ハブーMedinet Habu遺跡に刻まれていた戦記表によれば、エジプト人は海の民には9派閥を特定していた。
エリック「海の民がどこから来たのかに関する理論の多くでは、海の民の派閥の名前などから文献学philologyを根拠に場所を特定している。彼等は危険な地域、例えばシシリー島、から来たという。しかし彼等はシシリー島から来たのか?それともシシリー島に戻っていったのか?」
a3353.png
数十年の間、学者達は海の民の発祥地について論争を続けている。ある人はトルコ南東部やシリア北部だと言い、ある人はサーディニアSardiniaやシシリーだという。
a3354.png
エリック「海の民が東から来て西に移動したのか?それとも西から東に移ってきたのか?知っている人は誰もいない。」
この9派閥の侵入者たちはどこからやってきたのだろうか?それとも彼等の攻撃は彼等の拠点に近い場所で行われていたのだろうか?
ある理論によると古代世界は王宮とそこで暮らす全能の王だけで構成され、全体としてはテロや内部紛争に対して脆弱(ぜいじゃく)な体制だったという。
a3355.png
エリック「王は、ほぼ全てを統括していた。王室直轄の商人や企業組織があった。王が政権を指導し、軍隊を指揮し、他国との交易を管理し、外交権も全て王が握っていた。従って、日常の75%から90%が王の影響を受けていた。」
a3356.png
“青銅器時代の終焉”著者ロバート・ドゥリューズ「王や王妃は神と共にあった。彼等は人間の代表であって、神々は像で表現されていた。更に職業軍人の軍隊があり、それ以外の人々は、王や王妃が満足する状態を保つためだけのものだった。」
a3357.png
ロバート「戦となれば、体制の外部にいた工夫や農夫たちは、王の軍勢の中で“その他の兵士たち”に属し、役目といえばチャリオット(馬車戦車)に付き添って戦う卑屈なものでしかなかった。」
a3358.png
ロバート「青銅器時代の典型的な戦では、数百、時には数千のチャリオットが最前線で対峙した。」
a3359.png
ロバート「チャリオットに乗った戦士は重装備で、主な武器としては弓を使い、戦いは一般的に長時間に渡ることが多かった。勿論、敵を攻撃した後は、チャリオットを停めて、誰かが敵を仕留める作業が必要だった。そこで登場するのが歩兵で、蛮族など、雑用をするために雇われた兵士だ。」
a3360.png
これらの名も無き兵士たちは、いろいろな貧しい地域から寄せ集められた人々だった。
ロバート「我々が手にした石板では、王族たちがチャリオットを重視していたことが確認できている。チャリオットは全て名前が付いていて、それに乗って戦う騎士はエリートで、歩兵たちとの間には社会的な地位の差が歴然としていた。」
a3361.png
紛争がある限り、歩兵たちが働く所があった。しかし、大きな崩壊につながる時代には、前例がない程に平穏な時があった。
エミリー「多くの国は多かれ少なかれ平和だった。ラムセス2世のエジプトとヒッタイトの間には偉大な条約が結ばれていた。」
エリック「第一次および第二次世界大戦の後には、ある種の平衡があった。多くの国家が平和条約を結び、国家間の戦争を平和裏に集結させた。おかげで半世紀とか1世紀の間の平和を我々も享受している。これと似たことが古代世界でも起きていたはずだ。それが崩れる時が来たのだ。」

下層階級の兵士が雇用される機会が減ったという事実が、変化を引き起こしたのだろうか。それとも失業した兵士が外部の敵に雇用されたのだろうか?
a3362.png
ノヴィツキー「このような兵士たちがグループで、または地方のリーダに雇用されて略奪を始めた可能性がある。彼等はしたい放題の諸行を働いたはずだ。誰も彼等を捕えることは出来なかった。」
エジプトの記録によれば、侵入者たちの構成は50年以上に渡り変化し続けていたという。
エリック「エジプトの記録では、海の民は何度か攻撃を仕掛けて来が、少なくとも一回目と二回目では敵軍の構成に変化があった、と記されている。これが事実かどうか判らないが、エジプトが大きな痛手を受けたことは間違いない。」
そしてエジプトのレリーフが示すように、所謂(いわゆる)海の民はチャリオットに付き添う歩兵と同じ武装していた。
a3363.png
ロバート「彼等は軽装で、実際のところ重装備なら戦場において歩兵としての機動性は発揮できなかっただろう。その代わりに彼等は、木の枠に獣の皮を張って作られた円形の小さめの楯(たて)を持っていて、実戦的ではないが精神的な防御としてのヘルメットを被(かぶ)っていた。」
a3364.png
正確な出身地は特定できてはいないが、考古学者ノヴィツキーは手掛かりになる場所の一つを発見したと考えている。クレタ島の東端のカストリKastriで、彼は、これまで見つけた島の内陸部の避難地とは異なる住居跡を見つけた。
a3365.png
この、若干、接近しやすい丘の住居には戦(いくさ)に熟練した勢力が暮らしていた気配が残されていた。
a3366.png
ノヴィツキー「ここに暮らしていた人々は普通の牧夫や農夫ではなかった。小さな集団の農夫たちだとしたら住むには危険すぎる場所だ。侵入者たちは容易に住居地に攻撃を仕掛けることができる。」
a3367.png
しかし、地勢的に見ると、クレタ島の海岸や近くの島々に行くのが簡単だという戦略的な優位点が備えられている。
ノヴィツキー「我々は2,3隻の船がここに停泊していたと考えている。恐らく50人から100人くらいの人がいた。それだけいればクレタ島の海岸の町を攻撃するには十分だ。」

もしノヴィツキーの考えが正しいとすれば、このカストリの地の優位性を認めたのは海の民だけではない。1940年代、この丘は周辺の島々を支配しようとしたドイツ軍によって抑えられた。

ドイツ軍は結局この地を追い出されることになったが、海の民はクレタ島やエーゲ海を我が物顔に攻撃し続けたのだ。
ハギス「破壊の拡大は主にアナトリアや中央ギリシャに向かって行われた。彼等は組織化されてはいなかったが十分な武器を準備して攻撃したようだと言う人々もいる。」
a3368.png
この攻撃者が外部からの侵入者か、不満を持つ地方出身の戦士か、またはそれらの組合せかどうかは別にして、同じ疑問は相変わらず残されたままだ。
「とにかく驚くべき点は、寄せ集めの略奪集団や海賊が、優れた文明を破壊したことだ。どうしてそんなことが出来たのかについては大きな疑問のままだ。」

答えは海の民がどこで生まれたのかではなく、彼等の戦闘方法にあるのかも知れない。キリスト誕生の1千2百年前、残忍な武力集団が古代世界の風景を一変させてしまった。証拠は崩壊されたマイソニアンの跡地や放棄された王宮に残されている。
a3369.png
生き残った人々の絶望はクレタ島の山頂に残る不安定な避難地に垣間見ることが出来る。ミノアンやヒッタイトなどの偉大な文明は飢饉や地震などの自然災害では生き延びたが、海の民と呼ばれる不可解な武力集団の蛮族によって破壊されることになったのだ。しかし、これらの侵略者たちはチャリオットや鎧兜(よろいかぶと)は持っていなかった。そんな彼らがどのようにして王国の軍隊を手玉に取ることが出来たのだろう。
a3370.png
ロバート「13世紀の終わり頃になると、高価なチャリオットやチャリオット軍団が戦争で勝つための条件ではない時代が始まったのだ。大勢の歩兵を組織すればよかった。その方が費用も少なく、チャリオットを孤立させて戦うことも出来たのだ。」
ある一つの武器が、これらの歩兵たちを手ごわい戦士に仕立て上げていた。
a3371.png
ロバート「単純で、昔なら狩りに使われた武器だ。槍だ。恐らく長さ1.2mくらいで先端には小さな金属の穂先がついていた。致命傷を与えられたとは思わないが、間違いなく敵を傷付け、殴り倒すことは出来たはずだ。」
a3372.png
侵略者達がチャリオットに集団で襲い掛かると、正式な装備をしたチャリオットも急に脆(もろ)くなる。
ロバート「チャリオットの戦士は恐らく20Kgほどの鎧兜を身に付けていたので、走ることは出来なかった。従って馬無しの戦いで身を護ることは難しかった。」
a3373.png
まさにこれこそ、短い刀や軽量の楯を持った侵略者達の集団が数や機動性で勝れていた点だ。
ロバート「彼等はまず馬を傷つけてチャリオットを動けなくした。そしてから接近戦に持ち込み、チャリオットの戦士を仕留めていった。」
a3374.png
こうした攻略が成功し出すと侵略者達の力はますます強力になり、エーゲ海一帯にその力を及ぼすようになった。唯一、エジプトだけが、弱体化を強いられたものの、外敵の猛攻を耐え忍ぶことが出来た。
a3375.png
マイソニアンやミノアンやヒッタイトが凌(しの)げなかった攻撃をファラオの軍隊はどのように耐えたのだろうか?

エミリー「外交的なやり取りがあった。それに黄金などの多くの取引が南のヌビア経由で行われ、多くの馬がエジプトに持ち込まれ、その他さまざまな品物がエジプトと他国の間で交換されていた。それで、エジプトは海の民が攻め込んでくるという情報を事前に入手し、防衛に活かしていたのだろう。エジプトは敵の攻撃に素早く対処するため首都をテーベThebesから北のパイラムセスPiramsesに移している。」
a3376.png
エリック「エジプトには平和な時代から、優れたスパイ組織があって周辺国の情報を入手していた。海の民の動きも事前に察知していたのは間違いないだろう。」
その時までには、エジプト人は、海の民としてしか知らない彼らが、海上だけではなく陸上でも強力な軍団であることを知っていた。
ロバート「戦いはほとんどが陸地で行われていた。しかしラムセス三世は1179年、これらの攻撃者たちが内陸に侵入するのを押しとどめることに成功している。」
エリック「それはエジプトの文字や絵に残された、海上で行われた戦いの記録から判る。河口なのか海上なのかは明確ではないが、海の民の船が沈められ、船の上の兵士達が上陸前に攻撃を受けている。重要な水上戦だったはずだ。」
a3377.png
ロバート「エジプトの兵士が陸地から弓を射る姿や船の上の混乱状況が描かれている。海の民の軍勢には逃げ戻るしか生き延びる道はなかっただろう。」
a3378.png
ファラオの弓隊によって大勢の兵士が殺されたため、海の民の最後の攻撃は失敗に終わり、以降、彼等の痕跡は途絶えてしまう。

しかし、戦い方は大きく変化することになった。
ロバート「青銅器時代の後期、王国の防衛はチャリオットに乗ったエリートの兵士にかかっていた。しかし、青銅器時代のこの混乱に引い続いて生まれた鉄器時代になると、歩兵の重要性が増加し、チャリオットの先制攻撃は決定的なものではなくなった。暫くの間チャリオットも使われてはいたが、重要なのは歩兵になった。」
たった数年で、古代世界の王の軍隊は力を失い、新しい軍隊集団の発想が生まれたのだ。
a3379.png
エリック「海の民が造り上げたのは、権力の空白だった。青銅器時代が終わった後、全く新しい時代になった。権力の頂点にいた王やエリートは壊滅していなくなり、下級、中級の人や農夫、奴隷たちは生き残ることはできたのだろう。すると彼等は何をしたのだろうか。」

山の頂に避難していた牧夫や農夫の場合、考古学的な証拠では明確になっている。海の民の破壊が終わり、消え失せてしまうと、厳しい生活を強いられていた彼等は徐々に低地の生活に戻っていった。
ノヴィツキー「紀元前1千2百年以降になると、人々はこの山頂から1、2Km離れた低地に移動した。」
a3380.png
以降、彼等には二度と高地で暮らす必要は無くなった。一方、海の民として知られる人々が辿った運命の結末を知る人は誰もいない。
エリック「エジプト人自身は生き残りの一部がエジプトやカノンCannanに住み付いたと言っている。」
a3381.png
エリック「イスラエルの都市ドーアDorが暗殺者の町に変ってしまったことや、ポレッサと呼ばれる海の民がケイノンCannonに定住しフィレスタインPhillistinesと呼ばれるようになったという証拠がある。」
ある人は、これらの海の民の生き残りは混血したはずだから、将来、墓に眠る遺体をDNA分析すれば、明らかできると信じている。
a3382.png
エリック「恐らく、海の民が滅ぼした様々な文明の残された部分もあるはずだ。海の民の中にマイソニアン、ミノアン、ヒッタイト、ルーカスが含まれていたのではないのだろうか。彼らが生き残るチャンスは彼等の文明を破壊した海の民に従っていくしかなかったはずだ。海の民の立場は彼等が征服したどの人々よりも強かったのだろうから。」
a3383.png
否定できないのは、文明や海の民の凋落の後、全く新しいものが現れたということだ。
エリック「我々は坩堝(るつぼ)で混ぜ合わされて新しいものが生まれてくるまで2世紀程の間、暗黒の時代を迎えた。燃えカスの中からフェニックス(不死鳥)のように現れたものは新しい政治体制と新しい文明を産んだギリシャだ。ギリシャが立ち上がると民主主義も生まれてきた。」
a3384.png
ロバート「海の民は一つの世界を破壊した。しかし、彼等は、それまでチャンスを与えられていなかった人々にチャンスを与えることになった。」
エリック「イスラエル人が、デイビッドやソロモンが生まれた。イスラエルやユダヤの王国が生まれた。これらは青銅器時代後期の偉大な王国が倒されていなければ生まれてこなかったかもしれない。従って海の民は、古い世界の終焉と新しい世界の始まりを運んできたといえる。」
a3385.png
古い時代を終わらせ、新しい時代を立ち上げた一連の出来事が何かを正確に理解するための調査は今も続いている。
ハギス「私は完璧な答えが得られたとは考えていない。しかし、ノヴィツキーは正解に近づいていると思う。」
エリック「実際に起きたことは、いくつかの出来事の重なりだろう。海の民は幸運だった。彼等には旱魃や地震などの自然災害も味方にしたはずだ。一つや二つの理由でいくつもの文明が崩壊することはない。複数の原因が重なり、その相乗効果で海の民は前例のない力を発揮することが出来たのだ。」
a3386.png
考古学者達は突然起きた文明の崩壊の原因を見つけ出したかも知れないが、更なる裏付け証拠を求めて今も調査を続けている。
a3387.png
エリック「エジプト人は、ヒッタイトがこんなに簡単に崩壊するなどと考えていなかったと私は思っている。色々な出来事を総合的に考えれば、海の民の力は強力になっていたかも知れないのだ。今日の社会のために学ぶべきことがあるとすれば、旱魃(かんばつ)はそんなに重要なことではないかもしれない。地震も単なる一撃でしかないだろう。しかし二つの自然災害に人災が重なれば、予想もしなかった結果に襲われるかもしれないのだ。」
a3388.png
Bronze Age collapse
https://www.youtube.com/watch?v=HH8Ln4j3X0Q
(補足情報)
ネットで調べると、“海の民”の軍勢の規模は小さく、イタリアから来たり、クレタ島の住民だったり、ヒッタイト人だったり、つまり、国家が弱体した中から生まれた低所得者の強奪集団だったようです。エジプトの遺跡のレリーフに残された海の民とエジプト軍の戦いの図は、例によって誇張で、実際はそんなに大きな戦いではなかったと考えるのが正しいだろうとのことでした。結局、海の民は夜襲や奇襲で、海辺の小さな町や村を攻撃しただけで、ミケーネ文明Mycenaean civilization、ミノア文明Minoan civilization、ヒッタイトHittitesを滅ぼす力は持ち合わせていなかったのではないかと考えられています。
(完)

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する