Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

南米で出会った人達の不思議


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このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
保管しておいたpdfから再生したブログはライブドアのブログに張り付けておきましたので
もしご関心がございましたら、つぎのURLでご確認下さい。
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なおライブドアブログのホームページURLは下記です。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/

南米で出会った人達の不思議

            2014年3月   mystery hunter

旅行中に色々な人に出会いました。今回はその人達についてご紹介しましょう。

出来上がったブログがとても長く、分割投稿や削除を検討したのですが、この際一括掲載させて頂くことにしました。
拾い読み、流し読み、飛ばし読みなどして楽しんで頂けたら幸いです。

1.リマの物売り少女

リマ旧市街の団体観光に参加しました。1台のマイクロバスに英語ガイドと観光客10人くらいで日本人は私一人でした。

San-Martin広場で30分の自由時間が与えられ、バスを降りて広場をぶらぶら歩いていると、お土産売りの女の子が声をかけてきました。勿論スペイン語で話しかけてくるのですが当方は全く解しません。その上ペルーのお土産は既に手早く別の店で買い揃えていたし、女の子が持っていたのは小さな片手に3、4匹は入るようなアルパカの人形と絵葉書といった極めてありきたりのお土産でしたから、時々、首を左右に振ってはその気がないことを示し、無視し続けました。

それでも私の後をいつまでもついてきて話しかけるので少し強い表情でダ~メ!という素振りをすると 、やっと諦めたようで何処かに消えてゆきました。

暫くすると、冷たくし過ぎたかな?と気になり始め、今度は私が彼女を探しまわりました。やっとバスの出発時間ギリギリに見つけ、アルパカ人形を3ドルで買う代わりに写真を撮らせてもらいました。
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気づくと近くに父親らしき男性がこれまた土産物を手にして笑って立っていました。どんな人なら買ってくれるか永年の感で見分けたのでしょう。彼女の思惑通りになってしまったわけですが、かわいい娘さんには優しくしてやらないとね。
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(フクロウはお土産店で、アルパカ人形は女の子から買いました。)

2.スペイン女性

マチュピチュからクスコに戻る電車で隣席したスペイン女性と話しました。年の頃は25~30歳位でしょうか?
バケーションで来たとのこと。期間は6週間でドイツ、フランス、イタリアなどでも大体同じ位の長さのバケーションが普通だと思います。
羨ましいですね、人生は仕事だけではない!との気概。

で、母親は日本人だ、というので、え~?と思いましたが、よく聞くと、父親が2度目に結婚したのが日本人で、子供が生まれ今18歳らしい。大阪に住んでいると言います。またまたえ~?と思いましたが、よく聞くとその子が生まれて数年で離婚したらしい。

まとめると、隣に座った女性はスペイン人の母親の子供で、彼女の母親と離婚か死別かした父親は日本人の女性と再婚したがまた離婚し、日本人の元義母は子供と一緒に日本で暮らしている、ということのようです。ややこしいですね。
フランスの大統領も実質結婚―いわゆる同棲―していた女性と別れ、モデルと再び同棲するなど、欧米人の結婚観は家庭というものに縛られません。
うらやましいですねぇ、自由な発想が!

で、このお嬢さんはというと、クスコからマチュピチュまで自転車と徒歩で2泊3日で移動したとのこと。私なんか、車と電車を乗り継いで3時間程で移動したのですから、なるほど、マチュピチュに行く過程も楽しむのだなあ、とスペイン人の旅行観にも感服しました。長いバケーションも羨ましい。かく言う私も女房殿の冷たい視線を無視すれば、1ヶ月くらいの自由はなんとかなる、いや、やっぱりならないか。

3.ストライキとその関係者

チチカカ湖畔の町プーノを発ってラパスに向かう朝、約束の6時に30分遅れてガイドがホテルに現れました。ストライキのためバスでは行けそうにないので対応を検討している、9時まで待ってほしい、とのこと。

好い天気だったので、これ幸いと徒歩30分のチチカカ湖畔まで歩き、湖を見たり写真を撮ったりしてホテルに戻ると、レセプションに電話が入り、バスはダメだが小型車なら行けるかもしれない、120ドル払ってもらうことになるが好いか、と言います。
好いも悪いも、その日にラパスに行かないことには翌日早朝のウユニ行き飛行機を逃すことになるのですから是非もない。「OK!」と即答しました。
午後1時に中型車が到着し、ガイド、私、それに偶然一緒になった2人の日本人女子大生、が乗り込んで出発しました。

プーノの町を出ると直ぐ渋滞にぶつかりました。バスや小型車など20台は停まっていたでしょう。
見ると道路には30cm位の岩がゴロゴロ転がっていて、脇では20人ほどの男が一列に座って見物しています。

ん?ここがストライキの現場かな?

ガイドが車を降りて岩が転がっている所にいる数人の男の処に行き、何やら話すと戻ってきました。通してもらえるらしい!
数人の男達が岩を動かして出来たスペースを我らが車は素早く通り抜けました!現場に到着して通過し終えるまで10分もかからなかったでしょう。
ガイドによると、プーノの町に到着して郊外のホテルに向かっているところだとストライキの責任者に説明し、特別に通してもらったとのことでした。事前に交渉し、ひょっとすると若干のお金を手渡していたのではないかと思います。

その後通過した町では、道路脇のサッカー場のような施設の、板で段状に造られた観客席に大勢の住民が座っていました。集会のようです。直接民主主義の現場をペルーでみたのかな?

ストは、急激な電気・水料金のUpに怒った住民が強行に及んだ結果とのこと。とすれば、怒りを向けるべきは政府、役所、電力・水道会社でしょう?
道路を封鎖して関係ないバスや車を止めるなんて、ストじゃなくてテロです!

しかし経緯の詳細について全く情報を持たない観光客が自分の都合だけで批判するのもはばかられ、住民は余程困っていたのだろうなあ、難しい問題だなあ、でも通れて好かったなあ、と思います。

本題から少し離れますが、世の中の出来事って、意外にバランスがとれたところに落ち着くものですね。順風満帆ではないが困窮至極というわけでもない。贅沢ばかり言ってはいけないな、と思いました。

4.ラパスの親子

ALASITASという広場で毎年一月になると1ヶ月間やっているEKEKO祭りが今日も3時からある、とガイドから聞いていたので行ってみました。
EKEKOはボリビアのビリケンさんでゲン担ぎの神様です。

祭りの場所がはっきりしなかったので、出会った人に何度か聞きながら行くのですが、笑いながら、それは確かにあの場所だ、と指さす先には青いビニールテントの屋台のような店が斜面一帯に張り付いた公園があります。公園の中を歩いていたらEKEKO像に出くわしました。
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こんな処でどんな祭りがあるのだろう、といぶかしく思いましたが、ほかに行く当てがあるわけでもなし、兎に角、3時まで待とう!と決め込んで祭りの2時間ほど前から陽だまりのベンチに寝そべって時間を潰していると、歩道をはさんで私の向かい側に一人の少年がやってきて座り込みました。

じっと下の広場を見ています。そこでは子供達が楽しそうに遊んでいました。
そのうち一匹の犬が少年の所までやってきました。
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ふと脇をみると、少年から10m程離れたところに小さな女の子とその母親らしき女の人が居ました。少年は少女の兄で、3人は親子だったのです。

暫くすると少年は母親の元に行き、アルミの薬缶を持って通りの下の塀の中に入ってゆき、数分後には水を汲んで戻って来ました。その水で干飯のようなものやフライドチキンのような肉をほぐして、3人で分け合って昼食です。
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私が3人を見ていた1時間半程の間、少年も少女も、勿論、いつも私に背中を向けて座り込んでいた母親も、一度も笑顔を見せはしませんでした。
父親らしき男は現れません。とうの昔どこかに去っていったのでしょう。

どんな事情が、どんな人生があったのだろう?この少年は、少女はこれからどんな人生を送り、どんな大人になっていくのだろう?小さな妹や母親をさりげない素振りで気遣うあどけない顔の少年が、近づいてきた犬に寄せた思いはどんなものだったのだろう?

どんなに辛いことがあっても悪に染まることなく、たくましい男、思いやりのある女になってほしい、と願いました。

私があまり長い間そばに寝そべっていて、時々写真を撮っていることに気づいたのか、母親が鋭い目を私の方に向け始めたのを機に、祭りの3時には少し早かったのですがALASITAS広場に行くことにして親子と別れました。

少し感傷的になったのは事実ですが、ラパスでは物乞いは少なく、この3人もそんな素振りは全くありませんでしたから、私などが心配しなくても大丈夫、しっかり生きていくと思います。物乞いと言えばチチカカ湖からラパスへ続く長く緩やかな下り坂の道路には居眠り防止のためか1km位の間隔でハンプ(hump道路に出来た蒲鉾状の突起)があり、多分草原の遠くにポツンと見える家の子供がハンプで減速する車のドライバーに帽子を出して物乞いする場面に何度か出合いましたが、しつこさが感じられず、貧しいボリビアだが、家族みんなでそれなりに幸せに暮らしているのかな、とも思います。

ところでガイドが言っていた年1回のEKEKO祭りですが、3時になってもそれらしき動きは全くなく、思うに、夏の1ヶ月間公園が屋台業者に開放され、駄菓子屋とかおもちゃ屋とかゲームコーナとか軽食屋の青いビニールシートの屋台で公園が埋め尽くされているのを祭りと言ったようで、だから私が祭りの場所は?と聞くと、みんな笑っていたのでしょう。3月になると段々と秋めいて寒くなるので、ALASITAS公園を訪れる人も減り、商売にならない屋台業者はビニールシートで出来た店を畳んで、また翌年の1月まで閑静な公園に戻るのだと思います。

5.いろいろな日本人達

旅先では多くの日本人に出合い、話しました。色々な人がいるものですね。
名誉棄損にならぬよう気をつけながらご紹介しましょう。

*若い男性
リマからクスコの機内で隣に座った男の子。二十歳前でしょう。スキー場で自営業をしていて、ひと月ほど前南米から戻った友達がウユニは好かったと言うので来た、とのこと。明日マチュピチュに行き、その後ウユニに行くと言っていました。

今は2月。日本ではスキーシーズン酣で、ゲレンデはどんな自営業でも書入れ時のはずなのにどうしてこの時期に、と不思議に思いましたが、寡黙な若者に訊くのははばかられました。

で、ウユニには何日くらいいるの?と訊くと、いつ行くか、いつ戻るか、決めてないと言います。勿論、どこに泊まるかも決めていません。
恐らく、飛行機の日程は決まっていると思うので、決まっていないのは泊まる場所だけだと推察するのですが、それにしても若者の特権というか、見知らぬ異国でも思いのまま振る舞おうとする気持ちは純粋で、でもとても危なげです。

しかしその後、南米で若者が行方不明に!などというニュースを聞いていませんから、無事帰国しゲレンデで自営業に戻って仲間にウユニの話でもしているのでしょう。やっぱ、世の中、何とかなるものですね。

*1971年生まれの男性
一人の若者と、ラパスからマイアミに向かう飛行機の、中継地サンタクルスからマイアミまで同席しました。相手の日焼けした顔に驚いたことをきっかけに話しが始まったのですが、20代後半のような若造りの顔をしたおとなしげな好青年が実は1971年生まれで42歳。私が大学を卒業して電機会社に入社したのが1970年ですから、その時は生まれていなかったですね、と言われ、改めて自分の年齢を思い出しました。

一人で世界中を旅行するのが彼の趣味のようです。お土産を買ったというし、昔は商社に勤めていたが今は別の会社で働いていて8連休をとってウユニを中心に観てきたのことでしたから奥さんもお子さんもいるのかもしれません。
日本で往復の飛行機だけ手配し、あとは現地で決める旅行を続けていて、今回は小遣いを入れても25万円程度らしい。私の方はマチュピチュに行ったということもありますが、65万円は使ったでしょうか。お土産代はたった1万円程。

「今までいろいろ回ってどこが一番おもしろかったの?」と極ありきたりの、でも最も関心がある質問をすると「う~ん、ナミビア砂漠かな?」と言います。「実は私もアフリカには興味があって、ブログでナイル川の不思議、って記事投稿したんだけど、ナイル川って世界で最も長くて、最も直線的に北に流れる川なんだよね!ブログでその理由を解き明かしてもいるんだよ!」と言ったら「え!?そうなんですか?ナイル川が?そんなこと一度も考えたことがなかったです。面白い見方ですね。」とこちらの気持ちを汲み取ってくれます。いい男ですねぇ。

ナイル川の話をしていると、彼は源流の近くに行ったことがある、と言います!また驚かされました。でも、そういう人って結構いるんですよね。Google-Earthを見ると、アフリカの奥地でも沢山の投稿写真がみつかります。投稿者は欧米人や豪州人以外に韓国人や中国人もいて、世の中変わってきたなあ、と思います。

「エジプトは政情不安で今は行けないけど、場合によったらキリマンジャロにでも行ってみようかなと思っている。」と言うと「あそこは入山料が高いですよ。ブータンも外国人に対しては1日いくらと滞在費を取ってます。」と教えてくれた。何でもよく知っているなあとまた感心させられました。

私は海外旅行をする時は荷物はいつも少な目で機内持ち込みで済ましてしまうタイプですが、彼の荷物の量は私の70%程度で、これも驚きました。バックパックとキャスターなしの布製手提げバックの合計2個だけです。

英語はペラペラそう。マイアミでは入国審査を一緒にしましたが、場所や手順は既に知っていて、結構ひろくて入り組んだ空港内を迷わず進んでゆきます。また驚かされました。手続きが完了したところでビールでも、と思ったのですが、気を利かせたのか消えてしまいました。
その後、テキサスの空港でも会いました。私のほうは空港に隣接したHyatt-Regency-DFWという豪華な響きのホテルに泊まって一晩過ごし翌朝成田に向かったのですが、彼はターミナル内で一夜を過ごしたはずです。言っていました、いつもそうしていると。

*ラパスの大食堂の妙齢集団
私のホテルの向かいのPresident Hotelの食堂が好いらしい、との情報を今回の旅行をアレンジしてくれた会社の担当者から仕入れていたものですから、夕飯時にさっそく行ってみました。なるほど、16階にあってグルリと巡る窓から素晴らしい夜景を望むことが出来、室内もゆったりした配置です。

広い食堂の中央には妙齢(何歳くらいから妙齢というか知識がないのですが、恐らく55歳以上?)の女性14、5人と男性1人の日本人集団が大きなテーブルを陣取って食事をしているだけで、ほかには客はいません。私は一人でしたから、この集団から離れた、見晴らしの良い窓側の席を選んで座り、久しぶりの厚いミディアムレアに焼いたビーフを注文し、値段(90ボリビアーノだから概略1500円)に含まれているというサラダを肴にしてボリビア産ビールを飲みました。結局、ビール、税金、チップも含めて120Bs(ボリビアーノ)だったのですが、やはりボリビアは貧しい国で、その分物価は安いと思います。
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厚いビーフを半分ほど平らげた時だったでしょうか、「○○さん、誕生日おめでとう!」と甲高い女性の日本語が聞こえました!「ありがとう!」との声に続いて「乾杯!」ときて、その次は「わー、ありがとー!」でしたから、多分名前がチョコレートで書かれたケーキか何かが運び込まれてきたのだと思いますが私は背を向けていたので詳細は判らないのです。

私は女房殿を日本において一人ボリビアまで糸の切れた凧のような頼りなさでやってきましたが、世の中には、亭主殿を日本において、友達と大挙してボリビアまで来られる奥方達もいるのだなあ、私も望みの南米に来ることが出来て幸せだと思っているが、彼女たちは幸せなんか飛び越えてまさに自由を謳歌しているなあ、と思いました。

私の女房殿は私が不在の間はショッピングしまくるような口ぶりでしたが、長年一緒に暮らしてわかっていますが、決してそんなことはせず、いつも通り節約して暮らしているはずです。私が好きなことをするように、女房殿も好きにしていいよ、と言ってあるし、そうすると言ってはいますが、人間の生活習慣というのはなかなか変えがたく、急に贅沢しろと言われてもできないものだと思います。

ボリビアに集まって、偶然でしょうが誕生日を迎えた仲間をレストランで祝うことができる女性たちに「皆さんお幸せそうですね!」と言ってみたい気もしましたが、気障か、嫌味か、なにこの老人は?などと思われるのが落ちでしょうから、何も聞こえていなかったふりをして彼女たちより早めに会計を済ませることにしました。

なお妙齢の女性集団の中の黒一点(?)の私よりたった少しだけ若そうな男の人は、推定ですが、現地駐在中か駐在経験がある商社上りのような洒落た服装で恐らく今回のツアーのコンダクター役だったと思います。しかしうらやましいです、大勢の女性に囲まれて海外の豪華なレストランでディナー、しかも誕生パーティ付きなんていうのは。

*ウユニの男子4人グループ
海外で会う日本人は若い女性のグループの確率がやはり高いですね。多分50%はそうです。男一人、老若男女のカップル、もいますが、若い男4人のグループというのは滅多に出会わないのではないかと個人的には思います。

が、今回、ウユニのホテルで出会いました!チェックインしようとしているとやってきて「ここで水を買えるかなあ?」「あの女の人(ホテルの受付の多分メスチーソ、現地人と欧米人の混血です)に訊いてみたら?」「でも俺、英語下手だから、通じるかなぁ?」「やってみればいいじゃん!」などと大声で言い合っていましたが、結局訊くことはなく、どこかに行ってしましました。
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(ウユニ塩湖から切り出した塩のブロックで出来たホテルの外観と内部です。)
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*マチュピチュの7人女性グループ
クスコに戻る電車で同席した女性と話をしました。国立の医学部の卒業記念で仲間7人で来たとのこと。6年間、大学で勉強し、卒業してから何年か実習を積んで一人前になるのでしょうが、良い女医を目指すなら、タレント業には手を出さぬ方が好いだろうことは、他山の石がありますから理解されているでしょう。

国立医学部の学費は年50万円なんですってね。安いですね。もっとも私は工学部で年2万円(1万2千円?)でしたが、50年程前の話ですからこんなもんでしょう。
私の子供たちは私立の薬学と工学ですが年150万円だったと思います。国立医学部に入ると親孝行ですね。町医者になったとしても、新しい医療技術に目もくれず金もうけだけを考えたりしないよう、結婚したとしても直ぐ医業を放棄して国がつぎ込んだ税金を水泡にしてしまわぬよう、心して医業を全うしてほしいと思います。
ということで、かしこそうな女医の卵さん達に言うことは多くはありませんが、皆の期待を裏切らない好いお医者さんになってほしい、とだけお願いしておきましょう。

6.ペルー人ガイド

クスコからチチカカ湖への観光バスのガイドはいかにもインカの末裔といった顔つきの30代男性で、きれいな英語で判り易い説明をしてくれ、人柄も立派な感じで信頼できそうでした。
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そこで、内々で教えてほしいことがある、と前置きして訊きました。

「インカ帝国を滅ぼし、皇帝を殺し、異教(キリスト教)を強制的に信仰させ、言葉も強要したスペイン人を憎くはないのか?リマ旧市街のアルマス広場のリマ大聖堂にインカ皇帝を斬首した征服者ピサロのお墓まで祀るのはどんな心情からなのか?」

一度ペルーに行けばすぐに気づくことですが、名誉あるインカ帝国の末裔のはずのペルー人の言語はスペイン語、宗教はカソリックです!どの町でも一番きれいな建物は教会。首都リマの旧市街にある大聖堂(お金を払うと内部を見せてもらえる博物館も兼ねてました)にはインカ帝国を滅亡させた征服者フランシスコ・ピサロの棺が祀られているのです。しかし、これは外面を繕っているだけで、心の中では快く思っていないのではないのか?そこの辺りの本音を聞いてみたかったのです、一般論ではなく、実際に影響を被った人の声を。
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下の写真はプーノに向かう途中の町の教会です。石畳が洒落てるでしょ?
外観は控えめですが中の造りは絢爛豪華。撮影は禁止です。
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インカの末裔は教えてくれました。
「スペイン人は憎い。でも人民を忘れて身内で帝位争奪の内戦に現を抜かしていた皇帝やその一族がスペイン人に殺されても涙は出ない。」
「スペイン人征服者はインカの女性と結婚し定着した。だから新しい同朋でもある。」
「私は生まれると自分の意思とは関係なく物心つかぬ内に洗礼を受けてカトリックになった。洗礼は義務だったから当然だ。しかし今は個人の意思で選択できる時代だ。私の子供達には判断できる年齢になったら自分で決めさせてあげたい。だからまだ洗礼を受けていない。」
「私はカソリックだが、古いインカの神々も敬っている。それは太陽、川、山だ。食べ物を与えてくれる大切な神々なのだ。私のようにインカの宗教を信仰する人は今増えつつある。」
凡そ想定していた回答でしたが、インカの宗教への回帰が進んでいるのはどんな理由からなんでしょうか。ルーツに戻って少し見直してみようという心境かと思いますが・・・

イタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、には行ったことが無いのですが、イタリア語、ギリシャ語、フランス語、スペイン語、を話す国では英語の道路標識や観光説明パネルをあまり見かけないのではないかと思います。先のフランシスコ・ピサロの棺の説明パネルもスペイン語だけで、英語しか理解できない私には、何の何なのか、さっぱりわかりません。観光ガイドが、ピサロの棺がある、と教えてくれたのでお金を払って大聖堂に入り、探しまわっていたら、数人の韓国人旅行者のガイドが英語で説明しているのを耳にして、これがピサロの棺か!と気付いた次第。

私の邪推かもしれませんが、イタリア語、ギリシャ語、フランス語、スペイン語、を話す人は、自分たちの文化を重視するという気持ちからか、英語より自分たちの言語の方が歴史的にも品格的にも優れているという自負があって、余程で無いと英語など使わないと決めているように思われます。ビジネスマンは日本人なんかよりずっと上手な英語を話すし、外国で会うスペイン人なども英語が上手です、が一般の人はそうでない人が多いような気がします。

しかしわが日本も、高校で日本史を必須科目にとか、道徳の時間を設けようとか、美しい日本をとか、内向きの話が多くなっています。そうすれば、つい数日前に千葉県で起きた24歳の若者の連続4件の殺傷事件、自分を否定する社会への仕返しだと若者は言っているようですが、が減る社会になるのでしょうか。
若者に生きがいを与え、社会に貢献してもらうことが一番で、そのためには、日本史や道徳や美しい日本を義務教育で教え込むより、英語や物理、化学、農業、医療などの知識や技術を習得してもらうことの方がもっと重点を置かれるべきだと思うのは私だけではないでしょう。

どうも人間は困り果てると、外に向かって働きかけるのではなく、内に向かって籠ることで外界との繋がりを弱め自らを美化して満足しようとする傾向があるように思います。多分その方が心が休まるような気がするからでしょうが、決して良い答えは得られないと思います。このままではイタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、それに日本も、国際化するビジネスについていけなくなり弱体化してゆくと想定されるので、日本円はオーストラリアドルなど資源も国際性もある通貨に変えて保管することをお勧めします。

それにつけても世界は狭くなりどの国でもグローバル化が重要なテーマなのですから、どんな言語でもよいのですが、世界を繋ぐ言語、これを多用すべきだと思います。現時点では英語が断トツの世界言語と言えるでしょう。マスターできたなら、恐らく世界のどこに行っても、他の言語よりずっと役に立つこと請け合いです。おもてなしの日本人としては、スペイン語を勉強する前にまず英語はマスターしてほしいと思います。
実はかくいう私の薬剤師の娘は一時期スペイン語教室に通っていたようですが、形ばかりだったと悟ったようで今は心を入れ替えて、英語をやるわ、と言っていました。しかし私と同じで飽きっぽい質なので物になるかどうか。

(完)

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