Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ヒッタイトの不思議Part-2


ヒッタイト・・・
いつか、どこかで聞いたような、浪漫に満ちた不思議な響き・・・
「ヒッタイト」は、いつ、どこで生まれた、何を指す言葉なのか???

との書き出しで始まった2015年11月9日のブログ「ヒッタイトの不思議」では凡そ4世紀の間、アナトリア(トルコ半島)に存在していた“ヒッタイト帝国”の歴史を全てご紹介する1時間55分のYoutubeフィルムを使いました。

今回は少し嗜好を変え、英国放送協会BBC British Broadcasting Corporationの「Lost Cities Of The Ancients - Episode 3 The Dark Lords Of Hattusha古代の失われた都市;エピソード3;ハットウシャの闇の帝王」を引用して、3千年以上もの間、存在すら気付かれていなかった“ヒッタイト帝国”が発見されるに至った経緯(けいい)、その首都ハットウシャ、そして帝国の消滅、にスポットを当ててお送りしましょう。

その前に前回のブログで使用したmhブログ史上最長の2時間のフィルムを確認しておこうと考え、7月8日調べてみると消去されていました。ネットで調べ直すと直ぐに見つかったのですが、驚くことに、このフィルム、オリジナルは3時間ものだったのです!最初の30分しか見ていませんが、前回はなかった、ヒッタイトの首都ハトゥシャ発見の経緯に関する詳細がありましたので、まず、この部分をご紹介し、その後でBBCフィルムの内容をご紹介していきたいと思います。

しかし・・・「ヒッタイトHittite」という言葉、ロマンチックromanticな響きを持っていますねぇ。

ロマンチックを辞書で確認すると“[形動]現実を離れ、情緒的で甘美なさま。また、そのような事柄を好むさま”とあります。

[形動]は形容動詞のことで、これも辞書で確認すると“品詞の一。用言に属し,活用があり,終止形語尾が,口語では「だ」,文語では「なり」「たり」であるもの。事物の性質・状態などを表す点では形容詞と同じであるが,形容詞とは活用を異にする。「静かだ」「にぎやかだ」「はるかなり」「堂々たり」の類”とあります。
つまり形容動詞のロマンチックは、“ロマンチックだ”“ロマンチックなり”という形で文章の中で使う事ができるんですね。

で“ヒッタイト”という言葉が“ロマンチックだ”ってことは“ヒッタイトが、現実を離れ、情緒的で甘美だ”ってことになります。なぜ、mhがそう思ったかですが・・・恐らく、ヒッタイトの人々が築き上げた見事な歴史が、3千年もの間、人々から完全に忘れ去られてしまっていた、というメランコリックな事情によるものでしょう。

長い前置きは終え、まずは3時間ものYoutubeフィルム「Forgotten Empires The Hittite Kingdom忘れられていた帝国;ヒッタイト王国」の冒頭です。
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紀元前1274年、カデッシュKadeshで記録に残る戦いが当時の2つの超大国の間で行われていた。
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エジプトの伝説的ファラオ“ラムセス二世”率いる軍に敵対したのは、どの敵からも恐れられ、しかしその足跡が偶然によって発見されるまで、文明の歴史の中で3千年もの間、忘れ去られていた曖昧(あいまい)な国の軍隊だった!

小アジア。アナトリアとも呼ばれる所・・・
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現代はトルコと呼ばれ、北はロシア、西はギリシャ、東はイラクやイラン、南はシリアで囲まれている。
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1834年、フランス人考古学者チャールズ・フィリ・マリー・テクシエFélix Marie Charles Texierはアナトリアの中心部の高地、ボアズコイBoğazköyという小さな町の近くで、古い都市の跡を見つけた。
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ピラミッドのようなものも見つかった。
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その不思議な都市は多くの城壁、レリーフに満ちていて、不思議なヒエログリフも残されていた。
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この発見は当時の考古学者の関心を引くことは無かった。
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しかし、40年後、この遺跡で見つかっていたリリーフや像やスタンプ用シールと似たものがアナトリアのあちらこちらで発見され“トルコの西からシリアの北部まで広がる広大な土地に興味深い文明があったのではないか”と考えられるようになった。
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1876年、アーシュボード・ヘンリー・セイズがロンドンの聖書考古学学会で驚くべき発表をした。
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「これらの遺跡を総合的に分析し、一部のレリーフを解読した結果、“ヒッタイト”のものだと判明した!」
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学会は驚愕した。ヒッタイトについてはヘブライ聖書(旧約聖書)で簡単に触れられていただけで、学者の間でもほとんど知られていなかったのだ。
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聖書によれば、パレスティナで暮らした、いくつかの民族のひとつでしかなかった。その民族ヒッタイトが広大な領地を持っていたとは!
多くの学者の目は急にボアズコイの遺跡に向けられることになった。
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1906年、ドイツ人考古学者ヒューガ・ウインクラーHugo Wincklerは同僚セアドー・マックウィーディと共に発掘隊を率いてボアズコイを訪れ、調査を始めた。
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すると楔形文字が描かれた沢山のタブレット(石板)が見つかった。
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楔形文字では楔文様を組合せた字が左から右に書かれる。
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タブレットの多くは古代の国際語とも言えるアケーディアンAkkadian(mh:紀元前2千3百年から同2千年頃までメソポタミア、現イラクで栄えた人や言語)で書かれていた。アケーディアンは既に解読済みだから学者達はタブレットの内容を読み取ることが出来た。
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発掘から数週間した時、一人の作業者がエジプトとヒッタイトに関する好ましからざる関係を記録した注目すべき粘土のタブレットを掘り出した。しかし、よく調べてみると、それはカデッシュの戦いの後、エジプトのラムセス二世とヒッタイトのハットウシャリー三世の間で結ばれた和平条約だった。
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3千年も前の世界で最も古い和平条約で、レプリカは国連の安全保障会議室の入口にも飾られている。

タブレットの解読が進むにつれて、ボアズコイはヒッタイトの単なる都市ではなく、ハトゥシャと呼ばれる首都だったことが判った。
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多くのタブレットはアケーディアンで書かれていた。しかし、数百のタブレットでは見たことが無い言葉が使われていた。ヒッタイト語に違いない!
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ヒッタイトを深く理解するには、これを解読する必要がある!

チェコ人言語学者ベドゥリック・ロズニーBedřich Hroznýは楔形文字の専門家で、なんとかしてヒッタイト語を読んでみたいと熱望していた。
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1915年、ロズニーはほぼ1年間、解読に挑戦した結果、ヒッタイト語は英語やドイツ語と同じインド・ヨーロッパ語系言語ではないか、と思うようになっていた。
そして、ある日、ロズニーはある文章の中で“パンbread”という文字を特定した。
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“パンbread”を含む文章には“食べるeat”、“飲むdrink”などという言葉が使われている可能性が高い。

すると彼は、突然、その文章を解読することが出来たのだ!
“Now, you eat a bread, further you drink a water.”
ロズニーが解読したのは訳の分からない言語などではなかった。彼は、間違いなく、最も古いインド・ヨーロッパ語を解読したのだ。
・・・・・・・・・・・・
以上が3時間もののフィルム「Forgotten Empires The Hittite Kingdom」の冒頭部です。

ところで、インド・ヨーロッパ語とは何かですが、端的に正確にご紹介できる程、mhの頭の中では整理ができていません。なかなか難しい、とだけ言っておきましょう。
しかし、何となくでもいいから判っていないと、次にご紹介するYoutubeフィルムの冒頭の、ヒッタイト語の解読場面を見ても、何故そんな馬鹿なことが!と、あっけにとられてしまうだけでしょう。
ということで、さわり部分だけご紹介しておきます。まずは次の図をご覧ください。
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上の図の左下にある分類一覧の拡大図です。
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インド・ヨーロッパ語族、シナ・チベット語族、コンゴ・コルドファン語族、アフロ・アジア語族(アラビア語)、などなどあり、その他に日本語、朝鮮語とあります。

全く異なる言語としか思えなくても、同じ語族に属するなら、文法だけではなく、特定の名詞や動詞が極めて似た音を持つ例があるようで、一つの地域で発祥したのではないかと考えられています。例えばインド・ヨーロッパ語族の言語の発祥は、黒海・カスピ海の一帯だろうというクルガン仮説があります。
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クルガンは仮説の提唱者の名ではなく、ブログ「ステップの帝国の不思議」(2015・12・07)でご紹介したステップ帝国の墓のことです!いやいや、クルガンではなくインド・ヨーロッパ語族の発祥はアナトリアだよ、というアナトリア仮説もあるようです。

いずれにしても、似ている以上、その理由は必ずある、というのが尊敬するお釈迦様の教えです。人や物は、言葉と共に移動して拡散し、文明や歴史を創り上げていったと考えて間違いないでしょう。そうだとすれば、我が日本は、どこの語族にも属さないようですから、どこからやって来たんでしょうかねぇ。モンゴルから中国を迂回して朝鮮半島から流れ込んできたんじゃあなかろうかっていうmhの仮説をブログ「シルクロードの不思議な質問(2)答え」(2014・01・06)でご紹介したことがありますが・・・

閑話休題。

以上でヒッタイト発見に到った経緯の概略のご紹介を終えるとして、以降では、ヒッタイト語の解読にまつわる逸話と、ヒッタイトが消滅することになった経緯をBBCフィルム「The Dark Lords Of Hattushaハットウシャの闇の帝王」からご紹介いたしましょう。
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「で、このタブレットはどこでみつかったんだい?」
「アナトリアの中央あたりです。」
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1906年、ドイツ人考古学者ヒューガ・ウインクラーHugo Wincklerとセアドー・マックウィーディは発掘隊を率いてアナトリアの中心にある小さな町ボアズコイに向かった。辺りは世界の中心と呼ばれる都市がある場所から、かなりかけ離れた山岳地帯だ。そんな所に文明のようなものが本当にあったというのだろうか。
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山地や丘を進んでいくと突然、思いもつかなかった場所でin the middle of nowhere、見事なものを眼にすることになった。大きな門だ!ライオンの像が彫られている。
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形や彫り物の様子は、これまで彼らが見たものと全く異なる!門の大きさや出来栄えは息を飲むすばらしさで仕上がっていた。あらゆる場所に偉大な文明の痕跡が残っていた。門は広大な都市への入口だったのだ!
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「誰がこれを造ったのだろう?」
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発掘隊が調査を進めていくと、都市は何Kmにも渡って広がっていることが判った。
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古代の3つの偉大な国エジプト、アッシリア、バビロンにある大きな都市から何千Kmも離れたアナトリアの高地で広大な都市が歴史から忘れ去られて眠っていたとは!発掘隊リーダのウインクラーも、世界中のその他の誰もが知らなかった文明だ。
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彼らは何週間か調査を続けたが、この都市が何なのかを示すものは見つからなかった。見つかったタブレットは解読できないものばかりだった。

が、ある日、意味のある何かが現れた。ウインクラーが解読できるタブレットだ。ババロニアン(注)で書かれている!古代における国際的言語だ。
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(mh;“バビロンの”ということで“アケーディアン”のことです)。

“条約、ラムセス大王がハティの偉大な王ハトゥシリと偉大な平和と偉大な兄弟関係を結ぶために・・・”
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エジプト、アッシリア、バビロンという3つの国の王だけが“偉大な王”と呼ばれるに値する。しかし、タブレットの和平条約には4番目の偉大な王としてハトゥシリという名が記されていたのだ!不可解な国ハティの王だ。
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ウインクラーは思った「我々は失われていた帝国を見つけたのに違いない!」
平和条約の日付は紀元前1259年だった。

ドイツ人考古学者ヒューガ・ウインクラーHugo Wincklerは本物のミステリーを解く前に死んでしまった。
しかし・・・
こんな大きな帝国が、どうしてこんなに完全に歴史から消滅してしまうことになったのだろうか。
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この疑問に答えられるようになるのは、それから凡そ1世紀後だったのだ。考古学者達は遺跡を細かく分析する必要があった。難解な楔形文字によるヒッタイト語や、この文字とは異なるヒエログリフ(絵文字)の解読が必要だった。
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考古学者たちは都市をハトゥシャHattusaと呼んだ。“ハティHattiの土地”だ。彼等は住民をヒッタイトHittitesと呼んだ、旧約聖書で言うヒッタイトと異なるのかもしれないのだが。
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ハトゥシャのヒッタイト人は首都をとても奇妙な場所に造った、どんな帝国も造らないだろう場所に。偉大な都市としては隔離され過ぎている!
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当時の主要都市は世界の他の場所に繋がる交差路にあった。交易路とか河や海の近くだ。しかしハトゥシャは違っていた。主要な河から80Kmも離れていた。背後には聳え立つ山々が控え、黒海や地中海から数百Km以上も離れていた。その上、高地で、過酷な気象条件に晒(さら)される場所だ。冬なら数か月間、雪で埋まり、外部と完全に隔離されていたことだろう。
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何故、どのようにして、ヒッタイト人がこのような場所に首都を造ったのかを想像することは不可能に思われたが調べていくうちに、いろいろな事実が判ってきた。

彼らは近くの山から大きな岩を切り出し、穴を明け、運搬し、険しい崖に沿って分厚い城壁をくみ上げ、その内部に都市を造った。
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それはまさに花崗岩の山の上に造られた城塞都市だ。一つの巨大な城壁は多くの障害物を乗り越えながら全長7Km以上に及び、町全体を取り囲んでいた。それは外敵からヒッタイトを守る破壊不能な防衛ラインだった。ハトゥシャは難攻不落の城塞都市だった。彼らはあきらかに安全保障に強い関心を持っていたのだ。
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この城壁は恐らく世界でも最も厚いだろう。強度を増すために独特な構造をしていた。
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厚みは8mで、ところどころには空間が造られている。この空間には細かな石と砂が混ぜて詰められ、叩いて固められ、コンクリートのように硬くなって、壁の強度を増していた。

石垣は最後に泥で固められ、高さ8mの城壁に仕上げられていたと考古学者たちは考えている。12m毎に高さ13mの見張りの塔を造り、普通なら弱点となる門には恐ろしい罠(わな)を仕掛けていた。侵入してくる敵は睨みつけるように聳える塔からの攻撃に晒(さら)されるのだ。
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それで終わりではなかった。町を横切るようにして、外壁よりも厚い壁が市内を走り、その壁には秘密のトンネルが8ヶ所も造られていた。
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外壁から侵入した敵は更に大きな危険に立ち向かわざるを得なかっただろう。トンネルに隠れているヒッタイト軍による待ち伏せ攻撃だ。
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こうして都市は何層もの防衛手段で厳重に守られていたのだ。

ハトゥシャは5万人以上が暮らす都市だった。敵の手が及ばない厳しい環境の高地に侵略不能の城塞都市として造られた。
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しかし、乾燥したアナトリアの高地は克服できない問題をヒッタイトに与えているように思われる。近くには水がない!

そこでヒッタイト人は素晴らしい技術を使い、仮に籠城している時でも水を確保できる対策を打っていたのだ。その中心となるものは、遺跡で見つかる奇妙な形をした筒だ。
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この筒が最初に見つかった時、何のためのものか判らなかった。しかし、幸運にも、それらが連(つら)なっている状態で発見され、パイプだったことが判明した。
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ヒッタイト人はハトゥシャよりも高い丘に泉を見つけ、そこから何Kmも離れた城壁内の大きな水槽まで地下パイプを使って落差で水を引き込んでいたのだ。城壁内で見つかった7つの巨大な貯水池は一つでも1万人が1年使う量の水を蓄えていた。
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ヒッタイトは人里離れた山地に、堅固な城塞都市を造り上げていたのだ。

帝国の偉大さを誇示するための施設も造っていた。ある建物は儀式で使う大きな入口と、200以上の部屋を持っていた。
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広い前庭も備えられていた。建物内部では儀式の用具や置物などが沢山見つかった。
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帝国で最も神聖なハトゥシャの大寺院だったのだ。

都市の最も高い所には巨大なピラミッドがあった。幅250mで100段の階段が下から上まで続いていた。
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素晴らしい建築物だった。町を取り囲む外壁はこのピラミッドの上を横切って走り、ピラミッドの頂点には大きな門が設けられていた。門の両脇にはスフィンクスが立ち、エジプトのある南に向いていた。
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外部からの訪問者は、帝国の象徴であるピラミッドを眼にし、その荘厳さに打たれながら階段を登って町に入っていったのだ。

しかし、ヒッタイトが造った最も重要な建物は、ピラミッドの場所にはなかった。都市の中心の丘の上にあった。王のための城だ。
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これこそが首都ハトゥシャの脈動する心臓beating heartだった。城の周りには、王を守るために更なる城壁が造られていた。城からは都市の全貌が見渡せた。ヒッタイトはこの町を永遠の都市として造ったのだ。

しかし、このように孤立した場所に帝国の都市を造った理由や、歴史から完全に消滅してしまった理由は解明できていなかった。新たな手掛かりが必要だった。

考古学者たちは、王の神聖な場所を見つけた。その壁にはヒッタイト人のイメージを表すレリーフが彫られていた。
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戦(いくさ)や、更には死に対するこだわりを示すレリーフもあった。奇妙なことに、都市の中では、こういったレリーフ像はほとんど見つかっていない。ヒッタイト帝国の運命を表すものは全て、都市の中から取り去られてしまっているかのようだった。
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しかし、古代のハトゥシャには考古学者たちによって発見されるのを待っていた素晴らしい宝物が一つあった。黄金や宝石などではない。もっとずっと重要なものだ。迷路のように続く通路の奥に、隠されるようにあった図書館が見つかった。
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そこには3万ものタブレットが綺麗に整理されて保管されていたのだ。これまで発見されたどの図書館よりも大きいだろう。ヒッタイトという不思議な人々の思考、業績、失われた文明が記録されたタブレットは考古学者たちによって解明されるのを待っていたのだ。

しかし、一つ問題があった。誰も知らない言語で書かれている!この暗号文を解読するには大勢の言語学者の知恵と努力が必要だった。
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ヒッタイト語は世界でも最も古い表記方法の一つの楔形文字と呼ばれる小さな三角形の記号の連続で表記されていた。メソポタミア一帯で利用されていた楔形文字は既に解読されていて読むことは簡単だった。
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しかしヒッタイト語自体はまだ判っていない。アルファベットを知っている人がラテン語を読むようなもので、読めても意味が分からない!

不可解な言葉を解読する鍵になるのは似た言語と比較することだった。単語や文法が似ているからだ。しかし、ヒッタイト語と似た言葉を見つける作業は楽ではなかった。アナトリアの近くで使われているどんな言葉もヒッタイト語と似ていなかった。

しかし、この暗号のような言語も、タブレットに書かれた数千もの文章の中の、たった一つの文章から解読されることになった!この行だ。
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この行を手書きし、読みを併記するとこうだ。
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“ヌ・ニンダ・アン・エエイザアッテニ・ワアタルマ・イコウテイニ”
“nu NINDA-an e-ez-za-at-te-ni wa-a-tar-ma e-ku-ut-te-ni”

“NINDA-an”は“breadパン”を表す言葉だと推察された。

その他の言葉は・・・
“wa-a-tar”は英語の“water水”にとてもよく似ている!
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“e-ez-za”はドイツ語で食べるという動詞“essen”に似ている。発音も極めて近い。
“nu”は例えばNow、“e-ku-ut-te-ni”は“アクアaqua”と似ているからwater、つまり“飲むdrink”という動詞だと考えると
“Now, you eat bread, you drink water”
と翻訳することが出来る!

これがきっかけで3千年後、初めてヒッタイト語を読むことが出来るようになった。それは中東のものではなく、ヨーロッパと同じインド・ヨーロッパ語族の言語だったのだ。ヒッタイトはロシアかヨーロッパ方面からトルコに移ってきて城塞都市を建設し、住みついた民族なのかもしれない!
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驚きました!皆さんも驚かれたことでしょう。ヒッタイト語に、英語のwaterやドイツ語のessenが使われていたんです!そんな嘘みたいな話ってあるの?って思われたことでしょうが“あるの?”ではなくて“あった”んですね。お釈迦様が仰ったように、事実は事実として素直に受け入れねばなりません。
・・・・・・
タブレットを解読するとヒッタイトの歴史が次々に明らかになった。彼等は仲間の繋がりを重視し、王に対する絶対の忠誠を誓いあっていた。
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(mh:誓いあっていたっていうのは、そうしないと誓いと逆のことをする危険を十分に秘めていたってことです。実はこれがヒッタイト消滅の理由なんですね、後でも触れますが。)
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以降は大幅にはしょって、ヒッタイト帝国の滅亡の経緯に移りたいと思いますが、その前にエジプト帝国のラムセス二世との戦いについて補足情報をお知らせしておきます。

ヒッタイト帝国の宝といえるものは強力な軍隊でした。その中心の武器はチャリオット(馬車戦車)です。
ヒッタイトのチャリオットは台車に対する車軸の位置が他のものと異なっていました。通常は台車の後ろ側、つまり馬からは遠い位置に車軸があるのですが、ヒッタイト人は台車の中央に車軸を移していたのです!
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おかげで台車の強度が向上し、従来なら1人しか乗れない台車に3人の戦士が乗ることが出来るようになって、戦力が3倍になったというわけです。
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この革新的技術で、カデッシュの戦いでは、ラムセス二世の軍隊に壊滅的な被害を与えることが出来たのです。
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この戦いを機にヒッタイトは偉大な帝国として世界に知られることになったのですが、帝国の消滅の種も、この戦いから芽吹くことになった、とフィルムでは解説しています。それは何を意味するのか?
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考古学者は首都ハトゥシャで、ある施設を発見した。見た所、王の墓のようだが、中には棺や遺骨はなかった。
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その代わり、壁に妙なヒエログリフが彫られていた。2つ目の解読不明な暗号だ。
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この暗号がヒッタイトの消滅を詳しく語ってくれるかも知れない。
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考古学者たちはヒエログリフの解読に着手した。自分を差している絵は“私”を意味しているのではないか。
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“眼eye”と“鹿deer”の絵の組合せは“アイデアidea”を示しているのではないのか?
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同じ記号がいくつかの意味を持っている可能性もある。解読を困難にしているのは、抽象的な形の文字だ。何を示しているのか全く想像できない。ヒントとなる新たな事実が必要だった。

そのヒントは粘土で造られた小さなものから見つかった。紋章印だ。
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中央にはヒエログリフで名前や地位などが記述され、周辺に解読可能な楔形文字が並んでいる。

これを契機に、ヒエログリフは一つずつ解読されていった。すると、最初に発見された洞穴のヒエログリフが最も重要な内容を含んでいたことが判った。そこにはヒッタイトの最後の王の名前が記されていたのだ。
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ヒエログリフは彼の最後の遠征の内容と、ヒッタイトを最後に打ちのめすことになった敵の名を書き記していた!その名が判明した時、考古学者たちは唖然とした。外敵の名ではない!
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ヒッタイト内部の人間だったのだ!内戦があったのに違いない。

ヒッタイト帝国の最後の日、偉大な王はヒッタイト帝国の内部の敵の反乱を受けていたのだ。

ヒッタイトを包み隠していた覆(おおい)はパラパラと剥がれ落ち、消滅に到る様子が見え始めて来た。

指揮官ハトゥシリがカデシュの戦いから凱旋すると、王室内で権力闘争が起きたのだ。ハトゥシリの甥(おい)だった王は、名声と実績と力を持つ叔父が自分を王位から引き摺り下ろすのではないかと恐れ、叔父の力を削(そ)いでいった。王の仕打ちに対するハトゥシリの反応は速かった。王を捕え、首都ハトゥシャから追放したのだ。
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しかし、この時、ハトゥシリはヒッタイトの固い掟(おきて)、つまり王への忠誠、を破ることになった。

これを機に、兄弟の誓いは振り出しに戻り、王家への忠誠心は軽んじられるようになった。血縁同志が敵対する内戦が始まり、収拾がつかなくなった。そしてついにハトゥシリが死んで数代後、首都ハトゥシャは死滅することになる。

内戦はゆっくりと首都ハトゥシャの命を縮めていった。都市は外敵には強かったが、内部の兄弟に対しては弱かった。内戦で王の権威は失われ、都市は崩壊していく。
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十分な食料がハトゥシャに届かなくなり、市民は飢えに襲われた。
シリアのウグリット王に宛てたヒッタイト王の手紙が見つかっている。「穀物を大至急、献上するように」

ハトゥシャ最後の日、一体、何が起きていたのだろう。楔形文字のタブレットにもヒエログリフにも書かれていない。しかし考古学者はこの疑問に答えられるかもしれないヒントを見つけた。猛火に晒(さら)された多くの煉瓦だ。
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焼かれたのは都市の全てではなかった。王宮、大寺院、それに中小の多くの寺院だけだ。つまり、帝国の重要な建物だけが焼け落ちていたのだ。さらに奇妙なことがこれらの建物で起きていた。中に置かれていたはずの貴重な宝物や記録品などが何も見つからない!全て事前に持ち出されていたのに違いない。外敵ばかりでなく内部の敵すら、侵入した形跡が残っていなかった。

これらを結び付ける一つの理論は次の通りだ。
ヒッタイトは彼らの帝国が終わったことに気付いた。そこで首都を放棄することにしたのだ。町を去る前に偉大な建物は火を点けて燃してしまうことにしたとしても不思議はない。後でやって来るかも知れない敵に価値のあるものを何も残さないためだ。平和的、組織的に行われた首都放棄だった。
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価値のあるものや書類などは全て持ち出した。
ヒッタイトは無敵だったはずだった。偉大な都市、偉大な第4の帝国を築き上げていた。永遠に繁栄し続けるつもりでいたのに。

誰もが不思議に思うことは、彼らがどこに去っていったのかということだ。
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もし重要な資料などを持ち出していたなら、それにはヒッタイトの最後も記され、どこかに眠っていて、我々が彫り出すのを待っているはずだ。

ヒッタイトは首都ハトゥシャが永遠に続くものとして慎重な配慮のもとに建設した。しかし、それは他の場所からあまりにも隔離されていた所だったため、他のどの文明もその地に町を造ることは無かった。
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ヒッタイトの神話や伝説を辿(たど)る人は誰もなく、彼らの歴史は首都ハトゥシャと共に死んでしまったのだ。時の流れとともに都市は風化し、土砂に埋まり、名前も忘れられてしまった。こうして、見事なヒッタイトの物語は3千年以上もの間、歴史から消えてしまうことになったのだ。
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Lost Cities Of The Ancients - Episode 3 The Dark Lords Of Hattusha - BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=8cVfIJikiMI
(Release Date: 11 April 2007 (Japan) See more)

(完)

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