Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ペトラの不思議Part-2

今日は7月18日。2か月後の9月19日に公開予定のこのブログに着手しました。完成は3日後でしょうか。

9月12日公開で投稿済みの「ヴィㇽカバンバの不思議」をYoutubeから書き下ろしている時、ふと思ったんです。
“mhはハイラム・ビンガムみたいに女房子供を家に置いたまま、4ヶ月毎に海外旅行していていいんだろうか、女房殿は寂しくないんだろうか”と。
で次回の10月の旅行は保留しようか、と今は思っていますが・・・女房殿から、掃除の仕方が悪いとか、洗濯物のたたみ方やしまい方がおかしいとか、食器の洗い方が悪いとか、くどくどと非難されると、女房殿と暫く離れて一人旅をしたくなるので、今の気持ちが10月まで続いている保証はありません。

私のブログ「世界の不思議シリーズ」も恐らく150回を超えたでしょう。新鮮なネタはそろそろ底をつき出し、Youtube以外の情報ソースを見つけ出さないといけないかなって思うこの頃ですが、時には、既に投稿済みのブログと同じ不思議を紹介するフィルムの中に、なかなか捨てがたいものがあるのです。ということで、前回は「ヒッタイトの不思議Part-2」を紹介させて頂きました。“いつかどこかで聞いたような浪漫に満ちた不思議な響き”のヒッタイト帝国の首都ハトゥシャに関する皆さんの知識も深まり、ロンドンやパリなんかよりも興味深い都市だったと思われたのではないでしょうか。そうは言っても、ローマは別格で、いやな思い出しかないイタリア旅行を体験したmhも、もう一度、ゆっくり訪れたいと思っています。

で~今回もPart-2シリーズで“ペトラPetra”をご紹介させて頂くことにしました。初回の「ペトラの不思議」は2014年10月27日に公開しました。この時点ではYoutubeの紹介手法が現在と異なり、mhの独断的な翻訳、解釈、短縮、それに加えて小さな映像、で構成されていて、今回、見直してみて、あまり良い出来だとは言えないなぁと反省しています。

そこで今回は、映像が綺麗なフィルムを使い、ペトラの魅力を中心に、若干の秘密も付け加えてご紹介します。映像が綺麗な理由は、恐らく高解像度のカメラが使われていることに加えて、ドローンによる空中撮影が採用されているからだと思います。
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ペトラ・・・
それは古代世界における最も素晴らしい都市のひとつだ。
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記念碑でもあり、寺院にも似た墓は30m以上も聳えている。そして、これらの素晴らしい造り物は組み上げられたものではない、砂岩の崖から彫り出しているのだ。
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最盛期、ペトラは乳香frankincenseと没薬myrrhの広大な交易ネットワークの中心に位置し、世界でも最も乾燥した砂漠にも拘らず、3万人が生活していた。

スイス人建築家「それは都市としては適切な場所ではない。飲料水が無いのだ。」
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このように広大な都市で、どのようにして、古代の人々は、十分な水資源もなく、生き延びていたというのだろう。
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どのようにして、高い崖の表面に、この美しい建築物を造り上げていたのだろう。
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それを探し出そうと地球科学者は石工とチームを組んでペトラ式の墓を造ってみようとしていた。
アメリカ人地球科学者「この作業を通して、我々は、2千年もの間、見つかっていなかった何かを見つけたいと考えている。」
考古学者と水力学技術者は、遊牧民の集団がこの砂漠の都市をオアシス都市、古代のラスベガス、に変えた方法を探し出そうとしていた。
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アメリカ人考古学者「砂漠環境の厳しさの中にもかかわらず、ここでは驚くほど大量の水量が消費されていたの。」
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そしてついに、2千年後、ペトラの秘密が明らかになろうとしている。
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Petra; Lost City of Stoneペトラ;失われた石の都市
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そこは地球上で最も乾燥している場所のひとつだ。ヨルダン王国の厳しい砂漠の中に隠されるようにして、素晴らしい古代都市がある。
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ペトラだ。数千年の間、その場所は隠され続けてきた、砦のような崖と、秘密を守る遊牧民たちによって守られながら。
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そして1812年、アラブ移民を装い、命を賭けて伝説の都市を探し出そうとしたスイス人冒険家が、この地を訪れた。
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ヨハン・ルーディヒ・バークハルトJohann Ludwig Burckhardtは、60mも聳えるシークと呼ばれる、1マイル(1.6Km)程も続く、折れ曲がった細い渓谷を進んでいった。
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渓谷の終わる辺りの処で塔のように聳えた、寺院のようなファサード(facade建築物の正面部)に出会った。
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それは“宝物”と呼ばれている。アラビア語で“アル・カズネAl Khazneh”だ。2千年前に建てられ、今でもデザイン、建築技術の粋を集めた傑作品だ。雄大な柱は渓谷の底面から、繊細な彫刻飾りの柱頭まで真っ直ぐ伸びている。
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神話の神々のような像がファサードを飾り上げている。幻想的な形の壺が屋根の頂きに据えられている。
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聳え立つような入口は奥の3つの部屋に続いている。
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ここにあるのは手の込んだ棺桶ではなく、天然の岩の美しさだけだ。
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アメリカ人地球科学者「ここから見ると、アル・カズネが建物として特徴的で魅惑的というだけでなく、純然たる崖の、活きた岩の表面に彫られたものだということが判る。」
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実際の所、アル・カズネは記念碑的なサイズの彫刻像だ。幅24m、高さ38mで、アメリカのラッシュモアRushmore記念碑の2倍ある。
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スイス人冒険家バークハルトが渓谷をさらに進んでいくと、何百もの見事なファサードを至る所に見つけた!
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多くのファサードはエジプト風、ギリシャ風、ローマ風にも見える。
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しかし、それ以上のものもあった。都市全体の跡だ。
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6千人が座れる円形劇場も沙岩から彫り出されている。
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メインストリートと、これに面した大きな寺院のような構造物もある。
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もっと高い岩山には、さらに目を見張るべき記念碑も彫られている。
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バークハルトによる伝説の都市の再発見は、答えよりも多くの疑問を浮かび上がらせた。誰がペトラを造ったのか?そして何故?

バークハルトは不思議な砂漠の民の話に刺激を受けていた。中国、インド、エジプト、ローマとシルクや香辛料を取引して利益を得ていたという。
そして、彼らは得た黄金の宝物を崖の中に隠した。
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ギリシャ人やローマの記録は彼らに名前を与えていた、ナバティアン(Nabataeanナバテア人)だ。
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紀元前4世紀の資料には、ナバティアンはテントで暮らす遊牧民だと記されている。
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しかし、その3世紀後の紀元前50年頃に書かれた記述によれば、繁栄している都市に暮らす洗練された人々だとある。キリストの時代、ナバティアは繁栄した王国で、エジプト、ジュディアJudea、そして北アラビアの広大な砂漠で囲まれていた。
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たった数世紀で、どのようにしてテントの村が豊かな王国になったのだろう。砂漠の真ん中で、彼らは、どのようにペトラを打ち建てたのだろう。
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アメリカ人地球科学者トム・パラダイスは30年の間、見つけようと試みている。彼は地球科学者で古代の建築物保存に関する専門家だ。“宝物アル・カズネ”の両脇に、彼は妙な四角な跡があるのに気が付いた。
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これが、“宝物”がどのように造られたのかを教えてくれるのかも知れない。これらの跡は古代の建築用足場を固定した跡ではなかろう?
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パラダイス「長い間、人々はこれらの跡が崖に彫刻作業をするために使われた足場のようなものだろうと考えていた。」

しかしパラダイスは疑いを持っている。もし足場を固定した跡だとするなら、なぜ、ナバテア人は、そのまま残してしまったのか?なぜ、ペトラの他の場所には同じ跡が残っていないのか?パラダイスは、本当の理由は、このモニュメントに数世紀前に与えられた魅力的な名前のせいではないかと考えている。
パラライス「この建物はアル・カズネ、つまり宝物、と呼ばれている。伝説によれば、1千年の間、ここは裕福な人々が棲む家だった。」

宝物と言う名で知られていたので、人々が宝探しをしたのだ。建物の頂の壺には弾丸の跡もある。
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とすれば、建物の脇の四角な跡は、近くで好く見ようと登るための“足掛かり”だったのだろうか。

しかし頂上の壺には黄金は入っていない。石の塊だ。このモニュメントの宝物と言えるものは見事な石像だけだ。
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四角な跡がどんな目的で造られたとしても、けっして足場ではないとパラダイスは考えている。その上、この砂漠では、木材はほとんど手に入らない。としたら、一体全体、ナバティアンはどのようにしてこのように巨大で高くそびえるモニュメントを足場なしで崖の表面に彫ることが出来たのだろう。
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パラダイスはそれを見つけるための大胆な計画を持っていた。上から下に彫っていくのだ。彼は、チームメンバーの石工たちと共同で、この2千年で初めて、ナバティア式のファサードを造ろうとしている。
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パラダイス「私は多分、彼らがどのようにファサードを崖に掘ったのか、その答えを知っている。」

パラダイスの計画に並行して、考古学者たちと水力学技術者たちは、どのようにナバティアンが、この完全に乾き切った環境の中で生き残れたのかを調べていた。

スイス人建築家ベルヲルド「水の全てのインフラ・ストラクチャーは一つの偉大な都市計画に沿って実現されていたのだ。私はそれを証明できると思っている。」
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彼らの成し遂げた包括的な発見は、石を自在に扱うだけではなく、水も制御することによって、都市ペトラが造られていたことを明らかにした。砂漠の都市を古代世界のラスベガスに変えていたのだ。

遊牧民たちはどのように石の都市を造ったのか。そして何故ペトラが伝説の中に埋もれ消えてしまうことになったのか。科学者たちは、それを明らかにすることができるのだろうか。

多くの人々はインディアナ・ジョーンズの「最後の聖戦Last Crusade」のクライマックス画面でアル・カズネを知っている。そこで、ハリソン・フォードとショーン・コネリーは、秘密の寺院と、そこにあった聖杯Holy Graleに辿り着く。
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しかし、ハリウッド映画にあったにも関わらず、アル・カズネと、その他のペトラの象徴的な建物の多くは寺院ではない。それらは墓だ。
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ナバティアンは記述したものをほとんど残していない。しかし、いくつかのファサードには、キリスト時代に中近東で共通語の一つだったアラメァック(?)の記述がある。タークメニアと呼ばれるファサードに書かれた記述の一部には次のように書かれている「この墓は神聖なものだ。中に残る全ての物は、永遠に修正されたり、移動されてはならない。」
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墓泥棒はこの注意書きに敬意を払わなかった。従って人骨や副葬品が残るところはほとんどない。しかし、人体と同じサイズの棚は、ここが間違いなく埋葬の場所だったことを物語っている。
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全体として、ペトラの岩壁には8百もの墓が掘られているのだ。

米国東洋研究センター;クリストファー・タトゥル「直ぐに目に付くこのモニュメントのおかげで、多くの考古学者たちは、この地がネクロポリス(necropolis共同墓地)のような死者の町ではなかろうかと考えがちだった。しかし、過去2百年の調査を通じ、生きている人々も棲む都市だったことが明らかになってきた。」
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クリストファー・タトゥルはここで10年以上、調査をしている。サイトの2%以下しか発掘が進んでいないが、考古学者たちは調査結果を地図にした。
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結局、古代のペトラはマンハッタン島と同じ広さの都市だったのだ。人が棲み娯楽にふけった2平方マイル(2.6平方Km)の市街地downtownと、郊外には更に多くの人が暮らす地域が南北に広がっていた。この調査結果に基づいて、タトゥルは人口を見積もることが出来た。
タトゥル「最盛期、2,3万人が暮らしていたと我々は考えている。」
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しかし、砂漠の中の孤立した地域の文化と考え辛いことには、ペトラには墓が、そこここにあるのだ。なぜナバティアンは墓を都市中に彫ることにしたのだろう。そして、どんな方法で彫ったのだろう。
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アメリカ人地球科学者パラダイスは彼の彫刻チームが何らかの答えを準備できるのではないかと期待している。
パラダイス「ファサードを造るという実験を行う事で、ナバティアンがどのようにこのようなファンタスティックなファサードを彫ることが出来たのかについて身を持って教えてくれるだろう。」

しかし、パラダイスは彼のファサードをここペトラに彫ることは出来ない。ペトラは保護された世界遺産だ。どこか別の場所で、適切な砂岩の岩壁を探さねばならない。

調査の結果、アメリカ人地球科学者 パラダイスは南カリフォルニアを選んだ。ヨルダンの砂漠と異なって遠くには海が見える場所に、ペトラと同じもののように思われる砂岩が沢山ある。
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土地の所有者の許可を得て、実験に適当な岩を探すことにした。
石工マサン・ハント「我々はまず、装飾的な彫刻に向いた均質な砂岩を探さなければならない。」
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砂岩は砂と鉱物の混合物が圧縮されて形成された柔らい石だ。チームは完璧な岩を選び出すことが出来た。次の仕事は作業に必要な工具を見つけることだ。
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ベトラではパラダイスはそのヒントを岩肌に見つけていた。鉄器のチズルで付けられた痕跡だ。
パラダイス「当時、彼らは鉄製のチズルを使っていた。その手法は2千年後の今でも変わっていない。我々は同じチズルを使うし、そうすれば彼らと同じ削り跡が残る。」
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チズルの形式は削り跡から見ると、先端がとがった棒状チズルでよさそうだ。
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そこで石工のハントは、カリフォルニアでも棒状チズルを使い、作業に着手した。

しかし、手作業では時間がかかり過ぎることが判った。ギリシャの記録によればナバティアンは大勢の奴隷を使っていなかったようだ。しかし、彼らは恐らく大勢の熟練工と十分な時間を持ち合わせていたに違いない。石工ハントにはその二つとも不十分だが、代わりに動力工具がある。
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勿論、使うのはナバテア人と同じ棒状チズルだ。これでやっと適切な岩と適切な工具が揃った。

石工チームがカリフォルニアで作業の準備を進めている間に、パラダイスは何を彫るのか決めねばならなかった。ナバティアンの墓をナバティア式にしているものは何だろう?ペトラの多くのファサードは、どこか別の土地のもののように見える。アル・カズネで、パラダイスは古代ギリシャや古代ローマを連想させるデザインの柱や柱頭や彫像を見つけている。

ぺトラ全体では、他の地方のデザインも見つけている。シリアやメソポタミアと関連がありそうな段状デザインや
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インドを思い起こさせる象の彫像
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エジプトのオベリスクのようなデザインも。
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しかし、良く見うけられるデザインの中で、パラダイスは、他では見当たらないデザインに気付いた。
パラダイス「屋根が中央部で分離していて、中央には円錐状の屋根と、その上には壺がある。これはギリシャ式でもローマ式でもない。」
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この新しいデザインはどこか遠方の文化が一体になったもののようだ。
パラダイス「建物のデザインはこれ以上ないほどにシンプルだ。それは本物のペトラを物語っている。」
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ナバテア人のデザインをナバティア式にしているものは、このように、他の帝国のデザインと組み合わされて出来ているユニークな外観だと言えるだろう。

しかし、砂漠の真ん中で暮らす人々が、どのようにして遠い異国と接触していたのだろう。そのキーワードは2つ。乳香frankincenseと没薬myrrhだ。
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乳香と没薬は古代において、絶対に手に入れておきたい贅沢品だった。新約聖書の中では、この2つは、東方の三賢人から乳児のキリストへの贈り物の中に含まれている。
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アラビア半島南方の砂漠の中の樹から作られ、エジプト、ギリシャ、ローマにおける重要な宗教儀式の際中に香として燃されていた。しかし、これらを地中海全域の消費者の元に届けるためには、まず砂漠の中を運ばねばならない。
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何世紀も遊牧民として生き延びていたナバテア人はあらゆる秘密の水源の場所を知っていた。もし生きて砂漠を横断したければ、ナバテア人の道案内を確保しなければならない。交易路にそって、彼らは水源を掘り当てていた。
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ペトラの山の向う側の谷間で、ジョージ・ワシントン大学のアンドリュー・スミスは“マクラ”と呼ばれるこの井戸の跡を見つけた。
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ペトラへの交易路が通っていた場所だ。そこで彼が彫り出したものの中には、数十もの小さな香のための粘土で造られた容器があった。
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スミス「ナバテア人は乳香を加工して、この小さな容器に詰めて蓋をし、駱駝や驢馬などで運んでいたようだ。」
乳香の道はナバテア人の命を守る血管だった。サウジアラビアを横切り、ギリシャやローマへの玄関ガザの港に繋がっていた。
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この交易から得られた資金報酬が砂漠の民を急速に強力な王国に押し上げた。アラビアの北西でいくつものナバテア人の町や墓が生まれていった。1世紀の終わり、ローマ人の作家プレニーは、ナバテア人を“地上で最も豊かな民族”と呼んでいる。彼らの富の多くは首都ペトラの建設のために使われた。パラダイスはナバテア人が多くの人々との交易に関与していたことが彼らの建造物のデザインに影響を与えたと信じている。
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パラダイス「ペトラがこの地域における交易路の中心にあったことから、交易相手から建築のファサードを入手したと考えるのは筋が通っている。」

しかし、これだけ色々なデザインが在る中で、パラダイスはどのデザインを実験用として採用したらいいのだろう。
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パラダイス「このタイプのファサードは他の5百以上ものファサードを代表していると言えるだろう。従って、これが典型的な墓のファサードと考えて良い。」
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パラダイスにとっては、この墓が典型的なナバティア式だった。見ると、単純なデザインのようだが、異なった建築様式の組合せになっている。グレコローマン式の入口、ナバティア式の棟(むね)、エジプト式の庇(ひさし)、シリア式の天国に上る“閉じた階段”と呼ばれるデザイン、が一つのファサードの中に残されている。
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しかし、このデザインを彫刻チームが実験用としてそのまま使うと、岩の大きさに比べて幅が狭く、見栄えが悪い。そこでファサードの幅を広げることにした。となるとデザインにはどのような影響がでるのだろう。

この問題に取り組むと、何十年か学者たちを混乱させていた問題に光を当てることになった。なぜ、ナバテア人の墓には、類似した、独特の、多様性が見られるのか。ペトラの墓のデザインで重要なモチーフの一つは“閉じた階段”だ。いくつかの墓では“閉じた階段”の最下段が庇の高さと同じで、階段は完全に2つに分かれている。
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何人かの学者は、これを革新的なデザイン変更だと主張している。しかし、パラダイスは現実的な理由があったことに思い当たったと考えている。
パラダイス「ファサードを広くした場合“閉じた階段”を広げてファサードの隅の方に持って来なければならなかったんだ。」従って幅の広いファサードでは階段が2つに分かれることになった。
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このようにして、自分たちの理論でファサードを造り上げていくにつれて、ペトラの基本的な建築思想が徐々に理解できるようになった。岩は、何を彫るか、どこに彫るかについて重大な影響を与えている。

しかし、なぜ、この場所なのだろう。岩山と砂漠のどこに首都を創ったらよいのか、というのは昔から続いている質問だ。どんな方法で、ナバテア人は美しい都市を維持するのに十分な水を得ていたのだろう。その一つのヒントがここ、都市の中心部の偉大な寺院として知られる場所にある。
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モニュメントのような石段は数百の石柱で囲まれ、石が敷き詰められたプラットホームに繋がっている。
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広場には孔があり、下を溝が走っていることを示している。
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ブラウン大学スー・アルコックは大学の調査チームを率いている。
アルコック「もし、表面の石を全て取り除くことが出来たら、例えば、魔法で石の床全体を持ち上げたとすれば、その下に溝や運河のネットワークが広がっているのが見えると思うわ。」

彼女はひょっとしたらそのような魔法を使えるのかも知れないが、地表の下を調べるための別の方法も準備していた。GPRと呼ばれるGround-Penetrating-Radar地中探査レーダーだ。
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男性メンバー「ここでは発掘は厳しく制限されている。だからGPRが地下の様子を見る方法なんだ。外科病棟でX線で体を調べるのと同じようなものさ。」

レーダーは高周波の電磁波を地中に向けて発信する。電磁波が材質の異なる部分、例えば土と岩の境目、を通過すると、反射が起きる。しかし電磁波の速度は材質に応じて変化する。土壌を通過するときは遅く、空気中を通過する時は速い。
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GPRは、この変化を検知し、どこに溝が隠れているかを教えてくれる。チームは事前に決めた測定ルートに沿って、GPRを広場全体に渡り移動さて探査した。

偉大な寺院の床下には、排水溝のようなネットワークがあった。興味深いのは、溝が広場を越えて隣まで延びていたことだ。
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アルコック「ペトラでは建物が密集し隣接していたから排水溝のような溝はずっと繋がって広がっていたのよ。」
アルコックはこの溝が巨大な都市全体を走る水システムの一部ではないかと考えている。
「ペトラは中心都市だったのよ。当然、水供給システムが必要なはずだわ。」
この理論にはたった一つ、問題がある。
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ペトラは地球上でも最も乾燥した場所の一つだ。
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仮に偉大な寺院の床下に、都市全体にとって十分な水供給システムが見事な技術で造られていたとしても、その水は一体どこから来ていたというのだろう。

可能性がある一つの水源は、今日でも現地の人達が毎日使っている。“アイン・ムーサAin Musa”と呼ばれている。つまり“モーゼの泉”だ。その泉を水力学技術者のチャールズは調査チームと共に訪れた。

女性考古学者「イスラエル人を引き連れたモーゼがこの石を杖で突いたら水が湧き出て来たのよ。」
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モーゼが奇蹟の水をもたらしたという話は、伝説の岩とこの泉を結び付けた。しかし、モーゼの泉から得た水をペトラに結び付けるには別の、技術的な奇蹟が必要だ。8Kmも離れているのだ。
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ペトラへの入口となる細い渓谷“シークSiq”でどのように水が運ばれたのかを示す証拠を調査チームは見つけ出した。通路に沿った岩壁の下の方に、かつて陶器のパイプがあったことを示す跡が付いた狭い溝が続いている。
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チャールズ「溝の中をよく見ると、短い陶器の筒が繋げられて埋められていたことがはっきり判る。」
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凡そ0.3mの長さの筒が、何万個も、高地にあるモーゼの泉から8Kmに渡って繋がっていたのだ。そして全ての筒のつなぎ目には水が漏れない工夫が織り込まれていた。ということは、ナバテア人は高度な水力学を知っていたのだろうか。

サン・ホセのカリフォルニア州立大学で、チャールズは、6mの長さの水槽を使って、それを見つけ出そうと試みていた。
水力学技術者チャールズ・オルトロフ「ナバテア人にとって水はとても貴重だった。古代の技術者は水が漏れないパイプ・ラインを必要としていたはずだ。」
彼らの挑戦は、パイプの中を、どのようにすれば素早く、効率的に水を運ぶことができるのかを調べることだった。
チャールズ「パイプの傾斜角を変えてみるのが一つの選択肢だ。」
水を速く運ぶとなれば、単純だ。傾斜角を急にしてやればよい。まずは6度にして水をパイプに流し込んでみた。上手く流れ始めた。水の流れは速い。しかし、直ぐにパイプの中で水が詰まり始め、水力学的転移hydrauric jumpと呼ばれる乱流が生まれて、流速が低下し出した。
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それよりも大きな問題があった。パイプの内部に水が詰まって、そこの水圧は上っている!ペトラの配管では、圧力が高いと陶器のパイプの継ぎ目から水が漏れる可能性が高い。「どうも6度の急勾配は適当ではなさそうだ。」

そこで勾配を緩くして4度で試験することにした。2度というわずかな変化は流速変化に大きな影響を与えた。

流速は速まった。しかもパイプのどこにも水の詰まりは発生しない。これはペトラの配管工たちにとっていいニュースと言えるだろう。
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チャールズ「パイプのどの部分をみても、水面の上には水がない空間が残っている。これなら水漏れを回避しやすい。」

近代の手法のおかげで、パイプで水を速く流すための最適な勾配が4度だと判明した。チャールズはペトラに残されていた溝の勾配を測定して驚くべき発見をした。
「古代のナバテア人技術者は水パイプを通す溝の勾配を凡そ4度にしていた!」
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2千年前、ペトラの技術士たちは長いパイプ経路を完璧に設計していたのだ。
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ナバテア人が水力学の達人だったことが明らかになった。
「我々が2千年後に確認したように、彼らは既に科学的原理を発明していたのだ。」

しかし、水だけが砂漠で入手が困難なものではない。地元では木材の供給もわずかしかなかったはずだ。とすれば、どのようにしてナバテア人は下から組み上げた木材の足場を使うことなく、岩肌に聳える墓を造ることが出来たのだろうか。
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パラダイスは、尋常ではない彫刻作業のための重大なヒントをこの未完の墓で見つけた。
パラダイス「上の方は完了している。直ぐ下の庇部分は彫刻作業が進んでいるが、その下は全く作業されていない自然のままの岩肌だ。」
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パラダイスとって、上が完成していて、下がそのままだという事実が意味することは一つだった。
パラダイス「ナバテア人は上から彫り始め、下の方に彫り進めていったのだ。」
未完成の墓はナバテア人が岩壁の上層部がら下方に向けてファサードを造ったことを示していた。
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カリフォルニアで、パラダイスたちはナバティア式のファサードを造っていた。上から下へ、足場を使わずに。ここまで仕上げるのに、彼らは安全ハーネスを使っていた。
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しかし、ナバティア式の上から下への建築方法で作業している内に、ハーネスや下からの足場を使わずに作業する方法を思いついた。作業している場所の少し下方に、孔を3箇所に明け、ピンを指し、その上に木材の板を載せて着脱が簡単な、仮の足場にする。僅かな資材があれば十分だ。彫刻作業が進んだら、また孔を明け直し、少し下に木材の板の足場を移してやればよい。
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棒のために明けた孔は、後で削りとられていくので、跡が残らない。この方法は完璧に機能した。こうすれば、ナバテア人も下から組み上げた足場なしで、作業速度を上げられたはずだ。しかも痕跡が残らないから、ペトラのファサードと同じ結果になる。
作業が半分を過ぎると、実験チームは別のことに気付いた。彫刻によって生まれた沢山の瓦礫が足場の役目をしてくれる!
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つまり、以降はパイプと木材の板を使う必要がないということだ。

ペトラでの未完成の墓の発見と、カリフォルニアでの実験作業での発見を組み合わせてみると、ナバテア人がどのような方法でアル・カズネを彫ったのかについて新しい理論が生まれることになった。

彼らはまず岩山の上に登り、そこから岩壁に、横方向の浅い溝を彫った。
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そして、古代のドリルを使い、穴を明けてピンを固定し、木の板を張って彫刻作業者たちの作業用プラットフォームを造った。最初に彫ったのは壺と最上層だ。
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そこから下に向かって、華麗な柱や彫像などのセクションを彫り進めていった。半分ほど掘り進むと、彫刻で生まれていた瓦礫が積み上がって足場になった。
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以降は、瓦礫を下から登って行っては作業を続けることが出来たのだ。
パラダイス「ほかのどんな文化や社会においても、この方法をこの種の大きな建築物で使ったことはないはずだ。」
上から下に作業する方法は、ペトラの砂岩の岸壁にファサードを彫り上げるのに最適で、革命的な発明だったのだ。

しかし、彫刻はアル・カズネの特徴の一部でしかない。アル・カズネは渓谷の底深で、かつ都市へ入るための入り口という、印象的な場所にある。しかし、この狭い渓谷が“死の罠”になり得る証拠があるのだ。
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観光客が偶然に撮影したこのビデオは砂漠の危険を示している。鉄砲水だ。
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ペトラの年平均降水量は5,6cmだが、一気に降るので、この峡谷を凶器に変えてしまう。この洪水は1963年、22人のフランス人旅行者の命を奪った。そして今日でも、アル・カズネに損傷を与えている。
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スイス人建築考古学者ウェリー・ベルウォードは旅行者とアル・カズネを保護するためにペトラにやってきた。彼はナバテア人がどのように洪水の発生を回避したのか、そのヒントを探している。
ベルウォード「彼らがこの崖にファサードを造ろうと決めた時、彼らには冬季に発生する洪水に対抗する何らかの手段が必要だった。」
アル・カズネの隣は細い峡谷だ。ここでベルウォードは大きな岩のブロックをモルタルで積み上げた古代のダムを発見した。
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ベルウォード「それは2千年前のもので、今でも全体が完全な形のまま残っている。」
しかし、このダム一つではアル・カズネを守るのには十分ではないだろう。ベルウォードは他にもダムがないか探してみた。峡谷に沿って登っていくと、岩壁の表面にヒントを見つけた。ある高さの所に、黒い線が水平に続いている。
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線より上は岩の色が黒っぽい。下は明るい色をしている。ベルウォードはかつて貯水池があり、蓄えられていた水の中の鉱物が沈殿した結果だろうと考えている。
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この線に沿って調べていくと、2つの大きな溝が峡谷の岸壁に掘られていた。溝はかつて、ダムがあった跡を示している。
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ベルウォード「ダムの壁は峡谷の岩壁にはまり込むようにして固定されていたのだ。そうすれば蓄えた水の圧力にも容易に耐えられる。」
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彼は、このヒントを基に考えを進め、古代ナバテア人のダム構想を見つけ出した。ナバテア人は5つのダムを造っていた。更に、これらのダムが効率的に機能するよう、長さ42m、深さ5mの、迂回用の溝を掘ったのだ。この溝はダムから溢れた水を貯える貯水池に繋がっていて、アル・カズネの方向に流れ込む水の力を弱めていたのだ。それはアル・カズネと同じように、重要で、技術的な宝物だと言えるだろう。
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ナバティアンのダム構想は完璧だったので、ベルウォードもこの手法を改善することは出来なかった。今では、建設チームは、昔と同じように、古代のダムの修復を進め、アル・カズネを保護しようとしている。
ベルウォード「今後ともアル・カズネを守っていくとするなら、何千年も前に行われた方法が好いと思っている。今、我々がしている作業は、正にそのものだ。」
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洪水の恐怖は大きかったのでナバテア人はダム構想とアル・カズネの推進を並行して進めていた、とベルウォードは考えている。実際問題として、学者たちは、広大な墓地や都市の中心部、水システムなど、ペトラの多くの部分がキリスト誕生の頃の1百年の間に造られたと信じている。
ベルウォード「都市の全ての水システムは一つの全体計画に従って組み立てられているのだ。」

とすれば、一体どのくらいの量の水が、そのシステムによって準備されていたのだろうか。米国のサン・ホセで、カリフォルニア州立大学の水力学技術者チャールズ・オルトロフはそれを見積もっている。
チャールズ「この地図には全ての水源やダムなどが記入されている。」
彼はこれまでに見つかった水に関する特徴を地図に纏めた。新鮮な飲料水用の8つの泉、鉄砲水から町を守る36のダム、1百以上の溜池、多くの水施設を繋ぐ2百Km以上のパイプライン。
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この地図と流体力学的な実験から、オルトロフはペトラの3万人が手に入れることが出来た水量を見積もった。
オルトロフ「もし全ての水源の水を足し合わせたなら、一人一日当たり8リットルになる。」
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シャワーや洗濯機がなかった時代なら、8リットルは一人が生存するために必要な水の量より十分多かっただろう。事実、新たな発見はナバテア人がペトラを砂漠のオアシスに変える十分な水を得ていたことを明らかにした。水が十分あったという証拠は偉大な寺院の直ぐ隣の、広いテラスで見つかった。
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最初に発見した人物に寄って“市場”と名付けられた場所だ。1998年、この場所を2.4mほど発掘したところ、耐水性のセメントを発見した。「水を溜めていたところのようだ。」
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発掘を続けると構造が明らかになってきた。ここにあるのは一つの角で、北西の方向にも同じような角がある。
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結局、4つの角が見つかった。42mx24mの長方形をしている。オリンピックの競泳プールの大きさとほぼ同じだ。そしてその中央には、石で出来たプラットホームの跡があった。更には、プールのような構造物を囲むように掘られた溝が、灌漑で使われていたかのように、下のテラスに繋がっていた。
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土壌サンプルを調べたら、そこでは耕作が行われていたことが判った。つまり“市場”は島のように造られたパビリオンと、下の段の緑地や耕作地を含む、巨大で記念碑的なプール複合体Pool Complexだったのだ。
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町の中心部全体で、考古学者たちは、泉や、柱が並ぶ通りに沿った運河など、他の水関連施設を見つけていた。
(mh:上の写真が現状で下は想像図です。)
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この砂漠の環境の中で、彼らは水を豊富に楽しんでいたのだ。

砂漠の中心部で???とすればペトラは別の華々しい場所と似ているように思われてきた。ラスベガスだ。
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砂漠に囲まれたオアシス都市で、どこに行っても水や泉を見かける。砂漠をオアシスという全く逆の場所に変革することによって、そこが富みと権力の場所だと人々に知らせていたのだ。

古代にペトラを訪れた人々にとって、暑く乾燥した砂漠を何日も旅した後に辿り着いたオアシス都市は、大きな感銘だったことだろう。
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ペトラの贅沢なプールと国際センス溢れる構造物は長い年月を過ぎた今でも木霊のように響いて伝説を思い起こさせてくれる。
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カリフォルニアでは2カ月に及ぶ作業の結果、2千年後に初めて造られたファサードが姿を現していた。シリア的で、グレコローマンでエジプト的で、しかしナバティア式のファサードだ。今ならカリフォルニア的でもあると言えるだろう。
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ナバテア人が死者のために墓を、生者のために給水溝を彫り出したかどうかは別にして、彼らの石加工技術はペトラの富と美の鍵だった。
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では、どうしてナバテア人の王国は衰退し、ペトラの大半が消えてしまうことになったのだろう。ペトラ全体て見つかる倒れた石柱はその犯人を示しているように思われる。
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古代の記録によれば、巨大地震が西暦363年に起きていた。この地震は考古学者の間でも有名な大地震でペトラに大きな打撃を与えたことは間違いない。しかし、一つの惨事だけがペトラの全てを破壊し、町を衰退させたとは思えない。人々の最大の娯楽の場所だったはずの偉大なプールに、地震よりも前に町を襲った出来事の証拠が残っていた。363年の地震で積もった地層の下の2世紀の前半の地層から、動物の骨が見つかった。
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少なくともその時には水が無く、プールは埋められていたのだ。そして、西暦520年頃、つまり地震から1百年後、ダムの機能が致命的に欠乏していたこを示す証拠がある。
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ペトラの中央通りの多くの場所に、敷石が無い部分が続いている。
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パラダイスは、甚大な鉄砲水で敷石が洗い流されてしまったのではないかと考えている。
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パラダイス「洪水は岩山を下り、町の中心の通りに流れ出て、敷石を剥がし取り、流し去った。この時、ペトラの黄金時代が終わったことが決定付けられたのだ。」
皮肉にも、水に欠乏していたペトラは、水に寄って終焉を迎えたのだ。

今日、南カリフォルニアの丘では、彫刻チームがペトラを甦らせようと最後の仕上げをしている。それは、他の文化では見つからない、ペトラ独特の繁栄の証拠だ。柱の上の中央部にある小さな突起飾りだ。
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この突起には葉や花などの模様が刻まれているのが普通だ。
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パラダイスは、ナバテア人が砂岩に見つかるものを尊敬の印として選んで刻んだのではないかと信じている。
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パラダイス「それは岩が、あたかも生き物のような雰囲気を持っていることを思わせる。岩が卓越した創造力を持っているかのようだ。」

そして砂岩そのものは墓の表面を仕上げるための工具にもなる。
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石はナバテア人の生活の中心にあった。ペトラという名前自体もギリシャ語の岩という言葉からきている。
パラダイス「ナバテア人と砂岩の関係は、彼らが誰かを示す根底的なものだ。彼らは、この岩の渓谷で生まれ、この石の渓谷で生き、死ぬと岩の中に埋葬されたのだ。」
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「そして、大きな墓のファサードが彼らの最後の休息の場所になったのだ。」
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毎年、50万人以上の観光客がスイス人ヨハン・ルーディヒ・バークハルトの足跡を辿ってペトラにやって来ては、誰もが宝物アル・カズネを見上げる。
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ペトラが西洋の人々に知れるようになってから2世紀、その卓越した技術文化は、他のどの古代文明とも同じレベルにあったことが証明されつつある。

米国東洋研究センター;クリストファー「ペトラは都市以上のものだ。それはすばらしい王国だった。平和で繁栄し、古代世界が憧れた王国だった。」
水の匠masterとも言えるナバテア人は、石の都市を燃焼させた。貯水池、給水溝、ダム、泉、プールでさえも。水を管理できなければ、ペトラという都市は生まれなかったのだ。
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2千年以上も昔、砂漠の民は、この人を拒絶する崖の間に定住し始め、厳しい環境の大地をオアシスに変えた。
パラダイス「ナバテア人は少ない資源を最大限に利用する方法を知っていた。だから彼らは何百年もこの地で存続し、繁栄することが出来たのだ。」

バークハルトは砂の砂漠に消えた伝説の都市を追い求めてここに来た。
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世界で知られている都市の中で最も豊かな都市だ。エジプトやローマに対抗して造り上げられた。泉やプールは水を一杯湛(たた)えていた。今日、ペトラの多くの伝説的な魅力は本物だったことが明らかになっている。
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BBC Documentary Petra: Lost City of Stone | BBC Documentary 2015
https://www.youtube.com/watch?v=lGZtM1wqtDA
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エド・ディル(‎ Ad Deir, 修道院、英語: The Monastery)
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(Petra Part-2: The End)
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