Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ネビュカネザの不思議


ネビュカネザNebuchadnezzar(Wiki;ネブカドネザル(2世))とは?いつ頃、何処で、何をしていた人物か?

今からそれをご紹介しましょう。

恐らく、キリスト教徒が多い欧米では、良く知られた男だと思います。というのは旧約聖書が生まれる原因を造った男がネビュカネザなんですね!彼が統治していた帝国の首都はバビロンBabylon。現在のイラクの首都バクダッドの南80Kmにあった古代都市です。
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川が上(北)から下(南)に流れています。ユーフラテスの支流で、灌漑水路などを経由し、海に注いでいます。良く見ると、直径3百mの3つの円丘が正三角形の頂点の位置に見受けられます。高さは15m程で、恐らく、再開発で生まれた土砂の廃棄場でしょう。
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更に一部を拡大すると・・・
川岸の円丘の直ぐ東(右)の黄ピンにバビロン市街が、その南には、池に囲まれた一片50mほどの正方形の土地が見えます。
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バビロン市街の城壁にはイシュタール門Ishtar gateのレプリカが!!!?
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本物のイシュタール門(!?)はベルリンにあります。
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Wiki:ネブカドネザル2世(Nebuchadnezzar)
新バビロニア王国の2代目の王。在位;紀元前605年 - 紀元前562年。

彼の在位とキリスト教との関係は?

記憶力の良い読者諸氏なら、ネビュカネザに攻略され、エルサレムからバビロンに連行されたユダヤ人の捕囚がヘブライ語で書いた“聖書”、ユダヤ教徒が言う所のトーラー、を思いつくのではないでしょうか。

つまり、ネビュカネザがエルサレムを攻略し、ユダヤ人をバビロンに強制連行しなかったら、旧約聖書が生まれることは無く、従って、今のユダヤ教、キリスト教、イスラム教も生まれてこなかったのです。

ネビュカネザの在位時、都市バビロンは最盛期を迎えたといいます。その後、ペルシャに併合され、ペルシャを滅ぼしたアレキサンダー大王がマケドニア帝国の首都と定めたのですが、大王はバビロンで夭逝(ようせい)しました。

で~、ブログ冒頭で述べた“バビロン跡に残るイシュタール門はレプリカで、本物はベルリンにある”とはどういう意味か?

実はバビロンの遺跡が見つかった時、それは完全な廃墟で、イシュタール門は跡形すらなかったんです。その本物がベルリンにあるってことは???

それではYoutube「Nebuchadnezzar IIネビュカネザ2世」をご紹介しましょう。
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イラク人は彼を国家的英雄と呼ぶ。しかし、聖書は彼を狂気の男と記している。バビロンの伝説的な男ネビュカネザとはどんな人物なのだろう。伝説と神話はバビロン神話の中で一体になった。
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メソポタミア。“川の間の土地”は、ユーフラテスEuphratesとティグリスTigrisの間、かつて文明が生まれた所だ。2千5百年以上も昔、巨大な都市がこの中心で生まれた。バビロンだ。
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統治した男は、バビロンを世界の不思議の一つに仕立て上げた。その男こそネビュカネザだ。
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ユーフラテスの王によって造られた建築物は、例えば巨大なバベルの塔のように、後世の人々の想像を刺激する神話になっていた。
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今日では瓦礫が残るだけだ。しかし近代の考古学者は残された瓦礫の欠片から失われた都市を理解することが出来る。
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最新技術によって数千個の古代のタブレットの上に刻まれた楔形文字の情報が保存されている。
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世界で最初に生まれた筆記文字とも言える楔形文字は現代の科学者たちなら解読でき、失われた都市バビロンのイメージは今、まさに甦(よみがえ)ろうとしている。
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科学者たちは、ネビュカネザとバビロン人の宇宙論cosmologyをより深く理解しようとしている。

The Babylon Mystery ; Nebuchadnezzar
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ネビュカネザの世界は、1百年前、レバノンで発見され始めた。フランス領事オーリー・ファニヨンは古代の芸術的な宝物を求めてエルヘルナン地区を探索していた。当時、植民地の行政官たちにより、沢山の探検が行われていた。19世紀は偉大な発見の時期だった。何処に行っても、新たな、重要な発見があった。伝説都市トロイも発掘されていた。エジプトのヒエログリフも解読できるようになっていた。そして10月のある暑い日、オーリー・ファニヨンは後日、考古学の上で驚愕とも言える発見をした。
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ファニヨンは、かつて広大なバビロン帝国が地中海岸近くのこの地点まで広がっていたという仮説について調査をしているうちに、その証拠を発見したのだ。石の壁に、ライオンを手で制している男の姿が彫り出されていた。絵と共に刻まれていた文字によれば、男はバビロンの王ネビュカネザだった。夕暮れ迫る中で、ファニヨンは世界を驚愕させることになる写真を撮影した。
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これがこれまで見つかった最も古いネビュカネザの姿だ。
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風化した石のレリーフの発見は古代の神話と伝説を一体化し現実化した。

ネビュカネザによって統治されていた王国はユーフラテスとティグリスという2つの偉大な河の恩恵を受けていた。
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2千5百年前のネビュカネザの時代、芸術作品は当時の最高傑作ばかりで、中には人々の奇妙な姿を模(かたど)った像も生まれていた。
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シュメール人は革命的な発達により培われた完全に新しい文明を創っていた。紀元前3千年頃に発明された楔形文字は、ネビュカネザの広大なバビロン帝国で最盛期を迎えていた。新しい技術は南の古代都市ウルUrukから、北のメソポタミア全域、さらに北、そして地中海沿岸やパレスチナ文化圏まで広がっていた。
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ネビュカネザの王国はエジプトやエルサレムまで広がる、正真正銘の帝国だった。

エルサレムはデイビッド(ダビデ)の聖なる都市で、全てのユダヤ人の古代の故郷だ。
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しかし、2千6百年前は今のような巨大都市ではなかった。周囲を城壁で囲んだ、せいぜい数千人のユダヤ人が“寺院の丘”を中心とする狭い地域に居住するだけの町だった。

ネビュカネザはその城壁に孔を明けて神聖な都市に攻め込んだのだ。古代のレリーフがその戦いを描いている。
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バビロニア軍は砦塔(注)を使って町の城壁を剥がし取ったのだ。
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城壁の中にいた防衛軍はバビロンの軍事技術を上回ることは出来なかった。
(注:砦塔;台車の上に砦の城壁と同じ高さの櫓(やぐら)を組み上げた移動形の塔)

侵入者たちは金属の鎧をまとい、投石器を使い、念入りな計画を立てていたのだ。極めて効果的なもので、数千の射手による雨の如き火矢の打込みが行われていた。ネビュカネザは彼の軍事総力を駆使して最大の戦果を得た。数千の敵兵は討ち死にし、生存者は罪人としてバビロンに連行された。
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それはユダヤ人にとって悲惨な大惨事、神の激怒だった。バビロンは“氷の熱いベッド”として知られるバベルがある恐ろしい幽閉の地に思えた。

今日、バビロンの名残はイラクで見受けられる。しかし、20世紀初め、以前の大都市の名残と呼べるのは基礎の石と瓦礫だけだった。建物は築20年の最近造られたものばかりだ。
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しかし、これらのイメージ遺跡(?オイディプース Oedipus)は1百万の住民が暮らしていた古代都市の、ある種の壮麗と栄光の概念を思い起こさせてくれる。タイルで飾られたバビロンの重厚な城壁は古代の7不思議の一つに数えられていた。世界の二番目の不思議として称賛されるべきものもあったと言われている。ネビュカネザの愛人セミラミス王女の空中庭園だ。セミラミスが歴史的に実在していたのか、どんな女性だったのか、は都市を巡る御伽噺(おとぎばなし)のような伝説の中に隠れてしまっている。
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ネビュカネザの死後1百年程してバビロンを訪れたと考えられているギリシャの歴史家ヘロドトスは首都に魅了された多くの人の一人だ。彼は、バベルの塔の目的については想像しかしていないが、その伝説的な大きさに感激している。
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想像力を極限まで膨張し“通りの幅は16mで城壁は25mの厚みがあり、都市は96Kmに渡り広がっている”と記録に残した。
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このおかげでユーフラテスの河岸にある大都市は、前世紀(20世紀)の初めドイツ人考古学者ロバート・コーディユイが事実かどうかを調査するまで、ずっと魅惑的な伝説の町となっていた。
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コーディユイが到着した時、古代都市バビロンがあったと言われる場所は、吹きすさぶ風で砂漠の砂が積み上げられた瓦礫の丘が見渡す限り広がっていた。しかし、コーディユイはその下に伝説のバベルが埋まっているはずだと確信していた。
発掘を始めて直ぐ、広大な都市の城壁の残骸が現れ、確信は新たになった。“首都バビロンだけが、このような強力な防御施設を持っていたはずだ。”
コーディユイはヘロドトスが記録の中で称賛していた城壁の残骸を見つけたのだ。
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バビロニア人は当時の驚くべき技術成果とも言える、瀝青(れきせいbitumen)を使った、湿度に強いタイルを城壁に採用していた!
コーディユイは伝説の都市の全てを掘り出したいとの願望に憑りつかれ、以降18年間、第一次世界大戦の際中も、ほとんど休むことなく作業した。
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今日でも彼の後任者たちはシャベルや鋤(すき)を使って発掘を続けている。
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コーディユイが発掘していた場所から50Km離れたシッパーSipparで、発掘チームは考古学的なセンセーションを巻き起こす新たな発見をした。ネビュカネザの時代からの図書館だ!ここで、考古学者たちが探しているものは芸術作品とか貴金属品ではない。もっと価値のある宝物、つまり文字が刻まれたタブレット(石板)だ。
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使われている楔形文字は数千年前のもので、ネビュカネザの時代、バビロニア人が考え、信じていたことが記録されて残されている。
考古学者達は3百以上もの粘土板、権利や習慣、神話や政治など価値のある記録、を掘り出すことが出来た。
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“シッパー図書館”を見つけ出したことは、文字通り、知識の宝の発見だ。しかし、そのためには、まずは“知識”を解読しなければならない。

文字記録を解読する作業は時間との闘いだ。バクダッド博物館のソンマーフェルト教授のような楔形文字の専門家が10年以上も古代のタブレットを自分の目で確かめながら調べている。
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粘土のタブレットは羊皮紙よりも経時変化を受けて傷つきやすく、地中から彫り出された瞬間から温度や湿度によってしばしば短時間の中に割れて粉々になりがちだ。そうなるとバビロンにおける生活の様子を記した宝物は塵(ちり)となってしまう。
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記録にはバビロン帝国の生活の詳細が記されていた。
発見された物の中に、2千5百年前、恐怖や驚愕で慌てふためいた人々の記録があった。月食the eclipse of the Moonだ。粘土のタブレットは月が消え、町中の祈祷師が松明に火を灯(とも)した日について述べられていた。
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“人々は急いで家から外の通りに出て、着ていた服で自分を覆って視界を遮(さえぎ)り、人々の祈りや聖歌が町全体に満ち渡った。王の兵士たちは黒い泥に手をいれ、手に付けた泥を顔全体に塗りたくった。”
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この方法だけが、バビロニア人がシンと呼んだ神である月を再び人々の前に現す方法だと信じられていたのだ。

今も、小さなイラクの博物館でウォルター・ソンマーフェルトと同僚たちは集められた粘土板の研究をしている。風化した表面に記録された過去は、考古学的調査を進める者にとって驚くべき発見に満ちた宝物だ。
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ソンマーフェルト「粘土板は古代バビロンの失われた文明に光を当ててくれる。シュメリア人、バビロニア人、アッシリア人は紛れもなく優れた記録者たちで、手紙や日常の出来事、当時使われていた科学的な知識の全て、文学、神話など、可能なもの全てを記録に残していた。今日、我々が知る全ては粘土板から得られたものだ。これまで数百万の粘土板を入手している。我々はイラク中で1億以上のタブレットが今も地中に埋められていると見込んでいるが、解読が済んだものは発見したものの25%でしかない。」

そんなにも沢山の多くの情報を持った粘土板があるとしたら、考古学者達がネビュカネザの遺産を最新技術の助けを借りて保存することに熱心なのは驚くことは無い。
古代オリエントの知識はホログラフィック・フォトグラフィと呼ばれる技術でガラス板に永遠に保存されている。ミンスター大学の物理学研究所で開発された技術で、レーザー光線が粘土板の記録の表面を走査し、鏡システムで文字のイメージを乾板上に移し替えてから、特殊な現像工程で情報を乾板に焼き付ける。
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すると、粘土板は3次元映像として映像乾板上に再現されるので、専門家は楔形文字の細部の特徴も調べることが出来る。
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解読には欠かせない要素だ。ホログラムの映像解分解度は極めて高いので、楔形文字の中で特殊な文字が使われていても、オリジナルを傷つけることなく顕微鏡を使って解析することが可能だ。その上、ホログラム情報はインターネット上に掲載できるので、解析チームは世界中で、同時に作業することもできる。
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古代バビロンの知恵は今日ではコンピュータ画面の上に提供されている。それらの中にはバビロンの日常生活が宗教的な信仰に強い影響を受けていたことを示す古代の生贄儀式の説明がある。
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更に、聖書に記されている、バベルの人々が示した無信仰への報酬の物語が、敵対的なプロパガンダ以外の何物でもないことを裏付ける記録もあった。生贄の儀式では、全ての手順は詳細に定められていた、祈祷師が手を洗うために使う油、生贄となる動物の爪や歯のどこを調べるべきかも。
身分の高い祈祷師は、月が昇る時、赤い羊毛と色がついた石で造られたネックレスを身に付けていなければならなかった。
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その時だけ、生贄の動物の体を割いて肝臓を取り出すことが出来た。肝臓の状態は、帝国や王の未来の良し悪しを表わす神の啓示だと信じられていた。

たった150年前まで、ドイツ人考古学者ロバート・コーディユイは“バビロンの古代文化は吹き渡る風に乗って飛び交う砂に隠されて埋まっている”と書いていた。今でも、専門家は数千の記録がバビロンの土の下に隠されていると考えている。
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コーディユイは書いている「廃墟は私に聖書の中の預言者が述べた呪いを思い起こさせる。“バビロンにこれ以上居残ってはいけない。誰も再び住んではならない。”」
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聖書の呪いは本当に現れるのだろうか?そしてコーディユイは1百年後、バビロンのミステリーに光を当てる新しい方法が生まれることを想像できたのだろうか、ロケットを含めて!
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ロシアのソユーズは調査衛星を大気圏外に打ち上げた。冷戦時代、この技術は宇宙から写真を撮り敵の国土を密かに探るために使われた。宇宙船は150の衛星画像を地上に持ち帰った。その一つに北緯32度、東経44度の場所がある。イラクの領土内のある場所だ。
モスクワの“レニングラード・プロスペクト47”と呼ばれる一画。
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かつてソビエト軍事情報局の司令部があった。東西冷戦の終結に伴い、敵国をスパイ調査するために使われていた衛星写真が研究目的で解放された。
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専門家はこれらの鳥瞰図から価値のある情報を得ることが出来る。破壊され、長年地下深く埋められたままの構造物の外観が、植物分布や色の変化として衛星写真の中に現れることがある。
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地上から270Km離れた衛星カメラが見つけ出した小さなものが考古学者の目によって新たな情報に生まれ変わった。古代都市バビロンだ。コンピュータを使ってイメージを拡大すると長い間、見失われていた都市の全体が見え始めてきた。

上の左には最近つくられたサダムフセインのパレスがある。その右はコーディユイが発掘した地域だ。
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遺跡のイメージはこれまで考古学者達が調査した狭い地域だけを示している。
しかし、実際には、ネビュカネザの都市はこの衛星写真が示すイメージよりもずっと広かったのだ。今日、再生されたイメージの面積のおよそ60倍はある!
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そして空中からは一つの形が明確に見える。伝説となるべき建物、バベルの塔、の跡だ。
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今見えるのは池だけだ。
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映像を見る限り建物の基礎は正方形だ。つまり中世の画家たちの“創造”は彼らの“想像”でしかなかったのだ。
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バベルの塔は円形ではなく、基礎の上に建てられた正方形の構造物だった。高さは恐らく1百m以下だろう。
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偉大な構造だったというバベルの塔は、これまでずっと人々の想像を掻(か)き立てて来た。都市バビロン以上に知られることになった塔は、崩れ落ち、その後際限なく繰り返された誇張の象徴になっていたのだ。

歴史記録家の祖ヘロドトスは、ネビュカネザの息子が帝国を引き継いでから始まった都市崩壊で、半分だけ残されたバベルの塔を見たのかも知れない。王室の面々が行列を組み、見事な塔の頂きの青い寺院を目指して登り始めている様子をヘロドトスは頭の中の目で描き出していたのだろう。
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寺院は都市バビロンの守護神マドックに捧げられたものだった。ヘロドトスはマドック寺院に登ることは天国や星々の世界に登ることを意味し、何層もの構造で出来た寺院の最も高い場所にマドックが棲んでいると記録している。

ヘロドトスは彼の想像を更に広げて、次のように描いている。
“そこでは、黄金のベッドに神の配偶者でバビロニア人の処女が横たわっていて、時々、夫で、バビロンの偉大な神で、全てを知っていて全てを見ている神マドックも現れる。”
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ヘロドトスが記録に残した幻想的な説明は、当時のバビロンで繰り返し語られ、今は廃墟に沈んでいる話から生まれた想像と現実が混じり合ったものだった。
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今日、バベルの塔の寺院はほとんど残っていない。それらは全て瓦礫になっている。しかし、バビロンの町からも見えるボーセパーには、別の巨大な塔遺跡が天に向かって聳えている。
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専門家たちはこれらの塔は、当時、大寺院であるだけではなく、バビロニア人天文学者が星の動きを研究するための絶好ポイントだったと考えている。しかし、ネビュカネザと彼の天文学者たちは宇宙を眺めながら単に自然科学を研究していた訳ではない。彼らは天球を神々と見なし、永遠の力に支配された宇宙における星々の運動が、地上の現実世界におけるあらゆる面を反映していると信じていたのだ。天体は神であり、星、太陽、月、そして当時知られていた5つの惑星、の挙動が地上における生活の未来を見せてくれると信じていた。
ミュンヘンのドイツ博物館のプラネタリウムでは、プログラムで動作する投影システムを使い、2千5百年前のバビロンにおける夜の状態を見ることが出来る。
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プラネタリウムの人工の天球には、数千の星がネビュカネザに見えたように現れる。バビロニア人は星の運行に地上の天変地異の兆候が表れると信じ、何百年もの間、毎晩、星のグループ、特に天国への門に立っている双子のジェミニ(Gemini双子座)の動きを観察していた。
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アクエリアス(Aquarius水瓶座)は地上における水の流れの全てを司ると考えられていた。半分人間で半分馬のサジタリアス(Sagittarius射手座)は戦や苦境時における力強い味方で、神話の牡牛タウルス(Taurus牡牛座)は全ての町を破壊することができるとして特に恐れられていた。

バビロニア人は今日の占星術astrologyを発明した人々だ。彼らは天空を、黄道Zodiacの12星座(十二宮)に分け、星の動きを記録した。
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磨き上げたこのような水晶のレンズを提案し、望遠鏡の基になる技術も獲得していた。
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数学に対しても高度な知識を持っていた。幾何学的な文様が刻まれた石板はピタゴラスの理論(mh三平方の定理)が既に知られていたことを証明している。
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この理論はバビロンで有名な建築の一つで、女神イシュタールに捧げられた青い“市門City Gate”に影響を与えていた。

ベルリンへの電報の中で、コーディユイはタイル煉瓦の独特の美しさを称賛している。“青い釉薬の煉瓦”は梱包され、ベルリンに輸送され・・・
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洗浄され分類された。
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この煉瓦を使ったイシュタール門の再現はベルリンの博物館島で始まった。初めて造られてから2千5百年後、5千Kmの旅をしてネビュカネザの偉大な市門は再現したのだ。
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門には多くの動物がバビロニア独特の姿で描かれていた。
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神の召使いとしてバビロニア人に崇拝されていた動物のイメージは“行列通りProcessional street”の壁を飾り上げ、訪れる全ての人々を町の中心まで導いていた。
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汚れのない青いタイルが、灼熱の砂漠から奇蹟の町に入ってきた人々に与えた印象は、どれほど大きかったことだろう。
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煉瓦には青い釉薬がかけられていたが、この特殊技術は2千5百年前、どのように行われていたのだろう。

化学者ステファン・フィッツは、セラミック専門家アンドレア・フリッチャーと共同で、バビロンのタイルの欠片をスペクトル分析計にかけ、その謎を解いた。
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手始めの工程がとても重要だった。砂と野菜灰vegetable ashから採取したソーダを適切な比率で混ぜたものを加熱してガラス状にし、釉薬のベースとして使う。
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今日ならコンピュータで管理された窯kilnを使って必要な温度950℃を確保できるが、当時のバビロニア人はどんな方法で温度を管理していたのかは解明できていない。

冷えてガラス状になった釉薬は、次の工程のためにグラインダー粉砕され粉末になる。そこに微量のコバルトと酸化銅が加えられ、これらの化学物質の組合せ比率に応じた固有の、輝くような青を生み出す。しかし、古代バビロニア人はどんな手法で微量の鉱物を計量したのだろう。今日、適切な調合のためには、科学者たちはミリグラム単位の精度の調薬用天秤ばかりを使う必要があるのだ。粉末に蒸留水を加えてよく混ぜ、クリーム状の液体にすると釉薬は完成する。
フィッツ博士「バビロニア人が成し遂げたこと、つまり建物や城壁を造り、これらを飾り上げたということは、驚くべき技術成果だ。釉薬も使っている。バビロンには釉薬の原料が十分は無く、別の地域から持ち込んで作ったんだから驚きはなおさらだ。」
釉薬を煉瓦にかけ、今回は1千℃以上で12時間、焼いて固めれば青いタイル煉瓦の完成だ。
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バビロニア人は間違いなく釉薬煉瓦の匠だった。イシュタール門だけで2万個以上もの釉薬煉瓦が使われていた。門は天空の青を映し出し、輝いていただろう。
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門を抜けている道は神々の道、つまり“行列通りprocessional way”で、煉瓦に刻印されていた説明文から、新年の祭りが行われていた通りだと判明している。
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ネビュカネザは“神マドックとナーブのために、私は通りの飾りをアスファルトと焼き煉瓦で固めて仕上げ、その上には輝く塵を振りかけて配した。神よ、この通りを歩きながら楽しんでほしい。”との祝詞(のりと)を数千のタイルの上に刻印していた。
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バベルの塔、イシュタール門、行列通り、は全てバビロン人が信仰する神々に捧げた、まさに儀式的なものだったのだ。

古代の粘土板には大寺院における地鎮祭の様子が詳細に記されている。油、ミルク、ビール、棗椰子(なつめやし)など、人々が生きるための食糧は、王や祈祷師が神の土地に建物を造るための捧げものとして使われ、その土地に信仰の恩恵を植え付けていた。神への重要な捧げものとして、クリーム、蜂蜜、ビールが基礎の石に注がれた。この、神聖な石の上に、粘土を焼いて造られた神の使者の像が据えられた。像は全て、手に神の力の象徴の“金属の棒”を持っていた。
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神を喜ばせるために口を香料のジュニパーjuniperで拭いた生贄の羊が捧げられた。土壌から生まれた神聖な穀物としての精製された白い小麦粉を使者の像の上から振りかけたら、像を基礎石と共に地中にうめ、その上に建てられる建物が成長と繁栄で満たされることを祈念した。

建物が崩壊して長い時間が過ぎ去った今日でも像は地中で生きて見つかっている。
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更にギリシャ人歴史家ヘロドトスはある儀式についても書いていたが、その意義を理解することに間違いなく失敗している。彼が訪れる遥か昔にバビロンの魔術文化は崩壊していたのでやむを得ないことかも知れない。彼がバビロンに着いた時に残されていたのは都市の城壁など、昔なら称賛に値する建物だったはずの跡だけだ。
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ヘロドトスはバビロン人たちの呪縛にかかっていたのだ。それは彼が書き残した都市のサイズが過剰に誇張されていることからも判る。

科学者たちは新しい手法を使ってその根拠を確かめようとしている。この研究室では世界の第7番目の不思議の“バビロンの城壁”が200分の1のスケールで再現されている。レーザーカッターを使い、一度に何千もの小さな穴を明けて、当時ならタイルで造られていた壁の形を切り出している。
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過去に、このような近代手法でバビロンの町が再現されたことはない。
この新たな仕事は単に飾りとしてのモデルを造るためのものではない。実験考古学を適用するためのものだ。作業を進めると、ヘロドトスが記録したデータが正しくない事が直ちに判明してきた。ヘロドトスのデータに従って、例えば矢を射るための銃眼付き城壁のモデルを組んでみると、寸法が一致せずに不都合が起きた。
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都市の城壁はヘロドトスが記載した97Kmも広がっていなかった。19Kmだったのだ。更には、都市の主な煉瓦造りの建物はほとんどが1,2階構造でしかなかった。このモデルを使った実験では建物はほとんどが直角の角を持った形で造られている。バビロンは巨大な城壁都市として造られた。
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高さ12mの二重構造の城壁が都市中心部を取り囲んでいた。
プロメァー教授とモデル製作者は、当時使うことが出来た軍事技術に対してなら、城壁は無敵だったと確信している。町で暮らしていた多くのバビロニア人は、家の堅固さや、町の防衛力について全く疑いを持っていなかっただろう。
カメラは住民たちが毎日暮らしている町に対して抱いていただろう感情を見せてくれる。
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2千5百年前、このイメージに対抗できる町は何処にもなかった。
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ローマは小さな泥の小屋が集まる村でしかなかった。コンスタンティノープルは全く現れていなかった。初めてニューヨークに家が建てられた時より2千年も昔だった。ネビュカネザは“私が成したことは、私の前のどんな王も成し得なかったことだ”と高らかに宣言している。
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マーブラー(?)大学のサマーフェルト教授は、バビロンに暮らしていた人々がどのように彼らの神を讃える祭りを祝っていたかを推定している。
サマーフェルト「祭りは極めて印象の強い神を中心に行われた。祭りに現れた神の姿は極めて大きく、お祭り用の彩色が施されて明るく輝いていた。王は身分の高い祈祷師とともに祭りに参加した。人々は火が灯った松明(たいまつ)を持ち、歌を歌った。バビロンの祭りに参加することは出来ないが、インドで行われている祭りから当時の雰囲気を感じ取ることが出来る。」
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バビロンの偉大な“行進通りprocession way”は恐らく、これに似ている。東インドの人々の宗教的な祭りとネビュカネザの新年の祭りとの間には、かなり多くの類似性がある。古代の宗教的伝統は恐らくバビロンから直接、または他の地域を介してインドに伝わったのだ。インドで行われている祝賀行事と古代のバビロンの粘土板に記載されている内容を比較すると、驚かされる。古代バビロンの新年祭でも行われていたように、インドの祭りでは、お祭り用の装飾が施された古代の神の像が神聖な台車に据えられ、寺院の外で引き回される。
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王はネビュカネザの生まれ変わりのようだ。ネビュカネザの時代、王は神が定めたと言う規則に従って行事を行っていた。ネビュカネザがかつてしていたように、インドの王も台車をきれいに掃き清める仕草をしなければならない。この宗教的儀式は王の正統性と、王、神、そして人々との連帯を確認すためのものだ。町の全ての住民は儀式の中で陶酔していた。最後には、神の像の台車に繋がれたロープをみんなが掴んで、町の通りを引き回す。
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宗教は抽象的な概念ではなく、毎日の生活の中で生き、現れているものだったのだ。祭りの喧騒(けんそう)は2千5百年前のバビロンで行われていた古代の儀式を近代に置き換えたものだと考えていいだろう。
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ドイツ人考古学者コーディユイは1900年代の初頭、古代都市バビロンの一部を発掘し、以降、18年間、発掘を続けた。しかし彼は瓦礫と、煉瓦から推定できること以上のものを理解することは出来なかった。オリエントの古代世界は彼にとってミステリーのままだった。しかし彼の想像は、時には僅かながれきから巨大な宮殿を創り上げ、ある時、ベルリンへの電報で“私はセミラミス女王の空中庭園を発見した”と書いている。実際のところ、彼はネビュカネザの南砦の城壁遺跡以上のものは見つけてはいない。しかし彼の熱意は“この重厚な城壁なら3千年前のシリアの石のレリーフに描かれている空中庭園のような巨大な超建築を支持していたに違いない”と信じさせた。
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伝説のセミラミス王女のテラス状庭園は存在していたのか?それとも後年になって創造された御伽噺でしかないのか?

モデルの助けを借りて、考古学者であるマイクロ・プローマ教授は存在していたかもしれないことに気付いた。
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プローマ「正確な寸法比較と、注意深く組み上げられたモデルから検討していくと、空中庭園は実在していた可能性がある構造物だと判る。我々には、信じられない程の大量の材料が崩壊しないよう組み上げられ、かつ耐水性を持っていたという事実を直接的に確認することは出来ないが、彼らは鉛の板やタイルを池の底に敷き詰めたりし、出来ること全てをやっている。」
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「勿論それでどのくらい耐水性を持たせられたのかは判らない。しかし、信じられないような発想で、それまでに例がない無い手法だ。下まで流れて来た水は、また上まで吸い上げられている。つまり庭園の全域で、水は永遠に循環しているのだ。」

セミラミスの空中庭園は伝説ではなく現実性を持っていることが明確になった。イラクでは今も大きな水車が使われている。
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これを使えばユーフラテスの水を灌漑用に使う事が出来ただろう。このような公園施設はバビロンの栄光だったに違いない。強い特権の特徴だったであろう空中庭園は、オリエントの灼熱の砂漠の中では高さ1百mで聳えるバベルの塔よりも人々の称賛を浴びたかも知れない。しかしネビュカネザが愛していたというセミラミス王女の姿は歴史の事実の中には現れていない。彼女は伝説でしかない。
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古代オリエントで、セミラミス王女と空中庭園は一体化し、美しい都市のロマンチックな象徴を形作ることになったのだ。

神々の門を備えた古代バビロンは世界でも良く知られる夢の都市だった。しかし驚くほどの速さで崩壊した夢だった。きわめて強力な城壁が敵からバビロンを守ることがなかったというのは恐らく最も大きな悲劇ではないのだろうか。国は内部から浸食されて崩壊してしまったのだ。
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ネビュカネザの後継者ネボニダスが祈祷師たちによって退位させられると、バビロンは直ぐに歴史年代記の中の脚注でしかなくなったのだ。
結局、“都市バビロンは腐り、破壊され、その後はずっと、二度と人が棲めなくなった。人だけでなく家畜さえ”という聖書の中の恐ろしい予言は正しいように思われる。

以上が「Nebuchadnezzar IIネビュカネザ二世」の内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=Y_9lZnzK-14

ネットで“聖書”及び“バビロン”で検索すると“エホバの証人”のホームページが見つかりました。
そこに次の記事があります。
「信頼できる預言」
北京<ペキン>,モスクワ,ワシントンといった大国の首都が人の住まない廃墟になると聞いたら,どう思いますか。まさかそんなことはない,と思うでしょう。しかし,古代バビロンはそうなったのです。西暦前732年ごろ,つまり200年ほど前に,エホバ神はヘブライ人の預言者イザヤに霊感を与えて,強大なバビロンの終焉に関する次のような預言を書き記させました。「もろもろの王国の飾り……であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない」。―イザヤ 13:19,20。

神はなぜバビロンの滅びを予告なさったのでしょうか。西暦前607年,バビロニア軍はエルサレムを滅ぼし,生き残った者たちをバビロンに連れて行って,ひどい仕打ちを加えました。(詩編 137:8,9)神の予告によると,神の民は自らの邪悪な行ないのゆえに,70年間このつらい仕打ちに耐えなければなりません。その後,神は彼らを救出して,故国に帰還させてくださることになっていました。―エレミヤ 25:11; 29:10。

この預言の言葉のとおり,西暦前539年,ユダの70年間の流刑がまさに終わろうとしていた時,無敵と思われた都市バビロンはメディア‐ペルシャ軍に征服さ れました。やがて,バビロンは廃墟の山となりました。預言されていたとおりです。そのような劇的な変化を予告することは人間には不可能です。疑問の余地のないことですが,聖書の著者である真の神エホバは,出来事を事前に予告するという点で他のいかなる神とも異なっています。―イザヤ 46:9,10。

“名前まで予告されていた”
バビロンの陥落についての預言の中で際立っているのは,征服者となるペルシャのキュロス王に関するものです。キュロスが権力を握るより2世紀近く前に,エホバ神はその名に言及し,彼がバビロンを征服することを予告しておられました。

キュロスによる征服について,イザヤは霊感のもとにこう書きました。「エホバは,その油そそがれた者キュロスにこのように言われた。わたしはその右手を取った。それは,彼の前に諸国の民を従えるため,……彼の前に二枚扉を開いて,門が閉じられないようにするためである」。神はさらに,ユーフラテス川が干上がるということも予告なさいました。―イザヤ 45:1‐3。エレミヤ 50:38。

ギリシャの歴史家ヘロドトスとクセノフォンは,この驚くべき預言が成就したことを認めています。彼らの記述によると,キュロスはユーフラテス川の流れを変えて水位を下げました。その結果,キュロスの軍は,開け放たれていた門を通ってバビロンに入ることができました。予告どおり,強大なバビロンは「突然」,一夜のうちに倒れたのです。―エレミヤ 51:8。

エホバの証人と言えば・・・我が団地の部屋にも2,3ヶ月に1度、“エホバの証人”の上品な女性2人連れが訪れ、是非読んでほしいと言って、キリスト教関係の小雑誌を置いていきます。読むことがないのですが、本箱に一冊残っていて、見てみたら「マタイによる福音書」でした。パラパラめくると、ありました!三賢人が誕生したイエスを祝福するために訪れる場面です!本件は「東方の三賢人の不思議」(7月25日)にご紹介しましたが、内容は完全に一致していました、当然ではありますが。

で~バビロンを滅ぼしたペルシャ王キュロスというのは“キュロス大王Cyrus the Great”で、英語の発音はサイラスとなります。彼がバビロンを滅ぼすことになるのは、彼が生まれる1百年も前に聖書の中で予言されていた、っていうんですねぇ。信じられません。しかし、大王キュロス(二世)が生まれたのは紀元前6百年頃で、Wikiによれば彼は“紀元前539年にオピスの戦いでナボニドゥス率いる新バビロニア王国を倒した。バビロンに入城して「諸王の王」と号し、バビロン捕囚にあったユダヤ人をはじめ、バビロニアにより強制移住させられた諸民族を解放した。キュロスは、被征服諸民族に対して寛大であったので、後世に理想的な帝王として仰がれ、ユダヤ人を解放して帰国させたことから旧約聖書ではメシア(救世主)と呼ばれている(イザヤ書45章1節)”とありますから、サイラスによるバビロン征服の後、バビロンに幽閉されていたユダヤ人がヘブライ聖書にサイラス(キュロス)を救世主として追記した可能性は十分あるわけで、2百年も前に名前まで指名して予言していたっていうのは、いかがなものでしょうか。“信ずれば救われん”(聖書の“求めよ、さらば与えられん”の日本的な誤訳のようです)とも言いますから、信じていない者がどうこう言う筋合いはないのでしょうが・・・やっぱり、いかがなものかと。

さて、次回は、バビロンを滅ぼしたサイラスCyrusに関する不思議をご紹介したいと思います。
(完)
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