Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

サイラス大王Cyrus the Greatの不思議


a4201.png
サイラスCyrus二世、ペルシャ語クラシュKuruš、日本語キュロス二世、はアケメネス朝ペルシアの初代国王です。在位は紀元前559年頃 - 紀元前529年で、紀元前539年にオピスの戦いでナボニドゥス率いる新バビロニア王国を倒してバビロンに入城。捕囚されていた、ユダヤ人をはじめとする諸民族を解放しました。征服した土地の住民には寛大で、後世に理想的な帝王と仰がれ、ユダヤ人が祖国の地エルサレムに戻ることを許したことから旧約聖書で“メシア(救世主)”と呼ばれています。
a4202.png
イランのペルセポリスから40Km北東のパサルガダエにはサイラスの廟墓があります。
a4203.png
世界の七不思議のひとつ「ハリカルナッソスのマウソロス廟」のモデルにもなりました。サイラス大王が後世の統治者たちにも尊敬されていた証でしょう。

それではYoutube「ANCIENT CIVILIZATIONS Ancient Persia and Arabian Peninsula」のペルシャ部分をご紹介しましょう。
・・・・・・
紀元前4世紀、ペルシャ帝国の驚くべき都市。
a4204.png
ギリシャ三大悲劇詩人の一人アイスキュロスAeschylusは「ペルシャ人」という物語を書いた。彼が描いたペルシャ人は傲慢で、しかし謙虚な人々だ。
a4205.png
強く、攻撃的だが、マラソンMarathon(紀元前490年)、プラタイアPlataea(紀元前479年)、サラミスSalamis(紀元前480年)、の記念すべき戦いでは打ち負かされている。

ペルシャ人とはそんなにも呪われた、捉えどころのない人々だったのだろうか?それとも彼らの敵によって書かれた歴史が真実を隠しているのか?
a4206.png
19世紀、今のイラン、古代のペルシャにおける2万5千ほどの考古学的場所から、ギリシャ人が遺した記録とは相反するように思われる記述や記念碑が発掘され始めた。古代ペルシャの都市の石や壁に残され、何年もの間、解読することが出来なかった記録が、少しずつ、秘密を語り始めている。それではこれから2千5百年前の、果てしなく広がるペルシャ帝国の秘密の窓を開け、ペルシャが世界の中心だったころの様子を見てみよう。
a4207.png
世界の遠く離れた場所からやって来る、様々な衣装を着けた人々の姿、異国情緒のある動物、貢物、象の角、土器、織物、ライオンの毛皮、が並ぶレリーフ。
a4208.png
ペルセポリスを発掘していた考古学者たちは、これらを見て頭を悩ますことになった。なぜ、遠く離れた場所に暮らす、こんなにも沢山の異なる民族の人々を一つの作品に描いているのか?
a4209.png
その答えは少しずつ明らかになってきた。
象牙とオカピを持っている人々はエチオピア人だ。ヒトコブラクダdromedaryはアラプの典型的な動物で、先がとがった帽子はシーア人だ。
a4210.png
アッシリア人は荷車を引いている。驢馬を引き連れているのはインド人だ。階段の壁に彫刻された、全部で23カ国もの人々は歴史の中で最初の偉大な帝国とも言えるペルシャ帝国の様子を現していたのだ。
a4211.png
人々の誰もがこの地ペルセポリスを首都と定めていたのだ。

広大なペルシャの領域はアフリカ大陸からインダス川まで広がっていた。肥沃なエジプトやスーダンの土地や、ヨーロッパのシーア人Shiitesやトラキア人Thraciansも。アラビアやティグリス・ユーフラテスの間の土地バビロンを占領し、東北方面には、今日のウズベキスタンまで広がり、南東はインド全域まで渡っていた。その中心にあったのが、全ての中の華(はな)、ペルシャだ。
a4212.png
数十年の間、これらの記録は考古学者の関心を引き付けたパズルだった。
a4213.png
楔形文字で書かれていることに加えて、記録は3つの異なる言語(エラム語、古代ペルシャ語、アッカド語(新バビロニア語))で書かれていたのだ。

イラン北西部のベヒストゥン山頂付近の人が近づくことも困難な場所にレリーフが残されていた。英国軍人サー・ヘンリー・ロリンソンは危険を顧みず、岩肌の文字を書き写した。
a4214.png
(mh:ダリオス1世が反乱軍の王ガウマタ(スメルディスを名乗った)に対して勝利したことを記念するレリーフ。命乞いをする9人の指導者の面前でガウマタを踏みつけている。最後尾のとんがり帽子はサカ王Skunkha。王の後方はボディーガードや戦士。)

それは、彼の仕事の中でも簡単な部分で、その後、文字の解読に10年もの年月を注ぎ込むことになったのだ。しかし、偉大な考古学者のおかげで、1835年、謎は解明し、全く新しい世界が学者達の前に開けて来た。ペルシャ人がペルシャの歴史を、自らの作品を通して語り始めたのだ。
(mhこの碑はエジプトのヒエログリフの解読で有名なロゼッタ・ストーンの役目を果たしたのです。)

ギリシャ人歴史家ヘロドトスは、“ペルシャ人は他国の習慣を、他のどんな人々よりも、あるがままに受け入れている”と書いている。恐らく一種の侮辱を暗示しようと書かれたこの記述は、実際には、ペルシャ人のもつ素晴らしい美点を表わしている。
a4215.png
ここはパサルガダエだ。羽根を持つ守護神ジーニーが、エジプトの頭巾を付け、典型的なアッシリア人の姿で描かれている。
a4216.png
このジーニーが見つかったのはアッシリアやエジプトではなく、ペルシャなのだ。このジーニー像や他の証拠は、一体化された世界の概念と、そして恐らく一体化に対する願望がペルシャから生まれ、帝国の多くの人々が異なる場所で異なる生き方をする喜びの基礎を築いたのがペルシャ人であることを示している。
a4217.png
パサルガダエは紀元前553年に造られ、帝国の最初の首都となった。
a4218.png
その後、スサSusaやペルセポリスPersepolisの方が王に好まれるようになって放棄されるが、決して衰退してしまうことはなかった。
a4219.png
このような石碑記録は当時からずっと残されてきた。
a4220.png
“私はサイラスCyrusだ。アケメネスAchaemeneの流れを汲むものだ。”
この言葉も、アッカド語(バビロニア語)、エラム語、ペルシャ語の3ヵ国語で書かれていて、見た人々に、サイラスとは最も偉大な世界の支配者の一人だろうとの思いを抱かせる。

これがサイラス大王の墓だ。何もない所から果てなく広がる帝国を数年で創り上げた男だ。
a4221.png
サイラスの時代、アジア経済は拡大していて、人々は安定を望んでいた。人々は異なる民族の間に起きていた混乱を終わらせたがっていた。一つにまとめ上げられた世界への願望が広く行き渡っていたのだ。今日、このような考えを、我々はエキュメニズムecumenismと呼ぶ。当時、この概念は統一された帝国を意味した。最初にその資格を持って現れた人物こそサイラス大王だったのだ。
a4222.png
ペルシャで神に貢物をしたいと思った人は、きっと落胆しただろう。というのは、寺院といったものがなかったのだ。パサルガダエのように、祭壇なるものものは大地の丘の上にポツンと置かれていただけだった。
a4223.png
生贄のために燃されたと思われる火の跡は、今も明確に残っている。他の証拠と共に、これらの発見は考古学者達がペルシャの宗教の性質を理解する手助けとなっている。

ペルシャ人にっとっては空、大地、そしてそれらの中にある全ての創造物は全て神だった。そして生贄は寺院のような閉じた建物の中で行われるものではなく、開けた空の下で行われるものだった。彼らは生贄を太陽、月、大地、火、に捧げた。これらは最高の神の化身で一神教の始まりの神と考えれているアフラ・マズダー (Ahura Mazdā)の一部だった。
a4224.png
しかし、ペルシャ人は帝国の人々にアフラ・マズダーを信じるよう強いることは無かった。崇拝は自由だった。誰もが祭壇の上の生贄を、自分が欲する神に捧げることが出来た。

これがスサだ。イランにおける最も重要な考古学的な場所の一つだ。
a4225.png
ここで発見された記録文は紀元前4千年に遡る。何年もの発掘調査で明らかになったのは、町の断片だけだ。
a4226.png
しかし、多くの建物の基礎や巨大な石柱や柱頭は、スサがペルセポリスと同じ華麗な宮殿都市だった証だ。
a4227.png
歴史記録によれば紀元前512年、ダリオス1世の統治下で、スサは発展してペルセポリスと共に、美しい首都となった。しかし、なぜ、2つの首都があったのだろう。
a4228.png
海抜1千5百mにあるペルセポリスは冬の大半、雪で覆われ、政府機能は不全だった。しかし、ペルシャのような大帝国を統治する以上、気候が悪くなったからといって政府機能を停止させるわけにはいかない。そこで、冬の間、正統な政府機能をスサに移していたのだ。
a4229.png
スサで、考古学者は、大きな絵の一部だと直ぐわかる、釉薬で焼いたタイルを見つけた。断片を並べると、タイルは物語を語り始めた。

手が込んだ上着、黄金の装飾、槍(やり)、弓、矢筒。こんなに豪華に装飾されたこれらの戦士は、一体誰だろう。
a4230.png
スサの発掘作業は1884年に始まった。最初はこれらの戦士は上流階級に属する兵士たちだと思われていた。フランス人のユニフォア(?)夫婦がヘロドトスの記録の内容と照らし合わせてみると、ペルシャ帝国の人間の姿をした守護神の一人の像だと判明した。伝説のインモータルだ。
a4231.png
帝国を守る守護神は1万人いた。一人が戦いで倒れたら、次の守護神が直ぐに引き継いだ。
a4232.png
それはあたかも、不変恒久のごとき(immutable)だった。そこでインモータルImmortalsという名前が生まれたのだ。
(mh:immortalはmortalの対義語で“不滅の”を意味する英語です。で、mortalは“死すべき運命の”、つまり、不滅ではない、生命の、人間、といった意味になります。)

神々が守る王は、統一国家、命令を課すことが出来る権力、を代表していた。帝国内のいくつかの地方では、彼は神だとさえ考えられていた。エジプトで彫られ、スサで発見された、この像の台に刻まれている文は、その証拠だ。
a4233.png
“ダリオス大王。あなたには力と平安が与えられていて、全ての平地と山岳はあなたが履いているサンダルの下に集められている。あなたには神ラーと同じ崇拝が、上エジプトと下エジプトから、いつの時代でも与えられている。”
a4234.png

世界で最も重要なものの一つ、ペルセポリスという華麗な考古学的遺跡は、2千年mの間、知られることは無かった。
a4235.png
ペルシャの首都を陥落したことを祝って酒に酔いしれたアレキサンダー大王の軍隊が建物を破壊した後は、何世紀もの間、時間と砂がペルセポリスを埋め尽くしていた。
a4236.png
発掘された場所の一つはかつて王宮が建てられていた所だ。しかし、その周辺では、召使たちの家や、技能工たちの作業場や、王宮の生活を支えるための全てが集まった都市が、発掘され、更なる秘密を解き明かす時が来るのを待っている。
a4237.png
この4.5Kgの黄金の銘板は帝国の憲章で、ペルセポリス建設の様々な段階について考古学者たちが理解を深める手助けをしている。
a4238.png
建物の跡をこの記録に照らし合わせて調べることで、新たに発掘した各々の場所をどの皇帝が造ったか明確にできた。
a4239.png
一番最初に造られ、ペルセポリスの核とも言えるものは、ダリウスが建てた王宮だ。
a4240.png
一部はギリシャに打ち負かされた彼の息子クセルクセスXerxesに引き継がれた。隣の建物は完全にクセルクセスが建てた。
残る部分はダリオス3世に到るまでの後継者たちによって造られた。
a4241.png
これらの発見は、特にギリシャ人エスキラスのペルシャ劇によって我々に伝えられた“アジアの土地に暮らす人々は、もはや彼の言葉に従わなくなった。どんな賛辞も捧げられなくなった。王の偉大さは過去のものになったのだ”という言い伝えを覆すものだ。
a4242.png
全てが事実と異なっていた。ペルセポリスは皇帝エスキラス以降も繁栄し輝いていたのだ。帝国の凋落や衰退はなかったのだ。考古学者は帝国の祝賀、拡大、偉大な瞬間、を表わすレリーフを解読している。そのことだけでも、帝国がどれだけ強力で堅固だったかを我々に教えてくれる。古代ギリシャ人が我々に残した野蛮なイメージとは正反対のものだ。
a4243.png
この古代記録は、異なる人々からなる使節団の行列の様子を描いたものだと考えている。
a4244.png
人々は自慢げな顔をして、ペルシャ人の儀式担当官に導かれ、王の中の王による式典に参列しようとしている。彼らが手にしている高価で象徴的な捧げものは、一般的に王の好みで捧げものを指定した歴史的に偉大な皇帝たちとは異なる物語を語っている。

しかし、最も大きな啓示は人々の行列の隣に彫られたこのレリーフから得られる。イメージは間違いなく、何かを象徴しているものだ。しかし、何を意味するのだろう。
a4245.png
ペルシャの暦の天文的なシンボルと比較すれば、しし座Constellation of Leoが牡牛座Taurusに交替しようとしていることを示している、と考古学者は確信している。このようにして春の最初の日に“ノーレス”として知られる祭りが祝われていたのだ。当日、人々は首都にやってきて、世界の中心地にテントを建て、帝国最大の祭りが始まることになる。行事は王宮の内外で執り行われる。王宮内に招待された人々には御馳走が振る舞われる。
a4246.png
ペルセポリスの王宮にはレセプション用の大ホールが2つある。一つはアパダナApadana、もう一つは“百の柱の間”と呼ばれていた。
王宮の建物に入ることを許されていたのは帝国内の各地から来た使節団と王宮で働く者たちだけだった。
a4247.png
使節団は偉大な階段を登り4m高い所に造られたアパダナに入っていく。
a4248.png
王宮の扉や柱は彫刻が施された石で飾り付けられ、同じような石の飾りは、ペルセポリスの他の場所でも豊富に配置されていた。壁はというと、テラコッタで装飾されていた。

アパルマは謁見の間として知られ、1万人を収容できた。
a4249.png
混乱を避けるため、儀式の間は共通のエラム語が使われた。フェニキアのアルファベットを使ったセム語を語源とする言葉だ。ペルシャ官僚の公用語で、エラム語を使うことで多くの民族を一つにまとめ上げようとしていたのがペルシャだった。
a4250.png
使節団の大行列が整列し終えていた頃、王は大広間に通じる塔門を通って進んでいった。
a4251.png
塔門の扉にある人々によって高々と支えられた王の像は、大広間で何が行われていたのかを連想させてくれる。

王は信頼できる側近たちと会い、帝国の組織変革と、新たな決定を行っていた。会議を開催して、新たな道、新たな海路、重さや寸法の軽量に関する新しいシステムの確立、金と銀の2つの金属を一体化した共通通貨の採用、などを決めていた。
a4252.png

a4253.png
塔門に到る南北の扉は王の住居に続いていて、召使いに付き添われた王が往来するレリーフが彫られている。
a4254.png
王とその直属の部下たちは階段の上の王の住居に入っていった。ダリオスの王宮の中では、行儀よくしていないと王を守っている犬に襲われることになる。
a4255.png
晩餐の様子はこの一連のレリーフに示されている。
a4256.png
ここで発見された皿は、贅沢な生活を裏付ける貴重な金属で造られている。
a4257.png
属州の長で軍隊の長でもある王は、彼の家族または最も信用できる人々に新たな役職を任命し、見事な贈り物を報奨として与えた。
a4258.png
報奨のひとつの例は黄金の剣だ。テヘラン博物館が所蔵している。
a4259.png
食後、王と側近は、各地からの使者が貢物を王に捧げる“百の柱の間”に向けて移動した。王を祝福すべく広場で待ち構えていた属州の代表者たちは大広間で儀式に臨んだ。
a4260.png
大広間では、誰もが王に近づけるわけではなかった。時には、王をちらっと見ただけで満足しなければならないこともあったはずだ。
a4261.png
“百の柱の間”に置かれた王座に着くと、足元には贈り物が並べられた。玉座はカーテンで囲まれ、外からは見えなかった。
a4262.png
10列で各列10本配置された100の柱は、高さ19mあった。王を見ることが出来ない不運な人も、ペルシャ帝国の広大さを思い起こさせる部屋の魅力を堪能したはずだ。
a4263.png
柱の上では神話上の動物が、王の町や人民を守るかのように見下ろしていた。
a4264.png
ペルセポリスから数Kmの場所で、考古学者たちは正方形の基礎をもつ高さ12m程の建物を見つけた。
a4265.png
何のためのものか、学者達の間で議論は続いているが、今もってミステリーのままだ。もともとの言われが判っていないだけではなく、ナシルースターという山の近くにあることが理由だ。
a4266.png
山の岩肌には飾りが彫刻されている。奇妙な十字架、人間の姿、文字。山の中に彫られた、入口が地上からかなり上にある4つの部屋。
a4267.png
幾つかの仮説があった。火の寺院だというもの、見張りの塔だというもの。最も魅力的だと思われる仮説は、そこがかつて図書館か、神聖な教本が保管されていた場所だだったというものだ。

岩壁の方は、よく見ると人の像がある。これなら考古学者には何のためのものか理解しやすい。
a4268.png
王の死を悼(いた)むペルシャ人の姿だ。ナシルースター山の十字架はダリアス1世および彼の直系の後継者たちの墳墓だったのだ。
a4269.png
ダリアス、偉大な征服者、インドからエジプトまで、ペルシャ帝国を拡大した男。
彼は、自らの姿や、政治的な発言が精神的な経典となり、山に彫り残される最初の王になった。ペルシャの本当の歴史が書き記されたのは、山の上で、本の中ではなかった。
a4270.png
“悪意を持って成されていたことを、私が善と化した。地方は混乱し、人は人と敵対していた。そこに私が平和をもたらした。私の法律は、強者が弱者を害することを止めた。私は長年、崩れたままの城壁を修復し、今から未来にかけて守りとなる新たな城壁を造った。アフラ・マズダは私を、私の王宮を、私の言葉を守護するであろう。”
a4271.png

以上がYoutube「ANCIENT CIVILIZATIONS Ancient Persia and Arabian Peninsula」の古代ペルシャ分の紹介です。
https://www.youtube.com/watch?v=QgcT1FqMRac

ところで、ブログのタイトル「サイラス大王Cyrus the Greatの不思議」としたのは、前回のブログ「ネビュカネザの不思議」と関係して、バビロンを打ち負かし、幽閉されていたユダヤ人捕虜を解放し、ユダヤ人が記したヘブライ聖書(旧約聖書)に救世主として名が記されたサイラス、という視点から、彼の偉業を調べることが目的でした。
しかし、このまま終わるのでは、サイラスに関する説明は不十分でしょう。そこで、Youtube「The Cyrus Cylinderキュロス(サイラス)シリンダー」(日本語:キュロスの円筒形碑文)をご紹介しておこうと思います。
a4272.png
バビロンで見つかりました。長さ22cm、直径10cmで、表面には楔形文字でアッカド語が記さています。大英博物館の所蔵品です。
・・・
このシリンダーに書かれた内容を見た瞬間こそ、恐らく、多様な文化をもつ国々を、統治者が、歴史上で初めて、どのように管理するかを考えていたのか、について我々が気付いた時と言えるだろう。
a4273.png
私の後ろに在るのは“サイラス・シリンダー”として知られているものだ。
焼かれた粘土で造られ、2千6約年前、バビロンの建物の基礎に埋められた。
a4274.png
表面に記されているのはバビロンを征服したペルシャ王サイラスへの賛辞だ。彼がしようとしていることを告げている。
a4275.png
紀元前539年、バビロンはボシャザによって統治されていた。ボシャザとネビュカネザは共にバビロンの王で、イスラエルからユダヤ人をバビロンに連行し、他の民族とともに幽閉した王だ。
a4276.png
ペルシャ王サイラスは、今、これらの人々を自由にしようとしている。人々が祖国に戻り、自らの宗教に従った生活を再開することを許している。異なった場所で、異なった人々が、異なった宗教を信仰するのだ。ペルシャは、異なる言語、異なる信仰を受け入れた、世界で初めての帝国だ。

このことから、サイラスは、異なる人々、異なる信仰からなる社会を創り、統治していこうという人々から参考にされる人物となった。それは特にアメリカ合衆国にとって重要だった。何故なら18世紀、異なる13植民地を集めた国家をどのように作るかを考えていた建国の父たちFounding Fathersは、サイラスを参考にしたのだ。
a4277.png
トーマス・ジェファーソンはサイラスを勉強し、孫にもサイラスを学ぶように伝え、合衆国の憲法は、ある意味でこのシリンダーに書かれた内容を直接受け継いだものだと言える。
a4278.png
シリンダーに書き記された内容は偉大な歴史の一部であることを感じてほしい。極めて寛容な帝国が中東で生まれていたのだ。ペルシャ帝国の思想は合衆国の思想と極めて近いと言える。
a4279.png
我々が創る作品が偉大な点の一つは、それが我々よりも長い年月の間、生き続けるということだ。つまり、作品は多くの異なる命をもつことができる。
a4280.png
その命の全てにおいて、異なる世代の全てにおいて、作品は異なる意義を獲得することができる。従って、その意義は、時の経過と共に豊かにもなれる。このような観点から見た時、最も突出した作品の一つが、サイラス・シリンダーだと言える。
a4281.png
凡そ2千5百年前のもので、粘土で造られた小さな樽のような形で、表面は楔形文字で覆われている。1879年、バビロンに派遣された大英博物館の調査団によって今のイラクで発見された。サイラス・シリンダーを理解するには、それが造られた世界を知ることから始めなければならない。イラン、当時のペルシャ、が全権を握っていた世界だ。

物語はキリストが生まれる550年前、ペルシャ帝国の創始者サイラス大王と共に始まった。
a4282.png
サイラスは、ペルシャとメディアMedia(現イラク北西部)を統一した後、現トルコのリディアLydiaの王クロエサスCroesusと戦い、これを打ち破ると直ぐに、西の強力なバビロン帝国を壊滅する。紀元前539年、首都バビロンを包囲すると、ほとんど抵抗もないまま、町は陥落した。サイラス率いるペルシャは古代世界の超大国になったのだ。

サイラスがバビロンを征服することは預言され、ユダヤ人の預言者ダニエルDanielによって旧約聖書の中に記載されていた。その当日、バビロニアのバルシャザールは宴(うたげ)を開き、エルサレムの寺院から持ってきた神聖な黄金の容器を使って祝っていた。すると突然、奇跡的にも、“お前は天秤で体重を測定され、渇望していることが確認された。お前の王国はメーデとペルシャ人に与えられるであろう。”という手書きの文字が壁に現れたのだ。
a4283.png
この出来事から、“壁に描かれた言葉”という言い回しや、レンブラントの偉大な絵画“バルシャザールの宴”が生まれた。

偉大なバビロン帝国は消滅した。サイラスはバビロンの人々に向けて、粘土のタブレットに書かれた宣言文を示し、バビロン侵略を正当化している。その一つの例はこのタブレットだ。
a4284.png
これと似た多くのタブレットが出回っていた。今に伝わるこれらのタブレットにはサイラス・シリンダー同様、特徴的な表現が記録されている。

サイラス・シリンダーは、そこに刻まれた記述内容をバビロニア人に伝えることを目的としていたことから、バビロニアの言語セム語で書かれている。ヘブライ語やアラビア語やアラメイク語とつながりがある言葉だ。サイラスの部下の官僚は典型的な楔形文字を使って記述していた。古代イラクで紀元前3千年頃に発明された文字だ。
a4285.png
スタイラスと呼ばれる箸(はし)のような棒を、乾燥した、しかしまだ少し軟らかい粘土に押し付けて記録する。文字は短い線の配列や組合せで構成され、言語が現す音を示している。一文字づつ記録され、読み手は粘土に表されたこれらの音を組合せて文章を読み取る。
シリンダーのある行には“私はクラシュKurash、シャー・キシャーティで世界の王、偉大な王、バビロンの王だ”と書かれている。
ではクラシュ(サイラスのペルシャ語)という言葉を楔形文字で書いてみよう。
a4286.png
(省略)
シリンダーの文章の前半ではサイラスの徳とバビロン進攻の大儀を褒め讃えている。第30から35行で、サイラスが近代的な自由主義の発想を持つ偉大な指導者だったことが判る。サイラスがバビロンを征服して行った最初の行動の一つは、捕えられていた人々の解放だった。このことは彼の統治に関する思想の現れだ。まさにこのことがシリンダーの表面にも記録されている。それはユダヤ人の歴史において重要な瞬間だった。バビロンの川辺で何年間も涙を流して暮し続けていた彼らが、今は解放され、エルサレムに戻って寺院を再建することを許されたのだ。バビロン幽閉から解放されてエルサレムに戻るということは、第二の寺院を再建してユダヤ教を形成することに対するサイラスの許可を意味する。以降、帰還という概念はユダヤ人の生活や神話の中心に置かれることになった。デイビッド・ベンゴリオンやそのほかの人々も書いている、“サイラスは、敵に対する慈善の精神、あらゆる宗教に対する独特な寛容、を示した。サイラスこそがザイオンZion(mhエルサレム/シオン)に初めて戻ることについて決定的な判断を与えた偉大な人物だ。”
a4287.png
サイラスの帝国は崩壊してしまったが、彼の思想は残った。サイラスは統治者の鏡だ。サイラスに対する見方の原型はギリシャ人歴史家ゼノフォーンXenophonから来ている。彼が書いた本“サイロペディアCyropaedia”は、サイラスをモデルとした帝国の運営方法に関するものだ。
a4288.png
ルネッサンス時、とても人気があった本で、アメリカ建国の父たちにも持て囃(はや)された。ジェファーソンは、ゼノフォーンの“サイラスの人生”を2冊、恐らく3冊、持っていて、常に参照していた。つまりサイラス・シリンダーとアメリカ合衆国独立の間には、極めて強い関係があると言える。
a4289.png
サイラス大王によって創られたペルシャ帝国は、後のダリアス大王の下で最盛期を迎え、アフリカのリビアからインダス川のパキスタンまで広がっていた。それは今も残る中東という概念の始まりでもあった。我々が今、近東Near Eastとか中東Middle Eastという言葉を使う時、それはまさにペルシャ帝国だった場所について語っているのだ。
a4290.png
私の後ろにあるレリーフはペルシャの首都ペルセポリスの王宮のレリーフのコピーだ。これには帝国の様々な人々が、様々な貢物を運んでいる様子が描かれている。
a4291.png
まさに帝国の多様性を示す完璧な象徴と言えよう。誰もが固有の貢物を持っている。他の帝国と異なり、ペルシャ帝国は、人々やその慣習を破壊して一つのものを押し付けることはしなかった。ペルシャ帝国は習慣や生活様式や言語や信仰の多様性を認め、これらの共存を認めた。それは目まいがする程の多様性をもつ帝国をどのように統治するかに関する偉大なモデルとなった。
a4292.png
とても広大な地域だったので、これを管轄するためには新たな試みや技術が導入されねばならなかった。古代ペルシャの楔形文字や、宝石や金銀の容器の加工技術や、アラメイク語、硬貨の普及などだ。
a4293.png
サイラスが併合した王クロエサスが統治するリディアLidiaは、当時、繁栄していた国だった。サイラスはリディアの金銀の硬貨を真似て“クロエサイドCroesides”という硬貨を造ることにした。表面に牡牛に襲い掛かるライオンが刻まれている。
a4294.png
この硬貨は紀元前522年のダリアス大王の時代まで使われた。ダリアスは全く新しい“黄金のダーリック”を導入している。ダリアスに因んで名付けられた硬貨だ。
a4295.png
それに“銀のシグロスSiglos”も。
a4295a.png
こちらは、ヘブライ語では“銀のシェケルShekel”(イスラエルの現在の通貨)となっている。ダリアスは自分を有能な射手、有能な騎手、有能な槍の使い手、と呼んでいた。従って、コインに刻印された射手の像は、ペルシャ人がコインにしたがったイメージだったのだ。

この腕輪は一対になっていたもののうちの片側だ。
a4295b.png
端部のグリフィンGriffin(mh鷲の頭と羽根、ライオンの体、をもつ神話の動物)は、恐らくゾロアスター教におけるベラグナVeragnaという鳥を表わしている。
a4295c.png
表面には沢山の小さな孔が彫られて貴石、ガラス、または有色タイルを埋め込んだ。アケメネス朝の特徴的な技法だ。当時、腕輪は特に貴重な外交的な贈り物で、4つの使節団が貢物として運ぶ様子がペルセポリスのアパダナのレリーフに記録されている。
a4295d.png
オクサスOxuxの宝物(オクサス川近くで見つかった宝)の中には、“黄金の額”とも言える魅惑的な奉納品がある。
a4295e.png
そこに描かれた像は、恐らくフェルトで造られた軟らかい帽子を被っている。顎(あご)にかかっている覆(おお)いは恐らく、口まで持ち上げて使う事もあるものだ。この人物が、火の前で宗教的な行為や儀式を行う時、彼は神聖な火を守り、汚してはならなかった。彼は奉納された木の棒“ボーサムbarsom”を持っている。

我々はアケメネスの人達がゾロアスター教徒だと考えている。古代の宗教で、預言者ツアラツストラZarathustra、ギリシャ語でゾロアスターZoraster、から名付けられた。多くの神々が敬われていた時代、預言者ツアラツストラが現れ、“アフラ・マズダAhura Mazdaが全ての創造主だ”と説いた。
a4295f.png
これはサイラスの後に現れ、帝国に安定した行政と資金的な基礎を確立したダリウス王の公式な“封印Seal”だ。
a4295g.png
王はライオン狩りをしている。
a4295h.png
(mh円筒状のSealシールを粘土板の上で回転させて文様を浮かび上がらせます。)

彼の上の方には、ゾロアスター教の神でアフラ・マズダだと考えられている、人間の頭を持ち羽根が付いた像が描かれている。添えられた説明文は“我はダリアス、偉大な王”と、古代ペルシャ語、エラム語、バビロニア語の3つの言葉で書かれている。これら3つの言語に、時にはエジプトのヒエログリフも加わった記念碑的な公用語は、帝国の文化の多様性を示すものだ。

我々がペルシャ帝国に関して知っている情報の発信地は全てギリシャだ。つまりペルシャの敵によって書かれた歴史と言える。20世紀のアメリカの物語を、ソビエトから得た情報だけで知るようなものだ。だから、このサイラス・シリンダーが重要なのだ。そこにはペルシャ人がペルシャ人として世界に向けて語りかけている言葉が記されている。サイラスからの直接的なメッセージなのだ。1879年、サイラス・シリンダーが発見された時、サイラスとシリンダーは、それまでとは全く異なる論争を巻き起こすことになった。政府についてではなく、記載されている内容の信頼性についての論争だ。19世紀の中頃は記述の真偽や権威が疑われていた時期だった。ダーウィンが進化論Evolutionを書き、地質学の発見はこの記述が信頼できるものかどうか、人々に疑いを抱かせていた時代だ。
a4296.png
シリンダーは、バビロンの神マドックがサイラスにのり移り、導いたと語っている。ヘブライ聖書は、軍事攻撃を指揮したサイラスを統治していたのはイスラエルの偉大なる神だと言っている。サイラス・シリンダーに書かれていた内容に従へば、ヘブライ聖書は年代記であり、事実とは別のもので、一つの軍事攻撃が、祈祷師たちの翻訳によって2つの異なる表記として現れた結果と言える。つまり、ヘブライの記述は、もっと広い中東全域における宗教的伝統の一部だと言えるだろう。(mh;何を言いたいのか不明ですが、ヘブライ聖書の記述は嘘だ、と極めて間接的に暗示しているようです。)

しかし、サイラス・シリンダーが現代の出来事に与える影響は始まったばかりと言えた。
1971年、ペルシャ王国設立2千5百年の記念式典があった。
a4296a.png
イランのシャーShah(王)は古代の首都ペルセポリスと、サイラスの墓廟があるパサルガダェで豪華な式典を開いた。
a4296b.png
記念式典におけるパフラヴィー2世(パーレビ国王)
a4296c.png
サイラス・シリンダーは式典で公式のシンボルとして使われた。シリンダーは再び新しい物語を産むことになったのだ。イランの歴史にシャーの称号を再現し、シャーを偉大な伝統の中心に引きずりだした。シャーを保証するサイラス・シリンダーだった。
シャーとシリンダーが表裏に刻印された硬貨が鋳造された。
a4296d.png
しかし、直ぐに、シャーは消滅することになる。革命的なイラン人達はシャーよりもイスラムの歴史を望んだのだ。
a4296f.png
イラン・イラク戦争以来、サイラス・シリンダーは全てのイラン人の連帯の象徴となった。2千5百年前にイラクと戦い、勝利したことを思い起こさせるために。シリンダーはペルシャがユダヤ人を解放し、彼らがエルサレムに帰ることを可能にした瞬間を輝かせる価値をも持っているのだ。

2010年、サイラス・シリンダーがテヘランで展示公開されると、およそ50万人の人が訪れた。イスラム教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒、誰もがだ。
a4296g.png
そしてそれは、とても限定的な議論に焦点を当てることになった。今日のイランとは何か?今の、未来のイランを形作る歴史とは何か?

熱が入った議論の中で、最も説得力や影響力があるものの一つは、議論に口を挟むことがなかったサイラス・シリンダーの“声”だと言えだろう。
a4296h.png
new beginning for the Middle East: The Cyrus Cylinder and Ancient Persia
https://www.youtube.com/watch?v=iokGgmrOj4Q&list=PL1Zr6sb7aD_HSu-vyHVxpfhwhLJbY37eL&index=10

Wiki:キュロス・シリンダー
キュロス・シリンダーは、1879年にホルムズド・ラッサム(英語版)がバビロンのマルドゥク神殿を発掘したときに発見した断片で、35行からなるアッカド語の刻文が記されていた。これに続く36行目から45行目までをイェール大学が所蔵していることが後に明らかになった。冒頭の3行は破損していてほとんど読めない。

刻文の内容は、まずバビロニア王(ナボニドゥス)がマルドゥク神に罪を得たことを述べ、怒ったマルドゥク神がアンシャン王であったキュロスに世界の王としての地位を与えたと記す。キュロスはマルドゥク神の命令によって諸国を征服し、バビロンに無血入城した(1-19行)。

ついでキュロスの一人称による記述になり、キュロスはテイスペスの子孫たる自分の家系を記す。キュロスはバビロニアの民衆に安寧をもたらすものであること、マルドゥク神がキュロスとその軍隊を祝福していると述べる。各地の王が貢ぎ物を持ってキュロスを訪れてひざまづいた。キュロスは信仰を奪われた各国に対してその神々の像を返し、ナボニドゥスがバビロンに連れ去った各地の住民を元の国に返した。キュロスは諸国の人々がキュロスとカンビュセスのために祈るように命じた。

最後に、自分が多くの生贄をささげ、またバビロンを囲む城壁を築いていることを述べている。バビロンの町の建設中にアッシュールバニパルの碑文を発見したことが記されている。

キュロス・シリンダーの文章は、それだけ読めばキュロス2世によるプロパガンダの文章であるが、旧約聖書の歴代誌下36章、エズラ記の1章および6章、イザヤ書44章に見える、キュロスがバビロン捕囚でバビロンに移住させられた人々を解放し、神殿の再建を許した記事を裏付けるものとして注目された。ただし、キュロス・シリンダー自身はとくにユダヤ人については何も記していない。

以上でYoutube、Wiki情報による「サイラス大王の不思議」の大団円にするつもりでしたが、サイラスの紹介はまだ少し不十分のようですので、「Wikiキュロス二世」で彼の一生を手短にまとめておきましょう。

誕生は紀元前600年頃。メディア王国(現イラン、アフガニスタン、トルクメニスタン)に従属する小王国アンシャン(ペルセポリス近辺)の王子だった。
紀元前559年、王となり、紀元前552年にメディア王アステュアゲスを打倒。
次に不死身の1万人(不死隊)と呼ばれた軍団を率いて小アジア(トルコ)西部のリディア王国に攻め込み、紀元前547年、リディア王クロイソスを打倒。ヘロドトスによればその時キュロスはクロイソスを火刑に処そうとしたが、クロイソスがアポロンに嘆願すると突如雨が降って火を消したため、キュロスはクロイソスの命を助けた。以降、クロイソスはキュロスに参謀的な役割で仕えた。
紀元前540年にスサを陥落し、エラム王国は滅亡した。
東方各地を転戦して征服し、紀元前539年にナボニドゥス率いる新バビロニア王国を倒した。
彼はさらに東方辺境に転戦し、東はヤクサルテス川(シルダリア)から西は小アジアに至る広大なペルシア王国を建設した。
ヘロドトスによると、キュロスは、トミュリス女王率いるマッサゲタイ人(カスピ海とアラル海の間の地域)との戦いで戦死したという説を伝えている。

で~サイラス廟があるパサルガダエには4枚の羽根を持つ、神格化されたサイラス像が残されているようです。
a4297.png
Youtubeでは、この像(?)を“守護神ジーニー”と紹介していますが、サイラス自身が守護神だったということかも知れません。
a4297a.png
(ペルセポリス)
(完)

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する