Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

チャチャポヤの不思議Pt-2

「チャチャポヤの不思議」(2015・06・01)ではクエラップ砦をご紹介しました。
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標高3千mの山頂に造られた、長さ6百m、幅1百mの遺跡です。
どこにあるかっていうと・・・南米ペルーのアンデス山中ですね。
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近くを流れるウトクバンバ川Rio Utcubambaは北上後に東に流れ、ジャングルでアマゾン川に合流して大西洋に注(そそ)いでいます。

その先は・・・
大西洋の向う側ってことですが・・・
アフリカがあります!!!

北アフリカの国チュニジア。かつてカーセッジ(Carthageカルタゴ)と呼ばれた強力な都市国家がありました。
「カーセッジの不思議」(2015・08・31)でご紹介しましたが、紀元前8百年頃、フェニキアPhoenicia(現シリア&レバノン)の王女ダイドーDidoが祖国を脱出し、船で地中海を伝って逃げ延びた先で造り上げた都市です。
その後、数世紀を経て大国に成長し、新興のローマ帝国と対立します。
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紀元前2百年頃、イベリア半島(スペイン)で生まれ育ったカーセッジの将軍の子ハンニバルは、成人すると、アフリカ象を引き連れた軍隊と共にアルプスを越えて敵国の首都ローマまで攻め上りました。

しかし・・・宿敵ローマ帝国との間に起きた第三次ポエニ戦争(紀元前149~146年)でカーセッジは完全に葬(ほうむ)られてしまうのです。カーセッジを地上から抹殺しようと目論んでいたローマ軍は、カーセッジの城壁を破り、町に火を放ち、多くの市民を殺戮し、わずかに生き延びた市民は奴隷として帝国に連れ帰りました。

歴史から消えてしまったカーセッジですが、ローマ軍の手を逃れて脱出した人たちがいるっていう考古学者が現れました。彼によると、カーセッジ帝国の残党が逃げ延びた先はチャチャポヤだっていうんです!!!

この、学説というか、仮説というか、どう呼ぶかは読者諸氏にお任せしたいと思いますが、奇想天外な説をご紹介するのがYoutube「Carthage’s Lost Warriorsカーセッジの失われた戦士たち」です。

この説では、カーセッジに移り住んだCeltケルト人が重要な役割を果たすので、簡単にご紹介しておきましょう。

Wiki:ケルト人(ケルトじん、Celt、Kelt)
中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。

ケルト人の分布は次の通りです。
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青 - 紀元前1500年から紀元前1000年
赤 - 紀元前400年

ケルト人やカーセッジ人が、ローマ帝国の手を逃れ、大西洋を渡り、アマゾンを遡(さかのぼ)り、アンデス山中に棲み着いた???

まずはYoutubeフィルムの内容を見て頂きましょう。mhの意見は最後にご披露させて頂きます。

・・・・・・
南アメリカのジャングルの奥深くでケルト人の特徴をもつ青銅の斧(おの)が見つかった。コロンブスが新大陸に到達するよりも古い時代のデザインだ。
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2千年前、ペルーのアンデスの頂きにある砦まで旅をした古代の戦士たちが遺したものだと考えられるのだろうか?
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ハンス・ギフホーンは、伝説のチャチャポヤのミイラは驚くべき謎を隠し持っていると信じている。
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ハンス「私は沢山の証拠を見ている。それらは全て、一つの理論を指している。古代の人々がペルーにやって来てチャチャポヤの勢力に加わったんだ。」

Carthage’s Lost Warriors
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紀元前539年、力を付けていた都市国家カーセッジは北アフリカの海岸から、地中海の多くを制圧していた。
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砦のような場所に防衛力に優れた港を持つ、古代世界の重要な貿易都市だった。
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貴重な資源や贅沢品が、途切れることなく、植民地から集まり、都市の基盤は信じられない程に豊かなものになっていた。
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カーセッジの港には商業船や軍船が沢山集まっていた。合計174のオールと帆を持つ船もやってきていた。トライリンと呼ばれる、左右に3列のオールを持つ船もあった。

カーセッジ人は地中海を出て大西洋上を遠方まで航海していたと信じられている。
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彼らはアフリカ西海岸に沿って南のカメルーンまで航海し、黄金を使って交易した。イベリア(スペイン一帯)の植民地との交易では銅や錫(すず)を手に入れていた。
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スペインの太西洋側をも航海していた。地中海のバレアレス諸島Balearic Islandsでは強力な戦士たちを調達していた。
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ドイツ・ハヌーヴァーHannover近くのヒルドシャイムHildesheim大学のドイツ人教授ハンス・ギフホーンは何年もの間、スペインの島々で古代史に係る調査をしていた。
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彼は古代の伝説に強い関心を持っていた。それは、失われてしまった知識に関する貴重な情報源だ。ハンスは、紀元前146年にローマによって打ち負かされて帝国が崩壊した後、カーセッジ人が単純に消滅してしまったとは信じていない。生き残った人々が新しい人生を、どこか別の所で始めることが出来たはずだ。このことを確信していたハンス・ギフホーンは、バレアレス諸島でそのヒントを探し始めた。

ハンス「カルタゴ人は地中海岸や更に離れた所にも交易中継地を造り、今のニューヨーク人たちのように商業活動を手広くやっていた。」
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交易はカーセッジの勢力の鍵となるものだった。同様に、カーセッジの軍事力を強化するイベリア出身の何千もの兵士も帝国には重要だった。中でもバレアレス諸島の投石手は最も恐れられた傭兵だ。
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ハンスは全てのカーセッジ人が奴隷として連れ去られたということはあり得ないと思っていた。とするなら、他にどんな代替案が彼らに残っていたのだろうか?彼らは逃げ出し、遠く離れた南アメリカを目指して大海を横切ったのだろうか?ペルーの山の上の砦クエラップに眠る死者たちは、ハンスが信じているように、このケルト人やカーセッジ人の子孫なのだろうか?
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ハンスの仮説の重要な鍵は地中海の南海岸にあるカーセッジから始まる。
カーセッジの荷物専用の港は全ての船に対して開かれていた。
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しかし、その奥にある門を通過することを許されていたのはカーセッジの軍船だけだった。そこには秘密の波止場が建設されていたのだ。
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ひとつの船着き場の幅は6mで奥行き30m。1万人の船員と350隻の軍船が停泊できた。陸上でもこの超大国は勢力と威光を拡大していた。戦い用の象が強力な武器だった。
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彼らが地域を統括していたことで新たに生まれたローマから厳しい抵抗を受けた。力を付けたローマ帝国は、3つの流血の戦いの後、カーセッジを滅ぼした。町が燃え落ちた時、数十万人が死んだ。それ以上の数えきれない市民が奴隷になった。しかし、逃げ出すことが出来た多くの人々もいたに違いない。
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ハンス教授は何人かの上級船員たちは北スペインにあったカーセッジの交易港にかろうじて逃げ出せたはずだと信じている。彼らはここガリシアで安全な港を見つけたのではなかろうか。しかし、勝利したローマ人は直ぐに町を占領した。ローマ人はそこに世界の7不思議の一つとなる有名な灯台に似たヘラクレスの塔Tower of Herculesを建てた。2千年の間、塔からの光はアメリカに続く大西洋に向けて恐ろしいビスケイ湾の海を照らしている。
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古代、この一帯の港は北の海岸を目指す船の重要な出発港だった。ここでカーセッジや地中海中から来た船員たちは、何千年もの間、北大西洋を船旅していたケルト系リベリア人と接触していた。
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ちは外国から持ち運ばれてきた貴重品を取引していた。その伝統は今もケルト人やカーセッジ人の子孫に受け継がれている。取引きは世界を一つにする。そこでは最近の出来事に関する情報交換も行われる。
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ひょっとすると、カーセッジ人が大海を横切って、遠く、今のブラジルまで航海した話が語られていたかも知れない。

ハンス「カーセッジ人がブラジルに到達することが可能だとしても、それが実際に到達したことを意味するわけではない。証拠が必要だ。その証拠は、例えば古代の歴史家ダイオドロスDiodorusの書物の中で見つかる。」

ギリシャ人歴史家ダイオドロスは書物「世界の歴史」の中で、誰もが知っている人が棲む土地の、更にずっと向うで、カーセッジ人は楽園を発見した、と記している。
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その楽園は、野生の動物が棲み、船が遡れる川、高い山がある土地にあった。どこの国の船員もするように、カーセッジ人もその発見を秘密にしていたのだ。ハンスはカーセッジ人の避難者や同僚のケルト人たちが編隊を組んで船でスペインを発ったと信じている。
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ハンス「私にはカーセッジ人の航海技術なしでヨーカと呼ばれる投石紐sling技術を持つケルト系リベリア人が大西洋を渡ることは考えられない。」
カーセッジ人の船長たちは彼らの先祖フェニキア人が得意だった航海術を完璧なものにしていた。彼らは南中した太陽が作る影の長さから緯度を確定することが出来た。夜はこぐま座の中の北極星、古代に“フェニキア人の星”として知られた星、を頼りに航海した。

航海の場合はいつもそうであるように、船は風と海流によって、アフリカからブラジル北東の海岸に向かって加速される。
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ジャニス・ジャカイトもまた、全く一人で大西洋を横断した。ハイデルベルクHeidelberg出身のこの女性は南ポルトガルからカリブ海の島まで海流に乗り、ハイテクの技術を積み込んだ手漕ぎボートで、90日をかけて6千4百Kmを乗り切った。
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カーセッジ人も同じように大西洋を横切れた証拠だ。
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ジャニス「勿論、航海は公園の中の池を船で渡るようなものではないわ。危険な条件もいくつかあるの。波は8、9mの高さだし。トロール船との衝突やニアミスでネットに捕まってしまう危険もあったわ。最大の問題は飲料水と食糧よ。また、一日中、太陽に晒されているからいつも汗だくになるの。一旦、乗り出したら、海流や風に逆らって船を進めることは出来ないわ。やり切るしかないのよ。古代、腕力がある人が乗った大きな手漕ぎ船でも、きっと同じだったと思うわ。海に出れば、潮と風の流れに従うしかなかったはずよ。」

ハンスはコロンブスよりも1千5百年前、カーセッジ人の船が熱帯の海岸線に到達し、新しい世界を発見することが出来たはずだと信じている。
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ブラジルの海岸から少し離れたイデマラッカ諸島はカーセッジ人が到着するとしたら理想的な場所だ。17世紀、オランダの探検家たちは、オーレンジ砦を造った。防御に適した場所だったからだ。
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ここで見つかる陶器の欠片(かけら)は古代の土着民の住居が砦の下にあったことを暗示している。砂には奇妙な白い粘土の屑(くず)も混じっている。
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考古学者マルコス「これはオランダ人の土器の屑だ。沢山見つかっている。」
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カーセッジ人や原住民たちの痕跡は、これまで発見されてはいない。古代、大西洋を横断して疲れ切っていた船員たちがここにいたなら苦労したに違いない。
考古学者はそれを確信している。16世紀、傭兵としてやって来たハンスターデンはブラジルの海岸で人食い人種に捕えられた事件を書き残している。彼はこれらの人々がどのように敵の首を欠き切り、体を細切れにして食べていたかを目撃していた。
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彼らは恐るべき人々だったが、交易人でもあった。交易となるとカーセッジ人の強みだ。それでカーセッジ人は生き延びる機会を得られたのではなかろうか?

コロンブス以前に大西洋を横断してブラジルに渡ったという記録はない。しかし海岸から遠くないリアルパライーバは、考古学的にとても意味がある所だ。伝説の場所ペリガ・ドリンガーがある。そこには無数の絵や模様が彫られて残されている。専門家たちは未だに、意味を解読できていない。
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考古学者ブリト教授「古代、リアルパライーバにはティアコ・アタラコ(?)が在った。石には沢山の彫刻が残されている。例えば、このインガーの岩だ。」
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「これを掘った人達が何を考えていたのか、どんな暮らしをしていたのか、我々は判っていない。つまり、彼らが遺したメッセージはまだ理解できていないんだ。どんな方法で彫刻したのか、どんな人々がインガーの岩に命を吹き込んだのか、は謎のままだ。しかし、こんなことをしたのは、ここで生まれ育った人々ではなかったとは考えられないだろうか。ひょっとすると2千年前の完全に異なる文化のなせる業だ。」
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ハンス「当初、現地の考古学者たちはインガーの岩絵の多くが古代世界の記述法に似ていることに気付いたようだ。私の調査もそこから始めた。その結果、言葉ではなく、古代文字との類似性が見つかった。ケルト系イベリア人のアルファベットと似ているんだ。」

岩に彫られた4つの記号は古代ヨーロパの言語と似ている。
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我々はこの4つの音声について知っている。
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しかし、これまで、岩絵を解読することはできていない。

商人や移住者たちがリアルパライーバをエデンの園だと考えていたとは思えない。少し川を遡ると、岩と砂の乾燥した未開の地が始まる。ここにやって来たら、どんな船員や探検者といえども大西洋岸まで戻らざるを得なかったはずだ。
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しかし北西の方向には古代の船員には信じられない程の長さの川があった。アマゾン川だ。
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熱帯のジャングルはカーセッジから来た人間にとって全く目新しい光景だったと言う訳ではない。彼らは似た植物体系をアフリカで目にしていただろう。しかしジャングルはカーセッジ・ケルト同盟者たちにとっては煩(わずら)わしいだけのものだったはずだ。このことについては、どんな記録も残されていない。

彼らと現地人との最初の接触については、コロンブスの後を追いかけて新天地にやってきた探検家たちによって1千5百年後に書かれた生々しい記録から想像できるだけだ。探検家たちは優れた武器を持って来てはいたが、ジャングルの掟を知らない侵略者たちよりも原住民のほうが有利だった。スペインやポルトガルからの侵略者たちは16世紀にアマゾンを植民地化しようとする彼らの悲劇的な試みについて語っていた。彼らにとってアマゾンの全ては受け入れがたいもので、至る所に死の危険が潜んでいたのだ。
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それは1千5百年前のカーセッジ人にとっても同じだっただろう。生き残るためには、船という隠れ家を離れるわけにはいかないことを知ったはずだ。
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スペイン人コンキスタドールたちは煌(きら)びやかな品物を持ち込んで現地人と贈り物の交換をしていた。
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種族のリーダにとって、カーセッジ人が持ってきた金属の斧なら十分だったはずだ。
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1660年、ポルトガル人はアマゾン三角州の近くに最初の基地バレーンを造った。そこを基点に熱帯の富を搾取し、同時に、野蛮な異教徒を回収させようともした。
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現在、ベルリンでは考古学者達がインディアン(mh南北アメリカ原住民)の文明を研究している。ゴーエルディ大学ではアマゾンで暮らす、野蛮ではなく、無宗教徒でもない種族の証拠を集めていた。
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何千年も前から、文明が発達していたことが確認されている。タンガと呼ばれる祈祷用の陶器の飾りも見つかっていた。
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モーラ・デ・シルベイラ博士は数千年前にアマゾンの日常生活で使われていた考古学的な宝物のコレクションの研究員だ。
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特殊なカルト用の品物は貴重な材料で造られていた。この高価な石の結晶から造られている矢尻はコレクションの中でも突出している。
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豊かな色彩で彩られたテラコッタの偶像は、マラジョー島における複雑な宗教的な信仰の証拠だ。
モーラ「これはマラジョーで見つかったペニスのシンボルよ。」
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「島の文化は高度に発達していたの。人々は湿地の中に造られた人工の島で生活していたの。この土器は宗教以外では鳴子(ガラガラrattle)としても使われていたのよ。」

これを最初に発掘した人々はマラジョー文明の時代にまで遡る素晴らしい発見に感激した。
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これらの多色な塗料で彩られた葬儀用土器は、地中海で見つかる古代の様式を連想させる。ギリシャ・タイプのケルト形渦巻きだ。

シャーン教授「アマゾン盆地には1万1千年前から人が暮らしていたのよ。長い間、人口は少ないままだったの。でも、2千年前、人口爆発があって、それも急激に起きているのよ。」

事件の目撃者の記録によれば、1541年、スペインの探検隊が伝説の黄金都市を探し求めてアマゾン川を遡ったが、彼らは直ぐに攻撃にあったという。
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川辺に密集していた集落の住民たちが射た矢が、雨のように彼らに降り注がれた。裸の白っぽい肌の女達も前線で戦っていた。
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これらの恐れを知らぬ“アマゾン人”の記録から川にアマゾンという名が与えることになったという。この説明は多くの人々に疑念を持たれてはいるのだが。

しかし、数十年に渡る考古学的な作業によれば、ジャングルには多くの居住地があったことが明らかになっている。数千の集落には特殊な農業技術を使った豊かな玉蜀黍(トウモロコシmaize)畑が広がっていた。
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その一種がチョコレートの原料になるカカオで、今では世界中を征服している。
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今日、専門家は、かつて文明がアマゾンに沿って広く繁栄していたことを再発見している。2千年前、アマゾンで文化革新が起きていたことを彼らは確信している。発見された陶器は、その当時に技術が飛躍的に向上したことを示している。この新しい文化形式は外部からやって来た人々の影響だろうか?
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シャーン教授「この特有な陶器の様式はとても素敵だわ。マラジョーで生まれたものよ。葬儀ではこのような色のものが使われていたの。アマゾン上流で似た陶器が使われるようになったのはずっと後のことよ。だからマラジョーで発達して、その後に他の場所にも影響を与えていったと信じているの。この様式は外部からやって来たものかもしれないとも言われているわ。」
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手工芸品が地中海のものと類似している事実は可能性を高めてくれる。船員たちが古い世界から新しい知識を運んできたのではないか。
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素人考古学者のハインズ・ブドレイにとって、これらの手工芸品が意味することは一つだ。他国からやって来た探検隊が、コロンブスよりもかなり昔にブラジルに上陸したのだ。
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彼は更に証拠を見つけていた。古代の斧だ。
ハインズ「商人はギアル・グアポーレという王国の話をしてくれた。ブラジルとボリビアの国境を流れる川グアポーレの近くにあった。商人は、そこのボリビア系土着民から直接、斧を購入したと言っている。だから本物に違いない。木製の握り部はもうなくなってはいるが。」
金属の斧を蔽う深い緑青が長い年月の経過を示している。刃の頭には奇妙な形が付いている。
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ハインズ「牛の頭だ。鹿antelopeかも知れない。しかし、いずれにしても南アメリカには存在していない動物の姿だ。」

ハインズは見つけた全てを持ってサンパウロの地球科学研究所を訪れた。研究所の最新技術で分析してもらうためだ。結果は驚くべきものだった。
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研究員「斧は銅61%、亜鉛(あえん)39%で、この種の金属合金はヨーロッパ人がやってくるまでアメリカにはなかったものです。」

ハインズ「これ以外の重要な点としては、木製の握り部はパラグアイ川の近くのパンテナラの森の木で造られたものだということだ。その木を科学的に調べたら1千5百年前のものだった。」

これらの証拠からアマゾン盆地では川に沿って広い範囲で交易が行われていたことが分かる。これが大陸の内部まで斧が運ばれたという事実の説明になりはしないだろうか?
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ケルト系カーセッジ人は海岸から川を伝って上流を目指したのか?奴隷商人からチャチャポヤ地域まで逃げた原住民たちについての記録がある。彼らは船と徒歩で海岸から内陸まで4千Kmも移動したのだ。
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決死の覚悟を持っていたカルト系イベリア人なら同じ旅をしたはずだ、とハンスは信じている。しかし、この移住者たちは野生の動物たちの恐怖や未知の伝染病などで満ちた世界最大のジャングルを通り抜けることはできたのだろうか?仮にジャングルを通り抜けられたとしても、彼らはとても乗り越えることなど出来そうにない、行き止まりとも言えるアンデス山脈に突き当たっていたのだ。
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ケルト人とカーセッジ人は、チャチャポヤ人によって海抜3千mに造られた巨大な砦クレラップまでたどり着くことが出来たのだろうか?
このコンピュータで組み上げた映像はクレラップで使われた石がどれほど大量なものかを表している。エジプトのキヨのピラミッドよりも大きいのだ。
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チャチャポヤは魅力的な石造りの建造物だ。ここの人々はどこで、このような素晴らしい建築知識を獲得したのだろう?オハイオ州コロンバス州立大学の考古学者ウォーレン・チャーチは25年もの間、チャチャポヤの研究をしている。彼はケルト系カーセッジ人がクエラップの遺跡に影響を与えたとは見ていない。彼が見たのは力強い原住民の文化遺産だ。
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ウォーレン「彼らの建築技術は卓越したものとして広く知られている。それは構造物の表面に現れ、いまも見事に保存されていて訪れる誰もが気付くはずだ。記念碑的で、素晴らしい外観を呈している。きっと、絶頂期だったのだろう。」
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ピーター・ラッシュは30年以上、ペルーで暮らしている。地方の州都の市長もやったことがある人物だ。彼は完全にこの地方の人々に魅惑されている。生きている人だけではなく死んでしまった人にも。
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ピーター「クエラップについてはどのように表現したらいいというのだろう。見事な場所だ。炭素年代分析法も行われているが、その結果によれば、そんなに古くない。およそ西暦8百年頃のものだ。例外はこの主門で凡そ西暦5百年頃に造られた。」
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ハンス・ギフホーン教授「クエラップについて調べ始めた時、全く訳が分からなかった。アメリカのどんな砦も、これとは似ていないんだ。しかし、この技術が古代の地中海のどこにでも見られるものだと言うことを私は知っている。」
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クエラップの大寺院に残されているものがハンスの理論を支持している。壁に彫られた頭は大西洋の反対側で行われていた陰湿な習慣を思い起こさせる。
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ケルト人は罪人の首を切り取り、自慢げに見せびらかしていた。チャチャポヤ人もまた、この儀式を行っていたのだろうか?
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ハンス「人間の頭をさらし物にするカルト人の習慣は、魂が頭蓋骨の中にあるという信仰に結びついている。だから彼らは頭をとても重要なものとして扱っていた。その上、チャチャポヤ人とケルト人は頭蓋骨に穴を明けて治療する達人だったんだ。」
ケルト人とチャチャポヤ人は、病人の頭に孔を明けて内部の圧力を逃がし、悪霊を追い出す治療している!
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古病理学マイケル・シュルツ教授「チャチャポヤの場合、彼らがその技術を使っていたことを我々は知っている。何故なら、そのことは紀元前5百年頃のヒポクラテスの資料に書かれている。この治療はケルトによっても行われている。オーストリアで考古学者がその証拠を見つけている。チャチャポヤとケルトが同じ習慣を持っていたということは興味深い。」
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同じ治療方法が使われていたということは、ハンス・ギフホーン教授が信じているように、2つの文化の接触があったと言う更なる証拠だろうか?
決定的な証拠はクエラップに隠されているのかも知れない。
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ウォーレン「チャチャポヤには複雑な石組みがあるという点で特殊だ。建物には魔力が込められている。そのシンボルが何を意味するかは別にしても、何か力強いものを感じさせる。」
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この砦に暮らしていた人々は誰だったのだろう?人々はどこで暮らしていたのだろう?

ピーター・ラッシュ「ここにはとても大きな円形の家がある。上階を支持する梁が在った穴が壁に残されている。」
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「クエラップでは敷地を最大限有効に使うため2階建ての家が必要だった。何故なら、3千人の人々がこの砦の中で暮らしていたからだ。」

今日までアンデス高地の原住民は祖先から伝えられた方法や器具で畑を耕しているという。チャチャポヤ時代の農業は、今もこの渓谷や急斜面で見られる方法と変わらないだろう。
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ウォーレン「チャチャポヤのマリニヨン渓谷はアメリカのグランド・キャニオンより深くて広い。生活するには厳しい場所だ。誰も家を造り住み付きたいと思う所ではない。一体、何をしたかったというのだろう。だからこそ謎なんだ。」
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チャチャポヤの巨大な砦は今もなお多くの謎を秘めている。しかし、ハンス・ギフホーン教授は“自分はその答えに近づいている”と信じている。
ハンス「クレラップと似た砦はアメリカ大陸のどこにもない。考古学者なら発祥の源はアメリカの外にあると考えるかも知れない。」
スペインの大西洋岸には、砦の都市の遺跡が人工の台地に見つかることがある。
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リベリア系ケルト人が2千年以上前、都市カーセッジが崩壊する前後の時期に、この都市を造った。クレラップと同じように、家は丸く並べられた石の基礎の上に建てられていた。
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そして、ここでも都市を造った人々は、防衛のために奇妙な場所を選んでいる。ケルト系イベリア人がスペインに棲み着いた場所とアンデスの山の上の砦の類似性はハンス・ギフホーン教授の理論を支持している。2つには繋がりが在るのだろうか?
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この謎を説明できる場所は南アフリカしかない。

ケルト系カーセッジ人がペルーにいたという決定的な証拠は今もまだ見つかっていない。インカの人々にとっても、チャチャポヤ王国はあまりにも僻地(へきち)だ。スペイン植民地時代の歴史家たちもここまで踏み込んで来たことは無い。
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今日ではチャチャポヤの住居地はゴーストタウンと化し、そそり立つ崖の上に隠されている。埋葬用の奇妙な像は不思議な祖先たちの信仰に繋がる証人だ。
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考古学者たちは目がくらむような高い場所に造られた埋葬地で調査をしている。ここに埋葬された戦士たちは首切り人たちで、アンデス高地全域を見ても珍しい。ドイツ人考古学者クラウス・コーシュミェイダーもチャチャポヤに惹(ひ)きつけられた人物だ。
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クラウス「住居の中に埋葬するのがチャチャポヤでは一般的だ。我々は沢山の証拠を円形の家の中で見つけている。それは発祥がアマゾン盆地地方にあることを示しているのかも知れない。何故なら、そこでは、今なお、家の中に遺体を埋葬しているのだ。」

チャチャポヤの急峻な岩壁に造られた儀式の場所は岩絵で飾られている。熱帯の気候にもかかわらず、急斜面の岩によって保護されているので、今も鮮明に残っている。美しい衣類を纏い、鳥の羽の被り物と輝く首飾りを付けた人の姿がある。
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更には見事な頭飾りを付けた人のような姿も見つかっている。古代ヨーロッパのケルト人の神話に現れる神サーニューノは、これと似た姿でデンマークのグーンレス族の銀の大釜に描かれている。
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クラウス「ここには妙な絵がある。人がボートの中で座っているみたいだ。これと似た絵はいくつか見つかっている。」
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クラウスもチャチャポヤ人は東から移動してきたと考えている。しかし、彼が考えている東というのは、3,4百Km離れたアマゾンだ。大西洋の向うではない。
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真実を知っているのは死者だけだ。嵐がくるたびに、どこかで遺体が地中から現れ、チャチャポヤの痕跡は破壊されていく。雨は何日も休むことなく山岳地帯に降り続く。アマゾンに水を供給している川は濁流となる。ネマバンバという町では誰もがそれを受け入れて最善を尽くしている。
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雨季になると何度も繰り返されてきた光景だ。
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ウォーレン「チャチャポヤ一帯では信じられない程の大雨が降り続く。世界でも例が少ないだろう。空が大地に落ちてきて、人々の足は水に変る。大雨で谷が生まれ、崖崩れがおき、地形が大きく変化する。となると、これを逃れて山の上で暮らすのも意味があることになる。」

今から数年前、考古学者ピーター・バージに突然の知らせが舞い込んだ。墓泥棒たちが前コロンブス代の埋葬地で略奪していて、多くのミイラが雨の中に放置されているという。ピーターは、直ちに救済隊を編成するとレマバンバの山に向けて出発した。
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目的地のラグーノ・デス・コンドーレスはコンドールの湿地帯lagoonだ。そこでは、以前、現地人の農夫が、それまで知られていなかった埋葬地を海抜2500mの所で見つけていた。
ドイツ系ペルー人に統率されたチームは道を急いだ。墓荒らしたちは忙しく仕事をしたようで、現地は眼を塞ぎたくなるような惨憺(さんたん)たる状況だった。多くの石棺sarcophagusは破壊され、墓は荒らされていた。
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チャチャポヤのミイラの残骸は一帯に散らばっていた。チームのメンバーは応急処置を施しながら緊急発掘を行い、なんとか200以上のミイラを州都まで運ぶことが出来た。
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今日、コンドールの湿地(ラグーン)の遺体はレマバンバに保管されている。遺体は最初から膝を抱えた姿勢で布の袋の中に収められていた。
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発掘後、いくつかのミイラはウイーンVienna大学で調査された。残っているのはスペイン人がやって来る前に死んだ人々だ。
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驚くことに、彼らはヨーロッパ人によって南アメリカに運ばれてきたと思われている病の痕跡を示していた。

ドイツ・グ―ティンゲンでは、古代病理学者シェルツ教授は、どんな病を患っていたのか、死因は何かについての情報を得ようとしていた。彼はチャチャポヤのミイラの中に結核の痕(あと)が確認できるという。
シェルツ教授「典型的な結核では、骨が食い尽くされた様になる。」
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「その変化の様子がチャチャポヤのミイラでも確認できる。それはとても妙な現象だといえる。なぜなら、コロンブス前のチャチャポヤ人の多くに同じ現象が見つかっているんだから。」

残念ながら結核の証拠だけではコロンブスの前に大西洋を越えた接触があったとは言えない。古代の病の痕(あと)は南アメリカの他の場所でも見つかるのだ。
シェルツ教授「チャチャポヤで見つかる結核の例は我々が知る限り、かなり昔のヨーロッパの結核の例と似ている。もしこれらの人々が古代世界からやって来た人々の子孫だとするなら、それも一つの解釈だろう。更に言えば、その病はもう少し新しい時代に、海を渡って伝わった可能性がある。」

クエラップ砦を造った人々がどこから来たにしても、何故、彼らは巨大な砦をこの地に造ったのだろうか?
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ピーター・ラッシュは、クエラップは低地からの侵入者に対する防衛の地だったのではないかと考えている。定期的に繰り返す旱魃で飢えた、近在の種族からの守りのためではないか?

ピーター・ラッシュ「考古学者達は沢山の頭蓋骨をこの辺りで見つけている。頭を割られた頭蓋骨だ。」
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これらの犠牲者は侵略者か、それとも防衛者か?致命傷は斧(おの)や投石紐sling shotの可能性がある。一つ明らかなことは、彼らが無残な死に方をしているということだ。
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ウォーレン・「チャチャポヤは、誰が誰と取引するか、誰が富を得るのか、誰が出し抜くのか、誰がこの地を治めるのか、といった争いの最前線だった所なのではないだろうか。入れ代わり立ち代わりの争いが続き、血が流されていたのだ。」

今日、チャチャポヤにある州の行政センターは近代の政治や経済の課題を取り扱っている。
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その近くの考古学博物館で、人類学者たちはチャチャポヤの運命とその起源に関する重要な情報を集めている。
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考古学者ソテロ「このミイラは、ある家族のもので、25歳の女性で、6歳の子供と夫と一緒に見つかっているの。頭蓋骨の前部に1つ、後部に3つ明けられた孔は、間違いなく戦の最中のものよ。」
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考古学者たちは、不自然な原因による死の兆候を何度も見つけている。殺人とか暴力を示すものだ。

ピーター・ラッシュ「チャチャポヤ人にはとても戦(いくさ)好きだったという評判がある。彼らは攻撃から身を守るため、敵を攻撃するため、主な武器として投石紐slingを使っていた。」
彼らが選んだ投石紐は、他のペルーの種族のものとは完全に異なっている。

この痕跡は、我々を再びマヨールカMallorca島の古代世界に導く。そこには訓練中の投石紐のチャンピオンがいる。ワン・カバレロはバレアレス諸島で的中率No.1の投石紐チャンピオンだ。
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ハンス・ギフホーン教授はチャチャポヤで昔使われていた投石紐をベルーから持って来ていた。
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これをマヨールカ島の伝統的な投石紐と比べたワン・カバレロは2つがほとんど同じことに気付いて驚いた。石を包む部分の、紐を撚(よ)って輪を作る独特な方法も全く同じだ。
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ワン・カバレロは自分たちの祖先が投石紐を頭に巻いて身に付けていたことを覚えていた。その習慣はもう失われてしまったが、チャチャポヤの人々も同じようにしていたのではなかろうか。
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しかし、ペルーのある集落には、今もいくつかの習慣が残っている。住民の多くは何世紀も続いているチャチャポヤ固有の名前を持っている。

陶器造りをしているクロティルデ・アルバは彼女の祖先達を自慢している一人だ。
アルバ「陶器はチャチャポヤ時代から続く古代の伝統なの。スペイン人がやって来るずっと前から続いているのよ。」
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ウォーレン・チャーチ教授「我々はチャチャポヤ人がとても活動的な交易人だったという事を知っている。交易には仲介者が必要だ。誰もが儲(もう)けが多い仲介者になりたがる。仲介していると文化や製品が集まってくる、今のニューヨークのようにね。地理的に考えても、チャチャポヤはとても戦略的な位置にあるといえる。」

チャチャポヤの女たちも裕福だった。インカ時代の絵では、捕えられた肌の白い、ブロンドの髪の女が描かれている。インカの統治者たちは、自分たちのために、しばしばチャチャポヤの女を選んでいる。
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今でもシシリア・フローレスのようにブロンドの髪のチャチャポヤの住民は多い。彼女はワンカス村のはずれで家族と共に暮らしている。
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外見だけで、黒髪で茶色の肌をした近所の人と簡単に見分けがつく。

シシリアは村では他の人と同じ暮しをしている。毎日、仕事場の夫に食べ物、飲み物を届けている。それがこの辺りの習慣だ。彼女は自分がなぜ、みんなと違うのかを説明できない。
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シシリア「私は4人子の一人で3人がブロンドなの。2人の従妹もおなじよ。みんなチャチャポヤ市で暮らしているわ。子供の一人もブロンズよ、他はみんな黒髪だけど。父さんは私たちが何故ブロンドか説明できないけれど、父さんの両親もブロンドだったのよ。」

ウォーレン・チャーチ教授「チャチャポヤの人にブロンドが多い理由についての説明は今のところ見つかっていない。しかし、チャチャポヤには肌が白くてブロンドで魅力的な女性が多い。インカの皇帝が多くの妾をチャチャポヤから連れていったとか、チャチャポヤでは投石紐が使われていたというのは、昔、チャチャポヤを旅したペルー人が語り伝えている。」

リンマバンバの村にはブロンドで白い肌の人が多いという報告がいくつもある。そこは、昔からインディアンの人が多いところだ。ワンカス村と同じように、ここでも、ヨーロッパ人の祖先を持っているかどうかを知る人は誰もいなかった。
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小学校を訪れてみると、驚くほど多くの子供がブロンドの髪を持ち、白い肌をしていることが判る。
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サライバは遺伝子による体質遺伝を解析するため、子供から分析用のサンプルを集めている。Y染色体chromosomeの調査では、男の提供者については判らない。バレンティナという女の子はサンプルを提供している。
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彼女は現地人家族の子供で、親戚の誰もがインディアンと異なる祖先がいたかどうかを知っていない。

ワンは生きた例の一人だ。赤毛の彼は理想的な調査対象だろう。
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他の生徒たちが黒髪であることから考えると、ブロンドで白い肌は、現地のインディアンの遺伝子の突然変異によるものだという可能性もある。オランダ・ロッテルダム大学の研究室が行った分析は、ブロンドの起源がどこかを確定することを目的としている。そこでは国際的なメンバーからなる専門家チームが、分子遺伝子研究所にペルーから送られてくるサンプルの到着を待ち構えている。
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カイザー教授の指導の下で、科学者たちは遺伝子の中の髪の毛の色に関する特別な兆候を確定することに成功した。

カイザー教授「ペルーの資料を調べる時にまずは、赤毛の源がヨーロッパにあるのか、そうでないのかに注目している。DNA分析でどこの発祥かを分類する。これまでの調査によれば50%はヨーロッパ発祥でこれが赤毛の原因で、残りはアメリカ発祥だと判っている。」
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遺伝子分析でもヨーロッパ系が調査対象者の祖先の一部にいたことを示している。ヨーロッパを出発した船員たちが、古代、アメリカまで到達していたのだろうか?彼らは2千年前、困難を乗り切ってアマゾン川を遡(さかのぼ)り、ペルーにやって来てチャチャポヤを故郷にしたのだろうか?その答えは子供たちの中にあるかもしれない。
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カイザー教授「現時点で我々が入手している証拠では、ヨーロッパの西部、特にイギリスとイベリア半島の北部で1B形Y染色体がされている。」

コルーニアは北スペインの町で、かつてケルト人が棲み着いたところだ。人々の運命は漁業と海運で決まる。現在のコルーニア人の祖先は、2千年前、ペルーと共に生物学的、文化的な遺産を持ったのだろうか?
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我々は、ケルト人が大海を航海する能力を有していたことについては知っている。
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壊滅に追い込まれた超大国カーセッジで生き延びた人々はローマの支配領域から逃げ出さざるを得なかったはずだ。彼らは失うものを持たぬ、恐れを知らぬ船乗りたちで、命をかけて新たな故郷を探す船旅に出たのだろうか?
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彼らが円形の家や砦の壁に古代世界の痕跡を残したのだろうか?南アメリカ生まれのものではない動物の飾りがついた斧(おの)も、地中海式の文様が付いた儀式用の土器や高度に発達した治療技術も。
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この考えに対する意見は様々だ。
ウォーレン・チャーチ教授「私が見る限り、文化が伝わったようには思えない。外部の方式や要素の侵略があったとは見ていない。チャチャポヤでの出来事はとても特別なので、多くの注目を集めているのだろう。」

ハンス・ギフホーンは自分の考えが正しいと確信している。新たな科学的証拠が発見されることを期待している。
ハンス「チャチャポヤの文化についての調査は極めて少ない。だから私はもっと多くの驚くべき発見があるのではないかと期待している。」
しかし、今までの所、ハンス・ギフホーン教授の見解を支持するのは、仮説だけだ。動かぬ証拠smoking gunは見つかっていない。
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Carthage’s Lost Warriors
http://www.pbs.org/wnet/secrets/carthages-lost-warriors-watch-the-full-episode/1163/

フィルムに出て来たヘラクレスの塔についてのWiki情報です。
Wiki:ヘラクレスの塔(Torre de Hércules)
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スペイン北部ガリシア州ア・コルーニャ県の県都ア・コルーニャの中心部から2.4キロメートル離れた半島に建つローマ建築の灯台。海抜57メートルの丘に建つ塔は高さ55メートルで、北大西洋を一望できる。1791年に改築工事が施されたものの、ローマ時代に建築されてから既に約1,900年が経過しているにも関わらず、今もなお現役の灯台として利用されている。2009年6月27日、UNESCOの世界遺産に登録された。
ヘラクレスの塔の起源については、長年にわたって多くの神話が語り継がれている。ケルトとギリシャ・ローマの要素を交えた神話によれば、ギリシア神話の英雄ヘーラクレースは三日三晩も続いた戦いの末にゲーリュオーンを打ち倒し、(このあたりがケルト的な行いであるが)その首を武器とともに埋葬し、その上に町を築くように命じたという。ア・コルーニャの紋章で灯台の下に描かれている髑髏と骨はこの殺されたゲーリュオーンを表しているとされている。

で~ハンス・ギフホーン教授の仮説“ローマ帝国の手を逃れたケルト人、カーセッジ人が、凡そ2千年前、大西洋を横断してアマゾンを遡(さかのぼ)り、ペルーのアンデス山中のチャチャポヤに棲み着いた”っていう話をどう思いました?

断片的な事実を恣意的に拾い上げて結び付け、それをもって仮説の裏付けにしているようで、信憑性(しんぴょうせい)は薄いというか、胡散臭いと思われた方が多いのではないでしょうか。

mhの見立てでは、チャチャポヤとカーセッジの直接的な関係を示す証拠や事実はひとつもありません。アマゾンで見つかったという青銅の斧に残っていた木の棒が1千5百年前のものだというのが若干、それらしい雰囲気を醸(かも)し出してはいますが、古い木をコロンブス以降のスペイン人が持ってきた斧に付けた可能性もありますから、鵜呑みにはできません。

しかし・・・古代人が海流に乗って何千Kmも船旅をした例はあります。モアイで有名なイースター島は、最も近い有人島まで直線距離2千Kmの“絶海の孤島”ですが、西のポリネシア諸島から大勢の人が移り住んでいます。実は、次回ご紹介するYoutubeも、古代に行われたであろう南アメリカへの移住を採り上げています。大西洋ではなく、太平洋からきたらしいという話なのですが、冷静に考えると、コロンブス前に大西洋を横切った人がいたという考えは、仮説というよりも、もっと信憑性が高い“推定、考察”といえるかも知れません。重要なのは裏付け証拠です。
(完)
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