Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

最初のアメリカ人の不思議


アメリカ大陸はクリストファー・コロンブスが初めて発見したようですね。次の地図に彼の4回の航海ルートが記されていますが、1492年に行われた最初の航海でキューバ本島の北東4百Kmに浮かぶサン・サルバドル島(バハマ領)に上陸したのが第一歩と言われています。
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アメリカ大陸を最初に発見したのはコロンブスではない、という説もあります。中国(明)の航海責任者だった鄭和(ていわ)はコロンブスより7,80年前に発見したというのです。更には、バイキング(ノルマン人)が10世紀末に北アメリカ大陸を発見し、ニュー・ファンドランド島に短期間だが定住していたという話もあります。

しかし・・・彼らがアメリカ大陸にやってきた時、そこには既に何千年も前から暮らしていた原住民がいたのです!彼らの祖先も、元々からアメリカで暮らしていた、という訳ではありません。考古学者たちによれば、1万数千年前、陸続きだったシベリアからアラスカに入り込んだ人々でした。モンゴロイドです。

20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは凡そ6万年前にアフリカから世界中に拡散を開始しました。それを示す一つの資料は次の通りです。
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ということで、アメリカ大陸を最初に発見して最初のアメリカ人になったのは、1万5千年前(1万2千年とも言われています)にアジアからシベリア・アラスカ経由で移住したモンゴロイドだというのが定説です。

しかし・・・
今回ご紹介するYoutube 「Decoding The First American Civilization最初のアメリカ文明を解読する」によれば、モンゴロイドよりも先にアメリカを発見し、アメリカに棲み着いた人がいるって言うんですねぇ。それは誰か?いつ、どこから来た人か?

この、仮説というか珍説と呼ぶかは読者諸氏に委ねるとして、新説をYoutubeフィルムにそってご紹介いたしましょう。
我田引水、恣意的かつ独善的な論理展開と断定、はこの手の新説にはつきものですが、中には、いくつかの興味深い情報も見受けられ、全くのでたらめとも言えません。この辺りをお含(ふく)み頂いた上で、お楽しみください。
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ブラジルのジャングル奥深く、数千もの奇妙な絵で飾られた、先史時代の岩の隠れ家がある。
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南アメリカの考古学者たちは、奇妙な人間の残骸(ざんがい)を発見している。
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頭蓋骨はヨーロッパ系ではない。しかし、アメリカ・インディアンのものでもない。彼らは、我々が知っている、アメリカという新天地にやってきた先史時代の人種のいずれにも属さない。頭蓋骨は氷河期と同じ古さだ。
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とすると、最初にアメリカを発見したことになるこれらの人々は誰なのだろう?彼らに何が起きたのだろう?彼らはみんな、地上から消え失せてしまったのだろうか?それとも何人かは今も生き延びているのだろうか?

ブラジルの北東部セラ・ダ・カビバラSerra da Capivaraに、人里離れ、岩が突出した崖や谷が多い地帯がある。
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ペドラ・フラダPedra Furadaと呼ばれる所で、藪の後ろには岩のシェルターが隠れていることを現地の農民たちは昔から知っている。
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シェルターの岩壁は日常生活の様子を描いた絵で飾られている。鹿を捕獲する網、蜂の巣から蜜を集める棒、手で目を隠している姿、ここでは3人で妊婦の出産を手助けしている。
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絵のいくつかは全く解読できない。
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この奇妙な絵は仮装した男たちが女たちと踊っている様子だと考えられている。
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体に飾りを纏った人間の絵もある。何人かは面を被っているようだ。
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何らかの儀式をしているように見える。
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これまで、これらの絵が何を表わしているかを明確にした人はいない。しかし土地の農民たちは、この絵を最初に描いたのが誰かを知っていると言う。
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農民「“この一帯で乱暴者として知られていたインディアンが描いたんだ”と老人たちは私に話してくれたよ」
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インディアンは候補者の一つだ。現在、ブラジル北東部で暮らす人の多くはヨーロッパ人定住者とアフリカ人奴隷の子孫だ。
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しかし、彼らの祖先がブラジルに来たのは僅か5百年前だ。ポルトガル人が最初にブラジルを見つけた時、彼らは、インディアンがいることに気付いている。インディアンは数千年以上前からアメリカ大陸に棲み着いているのだ。今、この辺りのいくつかの村では、インディアンと農民と奴隷の混血の子孫が暮らしている。
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現代の考古学者たちは彼らがいつアメリカ大陸にやって来たのか、そしてどこから来たのかも正確に知っている。南北アメリカの全ての原住民は、モンゴロイドに属する人種だ。彼らはシベリアで暮らしていた古代人の子孫だ。
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氷河期、1万2千年前、シベリアとアラスカは地続きだった。モンゴロイドが新天地にやって来た最初の人類だと専門家たちは考えていた。
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しかし、ブラジルでの発見は、全く異なったアメリカ発見物語を示している。これらの岩のシェルターに描かれた絵はインディアンたちよりもずっと古い!
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この絵では狩人が巨大アルマジロを追いかけている。インディアンがアメリカにやってくるずっと前の氷河期に繁栄していた動物だ。
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多くの絵には楽しそうな雰囲気がある。この絵ではサーカスのように、何人かが肩の上に立っている。
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ここにはロマンチックな瞬間がある。
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絵は失われた素朴な世界を魔法のように目の前に出現している。この原始のパラダイスは、一体いつ頃のものだろう?

フランス人考古学者たちはペドラ・フラダPedra Furadaで最大の岩のシェルターでの発掘を終えたばかりだ。彼らの目標はアメリカ・インディアンたちがこの地にやってくるよりもずっと昔の時代の様子を探ることだ。30cm掘るたびに、数千年前の先史時代が現れてくる。4万年前の層に到達した時、これを見つけた。見事な石器の形をした珪岩quartziteの破片だ。
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石の片側は刃のように鋭く欠かれている。
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人の手で、切断用の石として欠かれたのだろうか?もしそうだとすればアメリカ発見の歴史は書き直されなければならない。

アメリカ・インディアンよりも早く、人々がここにやって来ていたのなら、彼らの存在を示す、もっと別の痕跡も残っているはずだ。
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考古学者たちは5万年前の地層まで掘り続けた。そこで見つけたのがこれだ。動物の骨の欠片(かけら)と炭だ。
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この発掘に携(たずさ)わっていた考古学者の一人アンミリー・パーシーAnne-Marie Pessisにとっては、これらの欠片は人間がいた証拠だ。
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アンミリー・パーシー「我々は小屋のような構造物を見つけたの。そこにあった炭の脇では、時には彼らが食べたに違いない動物の食べ残しもね」
(mhアンミリーの後ろいは金属で造られた遊歩道が見えています。壁画のあるこの辺り一帯はセラ・ダ・カビバラ国立公園で、壁画を見に来る観光客が多いのです。)

これらの証拠は、新世界が、これまで信じられていたより数万年前に発見され、人が棲み着いていたことを示している。勿論、アメリカ・インディアンたちよりも早い時期だ。とすれば、これらの先駆者たちは誰だろう?早目に来たモンゴロイドだろうか?それとも全く違う人種なのだろうか?

最初のアメリカ人を特定するための手掛かりはブラジルの北東、南東の岩のシェルターで現れた。考古学者たちは最近、人間の残骸を掘り出した。先史時代の頭蓋骨は9千年から1万2千年前の地層から見つかった。アメリカ大陸で見つかったものの中で最も古い。
中でもこの頭蓋骨は最も古い。“ルーシア”と名付けられた若い女性の頭蓋骨だ。
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彼女は最初のアメリカ人が誰かを語ってくれるのだろうか?

ウォーター・ネヴァスWater Nervousはブラジルのサンパウロ大学の人体人類学者だ。彼は、ルーシアがどの人種に属するのかを探し出すため、標準骨と、頭蓋骨の寸法を測定するための信頼できる考古学用の測定器を使っている。
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彼は当初、ルーシアがアメリカ・インディアンの祖先のモンゴロイドに属する人種だと信じ切っていた。そして測定結果をコンピュータに入れてみた。
ウォーター・ネヴァス「コンピュータが出した結果は驚くべきものだった。統計的な分析の結果、それはモンゴロイドではない、モンゴロイドとは完全に別のなにかだっていうんだ!」
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としたらルーシアは誰なのだろう?どこから来たのだろう?

それを探すため、彼女の顔を復元しようと考え、頭蓋骨をリオデジャネイロに持って行った。復元手順の最初はルーシアの頭蓋骨の3次元寸法測定だ。
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その結果から頭蓋骨のレプリカを造る。

顔の復元は、法医学技術で世界の先端をいく英国マンチェスター大学のリチャード・ニーヴRichard Neaveの手に委ねられた。
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リチャード・ニーヴ「私には二グロの顔のように思われる。全てが二グロの特徴を示している。顔の寸法比率がそうだ。決してモンゴロイドではない」
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ルーシアは歴史的には東アフリカ、南アジア諸島、そしてオーストラリアやメラネシアインド洋の片隅で見つかった人種に属する。するとこれが最初のアメリカ人の顔なのだろうか?
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復元されたルーシアの頭蓋骨は、人体人類学者ウォーター・ネヴァスが、多くの頭蓋骨を測定した結果によっても確認されていた。
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ウォーター・ネヴァス「その結果を見て、私も信じられなかった。しかし、何度調べても同じ結果が確認されたので、もう間違いないだろう。彼らはアボリジニーで、アフリカ人で、アジアのモンゴロイドやアメリカ・インディアンとの類似性は無い。」

しかし、どうしてルーシアがアフリカ系でオーストラリア系であり得るのだろうか?ウォーター・ネヴァスによれば簡単に説明がつく。ルーシアは両者なのだ。最初の人類(mhホモ・サピエンス)はアフリカで発生した。10万年ほど前、人類はアフリカを出て移動を始めた。一つのグループは東へ旅をし、6万年前にオーストラリアにやって来た。
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ルーシアはアフリカ人の子孫に属しているように思われる。今のオーストラリアのアボリジニーになった種族だ。
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しかし、もしアメリカという新世界にやってきた最初の人間が現在のアボリジニーの子孫だとしたら、どんな手段で新天地に到達したというのだろう?

オーストラリアや東南アジアは太平洋の反対側で、アメリカから1万2千Kmも離れている。氷河期にはシベリアとアラスカの間は陸続きだった。オーストラリアのアボリジニーの祖先たちが北に移動し、アラスカを通ってアメリカに来た可能性は考えられる。しかし、アラスカから更に遠くへ行くことは出来なかったはずだ。大量の“万年氷permanent iceが何千年もの間、カナダを覆っていたからだ。
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この氷の壁は人間だけではなくアメリカに入り込もうとする動物さえも阻(はば)んでいた。
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ならば、他に南アメリカへ行くルートがあったと言うのだろうか?

アンミリー・パーシー「全ての可能性を考えるべきだと思うわ。北極を回って寒さの中で過ごすよりも大海を横切る方がずっと簡単だったはずよ。北周りなら、寒さを耐え凌(しの)ぐ高度な技術を開発していなければ無理よ。」
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海を渡って来た?しかし、アボリジニーの祖先たちに太平洋を横断する技術があっただろうか?

彼らはティービー種族だ。オーストラリア大陸北海岸の近くのバスルスト島で暮らしている。
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彼らが覚えている限り、彼らの生活スタイルは全て海から生じて来た。南国の浅瀬の海で蟹(かに)を獲るには、昔から伝わる銛(もり)が最高の道具だ。
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しかし、ティービー族は全く例外だと言える。多くのアボリジニーはオーストラリア大陸で暮らしている。大陸の外の島で暮らす種族との結婚はない。最も古いアボリジニーの祖先たちはどうだったのだろう?彼らは大海を航行する技術を持っていたのだろうか?

妙なことに、最初のオーストラリア人たちの文明の手掛かりは海岸から遠い、大陸内部で見つかる。
ここはキンバリーKimberley、西オーストラリアの北にある岩の砂漠だ。現在では人はだれも棲んでいない。
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しかし氷河期、2万~5万年前、最初のアボリジニーにとっては狩猟の場所だった。オーストラリア人の岩絵専門家グラハム・ウォルシュGraham Walshはアボリジニーたちの古い伝統を探し、記録することに人生を捧げている。
一帯には数万年前の岩絵で飾られた多くの岩のシェルターがある。
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一つのシェルターで、グラハム・ウォルシュは船旅の歴史を書き換える絵を発見した。世界で最も古い船の絵だ。
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グラハム・ウォルシュ「キンバリーの北の種族のように特徴的な頭飾りを付けた人々は、戦いの絵にも現れている。彼らは銛(もり)とか槍(やり)のようなものは使っていないが、銛などの道具は1万7千年前頃に現れたものだ。この絵の人物たちはもっと古くて5万年くらい前の人々だと思う。」
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驚くべきことは、船が特別な目的を思い描いて設計されているように思われることだ。
グラハム・ウォルシュ「先頭にいるのは先導者で、何かの祈りをして、静かな海を祈念しているように見える。きっと大海に乗り出しながら平穏な海を願っている様子を描いているのだと思う。」

アボリジニーの祖先が航海技術を持っていた最初の兆候は、海から離れた内陸の岩のシェルターに残っていた。恐らく、大海を航行していたのだろう。
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しかし、彼らは何故、太平洋を横切ろうとしたのだろう?広大な大海は彼らには難題だったはずだ。科学者たちは、最初の大海横断は恐らく偶然のなせる業だったのではないかと、段々、信じるようになってきた。その考えは、突拍子もないものだとは言えない。

アンミリー・パーシー「今から3年前、5人の漁師が嵐の中でアフリカを出発して2人がブラジルに到着したのよ。そしてアフリカには帰りたくなかったので定住することにしたの。航海はまさに冒険だったはずよ。オデッセイOdyssey(注)ね。しかし、彼らはたった3週間でアフリカからブラジルまでやってきたのよ。彼らは生き延びたの。ってことは、そういうことはできたってことよ!」
(注:オデッセイOdyssey
ギリシャ人ホメロスHomarの叙事詩オデュッセイア。英雄オデュッセウスがトロイア戦争の勝利の後に凱旋する途中に起きた、10年間にもおよぶ漂泊が語られている。)

もしアボリジニーの祖先たちが偶然、南アメリカにやって来たとするなら、彼らがアメリカ新大陸に定住した最初の人々で、アメリカ系アボリジニーになったはずだ。
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そうだとすれば、彼らの子孫はどこにいるのだろう?何故、今日、アメリカ系アボリジニーが北や南アメリカにいないのだろう?
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一つの可能性はこうだ。彼らは長い間、侵入者たちから隔離され、自由に、自分たちだけで暮らしていた。アジアから北アメリカへの陸地の通路は数千年の間、氷で閉ざされていて、彼らの他には誰もいなかったのだから。しかし、1万4千年前、気候が変わり温度が上昇し始めた。氷河期は劇的な終わりを迎えていた。
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アラスカでは氷の間に通路が現れた。まずは動物がそこを通って南に下る権利を得た。この動物を追跡していたのはモンゴロイドの狩人だ。
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およそ1万2千年前、今日のアメリカ・インディアンの祖先たちが新大陸に入り込んだことは、今では良く知られている。モンゴロイドの移動速度は速く、数千年で南北アメリカ全域に拡散した。まさにこの期間こそ、アメリカ系アボリジニーが消え始めた時期だと科学者たちは信じている。とすれば、モンゴロイドがアボリジニーに取って代わったのだろうか?
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ウォルター・ネーヴ「私が持っているデータによれば7千年前、南アメリカの全ての人種は古代モンゴロイドの系統だ。しかし、9千年前ではモンゴロイドは全く見つかっていない。モンゴロイドとの入れ替えが9千年前から7千年前にかけて起きたのは間違いない!」

岩絵専門家たちはこの入れ替えがどのように起きたのかを示す手掛かりを求めてブラジルの岩絵調査している。岩絵の中にアメリカ系アボリジニーが絶滅に到った説明が在るかも知れない。
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絵には何人かの人間が空中に描かれている。彼らは空を飛んでいるかのようだ。
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これを見た時、科学者たちはアメリカ系アボリジニーが楽しんでいる様子を表わしているのだろうと思った。

しかし、コンピュータは新しい発想を生み出した。全ての像を一旦、消去し、その後で、一つずつ、ヒトコマ漫画のように映し出してみる。
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すると楽しそうに飛んでいるように思われていた人物が、槍を持って敵に跳びかかる戦士に変った!
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岩絵専門家マルセロ・コスタ・ソウザ「私は最初、この絵は思い思いの姿で空を楽しそうに飛んでいる人々を組み合わせた場面だと思っていた。今は、そんな平穏なものではなく、暴力的な場面だと考えている。」

この発見のおかげで、他の絵の不可解だった場面の意味が、にわかに明らかになった。この絵も侵略の様子を表現している。
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これは、多分、殺戮の場面だ。
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モンゴロイドはアボリジニーと戦っていたのだろうか?

それを裏付けるように、これらの絵はモンゴロイドがやって来た後に現れ始めている!
アンミリー・パーシー「9千年以上前に描かれた暴力場面の絵は見つかっていないの。これは発見された人口の増加と、偶然とはいえ一致しているわ。どんな断定もできないけれど、少なくとも小さな部族での人口増加が9千年前には確認されているの。だから、暴力という考えはとても重要な観点なのよ。」
モンゴロイドによる占領という考えは、今日、アメリカにアボリジニーが残っていないという事実の説明になる。彼らは抹殺されてしまったのだ。

しかし、迫害される人々もしばしば、侵略者との婚姻や、野生の自然の中に逃げ込むことで絶滅を逃れている。何人かのアメリカ系アボリジニーたちは、アメリカの片隅に逃げ込んで生き残れただろうか?
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南アメリカ大陸の最南端にティア・デル・フエゴTierra Del Fuegoがある。いくつかの島々で、大陸からはマゼラン海峡で隔てられている。
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ここで見つかった最も古い頭蓋骨は9千年前のものだ。これもウォーター・ネヴァスによって寸法測定された。
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ウォーター・ネヴァス「これらの頭蓋骨もオーストラリア人との強い類似性を示している。インディアンやモンゴロイドとの類似性はない。南アメリカの最南端にも拘わらず、モンゴロイドから隔離され、オーストラリア人と類似性がある人々が棲んでいたんだ。」

アメリカ系アボリジニーのある部族が、南アメリカの端に逃げ出して聖地sanctuaryを見つけたようだ。とすれば、彼らはどうなったのだろう?彼らの子孫はどこにいるのだろう?
最初にやって来たヨーロッパ人がティア・デル・フエゴを探検した時、猟師や集団と出くわした。フエゴ島民だ。1930年代、イタリア人写真家は彼らの生活の様子を記録していた。
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それは原初時代primordial eraの生活に見えた。クリスティーナとウルスラの姉妹だけが、これらの漁師や集団の生き残りの子供たちであることが確認されている。
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姉妹は70数年前、今は誰も棲んでいないこの小さな村で生まれた。彼女たちはアメリカ系アボリジニーのルーシアの子孫なのだろうか?
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顔を見る限り、答えは“ノー”だ。外見は他のアメリカ原住民たちと大きく違ってはいない。しかし、もっと確実な祖先の印(しるし)は、顔の裏側に隠れているのだ。頭蓋骨の形だ。

現地の博物館には現代のフエゴ島民の頭蓋骨のいくつかが保管されている。クリスティーナとウルスラの直近の先祖たちだ。
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科学者たちは、頭蓋骨の寸法測定を開始し始めた。予想していた通り、平面的な顔の古代モンゴロイドの痕跡がある。しかし普通とは違う特徴もあった。眼の上の明白な突出部だ。
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どんなモンゴロイドにもそのような特徴はない。フエゴ島民は間違いなく、オーストラリア系アボリジニーの祖先と関係を持っているようだ。
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ウォルター・ネーヴ「我々はフエゴ島民がモンゴロイドと非モンゴロイドの混血だと考えている。」
7千から9千年前、アメリカ系アボリジニーの何人かはモンゴロイドと混血して絶滅を逃れたようだ。そして大陸から隔絶されたティア・デル・フエゴ諸島に逃げ延び、20世紀まで暮していた。
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しかしアボリジニーは元々、南国での生活に適した人種だ。そんな彼らが、どんな方法で、南米の片隅の、このような寒冷地で生き残っていたのだろう?

アルゼンチン人の考古学者たちは湖の近くの岸部にテントを張って、その答えを探す調査を始めた。この海岸で、イガイ(貽貝)の殻mussel shellの小山が見つかった。
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古い層は6~7千年前のものだ。これはアメリカ系アボリジニーたちが残した古代のゴミ捨て場なのだろうか?

別の小山が海岸のあちこちで見つかった。草で覆われている。しかし、みんな特徴的な形をしている。中心部がへこんでいるのだ。
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発掘隊の責任者アネスト・ピアノによれば、海岸周辺が古代の居住地だった証拠だと言う。
アネスト・ピアノ「この辺りに散在している円形の凹みがある小山は、小屋の基礎の跡だ。周りに棒の柱を立ててドームか円錐の形を造り、周辺の砂利で柱を固め、小屋の中で暮らしていた。」
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60年前まで、この海岸に沿って似たような小屋がフエゴ島民によって造られていた。この小屋でアメリカ系アボリジニーは何千年もの間、風、雨、雪の冬を耐えていたのだ。
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いくつかの種族は寒さから身を守るため、リャマと同種のグアナコguanacoの毛皮を身に付けていた。
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しかし、いつも裸で暮らした種族もあった。
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彼らはどのように寒さを凌いでいたのだろう?

ティア・デル・フエゴはアザラシの集団生息地で囲まれている。
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アザラシは互いの肌を擦り合わせて寒さを凌いている。油はカロリーがとても高い。毎日、一匙(さじ)摂取すれば強力な寒さ対策になる。
ウルスラ・カルデロン「私たちは子供のころ、毎日、アザラシの油を一匙、与えられていたの。だから健康に育ったのよ。だから今も生きていられるのだと思うわ。子供にとてもいいって言っていたわ。でも冬だけで、夏は食べないの。夏に油を食べると顔に吹き出物が出るのよ。」
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フエゴ島民はいつも、船で移動する時でも、火種を絶やすことなく確保していた。
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クリスティーナ・カルデロン「彼らはカヌーで火を燃していたのよ。ある時、どうしてカヌーが燃えないのって訊いてみたの。火は泥の層の上で燃えていたのよ。火が小さければカヌーに火が移らないの。」
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南アメリカ大陸から隔離されていたアメリカ系アボリジニーの子孫たちは彼らの生活スタイルを数千年の間、保ち続けていた。
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しかし、中には普通とは少し異なるものもあった。それは儀式の名残と考えられるものだ。1930年代の探検隊の記録には、謎に満ちた男性の成人式が記されている。種族の秘密に仲間入りする前、少年たちは幽霊や精霊の姿をしなければならない。民俗学に関する報告書によれば、少年や女たちは幽霊の存在を信じていたという。
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この儀式はブラジルの岩のシェルターに残されていた不可解な場面の解読に役立たないのだろうか?仮面をかぶり、体に縦縞を書いて踊っている幽霊は、どこかで見たような気がする。
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種族の知恵は長い間、秘密とされ、男だけが引き継ぎ、女たちには知らされていなかった。この種の知恵に関するどんな些細な情報も、今なおタブー(禁制)とされている。
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クリスティーナ・カルデロン「それはとても秘密な儀式だって、みんな言っていたわ。だから私たちは詳しい事を聴いたことが無いの。男なら知っていたかも知れないわ。」
どんな秘密を女たちから隠しておかねばならなかったと言うのだろう?民族学者によれば、かなり昔、女たちが社会を牛耳っていた時が在ったと部族の長が語っていたという。
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だから今度は、男たちが牛耳る力を失うことが無ければ、女たちは全く知らされないのに違いない。

恐らく、この秘密の物語はアメリカ系アボリジニーによって伝えられたのだ。何故なら、これと似た儀式がオーストラリアのアボリジニーの間で行われていたという記録があるからだ。
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オーストラリアに最初にやって来た人々の伝統が、地球の果ての南アメリカの最南端で、彼らの子孫の小さな集団によって残されていたというのは驚くべきことだ。
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しかし、5万年を生き延びた後に、これらの伝統の記憶は今、永遠に消えゆく危険に晒(さら)されている。19世紀における白人定住者の到来は、ティア・デル・フエゴ諸島の原住民たちを絶滅の瀬戸際に追いやった。リャマの一種グアナコguanacoは主要な食料元だった。
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しかしヨーロッパからの定住者は、もっと別のものがこの土地には適していると考えた。羊だ。
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おかげでグアナコを狩猟していた草原は少しずつ羊の牧場に変っていった。それでフエゴ島民は単純に、狩猟対称をグアナコから羊に切り替えたようだ。それは悲劇的な間違いだった。ヨーロッパ人の土地所有者は密猟者を冷徹に殺害する以外の発想を持ってはいなかった。
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キリスト教宣教師たちは島民が新しい環境に適合できるように支援した。原住民の女たちや子供たちは集会所に集められ、集団生活をし、教育も受けた。これが事態を更に悪化させることになった。フエゴ島民と、ヨーロッパ人が持ち込んだ初めての病との接触の機会が増えた。
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ウルスラ・カルデロン「ある突出した病気があって、大勢が死んでしまったのよ。生き残った人は僅かよ。でもお腹の病気がやってきて、もっと大勢が死んだのよ。大勢の赤ん坊や大人が。私も病気にかかったわ。でも治ったの。」
死は確実に村々を死滅させた。30年前、クリスティーナとウルスラは故郷の村を捨て、白人たちの居住地に移り住まなければならなかった。村は無人になった。

彼女たちは家族の墓参りで時々村にもどっている。
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クリスティーナとウルスラは、アメリカを最初に発見し、この地を開拓したアボリジニーの文化に繋がる最後の生き残りだ。何故なら、彼女たち2人だけが完全なフエゴ島民の生き残りなのだ。彼女たちの子供は混血の子孫で完全な島民ではない。

9千年前にもしていたように、今回はヨーロッパ人との間で行われた混血がアメリカ系アボリジニーの文化の何かしかが完全に絶滅することから救ってくれるかも知れない。

フエゴ島民の祖先たちは、オーストラリアを離れて大洋の反対側の大地に向けて出発した。
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フエゴ諸島に到着したのは大洋と大陸を長い年月をかけて旅した結果だ。彼らがアメリカを最初に発見した。
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5万年後、彼らの子孫たちは数人にまで減ってしまった。しかし、ひょっとしたらフエゴ島民だけがモンゴロイドが到達した以降のアボリジニーの生き残りではないのかも知れない。長い間、隠れたまま見つかっていない別のアボリジニーがブラジルの熱帯雨林の中の隅で、発見されるのを待っているかも知れないのだ。
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History Channel - Decoding The First American Civilization - Discovery History Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=lbkFEosqYlc
・・・・・・
アルゼンチンの野生のグアナコguanaco
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ブラジルのペトラ・フラダの岩絵(1)
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ブラジルのペトラ・フラダの岩絵(2)
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オーストラリアに残るアボリジニーの岩絵
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次の岩絵はネットで見つけたもので、フィルムでも登場していましたが、1万5千年以上前のものと言われているオーストラリアのアボリジニーの壁画です。
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先頭に居るのは祈祷師で大海に出帆する前に、天を仰いで平穏な船旅を祈念している姿だろう、というのですが、どんなものでしょうかねぇ。

で、オーストラリアのアボリジニーがブラジルのジャングル奥深くの岩のシェルターに岩絵を残したっていうのですから、大西洋を船で横断し、アンデス山脈を越えてアマゾンに行ったってことになります。1万年前のアンデス一帯がどんな自然環境にあったのか確かに知っているわけではありませんが、もし緑多き山だったとするなら、太平洋岸は南国の平地が続いていたはずで、わざわざ山を越えてアマゾンに棲み着く必要はなかったのではないかという気もします。

フィルムで紹介されているブラジルのペトラ・フラダの岩絵のある洞窟の近くでの発掘によれば、人間の活動が見られる地層は3~4万年前のものだと言います。Wikiにもその旨の記事がありました。これが正しければ、モンゴロイドよりも数万年前にブラジルにホモ・サピエンスが暮らしていたことになります。彼らがブラジルで発生した人種でないとすれば、どこかから来たことになりますが、としたらmhはオーストラリア方面から太平洋を渡り、アンデスを越えてやって来たのではなく、やっぱ、アフリカ大陸から来たんじゃあないだろうかと思いますね。全くの珍説で裏付け証拠はありませんが、そのうち考古学者が新たな発見をして、この説を支持してくれるだろうと思っています。

それにしてもヨーロッパ人はアルゼンチンにも侵入し、原住民の土地を勝手に我が物とし、そこに入り込んだ原住民を撃ち殺していたんですね。北アメリカのインディアン、中南米のマヤ人、南米のボリビアやペルーの人々など、大勢のアメリカ原住民がヨーロッパからの侵略者たちによって殺害されました。他人が長年暮している土地に武器を持ち込んで侵入し、殺戮するという発想は、自分たち以外は人間ではないという思い上がりから生まれたのではないかと思います。他人の人格を認めない人は数世紀前のヨーロッパ人に限ったことではなく、今でも世界中に散らばっていますから、理不尽とも言えるテロや殺人はなくなりません。せめてこのブログの読者や作者は、殺す側にも殺される側にもならぬよう、心して過ごすことを再確認しておきたいと思います。
(完)

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