Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

呪われたピラミッド谷の不思議

ピラミッドならエジプトだと思っていましたが、世界の不思議をテーマにブログを作っていて、エジプト以外の処にも沢山のピラミッドが残っていることが判りました。例えばイランやイラクにはジグラットZigguratと呼ばれるピラミッド神殿の跡が沢山残っています。ギリシャ人歴史家ヘロドトスはバビロンのジグラットを“バベルの塔”として記録に残しました。
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Google Earthによれば50mx50mの正方形で周囲には池があります。
バビロンから数百Km南の古代都市ウルUrのジグラットです。
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中国には始皇帝陵があります。北アメリカにもピラミッドがあるというYoutubeも見ました。少し内容に無理がある気がしたので、ブログ化はパスしましたが、メキシコやユカタン半島では、例えばマヤ文明などで数百のピラミッドが造られました。

南米でも、ペルーを中心に、ピラミッドが沢山造られたんですね。エジプトのピラミッドと同じ紀元前2千5百年頃のカラルCaral遺跡です。ブログでもご紹介しました。
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カラルから350Km北のモチェ川の河口近くにも太陽の神殿Huaca del Solがあります。
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この神殿から9km離れた太平洋岸には2016年1月4日「砂漠の王国の不思議」でご紹介したチムー王国の首都チャン・チャン遺跡が残っています。
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このチャン・チャンから海岸に沿って2百Km北に、今回のブログの舞台となるランバイエケLambayequeと呼ばれるデルタ地帯があります。
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ランバイエケにはアンデスの水を集めた2本の川が流れ込んでいます。
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2つの河口近くのデルタに・・・
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ピラミッドが・・・
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何百も造られました!!!
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ピラミッドの裾で発見された埋葬地に見つかった一つの墓。
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今回ご紹介する「呪われたピラミッド谷の不思議」は、仕事でペルーを訪れていたドイツ人技師ハンズ・ハインリッヒ・ブルーニングHans Heinrich (Enrique) Brüningがランバイエケを調査して世界に知らしめたピラミッド文明を巡る恐ろし~い物語です。
ハンズ氏は結局、ランバイエケの調査と保存に半生を捧げることになりました。収集した工芸品はペルー共和国に安く売却され、ランバイエケに建てられたブルーニング国立博物館に展示されています。
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展示物1:黄金のマスク(墓から発掘)
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展示物2:土器
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展示物3:ネックレスの拡大写真。髑髏が・・・
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女性用とは思えません。
きっと恐ろしい祈祷師か残酷な王が・・・怪しい儀式で・・・

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彼らは地上で最後のピラミッド建造民族と言えるだろう。
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不可解な文明を持っていた。アンデスの隔絶されたランバイエケの谷間で、ピラミッドを建設しなければならないという執念に憑(と)りつかれていたようだ。その強迫観念は恐怖に変った。暴力と流血は受け継がれ、ある時、突然、彼らが築いてきた全ての文明が地上から消え去った。
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最近になってから、この文明を突然の終焉に追い込んだものが何なのかを説明する証拠が明らかになった。彼らを恐怖に追い立てていたものは何だったのだろう。

古代の失われた都市:呪われたピラミッド谷
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ペルーの北部、アンデスの麓の丘に隔離された谷間がある。過去の出来事で今でも呪われている所だ。
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昔、ランバイエケ谷で暮らしていた人々は、ピラミッドを造ることが生き残るために重要なことだと信じていたようだ。彼らは250ものピラミッドを造った。古代世界における建築技術の傑作の一つと言えるものだった。広い谷間に造られたこれらの記念物monumentsは辺りの風景を威圧していた。
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しかし、ある日、何か恐ろしい事がこの谷間に起きて250のピラミッドと共に文明が消滅し、その後、何世紀もの間、外の世界から忘れ去られていた。
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そうとは気付かずにこの谷間にやって来た一人の男の仕事によって、失われていた文明がとうとう外の世界に知られることになる。
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(mh:ハンズがランバイエケ谷を訪れたのは1883年頃のようです。)

ハンズ・ブルーニングは偶然、探検家で考古学者になった人物だ。彼はドイツからペルーを訪れていたサトウキビ処理工場の機械技術者だった。滞在中に失われた文明に出くわすことなど考えたことも無かったはずだが、残された人生は失われた世界のために費やされることになる。
当時、失われた世界で見つかる宝物は、掘り出され、散在している田舎の鍛冶屋で溶かされてから売りさばかれていた。
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ペルー人の仲間「もし興味があるなら、あれと同じようなものを安く買えるよ。例えばあれは20リブラだ。安いだろ?あそこに見えるお面は100リブラだ。」
ハンズ「200リブラを払うから溶かすなって伝えろ!さぁ早く!」
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ブルーニングはお金のために何Kgもの黄金や銀の工芸品が溶かされて歴史から永遠に失われてしまうのを食い止めることは出来なかった。
しかし、彼は、これを機にユニークな工芸品が消滅してしまう前に助け出そうと誓った。そして、工芸品の出処を探すため、ペルー人の仲間を案内に砂糖工場を出発した。技術者としての人生を諦(あきら)め、考古学者、探検者として生きることに決めたのだ。
彼は太平洋岸からアンデスの麓に広がるランバイエケ谷を通って旅をしていた。
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周囲には妙な風景が広がっていた。その時、失われた文明は既に彼の周りにあったのだ。
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彼にはそれが見えていなかった。しかし、丘に登ると、この谷の秘密が目の前に開けていたことに気付いた。
ハンズ「なんてことだ。山が煉瓦(れんが)で出来ている!この山はピラミッドだったんだ!」
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周囲に見える全ての丘が、昔は煉瓦で造られていたピラミッドだった。
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数百年経過して浸食されたピラミッドは丘に変り、風景の中に隠れていたのだ。
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彼は失われた文明から集めた工芸品を展示する博物館を創り始めた。撮影した数百枚のピラミッドの写真は世界の関心を集めることになった。
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彼の主な関心は、文明が造り上げて来たピラミッドの研究だった。
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ペルー人の仲間「あそこはプレベトリーアって呼ばれている場所だよ。山だ。恐ろしい霊魂が棲んでいる所だ。とても力があるんだ。人だって殺す。あそこには地獄の入口があるって、みんな言ってるよ。」
ハンズ「で、お前は信じているのか?」
ペルー人の仲間「地元の人は沢山のことを信じているよ。口先だけかも知れないけど。」

ブルーニングはこの伝説を無視してプレベトリーアに行くことにした。今はトゥクメイTucumeと呼ばれる場所だ。それは谷間に横たわっていた。住民は入ることを恐れている場所だった。
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ペルー人の仲間「ここから写真を撮ればいい。」
しかし、ブルーニングはトゥクメイに入って行った。そして世界の他の場所では決して見つからないユニークな構造の、失われたピラミッドの都市を見つけたのだ。そこには26もの廃墟となったピラミッドが聳えていた。トゥクメイは失われた文明の中の最後のピラミッド都市だった。そこに入り込んだ時、呪術医が特別な儀式のために、その場所を使っていることに気付いたが、昔、行われていた儀式については、ブルーニングは知る由も無かった。
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ハンズ・ブルーニングはこの谷とそこに住んでいた住民に関する研究に残りの人生を捧げた。しかし、何故、こんなにも多くのピラミッドを造ることになったのか、文明を消滅させる何がトゥクメイで起きたのか、については、何も判らないまま死んでしまい、仕事は後世の人たちに残されることになった。

凡そ1百年後、国際的な科学者で構成された考古学分野の調査チームが、ブルーニングが遺した謎を解くため、新しい技術を持ち込んで集まった。現場考古学者、気象学者、遺骨専門家などで、調査の目的は、暮らしていたのはどんな人々だったのか、何が彼らに沢山のピラミッドを造らせることになったのか、文明を消滅させる何がトゥクメイで起きたのか、を調べることだった。
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考古学者たちはランバイエケ谷のピラミッドの位置を注意深く地図上に記していた。沢山のピラミッドが集中している文化は他の地では見られないものだ。
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サンドワイズ教授「ここはピラミッドの谷だ。沢山ある!今はトゥクメイで調査しているが、周辺の小山はみんなピラミッドなんだだ。こんなにピラミッドが集中している場所は世界に類がない。ランバイエケ谷全域では3つのピラミッド都市が突出している。まずはパンパ・グランデPampa Grandeだ。ここには一つのピラミッドしかないが、巨大なんだ!」
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高さ50m、幅200mはある。

サンドワイズ教授「次はバタン・グランデBatan Grandeだ。6つのピラミッドがある。」
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「そしてトゥクメイTucumeには26ある。南アメリカで26もピラミッドが集まる場所はここだけだ。」
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サンドワイズ教授「昔、パンパやバタンのグランデGrandeでは数個のピラミッドがあっただけだった。それがトゥクメイとなると信じられない数が造られているんだ!」

ピラミッドを造った人々は文字を使っていなかった。彼らが自分たちを何と呼んでいたのか、誰も知らない。そこで谷の名からランバイエケ(人)と呼ばれることになった。ランバイエケは西暦700年頃には繁栄していた。彼らは数千年前にペルー北部でピラミッド文明を創り上げた人々の子孫だ。
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しかし、ここランバイエケでは、人々はピラミッドを建設することに憑りつかれていたようだ。一体、何のためのピラミッドなのだろう?何故、ランバイエケはこんなに沢山のピラミッドを造ったのだろう?

ピラミッドを造る文明では全て、ある目的を持っていた。彼らが信仰するものの中心がピラミッドだ。数十の文明がピラミッドを造っている。しかし、ランバイエケのピラミッドは、それらのどれもと異なる。
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サンドワイズ教授「ピラミッドと言えば、まずはエジプトのピラミッドが頭に浮かぶ。巨大で、先端が尖(とが)っている。統治者の墓として造られた。一つの時期に、一つの目的で一つ造る。それだけだ。」
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サンドワイズ教授「アステカのピラミッドも良く知られている。マヤでもそうだが、ピラミッドは寺院だった。時には内部に墓もあるが、主には儀式用の建物だ。」
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しかしトゥクメイでは、ピラミッドの構造が世界のどのピラミッドとも全く異なる!
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大きさが全て異なる26のピラミッドは中央にある山の周りに集中して造られている。ピラミッドが広がる地域は広く、1マイル(1.6Km)平方くらいだ。中でも一つの建物が突出している。そこでは、大きな、長方形の高台が山の隣に設けられている。
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サンドワイズ教授「我々は世界で最も大きいピラミッドではないかと考えている。それが都市の中央にどんと座っているんだ。」
長さ700m、高さは20m以上、上層はフットボール場7個分のオープン・スペースになっている。
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ピラミッドは一つの塊(かたまり)構造で、内部には何も造られていない。頂きは全て切り取ったように平面になっている。墓や寺院が造られていた痕跡は全く見つかっていない。
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サンドワイズ教授「これこそが世界の他の場所で造られたピラミッドと異なる点だ。」
ピラミッドに登る道は一つで、ランプ(ramp坂道、スロープ)で出来ている。
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ここのランプは長さ120mもある。ランプを登り切ると迷路のような通路が続いている。この構造も世界で類がない。
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ピラミッドが社会の中心だったことは間違いない。住民が持つ全ての資源を投入しなければ、こんな巨大なピラミッドを造ることなど出来ない。数千人が、時間をかけ、組織的に労役(ろうえき)を提供したはずだ。煉瓦は泥で造られ、日干しされている。その数は気が遠くなる程だ。作業は兵役のようだっただろう。全ての煉瓦には、どこの作業場で造られたものかを示す印が付けられた。
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ランバイエケ谷にはこのような作業場が数百も群がっていた。
サンドワイズ教授「これが煉瓦に付けられていた印の例だ。」
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「足型状のもの、渦状のもの、T字形のもの、などだ。彼らには文字が無く、記録システムを持っていなかった。しかし、何かを示す記号は使っていたんだ。煉瓦で見つかった記号は80もある。それはある発掘場所からだけのものだ。ランバイエケ谷全体では数百の記号が使われていただろう。」
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何かが、ランバイエケの人々をピラミッドの組織的な建造に駆り立てていたのだ。炭素年代測定によれば、トゥクメイで最初にピラミッドが造られたのは西暦1100年だ。その後4百年の間に、更に多くのピラミッドを造り、それ以前に造られたピラミッドを拡張してもいた。建築モデルが現場で見つかっている。ピラミッドは計画に従って組み上げられていたのだ。このピラミッドの建造では、煉瓦を造るだけでも2千人で1年が必要だった。それ以外に、ピラミッドを組み上げる軍隊のような作業者たちがいた。さらには彼らの食事を調理する数百人の料理人も必要だった。従って一つのピラミッドを完成させるには数千人が数年間、働かねばならなかったのだ。
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トゥクメイには、このピラミッド以外に25のピラミッドが、谷全体では、更に2百もある!

ピラミッドの建設はランバイエケ谷の住民にとって負担が大きい事業だった。とすればピラミッドは人々の強い願望を満たすものでなければならなかったはずだ。
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それが何であれ、ピラミッドがどのように使われていたかに関係しているはずだ。ピラミッドの最上層にヒントがある。これは発掘された、あるピラミッド群の一つだ。石には装飾が施されている。
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この部屋の直ぐ外で、考古学者たちは、いくつもの食糧の小山を見つけた。ラマや大型魚の骨も出て来た。かなりの量だ。ピラミッドの上で、このようなものが見つかるのは普通ではない。
ベルー人考古学者「我々は多くの台所用品も見つけた。炭が残る炉や、植物の種や動物の骨や、土器の欠片も。これら全ては、そこで調理が行われていた証拠だ。」
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発掘が進むにつれ、更に食物の層が現れた。ピラミッドの上では豊かな人々が暮らしていたのだ。
ベルー人考古学者「これらの証拠から、ピラミッドの上で、人々が長い間、生活を続けていたことが判る。一時的な儀式の場所という訳ではなかったんだ。」
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そしてピラミッドの最上部で、35歳の男の遺骨が見つかった。
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考古学者たちは、ここに住んでいた男だと考えている。宝石類と鳥の羽で編んだ頭飾りを身に付けていた。
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一帯を統治するエリートだったのだ。
サンドワイズ教授「ここがトゥクメイのリーダーが暮らす王宮のような場所だったことは間違いない。」
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つまりトゥクメイでは、統治者たちは何世代もの間、ピラミッドの上で暮らしていたのだ。アンデス一帯の全ての支配者がそうであったように、これらの統治者も神のような扱いを受けていたのに違いない。
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彼らは世界を思いのままにできる不思議な力を持っていたと主張していたはずだ。トゥクメイは26人の王が26のピラミッドの上で暮らしていた。考古学者たちはこれらの王が谷全体を統治していたと考えている。
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この地が持つ何かが、彼らを、ピラミッドを引き付けていたのだ。
サンドワイズ教授「トゥクメイではそれぞれのピラミッドの上にそれぞれの王がいた。力が大きな王は大きなピラミッドを造っただろう。」
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「小さなピラミッドは小さな権力の王が造ったはずだ。いずれにしても26人の王がいたのだ。」

この大きなピラミッドの上にも王が暮らしていた。その場所へ行くには、長々と続いているランプ(スロープ道)を登って行かねばならない。王は、ピラミッドの中心の最も高い場所に暮らし、住民とも謁見していた。
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王の住居の後ろには広い台所があった。ラマの肉は王の好物だった。台所の近くで考古学者は作業場や倉庫の跡を見つけている。
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人々の活動やそれに伴う騒音がやむことは無かっただろう。
王の住居の前方は全く異なる機能を持っていた。広大なスペースが大集団で行う儀式のために確保されていた。
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しかし、26人の王たちは何故、この場所を選んで集まっていたのだろう?
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そのヒントはトゥクメイの中心にある山だ。
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ペルー人考古学者「ペルーでは古代から山は神聖で、神秘的な力を持っていると信じられていた。」
伝えられている話によれば、神は自然を自由に操(あやつ)る力を持っていると信じられていた。
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雷の轟きは神の声だ、稲妻は神の怒りだ。しかし、最も偉大な神は山に住んでいる。

神々が怒ると人々に害をもたらす。神はアンデスの水を操(あやつ)って、人々に生と死をもたらす。水が無ければ谷は砂漠になる。
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考古学者たちは、自然を操る不思議な力を持つ神聖な山のレプリカがランバヤキに造られたのだろうと考えている。
サンドワイズ教授「後ろに在るのがトゥクメイの山だ。トゥクメイの中心に控えている。アンデスの山と同じように超自然的な力を持つと考えられていた。」
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「山の前のピラミッドは、山が持っている力を掴まえる場所だ。つまり恐ろしい力から人々を守る所だ。」

これがランバイエケ谷の理屈だったのだ。人々はピラミッド建造のために労役に従事した。彼らは不思議な力が山にはあると信じていた。ピラミッドの頂には、最も恐れているものから彼らを守る力があると信じていた。
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しかし、この谷で暮らす人々がそんなにも恐れていたものとは何だろう?身を守るためとはいえ、何故、こんなに沢山のピラミッドを必要としたのだろう?

考古学者たちは、谷に残された3つの偉大な遺跡の中から、その答えを見つけたと考えている。都市の炭素年代測定結果は驚くべき事実を提供している。これら3つの都市は同じ時期にあったわけではなかった。以前からあった都市が何らかの理由で放棄された後に、別の都市が造られていった。まず、パンパ・グランデが造られ、数百年後、突然、放棄された。(mh:600-750年)
その直後、バタン・グランデが造られた。これも、ある時、突然、放棄された。(mh:750-1100年)
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最後に造られたのはトゥクメイだ。広大な都市で、多くの労力が注ぎ込まれた。しかし、これもある時に放棄され、それが、この文明の終焉となった。(mh:1100-1500年)

放棄されたこれらの都市には共通する妙な痕跡が見つかった。人々が都市を放棄する直前、ピラミッドの最上層に火が放たれていたのだ。この痕跡は全ての都市で明確に残されている。トゥクメイの主要な王宮の跡には、火で焼かれて赤茶けた煉瓦が残っている。
ペルー人考古学者「この煉瓦から、強烈な火で焼かれたことが判るのよ。石の表面が赤くなっているだけではなく、焼けただれている箇所もあるの。」
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しかし、この火が侵入者や攻撃者たちによって放たれたことを示す証拠は見つかっていない。ピラミッドの住民が自分たちで焼き払ったようだ。
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サンドワイズ教授「数百の重要な場所で同じことが起きている。それで終わりだ。以降、そのピラミッドには戻っていない。」

苦労して造ったピラミッドを簡単に焼き払って放棄するということはどういうことなのだろう?それを理解するのには何か不吉なものを予想せざるを得ない。ペルーでは浄化して悪魔祓いするために火を放つ慣習がある。
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ペルー人考古学者「火はとても大切なものだ。その場所を浄化して神聖にする。悪い力や不吉なものを焼き払う力があるのだ。」

考古学者たちは谷の古代の住民が最も恐れていた超自然的な力の痕跡を地域一帯で発見した。それが攻撃してくると、人々はピラミッドに火を放って浄化し、放棄していたのだ。この地域は地球上でも最も厳しい気象災害に晒されている。その災害から人々を守ることこそがピラミッドに棲む神の責任だった。
考古学的な地層調査からパンパ・グランデやバタン・グランデが大洪水に襲われていたことが明らかになった。
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一方、モチェの神殿複合体(mh:チャン・チャンです)は砂嵐に襲われて埋没してしまった。洪水や旱魃(かんばつ)はエルニーニョとよばれる現象で引き起こされ、今でもこの地域を襲っている。
(mh道路には泥水が流れています。)
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これこそがランバイエケ谷の人々が恐れていた超自然的な力ではなかったかと考えられている。なぜなら、この現象はランバイエケでは神々が怒って引き起こされるものだと信じられていたのだ。そして、神々の怒りが人々に及ぶことがあるなら、それはピラミッドの役割が果たされなかったことを意味する。
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サンドワイズ教授「洪水が谷を襲えば、人々は流され、農作物は壊滅的被害を受けて飢饉が起きた。その都度、人々は、ピラミッドやそこに住む王が役割を果たさなかったのではないかと疑いを持ち、ピラミッドを放棄して、新しいピラミッドを造ることにしたと考えられる。」

これこそがランバイエケ谷に憑(と)りついていた因習だった。大災害を回避できなかった時、ピラミッドは呪われてしまったと考えられ、火を放って浄化した後に放棄されたのだ。その後、新しいピラミッドが造られ、取って代わった。それで、谷のあちらこちらにピラミッドの跡が残されることになったのだ。

ランバイエケ谷で、最後で最大のピラミッド都市トゥクメイが造られた時、状況は変わっていた。ここには大災害の跡がない!
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にも拘らず、トゥクメイの人々がピラミッドに放火し、その後、文明が永遠に消滅することになったのは何か別の理由があったのに違いない。

劇的な発見が、トゥクメイ最後の日、何が起きたのかを説明してくれそうだ。考古学者たちは偉大なピラミッド都市とランバイエケ文明が終焉に到った過程を探り当てたと信じている。
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それは考古学者たちがピラミッドに続く2つの歩道に気付いたことから始まる。
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歩道は直角に曲がりながら都市を走っていた。その道は都市のある地点を通過していた。
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そこに小さな建物跡があった。調べると寺院であることが判明した。
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そここそがトゥクメイの儀式の中心だったのだ。
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ランバイエケ谷に危機が起きた時、人々はこの寺院に集まり、供え物をして神に怒りを収めてくれるように祈った。
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一連の供え物が寺院発掘場所から見つかっている。
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寺院の中心の石は山とそこに住む全能の神を象徴している。ここでの儀式こそが世界を導くものだと人々は考えていた。しかし、ランバイエケ文明の最後の日、この寺院で行われた一連の供え物は暗い面を持っていた。

2005年の夏、寺院の外で見つかった人骨を調査するため科学者たちが招集された。その時の発見は谷の文明が最後の日に辿(たど)った不吉な変化を露(あら)わにすることになった。
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科学者マリア「この骸骨は恐ろしい事がこの人物に起きたことを暗示しているの。体は通常の状態で埋められていたけど、頭は捻(ひね)られているのよ。」
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頭は脊髄から切り離されている!
マーラ「背骨と頭をつないでいた骨を見ると切断の跡が見えるわ。ほら、こんなにきれいに。前から後ろにスパッと切ったのよ。間違いなく、首切りが行われたのよ。」
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この人物は自然死ではなく、殺人だったことが明確になった。女性や子供を含め、全部で119の遺骨が寺院の外で見つかったが、多くは斬首されていた。使われていたナイフも見つかっている。
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全ての証拠は人間の生贄(いけにえ)が行われていたことを示している。トゥクメイの生贄はこの地で行われた最大のものだった。
マーラ「世の中で何か、恐ろしいことが起き、その理由が判らない時、人々は神に祈るために生贄を捧げたのよ。」

遺骨は5層になって埋められていた。ほとんどは最上層に、つまり最後に行われた生贄の数が多かったことを示している。その日こそトゥクメイ最後の日だったはずだ。
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マーラ「生贄の数が増加していったっていうことは何かが起き続けていたことを示していると思うわ。一人の生贄では不足したので、2人、3人と増やしていく必要に駆られたのよ。」

トゥクメイの最後の時、何か恐ろしい出来事があり、それを取り除くために最も大切なものを神に捧げなければならなくなったのだ。男や女の、時には子供の血を。若ければ若い程よかったはずだ。
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生贄の数はトゥクメイの最後に向けて増加しているようだ。考古学者たちは生贄の増加と都市の終焉は関係があると考えている。この新発見で、考古学者たちはトゥクメイ最後の日に何が起き、何故、どのように文明が消滅することになったのかを語ることが出来ると考えている。

全ては1532年に始まったのだ。その年、ランバイエケ谷から遠く離れたペルー北部にスパニッシュ・コンキスタドールがやって来た。この、外の世界からの侵入者たちは、古代の神がアンデスを歩くかの如き、4本足の生き物に乗っていた。そのニュースがランバイエケ谷に伝えられた時、人々は驚き、何事が起きるのだろうかと慌てふためいた。実際の所、コンキスタドールたちがトゥクメイに来ることはなかった。しかし彼らがペルーに滞在している話が伝わってくるだけで、人々は慌てふためいた。
ペルー人考古学者「彼らはトゥクメイには来なかったが、彼らの話が人々を震え上がらせていた。彼らは見たこともない動物、馬だが、に乗っていた。南アメリカでは知られていない動物だった。」
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スペイン人が南アメリカに到着した時、ランバイエケ谷はインカ帝国の勢力下にあったことが遺跡で見つかった工芸品から判明している。インカもランバイエケも、スペイン人の出現は神の怒りの現れだと考えていた。今こそ、神に捧げものをしなければならない!
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しかし、スペイン人がやってきて1年もしない内に、本当に恐ろしいニュースがトゥクメイに届けられることになった。スペイン人はトゥクメイから遠く離れた高地の町で、インカの神ともいえる皇帝を捕え、殺してしまったというのだ!このニュースは溜(た)まっていた恐怖に火を点けた。今こそ、神にもっと重要な貢物を捧げる時だ!人の生贄だ!
トゥクメイ最後の日、寺院の外で何が行われたのかは見つかった証拠やスペイン人の歴史書から明らだ。最高位の祈祷師は寺院の前にある神聖な山の象徴の石に語り掛ける。
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別の祈祷師は雷の神に、別の祈祷師は稲妻(いなずま)の神に語り掛ける。生贄の効果を高めるため、儀式は寺院の外に場所を変えて続けられる。インカの統治者でもあったランバイエケの王たちは寺院の周りに集まっている。
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最高位の祈祷師は石に青い粉を吹き付ける。その痕跡は考古学者によって確認されている。面を顔につけ、祈祷師は神の姿になる。
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いよいよ殺害が始まるのだ。
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119の骸骨は、寺院の外でどのような儀式が行われていたかを語っている。
マーラ「遺骨を調べると、犠牲者が暴れた跡が見つからないの。殴られた跡もないわ。でも、首の骨が見事に切られている跡は見つかるのよ。それは見事な仕事で、何度も刃物で切りなおした痕跡もなく、スパッと切っているの。手を見ると縛り上げられていた証拠は見つかっていないわ。」
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これらの犠牲者を縛り上げる必要はなかったのだ。彼らは予めマラと呼ばれるドラッグを与えられていた。マラの種が寺院の外で見つかっている。
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マラは体を麻痺させる成分を含むドラッグだ。悲惨な運命だったとしか言いようがない。最後の瞬間、彼らは反抗する力を奪われていたのだ。
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いよいよ犠牲者が寺院に引き連れられてきた。彼は既にマラを沢山与えられている。体の全ての筋肉は麻痺して力を失っている。暴れることも、逃げることもできない。
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しかし、意識だけは残っていて、何が行われようとしているのか判っていただろう。

斬首された後で行われたことは骸骨を調べると判る。
マーラ「119の遺体のうち、およそ90には首に切断の跡が見つかっているの。この切断は系統立てて行われたのよ!」
全ての切断の跡が同じだ!その跡から科学者たちはどのように生贄が行われたのかを知っている。使われたのは刃物だ。
マーラ「切断跡の位置や角度は同じで、使われたのはナイフよ。喉から後ろ側に切り裂(さ)かれたのよ。犠牲者の後ろからナイフを喉に当ててかき切ったのよ。喉からほとばしる血は前に飛んでいくので後ろにいる殺害者にはかからないわ。喉の左から右にかきあげるようにナイフで切断したの。その時、犠牲者は四つ這いの姿勢だったはずだわ。殺害者は犠牲者の頭を掴んで少し持ち上げてからかき切ったのよ。」
しかし、喉を切り裂かれ、首が体から離れたからといって、儀式が終わったわけではなかった。
マリア「骸骨を調べていたら、特徴的な傷を見つけたの。この左の肋骨(ろっこつ)には7つの切り跡が残っているの。」
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「胸の中央で、骨が切り取られているものもあったわ。胸を切り開いていたのよ。」

人間の生贄の最後の瞬間に行われたこととは、寺院の外で、犠牲者の心臓を取り出すことだったのだ。この偉大な文明の最後の日、生贄の儀式は寺院の外で何度も行われた。祈祷師は薬で麻痺した犠牲者にナイフを持って近づいていった。このナイフの一つがトゥクメイで見つかっている。
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儀式で最も重要なものは血だった。後に見つかっている歴史書などから、神は人の姿をしていて、血を飲んで力を付けていたことも判っている。
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最後に犠牲者の心臓が握り取り出された。しかし、生贄がスペイン人の暴挙を止めることは無かった。神はもっと多くの血を望んでいるかのようだった。彼らの恐怖が高まり、儀式は更に過激になっていった。

調査している考古学者たちは、人の生贄は最後の日まで、連日行われたと考えている。
ペルー人考古学者「混乱が収まるまで、続けられたのだ。恐らく、連日10人以上が生贄にされたと考えている。」
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ランバイエケ文明の最後が来る直前、生贄の体は寺院の外に積み上げられていた。しかし、多くの人間の生贄もスペイン人を止めることはできなかった。王のピラミッドは、人々を保護し、世界を平穏にすることにまたもや失敗したのだ。
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ピラミッドは超自然的な力を失ってしまった。そうとなれば、行うことは一つだ。人々はピラミッドに火を放った。文明最後の直前、放火が行われ始めたのに違いない。人々はピラミッドの頂きの王宮に注意深く火を放った。呪われた都市は炎によって浄化されねばならない。
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サンドワイズ教授「トゥクメイが放棄されたことでピラミッドの建築も最後になった。もう造られなくなったのだ。恐らく3千年前に始まったピラミッド文化も終了してしまった。全てが終わったのだ。」
ペルー人考古学者「トゥクメイに火が放たれた後、都市は完全に放棄された。その後で人々が何処に去ってしまったのかは今も謎だ。」
新しい都市、新しいピラミッドを建てるために、ランバイエケの人々は町から逃げ去った。しかし、統治していたのはスペイン人だ。再び、ピラミッドや王が現れることはなかった。そうして、ランバイエケ文明は谷の中に溶けて消え去ってしまったのだ。
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Lost Cities Of The Ancients | S01E02 The Cursed Valley Of The Pyramids
https://www.youtube.com/watch?v=Ug28T073zbk
御参考
シカン文化(Sicán)
ペルー北部沿岸で750年~1350年頃のプレ・インカ時代に栄えた文化。南イリノイ大学人類学科教授の島田泉により名づけられた。「シカン」とは「月の神殿」を意味する。地名からランバイエケ文化とも呼ばれる。前期・中期・後期の3つの時代に分かれる。

トゥミと呼ばれる、裕福な家庭の副葬品である儀礼用ナイフ。伝説の人物ナイムランプ(注)の意匠。
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ナイムランプNaylamp
古代ペルー民話の人物。コンキスタドールの歴史書によれば、海から文明を携えてランバイエケに上陸し、王国を築いた。子孫は、チムー王国に占領されるまで、王として王国を継承した。

ランバイエケ谷を占領したチムー王国の伝説によると、首都チャン・チャンは海からやってきたタカイナモという男によって創られ、彼の子孫が歴代の王として君臨し続けたんですね。チャン・チャンはモチェ川デルタに造られた都市ですが、この川の流域には西暦100年頃に生まれたモチェ文化の影響を受けています。

つまり、ランバイエケ谷もモチェ川デルタも、海からやって来た人によって統治されることになったんです!

ブログ冒頭でご紹介したように、ランバイエケの150Km南がモチェ川、そこから350Km南にはカラルの遺跡があります。カラルは南北アメリカで最も古い都市だと言われていて、ピラミッドもいくつか残っています。Wikiによれば、カラルは紀元前2千5百年前に生まれ、紀元前1800年に放棄されました。町が放棄されたからと言って住民が死滅した訳ではないでしょう。恐らく、旱魃(かんばつ)で農作物の収穫が激減したので、雨が多い赤道方向、つまり北のモチェ川方向、に移り住んでチャン・チャンが造られ、一部の人は更に北のランバイエケに移り住んだのでしょう。2つの文明に残る、リーダーが海から来たという伝承も、同じ文化を引き継いでいる証拠です。

しかし・・・どうして山からではなく、海から来たのか?
お釈迦様が仰ったように、因果応報、理由があるはずです。

考えられる理由の一つはこうです。
カラルを放棄した人々は水を求めて熱帯方向に移動したのですが、荷物を運ぶ必要がありました。当時、車輪がついた台車はありませんでしたから、肩に担ぐか、リャマに載せて運ぶしかなかったのですが、リャマは捕獲するのも大変なので沢山はいませんでした。それで、結局、肩に担いで運んだんです。でも、海岸の砂浜を重い荷物を担いで歩くのは重労働だったので、当時でも使われていた漁業用の船で移動することにしたんです。彼らが次の住居と決めたモチェ川デルタに着くと、そこには原住民が暮らしていましたが、何も知らない田舎者だったので、海から来た人たちが、原住民を統治することになり、国を造る偉人が海からやって来たと言う国造り物語が生まれることになりました。
恐らく、この仮説が正しいと思うのですが、客観的な証拠は何もありません。よって、もう一つの理由もご紹介しておきましょう。

理由その二です。
海岸に開けたデルタで暮らす住民は、海では魚介類を獲り、平地ではアンデスから流れ下る水を使って灌漑(かんがい)しながら野菜や穀物を育てていました。海は荒れたら出漁を控えれば済みます。しかし、山から流れ出る水は、エルニーニョで洪水になると、手が付けられません。恐ろしいものだったのですね。それで、優(やさ)しい海こそが、有能なリーダーが誕生する場所として相応しいと考えたんです。山から来たとなると神様になってしまいますし、山のどこから来たのか?と聞かれた時、眼に見えている山のどれかを示さなければなりませんが、そんなところに神や人が暮らしていないことは誰も知っていました。でも、海だと、何処まで行っても海しか見えなかったので、海の遠くから来たと言い張っておけば、それ以上の詮索(せんさく)が出来ないので都合が好かったんです。で、リーダーになった人が、私の祖先は海から来たのだ、平民とは違う出自があるのだ、ということで国造り物語を創造することにしたのです。

日本でも天皇の祖先がどこから来たのか、時々、話題になることもあったようですが、神の子孫だというのはさすがに嘘っぽいですから、所在が分からない高天原から来たことになっています。
Wiki高天原によれば、その所在は天上説、地上説、作為説の3つあるとのことですが、海の向う、例えば朝鮮、から来たと考えることもでき、我が女房殿によれば、今上天皇が、“そうかもしれないなぁ”って仰ったことがあるとか。昔のことなので、どこから来たのか、いくら考えても答えが出るとは思えませんが、天上説じゃあないことだけは間違いないでしょう。
(完)
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