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チョリータ(ベルー・ボリビア先住民女性)衣装の不思議:解答篇


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このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
保管しておいたpdfから再生したブログはライブドアのブログに張り付けておきましたので
もしご関心がございましたら、つぎのURLでご確認下さい。
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チョリータ(ペルー/ボリビア先住民女性)の民族衣装の不思議:解答編
              2014年3月 mystery hunter

<質問>
ペルーやボリビアの、特に年を取った女性は、なんであんなダサい民族衣装を今でも着ているのか?その衣装はいつ頃、どんなきっかけで着られるようになったのか?

<解答>あくまで個人的なものです!間違いかもしれません。その時はご容赦を!

まず、あのスタイルの発祥の経緯ですが、3つの記事が見つかりました。

その1)Yahoo-Peru:チョリータファッションのWeb
http://www.cholitapacena.com/2012/10/las-cholitas-pacenas.html#.UyUJcemKBjo

その2)Yahoo-Espana:BBCレポート
本年2月20日付けの記事で私がボリビアにいた日ですから何かの因縁かも。
http://www.bbc.com/news/magazine-26172313

その3)Wiki:日本版

BBC(英国放送協会)レポートに掲載されていたチョリータ衣装です。
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ポイントは上から、山高帽、髪、宝石、ショール、スカート、ベティコート、です。

発祥の経緯ですが下記の通りです。

ファッションWeb:
「18世紀の終わり頃、スペイン征服者の長がボリビアの女性にあるタイプの衣装を義務付けた。当時のスペインの女性の衣装だったスカート、ブランケット、ブーツその他の身に着ける物を先住民に身に着けさせたのだ。」

BBCレポート:
「ボリビアのチョラのファッションという調査報告を書いたバレリエ・サリナスは言っている。“スペイン人は、自国の闘牛士のアシスタントが着ていた服と似ている欧州の服を着るよう、土着の女性(チョラ)に弾圧的に強要した。”」

Wiki日本
「これらはスペイン統治時代のなごりを残す伝統的な衣装とされ、一説によると、スペイン人の妾となった人たちが当時のスペイン女性の格好をまねたことに端を発するという。しかし、これらは基本的に「和服を着た日本人女性」に近いイメージのものであり、都市部に住む先住民系の女性を中心に必ずしも当てはまらないことが多い。」

ショールを2つに折り、風呂敷のようにして物を包み肩に担いで歩く女性をペルーやボリビアで頻繁に見かけました。特に田舎では多いです。町ではたまに見る程度。中年以上の女性に限られているようでした。しかし、どこの国でも女性は働き者ですね。そこへいくと男は遊びや手抜きばかり考えていて頼りにならない時が多いです。
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さてチョリータ衣装ですが、今から200年程前、ペルーやボリビアなど旧インカ帝国の領土を統括したスペイン人統治者が、当時のヨーロッパの衣装をペルーやボリビアの先住民女性に強制したことが発祥の理由である、としても好いでしょう。

その後の経緯を短くまとめると次の通りです。

「チョリータ衣装は先住民女性達が強制されて着始めたものだが、先住民女性の嗜好も加わり、少しずつ変化しながら“ユニフォーム”として定着していった。しかしこの衣装を着た女性、つまり先住民女性、は召使や行商人のような仕事にしか就くことが許されず、公共施設・バス・レストラン・大統領官邸前広場などへの立ち入りを禁止されるなど、長い間虐げられていた。

20年程前に始まった先住民の権利見直し運動で2003年に初めて先住民出身の大統領が選ばれるとチョリータ(先住民女性)及びその衣装は急速に市民権を得始め、チョリータが銀行や役所で事務員として働いたり弁護士になったりするケースも出てきた。また商業化の波で豪華なチョリータ衣装も現れ始め、これまで見向きもしなかった中上流階級の女性達も着るようになると、チョリータ衣装のファッションショーやフェスティバルも開かれるようになり数百万円もする宝石でショールを留める女性も多くなっている。」

詳細はBBC記事(英語)で確認下さい。状況が実感できると思います。
http://www.bbc.com/news/magazine-26172313

ところでチョリータ衣装は本当にダサいのでしょうか?

次の写真を見て下さい
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ラパスのチョリータ・フェスティバルの写真です。衣装の艶やかさもありますが、みんな笑顔でチョリータ衣装を着ている喜びを体全体で現しています。こうして大勢で楽しく踊っている様子をみるとチョリータ衣装も華やかなものですねぇ。
このフェスティバルへの参加希望者は年々増えていて主催者の悩みの種になっているとのことです。昔ならチョリータ衣服を着た人を見ると同性の女性すら蔑んだのに、大きな意識の変化です。

しかし、残念というか、今回の旅ではこのように鮮やかな衣装を着けた人には出会いませんでした、たった一人を除いて!それは20代の日本人女性で、ラパスの飛行場で見かけました。女友達とボリビアに旅行で来て豪華な衣装を購入し、これを着て旅を楽しんでいたのではないかと推察します。

恐らくチョリータ衣装はイベント用と日常生活用に2分化していると思います。

なお、フェスティバルの写真を見て、チョリータ衣装は「ユニフォーム」の性格が強い、と思いました。つまり一人だけで着て楽しむのではなく、大勢で着きる衣装です。
ユニフォームなら、いつも同じ服を着ていても恥ずかしくありませんし、連帯意識・仲間意識も持てるので安心感があります。貧しい女性でも一着だけ入手しておけば衣服を理由に劣等感を感じることがありません。

多分それで世界の民族衣装はどちらかといえば社会的、経済的に劣勢の女性達の間でユニフォームとして持て囃されてきたのではないかと思います。

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(左)トルコ民族衣装         (右)スイス民族衣装

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サウジの女性はいろいろ制約があります。外出する時は黒い服を着なければなりません。自動車の運転や競技場・サッカー場などスポーツ施設への出入りは禁止です。こんなに虐げられていても大きな騒ぎが少ない理由には、女はみんな同じ服を着るという平等感もあると思います。

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ベトナムのアオザイです。チャイナドレス(旗袍)を模したのが始まりです。
材料はアオザイでは麻が普通で、チャイナドレスでは絹が正統です。
サウジの女性民族服もこのアオザイもそうですが作るのは簡単そうです。

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中国の人民服と軍服:
人民服は都市では全く見かけなくなりました。
しかし共産党員には重要な式服で、これなしでは公式行事に参加できません!

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1938年8月、来日したヒトラー・ユーゲント幹部・団員と写る将官および将校
やはり軍服はユニフォームの代表格と言えるでしょう。

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フェリス女学院大卒業式。普段、制服は着ないようです。
但しフェリス女学院高校では毎日制服の着用が義務付けられているようです。

民族衣装やユニフォーム(制服)には、比較的簡単に作れる、材料が入手しやすい、よって製作コストが安い、という特徴と、それでいて連帯感を高められる上に機能的で活動しやすいという特徴があると思います。よってどちらかというと貧しい国の女性ほど民族衣装やユニフォームを着ているケースが多いと思います。

大勢の中で一人だけ民族服やユニフォームを着ていると凡そダサく見えます。なぜならその服は基本的には質素だからです。しかし、質素な服を着た人が大勢集まっていると素晴らしい服のように思えてきます。丁度タンポポやコスモスが一輪では冴えない花なのに野原一面に咲いていると、こんなに素晴らしい花はない、と思えるように。

結局、民族服やユニフォームがダサいかどうかは、見る時の条件と見る人の意識の問題と言えそうです。勿論、着てる人がどんな人か、楽しそうな顔をしているか、も服の印象を決める大きな要素であることは間違いないでしょう。

<補足>
*チョリータのスタイル:
「スカートはプリーツ(襞(ヒダ)スカート)でボリュームを持たせるため5枚重ね着することもある。山岳地方ではリャマ、ビクーニャ、羊の毛で、自然の染料で染めている。首都ラパスでは糸は輸入された明るい色のものが使われる。」

「ショールはスペインのある地方の、シフォン(薄い柔らかい布)、絹、リネンなどで造られた伝統的な女性用ショールを真似たものだ。ペルー山岳地帯では寒さを凌げるようビクーニャの毛を使った。
これを落ちないように留めるピンは、インカ時代からの習慣から宝石などが使われたが、ヒスパニックの流れから金や銀で出来たものも使われている。」

「しかし何といっても特徴的なのは帽子だ。19世紀の終わりまではいろいろな形や色があったが、20世紀前半、イタリアの山高帽が入ってきて、間違って女性用として使われ始めた。しかし、三つ編みの頭に載せてピンで留め、帽子のバランスを維持しながら背筋を伸ばして歩くことがファッションとなった。」

*和服:
中国や朝鮮から入った服が、遣唐使が廃止され外来文化の流入が減ると少しずつ日本独自の形に変わっていき今の服になっていったようです。
洋服が導入され始めた明治時代以前は猫も杓子も和服を着ていたわけで、帯や、生地や、染めや、模様や、扇子や、根付、髪型などで貧富の差がついていたのでしょう。

和服用衣紋かけに掛けられた和服を見ればわかりますが、矩形で造り易く、従って安い布を使えば仕立て上がりもかなり安かったのだと思います。襟の部分は矩形ではないようですが、昔は矩形部を折りたたんで襟を造ったようで、不要になった和服をほどくと矩形の布きれになり、他のものに無駄なく転用できるので経済的な優れものでした。
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これが今は安い物でも○十万円もするのですから、普段はめったに和服を着ることがなく、成人式もレンタルで済ます女性が多くなりました。私の女房殿は何がきっかけなのか知りませんが着物教室に通うようになり和服も何着か(も?)持っていますがやっぱ高価です!帯も高価です!年1回程度着るだけですけどねぇ。今も時々お仲間で集まる時はみんな和服を着ていくようですが、楽しいのですかねぇ。やっぱ楽しいのでしょうね。

(解答篇:完)
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