Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ナイルの不思議prt-2-1/2


2014年02月05日のブログで「全長が2千kmを超える大河は世界に41河川もあるのに、 ナイル川が一番長く、最も真っ直ぐに南から北に流れています! そのわけはなんでしょうか?」という問いへの答えをご披露させて頂きました。
ご関心がおありでしたら次のURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/13963171.html
2015年10月には念願のエジプト旅行を果たし、ルクソールからアスワンまで4泊5日のナイル・クルージングを満喫してきました。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/46196838.html

世界最長の川ナイルについては、最近、アマゾンの方が長そうだ、との見解が出されているようですが、ギネスで再確認したら、依然としてナイルが最長の川となっていましたので、なんとなくホッとした気分です。

しかし、仮に世界最長でなくなったとしても、ナイルの魅力は全く損なわれることはないでしょう。それほどに、ナイルは多くの人を惹きつける魅力を秘めていると思います。

そのナイルの魅力を改めてお伝えしたいと思い、Youtubeを調べてみたのですが、見るべきものが多すぎてテーマを絞らないとYoutube化できないようで、ブログ化が困難なフィルムが多く、ナイルの紹介は見送ろうかとも思いましたが、今やらずしていつできるのか、という自責の念に駆られ、1時間40分のYoutubeフィルムをご紹介させて頂くことにしました。フィルムのテーマは“ナイルで生まれた神々”です。製作は1992~95年で20年ほど前で若干古く、映像が不鮮明で、フィルムのサイト名と字幕スーパーの英文が消せないため、見苦しいという問題を抱えていますが、なかなか面白い内容なので、楽しんで頂けるのではないかと思います。

字幕は全て翻訳したので、ブログを見て頂くためには、フィルムと同じ1時間40分程度が必要ですが、ブログとしては少々長すぎるので、2回に分けてお送りさせて頂きます。お楽しみいただければ幸いです。
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人間の歴史の始まり以来、人々はナイルに沿って住み続けている。
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最初の定住者たちは、生存の苦悩の中で、思いもしていなかった不思議な原始世界に直面した。アフリカの中心から地中海まで6400Kmを流れながら、ナイルは異なる多くの人種の生活や信仰を形成してきた。
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古代の生き方の木霊(こだま)は、今もなお、エチオピアの高地や、スーダンの広大な湿地や、エジプトの草原に響いている。
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今日の主要な宗教はイスラム教とキリスト教だが、いずれも、昔の信仰を借り、その上に立脚している。
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キリストより3千年以上も昔、ナイルが世界の最初の偉大な文明を立ち上げたのはエジプトのこの地だ。
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エジプト人の創造力は今日でもまだ生き残っていて、我々の想像力に働きかけている。エジプトは西洋の人間の生まれた場所だった。ここで初めて作物を栽培し、ナイルをエデンの園に変えた。
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古代エジプト人は石に刻まれた最初の記録言語を作り上げ、永遠に残るだろう記念碑の中で、彼らの信仰を祝福した。更には、宗教も創造した。
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その中では、人間と自然は調和しながら永遠に存在するのだ。自然の力の厳しさに気付いた人間は自然を神とした。
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NILE River of Gods ナイル:神々の川
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先史時代の深淵の中の、何もない所から、エジプト文明は突然、生まれ出た。人間が原始的な遊牧民から作物農夫になるには1百万年かかった。しかし、村が偉大な都市に変貌するのはたった数千年だった。
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エジプト人は今でも泥で造った煉瓦を使い建物を造る。彼らは、今も古代人が使っていた木製の道具を使って煉瓦を造っている。ナイルから引き込んだ水で野原を灌漑し、生活の糧を土地から得続けている。
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およそ5千年前、偉大なピラミッドは、洪水時には水没する平原の上に立ち上がり始めた。
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しかし、もっと昔、河岸の細長い湿地は、実り多い耕作地に変えられていた。農業は富を、富はエジプト文明を創った。
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これらの古代エジプト人は近代農業の先駆者だった。彼らは野生の草を河岸から集め、我々が今日知っている穀物を収穫するようになった。もし古代エジプト人がこの村の中へ迷い込んだとしたら、見るものの多くは、馴染みのあるものばかりだ。実際のところ、今でも、男も、そして女も、誰もが農業に結びついている。
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家庭内での仕事の分担は今も同じだ。女は粘土の釜でパンを焼く。彼らの遊びの起源すらファラオの時代に遡る。
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ナイルの川岸の村はもはや外界から孤立してはいない。農家は作物を育て、ヨーロッパに輸出している。多くの村人は都市まで、さらにはその向うまで旅をしている。

カイロ。この近代エジプトの首都は今から1千年前、将軍によって造られ、“アル・カヒラAl Qahira;勝利の都市”と呼ばれた。
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その位置はいつの時代でも重要だった。ピラミッドも近くに造られた。カイロは川がデルタ(三角州)に向かって分かれ始める地点で、ナイルを跨いでいる。1千5百万人が暮らす、アフリカで最も人口密度が高い都市だ。そうはいっても、多くの人々は心情的に田舎の伝統に結び付けられている。アデル・エル・アブドゥAdel El Abudもその一人だ。商人で地主の彼は、多くの時間をデルタの農園で農業をして過ごす。

アデル「私の家族の多くはカイロに暮らしています。兄弟は技師、医師などです。でも私は子供の頃から、いつも農夫でいたいと望んでいました。今ではその望みが果せたと思っています。」
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「エジプトでは、ナイル・デルタはとても広いという訳ではありませんが、最も肥沃な土地です。過去には、パピルスで一杯の沢山の湖がありました。私たちの祖先や祖父たちがデルタを整備してくれたおかげで、地上で最も肥沃な場所になったと私は思っています。」

ここの土は肥沃なので、2,3エーカー(4千㎡/acre)の土地を持っているだけでも、まともな暮らしが可能だ。アデルの家では50エーカーを所有し、管理者モハンマドと共に、その土地で作物を栽培している。アデルとモハンマドの家族は、彼らの祖父たちが土地を灌漑し、農業を初めて以降、共に働いている。
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アデルの畑の隣では、土地の村人が自活で消費する以上のコメを栽培している。収穫時の地域の共同作業は、昔の生活を思い起させる。
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古代エジプト人を解放したものは、生存に必要な収穫を越えた余剰な穀物だった。これがファラオの文明をもたらしたのだ。
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エジプト人はいつの時代も、素晴らしい建築能力をもつ民族の一つだった。ギザのピラミッドはこれまで造られた世界最大の石造建築物だ。
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このようなファラオの記念碑は、奴隷によって造られたという良く知られた神話がある。しかし、厳しい建築作業に携わっていたのは例年、洪水で土地を追われ、畑が水に沈んでいる3ヶ月の間、生活の糧を得たいと望んでいた農閑期の農夫たちだったというのが事実だ。
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これらのことを可能にしていたものは、ナイルの泥だった。
アデル「この黒い大地こそがエジプトを作ったのです。この農園を実りの多いものにしてくれます。黒い大地はエジプトの魔法です。良く言われるように“エジプトはナイルの贈り物”なのです。この堆積物を見て下さい。鉄分、亜鉛分、マンガンなどが豊富です。どんな植物も必要とする全てのもの、貴石のようなものです。ナイルは毎年、私たちに奇跡をもたらしてくれるのです。」
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この奇跡の源は6千4百Km上流の、世界で最長の川が流れ出す地点だ。実際のところ、ナイルは2つある。エチオピア高地に水源を持つ青ナイルと、中央アフリカのビクトリア湖に水源を持つ白ナイルだ。
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古代エジプト人たちは例年の洪水は神パピがもたらすものだとしていた。
“神パピに祝福あれ。大地から湧き上がれ。来たりてエジプトを潤せ。太陽神ラーが創った草原を水で埋め尽くし、乾いた大地を潤せ。”
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青ナイルが多くの泥や水をエジプトまで運んでくれる一方で、白ナイルは神パピの贈り物をもたらしてくれた。それは、エジプトの土壌を肥沃にしてくれる栄養という名の豊かなスープだ。熱帯アフリカの奥深くでは、エジプトの最初のファラオの時代と同じような姿のナイル谷Nile valleyを見ることが出来る。
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(mh:ナイルとその河岸は周辺の砂漠から一段低い場所で、かつ緑で覆われているので谷valleyと呼ばれています。)
そこには野生動物が溢れている。古代の絵から、この湿地帯で今日、我々が眼にする多くの動物が古代エジプト人にもなじみが深かったことが分かる。
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気候変化と狩りの圧力のせいで、今から1千年前、多くの動物はエジプトから追い出されてしまった。最初の犠牲者の一つは象だった。
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今から5千年ほど前の、初期の王朝のある時期に、象、麒麟(きりん)、犀(さい)がエジプトから完全に消えてしまった。しかし、象がいなくなった頃、エジプト人は自然から宗教を創り出した。
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彼らが神に祭り上げた多くの生物の一つが河馬(かば)だというのは驚きだ。豊満で母性的な雌(メス)の河馬は出産の女神タウェレトになった。しかし河馬は、夜になると畑を荒す嫌われ者でもあった。雄(オス)の河馬は混沌の神セスになった。

古代エジプトの気候は今よりも乾燥していた。ナイルから離れたサバンナでは豹(ひょう)や鹿の群れが見受けられた。
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地平線の向うまで見通す能力があるおかげで、麒麟は予知の能力があるとされた。
人類を支え、人を捕食する動物で満ちた世界を理解し、対応しようと、古代人は、全ての生物がお互いに意味をもつ神話や宗教を作り上げた。
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自然界に秩序を与えようとする人間の強い願望は、5千年前の火打石で造られたナイフの上に見ることが出来る。象牙の握り部には人間の世界と夢を図化した動物が彫刻されている。
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サバイバル・ナイフの握り部には40種以上の動物が描かれている。こうにして世界をカタログ化し、世界を管理しようと考えていたのだろう。

一つの動物が人の想像力を捕えていた。初期のエジプト人にとってライオンは王で、王はライオンだった。
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紀元前3千5百年の彫刻で、王は敵を食い殺している獰猛(どうもう)なライオンとして描かれている。
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投げ縄、槍、罠、弓と矢、は全て急速に高度化した武器の一部だが、それによって世界が危険から解放されたわけではなかった。アフリカの水牛は多分豹と同じくらい、多くの人々を殺しただろう。
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おかげで水牛は攻撃的な粗野な力の象徴になり、最初のファラオのナーマー王Narmerは儀式的な彫り物の中で水牛のように描かれている。描かれている内容は世界で最初の国家の出現だ。
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彼の上で睨(にら)みを利かせているのは一部は牛で、一部は水牛の神のような創造物だ。上エジプトの王ナーマーは水牛だ。反抗的なデルタの都市の城壁を壊し、敵を足で踏みつけている。これはエジプトの歴史における最も重要な記録の一つだ。王政が政府の形態を持っていることを宣言している。そして動物を象徴として、ヒエログリフ(絵文字)として使いながら、以降3千5百年続く表現方法を打ち建てた。ホロスは隼(はやぶさ)の神で王の別のシンボルだ。その王が、手に入れたナイル・デルタのパピルスの土地の上で睨みを利かせている。上下のエジプトを統一して出来上がった一つの国家は今も続いていて、2匹の神秘的な獣(けもの)が絡み合った頭によって祝福されている。
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動物の群れを追いかけていた遊牧民から定住者たちの王国へのエジプトの進展は、気候と地形の直接的な効果だろう。長い間、太陽と豊富な土壌の土地だった。エジプト人はそれを地上の楽園に替え、上手く活用したのだ。
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しかし、戦利品は平等に配分されず、限られた人々は贅(ぜい)をつくした暮しをしたが、多くのエジプト人はひどく貧しかった。当時、貧しい人々は砂糖、ワイン、薬の元になるナツメヤシの恩恵で暮らしていた。棗(なつめ)、無花果(いちじく)、ダーム椰子、その他の多くの果物の木がナイル河岸に立ち並んでいた。いくつかはエジプト起源の果物だが、多くは遠い土地から持ち込まれたものだった。
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ナイルは沢山の食糧を供給した。魚も豊富だった。湿地には鴨や水鳥が群れを成していた。
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それだけでは不服かのように、交易人たちが大陸のあちらこちらから異国の品物をナイルに沿って持ち込んで来た。熱帯アフリカからは金、象牙、黒檀(こくたん)、香料、毛皮が入って来た。
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まさに豊穣の土地だった。この木から採れる沢山の甘い棗(なつめ)のように、繁栄も訪れた。これらを見ていると、時々、何も変わっていないような気になる。

アデル「現在のエジプト人農夫と、歴史の中のエジプト人農夫には強い関係がある。例えば、“ノッタ”は今でも実を摘み、収穫し、果物を成熟させる決定的な日で、ファラオ時代からのカレンダーのようなものだ。更にノッタはエジプトに洪水が到着する最初の兆候でもある。エジプト人農夫はずっと、ノッタを神聖な日と考えて来た。」

命を吹き込む洪水を先駆けて知らせるのは神聖な鳥“朱鷺(とき;ibis)”だ。洪水の前触れの濁流に押されるようにして、彼らは夏の真っ盛りに飛来する。
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農夫たちはこの鳥を仲間のように見ていた。彼らは穀物を食いつぶす蝗(いなご)や鰐(わに)の卵を食べてくれる。書家が黒インクに筆を浸すように嘴(くちばし)を大地の中に突き刺す朱鷺は、知恵の象徴になった。そして多くの古代エジプト人にとって、知恵とは、水の再来という頼りがいのある予告だった。

エジプトの全ては洪水を待っていた。命の動脈からの注入を期待しながら。
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ナイル・デルタの3千2百Km上流にはエチオピア高原がある。
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何百万年もの間、高地は浸食され、水とともに流れ下った泥はナイル谷を埋めていた。
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毎年、春になるとモンスーンの雨が土地から溢れて川を膨らます。土を満々と含んだ水は今や最高水位だ。青ナイルの最上流にあるティシサットTissisat滝の水量は今、最大だ。
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エジプトに流れ下る水の5分の4はここを流れていく。そして、青ナイルの泥水は栄養分が多い白ナイルの水と合流し、一緒になってエジプトに流れていく。下流になるにつれ、流れは更に遅くなり、泥を沈殿させていく。

今日では、川は一連のダムによって管理されていて、泥の多くはエジプトに到着する前に沈殿し、水は青くなる。
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しかし、百年前までは、洪水は最高位になると谷全体を埋め尽くし、野生動物や人々を高地に追いやっていた。毎年、神ハピは全ての洪水平原を泥水で満たして再び新たな命を吹き込みながら報奨を約束していた。
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数か月後に水が引くと、跡には饗宴を残してくれる。偉大な自然主義者たちだったエジプト人は彼らが見たものを子細に記録していた。メイダムの古代の墓の絵では、前が白くて胸が赤い鴨(かも)の列が湿地に命を注ぎ込んでいる。
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しかし、湿地では、神聖な朱鷺よりも見事に収穫をむさぼる生き物はない。長くて曲線を描いている嘴(くちばし)は泥の中を深く探り、神出鬼没の餌食(えじき)を掴まえる。
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その賢さから朱鷺は知恵の神トトとして神殿に祀られている。朱鷺は今も数えきれないほどの寺院の壁の上で書家の筆の動きを導きながら生きている。この絵では、トトはファラオの名前を葉の上に描き記しながら生命の樹を支配している。
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トトがそうするまで、そのファラオは存在しない。これこそが言葉の力だ。
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エジプト芸術で最も驚くべきことは、細部にまで科学的な注意が払われていることだ。ヤツガシラhoppoeは鶏冠とともに描かれている。紫ガリニュール(バンの類の水鳥)はユリの中で隠れている。雑色の翡翠(カワセミ)は川の上で飛んでいる。
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定型化や抽象化からかけ離れたエジプト芸術は、しばしば自然の儚(はかな)い瞬間を表現している。このような穏健な手法で自然を捕えようという探求は、生物が死者に同行して死後の世界にいくという考えを生みだした。
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アスワンの町ほど熱心に洪水を待ちわびているところはなかった。
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この町で、エジプト人はナイロメターNilometerと呼ばれる装置を使い、初めて毎年、川の水位を測定し始めた。理想的な年には、洪水によって冬季と比べ8m水位が上昇する。それより1m高ければ村々は水害を被(こうむ)り、1m低ければ人々は飢えに襲われる。ダムが造られるまで、近代アラビア語が付いたこの目盛りが洪水を測定するために使われた。
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その隣にはファラオの時代からの、もっと古い目盛りが残っている。

水位を計る一方で、それに対処する知恵も生まれていた。灌漑用の水路が造られたのはファラオが現れる前だ。しかしシャドゥフshaduf(はねつるべ)の発明は農業を大きく革新した。
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片側にバケツ、反対側に泥のカウンター・ウェイトをつけたシャドゥフのおかげで、灌漑地は劇的に増加した。

紀元前3百年頃、ギリシャ人侵略者がサキアsaqiaを持ち込んだ。動物で駆動する水車で、水を連続的に汲み上げることが出来る。水をより良く管理することは、より広い土地を耕地に変えることを意味した。
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これらの古代の給水装置はとても効果的なので、構造は2千年の間、変わっていない。アデル・エル・アブドゥの農園で使われている水車が昔と変わっている点は、牛ではなくディーゼル・エンジンになったというだけだ。
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アデル「この方法は今から2千年前にローマ人によってエジプトに紹介された。そして今でも、灌漑では信じられない程に重要な装置だ。低い場所から、希望する高さの土地に水を汲み上げてくれる。」
アデルの農園の水車は12年に一度、交換が必要だ。構造はローマ人が考え出した原型とほとんど同じだ。
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技術と経済の関係は明白だ。新しい農業形態が上手く機能したので、ローマ人は増加した収穫を保管するため、食糧倉庫別の管理表を作らねばならなかった。このような装置は、エジプトをローマ帝国の食糧庫bread basketに変える手助けをした。余剰穀物量が膨大だったので、ローマでの税金は3分の2も減少した。“ナイルの賜物the gift of the Nile”のエジプトはローマの生命線になった。

エジプト人は穀物によって生まれた富を元に自分たちの文明を創った。大麦に加え、パンやビールを作るためのいくつかの穀物も育てた。
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大地は食糧以外のためにも拡大した。亜麻flaxが栽培され、これを織って作った見事なリネンから、軽くて風通しの良い服が生まれた。
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しかしファラオにとって最も重要だったのは穀物の収穫量だった。毎年、官僚の一群が農家の耕作面積を計測した。
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収穫量への依存が大きかったので、単純な課税方式が工夫された。それは耕作面積と、毎年、ナイロメターで測定される洪水の水位を関係付けたものだった。この方式で“耕作地の監督者”は、課税量を見積ることが出来た。

農家はまた、牛の数によっても税金を納めた。官僚の墓で見つかった彫像モデルは、広い敷地で牛を数える様子を表現している。農夫は監査官のビーズのように丸く開いた目の前で、牛の群れを通過させている。
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泥を土器用の粘土にするための泥踏み作業はエジプトにおける最も古い作業の一つだ。
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ナイルを語る時、泥の重要性は、どう表現しても言い過ぎることはない。泥はエジプトの農業で、同時に歴史でもある。

紀元前5千年もの昔から、泥から、穀物、油、ワインを蓄え、輸送するための土器が造られている。今日でもエジプト人は土器を様々な用途で使っている。そして多くの村では独自の陶工を抱えている。
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ファラオよりも古い時代について我々が知っていることの多くは、墓地から掘り出される土器から得たものだ。形状、釉薬、描かれている模様などは、古代エジプトでいつ頃、どんなことが起きていたのか、かなり正確に教えてくれる。今から5千年前、このような土器には死者があの世に持って行く食糧が詰まっていた。土器は細心の注意を払って描かれた動物や神々で飾られていた。
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最も初期のイメージの一つは牛の女神としての女性だ。両手が牛の角のように持ち上げられている。
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上エジプトのアンコリ牛ancoli cattleは牛の女神にとてもよく似ている。
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神の牛という考えはナイル谷Nile valleyに限定されたものではなかったが、今日でも、ここには残っている。

エチオピア高地とビクトリア湖の間には広大なパピルスの湿原が白ナイルを跨いで広がっている。
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アラビア人の貿易商たちはこの湿原をスッドSud、つまり邪魔者、と呼んだ。
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これは地球上でも最も広大な湿原で、熱帯アフリカとエジプトの間に人が踏み込むことができないバリアーを形成している。
スッドSudはヌーア人Nuerの故郷だ。彼らは完璧に牛に依存して暮らしている。ヌーア人無しで、牛はこの地では生存できなかった。そして牛無しではヌーア人も生存できなかった。
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アヌックの日常は、ほとんど変わらない。毎日夜明けになると、彼女は牛の糞で火を焚く。
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ヌーア人は永住の家を持たない。ナイルが洪水になると、牛を牽き連れて高い土地に移動する。水が引けば、湿地の中心に戻って来る。彼らの生活は古代エジプト人のように、ナイルのリズムに合わせて漂っている。
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ヌーア人は厳しい土地を選んで住み着くことは出来なかった。ここでは鰐(わに)が殺戮者だ。

しかしヌーア人にとって最大の敵は昆虫だ。スッドSudにはマラリア蚊とツェツェバエtsetse flyがはびこっている。

昆虫はヌーアの女たちの朝の仕事を察知する。
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アヌック「私たちは牛に灰をかけるの。そうすればツェツェバエを追い払えるのよ。煙もハエを追い払ってくれるわ。乳搾(しぼ)りが終わると、牛たちは湿地に行って草を食べ始めるの。そうしたら牛の糞を集めて、燃料にするために乾かすのよ」
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牛はヌーア人が必要とするほとんど全ての物を供給してくれる。乾燥した糞は料理に使われる。その灰は歯磨き粉として使われる。ヌーア人はこれ以上、牛と密接に暮らすことは出来ないだろう。古代エジプトには、これに似た、動物との近親感があったに違いない。ヌーアの女たちは穀物を育て、食材を準備するための全ての仕事にも携(たずさ)わっている。黍(キビ)や小麦は、ファラオの時代と同様、定番の食糧だ。粉ひき仕事は太古の時代から女たちの仕事で、今日でも、当時と同じようにきつい仕事だ。
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女たちはまた、全ての日常の仕事も担(にな)っている。
アヌック「草原で草を食べ終わって牛が戻ってきたら、乳搾りをして、バターを作るのも女の役目なの。」
小さい時から少女たちは、乳搾りの方法を教えられる。ヌーアの少女と牛との間には感動的とも言える思いやりが存在している。
何も変わってはいない。ファラオの時代以降、子牛は母牛の前足に結びつけられている。
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瓢箪(ひょうたんcalabash)は今も、搾ったミルクの理想的な受け皿だ。
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牛を愛する人々にとって、牛は本物の感情を持っている。彼らは、自然が子牛のために与えてくれた乳のいくらかを諦めねばならない時に牛が感じているはずの悲しみすらも感知する。
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牛はまた、ヌーアの少年たちの考えや会話をも支配している。彼らが成人すると、牛は花嫁を獲得するための通貨を恵んでくれる。ヌーアの社会では社会的地位は所有する牛の数で表わされる。
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部族の長老が部落の住民に語って聞かせるように、牛の地位は神によって既に定められている。

長老「人間と牛はお互いを必要としている。人間は神によって創造されると、世界に出かけるよう命令された。そして牛は、彼の後を追って歩くよう命令された。神はそのように命令した。神は創造主だった。神は牛を殺してはならぬと我々に話した。何故なら牛は神が創造したものだからだ。牛を殺してもいいのは、飢えで死にそうになった時だけだ。」

太陽が十分昇りきると、ヌーアの少年たちは牛の群れを連れて牧草地に出かける。彼らは群れを見張り、牛たちと話をしながら牛たちと共に対等に一日を過ごす。
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神聖な行事で、動物を生贄にするのは全く正しいことだと村の長老たちは言う。動物は神の創造物だからだ。結婚式や、成人式のために若者が森に出かけていく時、牛が生贄にされる。牛の生贄の仕事は決して軽々しく行われてはならない。ヌーア人は何故、動物を殺そうとしているのか、その都度、神に説明している。更に彼らはそれぞれの動物にも、何故、生贄にされねばならないのかを注意深く語りかける。

エジプト人の牛に対する強い愛情は、彼らの言葉の中にも記されていた。人間は太陽神が飼っている牛に例えられていた。
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牛の女神ハトはファラオの象徴的な母親で、エジプトの支配者たちは彼女の神聖な乳を飲んで育った。
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彼女はファラオと、ナイル河岸の王族の墓地を守護した。ギリシャ人がエジプトにやって来た時、彼らは直ちに女神ハトはギリシャ神話におけるアフロディーテ(美や豊穣の女神)だと理解した。
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その後、ローマ人の間で、ハトはヴィーナスVenusになった。そしてハトを祀る寺院は造り続けられた。エジプト人はしばしばハトに捧げ物をし、様々な方法で彼女を敬(うやま)った。最初のファラオよりもずっと昔から、彼らは牛の女神を奉(たてまつ)っていた。それは最後のファラオの後でもずっと続いていた。
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アデル「現代でも、ミルクや肉を供給してくれる最も身近な動物です。牛が神聖なものを持っているということはありません。でも、エジプト人は今もなお強く宗教に結びついています。女神ハトはもはや影響力を持ってはいませんが、ナイルはエジプト人の精神的な価値観を支配し続けているのです。」
アデル「2千5百年前、ギリシャ人歴史家ヘロドトスは“エジプト人は世界中で最も信心深い”と言いました。毎年、ナイルが洪水になるのを待ちわび、水量が増えても減っても惨事が起こり、自然を通じて宗教を生み、神と共に暮らしていたことに気付いたからでしょう。」

カイロのオールド・タウンにはモスクが密集している。
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最近の1千年の間に、カイロはイスラム文化と学問の巨大な中心地になった。今日、エジプトには5千万人のイスラム教徒が暮らしているが、7百万人ものキリスト教徒もいる。ほとんどはコプト教会に属している。
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7世紀に行われたイスラム教徒によるエジプト征服の前は、多くのエジプト人はキリスト教コプト派の信者だった。教会の家長的な教皇popeのショヌダは、コプト派の考えのいくつかは最も古い伝統に根付いていると信じている。
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ショヌダ「今でも、我々は教会でナイルのために祈りを捧げている。神が川の水の量を増やし、多すぎないよう、少なすぎないようにしてくれている。宇宙の中の自然から離れて暮らすことは出来ないからだ。我々はまた、植物や全ての生物や風や空のためにも祈りを捧げる。」
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古代エジプト人は、空の女神ナットが造る円形の屋根で守られた宇宙に神や人間が棲んでいると信じていた。
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人々はその外にある混乱から切り離されていた。ナイル谷の川底の下では、大地の神ゲブが永遠の日の出を与えてくれた。
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(mh:西に沈んだ太陽は、大地の神ゲブによってナイルの下を通って東に戻るので、翌日、また東から昇るという信仰)
ショヌダ「古代エジプト人は神そのものではなく、神のもつエネルギーを崇拝していた。彼らは太陽の神の力を崇拝していた。彼らはその力を太陽やナイルの水の中に見つけていた。だから彼らはナイル川と太陽を崇拝していたのだ。」
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太陽は最高位の神だった。神々や人間の命の源だった。夜明けは、いつでも、世界が始まった時と同じ創造の瞬間の再来だった。太陽が天に向かって旅を始める時、全ては太陽に道を譲った。

川の谷間の崖の上では、泣き叫ぶ狒々(ヒヒ)が新しい一日を前触れしている。古代エジプト人もヒヒの群れの上下関係制度が人間の社会を反映していることに気付いていただろう。支配的なオスはファラオの役目を演じ、選ばれたメスは王室のハーレムだ。
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太陽が他より傑出していることは数えきれないほどの墓の壁に描かれていることからも判る。
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太陽は隼(はやぶさ)の神ホロスによって中空に支えられている。ヒヒは礼拝のために両手を挙げている。ライオンは重要な天空の創造物で、しばしば太陽の守り神として描かれている。男も女も動物とともに礼拝している。全てが太陽の生命想像力を敬(うやま)っている。
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寺院ではヒヒは最敬礼をして立っている。
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鰐のソベックは太陽を支え、見返りとして隼の神ホロスが広げた羽根で守られている。
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夜明けになると、ハゲワシは羽根を広げて、太陽の熱を吸収し、飛び立つ準備をする。
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エジプト人にとっては、羽を広げることは礼拝行為を意味する。ナイルの谷の全ての生命は女神ネクベトの保護の羽根の下に配置されている。
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ハゲワシは“マトMut”としてヒエログリフ文字に付け加えられた。“母Mother”を意味する。
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鰐はかつてナイル全域で見受けられた。全長6m以上もある彼らは隠れたstealthy殺し屋だ。パカンと口を開けて、太陽に礼拝している。
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しかしこの姿勢は攻勢の象徴とも捉えられている。そのおかげで、鰐は混沌の神セトとなり、ホロス神の敵として描かれていた。

鰐は、ファラオの守護神として高い地位を認められていた。命の印を維持しながら、鰐の神ソベックは偉大なファラオのアメンホテプの保護者として立っている。
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Discovery Nile Documentary | Nile River : River of Gods
https://www.youtube.com/watch?v=qyD_H1ydj6k
(River of Gods Part-1/2完)
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