Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ナイルの不思議prt-2-2/2


NILE River of Gods ナイル:神々の川
(前回のブログの続きです。)
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自然のイメージは寺院の建物のあらゆる部分に描きこまれている。
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並んだ2つのパイロン(塔門)はナイル谷を囲む高い崖を象徴している。これらの定型化された崖の間にある川はパイロンの内側にある魂の世界へ入って行く入口を意味している。

寺院は川の動物を神々に変身させ、賛美している。しかし、自然はその姿を象徴化されるとともに、真似られながらも敬われている。これらの柱はパピルス葦(あし)を表現している。
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どんな創造物も全く取るに足らないというものはない。太陽の下の全てのものは、エジプトの宗教の中でその地位を、芸術性を与えられている。エジプトの建造物は生命の形を、成長と結実の幾何学を秘めている。新しい成長の種莢(しゅきょう;種が詰まった莢(さや))や新芽は自然が再生する印だ。
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川の全ての生命を支配しているのは豊穣の神で緑色の顔をもつオシリスだった。手に持っている“牧夫の棒”と“穀物用の殻竿(からざお)”で、オシリスは牧夫や農夫の礼拝者に応えた。
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ファラオのラムセスはオシリスへの賛歌の中で言った“汝はナイルを収めよ。神と人間は汝から溢れ出るものから命を得ている”
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古代には、ナイルはデルタに入って5つの川に分かれていた。川の間では広大なパピルスの湿原が広がっていた。パピルスは重要なものだったので下エジプトの象徴になった。
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しかし、ここ、青ナイルの水源に近いところでは、パピルスを刈り集める仕事は危険が伴う悲惨なものだ。ちゃちなパピルスのカヌーに乗って生えているパピルスに近づきながら、河馬(かば)や鰐や蛇を驚かして追い払うために出来るだけ大きな声や音を立てる。
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パピルスは5mもの高さに育つ湿地帯の葦(あし)だ。茎は多くの空気溜まりで穴だらけで、そのため浮揚性が高く、ボートの材料には理想的だ。
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古代エジプトではパピルスは輸送以上の意味があった。言葉と思想の変換をする乗り物だったのだ。パピルスを叩いて平らな紐にし、纏(まと)めて圧力を加えることでエジプト人は最初の紙を作った。
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川の危険はしばしば皮肉たっぷりのユーモアで記録されていた。エジプト人は世界で最初に漫画本を作った。その巻物は長さ30mもあった。
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エジプトでは書家は官僚でもあり祈祷師でもあった。書家の仕事が統一された偉大な国家を生み出した。彼らは国家の歴史を記述し、神話を書き残し、政府機能を効率的なものにした。ファラオにとって情報は力だ。書家にこの力を与えたのはヒエログリフという言語だった。ヒエログリフの書物では自然から沢山の言葉を引用していた。
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言語が発達するにつれ、動物は自然から乖離し、単に音や文字を表すようになった。丸い太陽を付けた牛の神の角は“オオプOop”という音の印となった。
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自然から音の象徴への飛躍は以降の文字化の中心となった。
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ナイルは今も多くの人種と文化を支えている。ヌーア人ほど川と密接に暮らしている人はいない。例年の洪水が引くと、ヌーア人は牛と共に川辺に戻って来る。
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洪水による損傷の修復が終わると、女たちは自分たちの住家を自慢げに眺める。
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多くのアフリカの社会のように、ここでも女たちは重要な責任を担っている。彼女たちは家系の継続と、部族の文化の生き残りを保証する。牛の世話をする仕事に加え、女たちは母で、妻で、家の建築人でなければならない。ヌーア人には誕生、死、結婚などの大きな仕事も簡単なことだ。
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アヌクには4人の娘がいる。他のヌーアの少女たちのように、彼女らは10代の前半で結婚するだろう。念入りに仕上げられた玄関前のこの椅子は、婚期の少女がいる印だ。
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最も良く知られている飾りは水が流れる川に似せた波模様だろう。
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これが、エジプト人がナイルを描いたものだとしても驚くほどのことはない。この模様は水を表わすヒエログリフにも似ている。泥を使ってヌーア人の屋根の頂きの円錐も造られる。それは紋章で、それぞれの家のトーテムになっている。
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大人になったら、この少年たちは毎年、洪水で破壊された建物を修理しながら本物の村を作ることになるだろう。
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彼らの姉妹たちは大人になったらしなければならない仕事をすでに抱えている。彼女らは処女の印の腰ひもを取り去って将来の家のモデルに巻き付けている。
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この少女たちも、もうすぐ伴侶を見つけ、子供を産むだろう。
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古代エジプトの女たちは美人で知られていて、多くの詩は求愛のものだ。
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詩「愛されるというのは、こんなにも楽しいのか。あなたと川を下っていく。あなたの目の前で水浴びしてほしいと頼まれるのを夢見ている。」
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エジプトの村は一つの大きな家族のようなものだ。
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実際のところ、誰もが他の誰かと関係している。子供たちは成長したらどんな職業につくのか知っていないかも知れないが、誰と結婚するかについては多くの子供は既に知っている。
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古代エジプトでもそうであったように、多くの少女は小さい時に結婚する。ハンナは16歳で今日は彼女の結婚式だ。両親の自宅で自分の仕事をするのもこれが最後だ。心配はしていないが、自分の生活が全く異なるものになるだろうことを彼女は知っている。
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ハンナ「結婚したら全てが変わることは知っているわ。家庭の主婦になると、若い少女でいることとは全く変わるのよ。今までは自分がしたい事をしてきたわ。でも、夫の家で暮らすようになったら、何処へ行くにも夫の許可をもらわなきゃあないだろうし、もし駄目って言ったら、それまでよ。」
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ハナンは13人兄妹の一人だ。彼女の母ウム・カイリにとって、家族を食べさせ、衣服を用意してやるのはずっと続いている悩みだ。
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それは、ナイルに沿った村では普通の物語だ。そしてウム・カイリは娘が自分よりももっと豊かになるだろうという一つの希望を持っている。
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ウム「私は娘の幸せを祈っているわ。そして娘が彼女の夫に大きな繁栄をもたらしてくれることも望んでいるわ。彼女には私のようになってほしくないの。私には沢山の子供がいて、苦労が多いの。もし彼女が子供2人を持つとしたら、食べさせて学校にもやることが出来るわ。」

古代エジプトでは、結婚は“家を建てること”と表現されていた。結婚のいろいろな催し物の前に、ウム・カイリは娘の新しい家を調べようとしているところだ。花婿の母親が彼女を玄関で迎えてくれた。
花婿の母「ここが応接間で、居間sitting roomに続いているの。ここが居間で、こことここにカーテンが付くことになっているのよ。そして入口がここね。ここが奥座敷salonよ。ここにもカーテンが付くの。床には絨毯を敷くつもりよ」
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花婿の母「ここは私たちの土地よ。ずっと向うの地平線まで。」
「この牛は私たちの物よ。この水牛と驢馬(ろば)もそうよ。ここの全部が私たちのものなの。」
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古代エジプト人にとって一夫一婦制の結婚は神の指示の一つだった。
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ここには小人(こびと)の仕立屋のセネブの家族が表現されている。
(男の下半身は子供のように小さいのがわかります。)
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彼の子供たちは指を唇に当てた姿で表されている。伝統的な子供の印だ。エジプト人の人形師は男と妻の慈愛を祝福していた。
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結婚式までに、ハンナと彼女の母は、もらった持参金を使い果たした。ハンナの兄カイリは、持参金が派手に使われたことを花婿の家族に示さねばならない。
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ハンナの夫トウビー・アメッドは、カイリが若い二人の新しい家財道具を書き並べた書類にサインするのを覗(のぞ)いている。
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契約書へのサインが終わると、二人の持参家具は、家族や友人からのプレゼントと一緒に、村の中をパレードする。日常行われるこのような行事は、古代エジプト人たちのあの世での生活を形成した。若い二人が、彼らの新居に家具を持って行くように、ファラオ時代の祖先たちも、死ぬと日用品を墓の中まで持って行った。
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エジプト人はいつでも女性の美を理想化していた。召使いたちは女王が朝食をしている最中に、油が付いた女王の鬘(かつらwig)を整えている。女王だけでなく、どんな身分の女性たちでも宝石を身に付け、着飾っていた。
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古代の多くの習慣のひとつに、手飾りがある。結婚式での特別な儀式だ。
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中東からは金や銀、貴重な宝石などが輸入され、エチオピアからはコーヒという目の化粧が伝わって来た。
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「汝の妻を愛せ。彼女を食させ、衣服を与えよ。彼女をいつでも幸せにせよ。彼女がそれを好しとするまで。」
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ハンナの結婚式では、全ての人から祝福が与えられる。兄のカイリは贈り物と贈呈人のリストを参加者全てに聞こえるように読み上げる。
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古代のエジプト人にとって、結婚は文字通り、いつまでも続くものだった。彼らの友人たちは、この世における二人の長く、繁栄した生活を祈り、その幸せが死後の世界も続くことを期待し、信じていた。いつの時代でも、結婚の永遠性は、エジプトの偉大な時代の夜明けでもあった紀元前2千6百年頃に生きていた2人の廷臣ラホテプとノフレトの像の中にも捉えられている。
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ローマ人がエジプトを統治する紀元前30年までには、ファラオの世界は崩壊を始めていた。2つの大きなメムノンの巨像は、かつて偉大な寺院で残っている全てだ。
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キリストの前の1千年間、エジプト人は多くの侵略者から被害を受けていた。信仰の形態は完全なまま残されたが、侵略者たちはエジプトから搾取し、エジプトの文化を享受するためにやって来た。巨像の後ろに控えていた寺院は地震で崩壊した。今では、新しく来た人たちが、自分の印を残している。あるローマの皇帝は自分の名を石に刻んだ。それ以降、遺跡への心無い悪戯(いたずら)が続いている。
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ローマはエジプトを征服した。彼らは穀物を望んでいたのだ。しかし、エジプトは野生動物が多いアフリカへの入口でもあった。当時、ローマ帝国中の円形競技場では、大衆の娯楽のために多くの動物が切り殺されていた。都市ローマのコロシアムの公開初日には5千匹の野生動物が殺された。
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皇帝ネロの時代には、護衛兵が400匹の熊と300匹のライオンを1日で殺した。キリスト教徒や犯罪者たちは豹(ひょう)の餌(えさ)にされた。奴隷は奴隷を殺すよう強いられた。殺される動物たちは帝国領土外の遠い場所で捕獲された。エジプト人は自然を敬ったが、ローマ人は自然をないがしろにした。どんな生物も安全ではなかった。
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川は今もなおティシサットの滝で荒れ狂っている。しかし、山岳で暮らす象は絶滅して久しい。
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彼らを絶滅に追い込んだのは狩りばかりではない。生活の場所だった森林が失われたからだ。近くのタナ湖Lake Tanaでは、パピルスのボートのおかげで、樵(きこり)たちでも遠く離れた岸部まで出かけられる。
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エチオピアでは、誰もが木を燃料にして料理している。しかし、建築用木材への強い需要もある。今日、5千万人のエチオピア人が暮らしている。1950年の3倍の人口だ。多くの人は土地を離れて(外国で?)暮らしている。毎年、需要を満たすために多くの森で木が切り倒されている。
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既に森林の10分の1は消滅した。

これはユーカリeucalyptusの木だ。多くの場所では、料理用の燃料に使われているだけだ。ユーカリは成長が早いので、天然の森が伐採された後に植えられている。
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しかし、脅威にもなっている。水分を求めて延びる根が土壌を崩壊し、深刻な浸食をもたらす。ここに残されている自然の森の全ては一本のアカシアacaciaの木だけだ。周りのユーカリが野生生物の暮しを支援することはほとんどない。
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高地の多くでは森林の木は切り倒されて平原になっている。雨の後は、草や穀物で青々としている。しかし土壌を保持する木がないので、夏の風で大地はかき回され、表面の多くの土壌は川に向かって流れていく。
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しかし、エチオピア高地の周辺には、自然が生き残っている小さなオアシスが今も点在している。デブレ・リバノスDebre Libanos の修道院は、この地のエデンの園で囲まれている。古代のキリスト教の伝統が野生を絶滅から救っているのだ。
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ゲラダヒヒgelada baboonは、かつてエチオピア中に見かけられたが、今では極めて稀で、このように隔絶された森で見受けられるだけだ。
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巡礼は今も中世と同じように重要だ。祭日には農夫たちは修道院に向かう。
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キリスト教は、4世紀に、この地にやって来た。以来、エチオピア高地では圧倒的にキリスト教徒が多く、今日見受けられる伝統行事も、初期の教会で行われていたものだ。

彼らは今でも古代エジプトの寺院で行われていたように、祭司が演奏するシストラムという楽器に合わせて祈りを捧げている。
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エチオピア人は、エジプトのアレキサンドリアから高地の水源地まで、ナイルに沿ってリボンのように細く続くキリスト教徒の土地の中で、重要な部分を占めている。
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エジプトとエチオピアにおける教会は、何世紀もの間、主流のヨーロッパのキリスト教から隔離された共通の信仰で結びついている。
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両者の教会とも、勢力が強い修道院を伝統的に抱えていて、教会の精神的な指導者たちはいつも修道院から生まれている。現在の教会のリーダであるパウルス5世はエチオピアの多くの教会の長の中の最高位の存在だ。
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パウルス5世「エチオピアにおける精神的な生活はとても強力だ。修道院で暮らす人々の数は国全体でとても多い。修道院は古代から1千ほどある。」
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古代からある多くの修道院の中のいくつかは、青ナイルの水源のタナ湖に浮かぶ島にある。島々は、デブレ・リバノスのように天然の深い森で囲まれている。
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修道院が撤退する時は、いつの時代でも、自然を守るためだ。

エチオピアの修道院は、ヨーロッパの修道院と同じように、学問とキリスト教の偉大な中心地だ。
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混乱の時期でも僧侶たちは全ての教えや発想を残し続け、宗教だけでなく、歴史や文学など、文明を守ってきた。この羊皮紙の聖書には信仰を維持するための物語が描かれている。恐らく8世紀に僧侶によって作られた本だろう。イエス・キリストの情熱と死の物語だ。
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物質社会は僧侶たちにとっては大した関心事ではない。彼らには祈りと貧困と従順だけが社会なのだ。献身の聖域で暮らし、外界の錯乱から隔離されながら、正統派orthodoxの伝統は“自然を熟考すれば人はそこに神を見るだろう”と教えている。図書館と同じように、修道院は自然を保護している。何故なら、僧侶にとって自然は神が語りかけている本のようなものだからだ。
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今日、島々は重要な生物棲息地だ。多くの渡り鳥にとって冬季の生息限界地でもある。
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鳥の命への尊敬の念はエチオピア高地の住民たちも同じだ。根深い宗教伝統は、旧約聖書の中の“朱鷺(トキ)、鷺(サギ)、コウノトリ、水カキ足の鳥たちを食べてはいけない”という規則から来ている。食材に関するこの禁止令のおかげで国の830種の鳥類のうち96%もが保護されている。最近数十年間に起きた飢饉の時でさえ、タナ湖の鳥たちは平穏に過ごすことができた。自然と調和して生きることは神の近くで暮らすということだ。全ての僧侶は自然の生命のネットワークの中で暮らそうと努めている。

ここにいる人たちは4世紀にエジプトで定められた規則に従って今も生きている。
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後に中世ヨーロッパでも、修道院の生活に課されることになった規則だ。僧侶たちは修道院での生活に必要な全てのことを自分たちで行うのだ。この単純な生活様式は、僧侶たちが神への献身に集中できるようにしている。
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パウルス5世「誰も、自分に課された仕事が何であろうとも不平を言わない。それは全ての僧侶たちへの完全な帰順だ。従って彼らは、他の僧侶たちから頼まれれば、また他の僧侶たちが必要としていることなら、何でもやる。彼らは共同で生活する。一日一回、最小限の、簡単な食事を摂る。」
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食事は簡単なものかも知れないが、修道院は若い新参者のために、保護者の農民の家族なら誰も知らない保護策を準備している。ここでは、若い新参者はいつでも十分食べることが出来、面倒を見てもらえるのだ。
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デブレ・リバノスでは、公認の祈祷師の生活や瞑想は深夜にまで及んでいる。この古代の讃美歌hymn/psalmは何世紀も変わらずに響き渡っている。
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しかし、ある僧侶たちには、修道院の暮しは、まだ厳しさが不足しているようだ。彼らは仲間の僧侶から離れ、孤立して生活する。
パウルス5世「修道院でのとても厳しい生活も、まだまだ贅沢過ぎると考える人々がいる。そういう人々は共同体から離れて一人で暮らすことを好む。彼らは生きていくための最低限の接触だけをする。時々、誰かが水一杯とか、片手一杯の豆とか、そういったものを持ってくるだけだ。」

神父アテロは子供の時にデブレ・リバノスに来た。その後、修道院の上の洞窟で30年間、一人で暮らしている。
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わずかばかりの食事を持ってくる弟子達との接触も避けている。
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神父アテロが隠者になった時、彼は食べないことを誓ったが、体力が落ちて祈りが捧げられなくなった。厳格な祈りを毎日決まって行うことが、彼の生活を支配している。
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神父アテロ「木を植えるのは、子供を産むのと同じだ。我々は子孫を残す希望や望みを持たない僧侶だ。木を植えれば神は報酬や慈悲をもたらしてくれる。緑の植物はあなたが純潔で、温情で、肥沃だという象徴のようなものだ。緑の中で暮らしていると、ヒヒや猿や鳥たちと友人のようになれるのはそのためだ。野生の動物たちは神によって生かされているからだ。」
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パウルス5世「修道院での厳しい生活を過ごしている人々は、あらゆることに関与している。例え木が、石が割れて2つになる時でも、彼らが関与しているのだ。」
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僧侶は“自然の面倒をみる”という長く続いている伝統の相続人だ。アフリカではそれはファラオの時代まで、ヨーロッパではアシシAssisiの聖フランシスまで遡る。エチオピアでは修道院は悩める野生動物たちの最後の希望のオアシスなのだ。
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タナ湖の直ぐ北に古代都市ゴンドーGondorがある。エチオピアの昔の首都だ。城はエチオピア人の精神が高揚していた時代に造られた。
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その情熱は毎年行われるティムカトの祭りで今日でも感じることができる。祭りは洗礼者ジョンによるキリスト洗礼の再演だ。

ティムカトは水の尊厳を祝うもので、契約の箱Ark of Covenantのパレードと共に始まる。
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箱はエチオピアにおける最も神聖なイメージの一つだ。その中には、神がモーゼに与えた十戒がある。毎年、全ての教会から運ばれてきた箱のレプリカが、祭司を先頭にナイルの水を溜めている貯水池に運ばれていく。
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キリストがヨルダン川で洗礼したように、ゴンドーの人々も毎年、ナイル上流の水の中で洗礼する。中世の祭服を着た僧侶たちはエチオピア中からやってきて、毎年恒例の精神的な再生の祭りに参加する。

儀式は火が灯る蝋燭(ろうそく)が取り付けられた十字架を水に浮かべた時に始まる。
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ここでの洗礼は、原点の洗礼とは全く逆で、他愛がない。子供たちが神聖な水のしぶきを大人たちにかけて洗礼するのだ。その日はまさに洗礼の祭りだ。
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司教のショヌダは、ファラオの宗教と深く関係しているという。
ショヌダ「彼らはナイルを崇拝しているのだ。命の源として。我々は、水が命の源であることを聖書を読んで良く知っている。生きている水は他の物に命を与える源なのだ。」
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水は魂だけではなく、体にとっても好いものだ。ナイルの水源の近くには、村中の人々が悠久の存在でエネルギーでもある川に魅かれて集まっている。
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ここで彼らは病や、減退や、跛(ちんば・びっこ)が治るように祈る。これもお祭りのようなものだ。彼らは細かく砕いたパンを食べ、コーヒーを飲み、そして祈りをする。祈りの言葉は大気に満ち、治癒の霊を召喚する。そしてナイルの神への供え物が行われる。火と水と血で力強く促すのだ。
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カイロは長い間、イスラム教とイスラム芸術の偉大な都市の一つだ。最も大きなモスクの一つのスルタン・ハッサンSultan Hassanは13世紀に建てられた。
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この場所でさえ、古代エジプトの影響に気が付かないでいるのは難しい。モスクに入るということは神の存在の中に入るということだ。そこには過去の面影という以上のものがある。毎日行われる祈りは日の出を思い起こさせる。抽象的な模様は自然に基づいている。縞模様の入口は永遠の命に続いている入口だ。
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エジプト人として、アデルは豊かな遺産を引き継いでいることに気付いている。
アデル「私はイスラム教徒だ。しかし、アダム、アブラハム、モーゼ、ジーザス、モハメッドなど、全ての預言者を崇拝し、尊敬し、学んでいる。イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒の誰に対しても好い人間でいようと考えている。他の宗教を尊敬しないのならイスラム教徒ではない。コーランにもそのことは書かれている。全ての宗教、全ての預言者を尊敬しなければいけないとね。」
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イスラム教とキリスト教はいつの時代でも、ナイルという、偉大な時間の川の終点の近くに立っている。しかし全ての信仰はいつでも永遠の命を求めて来た。
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この世をどのように生きるかが次の世での立場を決めると信じて来た。その考えはファラオの時代からほとんど変わることなく、我々に伝えられたものだ。
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数えきれないほどの墓絵が葬儀の行列を描いている。去っていく者たちの魂のために涙を流す泣き女たちも。
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墓は死者があの世で必要だろうと思う全てのもので埋め尽くされていた。サンダルもある。
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多くのミイラ化された動物の神々も墓の中に収められた。
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この男は砂漠の縁で6千年前に埋葬された。遺体は乾燥した砂のおかげで自然にミイラ化した。
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その当時でさえ、人々は日の入りの方向に向かって、次の世のための食糧とイメージとともに埋葬された。永遠への準備をするという伝統がとても強かったので、初期のファラオの時代には、死者の魂が宿るのを待つ彫像が一緒に墓に埋められた。ガラスの目は死者が新しい世界を見通せるようにしたものだ。
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記念碑のような墓はファラオのあの世での生活を確約するだけではなく、彼のライバルたちに彼の人民の精神を顕示するためのものだ。
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エジプト人にとって、この世で最も恐ろしいことは失念という思いだった。そのことで地下世界に入るための試験に失敗するかもしれない。

死から永遠まで続いているだろうと彼らが考えていた道は“死者の書”に記されている。
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“口を開ける儀式”では、ミイラの上に呪文を書き記していた。魂が旅を続けるために必要な、特に視力と会話力といった命の力を取り戻せるようにしたものだ。

次に魂は28の門を通過しなければならない。しかし、地下世界の守護神たちの向う側まで行くには、全ての呪文が完璧でなければならない。
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この絵は王室の書記アニーが、妻のトウトゥに付き添われて死後の旅にでるところだ。
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アニー「私から遠ざかれ。私はお前を知っている。お前の名を知っている。私はお前を守護する神の名を知っている。“空の愛人”というのがその名だ。」

守護神を満足させたら次の門に向かい、アニーの旅は続けられる。
彼はジャッカル神のアヌビスに導かれ、2つの真実の部屋に入って最終試験を受ける。彼の魂が、忘却の地獄に投げ込まれるか、パラダイスに入るのかが決まる。
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陪審の神に従いながら、彼は常に無罪であることを宣言する。
「私は盗みをしたことはありません。人に暴力を振るったことはありません。傷つけたことはありません。人を困らせたことはありません。私は神聖な牛を殺したことはありません。神が飼っていた鳥を絞め殺したことはありません。神々の湿原で魚を獲ったことはありません。流れを変えて水を止めたことはありません。ダムを作ったことはありません。水を汚したことはありません。」
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死者の言葉が真実であることを確認するため、彼の心臓は真実の秤(はかり)に載せられた羽根と比べられる。
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獣(けもの)のアムットは悪の心臓なら食い殺そうと待機している。知恵の神トトは真実を語るよう死者に宣告する。その後、死者が地下世界の神オシリスのところに導かれていくと、オシリスは死者をパラダイスに案内する。
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ナイルの土と水から、古代エジプト人は地球上のパラダイスを創造した。彼らの思いでは、それ以上のものはなかった。そこで彼らは、その中から最善のものを来世に持って行ったのだ。
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5千年の間、ファラオたちはエジプトの草原を見通して、目にしたものを楽しんだ。
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景色は全く変わってしまった。工業化された世界が到来したのだ。それでもなお、昔の農業も共に生きている。
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人々はますます田舎を離れ、都市に流れ込んでいる。近代社会では、男も女も自然から離れ、古代エジプトの信仰を形作った世界から離れて暮らしている。
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しかし、自然に満ちたパラダイスへの思いは残っている。どの時代においても、全ての社会、全ての宗教はエデンの園への回帰を熱望している。そこは我々の想像の中に生き続けている場所だ。そして今も、ナイルの上流で見つけることが出来る。
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“我々の最後は我々の始まりの中にある”と詩人エロットは言っていた。“そして我々の全ての探求の終わりは我々が探求を始めた場所に到達し、そこが初めての場所だと知ることだろう。”
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今日、ナイルに沿って我々が見出すものは、新しい共振resonanceを持つ古い思想だ。エジプト人の宗教の中心には“人間と動物は調和して生きねばならず、人間はそれらが全て継続することを保証する義務がある”という信念がある。それはナイルが神々の川だった古代の記憶の中で存続し輝いている考えだ。
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Discovery Nile Documentary | Nile River : River of Gods
https://www.youtube.com/watch?v=BeA4Scs_dVA
Wiki:
コプト正教会(Coptic Christianity、Coptic Orthodox Church):
伝承では1世紀(42年頃)にマルコがエジプト(アレクサンドリア)に立てた教会(アレクサンドリア教会)である。現在、エジプト・エチオピア及びエリトリア・アメリカ・オーストラリアを中心に、総計5千万人のコプト系キリスト教徒がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。20世紀にエチオピア正教会が分離したが、教理上の違いはない。

エチオピア正教会(Ethiopian Orthodox Tewahedo Church):
サハラより南で唯一、植民地時代以前から存在する教会である。エチオピアのほか、世界中で公称3600万人の信徒がおり、全東方諸教会中最大の規模を誇る。4世紀にフルメンティ(フルメンティウス)が、アクスム王国で布教したのがエチオピアにおけるキリスト教の始まりとされる。350年にアクスム王国はキリスト教を国教としている。

コプト教徒はエジプトでは人口の10%ですが、エチオピアでは63%です。恐らく6世紀では、エジプトもエチオピアもキリスト教徒が主力だったはずですが、エジプトについては、639年にイスラム帝国の将軍アムル・イブン・アル=アースに征服されてイスラム帝国に編入され、16世紀にはオスマン帝国に組み込まれてイスラム化が進んだのです。それでも今もなお10%のキリスト教徒(コプト教徒)が残っているというのは、どういう経緯があったのでしょう。

エチオピアは、イスラム帝国化されることなく、古代のエチオピア王朝が近年まで続き、キリスト教が残りました。なお、エチオピアには紀元前10世紀、シバ王国があり、女王(シバの女王)がイスラエルのソロモン王を訪ねたという逸話があります。また、シバの女王とソロモンの間に生まれたシバ王国の王子がソロモン王を表敬訪問した時に神殿からモーゼの十戒が収められている契約の箱Ark of Covenantをだまし取り、エチオピアに持ち帰って、今もアクスンAxumの教会に宝物として保管されているという逸話も残っています。興味がございましたらブログ「契約の箱とエチオピアの不思議」をご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/43442870.html
(River of Gods Part-2/2完)

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