Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ジェデフレーの失われたピラミッドの不思議-2

(先週の続きです)
アブ・ラワシュAbu Rawashの軍事地域の端は今、考古学的な発掘地点になっている。しかし、時計の針を4千5百年前に戻すと、そこは建設現場になっていた。ファラオのジェデフレーの指示によって数百人の作業者が2トンの石を引っ張ってナイル谷の麓(ふもと)から120mの高さの丘の上まで運んでいる。ジェデフレーの石工に対する命令は、完成したらエジプトの歴史の中で、どの構造物よりも高い建物を造ることだった。
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今日の考古学者たちへの命令は、その建物が一体、何だったのか、そしてその建物に何が起こったのか、を確定することだ。
歴史家テッサ・ダンロップ「この丘に切り株のような記念碑が建ち始めた瞬間から、それが元々、どんな形の構造物だったのかを知るのは難しかったはずよ。それを見つけようと考古学者たちが何年も調査してきたのよ。」
丘の頂に、こんなに大きなものを建てるという試みはエジプトの歴史の中でも初めてのことだった。技術者の仕事は前例がないもので、かつ莫大な量の資材を持ち込む必要があった。
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メンフィス大学ピーター博士「ピラミッドは砂漠の真ん中に造られる単なる石の積み重ねではないということを理解しておく必要がある。それは建築的で、行政的で、経済的な複合体なのだ。ピラミッド複合体に付属して、ピラミッドの町があったはずだ。作業者たちはそこで生活していた。作業場や、共同宿舎や、穀物庫や、倉庫などあらゆる種類の、ピラミッドとは異なるタイプの建物があった。何故なら、そこは小さな都市のようなものだったはずだからだ。」
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この論理的な働きを理解すればする程、検討チームは、ここで造られた物の本当の性質と大きさをより正しく理解できるのだ。
テッサ・ダンロップ「ピラミッドが造られているサイトの大きさを確定することは、重要な要素よ。もし正確な面積が分かれば何かを知ることが出来るはずよ。そうすれば、ここにピラミッドがあったと言えるかも知れないのよ。」
人工衛星を使った地図化は人工の土手道causewayの存在を示している。土手道は2つの機能を持っている。ファラオのあの世への旅の通路になり得たはずだ。しかし、その前に、石を減築現場に運搬するための主要道路だったはずだ。
「衛星地図を見ると、ここに長い断崖がある。高くて急で、崖の縁からは5,60mの落差だ。」
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経験から、エジプト人の技術者たちは7%以上の勾配は石を引き上げるには急すぎることを知っていたはずだ。しかし、ここの丘の斜面はその倍の急勾配だ。
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「そこで、彼らがまず考えたのは、この断崖の下の谷に向かって、もっと緩やかな傾斜の土手道を造ることだった。」
ジェデフレォィの祖先たちは、土手道を造るに当たり、大きな宗教的な意義を道に与えていた。伝統によれば、それは太陽の移動に沿って東から西に向かうよう言い含めている。
「エジプト人は方角に従ってピラミッドの向きを決めていたの。そして勿論、西はとても重要だったのよ。なぜなら、太陽が死ぬ方向だから。東から生まれ変わって出てくる前に、西に埋葬しておくことが必要だったのよ。」
(mh:ピラミッドの不思議で、何故ピラミッドがナイル河岸の西の丘に造られたのかについてmhの仮説をご披露したことがあります。夕日が映える夕焼け空を背景に立つピラミッドは東の町から良く見えたからだとしたのですが・・・どうもそうではなかったようですね。)
ここに造られた土手道は1.6Km(1マイル)以上の長さだ。古代エジプトでこれまで見つかったものの中で一番長い。
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ロンドン大学フェクリ博士「これは単純なことではない。土手道は先例がない方法で造られていたんだ。彼がこんなに高い場所にピラミッドを造ったのは信じられない。石をこんなにも長い坂を使って引き揚げるなんてことはね。」
しかし、この土手道で驚くべき点は、南北に走っている点だ。初期のエジプト学者は規格をはずれたこの考えが、ジェデフレーが家系から切り離されていたためだと考えていた。
しかし、近代の学者たちは、ジェデフレーが技術者から提案されて現実的な選択をしたというだけのことだという。
「“東西にしたいという王の意向は理解いたしますが、石を運ぶには南北が最適なのです”と提案されたのだ。」

ロンドン大学フェクリ博士「地勢を上手く使おうとすれば、自然に合わせなければならない。更に言わせてもらうなら、ピラミッドは山だ。山は空に向かって立っているものだ。」
土手道がどこを走っていたのかは明確に確認できる。
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大地の傾斜に沿って、石切り場まで到達していた。
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そこは4千5百年も経った今でも使われている。
「これは現地にある石切り場の一つだ。石はここで切り出され、坂道を使って丘の上のピラミッドまで引き上げられた。」
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概算によれば、ジェデフレーの建築工事のために32万5千トンの石灰岩がこの石切り場で採取された。
「沢山の石が切り出された。建築に十分な石だっただろうことは間違いないだろう。」

しかし、石灰岩ではない、遠くから運ばれてきた多くの石もあった。莫大な量の花崗岩だ。船で運ばれてきたのだ。エジプトの花崗岩はここから1千Km離れたアスワンの石切り場で採取されている。ファラオたちは、そこから大きな艀(はしけ)を使ってナイルの上で運んだ。
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この作業はナイルが増水し、川幅が1.6Km以上になる、海に流れ下る洪水時だけ行われていた。建築現場近くの川辺には、荷卸しのための港が造られていた。
「とても感激している。ここが、かつて港があった所なんだから。土手道の最下段の入口に近いんだ。とても興味深い場所だ。所々には建物が建っていないので、昔の面影も残っている。ここにあった港から運河でナイルに繋がっていたんだ。」
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それは、この地にピラミッドを建設するための基本的な工事だった。川から丘まで石を運ぶため、彼らは運河を造らなければならなかったのだ。

ザヒ・ハワス「我々は、古代王朝の時代から大きな運河がナイルに沿って造られ、さらに小さな運河が大きな運河から引き込まれてピラミッドの建築現場まで続いていたという証拠を持っている。それが遠く離れた場所から、この失われたピラミッドまで石を運ぶ唯一の方法だったんだ。」

港や石切り場や土手道といった明確な目に見える証拠は、数千から場合によれば数万の人々が関与した仕事だったことを示している。
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そしてこれら全ての人々に十分な食料と宿泊施設が必要だった。近くに労働者の集団の受け入れ施設がなかったら、ピラミッドがこの地に造られることは無かっただろうことは考古学者たちの全員が同意している。
「謎の一つは、何千人ものピラミッド建設労働者が住む町ないし村がどこにあったのかということだ。これはまだ欠けている要素だ。どこかに存在していなければならないんだから。」

研究や調査の結果、作業者の住居地として最も可能性の高い場所が割り出された。現代のアブ・ラワシュ村がここにある。
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つまり、恐らくこの場所で45世紀の間、人々は暮らし続けているのだ。

仮にどんな痕跡が、考古学者たちが到達できないところにあったとしても、ギザのピラミッドの周辺の発掘サイトに戻ってみれば、それがどんなものだったのか、彼らは明確に描き出すことが出来る。この住居地はジェデフレーの1世代前、クフの大ピラミッドを建設した労働者たちが暮らしていた場所だ。
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39エーカー(15ヘクタール)以上に渡って広がっていて6千人の共同住宅があった。下水道施設も造られていた。そして世界でも最も古い石畳の道が見つかっている。同時代の記録から、このような住宅地でどんな人々が暮らしていたのかを知っている。徴収された労働者と技能を持つ職人で、集団で仕事をし、どれだけ仕事をしたのかに応じた配給を与えられていた。
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「若者は生活に自負を持っていたの。彼らは地上で最も権力があるファラオによって選ばれた者として働いていたの。そして優れた建築家や石工だったチームリーダーの指揮の下で、分け前を貰いながら仕事をしたの。労働者の世話をすることもとても重要だったのよ。だって何トンもの石を引く仕事は、体が頑強でなければ出来ないわ。」

アブ・ラワシュの地上に残る全ての証拠が、ギザの丘で今日も見られるものと同等の大きさを引き継いでいることから、アブ・ラワシュでも大きな建築事業が行われていたことが分かる。

今では、チームのほぼ全員が、これがジェデフレーの失われたピラミッドであることを確信している。彼らが次に知りたいと望んでいることは、その設計と建築の詳細だ。どのような外観だったのか?どんな宝物が保管されていたのか?そこは古代エジプトの建物で最も偉大なものに対抗できるほど、本当に壮大だったのか?
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ギザから8Km北で、10年越しの発掘で見つかった素晴らしい発見が今、世界に向けて明らかにされようとしている。アブ・ラワシュの140mの丘の頂きに造られた構造物は4千年以上もの間、世界で最も高い大ピラミッドよりも高かったと噂されていた。
今、専門家たちは、その建築の様子を知りたがっている。
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外観から、この地に造られているものが独創的だったことは明確だ。
「もし自然の丘を選ぶなら、上に伸びる円錐形の形じゃあないかしら。近くにピラミッドを建ててほしいっていう場所よ。そこなら既に4,50%の仕事が終わっているんだから。」
丘に突き出ている岩の頭で、ピラミッドは、予め自然が造っていた基礎と内部構造を持っていた。
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メンフィス大学ピーター博士「丘の上に造ることで多くの時間を節約したかも知れない。」
しかし、別の問題を伴っていた。作業者たちは周辺の基礎石が彼らが造ろうとしている構造物を支えるのに必要な十分な強度がないことに直ぐに気付いた。その問題に対処するため、紀元前25世紀では最先端の解決法を導入した。何トンもの石膏を使ったのだ。石膏は砂と水とカルシウムで出来ている。エジプト人が持っていたコンクリートに一番近い材料だった。
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「ちょっと見た所では人間が造った壁のように見えるの。でも元々あった自然の岩よ。触ってみれば分かるけれど、脆くて、簡単に欠けてしまうの。ここでも見受けられるように、石膏を使えば、石をつなぎ合わせることができるの。」
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しかし、石膏を使った修復は最初の段階だけだ。第二段階では試験的に導入された技術を試している。それはジェデフレーの祖先によってここから24Km南のサッカラで発明された建築方法だ。1世紀前の、極めて初期のエジプトの階段ピラミッドにも使われていた。

「階段ピラミッドは時間の試練にも耐えて残っているの。それには秘密があるのよ。大きな石板が使われているけれど、良く見ればわかるように、内側に行くほど下に傾いているの。ピラミッドの中心部に向かってね。つまり、何かの動きがあったとすれば、石はピラミッドの中心に向かって動こうとするのよ。それで、石を汲み上げた構造物が一体性を維持しようとするの。これを見て、アブ・ラワシュで何が行われていたのかが私たちにも分かるようになったの。」
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傾斜組立構造はアブ・ラワシュのピラミッドを安定させ頑丈に保つことができる。しかし建築家たちには機会が無かった。そこで彼らはこの技術を彼ら自身の方法に変えていた。花崗岩のピンを使って、石灰岩を固定していたのだ。
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「ここに、その跡が残っているの。良く見ると切り取られているのが分かるわ。長さ2.5mのところで折れているけど、元々はピラミッドの外面にまで突き出ていたのよ。だから、長さは2倍の5mほどあったのね。」
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大きな地震で花崗岩がずれたのだろう。しかし、花崗岩の強度は利用価値があった一方、加工を困難なものにしていた。
エジプト学者デニス「この工具には歯が付いているが、昔使われていた工具を参考に造ったものだ。しかし、花崗岩を削る作業にはとても使えない。」
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しかし4千5百年前、デブラの技術者たちは、一般の作業者と極めて簡単な技術で加工方法を見つけたのだ。
「まずは花崗岩より硬い火打石で目印の線を描く。」
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「次は石のハンマーを使って、花崗岩の表面に溝を造る。」
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銅で造られた金鋸(かなのこ)は紀元前26世紀に入手可能な最高の道具だった。しかし、銅では花崗岩を切ることは出来ない。そこで金鋸に水をかけながら砂粒を注いでやる。砂の中の石英粒子が銅の刃に埋まり込んで、固い研磨用の刃先を造るのだ。
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「力を加えながら何回も、金鋸を動かせば、花崗岩に溝を切っていけるんだ。」
あと必要なのは時間だ。5日間、2人、3mの長さのブロックを切断することができた。とても労力を必要とする作業だ。しかし、作業現場には、ピンや楔(くさび)で必要とされた以外の、沢山の切断された花崗岩が残されている。恐らく、これらの石は別の目的で使われていたのに違いない。
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調査チームは、先例のない程の量の、重くて硬いこの石から計算され導かれる巨大なピラミッドに使われていたのだという結論に到達した。

「ここに来ると瓦礫の周りに残された沢山の大きな花崗岩の石に気付くの。他の石の形とは全く異なっているのよ。この表面にはよく見かける斑模様があるのよ。水を掛ければ見やすくなるはずよ。光で輝いているでしょ?」
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「表面はとても滑らかなの。つまり、これは補強ピンの部品ではなくてピラミッドの化粧石だったのよ。」

近くで採れた石灰岩ではなく、花崗岩を化粧石に使ったとすれば、それは見事なものだっただろう。多くの労力や費用を使って運ばれ、加工され、磨かれ、太陽に照らされて輝いていたのだ。それは強烈な富と権力の象徴だったはずだ。
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「労力や搬送や、技術者を集めることが、どれだけ費用がかかり、どれだけ困難だったのか、理解しておかなければならない。沢山の花崗岩を使うのは、黄金で覆うのと同じようなことだったはずだ。」

ジェデフレーが始めると、他のファラオたちがこれに従うようになった。20年後、彼の甥(おい)が三番目のピラミッドをギザに造った。彼は大きさを既に立っている2つに合わせようとはしなかった。その代わり、彼はジェデフレーの建築を真似たのだ。

「後ろにあるのがメンカウラーのピラミッドよ。」
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「基礎部が良く見えるでしょ。ピンクの花崗岩が使われているの。」
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「興味深いのは、アブ・ラワシュに置かれている花崗岩の塊から、ジェデフレーは花崗岩の市場の指導者だったってことよ。クフは墓室だけに花崗岩を使ったの。ジェデフレーは素晴らしい花崗岩を化粧石に使ったのね。メンカウラーはそれを、ここで真似たのよ。」
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クフはピラミッドの中で花崗岩はほとんど使っていない。彼が選んだ石は石灰岩limestoneだ。石灰岩は現場近くで手に入れやすかったので、沢山使って大きなピラミッドを造ることが出来た。

ジェデフレーの考えはこれとは異なっていた。花崗岩graniteを使うのはある種の芸人気質showmanshipだ。しかも実はそれ以上のものだった。花崗岩は固くて長持ちするのだ。彼は自分の記憶が、他のどのファラオよりも、より長く生き、より長く続き、より強く輝き続けることを望んでいたのだ。

「彼は宣言をしていたのだ。“私のピラミッドは花崗岩で覆われている。私は父のピラミッドよりも長く残るピラミッドを造るのだ”」
そのピラミッド全体を花崗岩で覆うには許容できない程の費用がかかったかもしれない。メンカウラーは基礎部の3段のみに使った。しかし、もし花崗岩がどの辺りの高さまで使われていたのか知ることが出来れば、ジェデフレーのピラミッドがどのくらいの高さで立っていたのかを計算から求めることが出来る。そうすれば専門家チームはピラミッドの完全な外観を得ることが出来る。

「ここにあるのはジェデフレーの花崗岩で覆われたピラミッドの基礎部分だ。私がいるこの辺りまで地面からは6m位の高さだろう。」
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「しかし、我々は花崗岩で追われた基礎は13m位だったと推定している。つまり今の高さは当初の半分くらいだということだ。下を覆っていた花崗岩の化粧石は取り外されている。」
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ピラミッドの高さはもし、基礎面の大きさと斜面の傾斜角が分かっていれば簡単に算出できるはずだ。しかし地面の上にいる考古学者たちにはなかなか厄介な謎だった。下の石の角度を見ると、かなり急勾配のようだ。
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建築作業が困難になるだけではなく、とても不安定な構造物になる。
「我々は、最下段のいくつかの石の角度からピラミッドは64度じゃあないのかと思った。」

初期のエジプト学者たちには、64度のピラミッドだから長い間立っていることはできなかったという根拠になっていた。ジェデフレーのピラミッドは高くなりすぎたという理由だけで壊れてしまったというわけだ。
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しかし、我々の調査チームはもっと論理的な答えを引き出していた。もしこれらの64度の石が基礎の石と同じように12度傾いて置かれたとするなら、ピラミッドの側面の傾斜は52度になる。この角度はクフのピラミッドと同じだ。
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「つまり64度から12度を引けば52度ってことだから、この角度で上に伸びていたとしていいのじゃあないか?」

この考えに基づいて計算すると、ピラミッドの高さが求められる。高さは丘の表面から66mだ。
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この時代の他の全てのピラミッドの頂点には建物の見どころを示すかのような、光り輝くキャップ・ストーンが置かれていた。

ダシューアの赤いピラミッドの場所では、この一つが造り替えられて残っている。
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「これがピラミディアン(キャップ・ストーン)よ。ベンベンとも呼ばれているの。恐らく銅と銀と金の合金のエレクトラムで覆われていたはずよ。日の出の光を受けると、光り輝いていたことが想像できるでしょ?」

我々はとうとう、4千5百年前の、ジェデフレーの完全なピラミッドの姿を描くことが出来る。高さは120mの高さの丘の表面から66mだ。
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光り輝くエレクトラムで覆われた頂点、磨かれた石灰岩の側面、基礎部はよく磨かれたアスワンの花崗岩で造られた幅12mの帯。ジェデフレーのピラミッドはエジプト黄金時代の他の建造物に比類するものだった。そして地面の上にたつ考古学者にとっては、ファラオが歴史の中で改めて認識されるべきであると我々に伝える意味のあるものだった。
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ブリストル大学アイダン博士「結局ジェデフレーのピラミッドは多分、近代の書家たちが言っているような失敗作品ではなかったんだ。実際のところ、大成功だったはずだ。自然環境や材料やその他のものを見ても、多に例のない独特な記念碑だった。丘の頂の素晴らしい王の記念碑だった。頂からは彼の王国や祖先たちの墓を見下ろすことができた。偉大な墓だと言えるだろう。」
この墓の完成はジェデフレーの輝かしい統治を象徴するとともに、彼の永遠性が保証される瞬間でもあった。
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しかし、何か不都合が起きた。初期の歴史学者によれば、それは彼の兄弟が復讐だ。ジェデフレーのピラミッドや遺産や名前を破壊するために、彼を殴り倒した。

ギザのピラミッドの8Km北で考古学者たちは、今、彼らが最も高いピラミッドだっただろうと考えている場所を調査している。彼らはそれを建てた男はジェデフレーだと特定した。第四王朝のファラオで、家系はエジプトの最も偉大な建造物に関与している。今、考古学者たちはピラミッドが破壊された理由を解き明かそうとしている。
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過去の歴史家たちはジェデフレーが家系に対して許せない罪を犯し、その復讐のため、彼らはジェデフレーを殺したというシナリオを考えた。彼らは彼の墓を破壊した。この理論は現場で見つかった沢山の破壊された像と、像への冒涜はその所有者の魂を呪うためのものだという古代のエジプト人の考えに基づいている。
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20世紀初頭に行われた僅かな発見の上に立つ歴史家たちは、劇的な考えを思いついた。彼らはジェデフレーを、兄を殺し、その後、その妻と結婚し、王位を奪った残忍な落伍者として描いた。短い悲惨な統治の後、彼は弟のカフレイ王子によって暗殺される。そしてカフレイが国を繁栄させ、第二のピラミッドを建て、ギザのスフィンクスも彼が造ったのではないかと考えられている。
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ジェデフレーによって忘れられた彼の父の側に戻ることによって、彼は秩序を回復したのだ。

しかし、現代の専門家たちは、この結論に飛びつくことに注意深くなっている。
サリマ教授「学者たちがかつてジェデフレーについて考えていたことは、彼が家系をボロボロに破壊したということや、彼が新しい邪教cultを始めたということや、何人かの同じ家系の人々を殺害したということだったの。でも、これを支持する明らかな証拠は何もないのよ。」
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ブリストル大学アイダン博士「エジプトの歴史における、あまりにも多くの情報は、1百年前の発掘に基づいている。当時は、調査方法も正確ではなく、科学もまだ未熟で、学者たちも歴史の中の事実に基づいていない華々しい話を書きたがる時代だった。」
ジェデフレーが自分のピラミッドをギザに造らないとした決断は家系の中の確執を示す強い証拠だった。

しかし、ギザでは、一連の発見によって、学者たちはジェデフレーと彼の統治に関するこれまでの考えを急速に見直そうとしていた。
バシル・ドブレヴはカイロにあるフランスの研究所の主席だ。彼の先駆者的な調査は、これまでの出来事に対して別の物語を提供し始めている。彼が根拠とするのは最も有名な古代の顔に関する20年に渡る調査から来ている。スフィンクスだ。
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バシル・ドブレヴ「スフィンクスに関する私の関心は第四王朝に関する博士論文を作成することがきっかけだった。スフィンクスは最も大きな像で、この王朝時代に造られた。それで、私も一生懸命勉強したんだ。」

スフィンクスはカフレイのイメージを讃えているとして、長く、広く知られていた。彼は弟で、ギザに戻り、自分のピラミッドをここに建てることによって、家系の秩序を建て直したことで知られている。しかし、スフィンクスの顔と頭巾を見るだけで、ドブレヴ主任は何かが足りないと思い始めた。
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「多分、カフレイには沢山の像がある。これらの像では彼は髭を付けている。スフィンクスは最初から髭を付けていない。その上、カフレイの頭巾は織り込まれていないが、スフィンクスの頭巾では織り込まれている。何故カフレイが、彼の最大の像が、普段の彼と違うのか?」
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そしてギザの詳細な調査は、別の問題も指摘した。カフレイはファラオに就任すると直ぐに自分のピラミッドの建設に着手した。しかし彼のピラミッドと彼の寺院を繋ぐ道は、スフィンクスを迂回している。これはスフィンクスが既にそこにあったことを意味している。
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「カフレイがピラミッドと寺院と土手道を造った時、スフィンクスは既にそこにあったのだ。そこで、彼はよけねばならなかった。彼が造った土手道は南側に傾いている。従って彼の寺院に入る道も南側に造られた。これはとても例外的なことなのだ。」
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テッサ・ダンロップ「最近の考古学的な調査によれば、ギザのスフィンクスはカフレイのピラミッドより古いの。カフレイが造ったのでないとすれば、誰が造ったのか?」

スフィンクスが誰の顔に似ているのかという疑問はドブレヴを何年も悩ませた。彼はスフィンクスが最も似ているのはこの像の顔だと結論を出した。この小さな像は45世紀の間、完璧に保存されてきた。
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ジェデフレーの父の唯一の当時のイメージだと考えられている。大ピラミッドの建設者のファラオであるクフだ。
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「我々が知っているクフのイメージでは髭が無い。クフとスフィンクスは一緒だ。」

しかし、スフィンクスがクフの指示で造られたという証拠は何もない。全ての記録に残っている証拠によれば、クフは大ピラミッドを建てることに憑りつかれていたので、別の建設計画を進める余裕はなかった。大ピラミッドの建設費用だけでも王国を破産させるほどの額だったのだ。

テッサ・ダンロップ「ピラミッドの建設は当時の経済を支えるインフラに大きな問題を引き起こしていたはずよ。クフは目の玉が飛び出るような大きなピラミッドを建てたのよ。労働力や資源や石工を集めたのよ。お金が必要だったので自分の娘たちを娼婦として売り飛ばしたの。」

もし、歴史の中に残されていたこの説明が半分でも正しいとすれば、クフがスフィンクスの建設者であるとは思えない。しかし、スフィンクスは息子のカフレイがピラミッドを造る時には既に完成していたのだ。となると、これを彫り出すことができたファラオはたった一人しかいない。ジェデフレーだ!
「スフィンクスは一つの岩から削り出して、クフの形、クフの顔で造られている。息子のジェデフレーは父を助けて国を導き、建設工事も指揮していた。スフィンクスの顔は重要な宣伝手段だったんだ。」
皮肉なことに、この理論を支持していたのはシャセナーンのアブ・ラワシュにおける発見の一つだったのだ。
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テッサ・ダンロップ「沢山の像がアブ・ラワシュで見つかっているの。それらのいくつかがスフィンクスの顔と同じで同じ頭巾を被っているの。しかも顔がライオンの体に付いて現れたのはこの時なのよ。もし、ジェデフレーがスフィンクスの彫刻をアブ・ラワシュで手掛けていたとするなら、ギザの記念碑的な像も彼が手掛けなかったという理由はないわ。」

もしジェデフレーがスフィンクスを彼の父に似せて造るよう命令していたとすれば、嫌われ者の男がやる仕事だとは思えない。伝統的な物語はこれらの証拠と合致しない。調査チームはもっと確実なものを見つける必要があった。
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テッサ・ダンロップ「ジェデフレーが彼の父に似せたスフィンクスを造った理由については、推理小説と同じように考えれば、いくつか思いつくわ。一つは、彼が正当な後継者を殺した後、自分の血統の王朝を正当化しようと考えたのね。別の考えでは、彼の兄のケイワブが死んで彼がクフの正当な後継者だったというものよ。正統な後継者なら当然、偉大な父を記念してスフィンクスの顔をクフに似せて造るのは至極当然なことよ。」

この理論は、歴史は書き換えられるべきだと要求している。そして“家系を投げて飛び出したジェデフレー”という、これまでの我々のイメージは、変わらねばならない。しかし、それを理論以上のものにするためには、我々の専門家たちは証拠を必要としている。彼らは死者の町にある古代の墓の中でそれを見つけるかも知れない。彼らはギザの偉大な埋葬地に入り込んで行く。
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アブ・ラワシュの立ち入り禁止の軍事地域の中に、丘の上で、ポツンと一つ、遺跡が残っている。ここで考古学者たちのチームはギザのクフの大ピラミッドに対抗するように造られた素晴らしいピラミッドの残骸を調査している。
ザヒ・ハワス「クフと彼の家系はいつまでも記憶に残されるだろう。今日でも人々はクフや息子のカフレイや、孫のメンカウラーについて話したりしている。しかし、恐らく、このピラミッドが全てのピラミッドの中で最も興味深いものだということを誰も知っていないだろう。」
それはクフの息子ジェデフレーによって建てられた。調査チームは彼の人生の本当の物語を明らかにしようと試みている。彼らの調査は、この文明が産み出した、最も驚くべき建物のいくつかに彼らを導いている。
ジェデフレーは長い間、後の世代によってエジプトの歴史から排除されてしまった男として、悪役の役目を与えられている。何故なら彼は権力を得ようとして兄弟を殺害したというのだ。そして、彼の家系や、その墓地に背を向け、離れていったと言われている。
テッサ・ダンロップ「ギザに残っているのは王国の素晴らしい墓よ。クフの息子の一人のジェデフレーは、何故、別の場所にほとんど抹消されてしまったピラミッドを建てたのか?」
これまでのところでは、調査チームは、父を排除しようとしたのではなく、父の名誉のためにジェデフレーはスフィンクスを造っていることを発見している。
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クフのピラミッドの直ぐ脇の竪穴には、この考えを支持する更なる証拠が見つかっている。この竪穴には、かつて、古代エジプトの歴史の中で最も素晴らしい副葬品が保管されていた。
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神聖な船だ。それは巨大な富と権威の葬儀への贈り物だ。しかし、それ以上のものでもある。
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サリマ・イクラムはサッカラから32Kmの場所を訪れた。ここに、“ピラミッドの教科書”とも言われるものがある。埋葬地における船の意義を説明している、一連のかなり複雑なヒエログリフの解説書だ。
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サリマ「船は古代エジプト人にはとても重要だったの。何故なら、勿論だけれど、川を使ってエジプト中に物を運搬する主要な手段だからよ。そして別の理由でも船は重要だったの。古代の王は太陽の神の一人なのだから船が必要だったのよ、太陽の神として東から西にナイルを渡って旅をするのよ。」
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この船を死後の世界へ旅するクフに贈呈した人物の名前は今でも竪穴の壁の上に見ることが出来る。古代エジプトの印の“カトゥシュ”で書かれている。ザヒ・ハワス博士がこれからそれを説明してくれる。
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ザヒ・ハワス「私には一つのカトゥシュが見えている。そこには、ジェット、エフ、それにラーと書かれている。」
カトゥシュは、この竪穴を掘ったのはジェデフレーだと顕示しているのだ。従順な息子が父の名誉のために!

この事実はこれまで歴史が、彼の家系について述べてきた全てのことと矛盾する。
ザヒ・ハワス「私は歴史の臭いを嗅いでいる気分になれる。クフの家族の歴史の臭いだ。」

船のための竪穴に残るこの印の存在はジェデフレーがギザや彼の父を疎(おろそ)かにしなかったという最後の証拠だ。
ザヒ・ハワス「クフが死んだ時、ジェデフレーは“私が彼の息子だ。私がクフの次の王だ”とみんなに伝えたがっていた。そして、彼が父の遺体をピラミッドの中に埋葬したのだ。そして、神聖な船すらも、彼が竪穴に保管させ、我々に“全て問題ない”と伝えるためにカトゥシュを書いた。」
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一つの問題が残っている。ジェデフレーは兄のケイワブを殺害して自分の権力を獲得したのではないのか?そして死んだ兄の妻だった妹と結婚した。これらはいずれも、ジェデフレーの殺害動機であり有罪の証拠だとして語り継がれている。

しかし、これについても、壁に描かれていたことが全く異なる物語を語っている。これはギザの集団墓地、死者たちの町だ。
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ここでエジプト学者たちは、歴史が彼の敵だと伝えているある女性の指示で、名誉のために書かれたジェデフレーの名前を見つけている!
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「ここに彼のカトゥシュがあるわ。ケイワブの娘が彼に感謝しているのよ。」
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「ケイワブはクフの息子で王位を継ぐつもりでいたの。でも、出来なかった。大勢の人がジェデフレーは兄を暗殺してファラオになったって言っているけど、もしそうなら、何故、ケイワブの娘が彼女の叔父を祝福しているのよ?意味をなさないわ」

ジェデフレーがケイワブを殺害したと言える確実な証拠はない。彼の近親結婚は、どんなに初期の歴史学者たちを驚かすとしても、当時の標準的な王室の慣習以上のものではなかったのだ。
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従って、失われたピラミッドの破壊に関する最も流布している説明は機能しない。我々はジェデフレーの家系を崩壊させる、どんな動機も知っていない。

サリマ・イクラム「ジェデフレーは間違いなく、良くできた息子だったのよ。そうでないとしたら、何故、父に神聖な船を贈呈して自分の名を大きな石板の上に書き残したというのよ。」
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初期のエジプト学者たちが言っているような、ジェデフレーが統治していた時代には混乱が多かったということを示すものは何もない。しかし、彼が権力の座にいた時代は簡単なものではなかった。もし彼が自分の場所を永遠なものとしたければ、王位を継承した瞬間にどんなファラオもしたように、直ちに取り掛からねばならなかった。
「ファラオは、王になったら直ぐ、あの世のために自分の建物を造らなければいけなかったのよ。ジェデフレーの新しい時代も、いつだって彼に味方してくれるわけじゃあなかったんだから。」

専門家たちは、ピラミッドの建設にどのくらいの時間がかかったのか、議論を続けていた。しかし、我々は彼が権力につくと直ぐに、アブ・ラワシュで建設が始まったことを知っている。
ザヒ・ハワス「グラフィティはピラミッドの中で、ジェデフレーの統治の第1年に発見された。このことからジェデフレーは彼のピラミッドの建設を王位についた直後に開始したことが分かる。彼の最初の年に、彼はピラミッドの建設を始めたのだ。」
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このことはいつも、失われたピラミッドが消えてしまったことに関する別の謎を与えている。ピラミッドは失われたのではなく、実は完成しなかったのではないのか?

エジプトの標準に従えば老人の部類に属するジェデフレーは、王位についてから短い期間だけ統治していたとずっと考えられてきた。
サリマ・イクラム「古代エジプトでは多くの人は、我々なら若すぎると思う年齢で死んだの。30とか35歳が平均寿命だったの。勿論、もし身分が高ければ、十分な食事もとれたのだから、40歳とか45歳だったのね。」

歴史学者たちは伝統的に、“タウレン(牡牛座生まれの?)王の一覧表”と呼ばれている古代のヒエログリフの記録を信用している。
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これによればジェデフレーの在位期間はたった8年だ。しかし、これは彼の死から3世紀後に編集されたものだ。それに、この信憑性を疑う正当な理由もある。一つは、神聖な船の竪穴に描かれたカトゥシュが完全にそれに反している。描かれたのはジェデフレー統治の11年目なのだ。

アブ・ラワシュ現地責任者マイケル・ヴァッロッギア教授「我々は今は、ピラミッドが完成していたという証拠を持っている。そして、この王の統治は8年ではなく、約23年だ。」
1年置きに国勢調査が行われていたことが広く受け入れられている以上、竪穴の壁に残されていた記述やカトゥシュは、少なくとも20年の統治期間があったことを示している。彼は仕事を終える時間を持っていたのだ。
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ピーター博士「私はエジプト人は我々が考えているよりも速く、例えば15年とかで造れたのではないかと疑っている。ジェデフレーがピラミッドを実質的に、完全な姿に、完成させられなかったと考えねばならない理由はない。」
検討チームがギザで手にしているスフィンクスや神聖な船の竪穴などの考古学的証拠は、これまで我々がジェデフレーについて信じていたことを完全に覆(くつがえ)している。彼にはピラミッドを完成させる十分な時間があったのだ。しかし、我々の調査チームは、全ての中で最大の謎を解こうとして今もなお格闘していた。ギザのピラミッドは4千5百年も残っているのに、アブ・ラワシュの第四のピラミッドは何故、消えてしまったのか?
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アブ・ラワシュの廃墟は、ピラミッドの残骸であることが特定されている。その場所は下エジプトに位置し、ギザやクフの大ピラミッドから8Kmにある。失われたピラミッドはクフの息子ジェデフレーによって建てられたと信じられていた。しかし、彼が家族に犯した罪への復讐のため、破壊されてしまった。初期の考古学者たちはアブ・ラワシュで発見した全てのことが、この考えを支持していると理解していた。

ピーター博士「王宮内での殺人や陰謀、家系内の確執や、ジェデフレーやクフの怒りから、アブ・ラワシュのピラミッドが排除されたのだという話を思いつく。そこは栄光の地ではないし、ジェデフレーは父に対して怒っていたということもあるし、カフレイが直ぐに全てを建て直したという話もある。」
しかし、新しい発掘によれば、この場所やジェデフレーに関して、これまで信じられていた全てのことが間違っていることを示している。

地中に散乱していた破壊された像はジェデフレーの立場が見放されていた証拠だとずっと思われていた。
物語によればクフの別の息子のカフレイが彼の兄を暗殺し、ピラミッドを破壊し、兄の像を辱め、魂まで亡き者にして、アブ・ラワシュを葬(ほうむ)ったという。
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「像は誰かの記憶を貶(けな)す目的で破壊されたという考えがある。顔の特徴を削り取ったり、目を傷つけたり、鼻を欠いたり、耳を取ってしまうとかいうことだ。それが何だか分からなくしてしまおうとしているようにね。」

しかし、全ての破壊が冒涜(ぼうとく)を徹底的に行おうとしていたためだと考えるのは余りかけ離れすぎている。破壊されていた像は4千5百年前のものだ。
「壊れていた理由は、ジェデフレー個人に対する反感からではないかも知れない。意図的に冒涜されたという跡も確認されていないんだから。像のいくつかは偶然、壊れていただろう。」

伝統的な考古学者たちは、これらの像に関して、自分たちがこうあってほしいと期待していることを語ることが多い。
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それに従っていたら、我々はジェデフレーをもっと身近に理解することは出来ない。

今、新しい発掘が、アブ・ラワシュを最初に発掘した人々が完全に見過ごしていた、他の証拠を見せてくれようとしている。それはピラミッドの直ぐ隣に建てられていた建物のネットワークに関するものだ。
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ザヒ・ハワス「我々はこれまでで初めての証拠を手にしている。最近の発掘から、祭司たちがここで、王の信仰を寺院の中で維持し続けていたんだ。でジェデフレーの王朝の次の第五王朝が終わるまでね。これはピラミッド複合体pyramid complexが完成していたという重要な証拠だ。」

重要な構造物は墓地複合体だった。それがなければ、どんなピラミッドも完成させることはできなかっただろう。それはピラミッドの東側に建っていた。
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そしてファラオが死んだ後も、彼がこの世に残したものは彼の魂を育み続けていたのだ。
「機能的な墓地複合体は絶対に欠かせないものだ。それがあって初めて魂や精神が生き続け、祭司たちによって世話をし続けられたんだ。この世と死者の世をつなぐものだったんだ。」
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死ぬと、ファラオは神になる。埋葬地の寺院は、祭司たちが彼の信仰を崇拝してくれる場所だ。そしてアブ・ラワシュ寺院の周辺の土を調べると、ジェデフレーの信仰は力強く、かつ優しいことが分かった。
サリマ・イクラム「何十万ものこれと同じものが、この場所の近くで見つかっているの。」
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「何か小さなものを捧げるための容器よ。香とか小さな果物とか、パンの欠片とか。彼らはこれを寺院に持って行って、床においたのよ。彼は間違いなく、ここに埋葬されたのよ。何故って、ジェデフレーの信仰は長い間続いていたんだから。彼はこの地区一帯の擁護者として守られていたのよ。」

ジェデフレーの信仰は彼の埋葬の日に生まれた。簡単な木の箱がミイラ処理された彼の遺体を細い立て坑の下の石棺が置かれている場所まで運ぶために使われた。
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ザヒ・ハワス「この場所が他と異なっている理由は、私を4千5百年前まで連れて行ってくれる点だ。王の死が宣言された。誰もが泣いている。国民は悲しかった。王の息子、高位の祭司が棺を運ぶ葬儀行列を導いて細い通路を移動していく。ここまで来た所で、棺を石棺に納める。その瞬間、王の息子が命令する。“入口を塞げ!”」
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アブ・ラワシュにあるピラミッドの下の通路は完全に掘り起こされている。しかし、ジェデフレーの最後の旅がどのようなものだったのかは、ここから南のダショーアの屈折ピラミッドbent pyramidとも呼ばれる場所に行ってみれば思い浮かべることは出来る。
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サリマ・イクラム「ジェデフレーの葬儀は劇的なものだったと思うわ。何故なら、彼はこのように狭くて急峻な斜面の通路だっただろうから。運ばれてきた棺は石棺の中に収められ、祭司がお経をあげたりお祈りしたり香を焚いたり、人々は油を体に塗ってあげたりしたの。それが済むと石棺は、細い急峻な通路を通って下まで下げられていったの。」
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「きっととても派手だったはずよ。この狭い暗い、急な斜面の通路の中を祭司たちが墓室まで下っていったのよ。」
あの世への道は、墓室の完全な闇の中から始まる。
サリマ・イクラム「ジェデフレーが地面深くに沈んでいることはとても重要だったのよ。何故なら、完璧の暗黒がなければ、光の中に戻ってこれないんだから。エジプト人はいくつかの信仰形態や再生思想を持っていたの。一つは、地面の底に行くことで、別の考えでは北極星で神と共に暮らすとか、勿論、太陽の神と暮らすという考えもあるの。ジェデフレーにとって最も重要なことの一つは太陽の神と暮らすことだったはずよ。」
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ジェデフレーの祭司たちは、地上を離れたジェデフレーの魂は光となって立ち上がり、太陽の中心になると信じていた。
サリマ・イクラム「ジェデフレーは太陽の神レイを名前の中に取り入れた最初の王だったの。更に自分が太陽の神の息子だと関係付けた最初の王なのよ。」
ジェデフレーが死後も長く続く太陽との結合を創ったのだ。彼の家系の統治が終わった後も、雄大で力強いファラオと太陽は、それぞれが光、命、繁栄、の源になった。
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「彼が太陽の神の息子という呼び名を導入したんだ。それが、後のファラオの歴史におけるエジプトの王の一般的な呼び名になった。」

考古学における、この12年間の調査は、ジェデフレーのピラミッドの物語を書き直し、彼の本当の遺産を明らかにすることになった。しかし、もしジェデフレーのピラミッド複合体が完成していたというのなら、そして彼の信仰が死後も人々の間に何世紀も流行していたというのなら、重要な謎はまだ解かれていないままだ。考古学者たちは、かつて輝いていた構造物が今日、我々が見ているような瓦礫のようになるまで破壊されている理由を見つけ出す必要がある。
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ジェデフレーは彼のピラミッドを完成させていた。彼には力強い神だとの栄誉が与えられていた。彼以降の全てのファラオは太陽の神の息子だと呼ばれるようになっている。彼は古代の世界で最も称賛される像スフィンクスの建築者だっただけではなく、アブ・ラワシュの墓で、ピラミッドがどんなものであるべきかという完全な例を明確に示した。
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サリマ・イクラム「基礎は花崗岩で赤だったの。その上は白く輝く石灰岩、そして頂(いただき)は恐らく黄金やエレクトラムで覆われた花崗岩だったのよ。つまり3つの色があったのね。どの色も強い象徴的な力を持つものばかりよ。」

丘の上に建てることにより、ジェデフレーの技術者たちは彼らの主人のために重大な勝利を物にした。ギザの大ピラミッドよりも僅かに高いピラミッドにしたのだ。
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テッサ・ダンロップ「それは驚異的な建築成果よ。凡そ50年の間でクフとジェデフレーの2つのピラミッドを造ったんだから。それまでにはなかったことよ。その上、この2つのピラミッドは海面からの高さは同等なのよ。」

2つのピラミッドの頂点を結ぶ線の延長は北エジプトでの所謂(いわゆる)ピラミッド平原の位置を示している。1世紀以内に、この地と、南のダシューアの間で、百以上の類似の構造物が造られている。
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今は、ジェデフレーのピラミッドが完成し、意味を持って立っていたのは明らになっている。そこはファラオが死んでからも長い間、重要な祈りの場所だった。

ピーター博士「彼のピラミッドは多分、我々が想像するより、もっと素晴らしかった。だから彼が霞んだ悪人で、ピラミッドが破壊され忘れ去られようとしていた言う概念は正しくない。」

考古学者たちはこの場所で起きた真実と、ここの建物を建設した男を明らかにするため、神話を一つずつ剥がし取っていた。しかし、まだ、彼らは最後に何が起きたのかを見つけ出す必要がある。
かつて壮大なピラミッドはどのようにして瓦礫と同じようになってしまったのか?
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その答えはギザの倉庫に保管されている些細な品物と共に眠っているかも知れない。
「とても見事な、固い木で造られた一品がある。木づちmalletだ。これはファラオの時代からずっと使われている道具だ。」
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「しかし、皮肉にも、ヴェロディア博士が話してくれたように、これはジェデフレーのピラミッドの建設のために使われるものではなくて、分解するための道具だ。ローマによるエジプト統治の時代に遡る。ピラミッドを分解し、その石のブロックを別の場所で再利用しようとしてやって来た石工たちが使ったのだ。」
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それは、何世代もの間、人々を悩ませてきた質問に対する、驚くべき、直接的な答えだ。ピラミッドが完成して25世紀経過した頃、ローマ人が偉大な将軍ジュリアス・シーザーの指揮の下、エジプトを侵略した。
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エジプト最後のファラオ女王クレオパトラはシーザーの愛人になった。彼は、短期間、苦労しながらエジプトを独立国として保った。しかし、シーザーが死ぬと、オクタビアヌスがエジプトを征服し、彼の帝国のささいな州になってしまった。ローマ人はエジプトの資財を略奪し、彼らの権威を押し付けた。ローマにとってアブ・ラワシュは単なる加工済みの石の塊でしかなかった。しかし、余りにも巨大な構造物だったので、何十年もかけたものの、全てを持ち出すまでにはいかなかった。
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ローマ人が去った後は、19世紀の中ごろまで、近在の商人たちが彼らの仕事を引き継いだ。石を盗み出して近くのカイロの市場で売りさばいたのだ。
「1900年の始め頃、かなり大規模の盗難が行われていたという証拠を持っている。毎日3百頭の駱駝がここに来ていたんだ。」
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ザヒ・ハワス「ここでの破壊作業はジェデフレーの統治時代に起きたのではない。ずっと後に起きたのだ。毎日、ここから沢山の石が持ち出された。近代になってから墓や住居を造るために。このピラミッドから剥がし取っていったんだ。」

1800年代の終わりまでには、多くの石が、急成長する近代都市の一部になっていた。

たった数年後の1900年初頭、フランス人考古学者エミル・シャセナーンが最初の発掘を開始した。そして彼は誤解と、こうあってほしいという願望から物語を創り出した。彼は石が数千年前に悪魔の王に対する復讐心に燃えた家族によって盗まれたと結論づけた。そして神話が生まれたのだ。

今になり、今日の考古学者たちの仕事のおかげで、エジプト黄金期の偉大な王国に関する真実の物語に光が当たるようになった。
バシル・ドブレヴ「それが我々の研究の重要な点の一つだ。ジェデフレーを真実の歴史の中に戻すのだ。我々は、前世紀の30年代のジェデフレーを排除し、21世紀が始まった今、彼を正しい道に戻したんだ。彼が本当に重要な王だったということを示すためにね。」

ジェデフレーは偉大なピラミッド建築者の一人としての役割を演じた。これらの建物は古代のファラオの土地に入って来る誰の心をも感動させ続けている。しかし、全てのピラミッドが一つの家系の野心から生まれたということを忘れがちだ。
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ザヒ・ハワス「私の意見では第四王朝は歴史の中で最も重要な王朝だ。この埋葬地で使われている石の数を見れば、その数はその他の全ての王朝で使われた数と同じなんだ。」

この王朝の全ての人物の中でジェデフレーの名前は悪性だと考えられたり、無視されたりしていた。全能な、無慈悲なクフの息子として生まれた彼は、兄の死で王位に登りつめ、20年以上、王国を統治していた。実際の所、もし証拠がなかったら、彼の名は裏切り者、殺人者として黒く塗られたままだっただろう。
しかし、アブ・ラワシュの発掘で明らかになった事実によれば、彼は全くそれとは違う男だった。事実は、死後も、そして生きていた時も、尊敬されている人物の絵を示している。責任感があり、決断力があった。彼はファラオとして出来る限りの野心を持った建設の責任者だった。
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その結果、完全な姿でピラミッドが立っていた何世紀もの間、完成し崇拝される巡礼地を完成させた。失われたピラミッドは見つかったのだ。
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The Lost Pyramid of Djedefre
https://www.youtube.com/watch?v=qdkcnNCzbbM

私が知る範囲では、アブ・ラワシュのジェデフレーのピラミッドは全てのピラミッドの中で一番南、つまりナイルの一番下流に造られたものです。
更には、かれの父クフのピラミッドでは、地下室があり、本来ならそこが墓室なのですが未完成です。墓室はピラミッドの中心当たり、つまり石で組み立てられた四角錐の重心辺りに造られていて、そこには石棺も残されていて、mhも中に入り、見させていただきました。
しかし、クフ以前のピラミッドでは、マスタバに倣(なら)い、地下、つまり四角錐の底面より下の大地に墓室が造られ、アブ・ラワシュでも古典的なピラミッドの基本を踏襲したんですね。その方が建設の負担が少なく済むと思います。ジェデフレーは、クフ王よりも国民に優しい人物だったのではないかと想像します。

(完)
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