Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

モンゴルの不思議(後篇)


(先週の続きです。)

低地ではまだ夏の頃、ドークホッド・サヤニ山脈の谷間には、数週間前、突然、予告も無く秋が訪れていた。
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森の木々の葉は色づき、徐々に赤や黄色が現れている。ここはアジアでも最も少数でほとんど知られていない民族のひとつ、サッタン族の故郷だ。
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この山岳遊牧民にとって、生活の重要な柱はトナカイ(馴鹿)だ。
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しかし、それだけでは暮しに必要な基本的なもの全てを賄うことはできない。生活環境はとても厳しいので、モンゴルでも最も貧しい遊牧民である彼らはギリギリの暮しをしている。ここにいる人たちは7日前、山の頂から下りて来たばかりで、残っている秋を、ここで過ごす予定だ。
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今は夏の終わりなのに、最初の雪が降り、森は徐々に白い絨毯で覆われていく。
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サッタンにとって今が一年で最高の季節だ。というのは、もはや蚊に悩まされることがなく、気温もかなり穏やかmildで、まだトナカイに十分な食料が残っているからだ。
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彼らの一日は家畜の乳搾りから始まる。一年のこの時期はトナカイから一日2回、乳を搾ることができる。
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ミルクからはバター、“アールール”というチーズ、クリーム、ヨーグルトを作る。燻(いぶ)った肉と野生の木の実が彼らには完璧な食事になる。

サッタン族の生活は、これまでも決して楽なものではなかった。しかし、共産主義の到来以降、彼らの文化や伝統や日常生活の一部は破壊されてしまった。
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記憶の限りでずっと彼らの物だったトナカイの群れは、国家の財産になった。何人かのサッタンの人々は、トナカイが失われるのを見るより自らを殺すことを好んだ。彼らの習慣や伝統に全く無知なモンゴル政府に対応しながら、遊牧民の生活習慣に全く馴染まない厳格な法律に自分たちを適応するよう強いねばならなかった。
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乳搾りが終わると、トナカイは解放され、1日の残りの時間、山の中で餌を漁(あさ)って過ごす。
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12家族86人のこの居住地はたった2百頭のトナカイを飼っているだけだが、小麦粉、塩、タバコ、お茶を飼うのに十分な収入を得ている。多くのトナカイの角が切り取られているのに気づいて驚いたかもしれない。
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追加収入を得るため、サッタンは1Kg当たり4百円で中国人に角を売る。角は粉末にされ媚薬に使われる。
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山中でトナカイが穏やかに餌を食べている時、人々はテントの中の火の周りで暖を取ってゆっくり過ごす。それが、彼らの日常だ。
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ゴンボは一族の長だ。
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彼は、ロシアのタイガで55年前に生まれたが、6歳の時、両親と共に国境を越えモンゴルに棲み着いた。彼はツェンデリィと結婚した。
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彼女は50歳で、二人は8人の子供を持ったが生き残っているのは4人だけだ。長女は子供を産んだばかりで、父親はダーハット族だ。
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これはサッタン族の間ではあまりない事だが、このような厳しい時代には、どんな手段を採ってでも貧困から抜け出す道を探さねばならない。ほんの数年前まで、女たちは他の一族の男と結婚していたが、それでもいつも同じ種族の仲間だった。
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しかし、サッタン族の人口がたった2百人の今では、近親交配による奇形と病気の問題で悩み始めていた。モンゴル政府は従弟や兄弟と姉妹との間や、さらには両親とその子供たちとの性的関係によるものだと非難している。
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外では雪が降り続き、寒さが増している。一番若いものが木を割って薪を作る。
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火が絶えることがあてはならない。サッタン族は文字通り“トナカイの人々”を意味し、元々はロシアのシベリア地方の種族で、彼らが使う言語はトルコで生まれたものだ。
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しかし、1920年代における、モンゴル人民共和国の建国とこれに続く国境の設定で、1千人ほどのサッタン族の集団と6千頭のトナカイはモンゴル側に残ることになった。
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火の周りで団欒(だんらん)し、お茶を飲んでいる間に、その日も過ぎていった。吹雪は少し静まって、ゴンボの長男のダライバヤは、一足先に外に出て、トナカイたちに居住地に戻る時間がきたことを笛で知らせる。
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日が沈むと、タイガは集団で群れを襲うオオカミたちの領域domainになる。家畜を失うと家族の経済は大惨事になるが、今では、そんな事態を起こすことはほとんどなくなった。
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毎年、生まれるトナカイの数は減っていて、ここでも近親交配で人間にも感染する病を引き起こし、問題になっている。動物が戻ってくると、キャンプ地にも活気が戻る。
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それぞれの家族は群れから自分たちのトナカイを選び出し、乳搾りをしてから塩をなめさせる。
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その後、夕食を準備する。少量のミルクまたはヨーグルトと、幸運なら、少々のお米だ。明日も同じ作業だ。もし天候が許すなら、男たちは狩りに出かけ、女や子供たちは森に出かけて野生の木の実や草の実を探す。
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これがサッタン族の生活における一日だが、不幸にも、彼らは消滅していく運命にあるようだ。
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アルタイ地域では冬は、いつもよりも厳しい勢力で訪れていた。
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10月の始め、既に厚く積もった雪の層は山々を覆っていた。ここは、まだモンゴルの領域内だが、人々の多くは元々カザフの出身だ。
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モンゴルの遊牧民と同様、彼らもゲルで生活しているが、かなり大きく、もっと綺麗に飾られている。
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生活している土地は極めて貧しいのだが、カザフ族は豊かな牧人(herdsmen畜産民族)で、1千頭の牛を飼っている家族も稀(まれ)な存在ではない。
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バルガン家が占有する、この小さなキャンプ地では、女たちはヤクの乳搾りで一日を始める。しかし、辺りには男たちがいないことが目立つ。

山岳地帯の出身のカザフ族にとって鷲(わし)と共に行う狩りより刺激的で娯楽的なものはないだろう。
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その季節は丁度始まったばかりで、これらの男たちにとって、今日はこの春が始まって以来、初めての狩りの遠征だ。
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ずっと待ちきれずにいた瞬間だ。
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古代の法律によれば、狩りの季節は冬の雪が初めて訪れるまで始められない。その時期は通常なら10月だ。そうすることで、彼らは獲物に小休止を与え、夏の間、若い獲物たちはよく食べ成長することができる。
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もし雪が降るのがいつもよりも遅ければ、狩人たちは祈祷師の所に行き、早く雪を降らせるよう圧力をかける。彼らは狩りのない人生を考えることができない。“カザフ族がこの世に生まれた時、既に鷲狩人だったんだ”と彼らは主張している。
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この伝統は1千年以上前から始まっていて、トルコ人の祖先たちからカザフ族が受け継いだものだ。そして15世紀に初めてカザフ族として現れた時から、彼らは既にそれを実行していた。
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3時間、馬で移動した後、5人の騎手はバルカン・アルタイの頂に到着した。
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高さ3900mで、この辺りでは最高峰だ。そこからは多くの谷間や近くの山々を見渡すことができる。
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狩りの間、彼らは、一帯で一番高い場所の周りで移動したがり、斜面の下で鷲を飛び立たせることはめったにない。一方、獲物追い出し役(beater叩く人)は、ウサギや狐を驚かせて巣穴から飛び出させようと谷で動き回る。
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アルタイ地方はカザフ族がとても恐れているオオカミたちの居住区でもある。オオカミはよく、牛を襲うのだ。もしオオカミが現れたら、例え鷲が大怪我をし、殺されることがあろうとも、狩人たち全員が鷲を解き離す。
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今、狩人たちが出来ることは忍耐強く待つことだけだ。
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メス狐が獲物追い出し役の叫び声に驚いて巣穴から飛び出した。
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コサン(男の名)は古い双眼鏡で狐を捕え、視界から逃がさない。
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その一方でアルタイカン(男の名)はトマガと呼ばれている鷲の目の覆いを取り外し、地平線上に目を凝らす。
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メス狐は逃げ続け、どこか隠れる場所を必死に探している。クマルカンとタライカンの鷲たちは獲物の場所を確認すると直ちに飛び立っていった。
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タライカンの鷲が最初にメス狐に跳びかかった。
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タライカンは獲物の貴重な毛皮に傷がつく前に、または必死に抵抗するメス狐が彼の鷲を傷つける前に、その場所に到達しようと、山の斜面を馬を駆けて下り始めた。

メス狐は、奇跡的にも、なんとか殺人鬼の爪から逃げ出し、傷ついたものの逃走し始めた。
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しかし、そう遠くまでは行けないだろう。それまでただ見物していただけのシェッケン(男の名)は、直ちに動くことに決め、鷲から目隠しを外し、空に向けて解き放った。
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襲撃に驚き、疲れ切ったメス狐は彼女の運命が確定したことを知り、屈服することを決めたようだ。最後の空しい試みとして、気付かれないよう蹲(うずくま)ると、死期を待った。
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狐の後ろ足を動かないように掴むと、鷲は1平方センチメートル当たり数百Kgの圧力をかけることが出来る鋭い嘴(くちばし)の先で狐の頭を攻撃して麻痺させた。
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タライカンが鷲の所まで行った時には、メス狐は既に死んでいた。

彼は鷲の爪から狐を取り外さねばならないのだが、それは決して楽な仕事ではない。
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この地の狩人たちは常にメスの黄金鷲を使う。オスよりもずっと攻撃的だと考えているからだ。羽を広げると2m程で、体重7Kgもあり、狩りの時は2つの重要な特質を持っている。急降下時の飛行速度は時速160Kmに到達する。また驚くべき視力を持っている。恐らく人間の視力の8倍の精度だろう。

笛の音を聞き、肉片に引かれて、鷲たちは主人の腕に戻って来る。
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タライカンは6歳の時に崇高なスポーツである狩りの技術を学び始めた。
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彼の家系には、ずっと偉大な狩りの伝統が引き継がれていた。彼の父のクマルカンは、この地区では最も尊敬されている狩人の一人だ。そしてどの家庭にとっても、狩人を持つことは名誉と富の印だ。多くの牛を持つ人たちだけに鷲を育て、教育する贅沢が許される。昔は中央アジアで上流階級の人たちだけが行っていたスポーツだった。
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カザフ族は、鷲が食べ終わり、飛べなくなっている時に、網を使って鷲を捕える。最初の1ヶ月間は音や臭いに慣れるよう、ゲルに閉じ込めておく。その後、数週間、訓練を受けると、鷲は、馬で疾走する騎手の腕の上でもバランスが取れるようになる。最後に最も困難な、飛び立ってから主人の腕に戻って来る訓練が行われる。
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鷲は捕えられてからずっと主人の身近で過ごし、寝る時も隣にいる。
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10月中旬、この遠く北の、昼がかなり短い場所では、午後2時になったばかりだがキャンプに戻らなければならない時間で、狩人たちは山を下り始めた。
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空では太陽は急速に沈んでいき、少しずつ日暮れの色がアルタイの峰々を包み込む。
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昼の光が死にゆく中で、カザフの狩人たちはキャンプに着いた。そこでは子羊の肉の食事が彼らを待っている。
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しかし食事の前に、彼らは腹をすかせた鷲に餌を与えなければならない。冬の最初の狩りの飛行の後で、鷲たちは疲れ切っている。狩人の師匠クマルカンは鷲が嘴の先を傷つけないよう牛の肝臓肉を木の器に入れて与える。
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ここにいる狩り用の鷲たちは、1年間で1匹が2頭分の牛肉を食べる。
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伝統的な方法で準備された柔らかい子羊の肉で一杯の皿の周りで、狩人たちはアッラーに感謝を捧げたら、直ぐに御馳走の肉にむしゃぶりつく。
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しかし、今夜は特別だ。狩りの季節の始まりを祝福するだけではない。明日、5人の友が、馬で4日のジョルジョクという小さな居住地に向けて旅立つのだ。そこでは狩人たちが集まって、初めての競技会が開かれることになっている。残る家族はキャンプを畳み、冬の住家に移住する。
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全てが静寂の中で、まだ前夜のウォッカの酔いを残しながら、クマルカン、アルタイカン、タライカン、シェッケン、そしてコサンは長旅に備えて馬の手入れをしている。
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一方、女や子供たちは、30分余りでゲルを解体する。
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この国の他の遊牧民と異なり、カザフ族は低地にある、木と天日瓦(てんぴかわら)で造られた家で冬を過ごす。
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そこでは今頃の外気温は例年なら零下45℃だが、家の中なら忍耐できる限界に近い。彼らは言わば季節的な遊牧民だ。つまり1年に4回、移住し、それは偶然、四季と一致する。

5人の狩人たちは出発の準備が整った。
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1日6時間ほど馬に乗り、道中で見つかるゲルで夜を過ごす。地上の全ての遊牧民が共通して持っているものがあるというのなら、それは厚情hospitalityだ。
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4百のカザフ族の中で、この地で継続的に狩りをしている72が競技会に申し込み、そのいくつかは3百Km離れた場所からやって来た。とても長旅だが、今回は極めて特殊な行事だ。みんな、チャパンと呼ばれるコートと絹やオオカミの毛皮で造られたケペシュと呼ばれる特徴的な帽子を身に付けている。
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実際のところ、民族紛争を逃れ、モンゴルのこの片隅に定住した17世紀の終わり以降、ここに集まったイスラム教徒の牧人(畜産民族)の暮らしぶりはほとんど変わっていない。
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1世紀後、この地のモンゴル人を全滅した満州皇帝による多くの壊滅的な侵略の後、カザフ族はこの過酷で限界の地を支配下に置いた。今日、アルタイ山脈とホブド川によって隔離されているため、ここにいる狩人たちは、言語や文化の伝統やカザフとしての個性を守り続けている。
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彼らの間で共通している特徴は梟(フクロウ)の羽根で、ケペシュという帽子を飾っていて、薄い黒い縞模様はコーランの詩句に似ていて、狩りの間、彼らを守り、幸運をもたらすお守りのようなものだ。
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鷲の頭を覆っているトマガという蔽い(おおい)も銀象嵌(ぎんぞうがん)で飾られていて、所有者はこれまで悪事をしていないという印だ。
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ベルギーとほぼ同じ広さのこの地に9万の住民がいるが、社会的な行事はとても稀なため、今日は大勢が集まる光栄の機会で、古い友人にあったり、他の人々の暮し振りを知るおかげで今風の振る舞いをしたりする。
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ゲルの中の雰囲気は極めて活気がある。輪になったいくつものグループで、狩人たちは狩りに出ている日々の1千1回(注)の闘いの話にくれる。
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結局、地球の隔離された片隅にいても、彼らは狩人たちであり、狩人というのはどういう人たちかはわかっている。
(注:“1千1回”は千夜一夜物語のように、“沢山の御伽噺(おとぎばなし)”の意味だと思いますが、確かではありません。)
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人が大勢いるので、クク・ベルKuk Berの良い機会でもある。
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中央アジアではとても人気がある遊びで、覚えていられない程の昔からカザフ族はクク・ベルを楽しんでいる。ソビエト時代に禁止されていたクク・ベルは実際の所、ルールらしきものはない。しかし、それぞれの国で、異なった方法で遊ばれている。
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カザフ族は2人で競技し、ゲームは羊か山羊の毛皮を握って行われる。最後に、勝者は続いて行われる次の競技のため毛皮を地面の上に残す。

クク・ベルは、普通、結婚式で遊ばれる。祝賀が済んで、誰もが沢山のウォッカを飲み終えてから、花嫁の父親が毛皮を地面に投げ捨てる。それを取って花嫁の両親の棲むゲルに持って行った人が賞品を受け取れるのだ。賞品はヤク1頭だ。難しいのは他の客との争奪戦ではない。花嫁の家はとても遠い所にある場合が多く、ゲームは数時間続くことがあるのだ。しかしヤク1頭なら戦う価値は十分にある。
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競技会の日は雲一つなく太陽とともに明けた。
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朝の最初の光が差す頃、参加者たちは丘の上の場所に陣取っていた。大気中に、ある種の緊張が感じられる。技術を試すために多くの狩人たちが初めて集まったということ以外に、昨日、ゲルの中で、多くの賭けが行われ、そのいくつかは、かなりの金額になっていたのだ。

競技の最初は馬に引かれた狐の毛皮に向け、旗の合図を目安に、鷲を1匹ずつ放つことから始まる。
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狐の毛皮に最も少ない時間で到達した5匹の鷲が最終戦に参加できる。
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最終戦で目標になるのは生きた狐だ。
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夕闇が迫っている。勝ち残った5人は決勝戦の準備を終えている。狩りの師匠クマルカンは、5人の中の一人だ。
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競技会は終わり、参加者たちは自分の鷲を呼び寄せる。
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クマルカンは勝者ではなかったが、それほど気にはしていない。来年、彼は息子のタライカンや、友人たちと戻って来て、もう一度、生き続けている芸術や伝統とも言える狩りの競技会に参加するつもりだ。残念ながら、彼の故郷の、お隣の国カザフスタンでは、ずっと昔、狩りは死んでしまった。
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騒々しいお別れの挨拶はなく、全くの静寂の中で、狩人たちはゆっくりとジョルジョクを離れ、無限の空間と広大な平原が待つ彼らの世界に戻っていく。
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ゴビ砂漠では、10月中旬になると草は枯れ始める。
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タンセンダリアの一族にはキャンプを畳み、冬を過ごせる、ここよりも厳しくない土地に向けて出発する時だ。
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牛と家族の一部は夜明けに出発し、残っていた人々は駱駝に荷物を載せ、キャラバンを組んで出発するのだ。
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彼らは8日間歩いて、砂漠の北西の端まで移動する。そして春の始まりと共に、ステップの高原の中に移り、その後でゴビに戻って来る。それは彼らの祖先がしたことで、彼らがすることでもあり、彼らの子供たちがすることでもある。
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これが今も移動を続けながら暮している3つの部族の集団の物語だ。彼らは、狂ったように国際化に向かおうとしている社会によって少しずつ消し去られつつある、彼らの最も大切な宝、文化を守ろうと戦っている。
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モンゴルの不思議:後編完
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モンゴルは面積が日本の4倍、総人口3百万人は日本の1/40です。首都ウランバートルの人口が総人口の40%ということを考えると、ゴビやステップには村すらめったに見当たらないのではないかと思います。正確な統計が見つからないのですが、30%の家族は牧畜で暮らしている(英語Wiki)ようで、ウランバートルには40%の家族が集まっているわけですから、首都の外では半数が牧畜で暮らしていることになります。モンゴルの主食は“赤い食べ物”と言われる肉と、“白い食べ物”と言われる乳製品が主体だとネット情報にありました。野菜は中国の内モンゴル自治区に近いモンゴル南東部で栽培されているようですが、冬は寒いですから、生鮮食料品は、恐らく中国から買っているのではないかと推定します。地下資源が比較的豊富なようですから、資源発掘に従事する人の比率も高いのではないかと思いますが、やっぱ、モンゴルは遊牧民の国だと言えるのではないでしょうか。

少し長いですが、Wikiモンゴル国の「経済」を掲載しておきます。

「IMFの統計によると、2013年のモンゴルのGDPは約115億ドル。一人当たりのGDPは3,996ドルで、世界平均のおよそ40%の水準である。 2011年の調査では、1日2ドル未満で暮らす貧困層は115万人と推計されており、国民の40%以上を占めている。2014年で主な輸出相手国は中華人民共和国で輸出の95.3%を占め、主な輸入相手国は中国が41.5%、ロシアが27.4%、韓国が6.5%、日本が6.1%となっている。

主に畜産業と鉱業が中心でモリブデンは世界屈指の埋蔵量を持っている。現在、モンゴル政府は金鉱や銅鉱、モリブデン、石炭等の開発を推進しており、エルデネト鉱業は社会主義時代からモンゴル国内最大の企業である。そして近年では、豊富な天然資源とりわけオユトルゴイ鉱山を目的に外資系が活発になってきている。しかしながら、政治的安定性が未だに構築されておらず、政権が変わる度に、その政策方針が二転三転することで、外国の投資家に警戒感を持たせている。畜産は、ヒツジ1,168.6万頭、ヤギ1,223.8万頭、ウシ184.2万頭、ウマ200.5万頭、ラクダ25.7万頭を飼育し(2004年統計)、牧草地の広さは国土の約80%である。畜産は、そのほとんどが遊牧で行われている。農業は、社会主義時代は土を掘ることを忌避する風習が改められ、食糧自給できたものの、市場経済化で穀物生産は落ち込み現在は中国やロシアからの輸入が多い。

内陸国ではあるが、便宜置籍船の手数料を取るビジネスも盛んであり、約400隻を超える海外船舶が認められており、例えば北朝鮮当局の保有する貨物船等がモンゴル船籍を取得していたが、現在は国連の対北朝鮮制裁で登録は全て取り消しされている。

モンゴルの警察は、汚職疑惑などで出国禁止措置を取ることがある。こうした汚職疑惑に巻き込まれて、何年も母国に帰れない投資家や実業家など約50人が存在する。彼らは拘束されず、パスポートなども取り上げられていないが、明確な根拠もなく出国が禁止されており、事実上の監禁状態となっている。この事から、モンゴルに投資価値はないと判断する者もいる。」

(終わり)
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