Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ストーンヘンジの不思議:BBC-Timewatchシリーズより


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ストーンヘンジの不思議:BBC-Timewatchシリーズより
                   2014年4月  Mystery Hunter

すっかり春めいてきましたねぇ。
そこでストーンヘンジの記事紹介の前に春を詠った漢詩をひとつ。

尋胡隠君(胡隠君を尋ぬ) 高啓

  渡水復渡水  水を渡り復(また)水を渡る

  看花還看花  花を看(み)還(また)花を看る

  春風江上路  春風、江上の路

  不覚到君家  覚えず君が家に到る。


江南地方(長江下流一帯)に訪れた長閑な春が目に浮かびます。
急に行きたくなりました!蘇州夜曲なんか、いいですよねぇ。

蘇州夜曲  作詞:西条八十/作曲:服部良一

  君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の舟歌鳥の歌

  水の蘇州の花散る春を   惜しむか柳がすすり泣く


さて、本題に戻りましょう。

今回はBBC(英国放送協会)のTimewatchシリーズから「Stonehenge(ストーンヘンジ)」(Youtube)を紹介します。

'henge'は環状遺跡の意で、ストーンヘンジは「石で出来た環状遺跡」となります。
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フィルムは6年前の2008年の3月から4月にかけて行われたストーンヘンジ発掘調査及び遺骨調査にスポットを当てて製作されていますので放映は恐らく2008年の夏頃でしょう。比較的あたらしい情報です。「ストーンヘンジの不思議」が少し解きほぐされるのではないかと思います。

日本では関心が薄い遺跡ですが、イギリスを代表するBBCとしては自国の世界遺産への強い思い入れがあります。この辺りを頭の片隅に入れてお読みください。

フィルム解説ブログを見て頂く前に、予備知識のWiki情報です。

Wiki: ストーンヘンジ(抜粋)
ストーンヘンジ(Stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。

円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。

馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。

遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
(Wiki抜粋完)

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<Youtube: Timewatch “Stonehenge” by BBC>
URL: http://www.youtube.com/watch?v=U8DqKArmdyo
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どんな目的で造られたのか?
太陽や月を崇めた神社か?天文学に基づく暦か?祖先を祭る寺か?
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ストーンヘンジの環(サークル)内の発掘が許可され、秘密の一部がベールを脱ごうとしている。
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ストーンヘンジはエジプト・ギザのピラミッドと同時代に造られた、当時ヨーロッパで最大級の高度な建築物で、何世紀もの間、人々の関心を集めて来た。

大半の発掘は20世紀に行われた。最後の本格的な発掘は50年前の1964年だ。
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ストーンヘンジ建設は4段階に分けて行われたことが判っている。
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4千数百年前、木造建築物があった跡地に小さな石のサークルが造られた。(第一段階)
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それから2百年後、小さな石を取り除いて大きな石のサークルが造られた。
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内側には小さな石のサークルが挿入された。(第二段階)
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次に大きな石のサークルの外側に小さな石のサークルが付け加えられた。(第三段階)
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最後に大きな石のサークルが一番外側に設けられて完成した。(第四段階)
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その後は徐々に崩壊が進んで現在の状態になった。
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(mh:以上は世界のBBCも言っているのですから間違いないでしょう!!)

夏至には太陽は一番大きな石の門の間から昇る。この日の出を見ようと毎年数千人が集まってくる。
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古代のカレンダーではないかと言う人がいる。
1920年、周囲から50体ほどの遺骨が見つかり、祖先を崇拝した場所では?と考える人もいる。

しかし未だに、いつ、何のために造られたのか明らかではない。

秘密を解き明かすには建設当時の有機物か骨を見つけ、カーボン・デイティング(放射性炭素年代測定)を行うなど新たな証拠の発見が必要だ。

50年前の発掘時は分析技術レベルが低く、重要事項はミステリーとして残されてしまった。今回許可されたサークル内の発掘でその一部が明かされるに違いない。

発掘初日(DAY-1)の2008年3月31日、世界中から報道陣が押しかけた。
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発掘は2人の教授の指揮で始まった。
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昔からストーンヘンジを信仰対象にしている集団も集まって発掘の開始を祝った。彼らは高さ7mもある大きな石にパワーがあると信じている。
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しかし2人の考古学者の考えは違う!
    白い大きな石はこの辺りでよく見つかる普通の石だ。
    青い1m位の小さな石(以降“青石”と呼ぶ)が重要だ!
最も古い時代の石で遠くから運ばれてきた。癒しの力(healing-power)があるという言い伝えもある。
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(上:2人の考古学者が青石を囲んで話している。その後ろ側が白い大きな石。)

そこで発掘場所を一つの青石の近くに定めた。面積は3.5mx2.5mだ。
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癒しの青石の欠片を持ち帰ろうと人々が石を割った時に落ちこぼれた小さな破片が見つかるかもしれない。また思いもよらぬ癒しの力を裏付ける証拠が出てくる可能性だってある。

発掘以外に癒しの力を裏付ける証拠を探し出す方法はないのだろうか?

2002年、5km離れた町アムズベリー(Amesbury)の小学校の基礎工事中に人骨が見つかっている。4千5百年位前に埋葬されたものだ。

人骨と一緒に金の飾りや宝石、それに加えてフリンジ(火打石)の矢尻も発見された。
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この人物はAmesbury Archer(アムズベリー射手)と呼ばれ、そこに建てられた学校は“Amesbury Archer小学校”と名付けられた。
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豪華な埋葬品や特殊な矢尻に加えてアムズベリー射手の骨には他にない特異性がある。
保存が完全で、極めて好い状態で発見されたのだ。

この骨がストーンヘンジに癒し力があったとする理論を補強してくれないだろうか?
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よく調べると左膝に怪我の痕が見つかった。乗馬中に怪我をした可能性がある。
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左右の大腿骨の太さが異なる。
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左膝をかばったので右大腿骨が太くなったのだ。怪我を癒すためやって来たのではないか?

青石の出所は西に150マイル(240km)離れたカーンメニンだ。小さな青石のストーンヘンジと数十の墓石が昔から存在している。
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カーンメニンの青石が世界遺産のストーンヘンジの青石と全く同じ成分であることは1923年の石の結晶分析で判明している。

薄くスライスされた石のミネラル分の調査で裏付けられたのだ。
またカーンメニンには泉もある!
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(左:薄くスライスされた石の顕微鏡写真)  (右:カーンメニンにある泉から流れる水)

この泉は昔から治療効果があると言われ、今でも多くの人々が治療のために訪れている。

近くには傷が付いた青石がある。運搬しようと加工した痕に違いない。カーンメニンの青石は癒しの力が強く、貴重な石だと信じられ、150マイルも離れたストーンヘンジまで運ばれたのだ。

どのように運んだのかを示す証拠は見つかっていないが、海上を海岸線に沿って、その後はエーブン川を伝って運ばれたのではないかと多くの学者は考えている。
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その昔、80個以上もの重い石を150マイル運ぶには大きな危険が伴ったはずだ。青石には危険を冒す価値があったのだ。

発掘5日目、見つけた白石と青石の欠片の数を比べたら、青石が白石の約3倍になっていた。
   (下:右手の下にあるのが大きな白い石の破片。その左隣りが青石の破片)
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白い石は7mの大石で青石は1m足らずだ。大きな白い石より小さな青石の破片の方が多く見つかったのは何故だろう?
お守りにして癒し力を授かろうと切り欠いた時にこぼれた破片ではなかろうか?

1976年、ストーンヘンジから十数mの土塁(マウンド)から若者の骨が見つかった。
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体を折り曲げ横たわって死んでいる。埋葬されたにしては不自然だ。土器や装飾品など冥土の旅の副葬品も見つかっていない!

改めて調べると背中のあばら骨の左右に4つの傷がある。矢を射られて殺された可能性がある。
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射殺され、地面に掘った溝に投げ込まれ、埋められてしまったに違いない!

なぜ殺されたのだろう?

見つかったのはストーンヘンジの入口の近くだ!矢は後ろからあばら骨に当たっている!
骨と一緒に3個の青石の欠片も見つかっている!青石を盗んで逃げる時にストーンヘンジの守り人に発見され弓で射殺されたのではなかろうか?

歯を調べてみよう。歯の中のストロンチウムから彼がどんな土壌で育った食物を食べていたのか判る。酸素からは育った気候が判る。
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ストロンチウムと酸素の分析結果を当時の地図と気象データに照らしてみるのだ。
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分析の結果、若者はストーンヘンジ周辺の住民だと判った。ならば青石を盗み出すことの危険は知っていたはずだ。
彼には癒しの力を持つ石を必要とする理由があったのだ!

アムズベリー射手の歯も調べてみた。すると射手は1千km離れたアルプス地方から来たことが判った。
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アルプス地方ではビーカーという土器が使われていた。ビーカーは、欧州全土に拡散し、農業を主体とする新たな文化を生み出して、人々が自由に使える時間、技術、富は増えていった。

ストーンヘンジの建設は大きなプロジェクトだ。この推進は遊牧や牧畜を生業とする人々では不可能だ。建設作業者の食糧や宿泊施設、衣服、建築用機材やロープなどが無ければプロジェクトは実現できない。時間と技術と富を兼ね備え、農業を主体とし一ヵ所に定住する多くの人間の力が必要だったはずだ。

これを裏付ける証拠がサークル内の発掘現場から見つかった!4千年前のビーカーの破片だ。農業を生業として定住していた人々がいたのだ。
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紀元前2300年頃、アムズベリー射手が恐らく癒しのために訪れた時、ストーンヘンジは既に存在していた。過去の調査では紀元前2600年頃に造られたことになっている。

アムズベリー射手の骨を更に見直すと下顎の歯茎に大きな空洞があることに気付いた。
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こんな大きな孔があったら痛くて飲食もままならなかったに違いない。感染症も現れて極めて危険な状態だっただろう。この空洞による病で死んだ可能性もある。

射手の直ぐ近くで発見された別の人骨を調べ直したら、射手より若い男で、足の関節の骨が射手の骨と異常に類似していることが判った。普通ならこのような類似が起きる確率は2%しかない。

若者は射手の血縁だったに違いない。若者の歯を調べたら子供の時期を射手と同じアルプス地方で過ごしたことが確認された。
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アムズベリー射手は病で治療が、平安が必要だった!それで強い癒しパワーを持つストーンヘンジまでやって来たのではなかろうか?血縁の若者の助けを借りて!

更に、過去にストーンヘンジ周辺で発見された遺骨の中から13人の歯の分析すると、およそ半数の人がストーンヘンジから遠い地方から来たことが判った。青銅器時代から巡礼地になっていたと思われる。

発掘11日目、穀物の粒が見つかった!農業があったのだ。人が定住していた。カーボン・デイティングでストーンヘンジの建設が始まった時期について何か判る可能性がある。
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穀物の出現は、人々に、狩猟や牧畜生活から農業をベースとした安定した生活を促すことになった。安定し定住する人々の出現でストーンヘンジの建設が可能になったのだ。

農業はストーンヘンジの建設だけでなく石の配置にも影響したと考古学者は考えている!

多くの人は夏至にストーンヘンジに来て、主門の間から昇る太陽を見ながら数千年の伝統に浸る。
しかし、彼らは全く間違った時期に、間違った方角を向いている!
考古学者が重要視するのは12月21日冬至の夕日だ!
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(左:夏至の日の出とそれを見る人々)      (右:冬至の日の入りのCG)

冬至の夕方、ストーンヘンジ内の小さな狭い2つの隙間を通過した太陽光はその外の2つの石の間を通過する。昔、人達は冬至の日の入りを崇め、新しい農業年の始まりを祝ったのだ。
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処で、ストーンヘンジには治療が必要な人だけでなく、治療できる人、つまり薬剤師や祈祷師なども集まっていなかったのだろうか?

ストーンヘンジの近くで見つかった骨の中に後頭部が平らな頭蓋骨があった。
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小さい頃から戒めなどで異常な力が加え続けられていたのであろう。この人物は何のためにストーンヘンジに来たのだろうか?

平坦な頭をヒール(heal:治療)するためか?
ある考古学者は推論する:「彼はヒーラー(healer:治療をする者)として来たに違いない!」
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発掘終盤の12日目、掘り起こした土の中から百個ほどの有機物を見つけ14個をカーボン・デイティングにかけてみると驚くことに紀元前2300年のものと判明した。
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ストーンヘンジは紀元前2600年から建築が始まったと考えられていたが、実はそれよりも300年程あとの紀元前2300年に青石が到着し建設が始まったのだ。
まず青石のサークルが造られ、その200年後、青石が撤去され大きな石のサークルが造られ、内部に青石のサークルが設置された。
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紀元前2300年                    紀元前2100年

その後、外側に青石のサークルが追加され、紀元前1900年に一番外側の大石のサークルが追加されて完成した。
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                               完成:紀元前1900年

青石が到着して建設が始まった紀元前2300年は射手が埋葬された時期に一致する!
射手はその埋葬品から高貴な人物だったことが判っている。

ストーンヘンジ設立に重要な関係がある人物だったに違いない!
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また穀物のカーボン・デイティングからは紀元前7千年が割り出された!

何故ここにストーンヘンジが造られたのかは謎のままだ。しかし古い昔からこの地には農業を主体とする人々が定住し、ストーンヘンジの建設の素地が整えられていたのだ。そして青石の重要度はあきらかだ。なぜならその石はサークルの内部に据え付けられているのだから。

紀元前2300年に建設が始まった。そして人々は集まってきた。

   病人は回復するために。 The sick came to get better.
   怪我人は治癒するために。The injured came to get healed.


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(完)
 
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