Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エジプト0王朝の不思議


ゼロ王朝Dynasty Zeroと読みます。

古代エジプト王朝は、上ナイルと下ナイルを統一したナーマーが最初のファラオとなった第1王朝から始まったと考えられています。ナーマーについてはブログ「エジプト王朝設立の不思議」がありますので関心がございましたら次のURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/37490084.html

ナーマー以降、ファラオが登場し、かの有名なラムセス2世(ラムセス大王)の父セティ1世がアビドスAbydosに建てた寺院には、代々のファラオの一覧表がヒエログリフで残され、これを参考にエジプト考古学は解明が進みました。
ファラオの一覧表が彫られている部屋の壁(1)
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壁(2):壁(1)の反対側。結構細長い部屋ですね。
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で、この一覧表には76人のファラオの名が古い順から並べられています。
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第1番のファラオは第一王朝のナーマーNarmer (Menes)、そして最後の76番目は、この一覧表がある寺院を造った第19王朝のセティ1世Seti 1(Menmaatra)ですね、当然ですが。

で~今回のブログ・タイトルの“0王朝”とは何か???

実は、初代ファラオのナーマーより2百年程前、ナーマーの本拠地だった上エジプト(ナイル上流)で王国を創った男がいたのです!スコルピオン1世(以降スコルピオンと呼ばせて頂きます)と呼ばれています。下エジプトの統合は果たしてはいないようですが、ナイル・デルタの町と関係を持っていたようです。スコルピオンの存在に気付いたのは最近(20年程前?)のようで、既に第1王朝がナーマーで始まったことで確定していたため、スコルピオンが創った王朝は第0王朝(Dynasty Zero日本では黎明期などと呼んでいるようです)と名付けられました。0王朝の創始者スコルピオンはアビドスAbydosに埋葬されていました。後に第一ファラオのナーマーも埋葬された場所です。アビドスは昔のテーベThebe、今のルクソールLuxorから50Km程下流のナイル西岸にあります。
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ナイル河岸の丘にファラオの一覧表があるセティの寺院があり、そこから1kmほどの砂漠の砂の下にナーマーの墓、スコルピオンの墓が見つかっています。
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で、寺院やピラミッドが丘というか砂漠に造られていて、ナイル川近くの草地には造られていない理由ですが・・・何だとと思います???

ブログを見続けて頂いた方ならお気づきかもしれませんが・・・
ナイルは毎年氾濫するんですね。で、氾濫しても水に浸からない丘に寺院やピラミッドが造られたってことです。

長い前置きは終えYoutube「The Scorpion Kingスコルピオン王」をご紹介致しましょう。
・・・・・・・・・・・・
エジプト。隠された宝の土地。埋められている秘密と見事な新発見。
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岩壁に彫られた岩絵は、この国がどのようにして生まれたのかを理解するためのカギになるかも知れない。
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岩絵は長い間忘れ去られていたスコルピオンと呼ばれる王に命を吹き込むのだ。
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いくつかの証拠は彼の統治が歴史上最も長期間続いた文明の基礎を打ち建てたことを示している。そして、今日の考古学者たちは、断片をつなぎ合わせてスコルピオン王の世界を再現しようとしている。
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素晴らしい寺院から息をのむような墓室まで、古代エジプトの栄光を創り出した卓越した社会が、5千年前、どのようにして突然出現したのかを説明しようと、考古学者たちは奮戦している。最近の一連の発見は、彼らの“文明の夜明け”についての考えを今、変え始めている。
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南エジプトのゲベル・チャウティGebel Tjautiはナイル川の16Km西にある。
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考古学者ジョン・ダルネルJohn Darnellは何年もの間、この一帯を調査している。乾燥した大地の中を古代の通商ルートに沿って調べていた時、彼はエジプトで最も興味深い統治者の一人が描かれた岩絵を発見した。
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ジョン「ここに、とてもきれいな面を持つ自然のままの石灰岩がある。そこに岩絵が描かれていて、古代エジプト人たちは、めったにしないことだったが、そうせずにいれなかったのだろうが、何かを説明しようとしている。この場所を我々が発見したのは、夕闇が迫り、日の光は薄れ始めていた時だった。」
鏡で光を当てて調べてみた。無秩序な古代の岩絵の中で、ある部分がジョン・ダルネルの調査チームの注意を惹きつけた。
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ジョン「綺麗な絵の上の方には、明らかに何かのイメージが描かれていることに気付いた。しかしその時は、それが何か判らなかった。」

ジョンは、傷のように彫られていた、もつれた糸をほどき始めた。すると何かが連続して繋がっていることに気付いた。人間、そして動物だ。絵はエジプトの標準と比べても古いものだった。絵の様子からファラオたちよりも200年程前のものだと思われる。しかも、絵の中にはファラオと関係があるシンボルがあった。隼(はやぶさfalcon)の神ホルスの像だ!
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それは王の紋章だ!
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ジョン「隼は最も初期の王の印だ。隼やそのほかの象徴と共に知られている統治者は大勢いる。」
ジョンは彼に王の名前を与えてくれる第二のシンボルを探した。彼はそれを、隼のシンボルの真下で見つけた。
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砂漠の中でも最も固有な生物とも言えるスコルピオン(蠍さそり)だ!
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ジョン「もしこれが本当に隼・スコルピオンという王室の特別な象徴とともに記された統治者の岩絵なら、これはスコルピオン王に関する一種の記念碑で、スコルピオン王の統治時代における何等かの出来事に関する一つの歴史的な表記の試みでもあると言える。」

ジョンはまだ場面が示している本当の意味について解読しなければならなかったが、スコルピオンと言う名だけとってみても、驚くべき発見だ。歴史家たちはこれまで凡そ1百年の間、スコルピオン王を探していたのだ。
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ザヒ・ハワス「スコルピオン王は実際の所、謎の王のようなものだ。彼の名前は誰にとっても興味深い。」

彼が存在していたという最初の印はゲベル・チャウティから1百Kmの古代都市ヒエロコンポリスHierakonpolisで見つかっていた。
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1898年、英国人考古学者ジェイムズ・クラベルは彫刻で覆われた多くの石の破片を掘り出した。
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組合せてみると、棍棒(こんぼう)の頭だった。棍棒は木の棒に石の“頭head”を取り付けたもので、古代の武器の一つだ。
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この特別な棍棒の頭は明らかに儀式で使われた物であることを示している。
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表面を飾っているものの中に、クラベルは間違いようのないスコルピオンの像を見つけた。

刻まれている場面をよく調べてみると、中央の像がファラオのように見えることに気付いた。彼が頭に付けているのはエジプトの歴史を通じ、王が付けている冠と同じ形だった。見つかっていた他の破片も王室の象徴と思われるものだった。
レニー・フリードマン博士「彼は王室のキルト(短いスカート)、それに腰には牛のしっぽを身に付けているわ。これらの品物は王だけが着けるものよ。」
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とすれば、彼は誰だ?
次にクラベルは彼の頭の隣の2つのシンボルに着目した。スコルピオンとロゼット(注)だ。
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Wikiロゼット(rosette):
地表に葉を平らに並べた植物の状態を現す言葉

この二つ合わせると彼の名前になる。
ピーター・ブランド博士「我々は他にも明確に名前をしるしたシンボルと一緒に描かれた小さなロゼットを見つけている。つまり、この棍棒の頭はスコルピオンと言う名の王を示していると考えていい。」

彫刻の形式からクラベルは棍棒の頭が、知られているエジプトの歴史よりも更に昔のものだと判断した。名前も最初のファラオと彼との関係を示しているように思われる。
ピーター「第一王朝の王を見てみると、闘争王、砦王、コブラ王、殺人鬼王など、軍事的または攻撃的なテーマが名前になっている。このことは、これらの王が最初の国の守護者で、戦争の指導者だったことを示している。従って、こういった風土の中で、恐ろしい毒の棘(とげ)をもったスコルピオン王という名前は、完全に意味がある。」

しかしクラベルと彼の仲間たちは論争していた。エジプト人は、ファラオの名前が連続して記載された詳細な一覧表を残している。
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王たちの名は石に文字通り刻まれている。そこにスコルピオンという名はない!

棍棒の頭を見つけた場所から数mの所で、クラベルは第二の発見をした。それは歴史の中でのスコルピオンの位置を決める手助けとなった。
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レニー「それは私たちがナーマーのパレットと呼ぶ、素晴らしい一品なの。石に彫られた世界で最初の歴史的な書類なのよ。」
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パレットは染料と化粧品を混ぜるために使われる儀式用の平な石で、両面は王の像が現れる入り組んだ彫刻で飾られている。両面に残る2つのヒエログリフは“ナマズ”と“チゼル(注)”だ。
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(注)チゼル:石を削るための金属製の鑿(ノミ)

“ナマズ”と“チゼル”の2つは“ナーマー”という名前を示す文字だ。彫刻のスタイルはスコルピオン王が描かれた棍棒の頭のものと似ている。
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いずれの像も同じ王室の冠をつけている。しかし重要な違いがある。ナーマーだけは第二の冠を付けている。
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それは、彼がもっと広い領土を支配していたことを表わしている。

クラベルの時代の学者たちは、古代エジプト人たちが彼らの土地が明確に2つに分かれていたと見ていたことを知っている。
トビー・ウィルキンソン博士「国の南の、狭いナイル谷の上エジプトと、国の北の、河口に広いデルタ(三角州)がある下エジプトだ。一人の統治者が国の全てを支配するようになった時、彼の象徴はこれら2つの国に響き渡ることになった。」
ファラオの典型的な像をみると、高い上エジプトの冠か、これと全く異なる下エジプトの冠を付けている。スコルピオンはどうも国の南を支配していたようだ。しかし、ナーマーは北と南を支配している。これがこれまで見つかった中で最も古い、2つのエジプトを支配する王を表わすイメージだった。

専門家たちは、パレットに彫られた場面はエジプトが統一された瞬間で、ナーマーは名誉ある最初のファラオとなったと結論付けた。
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棍棒の頭のイメージと比べてみると、スコルピオン王もナーマーと同じ時代の王だと思われた。

トビー「パレットの上にナーマーを描いた手法が、棍棒の頭にスコルピオン王を描いた手法と、極めて似ていることから、我々はスコルピオン王がナーマーと同時期かまたはそれ以前の王だと導き出した。つまり第一王朝よりも前の王だ。」
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多くのスコルピオンの像がさらに古い品物にも描かれていることから、彼は古い人物だと考えて間違いない。考古学者たちはエジプトの歴史において、正に新しい章の扉(とびら)を開いたのだ。当時、エジプト文明は紀元前3千年頃、最初のファラオの登場と共に突然、発生したと広く考えられていた。
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レニー「多くの人は、卓越した民族による侵略があったのではないかと考えていたの。エジプト文明が想像した芸術品のような素晴らしいものは、とてもアフリカでその時代に生まれた文明によるものではないと思ったのよ。彼らは、エジプト文明の基礎はメソポタミアか、ヨーロッパじゃあないのかって期待していたの。とても人種差別的だったとも言えるわ。」

ファラオは外部から来た侵略者で、急速な進歩を持ち込んで来たという考えに疑問をもつエジプト学者は少なかった。
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しかしクラベルが、ファラオよりも古い王の存在を発見したことで、この考えも崩れ始めた。歴史の本は書き換えられようとしていた。
トビー「第一王朝のナーマーよりも前に王がいたという発見で、エジプト学者たちは、第一王朝の前、国の異なる地域で王たちが存在していたであろう0王朝という新しい考えを見つけなければならなくなった。」
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ジェイムズ・クラベルと仲間たちは、それまで知られていなかった時代と、興味深い名前を持つ男という2つの存在を明らかにした。その発見から1世紀後、考古学者たちは、スコルピオン王の人生と素晴らしい業績の断片を組み合わせ始めている。
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ジョン・ダルネルは、岩に残されていた絵はスコルピオンの人生における鍵となる出来事だと確信していた。

mh:ここで読者の理解の補助として、岩絵の全貌を解説しておきましょう。
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これをスケッチしたのが次の図です。
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右上にファルコン(隼)、その下にはスコルピオン(蠍)、その左は祈祷師か?、その左は蛇を銜(くわ)えたコウノトリ、その左が髪を振り乱し、後ろ手に縛られた罪人、その左には、片手に罪人に繋がれた縄、反対の手に棍棒を持つ支配者(スコルピオン王)が、物語を語る一連の絵として描かれています。

ジョン「右から左側にいくと、スコルピオンは一般的には神とみなされる動物で、これに従うように長い外套(がいとう)を着た男は何かを持っていて、恐らく聖職者のような姿だが、次は罪人で、腕はぞっとする歪んだ姿で後ろ手に縛られ、髪は乱暴に逆立っていて、彼を縛る縄は、彼の後ろに立っている、棍棒を振り回している大きな男によって握られている。」
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ジョンはこの男こそがスコルピオンだと信じている。彼の様子は後の世のファラオたちによって彫られているイメージと強い類似性がある。罪人の頭の上に降り上げられている棍棒は止(とど)めの一撃を加えようとしている。
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この場面は単なる象徴でしかない。しかし、軍事的な勝利を表現するものでもある。ジョンは、見つけた岩絵が実際に会った戦いを祝うものだと信じている。

彼は絵の中央のコウノトリと蛇の組合せの中でさらなる証拠を見つけている。
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ジョン「コウノトリと蛇は混乱のあとの秩序の象徴だと考えられる。つまり、この一連の岩絵で、この絵の作者はスコルピオン王と罪人で勝利を意味しようと試みているのだ。」
とするのなら、スコルピオン王は誰を打ち破り、罪人としたのだろう?
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一つのヒントは絵が描かれた岩の場所にあるかも知れない。古代都市ナカダNaqadaからの道の途中にある。ファラオがエジプトを統一する前、ナカダは南エジプトのアビドスやヒエロコンポリスという別の偉大な都市に敵対する拠点だった。
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トビー「我々はこれらの3つの王国を可視化することが出来る。王朝時代前に、上エジプト全体の究極の権力のために戦いを始めていた。」
彫刻された棍棒の頭では、スコルピオン王は上エジプトの高い冠を付けている。それは彼が、この戦いで勝利したことを示している。ジョンは、岩絵は、遠征を終え帰路の途上で、決定的な戦いを描き残したものだと信じている。
ジョン「スコルピオンと罪人が登り道の方向に向いていることから、罪人を都市ナカダの方向から、恐らくアビドスに連れて戻るところだと思われる。」

もしそうだとすれば、これはエジプトの歴史における一里塚となる。ナカダを打ち破ったことで、スコルピオン王は上エジプトを統一しエジプトの南は全て彼の支配下になったのだ。
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これがあったからこそ、彼の後継者のナーマーは、勢力を北に拡大し、全エジプトを統一して最初のファラオになったのだ。
ジョン「私はスコルピオンの岩絵は、恐らく上エジプトを統一し、0王朝の設立を記念する最後の軍事的勝利を祝う様子を示すものだと信じている。」

ジョンは、岩絵は棍棒の頭の時代よりも凡そ200年前のものだと割り出した。彼はこれが、エジプト初期の支配者として、スコルピオン王がいかに重要な人物だったかを表わす印だと考えている。
ジョン「私は、スコルピオンがエジプトを統一したナーマーの精神的、政治的な先人として重要な役割を果たしたと考えている。」

ナーマーが最終的にエジプトを支配したのは、南エジプトにおけるスコルピオンの勝利なしではあり得なかったかもしれない。
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棍棒の頭には、それが破壊的な勝利として表されている。スコルピオン王の上方には、一連の棒がありその先に、異なる地方を表わしていると思われるものが載っている。
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その表現方法は残忍とも言えるほどだ。地方の象徴からは大型の千鳥が首で吊り下げられている。
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それぞれの地方の人々が新しい主人のスコルピオン王に服従している様子を示しているかのようだ。それは恐らく彼が生きていた荒々しい世界を見せている。
トビー「栄光を求めてトップの位置にのし上がるためには、スコルピオン王たちは優れた軍事技術をもつ強い指導者というだけではなく、彼に従う人々から支持を得、彼らを動機付けできる能力を持つカリスマ的な指導者でなければならなかった。」

ジョンは、彼の発見が、スコルピオン王が偉大な戦士王だったことを明らかにしたと考えている。南エジプトの地域を一人の支配者の下に統一した男だ。
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しかし、考古学者たちは彼の統治下における業績の新たな証拠も発見していた。彼らはスコルピオンの墓の中でそれを見つけた。
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古代都市アビドスはナイルの直ぐ西にある。ここにスコルピオン王は縛り上げた罪人を連れて来たとジョンは考えている。そしてアビドスはまた、エジプトの初期のファラオたちの埋葬地でもある。
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エジプト人たちは死の神オシリスはここに埋葬されたと信じている。その場所に散らばっている沢山の土器の欠片が、この信仰を裏付けしている。
グンター・ドレイヤー教授「何世紀もの間、巡礼者たちはオシリスを敬うためにここを訪れ、捧げものを入れた土器を残している。乱暴な見積だが、凡そ1千万個の土器があるだろう。数えるのはとても大変だ。」
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グンターは墓を発掘し続けていて、もっと古い、もっと素晴らしい何かに気が付いた。
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グンター「私たちがまず見つけたのは煉瓦の壁で、信じれない事に、それは大きな部屋のものだった。更に、いくつもの壁で仕切られた部屋が現れて来た。」

泥の煉瓦構造が風化するのを防ぐため、今は再び砂で埋められているが、墓は12の部屋からなっていて、80平方メートルの広さだ。炭素年代測定の結果、墓は最初のファラオより2百年前に造られた。
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グンター「我々は古い時代の大きな墓の発見に驚いた。おかげで、エジプト初期に対する考えが全く変わってしまった。」
この墓は“墓U-J”という洗礼名を与えられた。
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グンター「これが墓U-Jが発掘されていた時の様子だ。手前の一番大きい部屋が埋葬室で、西側にある。床のわずかな変色は木製の祭壇が置かれていた跡を示している。」

誰がここに埋められていたか判らないが、その人物は資産家で権力があったはずだ。墓泥棒たちは重要な品物を全て剥がし取ってしまっていた。しかし、かつて油やビールを入れていた沢山の容器が残っていた。
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700のワイン容器もあった。1200ガロン(約4リットル/ガロン)は入る。そしてグンターは決定的な瞬間を迎えた。これが誰か裕福な商人の墓というのではなく、王のものだと気付いたのだ!

「この部屋の隅で、我々は曲がった象牙の笏(しゃく)を発見した。王の持ち物として埋葬されたものだ。明らかに支配者の道具を示すものだ。」
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象牙の笏は、18世紀後のツタンカーメンの墓に埋められていた、曲がった鞭(むち)の魁(さきがけ)でファラオの力を示すシンボルだ。しかし、この象牙の笏はどんな王の所有物だったのだろう?
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土器の欠片を復元しているとグンターは更なるヒントを発見した。植物や動物のシンボルだ。容器には元々、油のようなものが入れられていた。グンターは、これらのシンボルが、容器が何処から来たのかを表わしていて、動物は場所の名前だと考えた。このシンボルの中にスコルピオン(蠍さそり)がある。

グンター「これが前の爪、そして毒のある尾がここだ。小さな植物がここに描かれている。」
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スコルピオンが描かれていたのは1つの容器だけではなかった。
グンター「これまでの所、植物とともにスコルピオンが描かれた容器の数が一番多い。70のスコルピオンと、6匹の魚と5匹の蛇などだ。これらの容器は恐らく、支配者スコルピオンによって打ち建てられた地域から来たものだ。従って我々は、この墓がスコルピオンのものだと考えている。」
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グンター・ドレイヤーはスコルピオンと呼ばれる王の埋葬地を発見したと確信している。そして墓が造られた時期は、ここから約60Km離れた所でジョン・ダルネルが発見した岩絵が描かれた時期に極めて近い。

ジョン「この岩絵でとても興味深いことは、アビドスの墓U-Jで見つかったものに類似しているものがあるということだ。例えば描かれている絵の形式などだ。この岩絵は、墓U-Jの時代と同じ頃に描かれているんだ。」
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南エジプトが統一された時、スコルピオン王はアビドスを支配者の埋葬地に選んだようだ。発見は神出鬼没だった人物の調査に大きな進歩をもたらした。

しかし、グンター・ドレイヤーは更に細かな調査と分析を進め、エジプト文明の初期におき、スコルピオンがさらに決定的な役割を果たしていたことを発見した。
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グンター・ドレイヤーはこの墓がファラオの王宮形式の墓の起源だと考えている。スコルピオンの墓の外観はファラオたちが追従した、ピラミッドという象徴的な発明の発想を秘めている。
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グンター「これらの部屋は木の梁で天井が張られ、その上にマットのようなものを敷いて、煉瓦や泥や砂や瓦礫で人工の塚(つかmound)に仕上げられていた。」

アビドスにおけるグンターの発掘は、この塚が時を経て、石組みのマスタバと呼ばれる構造に発達したことを示している。
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マスタバはスコルピオンから6百年の間、王室の標準的な墓となった。そして、ファラオのジョセルが最初に上に行くほど小さくなるマスタバを積み上げた墓を造った。階段ピラミッドだ。
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そして、我々が今日知っている巨大な構造物に進化していった。

エジプト考古学主任のザヒ・ハワス博士は何年もの間、ピラミッドの研究をしている。スコルピオンの墓の発見で、これらの象徴的な記念碑がエジプトの前王朝に、最初に現れた墓の影響を受けていることが確認された。
ザヒ・ハワス「この時期が無かったなら、偉大なピラミッドや寺院を見ることは無かっただろう。従って、前王朝時代がエジプトを打ち建てたと私は思う。」
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そして、今、スコルピオン王を文明の重要な紋章の一つの誕生と結びつける更なる証拠がある。文字だ!
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グンター・ドレイヤーはスコルピオン王の墓の中で、散在していた凡そ180個の象牙のタグ(札)を見つけた。各々には不思議な像が描かれている。像のいくつかは、間違いなく、動物で、その他のものは判読が難しい。意味するものは驚くべきものだ。
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グンター「私たちが墓室の中に溜まっていた砂の中からこの小さなタグを最初に発見した時、信じることが出来なかった。何故なら、最初に見た時、これらが後世に現れたヒエログリフに類似していることが直ぐ判ったからだ。我々が知っていた文字の出現は、この墓よりも200年後だった。これは新しい書式なのだろうか?」

ヒエログリフは意味と音の両方の印として使われる。それを組み合わせれば言葉になる。ファラオはヒエログリフを王国の言葉として何千年もの間使っている。しかし、これまで誰もファラオの時代以前のヒエログリフの印を見つけたことは無い。
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これまで、文字の発想は北アフリカではなく、中東の古代メソポタミアで生まれたのではないかと考えられていた。そこでは、最初のファラオが現れる前に、楔形文字cuneiformと呼ばれる記述様式が文字として開発されていた。
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ファラオ以前の墓U-Jでは見つかったタグには小さな孔が開けられている。近くで見つかっていた木の箱かそれとは別の容器に取り付けるためではないかと思われる。
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グンター「このようなタグの用途とはどんなものだろう?単なる飾りか?とてもそうは思えない。この孔を使ってタグは何かに固定されていたに違いない。最も考えられるのは、何かの情報を伝えているということだ。そこから我々は、タグの意味を理解し、それを読む作業に取り掛かった。」

タグがヒエログリフと同じような意味を持っていることをグンターが見つけると、謎は解け始めた。
ある一つのタグは、コウノトリと椅子を示している。
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グンター「これはどんな意味を持ち得るだろう?椅子に座ったコウノトリ?それはあり得ない。しかし、後世のヒエログリフ式記述では、この内容が発音を表わしている。コウノトリは“バー”と読める。椅子は“セット”だ。合わせれば“バーセットBaset”になる。それはナイル・デルタの、ある都市の名前だ!」
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バーセットはアビドスの北500Kmの古代の都市の名前だった。グンターは別のタグも見つけ出した。それもエジプトの場所の名前だった。

グンター「重要なのは、タグに描かれている絵は発音を表記したものだということだ。絵は言語の発音を表わしている。それは記述形式を開発する重要な第一歩だ。ここにあるのは初期の発音記述の例だったのだ。メソポタミアで見つかったものより、もっと昔のものだ。」
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つまりこれまで発見された最も古い記述の断片はエジプト製だということを意味する。グンター・ドレイヤーの発見は重大なものだ。
ザヒ・ハワス「それは、文明の誕生が記述方法と共にエジプトで起きたことを示している。他の文明よりもずっと古い時代に!これが文字記述の始まりだったんだ。」

グンター・ドレイヤーはタグには産物を税として王に送った都市や地方の名前が書かれていたと考えている。この文字の解読は過去を見るための新たな窓を開いてくれた。
グンター「事件や人々や統治者については、記述が見つからなければ知ることが出来ない。スコルピオン王の墓U-Jの発見で、我々は人類の歴史から失われていた200年から250年を取り戻したのだ。」

タグは、スコルピオンの影響が、彼の領土の南エジプトからは遠く離れた所まで届いていたことを示していた。ヒエログリフの“バーセットBaset”同様、グンターは北部の第二の都市の名前を見つけた。“ブートーButo”だ。
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地中海海岸の近くに造られた町で、最近の発掘によれば、この町は東方との交易のハブ(中心)で、スコルピオン王の関心が強い、重要な地点だった。
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彼の墓で見つかったワインの容器の多くはアビドスから800Kmの、エジプトの外の、古代パレスティナから届けられたものだった。
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グンター「中近東のパレスティナと交易関係があったんだ。スコルピオンはこの交易路を安全に保つ力があったに違いない。つまり彼の影響力は甚大だったんだ。」
スコルピオン王はエジプトの歴史の重要な時期にエジプトを統治していたのだ。エジプトの北と南を交易で結び付けていただけではなく、後世の栄光の種を既に作っていたのだ。

トビー「0王朝時、エジプト文明のための全ての基本的な建設用ブロックは仕込み終わっていたのだ。王政の概念、権威、経済統括、宗教、芸術、建築。これら全ての基礎が固まったのは0王朝の時代だったのだ。」
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しかし今、新たな証拠が、スコルピオン王が、これまで考えられていたよりも、もっと高度な世界を継承していただけかも知れないことを示している。(mh:スコルピオンよりも古い時代に、かなり発達した文明があり、スコルピオンはそれを継承しただけだ、という意味ですね、少々判り辛いですが。)

古代エジプト。学者たちは伝統的に、この高度な社会は突然発生したのでファラオはどこか別の所からやって来たのではないかと考えて来た。
トビー「ファラオの偉大な功績を見たエジプト学者たちは、エジプト文明が北アフリカ人、エジプト人によって造られたものとは信じられなかった。彼らは東方のメソポタミアなど、もっと発達した土地のどこかから持ち込まれたものだと考えていた。」
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スコルピオン王に関する最近の発見は、初期の学者たちが大きな誤解をしていたことを示している。砂漠の岩肌の上に刻まれた場面は、スコルピオンが最初のファラオよりも200年前にエジプトの都市を統一するという重要な役割を果たしたことを示している。
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そして彼の墓の発見は、記述の誕生、ピラミッドの発明など、エジプト文明の幾つかの偉大な業績が彼の統治時代にルーツを持っているという証拠を明らかにした。

スコルピオン王の存在は、今から1世紀ほど前、南エジプトの古代都市ヒエロコンポリスで初めて発見された。この地での直近の発掘は、彼の世界における見事な、新たな光景を提示してくれる。それは専門家たちが考えていたよりも、かなり進んだ世界だったようだ。
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レニー・フリードマンに率いられた考古学者たちのチームは、ここでスコルピオン王より数世紀前、権力的な都市があった証拠を見つけている。
レニー「町は、現在は低いレベルの砂漠の縁(ふち)に沿って、少なくとも3Kmに渡って広がっていたことが分かっています。」
レニーは、ある工芸品を見つけていた。この神がこの地で何百年も前から崇拝されていたという証拠だ。
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レニー「これが最も初期の、時期の確定が可能なホロスの像です。隼で、エジプトの前王朝期のものです。ここで、この像を見つけた時はとても感激しました。」

レニーは、この隼は最初のファラオから700年前のものだと割り出した。彼女の発掘チームは同じ時代の別の発見もしている。
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ファラオの特徴の一つは食糧や飲料を一ヵ所で集中的に造っていたことだった。造られた食料は人々に分配された。このシステムが想像していたよりも初期に実行されていたという証拠となったものは、ヒエロコンポリスで行われていた工業的な規模の食糧の配達施設の発見だった。
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レニー「中心には大きな陶器の容器があったの。高さは丁度、このくらいで1mかしら。」
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「それを支持していたのは地面から伸びていた棒状の陶器で、魚の尾の先のような形をしているの。ある角度がついていて、容器にセメントで固定されていたの。そのおかげで容器は真っ直ぐ、安定して立っていたのよ。火は周辺から容器に当てられていて、低めの均一の熱だったのよ。」
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他にも7つの大きな容器(桶)が並んで設置されていた。火の熱が逃げ出さないよう、泥の壁で周囲が覆われていた。造られていた製品も驚きだ。
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レニー「これが見つかった残留物よ。糊(のり)が発酵したものよ。基本的には砂糖の燃えカスといえるわ。」
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「容器の底に残っていたのよ。調べいくと、ここで作っていたのは結局、ビールだったと判ったの。」

パンから作るビールはファラオの時代、エジプトの主食の一つだった。古代のヒエロコンポリスで既に大きな需要があったことは明らかだ。
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レニー「少なくとも8つの大きな容器で醸造していたということは、毎回、1千ガロン(4千リットル)を作っていたってことよ。2日毎に作っていたと考えると、1家族が必要とする量よりもずっと多いわ。」

レニー・フリードマンにとって、これはエジプトが他のどこよりも早く始まったという更なる証拠だった。
レニー「誰も、この時期、こんなに進んだ文明があったなんて考えたことはなかったはずよ。ずっと続いていた疑問は、ここの人たちがどんな暮らしをしていたかということよ。」

醸造場所から遠くない所で、隼の神の都市は見事な答えを準備していた。レニーは墓地複合体の基礎を見つけ出していた。そこはヒエロコンポリスの古代の王の埋葬地だった。

レニー「ここが当時では最大の墓よ。紀元前3800年のものね。大きさは5.5mx3mで、我々が知っている墓の2から3倍あるのよ。」
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発掘の結果、建物の大きさは記念碑的なものだと判った。スコルピオンの祖先たちはその周辺で住んでいたのかも知れない。そして彼らはファラオが暮らす巨大な建物を造っていた。
墓の周囲に、昔、木の柱が建てられていた孔がある。柱の基礎部の一つが6千年も経過しているというのに完璧な形で残っていた。アカシアの木で作られていた。かつて、この不毛の土地に木が育っていた証だ。柱が埋められていた深さは凡そ1.5mだ。レニーは、これらの柱は巨大な構造物を支持していたと考えている。
レニー「地面からの高さが6m位もあったなんて信じられる?アカシアの木は10m位あったのよ。とても劇的な建物だったと思うわ。」
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柱の間の距離から、上には恐らく葦の屋根があったと考えられている。中東から入手した赤い石膏と糸杉の木の破片は、壁が豪華に仕上げられ、色鮮やかな模様で装飾されていたことを暗示している。
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墓の中から、ファラオの命令によって作られた古典的な芸術品が掘り出されている。その中には、等身大の像のものだった鼻や耳、それに陶器の埋葬用仮面も含まれている。
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レニー「これは頭や顔を永遠に保護するためのものよ。金メッキされた面の魁ね。例えば黄金とラピスラズリで作られたツタンカーメンのお面も、全て、このお面から始まったのよ。」
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墓から数mのところで考古学者たちは第二の木製構造体の痕跡を見つけた。ファラオの石造りの構造物の原型とも言える建物だ。
レニー「ここにあったのは寺院だったはずよ。」
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mh:で~暫く、柱の跡からこんな建物もあったってな話が続きますが省略して映像だけでご紹介しておきます。2千年後に建てられたカルナック神殿の記念碑的な“柱の間”と同じ発想のものだと言っています。
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神聖な寺と墓が造られていたことから、スコルピオンや0王朝の王たちはここに統治者の墓地を作ったことは間違いない。
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レニー「最初の最も初期の王と考えられていた王は、結局は彼が生まれる5百年前に行われていた発達と改革という長い伝統の後継者だったのよ。」

ヒエロコンポリスでの発見は、スコルピオン王が暮らしていた都市を専門家たちが想像する時の助けとなるだろう。
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今、考古学者たちはスコルピオン王の興味をそそる形をした紋章の中に、さらに時代を遡るエジプトの手掛かりを見つけたかも知れない。

かつてスコルピオン王の遺体が埋められていた墓の中で、考古学者は曲がった笏(しゃく)を発見した。18世紀後のツタンカーメンと一緒に埋められた笏の魁となるものだ。専門家たちは、それが、エジプト文明が最初の起源を驚くべき場所に持っている印だと見ている。砂漠だ。
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今日、エジプトの人口のほとんどは、ナイルが定めた、狭くて細い、耕作地に詰め込まれている。その西も東も、乾燥した砂漠の広い帯だ。その中にある、最近調査された東サハラの領域のひとつの中で、ルドルフ・クーパーは人間の活動の証拠を収集している。
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彼は、ここにある岩絵はファラオの数千年前のものだと考えている。彫られている絵は想像できないものだ。砂漠の真ん中の象だ。
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ルドルフ「これがしっぽ、これが足、これが牙で、長い鼻がある。砂漠の中の象の絵は、奇跡のように思えるよ。」

それを説明するものは気候変化だ。紀元前1万年頃、モンスーンの雨がサハラを砂漠から肥沃な土地に変えた。今は消えてしまった象、ダチョウ、その他多くの動物の生息地だった。
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植物が生まれ、それを求めて動物が、それを求めて人間がやって来た。彼らは狩人や、農耕者や、漁民だった。その後、ファラオの3千年程前には、サハラの狩人たちが牛や羊や山羊の牧畜民に変ってしまったことを岩絵は示しているように思われる。
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クーパーは広い砂漠に散乱している、これらの遊牧民の痕跡を沢山、発見した。一方、何世紀にも渡る発掘にも拘わらず、この時期にナイル谷で暮らしていた人類の証拠は何も見つかっていない。
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ルドルフ「このことは、簡単に考えれば、ナイル谷の環境は余りに湿度が高く、多くの病原などがあったため、人々はそこに住みたいと思わなかったということだ。」
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そして雨は再び上がってしまった。草原は砂漠に逆戻りを始めた。そこで遊牧民も離れていった。ファラオの数千年前には、人々のほとんどは、アフリカのあちらこちらに散っていった。同時期、突然、ナイル谷で定住が始まった痕跡が見つかっている。
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そこは、もはや、湿潤でも不健康でもなかった。人の移動を伴った、この時期の気象変化は、エジプト文明が何故発生したのか説明することが出来るかも知れない。
ルドルフ「サハラの貢献がアフリカの歴史を形作った決定的なものだと言えるかも知れない。」
砂漠から東のナイル谷に向かった人々が砂漠の文化を運んだように思われる。
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ルドルフ「彼らは経済や生活様式だけではなく、信仰も考え方も持って行った。古代エジプトの宗教の中には一部が残っているんだ。」

砂漠の遊牧民的な牧畜民族は、動物との関係が強く、ファラオの権力を表わす重要なシンボルのいくつかの源になっているかも知れない。
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トピー博士「動物の畜産で使われていた、曲がった笏と牛追い用のけばけばした棒という2つの古典的な王の紋章は、古代エジプトの統治者の起源を先史時代の牛飼育人にまで遡(さかのぼ)らせている。」
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ファラオの前、スコルピオン王も、象牙から彫られた曲がった笏と共に埋葬された。これは彼だけの象徴と言う訳ではなかった。後継者に引き継がれていったのだ。
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トビー「スコルピオン王やナーマー以降、ファラオの腰ひもに付けられた王室の重要な紋章の一つが牛の尾だ。動物の精力の象徴で、これもまた古代の牛飼育人の時代にさかのぼるものだ。」
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今から2千4百年前、ギリシャの歴史家ヘロドトスはエジプトを“ナイルの賜物(たまもの)the gift of the Nile”と記した。
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クーパーは、それは物語の半分でしかないと考えている。
クーパー「砂漠の影響を考えるなら、エジプトは完全にとは言わないが、砂漠の賜物だと思うよ。」
これらの発見で、今から1百年前、最初にスコルピオン王の存在を世に出したジェイムズ・クラベルによって始められた仕事は完成だ。彼は卓越した人種が外部からやって来てエジプト文明が始まったという流布していた仮定に疑問をもっていた大勢の一人だった。今、全く異なった様子が明らかになって来た。
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トビー「エジプトはもはや、どこからともなくピラミッドと共に、または第一王朝と共に現れたとは思えない。我々はその源を先史時代に遡って追跡でき、北アフリカにおける文明の発達に新しい光を当てることがるのだ。」

スコルピオン王の探求は古代エジプトの創造における重要な人物像を明らかにした。
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ザヒ・ハワス「彼は謎の王だった。しかし、今、彼が何をし、どんなことを成し遂げたのかを知っている。その本当の人間像を見ることが出来るようになったんだ。」
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彼は、偉大な都市ヒエロコンポリスに残されている、これまで知られていたよりも古い文化の基礎を完成させた。彼は交易と闘争を通じてエジプトの統一を支援した。
ジョン・ダルネル「スコルピオンが上エジプトを統一したことで、我々がファラオの歴史の主な要素と考えている段階が始まったと言える」
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彼は世界で最も早く生まれた音声記述を使い、彼の王国を組織した。彼はファラオの複雑な墓やピラミッドの新しい形式の埋葬を始めた。今も、考古学者たちは古代エジプトの本当の起源とスコルピオン王の素晴らしい遺産を発見し続けているのだ。
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The Scorpion King
https://www.youtube.com/watch?v=kh9ByB2jVU4

補足:
岩絵の全貌と思われるスケッチです。
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牛や、ファルコンの絵が上の方にも描かれていたようですね。

1995年に発見されると、“世界最初の歴史書the world's earliest historical document”と新聞などで称され、発表されました。“物語性がある世界最初の絵”という意味でしょうか。全体の幅が50cm足らずの小さな絵で、固い尖った石で岩に傷をつけて描いたような感じですから、よく見つけたなぁと思います。
アメリカ・エール大学のエジプト学者ジョン・ダルネルは、エジプト学者の奥方たちとエジプト・サハラの交易路を調査していて、この岩絵を見つけました。

(完)

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