Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

黒いファラオの謎(第2弾)


2015年1月のブログ「エジプトBlack Pharaohs(黒いファラオ)の謎」では、ヌビアNubiaとよばれる、エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方で生まれた黒人王が遺した遺跡やヌビアの文化をご紹介しました。

今回はその第2弾として、Youtube「Rise of the Black Pharaohs黒いファラオの台頭」から、2人の考古学者の活動を通じて黒いファラオが残した遺跡を中心にご紹介しましょう。

彼らの活動サイトは、王家の谷があるナイル中流のルクソールLuxorから1千Km上流の古代都市エル・クルルElKurruとナパタNapataです。
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かつて黒人の王国クシュKushの首都だったナパタには高さ98mの神聖な岩山があります。
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岩山の名はゲベル・バルカル(Gebel Barkalバルカル山)。
右側の岩壁をよ~く見て頂くと4人のファラオの像が???
左側には、コブラが頭を天に向けているような岩が???
手前には神殿の跡が残っています。

そして、山の向う側300mにはピラミッド群があります。
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ゲベル・バルカルから15Km下流のエル・クルルには1辺が40~50mのピラミッドの跡が残っています。
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紀元前1500年頃、ルクソールから遠征してきたエジプト第15王朝のファラオのトトメス3世はクシュ王国を支配下に置いたのですが、第25王朝(紀元前747-656)になると、クシュを拠点としていた王ピアンキ(Piankhi)が、ナイル下流に遠征し、エジプトのファラオになりました。この王朝はヌビア王朝とも呼ばれ、栄光あるエジプトが黒人に乗っ取られた不名誉な時期とされています。

それではYoutube「Rise of the Black Pharaohs黒いファラオの台頭」をご紹介しましょう。
・・・・・・・・・・・・
古代エジプト。偉大なピラミッドの大地。目を見張るような工芸品。凛然(りんぜん)たるファラオ。そして絶大な帝国。
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エジプトは全ての古代文明の頂点で、図像iconographyや文明のカリスマを介して我々の心を捉えて来た。
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しかし、古代エジプト人が彼らの力を世界に宣言したように、彼らは彼らの統治に関するショッキングな秘密を埋めて隠してしまった。それは歴史から消されてしまった。それは、主人であるエジプト人を打倒し、ファラオとしてエジプト人を統治した、南からやってきた成り上がり者の王国の物語だ。
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これらの征服者たちは、クッシャイト(クシュ人)で、現在のスーダンに暮らし、建設作業者や金細工者や戦士の文明を持っていた。
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ジェフ・エンバーリング教授「クシュがエジプトを占領できたという事実は、デービッドとゴリアテの物語(注)といえる。」
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mh:エンバーリングは背景のピラミッドと共に現れる重要人物の1人です。

(注:“デービッドとゴリアテ”のデービッドとはダビデで、旧約聖書に現れる紀元前1千年頃の男です。ゴリアテという大男をシュリング・ショットで仕留め、新たなイスラエル王になりました。息子は有名なソロモン大王です。)

しかし、今日、クッシャイトは全く忘れ去られている。理由?それは肌の色だ。彼らは黒褐色のアフリカ人だ。
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古代エジプト人には貶(けな)され、植民地時代の考古学者には野蛮人だと中傷されていた。
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考古学者ティム・ケンドル「エジプト人には、彼らは王の足元に跪(ひざまず)く人々に見えたのだ。」
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(彼は背景の岩山と共にフィルムに現れる重要人物の1人です。)
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エンバーリング「それはある種の人種プロファイリングとでも言えるだろう。」

今、何世紀も続いていた愚弄の後に、素晴らしいクシュの興隆(こうりゅう)は、ついに日の目を見ようとしている。エジプト人よりも啓蒙されている考古学者たちは、砂の中から、そして空から、彼らの歴史を掘り出そうとしている。科学はエジプトを跪(ひざまず)かせた黒いファラオの秘話を明らかにしようとしている。
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Rise of the Black Pharaos黒いファラオの台頭
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ここは北スーダンのクシュ王室の埋葬地のエル・クルルだ。
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クシュにおける“エジプトの王家の谷”で、クシュの多くの統治者がここに埋葬されている。彼らの生活や、彼らがどのようにしてエジプトを占領したのかを調べるための僅かな場所の一つだ。それが考古学者たちを惹きつけている。
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ジェフ・エンバーリングはクール1と呼ばれるピラミッドで、埋葬されている王室の墓を明らかにしようとして50トンの土砂を掘り起こしていた。彼らは、その穴の中で、このピラミッドと、クシュ王国を建設した王を特定できるものを見つけたいと考えている。

エンバーリング「我々がまず見つけたいと思っているのは、王の名前だ。出来れば更に、ピラミッドに残されているだろう付加的な情報を見つけて、2千年以上昔の歴史のどこに、この遺跡が嵌め込まれるのかを知りたいと考えている。」
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クッシャイトは記録をほとんど残していない。その上、墓や寺院のほとんどは破壊されている。クール1も例外ではない。
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過酷な気象と石泥棒によって破壊される前、ピラミッドは今の4倍の高さで聳えていた。
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この崩れた巨大なピラミッド跡は数奇な過去を持っている。今から凡そ1百年前、アメリカ人考古学者ジョージ・ライズナーは多くのクシュの記念碑的遺跡や多くの重要な王たちの墓を発掘した。
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エンバーリング「ジョージ・ライズナーはクシュの考古学に関する卓越した先駆者だった。彼は1908年に調査を始め、1930年代まで続けた。当時はとても厳しい環境だったが、基本的な年表を確立した。考古学的時期だけではなく、クシュの王の順序も見つけ出し、それは今日、我々が参照している重要なものだ。」

エル・クルルでは、ライズナーはクール1を除く全てのピラミッドの地下に到達した。しかし、クール1では、彼を恐れさせるものがあったのだ。ピラミッドの天井が崩れ、秘密を中に閉じ込めてしまった。
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近くの洞窟では、作業者5人が死亡した。ライズナーは祖国アメリカに戻った。ジェフ・エンバーリングも同じことが自分にも起きるのではないかと時々思っていた。
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エンバーリング「ライズナーの記録によれば、エル・クルルでの発掘の季節の終わりに2週間の休みをとった。その時、医師があまり心配し過ぎない方がいいと助言した。そこで彼は考え直して、別のピラミッドの発掘に取り掛かったんだ。リスクのない仕事はないって考えてね。」

勿論、リスクなしでは成果は得られない。そしてライズナーは別の王室埋葬地を発見することにした。その結果は驚くべきものだった。
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ライズナーは黄金や宝石や素晴らしい工芸品の倉庫を発見したのだ。あの世での生活を豊かにするために、クッシャイトの王と共に埋められていた精緻な最高傑作品だった。
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エンバーリング「考古学者なら、かつて王だった人物の墓で黄金や銀で出来た想像できないほどに豪華な品物を見つけるのは心が躍る夢のようなことだろう。歴史や宗教や彼の地位や威信なんかが残されているんだ。想像すだけでも素晴らしいことだよ。」
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エンバーリングの最初の啓示は黄金の宝物ではなくて、大きな地下階段だ。王の埋葬用通路として十分な大きさだ。しかし、彼の注意を引いたのは小さな特徴だった。
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エンバーリング「この通路は記念碑的なもので、地下に向かって固い岩を掘って続いている。深さは8m以上ある。底には当初の入口があるが、その上に、奇妙な孔がある。略奪者が掘った孔だ。」

エンバーリングは事情をよくしった男たちの仕業だと考えている。
エンバーリング「ほとんどの人は元々の入口の高さが5mもあるなんて知らないはずだ。その上に穴を明けていたんだ。その向うに天井部の空間があることを知っていた人物の仕業に違いない。」

問題は、略奪者がどこまで入り込んだか、何を残したままにしているかだ。エンバーリングは、直ぐにそれを見つけるだろう。彼は既にライズナーが放棄した洞窟を発掘し終えている。
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エンバーリング「ここはピラミッドの第二の部屋だ。しかし、天上が壊れているので今は部屋にはなっていない。略奪者たちが第三の部屋を目指して穴を掘っていた時に天井が崩れたのではないかと思う。」
エンバーリングは発掘チームが事故に遭い、新たな犠牲者にならぬよう、予め手を打つことにした。彼の同僚の技師ナシオが造った鉄骨の支柱で部屋の天井を支持した。
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これで王の発掘を始められる。成功すれば植民地時代の有名な考古学者ライズナーがやり残した部分の歴史を書き記すことが出来る。

スーダンに居た間、ジョージ・ライズナーはアフリカ人のもてなしを受けながら、豊かな地方の文明の中で発掘していた。
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彼はアフリカの歴史を地中から引っ張り出していた。しかし、当時の人種優越性という植民地の妄想(もうそう)は、彼の科学的な判断力を跛(ちんば)にしていた。発掘したピラミッドに畏敬の念を持っていたにも拘らず、彼の周りで見かける黒いアフリカ人の祖先が、それを造ったと信じることを拒否していた。彼の偏見は彼の目をも曇らせていただろう。
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1916年、彼が偉大なクシュの王の美しい黒御影石の像を発見した時、彼は、それがクシュの人物の像とは思えないと主張した。クシュの王やクシュの全ての記念碑的建物の建設者たちは白色系の肌を持つ外部の人間だと考えていたのだ。
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レイチェル・ダン准教授「スーダンの人々がどんなことが出来るかを考えるのは彼のような考え方の人物にとって挑戦のようなものだったと思うわ。発見したものをみて、彼らが造ったなんてとても信じられなかったのよ。」
クッシャイトに関するライズナーの記録は、人種的な信仰がどんなものかを見せる窓のようなものだった。
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ライズナーの手記
“貧しく、孤立した結果の民族だ。二グロとエジプト人の混血で、砂漠を流れる河岸で生まれ、あまりにかけ離れ、余りに貧しく、彼らよりも優れた、強い民族なら関心すら示さない。”

クッシャイトを扱(こ)き下ろす人物は、ライズナーで終わりでも始まりでもなかった。つい最近まで、ほとんどの考古学者は、しばしばヌビアとも呼ばれるクシュはエジプト帝国の属国以上のものではないと考えていた。平和時には黄金の、戦争時は奴隷の提供元だと思われていた。
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それが、クッシャイトとしばしば変わり易い関係を持っていたエジプト人によって最初に作られたイメージだった。その関係は2つの国の誕生まで遡(さかのぼ)る。
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スーダンのカルマKermaはエル・クルルから凡そ210Kmナイルを下ったところにある。
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その中心的なものはデフーファ(Deffufa)だ。“煉瓦の一枚岩”を意味する。
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太陽を敬う寺院で、エジプト人が最初にピラミッドを造り、イギリス人がストーンヘンジを造った、紀元前2千5百年頃のものだ。考古学者サラ・ディ・ムハンマドによれば、そのことがデファーファをアフリカで最も古い建物にしているという。
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サラ「デフーファは古代都市カルマの中心に立っている。カルマは地球上で最も古代の都市の一つだ。勿論だがアフリカで一番古い。」
デフーファはアフリカで最も古いレンガ造りの例でもある。エジプトに比類する、高度な建築技術が既にあったことを示している。
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カルマの周囲にはアフリカで最も古い埋葬地がいくつかある。
これらの考古学的証拠は、良き隣人として知られていたエジプトがファラオによって統一されていた紀元前2千年には、既にこの地に成熟していた文明があったことを示している。
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まず、二つの新進気鋭の国が現れ、互恵関係を築き上げたのだ。
レイチェル「それは、しばしば交易に基づいた関係だったの。エジプトの墓に描かれて残っている証拠によれば、スーダンから来た人々がエジプトに貢物を運んできているのよ。豹の毛皮や猿や貴石なんかをね。」
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ナイルにおけるその位置関係から、カルマはエジプトと準サハラ地域との間で黒檀、象牙、異国情緒あふれる動物などの交易中継地として繁栄した。しかしクシュを興隆させたのは黄金だった。
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クシャンはナイル谷で金の採掘をしてエジプトに売っていた。エジプト人は宝石や貴金属には貪欲(どんよく)だった。金箔の棺は言うに及ばず、葬儀用の仮面はツタンカーメンで有名だ。

サラ「クシュは黄金の土地として伝統的にエジプト人に知れ渡っていた。エジプトの黄金の多くはヌビアからのものだった。この辺りや東の砂漠やカルマの東で採取されたものだ。」
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エジプト人は、クッシャイトは弓に長(た)けていて、彼らを“弓人”と記録に残し、傭兵として使っていた。エジプトの闘いの様子を示す資料ではクッシャイトの豪勇ぶりをレスラーとして描いている。この伝統は今日のスーダンでも繁栄している。
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エジプト人が知らなかったことは、クシュの軍隊の本当の力が、ある日、エジプト人に襲い掛かって来ることだった。クッシャイトの来襲は当初、小規模だった。境界を越えて彼らの領土を拡張するだけだった。エジプト人はクッシャイトの侵略を非難していたが、そのうち、戦(いくさ)が始まった。
考古学者たち「エジプト人はクッシャイトを浅ましい、野蛮な人々だとして描いていた。捕えられた彼らは縛り上げられ、王の足元に跪(ひざまず)かされていた。どこにでもいる人々の様子で描かれ、エジプトの王が彼らの髪を握り、棍棒で頭を叩き割られる様子で描かれていた。」
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このようなエジプト人の見方は、彼らがクシュを領土に取り込む考えを正当化するものだった。紀元前1500年頃、エジプトのファラオのトトメス1世は高まる緊張を取り除くため、初めてクシュを侵略し、黄金を直接獲得する道を拓(ひら)いた。
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彼の軍勢は神聖な山“ゲベル・バルカル”と呼ばれる場所まで南征した。
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この山の南東端には高さ75mの尖(とが)った岩が天を突くように聳(そび)えている。クッシャイトにとっては、間違いようのないファラオの形だ。創造と豊潤の象徴だ。
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しかし考古学者ティム・ケンドルによれば、エジプト人はこの岩山にもっと重要な意義を見出していた。
ケンドル「エジプト人がこの岩山を力強くて重要なものだと考えたのは、そこに大きな尖塔のような岩があって、それがいろいろな宗教的なことを思い起こさせたからだ。例えば、まず思いつくのは、鎌首を持ち上げたコブラの姿だ。更には直立しているオシリス王の姿だ。オシリスはエジプトで最初の神秘的な王だ。」

コブラは一つの鍵だろう。エジプト神話によれば、コブラは王位と強い関係がある。王を守護するため、多くの女神はコブラの形で現れている。
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ツタンカーメンなどファラオの王冠の上にコブラが現れているのはそのためだ。
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ケンドルは侵略戦争に同行してきた恐らく身分の高い祈祷師が、この岩を見て王との関連を見出したのではないかと考えている。彼の目には巨大な信仰対象に見えたのだ。
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ゲベル・バルカルは神の中の神アムンが誕生した場所と考えても好い程に重要だと思われた。
ケンドル「ここは王が誕生すべき場所で、その王はクシュを統治する権限を与えられたと考えた。」
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そう考えられるようになると、ゲベル・バルカルには急速に神聖なエジプト芸術への道が開かれた。ここではラムセス二世が神アムンに捧げ物を差し出している。アムンは山の中で玉座に座っている。
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この絵はゲベル・バルカルでの様子を示しているとしか考えられない。尖った岩山はエジプトを示す白い冠を付けた大きなコブラとして描かれている。

この絵はアブシンベル神殿の中で見つかった。ラムセス二世がクシャとの国境の近くに建てた神殿だ。ラムセスはゲベル・バルカルを訪れ、岩山に感化され、自分自身の4つの像でアブシンベルを飾り付けたとティム・ケンドルは考えている。
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ケンドル「アブシンベル神殿では入口の4つの巨大な像が有名だ。ラムセスはゲベル・バルカルを訪れた時、岩山の正面の岩壁に4つの巨像を見つけたのではないだろうか。」
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「長い間、人々は岩肌に4つの像が彫刻さえていたと信じていたが、実際は全く自然の造形で、人々が造ったものではない。」 

ラムセス以外のファラオたちもゲベル・バルカルの岩陰に寺院を建てて敬った。エジプト人は、この山の神秘な力を信じ、王位に就くために訪れていたのだ。
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ケンドル「寺院で何が行われていたのかは分かっていない。しかし、ここがエジプト帝国の植民地だった頃、ファラオたちはここを訪れ、寺院の中の神アムンの像の前で、ファラオと神オシリスが、父と息子のように一体化したのではないかと考えている。オシリスは神話の中の最初のエジプト王だ。ファラオは更に寺院の奥深くに入り、階段を上って玉座の上に座り、王となって寺院の外のポーチに立ち、現人神(あらひとがみ)として群衆に祝福されたのだろう。」
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何世代も語り継がれている内に、ゲベル・バルカルの伝説は大きくなり、クシュにおけるエジプトの影響力も拡大していった。クッシャイトもエジプトの宗教を容認し、神アムンを敬い、彼らの主人を真似て、ピラミッドの建設も始めた。
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ケンドル「私は、クッシャイトが最初のエジプトの属国になったと本に書いたことがある。しかし、現実はそんなに単純なものではないと思う。何故なら、クッシャイトは長年をかけて積み上げられた世界観を持っていたからだ。彼らはその中で完璧に適合していた。」
エンバーリング「クシュは最初にエジプトに占領された。しかし生き残ったんだ。クッシャイトはエジプト文明に適合せざるを得なかった。つまり、これを近代のアメリカ用語でいえば、彼らは “やり過ごすpass”しかなかった。」

3百年間、エジプト人はクシュを支配し、人々にアムン信仰を強要した。ゲベル・バルカルで原理主義者ファーバーが言ったという:山に宗教的な輝きが起きた時、エジプトには火が放たれ、クッシャイトがファラオに変わるだろう。
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エル・クルルのクール1では、ジェフ・エンバーリングとその発掘チームは、1百年前ジョージ・ライズナーを跳ね除けていた岩壁を抜け、その向う側まで到達していた。発掘の季節の最後の時期だったが、エンバーリングは大した発見ができずにいた。しかし突然、彼らの努力は予期していなかった発見によって報われた。
エンバーリング「我々は大量の土を取り除いてきた。これまで2つ目の部屋と思われる場所まで到達した。そして、その奥にある第三の埋葬室への入口を発見したのだ。これが、第三の部屋への通路で、最後の部屋だ。」
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最後の部屋なら埋葬品の宝物か王の遺骨が収納されているはずだ。
何カ月も発掘作業をしているムハンマドは、宝物まであと一息のところにいる。
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ムハンマド「ここを造ったのは私たちの祖先だ。私の文化や文明は彼らから生まれた。私は彼らの一部なんだ。我々はもっと早く、祖先を見つけ出し、彼らから学んでいなければならなかった。」

発掘チームはクール1の墓を造った王に関して既に一つの重要な手掛かりを理解していた。王は、この場所を注意深く選んでいたのだ。ピラミッドの脇に小さな一つの部屋だけの墓を造っていた。そこには、かつて全てのクシャの王の重要な品物が治められていた。この台の上には、かつて王ピアンキの遺体が置かれた。エジプトを占領した黒いアフリカ人の王だ。
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(mhピアンキは第25王朝(ヌビア朝)の初代ファラオです。)

エジプトがクシュに侵攻した8百年後の紀元前7百年、エジプトは既にクシュから引き揚げていた。ツタンカーメンやラムセス二世などの新しい王国は既に混沌の中に沈んでしまっていた。リビアの戦闘王は北エジプトを支配下に置こうと戦を仕掛けていた。アムンの祈祷師たちは南北エジプトを統一しようと希望していた。祈祷師はアムンの信仰が破壊されてしまうことを恐れていて、分断されている帝国の国々を統一することこそが信仰の存続に重要だと信じていたのだ。そこで以前の植民地でアムン信仰に同化していたクシュに救いを求めるという驚くべき手段をとった。
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その時、アムン信仰に熱狂していた若い王ピアンキは祈祷師の要請以上の諸行に出る準備が出来ていたのだ。彼はアムンが味方してくれているとの信念に力付けられて、リビアの王を追い払うことを約束した。ビアンキは宣言した“神は王を創った。人々も王を創った。しかし、アムンは私を王にした。”
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彼の軍勢はナイルに沿って北に向けて移動しテーベThebesに到達した。
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彼は軍勢に命じた“弓を絞り、矢を放て。北の土地の人民に私の指を味わせるのだ!(指とは矢のことだと思いますが・・・)」
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ピアンキの敵は直ぐに降伏を申し入れてきた。

ピアンキは直ちにナイル下流の町メンフィスemphisに襲い掛かった。
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「慈悲を見せてほしい!」とリビアの王は許しを乞うた。「私はあなたの顔を恥ずかしくて見ることが出来ない。私はあなたの炎の前に立つことはできない。私はあなたの強さに怯(おび)え、震えている。」

エンバーリング「クシュがエジプトを征服できたという事実は、まさに“デイビッドとゴリアテの物語”だ。エジプトには巨大な都市や巨大な寺院があり、大勢の人々が暮らしている。一方クシュは小さな町が分散しているだけの国だ。クシュが強力な軍事力を持つことが出来たのはなぜか、我々は今調べているところだ。」
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この勝利がどんなに信じがたいものであろうと、ビアンキと彼の後継者たちはエジプト第25王朝を創ることになった。彼らは現代のハルツームから地中海まで広がる土地で富を支配し、強力な国家だったアッシリアやギリシャと対抗できるようになっていた。
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ピアンキはアムンを信仰し成功を収めた。彼の占領の業績を岩に彫り残したものの中に、アムン自身が新しいファラオに王冠を被せる場面がある。
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全ての神の母と呼ばれる女神ムーンが見守る中で、ビアンキはアムンの前で跪いている。ピアンキは神の中の神アムンに簡単な捧げものを差し出している。
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羊の頭をしたアムンは、彼に言う“私はお前が母親の子宮の中にいる時から、お前はエジプトの王になるのだと言っている。」
そしてアムンはピアンキに下エジプトの赤い冠と、上エジプトの白い冠を与える。分断されていた土地の統一の印だ。
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ピアンキの戴冠式の石碑は敬虔な国家に力強いメッセージを発することになった。当時では最高の宣伝だっただろう。
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サラ・アーメッド「政治的な力はいつも宗教信仰と結びついていた。王は人民を統治する権利があり、王は信仰心が強いということを人々に信じさせるためだ。王たちはこれを使って全てを支配した。黄金の発掘場所、貿易通路など全てをだ。今も同じ傾向があると私は思っている。我々は同じことを永遠に続けているんだ。」

ピアンキはクシュを出てから、彼の若い弟シャバカに王位を譲るまで、凡そ12年間、エジプトを支配した。
シャバカはエジプトの首都メンフィスを引き継ぐため、北に遠征した。彼はエジプト新王朝の最盛期以来で最大の建設時代を切り開いた。
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シャバカと先代の兄ピアンキは強力で慈悲深い指導者との評判を得た。
ケンドル「彼らは慈悲深く、寛大だということで有名だった。例えば彼らは罪人を惨殺することは無かった。彼らは罪人を許した。罪人は運河の建築作業をした。2人は古代の王としては全く独特の人物だったのだ。」
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ピアンキとシャバカの意気揚々とした統治は帝国から遠くれている敵と戦った王タハルカへの道筋を確立した。紀元前7百年頃、彼はアッシリア人の攻撃から、エルサレムとそこにあるソロモン寺院を助け出しているのだ。この行為は旧約聖書に記録され、ヘブライ経典研究者たちはタハルカを人民の救世主として褒め称えている。
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しかし、アッシリアン(アッシリア人)はその無念を晴らすため、タハルカが治めていた土地に侵攻し、タハルカをテーベまで押し戻した。タハルカが死んだ時、彼は祖先たちのようにエル・クルルに埋葬されることは無かった。その代わり、彼は自分のピラミッドをニューリNuriの近くに造った。
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ティム・ケンドルは、彼がそうしたのは迷信を信じたからだろう考えている。エジプトの新年の日、ゲベル・バルカルからこのピラミッドを見るとタハルカのピラミッドの後ろから太陽が昇る。それは新たな生命と復活を象徴するものだ。
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ケンドル「新年から三か月半後、タハルカのピラミッドの上に立ってゲベル・バルカルを眺めれば、太陽は岩の尖塔の上に沈むんだ。」
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「尖塔は神オシリスのように見える。日没は神々の死を象徴している。それはまさにナイルの終わりで、芳醇の終わりで、神が死のうとしている時だ。だから彼は、新年に生まれ変わり、3ヶ月半後に死に、ナイルも死に、そうして毎年生まれ変わるんだ、何百万回もね。」
タハルカはここにピラミッドを建て、永遠に残るゲベル・バルカルとの繋がりを持たせた、とケンドルは言う。

生存中もタハルカは神聖な山と彼自身の関係を強く持っていた。聳え立つ尖塔の岩肌に記念碑的な彫刻を彫るよう指示していたのだ。1987年、ティム・ケンドルはそれを初めて見た男になった。
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(mhティム・ケンドルが彫刻を発見した時の写真です。)

ケンドル「1930年代、あるイギリス人の事務官が双眼鏡で岩山の肌を調べていて、尖塔の、とても近づくことが出来ないような所に古代の作業の跡をいくつか見つけた。私は登山家ではなかったが、どうしても知りたいと思い、登山の訓練をしてから登ってみることにした。今は、もう一度やってみるつもりはないけどね。」
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写真家と一緒に尖塔に上る仕事は楽ではなかった。報告書を作成するために、彼は写真が必要だった。
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(mh上の写真も当時のものです。)

ケンドル「我々が1987年に登頂した時、得られた結果は、現在の判断基準からすればとても原始的なものだった。幸運にも2人のプロの登山家と連絡が取れ、岩山に登って私がやり残した仕事をしてくれるよう頼むことが出来た。」
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mh:以降、若い女性2人がそそり立つ尖塔の頂きに登り、降りてくるまでのシーンは省略させて頂き、ロッククライミングの様子や彼女たちが撮影した写真をご紹介させて頂きます。
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岩肌には土木工事の跡が残っていた。大きな穴が硬い岩に明けられている。
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これらの穴は、かつて木製の梁を支え巨大な足場を作っていた。作業者たちはクレーンを使って材料を持ち上げていた。
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2千6百年前に行われた工事では大きな飾りが岩肌に残された。タハルカの華々しい業績の記録だ。そこには黄金の板が取り付けられ、光り輝いて人々の目を引いていたはずだとケンドルは考えている。
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とうとう、全てが結びついた。ティム・ケンドルが破壊されていた岩肌に残された記録から読み取ったのは、タハルカの神性と彼をエジプトから追い出すことになったアッシリアへの挑戦的な業績を讃える飾りだった。彼はアッシリアンを“ベドウィン”と呼んでいた。
“私はタハルカだ。良き神でエジプトの上と下の王だ。私は永遠に生き続ける。私はアジアのベドウィンを壊滅し、リビアの砂漠の住民たちを打ち負かした。”
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タハルカは、悔い改めずに戦いを続けていた戦闘王だったが、死ぬ時、エジプトのほとんどは彼の支配下には無かった。彼の後継者たちはそれに気付いていなかったようで、タハルカは2つの国家のファラオだったと信じ、主張していた。

そして紀元前593年になると、クシュの仰々しい宣言に飽き飽きしていたエジプトのファラオのフサムテク二世は軍隊を引き連れ侵攻してきた。
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フサムテクは返さねばならない借りを持っていた。数年前、クッシャイトのファラオはプサムテクの祖祖父を殺害していたのだ。フサムテクの目標は第25王朝を歴史から葬ることだった。彼の軍勢は、見つける全ての像を破壊し尽くし、クシュの記念碑的建物の壁に彫られた歴史的な名前を削り去った。それはクシュへの究極の侮辱だった。クッシャイトの冠の神聖なエジプトのコブラの象徴さえも叩き壊した。
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歴史の書き換えは今日でも続いている。
ケンドル「カイロのエジプト歴史博物館の正面を見ても判る。2階の壁にはエジプトの全ての王朝が大理石のパネルで掲げられている。」
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「その中でたった一つ除外されているのが第25王朝だ。」

エル・クルルの発掘場所に話をもどそう。第三の部屋、墓室の発見は誰もを興奮させていた。しかし、発掘許可の期限があと2日で切れてしまい、ジェフ・エンバーリングはアメリカに戻らねばならない。王の遺骨、宝石類、王の名前、などはこの岩の直ぐ向うにあるかも知れないのだ。それを発掘するには来年まで待たねばならない。
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エンバーリング「今とても興奮している瞬間で、同時に、落胆している瞬間だ。今、残されている時間と資源では、今年は、責任をもって、安全に発掘をすることはできない。200トンもの砂を掘り起こしてここまで来たのにもかかわらず、目的を果たせなかったのはとても残念だ。しかし、来年、またここに来て、素晴らしい発見をしたいと希望している。」

しかし、エンバーリングは全く手ぶらで故郷に帰るわけではなかった。彼は近くの発掘場所に招待され、最新技術の友達を連れて訪れることになった。
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ここはズーマ村だ。高貴な人物の埋葬場所でタハルカが死んでから凡そ1千年後に造られた。
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帝国の黄昏(たそがれ)の時期だ。アフリカの敵対国がクッシャイトを消し去ろうとしていた時期だった。その直ぐ後には、キリスト教が一帯を変革する。

ズーマでは同僚の考古学者が考古学的な拠点を見つけていた。白い砂岩の構造はクール1とは異なっている。
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奥の穴は下の細いトンネルに続いていた。埋葬の部屋のようだ。いよいよロボット・カメラの登場だ。
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破壊された品々は、他の墓と同じように侵入者がいたことを示している。しかし考古学者にとっては手掛かりが一杯の宝の倉庫だ。
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mh:で~墓の内部の調査でロボット・カメラが使われ、遺骨や土器の撮影をしますが詳細は省略し、カメラで撮影されたいくつかの写真だけご紹介しましょう。
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ズーマが造られるまでには、エジプトの影響は遠のき、クシュの王は偉大なピラミッドの墓を造らなくなっていた。
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黒いファラオたちの統治が1百年続いていた時が王国の最盛期だったのだ。しかし、その短い期間、アフリカの負け犬だった彼らは巨人を倒し、古代世界の偉大な帝国の中に自分たちの場所を確保していたのだ。
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そして今、スーダンにおける科学的な作業が進んでいるおかげで、黒いファラオの王国は陰の中から光の当たる場所に歩き始めている。永遠に。
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Rise of the Black Pharaohs
https://www.youtube.com/watch?v=ck-PYLgESuA
・・・・・・
エル・クルルにおけるジェフ・エンバーリング教授の発掘は今も続けれれているようです。
2015年のレポートが見つかりました。エル・クルルのピラミッドの地下室で御影石の石碑をを発掘したのです!
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クシュ王国の慣例によれば、石碑には埋葬されている王の名前が彫られているようですが、この石碑には何も彫られていませんでした。石碑ならヒエログリフを彫刻してから、地下の墓室に持ち込むはずでしょうから、石碑ではなく、石棺を置く台だったのかも知れません。

てなことをグズグズと考えている理由は、何年も発掘を続けているエンバーリング教授の努力は、このまま実ることは無いかも知れないという思いが生まれたからです。このピラミッドは何らかの理由で建設途中で放棄された可能性だってあるわけですから。

これまで、世界中で、沢山の考古学的発見が行われてきましたが、その陰には、発見につながらなかった多くの努力があるのだろうなぁと改めて感じました。しかし、考古学に限らず、偉大な発見は、多くの成果につながらなかった努力の上に成り立っているのだろうなぁとも思います。そこに何かがあると判っていたら、それを最初に発見したからといっても大した意味がありません。どこに何があるのか明確ではないからこそ、考古学の醍醐味(だいごみ)があると言えるのでしょう。

(完)

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