Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

カホキアの不思議


カホキア (Cahokia) は、アメリカ合衆国の中央を流れるミシシッピ川中流にあります。ミシシッピ川河口の町ニューオリンズNew Orleansからは直線で1千Km上流です。

そこにはミズリー州state of Missouri(州都Jefferson City)の大都市セントルイスSaint Louisがあります。カホキアは、その対岸(東岸)に残っている遺跡ですが、川一つ挟んでミズリー州からイリノイ州State of Illinoisになっています。

カホキアには、土を積み上げた小山というか高台のようなものがあるんです。一番大きいのが“僧の丘Monks Mound”と呼ばれ、次の写真で奥に見える2段の長方形の丘です。
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9平方Kmに、半円丘の小山を含め、土を盛り上げて造った山が80あるようですね。最盛期には16平方Kmに120の大きな丘が造られていたとWikiにあります。

Monks Mound:高さ30m
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これらの小山は、いつ、誰が、何の目的で造り、なぜ放棄されていたのか?

mhのブログの愛読者なら直ぐ答えが判るかも知れないのですが、慌(あわ)てて結論を出すこともないでしょうから、じっくりとこのブログを読んで頂き、時間があれば、最後にYoutube(15分)でご確認下さい。英語ナレーションは聞きやすく、ヒアリングの訓練にもなると思います。

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Cahokiaカホキア
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City of the Sun太陽の都市
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もし時間を遡ることが出来たのなら、この場所の謎を解き明かすことができるだろう。どんな計画に基づいて、どのように造られたのか?人々にとってどんな意味があったのか?
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今なら、我々はカホキアに関する全ての手掛かりを見ることができる。メキシコよりも北にある最も広い考古学的な土地に、アメリカで最大の面積の記念碑的な巨大な丘と、あるパターンで長く連続的に続いている小さな小山を。
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カホキアのような場所は他には見当たらない。我々は、今もその謎を調べ続けている。カホキアと似た当時の都市が全く見つかっていないため、どんな人々が何のために造ったのかを調べるのは大変な仕事だ。
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この谷間Valleyは豊かで、自然が満ちていた。肥沃な土壌は北アメリカ大陸で最も偉大な川によって運ばれ、堆積し、多様な植物種plant speciesを育てていた。
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川や、洪水で生まれた平地や小さな森は、いくつかの異なる野生動物の生息地を造り上げていた。そこは、1万2千年前に移り住んできた人間の生息地にもなった。
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1千年前、ここの住民は文化を生み出した。我々は彼らをミシシピアンと呼んでいる。丘を造った男や女たちだ。
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古代の人々のように、彼らは唐茄子(squashスクヲッシュ)、向日葵(ひまわり)、その他の種子作物を育てていた。野生の植物、魚、その他の動物も重要な食料だった。しかし、人々にとって大きな事業は農業だった。
例えばミシシピアン社会が玉蜀黍(とうもろこし)を育て始めると、必要以上の余剰分の収穫も可能だった。
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玉蜀黍はこの地で豊かに実ったのだ。収穫効率は高かった。玉蜀黍は保存が可能なので、不作時の予備として、何年分も保管することが出来た。こうして安定的な食料供給を確保していたので、多くの人々がカホキアを永住地とすることが出来た。
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また、ミシシピアンは余剰収穫物を肉、道具、衣服、その他の製品と交換していた。
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このことは、ある人々は農耕する必要が無かったことを意味する。彼らは、道具の製作など、別の活動に専念することが出来た。
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そうして、玉蜀黍や他の農作物は食糧以上のものになり、これらは社会の全てを活性化していた。

指導者は様々な目的のため、玉蜀黍の分配を要求していただろう。彼の使者は集団から生まれた余剰品を、銅や貝殻など、貴重で異国的な製品と交易していたかも知れない。
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ミシシピアン社会はこのようにして五大湖からメキシコ湾まで、大西洋からオザーク高原まで、何千Kmも広がるネットワークの上で交易した。
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ネットワークの中の全ての集団はミシシピアンの伝統の一部だった。

大きな集団は、高くて平らな頂きを持つ丘を造り上げた。土を盛り上げた丘の上には寺院や、その他の建物が造られていた。
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ミシシッピ川とミズーリ川が合流する低地一帯では、さらに親密なネットワークが存在していた。玉蜀黍(とうもろこし)平原の縁(ふち)の、二三の家で構成される集団などの小さな部落は、より大きな村と、村は更に大きな、数千人の住民から成る社会と繋がっていた。
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そして、これら全ての中心はカホキアだった。

カホキア。偉大な丘。広大な記念碑的な広場plaza。住居は見渡す限り広がっていた。
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カホキア。そこは富と防衛をあわせ持つ権力の場所だった。数百年の間、繁栄した。
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カホキア。多くの拠点が堂々と、その上、十分に工夫されて配置されていた。各々の拠点はそれぞれの機能を持っていた。
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競技や儀式や大集会のための大きな広場があった。全長数Kmの木造の柵は中央の儀式区画を守っていた。我々が“ウッド・ヘンジWood Henge”と呼ぶ、ユニークな太陽の暦(こよみ)もあった。
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トウモロコシやその他の作物畑は2万人を養うに十分な広さで、余剰の収穫も確保できていた。丘を造るために土を掘った所は溜池に使われた。身の丈程の土塁は都市の境界を確定していた。頂が平らな丘の上には建物が造られていた。円錐状の埋葬用の小山もあった。そして、ある一つの丘は、他のどの丘よりも、ミシシピアン社会のどの建造物よりも大きかった。この土で作られた大きな丘はコミュニティの中心に位置していた。
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そこは、一帯で一番高い場所で、リーダが暮らしていた。そこからリーダは大地を支配し、天と会話した。彼の富は測ることが出来ず、彼の知恵は深淵で、彼の権威は疑いの余地がなかった。
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リーダは天上界と地上界の間の精神的な力のバランスを維持する責任があった。そして、恐らく、それ以上に困難な役割は、人々の間の秩序と調和を維持する責任があったということだろう。

彼に捧げる奉仕は、神に対する奉仕と同じだった。最も賢い助言者と共に、リーダは彼の寺院の場所ともなる偉大な丘の建設を指導した。
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数千人の建設作業者にとって偉大な丘を造る作業は忠誠心や信仰の現れだった。段状の丘を造るため、人々は大地を石の鋤(すき)で掘り、一度に15から20Kgの土を編んだ籠に詰め、300年以上をかけ1千5百万回も、背に担(かつ)いで運んだ。
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彼らは偉大な丘がどんどん大きくなるのを眺めては満足していた。

カホキアは活気に満ちた、忙しい町だった。人々は道具やその他の品物を作り、使っていた。彼らは食糧を確保し、準備し、家やその他の建物を建てた。彼らは、大量のゴミや、犯罪など、都市生活のあらゆる副産物と格闘していた。彼らは子供を育て、病人を看護し、死人を埋葬していた。
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カホキアの人口が増加するにつれ、複雑性も拡大していた。初期には、一つの家族は自分たちが必要とするものだけを準備していただけだろう。
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しかし複雑化してくると、生き残るため、他の部族と交易し、共に働かねばならなかった。現代の我々の社会と同じように、関係は家族を越えて拡大し始め、コミュニティの中で相互関係のネットワークを作りだしていた。カホキアの人々にとっては、毎日が身体や、精神や、魂への挑戦だった。

どこの、どの時代の人類とも同じように、見える部分や見えない部分、知っている自然や知らない自然など、自分たちの世界を理解するための一助として、ミシシピアンは神話や信仰を使った。
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彼らが信じていたことのヒントは、彼らが行っていた儀式や彼らが使っていた象徴の中に見つけることが出来る。
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種は播(ま)かれた。死んで去っていった友のように、芽を出して新しい植物になり、実を付け、収穫される。そしてまた種となって播かれるのだ。
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死は生の後に起き、生は死の後に起きる。それは決して終わりの無い繰り返しだ。
地中の蛇を考えてごらん。
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古い殻(から)の中から新しい殻を付けて現れてくるまで見えないんだ。

太陽を見てごらん。火や生命を与え、完璧な期待通りの円弧を描いて天空を横切る。
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季節を表わすために太陽を使いなさい。昼と夜の長さが同じ瞬間を記録に残すために使いなさい。くりかえす生命の長さを測るために使いなさい。

今日、我々は無限の好奇心を持ってカホキアの昔を振り返ることが出来る。
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現代では、新しい科学や新しい技術や新しい発想がこの谷を数百年の間支配していた文明を理解する手助けになっている。しかし、なお多くの不思議は解き明かされないまま残っている。多くの発見が成されないまま残っている。例えば、13世紀の終わりから14世紀の始めのある時期、カホキアが衰退し始めたのはなぜかを知っている人は誰もいない。我々が知っているのは、終わりはゆっくり訪れたということだけだ。何年もの間、カホキアの権威と権力は挑戦を受けていた。
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栄養不足や流行病が大きな問題になっていたことは知っている。恐らく、気候変化は収穫を縮小し、人口増を抑制しただろう。または階級闘争とか、部族の間、または外部との争いが衰退に影響しているかも知れない。これらの謎は今も残されたままで、神聖な火がまだくすぶり続けている間に、想像力を働かせて昔の様子を考えるよう我々を駆り立てている。
“昔、地球は豊かで、私の人々は大勢いた。沢山の火が我々を温めていた。我々は玉蜀黍(maizeとうもろこし)を植え、雨や太陽光の祝福を受けられるよう祈った。”
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“我々は遠くまで旅をし、沢山の土産を持ち帰った。綺麗な家や偉大な寺院も見た。”

“どこへ行っても、我々は我々の故郷の偉大さを讃える歌を勇壮に歌った。何故なら、この地ほど素晴らしくて尊厳(そんげん)なものはどこにもないからだ。
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“ここではトウモロコシは何処よりも良く育ち、走者はどこよりも早く走り、建物は天まで届くほどに高くそびえている。高貴な太陽は最も明るく輝いている。”
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Cahokia - City of the Sun
https://www.youtube.com/watch?v=GAXBA2Pt9wE

別のフィルムで見つかった資料を添付しておきましょう。

まずは現在のカホキアの近くの風景です。
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見つかった貝殻の首飾り。
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土偶
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隼の形で敷き詰めた貝殻の上に横たわる遺体が見つかっています。
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丸い小山は多くが円墳だったようですね。

カホキアが滅亡したのは14世紀の初期ですから、日本では鎌倉時代後期です。そう考えると、日本は長い歴史をもっていると言えますが、それは中国という古代文明国家の恩恵でしょう。中国から文化が流れてくることがなければ、日本の今の発展は無かったはずです。

(完)

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