Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

マヤ崩壊の不思議


ブログ「マヤを殺したのは誰だ!」では、西暦9百年代のマヤ文明の衰退は、レディ・シックス・スカイが仕掛けた権力闘争が原因だろうという仮説をご紹介いたしました。
<Lady-Six-Sky>
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詳しくお知りになりたい方は次のURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/31441382.html

10世紀の崩壊の後、マヤは若干持ち直すのですが、1千5百年代にやってきたスパニッシュ・コンキスタドールによって息の根を止められます。
(コロンブスのアメリカ発見は1492年と言われています。)

で、今回は、西暦9百年頃のマヤ文明の崩壊とも言える衰退の原因はレディ・シックス・スカイが仕掛けた戦ではなく、環境の変化が原因だとするYoutubeフィルムをご紹介しましょう。
環境の変化?
それはどんな環境の変化だというのでしょうか?信頼できる説なのでしょうか?ブログを読んでから、読者ご自身でご判断ください。

・・・・・・・・・・・・
今から1千2百年前、大惨事に襲われ、世界的にも見事な文明のひとつが消滅してしまった。
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何百万もの人々が死んだ。その一部は残酷に殺戮(さつりく)されていた。この大惨事は何故起きたのか?それは今も謎のままだ。
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Ancient Apocalypse:古代の黙示録
The Maya Collapse:マヤの崩壊
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これは真実を追い求める一人の男の物語だ。
ディック・ギルDick Gillは、素晴らしいマヤの社会が崩壊した原因を発見しようと、何年もの間、一人で調べ続けている。
中央アメリカの熱帯雨林の奥深くに隠されている失われた都市ティカール。今も人は住んでいない。
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しかし、1千2百年前、ティカールはマヤ文明の中心だった。世界でも偉大な都市の一つで、10万人が暮らしていた。彼らは信仰心が厚く、太陽や月や大地や風や火や雨など、数十の神々を敬っていた。祈祷師は超人的な指導者で、神々が棲む天空の世界と意思疎通することが出来た。
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今日の我々がマヤ人と呼ぶ人々は中央アメリカのメキシコ南部で暮らしていた。森林や草原にはいくつもの都市や町が生まれていて、信仰・芸術・学問の中心になっていた。
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マヤが成し遂げたことは驚異的と言えるだろう。彼らは独自の文字を発達させ、天文学や数学を習得していた。
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しかし、同時に、神々を宥(なだ)めるため、人間の生贄を差し出すなど、残忍になることも出来た。9世紀、マヤ文明は繁栄していた。しかし、栄光の最中、何か恐ろしい事が起きたのだ。
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それから百年もしないうちにマヤは全て消え去ってしまった。ティカールなど多くの都市は永遠に放棄された。考古学者たちは謎に包まれたままだ。凡そ2千年も続いてきた文明が、こんなに短期間に消えてしまったのは何故なのか?
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この問題を解き明かそうというディック・ギルの仕事は1968年、メキシコでの休暇が彼の人生を変えた時から始まった。
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ディック「私は磁石に引かれるように、この謎に憑(と)りつかれた。何故、マヤが崩壊したのか、全く思いもよらなかった。しかし、調べてみようと思った。メキシコから家に戻り、マヤについて調べてみるつもりだと家族や友人に話した時、それは面白い考えだねって言ってくれた。」
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故郷のテキサスの人々はみんな笑った。というのは、ディックは、このような謎に取り組むタイプの人間だとは思われていなかったのだ。

ディック「マヤ文明の崩壊について初めて注意を向けた時、私は銀行家だった。考古学界では全くの部外者だった。考古学者たちは彼を冷笑した。自分たちがまだ判っていないことについて銀行家が話せることがあるとでもいうのか?と言ってね。」
しかし、運命は巡って来た。彼の家族が運営していた銀行が破産したのだ。
ディック「それで、私は銀行業を諦(あきら)め、マヤに何が起きたのか?という長年の謎を解き明かす作業を始めることにしたのだ。」
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その作業を進めるため、ディックは大学に戻って考古学を研究した。彼は、マヤの謎を解くために人生を捧げることに決めたのだ。まずしなければならないことは、その被害の大きさを明確にすることだった。一体どのくらいの人々が消えてしまったのか?
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ディックはそれを聞くことが出来る人間を知っていた。ディックを元気づけてくれた最初の考古学者の一人であるフレッド・ヴァルデーズだ。フレッドは魅力的なマヤ寺院や宮殿には目もくれず、蚊の多い熱帯雨林の中でチーム・メンバーたちと調査を続けていた。マヤの一般人が暮らしていた住居跡を探していたのだ。
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フレッドは石の基礎の数から何人がその場所で暮らしていたかを見積もっている。その結果に彼自身が驚かされていた。
フレッド「とても驚くべきことに、大勢の人々が中心都市から離れた場所でも暮らしていたのだ。何百万人もが暮らしていたことについては疑う余地はない。」
しかし、今から1千2百年前、突然、住居の建築は打ち切られた。
フレッド「この場所に住んでいたマヤ人たちは、この場所に住み続けることに執着していた。基礎の石から判るように、古い基礎の上に新たな基礎を組み上げて家を作りなおしている。一番上の石の層が最後の基礎だ。その後、この場所は放棄されている。」
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何が起きたというのだろうか?

集団移住した痕跡はない。他の場所で人口が増えたということもない。これがフレッドに恐ろしい結論を導かせることになった。
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フレッド「80から90%の人々は、その時代に死に絶えたのだ。マヤのほとんどの人々が多分、死んでしまった。彼らが生まれたこの土地で。」
1千1百万人が滅んでしまった可能性があると言う。そんなにも多くの人々が、そんなにも短い期間に滅んでしまう、どんな理由があるというのだろう?
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ディックの探求は冷厳な発見を受けて、大きな哀れを帯びることになった。

1980年、アメリカ人考古学者のトム・ヘスターと彼のチームは古代マヤの宮殿の近くで発掘作業をしていた。
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ヘスター「発掘を始めると、私の考古学人生の中でも、とても劇的な場面に遭遇した。」
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女性研究員「首の骨の最上部を見ると、後ろから一撃を与えられていることが判ります。」
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ヘスター「何だ、これは!と思った。今まで、こんな状況を誰も見たことがないだろう。」
彼らはマヤが崩壊した時期に起きた残酷な殺戮の証拠を見つけたのだ。
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女性研究員「この骨に残っている傷跡は、武器として使われた斧(おの)が顎(あご)の下から耳の後ろに向けて振り下ろされていたことが判ります。」
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ヘスター「体が付いていない頭蓋骨を見るのは、とてもショッキングだ。」
女性研究員「この骨は6歳の子供のものです。目の縁(ふち)に切傷痕があります。顔全体ではなく、顔の一部だけが取り除かれているんです!」
ヘスター「我々は30の遺体を見つけた。10人は男、10人は女、そして10人は子供だ。私が驚いたのは、頭蓋骨の多さだ。」
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女性研究員「もっとも残酷な殺害は、赤ちゃんで、6ヶ月でした。殺戮者は首に一撃を加えましたが切り取ることはできませんでした。そこで今度は、首の後ろからも一撃を与えました。そして頭の後ろから前に向けても力強い一撃を。残忍で恐ろしい仕業としか言いようがありません。」

これらの殺害では、儀式として行われた人間の生贄の跡は見受けられなかった。なんらかの大惨事の衝撃の最中にあった社会で行われた、異常で残酷な殺戮ではなかろうか。
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ディック「マヤの消滅の理由が何であろうとも、それは何百万人もの人々の消滅を説明でき、かつ、マヤ地域全体に係るものでなければならない、と感じていた。東西南北に渡ってそれぞれ数百Kmの範囲で起きていた事象でなければならない。私はこれまで、数多くの説明に出会っている。それは戦争だったり、病だったり、農業生産性の後退だったり、植物の病気だったり、信仰上のいざこざだったり、とにかく沢山の説明があった。」
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ディックは当時のどんな理論にも納得がいかなかった。どの説明もマヤ崩壊の速度と規模を満たしていない。別の理由があったのに違いない。学会が無視してきた何かだ。
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ディック「そこで私は自然災害に目を向けることにした。この偉大な文明が短期間に終末を迎えることになる理由を説明する自然災害とは何だろう?」
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この時、ディックの頭の中には、ある一つの災害が思い浮かんでいた。彼自身がよく知っている自然の威力だ。
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ディック「私はテキサス人だ。旱魃(かんばつ)がどんなものかを知っている。大きな被害を受けたことがある。1950年代で私が子供の頃のことだ。テキサスは恐ろしい旱魃に襲われ荒廃してしまった。父はサン・アントニオの近くの高原地方に私を連れて行った。動物たちが死んでいくのを見たのを覚えている。灼熱地獄のようだった。旱(ひでり)は連日、終わりがないかのように続いた。それを止めることなど誰にもできなかった。旱魃は何の前触れもなく始まり、終わりが来た時も突然だった。本当に劇的な体験だった。その体験は私の記憶の中に強く焼き付いていて、明確な理解を与えてくれる。旱魃は、過酷で破壊的な力を持っているってね。」
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マヤが渇水だったと、懐疑的な考古学者に説得するのは困難なことだとディックは悟った。彼の理論は一つの大きな、そしてかなり明確な問題を抱えていたのだ。ティカールがあるのは熱帯雨林の中心だ!
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ディック「多くの同僚が、マヤの低地の多くで旱魃が起こり得る可能性を受け入れることに難色を示したのはよく理解できる。ここティカールは、周りを見ればわかるように、樹木が生い茂り、鸚鵡(おうむ)は木々の間を飛び交っているし、大嘴鳥(オオハシ)は枝に群がっている。今日も嵐のような降雨があったばかりだ。こんな所で、恐ろしい旱魃か起き、そのために偉大な文明が吹き飛ばされてしまったと説得するのはとても大変なことだ。誰でも受け入れがたいだろう。反直感的counterintuitive過ぎるよ。」
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しかし現代から得られる手掛かりは、ディックの考えがそれほど奇抜なものではないかもしれないことを示している。ここでは、1千2百年前の大惨事を生き延びた数少ないマヤ人の子孫たちが雨の到来を祈念している!この密(ひそ)かな儀式は毎年、乾季の終わりに執り行われる。
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女たちが神への貢物を準備している間、男たちはマヤ文化とキリスト教が混ざり合った儀式を行う。彼らの祖先がしていた通りの方法で、間違いなく雨を降らせてくれるように神に祈るのだ。
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ディックは古代マヤが恐ろしい旱魃に襲われた証拠を求めてティカールに戻った。湖や川から離れたティカールの人々は、1年間に4,5ヶ月降り続く夏の雨だけを拠り所にしていた。ディックは町全体が水を溜める設計に基づいていたことに気付き、喜んだ。広場や通りには傾斜が付けられ、雨水を何十もの貯水池に流し込むよう工夫されていた。
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現地人ガイド「ティカールに暮らす人々の重要な問題の一つは水だったんです。ここには川や湖や地下水がありません。その問題に対応するため・・・」
ディックは、レフィーノ・オルティゾという現地人ガイドを雇って付近を調べることにした。オルティゾは町の隅々まで知っていた。
ガイド「ここにあるのは貯水池です。ティカールにある最も大きな貯水池の一つです。」
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ガイドはディックをティカールの隠された場所に案内した。そこには大きな貯水池がジャングルの中に潜(ひそ)んでいた。
ディック「どのくらいの深さですか?」
ガイド「頂上から底まで約33mです。」
ディック「どのくらいの量の水が溜まっていたんでしょう?」
ガイド「およそ4百万リットルです。辺り一帯に降った雨がここに貯められていました。雨が降らなければ、大きな問題が起きていたと思います。」
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ティカールでは乾季における飲み水の水源は貯水池だけだった。雨季の雨が貯水池を満たすことがなければ深刻な問題に直面していたはずだ。
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しかし、旱魃が発生したのだろうということについて、ディックは更なる証拠を必要としていた。そこで彼はメキシコシティを訪れることにした。うれしいことに、そこで彼は、町の気候に関する入念な記録の中に、探していたものを見つけることが出来た。
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ディック「記録を調べたら、前の世紀(mh20世紀です)に大きな旱魃があったことが分かった。具体的には1902年、1903年、1904年に起きている。とても稀な、大きな旱魃だ。ここに残されている数百年の記録の中から、そんな現象が現実に起きていたことを見つけられたなんてとても幸運だ。」
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3年間続いた旱魃は、決定的な旱魃が起こり得るということだけではなく、現実に起こったという証拠をディックに提供してくれた。
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ディック「本当に特別な瞬間だった。恐ろしい旱魃は少なくとも一回は起きていたはずだ。2回かも知れない。そんな時にマヤが消滅していったんだ。」
しかし、この100年間で起きた一つの破壊的な旱魃だけで、彼の理論の全てを証明することは出来ない。もっと時間を遡(さかのぼ)って調査しなければならない!

メキシコの歴史をもっと掘り下げるため、ディックは考えもしていなかった場所を訪れねばならなかった。町の刑務所だ!
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そこに残されている古文書の中に、手書きの一風変わった本があるのだ。いくつかは16世紀まで遡る古い本だ。
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記録「ひどい旱魃だ。食料は何もない!」「水をもらえずに死んだ者がいる!」

数か月かけて調べた結果、古代マヤの中心地だったメキシコ・ユカタン半島で悲惨な旱魃が起きていたことをディックは発見したのだ。
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ディック「本の中に残されている記事はメキシコシティやマドリッドにいる上役に報告するためにスペイン植民地の役人が書き記したものだ。例えばここには“助けて下さい!”と書いてある。1795年、穀物の収穫は悲惨な状態だった。食糧不足で、過去にも起きていた大量死がまた繰り返されるのではないかと恐れ、助けを求めている!」
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ディックは、自分が追い求めている方向が正しいことを確信した。

今や彼はひどい旱魃が何度か起きていた証拠を手にしていた。しかし、それだけでは十分ではない。9世紀に遡った旱魃の記録は見つかっていないのだ!

ディックは全く新しい方向から調べてみることにした。彼は気象学を研究し、何百もの報告書の中からマヤの崩壊に光を当ててくれる記録がないか探し始めた。
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ディック「私は気象現象が他の場所から隔離されて起きるものだとは思わない。気象現象は世界的な関連の中で起きるのだ。そこで私は世界中での古代の気象記録を調べ始めた。マヤが消滅した頃、世界でどんな気象変化が起きていたのかを掴むためだ。北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、アジア、ヨーロッパなどから記録を集めて調べてみた。」

ヨーロッパからの記録の中で大きなヒントが見つかった。“北スウェーデンにおける年輪史学、質量バランスと植物領域の変動”という妙なタイトルの報告書だ。彼が着目している時代、つまりマヤが崩壊した1千2百年前と同じ時期に、スウェーデンの樹木の年輪が、例外的ともいえる寒気の到来を示していた。
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しかし、ヨーロッパでの凍(こご)えつくような寒気が中央アメリカの旱魃と関係あるのだろうか?専門家たちはとても懐疑的だった。

ディック「まず私がしたことは著名で信頼できる気象学者に接触し、これらにどんな関係があるのか訊いてみることだった。しかし、その時まで、誰も、このような記録を見たことがなかったのだ。これでは駄目かも知れないと直ぐに思った。私が受け取った手紙は一つだけだった。“あなたの考えには飛躍がありすぎ、勘(かんhunch)としか言いようがない”というんだ。人々は勘を持っていて勘に頼るものだ。これが私の勘だって思った。私はその勘を頼りに調査を進めているんだって。」
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ディックはまた記録の分析に戻った。調べ始めるに当たり、最適な視点は、ヨーロッパと中央アメリカの気候を関係づけている北大西洋の高気圧の形態だった。それは目がくらむような大変な作業になった。
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ディック「私は何千ページもの、数字だけが並ぶ記録を調べた。ページごとに、並んでいる沢山の数字の中から、最も大きな数字を見つけ出す。調べなければいけないページ数は何千もある!気が遠くなる作業だった。」

彼は2年を注ぎ込んで、20世紀の記録についてチェックした。しかし、そこで発見したものは“啓示revelation”と言えるものだった。
高気圧がある場所は穏やかで安定した気候と関連している。北大西洋には通常、特にヨーロッパの近くに滞在している高気圧系がある。
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多くの場合、この高気圧系は北大西洋に定着していた。しかし、20世紀のある時期、中央アメリカの方向にシフトしていたのだ!
ディック「その時、マヤ文明があった中南米一帯でひどい旱魃が起きていた。しかも、北極では20世紀における最低温を記録している!」
つまりディックが見つけ出したのは、大西洋を挟んだ2つの気象系は関係していたということだった。
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彼はついに、自らの理論を確実に出来ることになったのだろうか?
それを語ることが出来る人間はたった一人だった。気象モデル家のトニー・ブロッコリーだ。
トニー「私はコンピュータを使って世界の気象を変えることが出来る。極地や蒸し暑い熱帯になど行く必要がない。オフィスの椅子に座り、快適な環境の中でシミュレーションを行うのだ。キーボードを叩けば、例えば太陽を強く、明るくすることもできるし、アフリカの熱帯雨林の雨がどうなるか、合衆国の中西部の旱魃がどうなるかを言い当てることが出来る。」
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トニーは、彼の仮想世界の中で彼独特の世界気象の全貌を見ることが出来る。

トニー「この図はある年のある時期における世界中での降水分布を表わしている。1月の例で、特徴的なのは、雨の帯が熱帯全体に広がっていることだ。これを2,3、4月と順に見ていくと、雨が北方向にずれていくのが判る。6,7,8、9月になると雨は中央アメリカまで北上している。」
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トニーは雨の帯が中央アメリカに近づかない時、旱魃が起きているかも知れないと言う。
赤道上に雨の帯がある状態から始め、気温を少し下げていくと、効果は劇的だった。雨の帯は南に押し下げられ、中央アメリカに到達しない。
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その結果は旱魃だ!
トニー「熱帯の雨の帯の位置に関係する比較的小さな変化で、中央アメリカで大雨が降ったり、旱魃が起きたりすることが十分考えられる。」
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ディックは、確信を深めた。旱魃がマヤを破壊したのだ!

彼の理論への支援はもっとも驚くべき所からやってきた。凍(こお)りつく北極地だ。
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古代の気象に関する専門家ポール・マヤスキーは異例な気象状況が起きたというディックの考えに強い興味を持った。ポールはオフィスで温まっているよりグリーンランドの凍(い)てつくような場所を好むタイプで、そこで氷の中の化学物質を分析しているのだ。氷の塊の美しさは何年もの積み重なりで生まれる。こうして積み重なった氷の層は過去の気候に関する確実な証拠を閉じ込めて保存している。
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ポール「今、部屋の外に出たら、曇りだとか、寒いとか気付くだろう。それでも、大洋が嵐だったら温室ガス濃度は分からない。しかし、氷の塊は昔に遡って多くのことを教えてくれる。過去の部屋の外の空気の様子まで判るんだ。」
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ポールは氷の塊から、世界の気象に関する正確な歴史を構築していた。ディックの旱魃理論を耳にした時、彼は持っていた9世紀の記録を調べてみることにした。北半球における劇的な気象変化の証拠を見つけることは出来たのだろうか?
ポール「最初に調べたのは、アンモニアの記録だ。アンモニアは大気中に含まれる化学物質で、植物の状況を知ることが出来る。沢山の食物があれば、恐らく暖かくて湿度が高くて、大気中のアンモニアは多い。少なければ、例えば旱魃だったかも知れない。植物は少なく、大地は乾燥していただろう。」
1千2百年前の氷を調べたポールは驚いた。
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ポール「びっくりする程アンモニアの低下が起きていたんだ。こんな乾燥状態は恐らく3千年に一度だろう。」
氷の塊はディックの“勘”を裏付けてくれた。マヤが崩壊したまさにその時、北半球は乾燥し、寒い時期だった。マヤの一帯で旱魃が起きてもいい状態だったのだ。
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しかし、考古学者たちは、まだ信用していなかった。もし、そのような激しい旱魃が起きていたとすれば、何故、マヤの記録の中に残されていないのか?
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マヤ遺跡の彫り物の中には支配的な王国や神々の偉大な戦いの様子がマヤ文字で記録されている。しかし旱魃については何も語っていない!
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ディック「そこで私はマヤが旱魃について何か書き残していないか調べてみることに決めた。記念碑や建物の中には、旱魃の記録が見つかっていない。しかし、もし旱魃がマヤの日常生活で考えられる現象だったなら、どこかに記録されていたはずだと思った。」
すると彼は、幸運に出くわした。マヤ人によって書かれた極めて少ない本に出合ったのだ。スペイン人による破壊を免れた数少ない本の一つだ。
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ディック「私は、この貴重な本の中で、マヤ人が旱魃について何か書き残していないかを調べてみた。すると、最後のページの隅に、見つかった。この文字は旱魃を表わすヒエログリフだ。彼らは旱魃について記していた。旱魃は日常生活の中でも起こっていたのだ。これがその証拠だ。」
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それは正に彼が捜していた過去からの声だった。

しかし、彼が捜し、積み重ねて来た全ての証拠にも拘わらず、彼の理論は、今もって、考古学者たちから疑問視されていた。

ディック「旱魃がマヤ崩壊の答えであるという考えは、私の多くの同僚や考古学者たちにとって信じがたいものだった。進歩的な文明の崩壊の原因というものは、複雑な説明が必要なのだと言うのがその時点での考えだった。単純な、例えばそれは旱魃だ、という考えは、あまりに単純すぎるというんだ。“単純人Simpleton”が提案した単純simpleな意見じゃあないのかって言われた。」
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しかし、ディックが心から捜し求めていた最後の手掛かりは、直ぐそこまでやって来ていたのだ!
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それは正に青天の霹靂(へきれき)とも言えるものだった。ある発見が3人の地質学者geologistによって行われた。彼らはマヤの歴史に特別の関心を持っていたわけではなかった。
フロリダ大学の3人のチームは、お気に入りの場所での気象関連の歴史について調べてみようということになり、メキシコのユカタンを訪れた。
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メンバー「基本的な考えは、ユカタンの気象がどうだったのか、過去の数千年の間、どのように変化していたのか、を調べてみようかというものだった。特に関心があったのは、雨の変化を知ることだった。」
彼らの関心の焦点は湖の底だった。泥が過去の気候の秘密を抱え持っている!
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彼らは湖底に沈殿した泥の塊を各層ごとに採取し数千年分のサンプルを取得した。
メンバー「沈殿物は環境に関する情報を捕(とら)えて保存しているんだ。花粉や、貝、木の葉、小枝なんかをね。」
ボーリングを進めていると、ある沈殿層に驚くべき結果が見つかった。激しい旱魃の痕跡だと直ぐ気付いた。
メンバー「ある部分の泥の塊の中に見事なジプソン層(?)があった。それは極度な旱魃状態を示すもので、過去のある時期、湖の水位がとても低かった証拠だ。」
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研究室に戻って調べてみると、新たな驚きがあったのだ。

ボーリング層からは小さな貝殻が見つかった。
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水中の貝殻には2種類の酸素が閉じ込められている。重い酸素と軽い酸素だ。雨が多い時は軽い水素が支配している。重い水素が多ければ乾燥していたことを意味する。貝殻を分析して彼らは驚かされた。重い酸素がある時期に急増している!過去の7千年で最悪の旱魃が起きていたのだ!
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しかし、この黙示録的な旱魃が正確にいつ起きたのかを知る手段が無かった。すると、また幸運が起きた。泥の塊の最も乾燥した部分から、必要としていたものが見つかったのだ。一つの種(たね)だ。
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研究室に送って炭素年代測定してもらった。
メンバー「その結果を初めて見た時は正(まさ)にに“ユリカ(注)”体験だった。この旱魃が偶然、9世紀に起きたマヤ文明の崩壊と一致していることに気付いたんだ。」
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(注:“ユリカ”は風呂に入っていたアルキメデスが王冠の堆積を求める方法に気付き、風呂を飛び出して裸で通りを走りながら発した言葉で“分かったぞ!”という意味です。)

ディック「そのニュースを聞いた時、私はとても救われた気分だった。これこそが私の理論を支持してくれる最後の証拠だと思った。私の理論を初めて提案した時、物理的な証拠は何もなかった。でも今は“見てごらん、証拠はここにある”って言えるようになったんだ。とても興奮している。」
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ディック「私の理論が単なる理論だった間、同僚や考古学者たちは懐疑的だった。その理由は私にもよくわかる。しかし、マヤの湖の底から確固たる証拠を掴んだ今なら、多分、とうとう、人々は私の理論を真面目に考え始めてくれるだろう。」
凍りつく北極圏から熱帯の中央アメリカまで、希少なスペイン語の書類から、古代マヤの本まで、ディックは世界中から手掛かりを集めることが出来た。しかし、彼に最終的な科学的証拠をもたらしてくれたのはメキシコの湖底の泥の塊だった。それはマヤ文明が恐ろしい自然の力で破壊されたという証拠だ!
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それは身が引き締まるようなシナリオだった。旱魃の影響が現れ始めると、マヤの人々は彼らを支配していた祈祷師たちに目を向けるようになった。祈祷師たちは、超人的な力と神々との直接的な接触を使ってマヤを救済しなければならなかったはずだ。しかし、彼らは無力だったのだ。次に起きたことは30人の男女や子供の残酷な殺戮だった。
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頭蓋骨に残されている歯を詳細に調べてみたら、ある家族のものだった。いくつかの歯はヤスリで磨かれ、先が尖(とが)っていた。
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ある歯には貴石が嵌め込まれていた。
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女性研究員「マヤの社会では、この歯は身分を象徴していたの。身分の高い人が、自分が誰かを示すためにやっていたの。普通の人には、この習慣はなかったのよ。」

殺害された家族は上流階級の祈祷師だったかも知れない。彼らは役割を果たすことが出来ず、神を宥(なだ)めるための捧げ物として虐殺されたのだろう。

殺害の後も、逆上と残忍性が続いた。
女性研究員「これは若い女性の頭蓋骨よ。焼かれているの。黒い部分があるのは、頭がまだ新鮮な時に低い温度で焼かれた証拠よ。死の直後だと思うわ。」
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マヤの人々の中に芽生え、拡大していった恐怖から人々を救いだしてくれるものは何もなかった。神々は彼らを裏切り、彼らの貯水池は干上がっていった。飲み水は無くなり、農作物の収穫も失敗した。食料は何もなかった。そしてマヤの文明は破壊されてしまったのだ。
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ディック「旱魃が一帯で激しくなっていた時、その影響はあまりに強大で、人間はあまりに非力で、どんな回避策も打つことが出来なかった。旱魃を避けるために出来ることは少ない。宗教的な儀式も十分じゃあない。旱魃を避けて田畑で出来ることは少ない。旱魃が襲ってくると、それは人々の責任じゃあなく、彼らが出来ることは無く、彼らは犠牲者で、問題の加害者じゃあないんだ。」
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今日、この古代の黙示録を生き残ったマヤの人々は、彼らの祖先たちがやっていた儀式を続けている。しかし、彼らは、かつて繁栄していた都市には戻らない。そこは永遠に放棄されたのだ。
ディック「ある種の満足感は感じている。マヤに何が起きたのか、とうとう理解することが出来たからね。しかし、人間として考えれば、マヤの人々に起きたことはとても恐ろしい出来事だったんだ。その出来事がマヤの文明に最後をもたらすことになったんだから。」
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Ancient Apocalypse - The Maya Collapse
https://www.youtube.com/watch?v=bjj0HznCYgA&nohtml5=False

ブログ「エジプト第一中間期の不思議」では、旱魃でナイルの水量が大幅に減り、飢饉が起きたことがエジプト帝国崩壊の原因だという仮説をご紹介しましたが、今回もまた旱魃だったと言う訳です。

実は、文明の崩壊は旱魃で起きる可能性が高いとの専門家の見方があります。文明が発祥するのは、凡そ、川が流れている場所です。川の水を引いて田畑を作り、穀物を収穫することで、安定した生活が確保されると文明が芽生えます。旱魃で川の水が大幅に減少すれば、古代の脆弱な文明は有効な回避策を打てずに崩壊してしまうのは道理と言えるかも知れません。
幸いにして海で囲まれた我が国は、旱魃が起きづらく、念のため、大量の海水を淡水に変えて農業に使う技術を確立してでもおけば、旱魃で崩壊する心配は無用です。何度も言いましたが、海で囲まれた島国の日本は旱魃ばかりでなく、国境紛争からも程遠い恵まれた国だと思います。しかし、北方四島、竹島、尖閣諸島では、近隣諸国ともめていますから、世の中、簡単な理屈で測ることは出来ませんねぇ。日本文化の崩壊が訪れるとすれば、その原因は戦争ということでしょうか。
(完)

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