Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エル・ドラドの不思議Prt-2


コロンビアの首都ボゴタ(コロンビアの中心の白文字です)
b0801.png
その北北東約30Kmに今回の舞台の一つ、グワタビタ湖があります。直径約200m。
b0802.png
湖畔の北東には湖水が流れ出す川のようなものが・・・
実はこの川は・・・
詳細はこのブログでご確認下さい!

Google Earthによれば湖面の標高は2584m。ボゴタは2555m。日本の浅間山山頂(同2568)とほぼ同じです。
b0803.png
で~グワタビタ湖と伝説の都市エル・ドラドの関係とは何か?
それはこれからYoutube 「The Search For El Doradoエル・ドラドを探して」でご紹介しましょう。なお、以前にエル・ドラドに関するブログをご紹介していますので、今回はPart-2とさせて頂きました。

・・・・・・・・・・・・
16世紀初め、スペイン人の冒険家たちを満載した船は、新大陸の富を略奪しようと、幾たびも大西洋を渡った。コンキスタドールたちは、何よりも、ある一つの噂話に魅せられていた。エル・ドラドと呼ばれる、黄金で出来た秘密のインディアン都市があるという。
b0804.png
黄金を手に入れる欲望を抱えたスペイン人たちは、未開のジャングルや高地の奥深くまで分け入り、彼らを驚愕させ、彼らに衝撃を与える世界に出会った。
コンキスタドールの話は過去のものになった。しかし、失われた都市の探求は決して終わっていない。そして今、エル・ドラドの真実に光が当たろうとしている。エル・ドラドの探求は恐らくこれで完了するのだ。

“神のため、栄光のため、そして黄金のため”というのがコンキスタドールの合い言葉だった。彼らは、1500年代を通じてずっと、現地人から価値のある何かを奪い取ろうとして中央アメリカや南アメリカに流れ込んで来た。彼らが最も欲しがっていたのは黄金だった。
b0805.png
新世界の富に眩惑させられていたカソリックの征服者たちにとって、現地で見るインディアンの生活の様子は期待外れだった。ミイラになった祖先たちに指揮されている軍隊を持つ現地人の文化とは一体なんなんだ?子供達は生贄として太陽に捧げられている!神々は黄金の像とともに崇められている!

インディアンもまた強欲なヨーロッパからの敵兵たちに当惑させられていた。コンキスタドールの黄金に対する暴力的なまでの欲望は何からきているのか?彼らは黄金を食べて生きているのではないのか?インディアンたちは、幾度となく、憤慨しては、捕えたコンキスタドールの喉(のど)に溶けた黄金を注ぎ込んだという。
b0806.png
しかし、現地人の抵抗もスペインの火器の前には無力だった。次から次へと侵略者たちによって村や町は陥落していった。1520年代、ヘルナンド・コルテーズはアズテク帝国を転覆させた。その凡そ10年後、フランシスコ・ピサロはペルーのインカを支配し、その当時だけで6トンものインカの黄金を略奪した。
b0807.png
インディアンたちの帝国が征服され、彼らの富が略奪されるにつれ、もっと多くの富が手に入れられるだろうとの噂が根付いていった。草を抜いてみれば根の先まで黄金で出来ているような都市や王国があるのではないのか?

彼らがこれまでに見つけた物を考えると、何だって考えられる、と歴史家マイケル・フランシスは言う。
b0808.png
マイケル「ペルーにはまだ知られていない所があって、探せば何だって見つかると彼らは考えていたんだ。別の王国が、黄金に溢れた神秘的な王国があるって。その考えが何十年もの間、人々をその気にさせ、何度も何度も、黄金を見つけようと探検が行われていた。」

コロンビアのカリブ海に面したカルタヘナCartagena港は、かつて、多くの探検の起点になった場所だ。
b0809.png
16世紀は、忙しい所だった。ここからスペインに戻る全ての船には、インディアンの黄金が満載されていなければならなかった。黄金に飢えたコンキスタドールたちは、富を掴むことを夢見てスペインからやってくると、ここで下船して新大陸に入っていった。
b0810.png

1536年、エル・ドラドの手掛かりを与えてくれるかも知れない一つの探検隊がカリブ海の海岸を発っていった。エル・ドラドの探検隊の多くは軍の指揮官によって統率されていたが、この探検隊を指揮していたのは法律家で、ゴンザロ・ヒメネ・カサダという男だった。
b0811.png
彼は陸を横断するルートを採ってインカの黄金の土地を目指した。地図にも無かったマグダレナ川に沿って南下し、南米の内陸に向かって進んでいった。
b0812.png
まだヨーロッパ人の誰もが探検したことがない黄金都市が隠されている場所はこのルートのどこかにあったのだろうか?
b0813.png
カサダが率いていた多くの兵士たちは何も見つけなかった。数週間すると探検隊の4分の3の600人が病や飢え、日射病やインディアンの攻撃で死んでしまった。
b0814.png
16世紀のコンキスタドールたちの世界では、死者を弔うため時間をかけることはしなかった。当時のスペインの歴史書によれば“最後のあがきで突き出された手は、時には大地の上にそのまま残され、黄金を求めて旅を続ける男たちに最後の別れを送っているかのように見えた。”
b0815.png
ケサダは、戻ろうかと考えていた。黄金は見つからないし、黄金の王国もない。探検隊は枯渇し、落胆し、ペルーへ到着する機会も減るばかりだった。そんな時、偶然、インディアンの集団に出会い、ケサダは直ぐに考えを変えた。彼らは塩の塊と複雑な模様が織り込まれた布を運んでいた。
b0816.png
洗練された製品だ!
b0817.png
マイケル「ケサダたちには、それが文明化された社会の証拠に思えた。どこで手に入れたのかとインディアンに訊くと、東にある山岳地帯の方向を指さした。そこでケサダはマグダレナ川沿いのルートから山岳ルートに切り替えて高地を目指した。」
b0818.png
ケサダと彼の疲れ切った探検隊は数か月かけてアンデスを登り、美しい高地に辿り着いた。そこには多様な自然が溢れていた。ケサダはその一帯をニュー・グラナダと呼んだ。スペイン人たちにとって驚きだったことに、一帯は十分に開拓され、ムイスカMuiscaと呼ばれる人々が大勢暮らしていた。
b0819.png
スペイン人が出会ったムイスカ文明は、既に数千年も前に生まれていた。エル・ドラドの人々なのだろうか?儀式で沢山の黄金を使っているようだ。
b0820.png
以降、ムイスカ文化は長い間、歴史から消え失せ、ケサダが最初に出会ったムイスカの世界の痕跡は今ではほとんど残っていない。4世紀前のスペインの歴史書の中に残されているだけだ。
b0821.png
マイケル「ある意味で本当の悲劇は、インディアン自身が残した記録が全くないことだ。全て、スペイン人の目を通して翻訳され、理解されたものしかない。しかし、その中からも、昔のインディアンたちの微かな声を聴き、彼らの様子を垣間見ることはできる。」

コロンビアの人類学者カール・ランゲバエクも、失われたインディアンの文明に魅せられている一人だ。
b0822.png
宝物を執拗に探していたコンキスタドールたちが偶然、初めて出会ったという高度な社会を理解しょうと、ムイスカの領地でいろいろな角度から調査している。
カール「インディアンたちは、この辺り一帯をエラ・フロラド(?)と呼んでいた。彼らは間違いなく、黄金を使っていた。ここは、コロンビアの他の社会と比べても、大勢の人々が暮らす一帯だった。棲み着くと人口は急速に増えたようだ。」
エル・ドラドへの鍵をムイスカが持っているなら、ささやかであろうとも、その印が足元の下に残っているはずだ。考古学者たちは、時々、ムイスカの土器や織物を地中から見つけている。
b0823.png
しかし、彼らの世界のほとんどは失われたままだ。ムイスカはいろいろな物を壊れやすい材料で造っていたので、多くが大地の中で形を失ってしまったのだ。
b0824.png
時々、古代の家の柱の穴の跡が見つかっている。これらと、スペイン人の記録とを突き合わせてみると、16世紀のムイスカの生活の驚くべき一面が見えてくる。木や竹で作られ、屋根は長い葦で覆われた家々が立ち並ぶこの一帯はこのように見えていたらしい。
b0825.png
コンキスタドールは、家が沢山並び、近くの村人や物品の交流で賑わっている様子を見て驚き、人々のことをムイスカMuiscaと呼ぶことにした。
マイケル「巣に群がる蜂を思い浮かべたようだ。辺り一帯に人や家が群がっている。人々がまるでハエのように見えのだろう。ハエのスペイン語はモスカmoscasだ。この言葉からムイスカと名付けられた。」
ムイスカのテリトリーは、当時としては、人が密集する場所だった。凡そ50万のインディアンがオランダと同じ面積に暮らしていた。ケサダの士気も上がったに違いない。こんな大きな社会で、こんなにも文明化しているとなれば、その意味するところは黄金だ!
b0826.png
そこは、スペイン人を魅惑し、ルートを変えることになった複雑な織物と塩の塊の産地だった。疲れ切った探検者たちには、塩さえも黄金に見えていたかも知れない。彼らは持ってきたものは全て食べ尽くしていた。尿さえも乾かして命綱のミネラルとして口にしていた。しかしムイスカは山ほどの塩を持っていた。文字通り、ムイスカには塩の山があったのだ。
b0827.png
これは最近の岩塩採掘トンネルで、岩塩で出来た大きな丘深くまで掘られている。
b0828.png
当時、インディアンは丘の上で、別の方法で岩塩を採取していた。スペイン人はムイスカの岩塩採取作業を見ていた。丘から湧き出る塩水を沸騰し、持ち運びが容易な塩の塊にしていたのだ。
b0829.png
旅で出会った人々は衣服らしい衣服は身に付けていなかったが、ここムイスカでは、人々が複雑に織りこまれた外套(がいとう)を着ているのを見てスペイン人は感激した。
b0830.png
しかし、彼らが渇望していた黄金は、見当たらなかった。

170人まで減少し、弱り衰えてしまっていた一行は更に南を目指した。そしてムイスカの社会に入ってから数週間後、コンキスタドールたちは、初めて、捜し求めていたものを垣間見る感激に出くわした。
b0831.png
マイケル「屋根の天辺に黄金が吊り下げられていたのではないかと思っている。風が吹くと、金属音が響き渡り、心がかき乱されたことだろう。“ここは第二のペルーだ。とうとう別の黄金都市を見つけたのだ”って。」
b0832.png
とうとう、スペイン人たちは求めていた富の確証に辿り着いたのだ!ここのインディアンは住居を黄金で飾っている!もっと沢山の黄金が見つかるはずだ!
b0833.png
ケサダと彼の一行は失望してはいなかった。ムイスカの領地の奥深くで、コンキスタドールたちは美しい黄金の飾りで囲まれた場所を見つけた。これが噂の黄金の王国なのだろうか?
b0834.png
ムイスカの金工芸の例は僅かだが今も残っている。スペイン人たちは、見つけた金工芸は全て溶かし、金塊にして持ち出していた。しかし、残されていた金工芸から、ムイスカは黄金を持っていただけではなく、それを見事な芸術品に仕上げる技術を持っていたことが判る。
オロ博物館員ジュアニタ「驚くべきことに、その工芸品はとても繊細で、今でも、そんなに薄くて繊細な品物を造るのは不可能かもしれないくらいなのよ。」
b0835.png
それはスペイン人だけではなく、現代人にも驚きの金細工だったのだ。ヨーロッパでルネッサンスの時代、ムイスカは既に金細工の手法を開発し習得していた。彼らの特徴はロストワックス法だ。製品の形をワックスで造り、これを粘土のケースで固める。
b0836.png
その後、粘土の中のワックスを溶かして出来た空洞に、溶けた金を流し込む。この技術は、黄金の飾りを作るためだけではなく、インディアンに固有の製品を作るためにも使われていた。
この人形figurineはトゥーホスと呼ばれているもので、ムイスカの世界を黄金で描き出したものだ。
b0837.png
こういった小さな黄金の製品は、黄金に対するコンキスタドールたちの欲望を更に磨き上げていったに違いない。
b0838.png
しかし、コンキスタドールたちにはトゥーホスがムイスカの文化を表現していることなど関心がなかった。もし、関心を持っていたなら、彼らはエル・ドラドの謎を解く鍵を手にしていたかも知れない。黄金のハンモック、子供たち、ムイスカの祈祷師、
b0839.png
枠で囲まれた輿(こし)に乗った黄金の族長、ムイスカの戦士。

ジュアニタ「この像は頭飾りをつけているわ。頬(ほほ)からは飾りが釣り下がっていて、首や胸にも飾りが付いているの。」
b0840.png
ムイスカは黄金の槍投げ機のレプリカも造っていた。
b0841.png
彼らは、黄金に飢えたコンキスタドールたちの侵略を止めようと槍投げ機を使ったようだが、対抗することは出来なかった。スペイン人略奪者たちは、更なる黄金を、エル・ドラドを求めて攻め込んで来たのだ。
b0842.png
多くの軍勢を連れてやってきたスペイン人のクエサダは、ムイスカの領地の南部にサンタフェ・デ・ボゴタという町を造った。数世紀後、ボゴタは8百万人が暮らすコロンビアの首都になっている。
b0843.png
近代的な大都市が横たわるこの谷間は、ケサダがやって来た時、既にムイスカが大勢暮らす一帯だった。スペイン人の記録によれば、この谷には見事な建物があったという。木造の王宮だ。しかし、それがどんなに黄金に輝いていたとしても、ボゴタはエル・ドラドではなかった。仮に沢山の黄金があったとしても、ケサダがやって来る前、ムイスカの族長によって神に捧げられ、大半は無くなっていた。

ケサダは落胆したが、多くの黄金があるとの新たな噂に引かれ、ボゴタから北に向かって再び出発した。彼は別の部族長の首都だったトゥーンハーという町を攻撃し、略奪した。そしてソガモーサに向かった。
b0844.png
そこはムイスカの人々にとって最も神聖な都市だった。

占領者たちの歴史書によれば、神聖な都市ソガモーサで、ムイスカの領土で最も大きな建物を見つけたという。
b0845.png
ムイスカの太陽の寺院で位の高い祈祷師が住む場所だ。そこには一般のムイスカ人は入ることが出来なかった。呪いが身に降り懸かると恐れられていたのだ。しかし、それがコンキスタドールたちの侵入を止めることは無かった。太陽の寺院には、夢に見ていた通り、黄金があった。
b0846.png
黄金はムイスカの神聖な世界の中心にあるものだったのだ。建物の壁に沿って座っていたミイラたちは黄金や宝石で飾り立てられていた。
b0847.png
木の柱は黄金の板で巻かれていた。

コンキスタドールたちは黄金を略奪し終えると寺院に火を放って焼いてしまった。ボゴタ以降、略奪を続けてきたケサダたちは黄金を馬に積み込める形の大きさにした。トゥーンハーの町からだけでも、彼らは現在の市場価格で6億円相当の黄金を略奪していた。しかし、それで満足することはなかった。黄金都市はどこだ?黄金の金鉱はどこだ?
b0848.png

マイケル「彼らは信じられない程の大量の黄金を集めた。記録によれば、その後20年間、彼らはこの地で黄金探しを続けたようだ。」
今や、エル・ドラドの探求にはインディアンの金鉱までもが含まれるようになっていたのだ。

実際、ケサダは鉱山を発見していた。その鉱山は今日も稼働している。しかし、それは彼が見つけようとしていた鉱山ではない。エメラルド鉱山だ。
b0849.png
一人の歴史記録家は、その時のコンキスタドールたちの喜びの様子をこう書き記している。“これまで、世の中にはエメラルドに関する多くの意見があった。しかし、どんなキリスト教徒も異端な王子も、このようなエメラルドの鉱山があることは知らないだろう。”
b0850.png
スペイン人たちは熟練したムイスカ人が木の棒を使って岩肌から巨大なエメラルドを掘り出し、水の流れの中で磨くのを見て、目を見張った。この処理方法は、エメラルド鉱山の廃棄物の中からエメラルドを探している人々が今日でも行っている。
b0851.png
ムイスカのエメラルドの源を見つけ出した後、コンキスタドールたちは金鉱探索を続けた。その後、多くの時間をかけたが、間違った場所を探しているのではないのだろうかと考え始めるようになった。しかし、エメラルドはヒントを持っていたのだ。何故ならエメラルドは岩塩の塊や綿織物と共にムイスカが黄金を獲得するシステムの一部だったからだ。スペイン人にも御馴染みのシステムだが、当時の南アメリカの人々には特別だったかもしれない。市場だ!
b0852.png
マイケル「歴史家たちは、現地の人々が商人として物々交換の手法に長けていることを最初から褒め称えていた。人々は物を交換することに幸せを感じていた。こういう人たちが戦いを好むわけはない。交易している時、彼らは幸せだったんだ。」

この市場は、スペインの占領以前から続いている。ここにはムイスカの黄金の出処に関するヒントだけではなく、人々の考え方に関するヒントもある。
b0853.png
人類学者カール「“現地の人々は肌が黒く背が低い。南アメリカ社会では、人々は真っ直ぐの黒髪と黒い目を持っている。女性はとても美しい”とスペイン人占領者たちは記録に残している。」
b0854.png
ここでは、ムイスカの子孫は明確に見分けられる。スペインの占領で彼らの文化は破壊されたが、ムイスカの身体的な特徴は今も残っている。
b0855.png
4世紀半前のこのような市場で、スペイン人は、カリブ海や太平洋の海岸との交易でもたらされた貝殻、干し魚など、それまで目にしなかった製品に出会っていたことだろう。
b0856.png
そして、ここで、彼らは黄金も見たかも知れない。しかしそれはムイスカの金鉱で採れたものではない。コンキスタドールたちは、ムイスカが黄金を交易で手に入れていたことにやっと気付いた。100Km西のマグダレナ川の渓谷に暮らす人々が皿を使って、川から採取していたのだ!ムイスカが交易で黄金を得ていたということは、彼らの黄金には限度があるということだ。コンキスタドールが抱いていた黄金の王国の夢からは程遠い。

ケサダが黄金を略奪した後でも、ボゴタの一帯には無限の富があるという噂は消えることはなかった。何が、エル・ドラドの夢を生き延びらせることになったのだろう?
b0857.png
その答えは16世紀から17世紀にかけてのスペインの歴史書の中で見つかるかも知れない。というのは、その中では、黄金の王国が奇妙な強調を持って描かれているからだ。
b0858.png
エル・ドラドの伝説は、歴史家フェルナンド・デ・オヴィエドの作品の中で初めて現れた。
“OVIEDO CONQUISTA DE LAS INDIAS:オヴィエド;インディアスの征服”
b0859.png
ケサダによるムイスカ領地の占領から4年後の1541年に書かれた部分で、オヴィエドは初めて聞いた話として記している。それは王国についてのものではなく、王についての話だった!
b0860.png
“インディアンの話によれば、その族長はとても金持ちで偉大な支配者だった。彼は、毎日、粘々(ねばねば)したものを身に塗って体を清めていた。それには黄金の粉が混ぜられていて、彼はそれを足の先から頭の頂まで塗っていたのだ。彼は輝いて、偉大な芸術家が作った黄金の像のように見えた。もし、この部族長がこんなことをしているとすれば、彼は高品質な金を沢山埋蔵した金鉱を持っているに違いない。”
b0861.png
オヴィエドの話の出処がどこかは誰も知っていない。しかし、エル・ドラドはその時点から、場所だけではなく、人物にも関係するようになった。黄金の族長が見つかれば、黄金都市があるはずだ。最初の探検が始まると、これに続くように次々に黄金の報酬を求める探検が続くことになった。
b0862.png
1569年、ケサダも新たな悲惨な探検を行っている。この探検では1千5百人ものスペイン人兵士やインディアンの荷運び人足(にんそく)が死んでいる。その10年後、80歳に近いケサダは夢を実現することなく死んだ。

それから凡そ半世紀後、スペインの歴史書は“新たな世代のコンキスタドールたちも、どこを探せばよいのか判っていないようだ”と記している。しかし、エル・ドラドを見つけることが、その黄金の部族長を見つけることだとすれば、その族長も加わったインディアンの儀式は黄金への道を示しているはずだ。
b0863.png
“この族長の領地には湖がある。年に数回、見事に仕上げられた筏(いかだ)に乗った族長は湖に乗り出す。彼は裸だが、体は足から頭まで、沢山の黄金の粉が混ぜられた粘々したテルピン油で塗られている。”
b0864.png
オヴィエドから80年後に書かれた歴史書の中で、黄金の部族長がまた現れた。この記録によれば、彼が黄金で覆われていただけではなく、彼や彼の部下たちは湖畔に立って黄金やエメラルドを湖に投げ込んでいる。
b0865.png
そして儀式の締めくくりでは部族長も湖に飛び込むのだ。

この儀式はグワタビタ湖で執り行われていた。ムイスカ領地の高地でボゴタから東に50Kmの所にある湖だ。グワタビタの湖底には膨大な黄金があるのだろうか?
b0866.png
エル・ドラドの探求は新たな目的地となった湖とともに再び息を吹き返した。今日のグワタビタ湖は穏やかで平和な所だ。しかし、いつもそうだったわけではない。エル・ドラドを見つけることに憑(と)りつかれた新時代の宝探したちが、かつてのコンキスタドールたちを上回る数でグワタビタ湖に押し寄せた。最初に現れたのは、初期のボゴタに定住した男だ。ワイン商人アントニオ・デ・セイプルヴェイダは1580年代に、湖の水を抜こうと試みた。工事につぎ込んだ人数は驚くべきものだった。セイプルヴェイダは8千人のインディアンたちに命じて深い溝を掘らせた。
b0867.png
それは暫くの間は上手くいった。実際の所、水位は20mも低下した。しかし、溝が崩壊し、多くの作業者が死んだ。セイプルヴェイダ自身もその事故で死んだ。彼はグワタビタ湖の丘の麓(ふもと)に埋葬された。

この壊滅的な事故にも拘(かか)わらず、宝を求める豪傑が続き、およそ4百年の間、グワタビタ湖は、発掘や水中遊泳探索や穿孔の対象になっていた。以降、わずかな黄金は見つかったが、それで誰かがひと財産を稼げるものではなく、エル・ドラドの夢を細々と生き延びらせる程度のものでしかなかった。

1904年、ある英国の会社が水門とフィルターを使って湖の水を抜くことにした。
b0868.png
この試みは成功した。しかし、湖底の泥の層は柔らかく、その上を歩くことは出来なかった。数日後には乾燥してコンクリートのように固くなってしまった。ドリルで壊そうと道具を準備し終えた頃には、湖にはまた、水が溜まり出していた。そして、結局、この計画も放棄されることになった。

その後の何回かの失敗の後、1965年、コロンビア政府は“グワタビタ湖は手を付けずにそっとしておかねばならない”と宣言し、以降、全ての調査は禁止されてしまった。
b0869.png
グワタビタ湖は黄金の部族長と彼の宝物で一杯の儀式に関する確かな証拠を提供することは無かった。エル・ドラドを探求する仕事は終わってしまったかに思われた。すると1969年、ボゴタの南の高地の洞窟の中で妙な物が見つかった。黄金の筏(いかだ)と、その中心には見事な黄金の部族長がいる!
b0870.png
彼は、公式の冠と儀式用の面を付けた付添人たちに囲まれている。全員が前を向いている。明らかに、重要な儀式を執り行っているのだ。
b0871.png
この発見に続くようにして、第二の、これに似た筏がムイスカの領地で見つかった。歴史家たちが書き残した説明を具体化する、触れることが出来る証拠がとうとう見つかったのだ!これらの証拠は噂の後ろに真実が潜んでいたことを示しているかのようだ。エル・ドラドの黄金の部族長は、実存していたのだ!しかし、この黄金は何だろう?その答えはムイスカの失われた神話と魔術の世界の中にある。

ヴィア・デ・レイヴァはムイスカの北部にある小さな植民地時代の町だ。スペイン人定住者が到着して直ぐに造られた町で、その後、今日まで、手が付けられずに残されている。
b0872.png
この町の周囲は強烈な日の光にさらされるインヘア・ニートと呼ばれる灼熱の砂漠地帯がある。そこに、ムイスカの奇妙な儀式場の跡が残っている。沢山の石が立っている奇妙な場所だ。
b0873.png
しかし全てが残されていた訳ではない。この場所の目的は謎のままだ。スペイン人の記録にも何も残されていない。彼らがやって来る前に、既に放棄されていたようだ。今日残されているものだけから、この場所を建設するためにムイスカがどれほどの努力を注入したのかを想像することは難しい。しかし、残っているものからどんな構造物があったのかを仮想すると、その規模は驚くべきものだ。
b0874.png
何故、この場所が造られたのか?どんな儀式が行われていたのか?エル・ドラドの黄金と結びつくどんな手掛かりを持っているのだろう?

最も可能性がある理論によれば、インヘア・ニートでは月や星や太陽を敬う儀式が行われていた。多くの古代人は天体には神々がいると信じていた。スペイン人の記録から、ムイスカも同じではないかと思われる。
b0875.png
人類学者カール「スペインの記録には、ムイスカは太陽を信仰していたと明記されている。言語からも太陽の重要さが判る。“スー”という太陽を表わす言葉は沢山残っている。」
スペイン人によって火を放たれ燃え落ちてしまったソガモーサの神聖な寺院は太陽を祀るものだった。寺院の中には大量の黄金があった。
b0876.png
ムイスカは太陽神の力が黄金の中に秘められていると考えていたのではないだろうか?英国人人類学者ニック・サンダースは、十分、可能性があると考えている。
ニック「黄金は、いろいろな意味で太陽の力を代表している。太陽の精神的な要素として、太陽の輝きとして、太陽の恵みの光として、黄金はムイスカの力と強く結びついていたのだ。」
インヘア・ニートと太陽の本当の関係は謎のままかもしれない。しかし、この場所は太陽とムイスカの黄金の関係を暗示している。それは豊穣を示すものだ。インヘア・ニートの石柱の何本かは間違いなく、巨大なペニスを表現している。
b0877.png
考古学者たちによれば、これらの遺跡は西暦880年頃に造られたという。農業や豊かな実りがムイスカにとって重要なものになりつつあったのだ。これが、ムイスカが黄金や神々を重視するようになった理由ではないのだろうか?
ニック「ムイスカの信仰で重要なのは、神に対する人々の献身の度合いだった。自然を正常に機能させるには、人々の努力が必要だと考えていた。その献身には生贄(いけにえ)も含まれていた。」
b0878.png
ムイスカが行っていた献身の中で最も驚くべきことは人間の生贄だ。黄金の像はムイスカが行っていた生贄の一例を表現している。生贄の目的で育てられていた少年が柱の頂に載せられ、彼に向けて吹き矢が放たれていた。
b0879.png
少年の血は容器に集められ、太陽に捧げられた。

小さな子供達は、重要な建物の建設工事の時も生贄にされていた。穴に埋められ、その上に建物の柱が建てられていた。
b0880.png
ニック「最も重要な捧げものは人間の生贄だった。人間社会で魂が関係する場所ならどこでも、神を養うためのこのような生贄が繰り返され、地上における人々の生活を補強していたのだ。」
ムイスカの生贄の様子を示す像を見る限り、アステカなど、他のアメリカ原住民の生贄の方法とはかなり異なるようだ。ムイスカにとって、もっと一般的な捧げ物は黄金だったのだ。
b0881.png
彼らが黄金を捧げていたことは、南アメリカの中でも特殊な行為だ。彼らは、神への贈り物として、それを投げ捨てたのだ。スペインの歴史書に黄金の捧げ物がどのように残されていたかが記録されている。
歴史書“捧げ物の大きさに応じた容器に黄金や宝石を入れたら、粘土で蓋をし、それを神聖な場所に埋めた。”
このような捧げ物が隠された神聖な場所はムイスカの領地のあちらこちらに散らばっていた。それらの多くはクーカと呼ばれる祭壇で、大抵、自然の中に隠れるような場所にあった。
b0882.png
歴史書“これらのインディアンたちは信心深く、苦労して獲得した富は秘密の聖地に捧げられた。聖地は全て、分からないように隠された。”

マイケル「野原や、洞窟や、丘の上や、森の中に聖地が隠されていた。それがスペイン人を激怒させた。探すのが困難だ。どこにでもあるはずだが、それがどこなのか分からない!」

これらの神聖な場所を楽に探し出せないと判ると、スペイン人の黄金に対する執着もしぼんでいった。それから4世紀後、これらの場所には、そんなに多くの宝物が捧げられていないようだと判ってきたが、見つかったいくつかの捧げ物から、ムイスカの黄金に関する姿勢を垣間見ることができる。
b0883.png
ニック「神への捧げ物として黄金を投げ捨てる方法は、我々にはとても奇妙に思われる。が、それは画一化された西洋的な発想だ。原住民の発想では、捧げ物は自然界や、精霊が棲む大地への返礼なのだ。それらは何かを生み出し、住民たちに戻って来る。そうして世の中は巡り続けているのだ。」

ムイスカの神聖な世界はエル・ドラドの黄金を指し示すヒントの始まりだった。しかし、ムイスカが神々に捧げ物をしていた場所は他にはないのだろうか?
あった!埋葬地だ!
b0884.png
ムイスカの太陽の寺院のように、埋葬地にもムイスカを導いていた指導者たちのミイラ化された遺体が残っている。遺体は火の上にかざされて乾燥させられていた。いくつかは完全な姿で見つかっているが、幾つかのミイラでは、内臓が取り除かれていた。人類学者レリーペはムイスカのミイラの専門家だ。
レリーペ「体の中に捧げ物が入っているミイラも見つかっている。エメラルドや黄金や綿織物などで飾られたミイラもある。」
ムイスカの人々が祖先との風変わりな関係を続けていた証拠はこれだけではない。
レリーペ「スペイン人の記録によれば、ムイスカが戦いに臨む時、指導者のミイラを輿に載せ、一緒に連れていたという。指導者のミイラは社会的に強い力を持っていたのだ。」
ミイラが持っていたという力や、ミイラへの捧げ物は、コンキスタドールたちにとっては、理解しがたいものだった。
b0885.png
レリーペ「ムイスカの人々は、祖先たちは生き続けていると信じていたんだ。遺体を保存していたのは死を否定していたからだ。死という概念は無かった。」
ムイスカの祖先に対する考えの中に、エル・ドラドがどこで見つかるのかについての手掛かりがあるのだろうか?

ニック「我々西洋人には、精神的世界と具体的世界の間に明確な境界線がある。具体的世界は我々の日常の生活で、精神的世界は、それとは全く別の世界だ。しかし、ムイスカ人や南アメリカの人々は、全く逆の見方をする。具体的世界は幻影のようなもので、精神的世界は力に満ち、影響力が大きく、そこから全ての豊穣(ほうじょう)が提供される。従って、その世界こそが彼等にとって関心事だったのだ。」
これらの啓示はエル・ドラドの探求に対して妙な、新たな捩(ね)じれを与えた。ムイスカが信じている、どこにあるのかわからない、物資と精神の2つの世界の境界線への迂回路だ。どのようにすれば、長年失われている人々が感じていた現実的世界の中に入って行けるのだろう?

ここで再び、ムイスカの黄金の土器が語りかけてくる。妙な、不思議な姿の中に秘められている物語だ。独特なポーズで座っている男、
b0886.png
祈祷師が掴んでいる小さな容器、鳥のイメージ・・・
b0887.png
これらはかつて、そして今でも世界中で行われている原住民たちの黒魔術(shamanismシャーマニズム)の習慣の証拠だ。黒魔術を行う時、人々はしばしば、不思議な薬の助けを借りてトランス状態に入る。
b0888.png
黒魔術で黄金が使われたのだろうか?その関連は幻覚の中に現れている。これらの小さな容器はポポロと呼ばれるもので、ムイスカのエリートたちが、コカの葉とワインを混ぜる時に使っていた。
b0889.png
混ぜたら、口に入れてよく噛む。その後で気分を変える薬を摂取するのだ。この薬は、しばしば、樹皮から抽出され、粉にして水と共に飲む。時には植物の種を鼻から吸い込むこともあった。
儀式の間、座り込んだ祈祷師は精神集中しながら目の前の光景をじっと見つめる。
b0890.png
ムイスカの黄金の作品では、祈祷師の姿が、鳥として表されているようだ。幻覚剤が作用している時、ムイスカの祈祷師は、自分が鳥になって精神的世界を飛び回っているように感じていた。その状態の時、彼らは精神的な存在物と交信して未来を語ったり、人々に不思議な魔術を施したり、病を治療したり出来る。

この体験の中には、更にあるものが含まれている。黒魔術とエル・ドラドの関係はムイスカの土地のあちらこちらで見つかる不思議な岩絵の中に現れている。
b0891.png
ここにあるのは神聖なデザインだ。
b0892.png
同じようなものはムイスカの土器や織物の中でも表現されている。

現地人研究者「これらのデザインのいくつかは幻覚の第一段階で現れるものだと考えている。幻覚には何段階かあり、第一段階では、一連の光のパターンが現れる。それは我々が岩芸術や土器の中で見かけるものだ。」
b0893.png
幻覚に陥った祈祷師が精神的世界の中で鳥のように飛び回っている時、彼は、自分の体が光り出し、目が眩むほどの輝きの中に飛び込んで行くように感じる。この感覚については17世紀のスペインの歴史書が述べている。ムイスカの祈祷師が薬を飲んで幻覚を感じている様子はまるでポパレシズム(?)のようだと言う。
歴史書“祈祷師たちは死に近づくと、空に舞い上がるという。月は恐ろしい輝きを帯び、地上の5倍の大きさで見えてくる。”
b0894.png
ムイスカの命と黄金に対する考え方は、幻覚の中での体験として現れてくる。光り輝いているのは、神聖なものが物質の上に溢れ出ている証拠のように思われていた。
b0895.png
ニック「現地人の社会で輝いているものといえば、太陽、月、石の結晶、黄金、貝殻、塩の粒などだ。それがどんな物質だってかまわない。光り輝くものなら何でも重要だった。」
b0895a.png
もしムイスカがこのような考えを持っていたとすれば、いや、間違いなく彼らはそう考えていたのだが、黄金は沢山ある輝くものの一つで、輝くものは価値があった。それは物質的な価値ではなく精神的な価値だ!
b0895b.png
このことを示す他の証拠もある。歴史書に記されたムイスカの神話の一つによれば、黒い鳥が口から火を吹き出すと、その火は太陽になったという。“鳥”と“輝き”という点から見れば、極めて黒魔術的だ。
別のムイスカの創造神話では、エル・ドラドは更に明確に描き出されている。“光が創造主シュミナグアによって創られ、神聖な湖に注がれた時、水の中からバッシュウェイが小さな少年を抱きかかえて現れた。”
b0895c.png
“少年が成長すると彼女は彼と結婚した。彼らが旅をすると人間が地球上に溢れて来た。時が立つと彼女と愛人は海蛇となり、湖に戻っていった。”
b0895d.png
この神話は、神聖な場所の中に、もっと神聖な場所が、つまり高地の湖があるというムイスカの信仰を表わしている。ムイスカの黒魔術の考えに従えば、湖は考慮すべき重要性を秘めているようだ。
b0895e.png
ニック「湖は地下の世界への精神的な入口だと考えることができる。光り輝く湖面は鏡のように太陽光を反射する。そこに物を投げ込めば、水の下にある精神的世界に入って行くのだ。」
b0895g.png
こうして、エル・ドラドを探す旅はムイスカの神聖な湖と伝説の黄金の部族長から再び始まることになった。ムイスカの儀式は啓示と言えるだろう。
ニック「いろいろな考え方ができると思う。もっともあり得るのは、男が光り輝くレジンで塗られていたということだ。祈祷師が精神的な力を得て半透明になった光景だとも言える。頭から足の先まで黄金で輝く男は完璧な精神的な力の塊だ。」
b0895h.png
「彼は水に飛び込む。この世と精神的な世界との境界である光り輝く湖面から下の世界に入って行くのだ。そこは豊穣と、光り輝く精神と、力の源だ。」
b0896.png
これこそが探し求めていたエル・ドラドだ!文字通り翻訳すれば“黄金の男”だ。エル・ドラドとは黄金の男に与えられた名だ。エル・ドラドの黄金とは彼の体の上で輝く小さな黄金の粒だ。この儀式は物質的な富と何の関係も持っていない。見える世界と見えない世界の接触なのだ。ケサダとスペイン人の黄金ハンターたちは全く勘違いをしていた。彼等にとっては、黄金で覆われた部族長は莫大な富の象徴でしかなかった。
b0896a.png

こうした全くの誤解から、エル・ドラドの黄金の王国の伝説が生まれることになった。出会うことになった古い世界と新しい世界で、黄金の意味は全く異なっていたのだ。関わった人々には負担が大きい誤解だった。
b0896b.png
スペイン人はムイスカの世界に暴力や欲望だけではなく、インディアンたちが抵抗力を持っていない、古い世界の病をも持ち込んだ。50万人以上いたと考えられるムイスカの人々は、1世紀のうちに10万人ほどになってしまった。ゆっくり、しかし確実に、ムイスカ文明は謎を残したまま忘れ去られていった。“エル・ドラドはどこにあったのだろうか?”
b0896c.png
The Search For El Dorado | Ancient Voices
https://www.youtube.com/watch?v=5J-Bnv-rpBI

(補足)
フィルムを翻訳中に閲覧不能になってしまいました!で、見つけ直したフィルムは3分割されていて、巻頭と巻末は尻切れトンボです。“エル・ドラドはどこにあったのだろうか?”と結んでおきましたが、閲覧可能時に見たmhの少々頼りない記憶によれば、このような締めくくりになっていたはずです。そのことについては間違いありません、多分。

実は、ブログ「エル・ドラドの不思議」(2015・2・9)でエル・ドラドの場所をご紹介済みです。それは、アマゾンのジャングルの中だというものでした。
http://mysteriousquestions.blog.fc2.com/blog-entry-114.html
しかし、今回の湖説の方が、専門家には圧倒的に受け入れられているようです。近くから黄金の筏(いかだ)にのった黄金の男も見つかっていますからね。

しかし、人間の欲というものは際限がありませんねぇ。黄金を手に入れるためにコンキスタドールたちは大勢のインディオを殺したのです。黄金を盗みに南米にやってきたコンキスタドールたちにはインディオは邪魔者でしかなく、存在する価値すらなかったってことでしょう。

スペイン人というのは恐ろしい人々ですねぇ、と言いたいところですが、たった数十万円のために人を殺す日本人もいますから、強欲な人間はどこにでも、いつの時代にも、存在するってことでしょう。こんな残虐行為を最小限に抑えているのは刑法だけです。刑法が適用されない時代や場所では、人間は鬼にもなりえるという証拠がコンキスタドールの蛮行だとも言えますから、人間とは本当に危なっかしい動物だと思います。
(完)

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する