Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

力の本の不思議


“力の本The Book of Power”とは?
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Myth Hunters:神話ハンター
The Nazis and the book of power:ナチスと力の本
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1944年、戦時中のイタリアの瓦礫の中、ドイツのエリート軍団は特別な任務を帯びていた。彼らはナチスの残虐なSS(ナチス親衛隊)のリーダ“ハインリッヒ・ヒムラー”の命令で派遣されていた。
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イタリアが連合軍の手に落ちる前に貴重な宝物を見つけ出すためだ。彼らが捜していたのはアーリア人種に関する聖書とも呼ばれ、ナチス・ドイツNazi Germanyの最も恐ろしい政策を正当化するだろう本だった。
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作家ガイ・ウォーカ「その本は人々の間には差があるという考えに対して学術的な正当性を提供するものだ。」
作家クレブス「これは、かつて“我々の祖先は純粋で、他の人々とは似ていない”ことを示すものだ。」
ウォーカ「ある人種が劣っているという考えを創造してしまうと、劣った人種を抹殺するために殺戮し始める合法性を手に入れることになる。」
その本はとても重要だと考えたヒムラーは、熱心に追い求めた。これはナチスが探し求めた“力の本The Book of Power”の真実の物語だ。
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1933年1月、アドルフ・ヒトラーAdolf Hitlerはドイツ首相として内閣を組閣した。
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しかし、彼の権力は見かけほど盤石(ばんじゃく)ではなかった。ナチ党は過半数に到らず、国は分裂していた。ヒットラーは統一の必要性に責められていた。
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ウォーカ「20世紀の中旬、国内が分裂していた小さな国は、どうすれば統一できたのだろう?人々を統一するには、神話を創り出すことだった。」
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ドイツ国民統一の願いを秘めたナチスの神話は、彼らが他のどの人種よりも優れた人種“アーリア人”の子孫であるという考えに基づくものだった。
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(mh:Wikiによればアーリア人とは、広義には中央アジアのステップ地帯を出自とし、南はインド亜大陸、西は中央ヨーロッパ、東は中国西部まで拡大したグループで、狭義にはトゥーラーン(ペルシア語で中央アジア付近の地域)を出自としたグループを指すとあります。“前15世紀以降にイラン集団(イラン・アーリア人)が拡大していったと言われ、その後はテュルク・モンゴル民族の勃興と中央アジア・北部インド・西アジア 支配によりさらに細かい複数の集団に別れ、それぞれが次第に独自の文化を形成していった。”)

ナチスは、アーリア人は、全ての文明が生まれた場所、つまりプラトンによって始めて記録された神話の都市アトランティス、から発祥した人種だと主張していた。
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先史時代、北ドイツ平原に棲み着いたアーリア人は、背は高く、亜麻髪の戦士たちで、文明を創造する才能を特異的に保有していたとナチスは考えていた。ヒットラーは、ドイツ人が、この超人アーリア人の直接の子孫だと信じていた。
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オックスフォード大学リアンノン女史「ナチスは、ドイツ人民が、長い年月をドイツで暮らしてきた文明の揺り籠的な人種であるという考えを必要としていたのよ。」

ナチスは、古代のギリシャやローマが地中海を席巻するよりも古い時代に、ドイツ人の祖先が偉大な北部ヨーロッパの文明を生み出していたと主張していた。
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リアンノン女史「この考えは、歴史を出来る限り遡って“自分たちが最初に文明を創った”とか“他よりも進歩している”とか“この世で最も合法的な存在だ”とすることで、世界における地位を認めようと望む時の傾向のように思えるわ。」
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このアーリア人神話で、ドイツ国民を一つの旗の下に集められるとナチスは信じていた。
ウォーカ「あらゆることはドイツ人民が世界で最も優れているという考えを植え付けることに結びついていた。」
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それらしい噂はあったものの、卓越した人種がいたという確実な証拠は存在していなかった。しかし、ナチスの考えを支持する古代の書類は存在していると言われていた。その本は数千年前、ドイツで暮らしている人々について語ったもので、ナチスは、その本が自分たちの理論を全て証明してくれると考えた。“ゲルマニアGermania”と呼ばれる本で、およそ2千年前、ローマで書かれたものだ。
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西暦1世紀、ローマ帝国は最盛期を迎え、帝国はアフリカや地中海から英国まで広がっていた。
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しかし、ヨーロッパ大陸の北部のゲルマニア人は、ローマ人が打ち破ることができない人々の集団で、ゲマーナンと呼ばれた。
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西暦9年、ローマの最も有名な将軍クインテリアス・ヴァレスは、ゲマーナンを打ち破ろうと3つの軍団を率いて出征した。
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獰猛(どうもう)な戦士王ハーマンの指揮の下、チュートバーの森でローマ軍と直接対決したゲマーナン軍は、全能のローマ帝国軍を壊滅的なまでに打ちのめした。ローマの三軍団は全て消滅してしまったのだ!
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リアンノン女史「この戦い以降、ジャーマニー(現ドイツ)はローマ帝国に対して有利な立場を維持できたの。西暦89年のこの惨劇で、将軍クインテリアス・ヴァレスが三軍団を失ったからよ。」
この被害は余りに大きかったので、ローマ皇帝オーガスタスは、ゲマーナンは猛々(たけだけ)しくて押さえつけることができないと認めた。
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リアンノン女史「オーガスタスは、これ以上、ジャーマニーを攻めるのは止めようと決めたの。この考えは強力なメッセージとなって以降の皇帝に語り継がれていったのよ。ゲマーナンは誇り高くて恐ろしい人々だって。」
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ナチスは、近代のジャーマン人(ドイツ人)はハーマン王の強力な戦士たちの直系の子孫だと主張している。そして、“ゲルマニア”という本には、彼らの祖先が卓越していたという証拠が書かれていると信じていた。
伝説の本“ゲルマニア”はジャーマンによって書かれたものではない。西暦98年頃、ローマ帝国の上院議員で雄弁家のコーネリアス・タシトゥスCornelius Tacitousが書いた。
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クレブス「彼は、当時、熟達した雄弁家の一人で、模範的ともいえる政治実績を持っていた。帝国の代議員でもあり、偉大なローマ人歴史家と考えられていた人物だ。」
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タシトゥスは、ローマの歴史の中でも最も廃頽(はいたい)敵な時期に、この本を書いた。彼の作品では、皇帝タイベリアス、クロディアス、ネロなど、ローマの指導者のあさましい統治の詳細についても描いている。
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しかし、“ゲルマニア”の中では、ゲマーナンを称賛していた。
リアンノン女史「彼は、自由人の感覚を強く持っていたゲマーナンほどローマ帝国を困らせた人々はいないと言っていたの。」
本“ゲルマニア”で、タシトゥスはゲマーナンが敬っていた神々、王を選び出す方法、戦で使う武器、若者を有能な戦士に育て上げる厳しい訓練など、ゲルマニアの文化のこまごまとした部分まで称賛していた。
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リアンノン女史「彼らの特徴は質に重きを置いていると考えられていて、それがローマ人から称賛を買っていたの。例えば、彼らの純潔や、お金や利益などには関心を持たないといった真面目さなどをね。」

ゲルマニア「ゲルマニアでは声を出して笑う人はいないし、不正を働くことが当然だという人もいない。王は生まれに応じて、将軍は実力に応じて選出した。いかなる国民も娯楽やもてなしにのめり込むことはない。」
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タシトゥスの記述が自分たちの祖先のイメージに合致しているように思ったナチスは、ドイツ国民にこの考えを広めることに熱心になった。
リアンノン女史「ナチスによって理想的なタイプとして提供されたのが、ある種の純粋さをもち、ローマ人とは異なる方法で物事をやり遂げる人々だったのよ。」
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クレブス「ゲルマニアの伝統は、高貴な野蛮人の栄光とも言えるものとして捉えられていた。」
タシトゥスは、全能のドイツ人について、それ以上のことも記述していた。
彼は、ゲマーナンは物を射抜くような青い目と、ブロンドの髪と、立派な体格を持っていると書き記した。
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簡単に言えば、彼らは完璧なアーリア人だった!
ナチスにとって本“ゲルマニア”は、ドイツ人民が他のどの人種よりも優れた、全能の人種の子孫であるという証拠であり、ドイツ人がアーリア人から発祥していることを直接結びつけてくれるものだった。そしてタシトゥスの言葉は特に、ある一人のドイツ人に共感を与えていた。
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1924年、若くして養鶏業に失業した農夫ハインリッヒ・ヒムラーは長い旅の電車の中で“ゲルマニア”を読み、タシトゥスの言葉に感銘を受けていた。
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クレブス「彼は、2千年前にローマ人歴史家が書いた本の中に、自分が既に信じていたものを見出し、確信を持った。」
“ゲルマニア”を読んだ若きヒムラーは日記に書き記した“私は私たちの祖先の高尚な純潔と気高さという栄光の思いで打ちのめされた。”
作家クレブス「彼は“ドイツ人が再び、このようになるように望む”と日記に書き記した。彼は強く感銘を受けたのだ。」
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その後、ヒムラーはナチス・ドイツで最も権力をもつ男の一人にまで登りつめる。
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ウォーカ「1930年代、ヒムラーはナチス(Third Reich“第三王国”)で極めて重要な人物になる。彼はとても過小評価された人物だった。というのは、口数が少なく、物静かで、眼鏡をかけた読書好きな男のように見え、髪は短かった。昔、養鶏家だったということは奇妙に思われたようだ。しかし、彼を過小評価するのは間違いだ。ナチスの統治の中で着実に権力を獲得し続け、高い地位に登りつめたのだから。」
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ヒムラーは、恐怖の準軍事組織を使い、ナチス国家の多くを統括することになるナチス親衛隊“SS”の最高責任者になった。そして “ゲルマニア”の中で描かれている戦士たちをイメージしながらSSを仕立て上げていった。
クレブス「いろいろな表現があるだろうが、例えば彼は、1924年に自分の日記の中で決意したことをSSの最高責任者として実現しようとしたとも言える。彼はSSがドイツ帝国の将来の先陣を切る組織だと考えていた。」
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しかし、それ以上のものだったのだ。ヒムラーは、タシトゥスの言葉が単にSSのための教訓だとは捉えていなかった。タシトゥスの言葉は全ての真のドイツ人のためのものだ!
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クレブス「タシトゥスの“ゲルマニア”は聖書に例えられる。ドイツ人が持つ全ての思想だ。つまり、全てのドイツ人のモラルは鼓舞され、祖先のように高貴に勇敢になるように高められるべきだと考えたのだ。」
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ヒムラーはナチス・ドイツがタシトゥスによって描かれたゲルマニアのようになることを望んだ。“ゲルマニア”で描かれているように、子供たちは、彼らの指導者に忠誠を誓うように教えられた。この場合はアドルフ・ヒトラーだ。
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ゲルマニア「指導者は勝利のために闘う。彼の家臣たちは指導者のために戦う。」
学校の生徒は、レスリングや武器訓練などを通じ、彼らの祖先の戦士のようであれと教えられた。
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ゲルマニア「裸の若者たちは、自分たちの命を脅かす剣や槍の中でも踊れ!体験は彼らに技を与え、技は優美を生み出す。」
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大勢の子供を産んだ女性には十字勲章が与えられた。多産はゲルマニアの社会でも称賛されていたのだ。
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ゲルマニア「子孫は両親に再び力をもたらしてくれる。」

ドイツ人民は、近接している国家の土地はかつてゲルマニアの種族の故郷で、従って自分たちの物であるというナチスの政策を教えられた。
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しかし、それだけには留まらなかった。ヒムラーはタシトゥスを使って、全てのナチスの政策の中で最も悪魔的な所業を正当化するのだ。

1935年、ナチスは最初の、多くの人種法を打ち出した。“ドイツの血統と名誉の保護の法律”と呼ばれたこの法律は、ナチスの反ユダヤ政策の不吉な第一歩だった。
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クレブス「それはアーリア系ドイツ人とユダヤ系ドイツ人の結婚を禁止している。」
これは“ゲルマニア”の中のある一節に基づいていた。
ウォーカ「ナチスにとって“ゲルマニア”の重要な文は、ゲマーナンは純潔で、他の人種や人々との混血はなく、同種の人民だ、というものだった。」
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クレブス「タシトゥスは、彼らは他の人々と混血しなかったと書いていた。つまり、彼らは先住民であるだけではなく、純潔で、他のどんな人々とも異なっていたのだ。」
ナチスはタシトゥスの言葉を使って、考えもつかなかった恐怖を世界中に広める政策を正当化しようとしたのだ。
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“Judentum ist verbrechertumユダヤ教は犯罪です ”
ウォーカ「それは人種差別に対する考えに学術的な正当性を与えた。ある人種が劣っているとの考えを創り出してしまうと、ある人々の命はそのほかの人々の命よりも価値が低いと思うようになる。一旦、そう考えてしまうと、人々を殺し始めることの正当性を獲得することになるのだ。」
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別の表現をするなら、ドイツ人の“ゲルマニア”の解釈と、ナチスの死のキャンプとの間には、直接の関係があるということだ。タシトゥスの本の解釈のおかげで、1千1百万人を超える人々がナチスによる大量虐殺を受けることになる。
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クレブス「それは、本の中の一節が持つ力が影響を及ぼすことになった悲惨な結果だ。」
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この思想はナチスのイデオロギーにとって極めて重要だったため、ヒムラーは本物の本“ゲルマニア”を入手しようと熱望していた。
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しかし、それには問題があった。タシトゥスのオリジナルの本に何が起きたのか、誰も知らないのだ。そこで、ヒムラーはSS(ナチス親衛隊)の中の最も怪奇で最も不吉な部門の一つに目を向けた。1935年、ヒムラーによって組織された、アーナナーバ(Ahnenerbe;ドイツの公的研究機関の名)という名で知られる機関だ。
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SSナチス親衛隊の中の、ドイツ軍人で構成されている他の部門とは異なり、アーナナーバは学術研究者が集まる研究部門だった。
ウォーカ「もしナチスが知的刺激や学術的な行動をどのように操(あやつ)っていたかという古典的な例を欲しいのなら、アーナナーバを調べるのが一番だ。これはヒムラーによって設立された研究機関で、ドイツ人の深淵(しんえん)に関するあらゆる記述や証拠を調査することを目的としていた。アーリア人種の神話やドイツの文化をどのように構築するかを検討するのが仕事だった。」
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アーナナーバは、歴史を書き変え、ドイツ人民が他の全ての人民よりも優れているとヒムラーが確信するのを助けることが仕事だった。
クレブス「アーナナーバの研究員は本物の有識者で、研究者で、科学者で、リアルクランズ(?)と共に作業をしていた。」
ウォーカ「およそ100人の様々な分野の学術者と、その数と同じくらいの助手がいた。つまり2百人くらいの規模で、形のない学術的な資料を集めてSSの悪事を正当化する仕事をしていた。」
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ヒムラーの命令を受けたアーナナーバは、タシトゥスの失われた書物を調べ始めた。すると直ぐ、問題に直面した。タシトゥスの原本は既に存在していなかったのだ!ローマ帝国の崩壊と、その後の数世紀に渡る暗黒時代に、重要な書類の多くは失われていた。
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しかし、一縷(いちる)の希望は残されていた。アーナナーバは、本が、ローマの火災の手を逃れ、歴史上のある時点で、一つの完璧な写本が造られていたことを発見した。
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しかし、この写本も失われていた。
リアンノン女史「古典の本を見つけるのはとても難しく、際(きわ)どい作業なの。でも私たちは、今では“ゲルマニア”を読むことができるのよ。それは昔、写本されたものよ。」
15世紀の中頃、イタリアを旅行していた学者が南ドイツの修道院で一文字一文字を写し取って“ゲルマニア”の見事な写本を作ったと言われている。この写本はアッシーナス・コーデックスAesinas Codex(アッシーナス写本)と呼ばれて知られていた。
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クレブス「それこそがハインリッヒ・ヒムラーが手に入れようと望んだものだった。オリジナルに近いものであればあるほど、ドイツの過去に近いと言えるからだ。」

アーナナーバは直ちにアッシーナス写本を手に入れる作業に取り掛かった。
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世界中のそれらしい場所を調べ上げた結果、いい知らせをヒムラーに届けた。1936年、アーナナーバは、彼が切望していた本が見つかったと報告した。

アッシーナス写本はイタリア東部にあった!
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2百年の間、イタリアのエリオ・バルデスキー・ヴァリアーニ伯爵の私的図書館の膨大な資料の中に埋もれていたのだ!
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伯爵の息子「私の父は3つの家を持っていた。」
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一つは今も残っているこの場所だ。」
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「他の一つはパレス・アレシノ(?)で残る一つはパレス・イエイジー(?)だ。」
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クレブス「アッシーナス写本はイエイジーのパラッオー(パレス?)に保管されていた。でも、みんな、そんなことは全部忘れていたんだ。」

伯爵の図書館はカサノバの手紙やシセロの書物など、他にも沢山の重要な書類を保管していた。
クレブス「従って、アッシーナス写本が見過ごされていたのは無理もない話だ。」
その結果、エリオ・バルデスキー・ヴァリアーニ伯爵は、アッシーナス写本がナチスにとって重要だなどということには全く気付いていなかった。
息子「それはこの図書館にあった。誰が買い集めた物か、どんなに重要なものか、誰も気にしていなかったんだ。」
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しかし、この状況は直ぐに変わることになる。

1936年、イタリアはベニート・ムッソリーニBenito Mussoliniによって統治されることになった。
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ヒットラー同様、彼もファシストのリーダだった。この残忍な大衆主義の政治家populistは1922年のクーデターでイタリアの実権を握り、自分のことをエ・ドゥチェ“リーダ”と宣言していた。
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実権を握っていたドイツ総統のヒトラーは、イタリアの共謀者に注意深く言い寄った。ヒムラーの要請を受けたヒトラーはイタリアの独裁者に、写本を入手しナチス・ドイツに提供してくれるよう要請した。ムッソリーニは二つ返事で合意したようだ。
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息子「もしヒトラーがその写本を強く望んでいたとすれば、それを提供するのは好い結果をもたらすだろうとムッソリーニは考え、我が家から写本を手に入れようとしたようだ。」
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ヒムラーは、その写本を自らの手で握るのは時間の問題だと考えていた。

1936年、彼は意気揚々とナチス党大会に戻るつもりでいた。そこには数十万人の党員が集結するのだ。
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タシトゥスの言葉を引用したパネルが飾り付けられた巨大なドイツ的な部屋が造られていた。入り口のドアの上にはヒットラー自身の言葉が掲げられていた。
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“ドイツ人は忠誠心に富み、調和の美徳を持っている。”
“新しい国家はその徳の上に建てられた。”
しかし、ヒムラーはバルデスキー・ヴァリアーニ伯爵の頑固さを計算にいれていなかった。

ムッソリーニ政府の使者が伯爵の豪邸Villaでの打合せのために派遣され、アッシーナス写本を供出するよう伯爵に要請した。
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しかしバルデスキー・ヴァリアーニ伯爵は命令されることに慣れていなかったのだ!
息子「ムッソリーニはヒトラーに贈呈するために写本を欲しがっていた。しかし、私の父はファシストが好きではなかった。ムッソリーニが好きではなかった。」
伯爵は、ムッソリーニは馬鹿馬鹿しい男だと考えていた。もったいぶった成り上がり者の要求を詳しく聞くこともないまま、本の提供を拒否した。
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息子「それはムッソリーニを喜ばせなかっただろう。勿論ヒットラーもね。でも、私は父の態度を自慢に思っているよ。」
ヒムラーはムッソリーニの失敗に激怒した。さらに悪いことに、本を入手しようというヒムラーの執念に対するヒトラーの関心は薄れていたのだ。
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クレブス「ヒトラーは“ドイツ人の過去に魅惑されている学者肌の人間はわけがわからないよ、それがナチス・ドイツの設立にどんな貢献するというのだろう”といった非難を何度か個人的に話していたようだ。」
ウォーカ「ヒムラーはこの神話に入れ込んでいたが、ヒットラーは、それはあまりにかけ離れた発想だと思っていた。それは必要ではないと考えていた。彼の頭にあったのは政策と権力だけだった。」
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しかし、ヒムラーは諦めることはなかった。彼は自分の使者をバルデスキー・ヴァリアーニ伯爵のもとに派遣し、圧力をかけ続けた。
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息子「彼等にとって本はとても力強い意味を持っていたので、何度かやってきて、本を提供するよう要請してきた。」

2年間も圧力をかけ続けられ、伯爵は譲歩した。ドイツ人は本を手に入れることは出来なかったが、見ることは許された。戦争が勃発する直前、司書が本を梱包してローマに送った。
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そこでヒムラーのために写真撮影することになったのだ。本はローマでヒムラーの使者に渡された。
クレブス「アーナナーバから派遣された人物がイタリアでアッシーナス写本を見る許可を与えられた。彼はそれを写真撮影することが出来た。」
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アーナナーバは撮影した写真を基にナチス版のアッシーナス写本を作った。ヒムラーはその写本の序文を自ら記した。
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“未来は祖先の蓄積を理解する者のみに許される。”

しかし、ヒムラーにとって、これだけでは十分ではなかった。手にしたのはファクシミリで送付されたものだ。彼はオリジナルを手に入れようと決意した。そして、ある日、そのチャンスが訪れた。

1939年、ヒトラーは世界を戦争に巻き込んだ。ムッソリーニのイタリアはドイツの最も重要な同盟国になった。
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二人の独裁者は西側諸国やロシアと戦いを始めた。流血の4年の後、戦争の流れはファシスト同盟に逆らい始めた。1943年、連合軍はイタリア南部に上陸した。
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ベニート・ムッソリーニはイタリアの内乱で失墜し、以降、イタリアは連合国側に味方することになった。
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南フランスを支援するため、ヒトラーはドイツ軍をイタリアに送らざるを得なくなった。ヒムラーはバルデスキー・ヴァリアーニ家からアッシーナス写本を取り上げる好機だと思った。ドイツ軍の進撃に合わせ、ヒムラーは彼が管轄するSS部隊をその地域に送り込んで本を探させることにした。しかし、その本はどこにあるのだろう?
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バルデスキー・ヴァリアーニ伯爵は3つの場所に建物を持っていた。町にある二つのパラッチー(パレス)と田舎にある一つの豪邸Villaだ。写本はその中の一つにあるはずだ。または、そのどこにもないかも知れない。

最初、ヒムラーの軍隊は、イエイジーの町の郊外にあるヴァリアーニ伯爵の主な住居である豪邸Villaに派遣された。
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息子「ムッソリーニはもう死んでいた。その後でドイツ人が来た。そして自分たちで本を探し始めた。」
しかし、ドイツ軍は豪邸内を探した結果、本が全く残っていないことに気付いた。
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その数日前、伯爵は家族を守るため、豪邸からパレスの一つに家族を移していた。しかし、ヒムラーの軍勢はある一つのことを発見した。伯爵の召使いたちは価値のある全ての物を豪邸から数Km離れた伯爵の別の建物、イエイジーの町のパレス、に移したという。伯爵の宝物はドイツ軍の目を逃れるため、農作業用の荷馬車に載せられ、畑で収穫した作物で隠されて密かに持ち出されていたのだ。
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アッシーナス写本はその宝物の中に含まれていたのではないだろうか?ヒムラーの軍はイエイジーの町のパレスに向かって急いだ。

息子「彼らは“本はどこだ!”と召使いたちに訊きまわった。言葉が通じなかったということもあるだろうし、当時、命は今ほど大切ではなかったということもあるかも知れないが、彼らは上手く聞き出せなかったようだ。」
結局、ヒムラーの軍は、ここでも何も見つけられなかった。
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ゲルマニアの写本も、ヴァリアーニ伯爵の家族も。

ヒムラーのSSナチス親衛隊は注意を伯爵の第三の資産に向けた。30Km離れたオズモーの町のパレスだ。
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息子「家族はオズモーに移っていた。そこが最も安全な場所だと考えたからだ。」

オズモーの隠れ家では、バルデスキー・ヴァリアーニ伯爵の家族はドイツ軍の恐怖に怯えている人々を目撃していた。
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息子「人々は殺されたり銃で撃たれたりしていた。それを見て子供たちは泣いた。」

勿論、ヒムラーの軍隊はパレスにもやって来た。
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彼らはドアを激しく叩いた。
息子「ドアが壊れるんじゃあないかと思った。その後、部屋に入って来た。」

その時、家族は地下室に潜(ひそ)んでいた。
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ヒムラーの兵士たちは家中を探し回った。しかし地下室への入口を見つけることは無かった。
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バルデスキー・ヴァリアーニの家族は命を長らえることが出来た。そして写本も。

1945年5月8日、6年続いたヨーロッパでの戦争は終わった。
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ゲルマン文化に基礎をおいて建設された千年続く国家というナチの夢は無に帰した。ヒトラーはベルリンの地下室で拳銃自殺した。ヒムラーはイギリス軍拘置所から盗んだシアン化合物のカプセルを飲んだ。
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ニュース「このルネバーグの家でヒムラーは自殺しました。ドイツ人犯罪者の中で最も卑劣な人物は毒を飲むという仕業を成し遂げたのです。」
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戦争の終結と共に、神出鬼没だったアッシーナス写本は実態を現し始めた。この本が本当にナチスの殺人政策を正当化したのだろうか?それはともかく、写本はどこにあったのだろう?
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一つの不可思議は簡単に解決した。写本はヒムラーの軍隊が最初に探した場所から移されてはいなかったのだ。
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バルデスキー・ヴァリアーニ伯爵の豪邸Villaには秘密の部屋があった。
息子「その部屋には囮(おとり)の窓が付いていた。それは外から開けることができない窓だった。」
囮の窓がある部屋への入口はワードローブ(wardrobe衣装ケース)で隠されていた。
息子「ドアは安全を配慮したもので、家具で保護されていた。だからドアは簡単には見つからないんだ。」
ドアの内側の部屋には何の変哲もないケースがあった。
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その中に、洗濯物に包まれた、ヘムラーが熱望していたものがあった。タシトゥスのゲルマニアだ!
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ナチスの恐怖が去ると、バルデスキー・ヴァリアーニ伯爵は本を隠し続ける必要は無くなった。イタリア政府は、その本を国宝と認定した。その後20年間、伯爵はイエイジーの町の図書館で本を展示公開した。
息子「毎年、イタリア政府は検査官を派遣して、本が間違いなく保管されているか確認した。」
ある年、検査官は伯爵にフローレンスに移しても好いかと訊ねて来た。
息子「1966年、フローレンスから検査官がやって来て、フローレンスで展示したいがいいだろうかと言ってきた。」
伯爵は本を持って一人でフローレンスに向かった。到着すると、地下室の金庫に一晩、本を保管した。翌日、それを検査官のところに持って行くつもりだったのだ。しかし、災難が起きた!
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息子「その夜、フローレンスで洪水が起きたんだ。」
1966年11月4日、フローレンスで最悪の洪水が起きた。水はヒムラーが決して見ることが出来なかったものを見ることになった。
息子「洪水になった。金庫は耐水になっていればいいのにと思った。そうでなければ、インクは水に溶けて、本がゴミになってしまう。結局、最初の2,3ページと最後の2,3ページが大きく損傷してしまった。これらのページは全体が黒くなって、何が書かれていたのかは読み取れる状態ではなかった。」
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宝の写本は永遠に破壊されてしまったかのように思われた。

数か月かけて、高い費用を投入し、忍耐強く修復作業を行った結果、洪水による損傷は改修できた。今日、アッシーナス写本はローマのビブリテッカ・ナショナーレで保管されている。
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およそ2百年間、この本を所有した後、バルデスキー・ヴァリアーニ家はみんなに公開されるべきだと考えたのだ。
息子「この本は公開した方がいいって考えた。それで国立図書館に本を寄贈した。」

タシトゥスの最も古いバージョンの本が世界中の専門家たちに調査されるようになると、ヒムラーが宣伝していた古代ドイツ人と大きく異なる姿が現れ始めた。

まず、タシトゥスは、ヒムラーが主張していたようにはゲマーナン(ゲルマニア人)を羨(うらや)んではいなかった。
クレブス「タシタスはゲマーナンのいくつかの特徴をとても否定的に評価していた。彼は特にゲマーナンの飲酒癖について語っていた。」
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ゲルマニア「一日中、昼も夜も酒を飲んで過ごすことは誰にとっても恥ではなかった。彼らの口論は、ささいな悪口程度で済むことはなく、怪我を負ったり血を流したりする結果になることが普通だった。」
リアンノン女史「彼らは大酒のみで、昼間から大宴会を開いていたと表記されていたの。」
ゲルマニア「彼らはゴロゴロと寝そべっては怠けていた。何もしないくせに、暴れ回るというのは奇妙な性格の組合せと言える。」
クレブス「タシトゥスは彼らがギャンブル中毒に罹(かか)っているようだと明確に記述している。基本的には怠け者だとも言っている。」
ゲルマニア「彼らは、大抵、だらだらと時を過ごし、寝て過ごすことが多く、しょっちゅう宴会を披(ひら)いては飲み食いしている。大胆で戦好きだが、何もしない。」
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リアンノン女史「ある種の単純な社会だけれど、それなりにはまとまっていたのよ。」
実際の所、タシトゥスの表記は、ヒムラーが主張していた完璧なアーリア人の社会からは程遠いものだった。
ゲルマニア「どの家でも子供達は裸で不潔で、誰に対しても、直ぐに悪事を働いていた。」
アーナナーバが、タシトゥスの記述の中から“ドイツ人の高貴なアーリア人祖先”というヒムラーの理論を支持するのに都合が良い部分だけを取り上げていたことが徐々に明らかになって来た。
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クレブス「アーナナーバは、理想からほど遠い記述を、理想に合わせるよう滅茶苦茶に、勝手に解釈していたのだ。」
リアンノン女史「彼らは注意深く選んで、わずかに書かれていた“青い目やブロンドの髪をしている”という人種的な純潔の部分を勝手な発想で拡大解釈して、自分たちが望んでいた結論に結び付けていたのよ。」
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ナチスはタシトゥスのもう一つの重要な記述を隠し続けていた。タシトゥスは自分が記述に残したゲマーナン(ゲルマニア人)を見たことが無かったことはほぼ明らかな事実だった。彼の記述には何の証拠もなかったのだ。彼のいくつかの記述が作り事だったのは間違いない。
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リアンノン女史「彼の記述を終わりまで読むと、ゲマーナンは人間の顔を持ち体は動物だったのではないだろうか、という幻想的で奇妙なイメージを持つと思うわ。」
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「こんな調子だから、写本の内容は作り事ばかりじゃあないんだろうかって誰も警戒するはずよ。」

ヒムラーもまた、別の事実を意図的に無視していた。現在のドイツ人はゲマーナンの直系の子孫ではあり得なかった。
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クレブス「ナチスがゲマーナンについて言及する時、古代のドイツ人とか古いドイツ人だとしていた。しかし、それは根拠がなく、論理の飛躍だった。」
リアンノン女史「ゲマーナンは今日、我々がドイツ人だと考えている特定の人種ではなかったの。人々の集団の全体に与えられていた呼び名だったの。」
クレブス「ナチスはドイツ人の祖先がゲマーナン種族だと誤解していた。簡単に言えば、ドイツ人の祖先はドイツ人でしかなかったのだ。」
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ヒットラーのドイツ人は多くの異なる人々の子孫で、古代の単一の人種の子孫ではなかったというのが真実だったのだ。
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クレブス「古代にはドイツ国家といえるようなものはなく、多くの人種が劇的に何度も何世紀もかけて入れ替わっていた。だから、簡単に言えば、彼らみんなが祖先なのだ。」
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しかし、ヒムラーは、真実や、タシトゥスが記述したことや、ドイツ人の本当の起源については無関心だった。彼は、アッシーナス写本が悪質で人種差別的なナチスの政策を推進する助けになることだけを望んでいたのだ。そして悲劇的な事実は、写本のオリジナルを手にしないまま、タシトゥスの言葉をナチスの虐殺政策を支持するために使ったことだ。その結果、何百万人もが殺されることになったのだ。
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What Is The Book of Power ??
https://www.youtube.com/watch?v=PuleoZAKoME&t=104s

Wikiによれば、当時、ドイツ人の人類学者ハンス・ギュンターは“紀元前2千年頃、初期のアーリア人が中国や日本を含むアジアの大半を占有していた”、“仏陀はアーリア人の子孫だ”、“ヒットラーのイデオロギーは仏陀の思想に関係している”と主張し、ハインリッヒ・ヒムラーは彼の調査機関アーナナーバにこの正当性の調査を指示しています。ヒットラーの考えが、我が尊敬するお釈迦様に通じていると、何をもって主張したのか定かではありませんが、空恐ろしいことをナチス・ドイツは考えていたんですねぇ。どんな生まれや人種であろうと、人間は平等で、その言動だけが、評価を左右するものだというのがお釈迦様の教えではないかと思いますので、ヒットラーとお釈迦様が通じるものがあるなどという馬鹿げた主張は、お釈迦様の教えを全くしらない人間が考え出した屁理屈以外の何物でもありませんが、そんな屁理屈を真面目に、実際には悪用しようと、考える人間がいるということは恐ろしいことです。

しかし、中国や韓国では、こんな恐ろしいナチスだったドイツ人の方が日本人よりも受け入れられているんですから、やっぱ、ドイツ人は日本人より優れた人種かも知れないなぁと考えるmhにはハインリッヒ・ヒムラーの霊が乗り移ってしまったのでしょうか。恐ろしいことです。
(完)
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