Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ピラミッドの不思議-2


カイロのギザGizaに並ぶピラミッド。
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形は正四角錘で真正ピラミッドtrue pyramidと呼ばれます。真正ピラミッドが生まれるまでには、幾つかの風変わりな“ピラミッド”が造られました。

ピラミッドの発祥を促(うなが)したのは巨大な長方形の墓“マスタバ”です。
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地面に垂直に彫られた深さ10m位の竪穴の底の横穴が墓室でした。
“マスタバ”はアラビア語で“ベンチ”です。エジプト帝国は紀元前525年、アケメネス朝ペルシャに、紀元前332年にはアレキサンダー大王に征服されてギリシャ系プトレマイオス朝に、更には紀元前30年にローマ帝国が征服すると、西暦639年にはイスラム教徒に征服されてウマイヤ朝の一部に編入されました。この時、“マスタバ”という名がつけられたのです。それまで、エジプト人は何て呼んでいたかっていうと・・・
それは後で判ります。

マスタバを6段積み上げた次の階段ピラミッドstep pyramidがエジプト最初のピラミッドです。
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第3王朝ファラオのジェセルDjoserによってサッカラに建設され、最初のピラミッドになりました。

その後、もっと高くそびえるピラミッドを造ろうとした王が出現しました。今回のブログの主人公のスネフェル(Sneferu)です。彼は第四王朝の創始者で、初めて階段ピラミッドを建てた第三王朝のジェセルから数えて4代後のファラオでした。

スネフェルがマイドゥーム(メイダムMeidum)に造ったメイダム・ピラミッドMeidum Pyramid”です。
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ピラミッドと言うより塔のようですが、実は“塔”は崩れやすかったので、それを覆うようにして石が積み上げられ、ピラミッド状になっていたのですが、その外装の石組が崩壊してしまったのです。
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次にスネフェルが造ったのが屈折ピラミッドBent Pyramidです。
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マイドゥームの塔ピラミッドから約45Km北のダシューアDahsurに造られ、今もほぼ、昔の形のまま残っています。

しかし、若干、問題が残っていたのです。そこで、このピラミッドから北2Kmに“赤いピラミッドRed Pyramid”を造りました。それが、今も残る、エジプトで初めての真正ピラミッドなのです。
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表面の白い石灰石は剥がされ、赤い花崗岩が見えています。

次は彼の息子チオップス(クフ)が造ったギザの真正ピラミッドで、エジプトでは最大です。
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使われている石の大きさと量は、いずれも赤いピラミッドの数倍ですが、クフの父スネフェルの方がピラミッド建設では沢山の石を使っていたのです!つまり、スネフェルのおかげで、エジプトのピラミッドは人類史上で燦然(さんぜん)と輝くモニュメントになったと言えるのです。

今回は、真正ピラミッドの生みの親、スネフェルの活躍をYoutubeからご紹介しましょう。
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ピラミッドは偉業と言えるだろう。ミイラ処理されたエジプトのファラオを永遠に守る墓だった。4千年後の今日でも謎を含んでいる。一人の男がいなかったなら、ピラミッドは存在していなかったかも知れない。
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人里離れたエジプトの砂漠の中で、彼は、エジプトで初めての真正ピラミッドを建てるために、大きな課題を乗り越えた。彼のピラミッドを調べると、その天才ぶりは明らだ。今日ではあまり知られていないが、彼はエジプトのファラオの中でも最も偉大だった。彼とはスネフェルSneferuだ!
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The Great Egyptians偉大なエジプト人たち
Sneferu: The King of the Pyramidsスネフェル:ピラミッドの王
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エジプト学者ボブ・ブライアー博士(Bob Brier)は、更に登らないと頂上に到達しない。
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彼が探求しようとしているのは、ギザの大ピラミッドのような、息をのむ程に素晴らしく、壮大な構造物の建設を指揮した男だ。

ボブ「誰もが大ピラミッドを見て感激します。私が最も感心するのは、その高さです。40階建てビルと同じ高さまで登りましたが、頂上はまだ先です。」
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「エッフェル塔が完成するまで、このピラミッドは地球上で最も高い構造物でした。人々はピラミッドの大きさだけでなく、建築精度にも驚嘆するでしょう。基礎部の面積は13エーカー(約4千㎡/acre)もあります。4つの面は完璧に磁石の方向(東西南北)を向いています。しかし、このような構造物が造られる前に、大きな技術問題が解決されていなければなりませんでした。古代のエジプト人建設者たちは完璧ではありませんでした。失敗や、災難や、問題があったのです。これらの難題を解決した男こそ、ファラオのスネフェルです。これから彼が、ピラミッドの建築方法を教えてくれるでしょう」
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エジプトの歴史の中で、スネフェルは伝説のファラオだった。彼の名は、ナポレオンやアレキサンダー大王が今日の我々にとって有名なのと同じくらい有名だっただろう。しかし、運命の不思議によって、今日、彼はほとんど知られていない。その理由は観光客の大集団が訪れている、彼の息子たちや孫たちによってギザに造られたピラミッドに在るのかも知れない。実際の所、ギザに並んでいるピラミッドは偉大なピラミッド建設時代の最後の作品とも言えるもので、数代前の祖先の技術を引き継いだ職人たちの、想像を絶する努力の賜物(たまもの)なのだ。

スネフェルが建てたピラミッドは訪れる人もなく、人知れず立ち続けている。ギザに立つピラミッドと大体同じくらいの大きさだが、これらは初代のものだ。この場所でピラミッドの建設技術が生まれた。
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しかし、ピラミッドはスネフェルについて何も語ってくれない。彼がどんな外見をした男なのかを知るため、ボブ・ブライアーはカイロにある観光客であふれたエジプト博物館を訪れた。
ボブ「ここが、この博物館で私のお気に入りの場所です。私以外には誰もここにいませんが、歴史的に素晴らしいものがあるのです。」
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「これは世界で初めてのカトゥシャです。ファラオの名前を囲む不思議な楕円です。中にスネフェルと書かれています。」
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「彼は我々が個人的な逸話をもつ最初のファラオです。彼は人間で、私たちは個人的に彼を知っています。アリストテレス(羅: Aristotelēs、英:Aristotle)やプラトン(Plato)より2千年前の男ですが、神話の人物ではありません。人間です。彼がどんな外観だったのかは知ることが出来ます。これは玉座に座っているスネフェルです。」
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「理想化された人物画ではありません。永遠を見つめているファラオでもありません。実際の外見に似せて描かれたものです。顎(あご)を見て下さい。後退しています。どこにでもいそうな人物に見えます。しかし、彼は偉大なことを成し遂げた偉大な男なのです。彼は世界の歴史におき、偉大な建設事業を成し遂げました。スネフェルがいなかったら、ピラミッドは生まれなかったでしょう。彼はファラオですが、地上の神でもありました。そして、神として、彼は人間の心が想像し得る最も素晴らしい墓を必要としていました。彼はピラミッドを必要としていたのです」
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エジプトで最も大きい6つのピラミッドは、全て、ある時代の1百年以内に建てられた。偉業と言ってよいだろう。初期の未熟な文明の中で、銅製の工具だけを使い、マイドゥームMeidum、ダッショーアDahsur、そしてギザGizaにピラミッドを建てるため、1千万個以上の石を切り、運び、正確な位置に据え付けた。1個の石の平均重量は2トンもあった。
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1百年の間、毎日、昼も夜も、3分毎に、1個の大きな石のブロックを移動することを想像してほしい。エジプト人はこの仕事を成し遂げたというだけではなく、車輪を使わずに行ったのだ。車輪を使ったとしても砂漠の砂に埋もれて動きがとれなかったことだろう。全てのブロックは橇(そり)やローラーでピラミッドの最終場所まで運ばれた。信じられないことに、漆喰mortarは全く使われていない。積み上げられた石のブロックは完璧に配置され、寸法は1mm単位の精度さだった。
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エジプトには70以上のピラミッドがある。毎年、数百万人の観光客が訪れるのは、後継者たちのピラミッドだ。しかし、エジプトの人里離れた砂漠にあるのは失敗作だ。放棄しなければならなくなった、見事な残骸だ。
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スネフェルは真正ピラミッドtrue pyramidの建設に初めて成功した。
この、人に知られていない天才は、エジプト文明の初期において国を統治していた。クレオパトラがシーザーを招待し、スネフェルが造ったピラミッドを見せたのは完成から既に25世紀(2千5百年)後のことだ。つまりスネフェルは最初の偉大なエジプト人だったのだ。
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ハリウッドは“石の運搬が滞(とどこお)ると残虐(ざんぎゃく)な監督者に鞭(むち)で打たれる奴隷たちがピラミッドを造った”というエジプトに関する我々の先入観について責任があるかも知れない。
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実は、ピラミッドを造ったのは奴隷ではなく自由な労働者たちだった。だからスネフェルの事業も驚くほど素晴らしいものになったのだ。彼は、自分のピラミッドを造るため、数十年の間、数千人の労働者を組織し、賃金を払い続けた。農夫たち数万人を選び出して、幾つかの組に分け、様々な作業場所に派遣した。しかし、何故、世界でも最初の大建築事業がエジプトで生まれることになったのだろうか?

古代エジプトは、固有の利点を持っていた。毎年、アフリカの、遠く離れた山岳地で溶けた雪は、北の地中海に向けて流れた。ナイルの膨らんだ水は平地に溢れ、ピラミッドの基礎部まで到達していた。
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しかし、エジプト人にとって、ナイルの洪水は神秘的な出来事だった。南から栄養豊かな土壌を運んでくる川は、最初は赤くなり、植物が育つ平原を流れると緑に変る。水位が10mくらいになると、水は引き始め、平原には穀物を育てるのに理想的な肥沃な土壌が残された。
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砂漠を緑に変えるのはナイルだけだった。ナイルが無ければエジプトは不毛の砂漠で、スネフェルもピラミッドを建てることは出来なかっただろう。
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ナイルの水を平地に行き渡らせるため、村人たちは共同で灌漑水路を造った。そうして肥沃なナイル谷に最初の国家が生まれた。ナイルのおかげで、エジプトは無限に広がる平原を作り、穀物や亜麻や野菜など、人々が必要とする全ての物を生産することが出来た。この平原でエジプトの共同作業の余裕が生まれることになった。
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それは巨大な建設事業に必須の条件だった。不足していたのは偉大な指導者だけだった。そしてスネフェルこそ、その支配者だったのだ。

スネフェルは野心的なファラオだった。他国への野心を持った最初の王でもあった。古代エジプトでは、他国へ旅することは、大胆で危険な冒険だと考えられていた。もしエジプト人が祈祷師や儀式もない外地で死ぬと、ミイラ化されることがなく、あの世での永遠の生活への希みは失われてしまうのだ。

しかし、スネフェルはこの慣習を無視した。彼は北のレバノンから大きな杉cedarを、東のシナイ半島からはトルコ石や鉱物を、南からは黄金を手に入れるため、軍隊を交易目的の遠征に送り出した。スネフェルの統治下で、エジプトは強力な国際的勢力になったのだ。

スネフェルはトルコ石を採掘するためにシナイ半島へ遠征したことで有名だ。このような冒険的遠征には巨大な組織が必要だった。5百人と沢山の驢馬(ろばdonkey)を東の砂漠に連れていくには、紅海を渡るための30隻の船と、1日当たり50トンの食物が必要だった。

紅海を渡った後、彼らは、驢馬に荷物を載せ、5日の間、ワディマガラの採掘場に向けて困難に満ちた旅をした。トルコ石を求めて山にトンネルを掘る作業も危険に満ちていたが、しかし、もっと大きな脅威は敵対的なベドウィン(砂漠の遊牧民)だっただろう。スネフェルと彼の軍勢はシナイ半島で働く鉱夫たちの安全を維持する必要があった。
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ボブ・ブライアーは、何か見つけられないかと考え、シナイ半島の採掘場を訪れた。砂漠の真ん中の山肌に刻まれた船は、奇妙に見えるかも知れない。
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しかし、船は遠征に重要なものだった。人々はそれを記録に残した。この遠征は冒険とも言える危険なものだった。この絵を描いた人物は、他の人々にも、そのことを伝えたかったのだ。彼らは初めて紅海を横切って異国の地にきた。故郷に戻れる機会は少なかっただろう。それで、彼らは、どこへ行っても、その場所に何らかの記録を刻んでいたのだ。
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山の頂上付近の洞穴で鉱夫たちは寝起きしていた。彼らは女神ハトホル (Hathor)を祀る寺院を造った。
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トルコ石の女神だ。寺院の建設作業では、発掘は中断された。しかし、優しいスネフェルはそれを許可した。その上、彼は石工を派遣し、石碑を造らせていた。彫刻された石碑が並ぶ広場も造られた。その石碑は今日でも昔と同じように立っている。この石碑には遠征に送り出された男たちの名前だけが並んでいる。しかし、こちらの石碑には、もっと面白い苦難と勇壮にあふれる話がある。ファラオの宝物係の男が、彼の遠征について記していた。
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冬は発掘の季節だった。彼はシナイの砂漠の熱について言及している。
“我々は第二の季節の第三の月にこの地に到着した。”
つまり彼らは夏の真っ盛りに旅をしていたのだ。続けてこう記している。
“夏の山では肌に焼き鏝(こて)を当てたような暑さだ。”
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つまり、この鉱夫は奴隷ではなかったようだ。彼らは王スネフェルのため、貴重なトルコ石を持ち帰ろうと、喜んで危険を冒してこの地にやってきたのだ。

鉱夫たちがシナイから持ち帰ったトルコ石は見事な仕上がりの首飾りを飾る象嵌細工の部品となり、女王ハタフェレスHetepheresへの贈り物になった。
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スネフェルはピラミッド建設者や冒険者だったというだけではない。芸術の支援者patronでもあった。彼の王室の工房は、像、絵画、宝石、家具の分野で、見事な傑作を創り出していた。スネフェルの時代に作られた芸術品は、素晴らしいものだったため、以降、2千5百年のエジプト文明の中で標準とされる技術になった。マイドゥームMeidumに残されている鴨の絵は、今も自然の鴨そのもので、4千年前のものとは思えない。
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スネフェルの息子の像は、石で造られた最初の偉大な人物像で、これを凌(しの)ぐものはないだろう。高質な石灰石を使って彫られた祈祷師アンカフAnkhhafは、彼が立派で思慮深い男であることを示している。肉付きがよいことから、彼が成功者の一人だと判る。
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アンカフAnkhhafの兄弟のヘミエヌは脂肪の塊のようで、豊かな暮らしをしていたに違いない。
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カイロ博物館にはスネフェルの別の息子のラフォテップRahotepがいる。隣に並んで座っているのは美しい妻ネフレだ。
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石の結晶stone crystalで出来た目は、前で立ち止まって彼らを眺める何千人もの観光客たちをじっと見ている。妻ネフレの像はエジプトの女性がしばしば鬘(かつら)を付けていたことを示している。額には、鬘からはみ出ている彼女の髪が見えている。
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スネフェルが彼の妻のために造った家具は古代エジプトで造られた最も美しいものの一つだ。
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簡素の極みとも言える傑作だ。すっきり浮き出ている線は真っ直ぐで、優雅でもある。ここには黄金に輝く飾りはなにもない。女王の称号を記した落ち着いた金細工のヒエログリフがあるだけだ。
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女王の宝物の一つの天蓋付ベッドは、あの世での生活を楽しむため、彼女の墓室に置かれていた。
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古代エジプト人は復活主義者ressurrectionistだ。死体は死後に立ち上がり、次の世界で生き続けると信じていた。そのため、遺体を保存しようと、複雑な信仰儀式のミイラ化処理が70日もかけて行われていた。
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墓泥棒からミイラを守ることは決定的に重要だった。もし墓室に入って来た墓泥棒がミイラを壊してしまうと、死者はあの世で存在することは出来ない。完璧な体なしでは、永遠の生命への望みは絶たれる。それは古代エジプト人には我慢ならない惨事なのだ。

ミイラ処理が終わると、念入りに造られた墓がこれを永遠に守っていた。このような初期の墓はマスタバと呼ばれていた。墓室は地下の岩盤の中に造られ、その上を煉瓦(れんが)で造った巨大な構造物で覆っていた。古代エジプト人は、これを“永遠の家”と呼んでいた。

このマスタバはこれまで造られた中で最も大きなものの一つだ。
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盗掘に遭わぬよう見事な工夫がなされている。ボブ・ブライアーがその様子を調べようとしている。地下の墓室に繋がる通路は全く無い。
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ボブ「私は墓室に向かっています。唯一の手段、つまり墓泥棒が造った穴を通っていくのです。それしか方法がありません。彼らは煉瓦にトンネルを掘り、地下の岩にも孔を掘り、この墓室に入り込んだのです。」
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ボブ「ここは恐らく王子か王女など、重要な人物の墓室でした。この棺(ひつぎ)は歴史上初めて遺体を収め、蓋をされましたが、それでも盗難にあっていたのです。ここに墓泥棒が蓋を開けるために使った木づちmalletが残っています。」
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「埋葬が終わるとこの墓室には石の屋根が付けられました。そして何万トンもの煉瓦を積み上げ、その上を石で覆ったのにもかかわらず、盗難に遭ったのです。スネフェルは大きな問題を抱えていたのです。」

彼のジレンマは墓泥棒を止めさせることが不可能に近いということだった。彼の時代でさえ、彼の妻の墓で盗難が起きていた。
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墓室の中の通路をどんなに複雑に造ったとしても、墓泥棒たちは必ず宝物を探し当ててしまう。何故?墓泥棒は、大抵、墓を造った人物だからだ。

墓泥棒対策は、どこに墓室があるか墓泥棒が知っていても入り込めない程に巨大な墓を造ることだった。それをしてみたのはスネフェルが最初ではない。既にサッカラSaqqaraで行われていた。
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サッカラの階段ピラミッドはスネフェルが子供の頃に完成した。それは彼に深い印象を与えたに違いない。階段ピラミッドはそれまでに造られた中で初めての巨大な石組み構造体だったからだ。
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現代の文明では、ある期間をかけて、巨大な構造物を完成させる事業が行われている。この方法は古代エジプトでは行われていなかった。しかし、ある時、突然、先例のない階段ピラミッドが造られることになった。エジプト人が石を加工することを学び始めた沢山の状況証拠がある。石工たちは当時、すでに完成していた寺院の、パピルスの葦を束ねたものや、泥の煉瓦で造られた柱や壁を、単純に真似て造っていた。忠実に真似て、それらを石で造ったので、建物としては全く意味をなさないものが出来た。例えば、開閉できない扉が造られた。葦で造られていたブラインドが石で造られ、上下に動くことはなかった。
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しかし、兎に角、こうして、石で造られた建物が生まれ始めたのだ。階段ピラミッドが造られるようになってから2千年後、ギリシャ人たちはエジプト人から石を使って構造物を造る方法を学んだと、自慢げに言ったほどだ。

階段ピラミッドはファラオのジョセフのために設計された。彼の建築家は王のために大きな埋葬場所を造ろうと考え、大きなマスタバを設計したのだ。マスタバの上に小さなマスタバを重ねていくことでウエディングケーキのような効果を生み出すことにした。
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世界で最初の石造りの大型建築物だったため、建造者は多くの新たな技術課題に直面した。それまで、石で組み立てる技術を十分に取得できていなかったのだ。ピラミッドに使われた石は粗雑に切り出されたままの表面で、石の上に積み上げられたが、不安定で、直ぐに崩れてしまいそうだった。
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この問題は、外面を内側に傾けることによって解決した。この手法のおかげで石の重さで不安定になりピラミッドが崩れてしまうことは防ぐことが出来た。

完成した階段ピラミッドは、それまで世界が見たこともない素晴らしいものだった。恐らく、どの構造物より10倍も高かっただろう。何万人もが20年程かけて組み上げた。噂になり、エジプト人の自慢にもなった。階段ピラミッドは若いスネフェルに強い影響を与えたに違いない。彼は、いつか自分のために造ろうと夢見ただろう。

彼がファラオになると、マイドゥームでその機会が訪れた。
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これを見ただけで、明らかに何かがおかしいと気付くが、それが何かははっきりしない。建物はピラミッドというよりも塔に似ている。
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ここには答えが判らない疑問が沢山残っている。墓室の壁は何故、表面が磨かれずに粗いままなのか?ファラオの棺はどこにあるのか?
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墓室には棺を持ち上げるための4千年前の杉の梁が今も残っているが、使われた形跡はない。その上、墓室そのものが使われた証拠がないのだ。
にも拘わらず、建築上の問題を解消しようとした形跡がある。このピラミッドでは、エジプトで初めて、墓室が地面より高い所に造られている。墓室を地下ではなく、ピラミッドの内部に造ることで一つの大きな問題が発生した。上方のピラミッドの全重量が墓室に加わって天井が崩壊するのをどんな方法で防げばよいのか?

スネフェルは、墓室の壁の石のブロックを上にいくに従って墓室の中央側に近づけることでこの問題を解決した。墓室の一番上では、両側のブロック同士の間隔は数cmになっている。それが答えだった。こうして歴史上で初めてのコルベル型の天井が造られたのだ。
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マイドゥームのピラミッドは奇妙な外観を呈している。それは、建設に理由がある。当初、階段ピラミッドを造る予定で建築は始まった。しかし、完成が近くなった時点で、何度か拡張が行われたのだ。恐らく、ファラオが死ぬ前に完成しないと考えたからだろう。
8段のピラミッドが完成した時、スネフェルの体調は問題がなかった。そこで、建設は継続された。ピラミッドの階段部は滑らかな白い石灰岩で埋め尽くされ、最初の真正ピラミッドが造られようとしていた。しかし、マイドゥームのピラミッドの基礎に致命的な問題があった。外装の石はピラミッド本体に強固に固着できなかったのだ。
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内部に造られていた階段ピラミッドの表面が滑らかだったため、外に積み上げた石が崩れるという、歴史上で初めての惨事が起きた。これが妙な外観になってしまった理由だ。内部の構造が急斜面になっているのは大崩壊が起きたからなのは一目瞭然だ。そして、我々が今、見ているのは5千年に渡る破壊行為の結果なのだ。
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スネフェルは彼のピラミッドを放棄せざるを得なかった。基礎の近くに残る小さな礼拝堂の大きな石碑には文字が刻まれることはなかった。
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墓室の壁は仕上げられず、棺を設置するための杉の梁も使われないまま残された。

このピラミッドがスネフェルのために造られたものだと知ることが出来るのは凡そ1千年後に書かれた落書きのおかげだ。書記のアンカパカリ・セニトがピラミッドを訪れ、そばに残っていた礼拝堂の壁に“私は王スネフェルの寺院を見るためにやって来た。その中にいると天国にいるような感じだ。太陽は輝いている。神よ、新鮮な湖に雨を降らせよ、香を王スネフェルの寺院の屋根の上まで届かせよ。”と書き残していたのだ。
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スネフェルの息子の建築家がスネフェルの前まで来て“20年かけた作品が廃墟になってしまい、墓として使い物にならなくなりました!”と報告している場面を想像してほしい。スネフェルは大きな人間だったことが語り伝えられている。彼は、激怒することなく、マイドゥームでの建造は諦めて新しい場所を探すよう指示したのだ。
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埋葬の地を必要としていたスネフェルは、マイドゥームの崩壊したピラミッドよりももっと野心的な構造物を建てようと直ちに動き出した。それは、彼が放棄したピラミッドの2倍以上の堆積を持つものだった。世界中のどんなものより燦然と輝く記念碑になるはずだ。建築家たちは実地体験を積んでいた。そこでダッショーアでは最初から真正ピラミッドを計画した。
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以前の失敗で学んだので、今度は、大きな石で外装を造ることにした。内側のピラミッドの石と安定して組み合わされるようにするためだ。更に、石のブロックをピラミッドの中心に向けて傾斜するように設置した。この手法は効果があり、今日でも多くの外装の石が残ることになった初めてのピラミッドになった。
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ボブ「ここに興味深い落書きがあります。スネフェルが死んで数百年後、ワイノーという名の祈祷師が来て、自分の名前を書き記しました。スネフェルを敬っていたのです。ヒエログリフには祈祷師の姿が描かれていて、その前にある水差しからは水が流れ出ています。浄めの水です。つまり、水差しの後ろの男が祈祷師ワイノーだという意味です。」
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入口からピラミッドの中に下るトンネルは70mも続いている。あらゆるピラミッドの中で、長くて、通るのが最も難しい通路だ。両側の壁は滑らかに仕上げられ、手を触れると驚くほど冷たく感じる。通路の床にはスネフェルの墓室の瓦礫(がれき)を取り出すため、1950年代に発掘者たちが使ったレールが残っている。通路は棺をピラミッドの中心部まで下げ入れるために設計されたものだ。
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通路が岩盤の下に到達すると、滑らかだった岩のブロックは表面が粗いものに変る。そこから更に45mも岩盤の下を進んでいかなければならない。
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すると、高さが12mもあるコルベル型の部屋に入る。腰を曲げて長い通路を通って来たが、やっと背中を伸ばすことが出来る。しかし、まだ墓室に到達したというわけではない。そこは単なる前室で、墓室に行くには竪穴に下げられている縄梯子を登らねばならない。縄梯子を登り切ると、今度は木製の長い梯子を上る。
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最上階がスネフェルの墓室の階だ。梯子の両脇の壁はコルベル型で、上に行くほど間隔は狭い。古代の墓泥棒が造ったトンネルを這うように抜けながら、やっとスネフェルの墓室に繋がる通路に到達した。この通路を通って、4千年前、スネフェルの遺体は墓室に運ばれていったのだ。驚くことに、新鮮な空気が流れ込んでいる。まだ見つかっていない通路があるためだろうと考えている研究者もいる。
ボブ「やっと墓室に着きました。スネフェルは、いくつもの惨事に遭いましたが、ピラミッドの建設を諦めることはなかったのです。このピラミッドが完成した時、この部屋は世界でも最も素晴らしいものだったでしょう。天井の高さは17mもあります。コルベル型の壁が上まで続いています。」
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「しかし、問題がありました。部屋の壁は、上方のピラミッドの巨大な重量で動き始めていたのです。床に杉の梁がのこっています。」
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「4千年前、石の壁が動き始めた時、これらの梁がこの部屋に持ち込まれました。彼らは、このピラミッドでも問題を抱えていたのです。壁が壊れ始めたので、ピラミッド全体が崩壊しないよう、梁を持ち込んで壁を支えたのです。」

ダッショーアのピラミッドは当初、真正ピラミッドの計画だった。しかし、墓室内部の問題が発覚すると、スネフェルの建築家たちはピラミッドの角度を54度から43度に減らすことに決めた。こうして屈折ピラミッドが生まれたのだ。角度を減らしたことで、古代の建設者たちはピラミッドの完成に必要な石の量を減らすことになり、墓室の天井に加わる加重も減少した。これらの対策にもかかわらず、ピラミッドは不安定で、スネフェルの遺体を収容することはできなかった。
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スネフェルは歴史上で最も大きいピラミッドを2つも建てたが、いずれも使い物にならなかった。それでも彼は諦めなかった。老いていくファラオに残された時間は減っていた。彼は死ぬ前にきちんとした埋葬場所を造らねばならなかった。

エジプト人にとって、屈折ピラミッドは自慢できる成果だ。マイドゥームMeidumでは、塔ピラミッドの崩壊があり、近くで新たなピラミッドを造ることを諦めたが、今回は、屈折ピラミッドから1Kmもしない(注)場所に最後のピラミッドを造ることになった。今日では、太陽の光を浴びると赤く見える。
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(注:Google Earthで確認すると2Km離れています。)
これを見る限り、赤いピラミッドは成功したように思われる。墓室は安定していた。歴史上で初めての真正ピラミッドだ。しかし、生存中に埋葬場所を完成させるため、調整が必要なこともあったのだ。このピラミッドは屈折ピラミッドより小さい!傾斜角は安全を見て43度で造られた。しかし、スネフェルはとうとう、技術的な課題を解決することが出来たのだ。そして、この赤いピラミッドに彼のミイラは安置された。
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彼の死から数世紀後、スネフェルを守る最高位の祈祷師は、彼が、生命と繁栄と安定を維持できるよう、この場所でスネフェルの魂に捧げ物をしていた。

スネフェルと彼の建築家たちは、重要なピラミッド建設技術を学んだ。マイドゥームMeidumの塔ピラミッドでは外装用の石をピラミッドにしっかり固定する必要性を学んだ。屈折ピラミッド建設では、その学習を正確に実行したため、今日でも外装の石は良い状態で残っている。屈折ピラミッドで、コルベル型天井を使って内部に大きな空間を造る方法を発見し、その後にどんな問題が起きるかも学んだ。スネフェルのピラミッド建設のおかげで、エジプト人は、大きな石を切り出し、運搬し、きちんと積み重ねる技術を発展させ、この技術がマイドゥーム、ダッショーア、そしてギザのピラミッドに引き継がれていったのだ。
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固い絆(きずな)でつながったスネフェルの家系は見事な業績を成し遂げることになった。スネフェルは少なくとも5人の息子を持っていた。彼らと共にスネフェルの家系は発展を続けた。息子の何人かは建築家になった。一番有名な建築家の息子はアンカフAnkhhafだ。彼はギザで二番目に大きいピラミッドの建設を担当した。
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彼の兄弟のヘミエヌは、兄弟でファラオになったチオップスCheops(mh;クフの別称です)を補佐した。大ピラミッドを建てたのは、恐らくヘミエヌだろう。
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息子のラメイサはピラミッド建設に携(たずさ)わらなかったが、軍隊に所属し、最高位の祈祷師になった。
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スネフェルの家系は歴史上でも最も成功した家族の一つだろう。

父親がピラミッドに憑(と)りつかれていたことは、息子たちに強い影響を与えていたに違いない。息子たちはマイドゥームのピラミッド、屈折ピラミッド、赤いピラミッドを通じて、父のスネフェルと共に生きてきた。父親の仕事ぶりは間違いなく息子たちに引き継がれていったのだ。

スネフェルの最も有名な息子はチオップス(クフ)で、彼の後継者だ。世界の七不思議の一つになった大ピラミッドを建てたことで今日でも知られている。大ピラミッドは疑いもなく、スネフェルが息子に残した遺産だ。スネフェルの経験がなければ、造られることは無かっただろう。
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スネフェルの3つのピラミッドに共通する一つの特徴がある。コルベル型の天井だ。墓室の上方の石の重量を分散する天才的な解決策は、後の全てのピラミッドでの墓室建設を可能にした。マイドゥームで注意深く採用され始め、ダッショーアのピラミッドでは見事な天井を形成し、チオップスの大ピラミッドの大ホールではその頂点を極めることになった。
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いつの時代でも、構造物の内部に造られる最も大きな空間の天井の一つであるコルベル型天井は、普通、4mから6mの高さだ。しかし、大ピラミッドのこの空間では9mで、実際はもっと高いのではないかと感じられるほどだ。
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墓室では、チオップスは父の偉業を凌(しの)いでいた。しかし、彼は、上方の加重から墓室を守る独特の解決法を見えないように隠している。
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天井を覆っている花崗岩は加重を分散する方法なしでは、その上のピラミッドの重さを防ぐことはできない。チオップスが採用した解決法を見るには、小さな穴を抜けて大ホールの最上階まで行かねばならない。
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ボブ「ここに、墓室の天井が崩壊しない秘密があります。私が今いる所は、墓室の真上です。この小さな空間は、下の墓室の天井に加わる圧力を取り除く目的で設計されました。」
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「私の上には床があり、その上には、この場所と同じような小さな空間があります。そしてこれらの空間の最上階の天井には2つの巨大な石がVの字を逆にした形で設置されていて、墓室に加わる圧力の多くを受けとめているのです。」
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「それはあたかもコルベル型の天井を流線形にしたようなものです。スネフェルが見たら、きっと感心するでしょう。」
圧力を吸収する空間は見事に機能していた。建設から5千年後の今でも、墓室は完璧で、見た所、どこも傷んでいない。もし墓泥棒が見つけることがなかったら、チオップスのミイラは今日でも、この墓室に残っていただろう。
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スネフェルは彼の息子チオップスに世界最大のピラミッドへの道を遺しただけではない。エジプトの外部との交易で、彼の息子が次の世にいくための大きな財産も準備したのだ。

古代エジプトでは、輸送は船か驢馬(ろば)に頼っていた。驢馬は短い距離に、船は長い距離に使われていた。1954年、大ピラミッドのそばで埋められていた船が見つかった。全長はおよそ45mだ。
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この船はチオップスが造ったものだが、彼の父スネフェルがレバノンから持ち帰った木材が使われている。船が見つかった時、解体されていて部品の状態だったが、杉の板は昔と同じ強度を持っていたため、船を再現することが出来た。木材のいくつかはとても大きなもので、今日、同じものを造ることは不可能だ。理由は単純で、こんなに大きな杉の木は、今では残っていないのだ。
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典型的な古代エジプトのデザインで、木材はロープで結び付けられて一体化している。水に浮かべると、木材が膨潤し、ロープは縮むので隙間が埋まり、船に水がしみ込み辛くなるのだ。
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マストも帆もなく、オールだけが推進力を得る手段だ。しかし、この船の目的は何だろう?ファラオが生きていた時、この船は何のために使われていたのだろう?彼が最後の旅に出る時、この船はどんな役目を果たしたのだろう?

この謎を解くため、チオップスの船と全く同じ形の長さ2mのモデルがアメリカで造られ、ロングアイランドの海軍構造研究所でテストが始まった。
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モデルの船は航跡をほとんど残すことなく、水の上を滑るように移動することが出来た。オリジナルの船ではマストや帆が使われていた形跡がないので、オールだけが移動手段のようだ。しかし、コンピューターを使った解析によれば、船を動かすために必要な推進力をオールで得ることは不可能だと判明した。オールは近代のヨットで安定性や方向性を確保するキール(keel竜骨)の役目を果たすだけのものでしかなかったのだ。とすれば、船はどんな方法で水の上を移動していたのだろう?

儀式用の船は、しばしば、牽引(けんいn)され、遺体を乗せてナイルの東岸から西岸に移動していたと伝えられている。4千年前の人々は、スネフェルの息子を乗せた船が大ピラミッドに造られた最後の安息の場所に向けてナイルを進んでいくのを見たはずだ。
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ファラオが死ぬと、彼の遺体はナイルを渡り、現在、スフィンクスが建っている場所の近くで下ろされた。
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そこから、直ぐ近くの寺院に運ばれ、細心の注意を払いミイラ処理された。死から、正確に70日後、ミイラ処理されたファラオは主通路causewayを通って寺院から彼のピラミッドに運ばれた。
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古代の儀式に則(のっと)り、経文を唱える祈祷師に導かれながら、遺体は人類が造った最も見事な記念碑の心臓部に運ばれ、そこに収められた。

ピラミッドを建造した偉大な時代は、スネフェルの家族が権力を握っていた間だけだった。
彼の息子は大ピラミッドを造った。そしてその直ぐ隣に、彼の孫が二番目に大きいピラミッドを造った。その後、このような記念碑の建設に必要な動機とエネルギーは薄れ、以降に造られたピラミッドは貧相な類似品ばかりだ。
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古代エジプト人はスネフェルの時代を振り返り、黄金時代だったと考えるようになった。スネフェルの死から7百年後、第12王朝のファラオたちはダシューアDahsurの、スネフェルの遺跡の近くに彼らのピラミッドを造った。
これはアメンエムハト三世が造った煉瓦のピラミッドの跡だ。
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今では浸食が進み、崩壊が激しい。スネフェルの家族が造ったようなピラミッドが再び造られることはなかった。後のエジプト人たちは、偉大な事業を自慢する時“スネフェルの時代以降、あんなに見事な物を見ることはできなくなった”と言うのだ。
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The Great Egyptians - Episode 1: King of the Pyramids (History Documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=T4cA6oGwzvk&t=2008s

先週のブログ「ピラミッドの不思議」では、ピラミッドが造られることになった普遍的な理由は太陽に対する畏敬の念であるとのmhの見解をご披露させて頂きました。エジプトではファラオが、あの世での生活を維持するため、遺体を永遠に保存する手段として造られたことになっています。この考えは間違いではありません(?)が、なんであの世の生活を心配し出したのかと言えば、この世があったからです。もし、この世が無かったら、つまり、生まれてこなかったら、あの世の心配などする必要はありません。

夕には西に沈む太陽が、翌朝には生まれかわって東の空に現れるのを見て、ファラオは、ピラミッドに一縷(いちる)の望みを託すことにました。私も太陽のように、生まれかわりたい!

しかし・・・お釈迦様も仰ったように、形あるものは滅びるというのが真理です。太陽でさえも、その輝きは有限なのです。
(完)

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