Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

アーサー王の不思議


覚えていらっしゃるでしょうか。ブログ「聖杯の不思議」で登場したイングランドの伝説の王アーサーを。聖杯Holy Grailが保管されていたことがあると言われるアーサー王の居城キャメロットCamelotが何処にあったのかについても、ある見解が提示されていました。

で~今回ですが~
アーサーの遺骨を探す2人の男にスポットを当てたYoutube「The Search for King Arthur's Bonesアーサー王の遺骨を求めて」をご紹介しましょう。

読者諸氏の理解の一助とすべく、今回の重要な舞台となる2拠点の情報をご披露しておきます。

ティンタジェル城Tingtagel Castle とグラストンベリー大修道院Glastonbury Abbeyです。
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ティンタジェル城Tingtagel Castleは北コーンウォールの、アイリッシュ海Irish Seaに突き出た四角な岬にあります。
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岬にある城跡の向うに見える崖はブリテン本島です。
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Wiki:ティンタジェル城(Tintagel Castle)
イギリス、コーンウォールのティンタジェル沿岸部に所在する遺跡。この地はもともとローマ人の居住地であったが、城砦そのものは13世紀からのものである。この城跡はアーサー王伝説に関連されたものとして考えられ、観光地として人気も高く、イングリッシュ・ヘリテッジによって管轄されている。

アーサー王はイギリスでは人気者なんですねぇ。

で、もう一つの重要な場所グラストンベリー大修道院Glastonbury Abbeyです。
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広い敷地に修道院跡が残っています。
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で~修道院の建物跡の中に・・・
具体的には上の写真の一番奥に見える小さな掲示板の場所にアーサー王の墓の跡があるんです!!!
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掲示板の記事は・・・
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SITE OF KING ARTHUR’S TOMB:アーサー王の墓の場所.
「1191年、アーサー王と彼の王妃の遺体が聖マリア礼拝堂Lady Chapelの南側で見つかったと言われた。1278年4月19日、彼らの遺骨はエドワード1世とエレナ王妃の立ち合いの下で、この地の黒大理石の墓に移された。この墓は1539年の修道院解体まで残っていた」
てことは、今は残っていない???

しかし・・・
話はそれほど単純ではありません。なんせ、アーサー王と言えば、日本なら古事記に現れる大国主(おおくにぬし)とか日本武尊(やまとたける)のような人物です。その墓からその骨が見つかったとなれば、大事です!!!

何はともあれ、フィルムの内容をご確認下さい。
・・・・・・・・・・・・
Myth Hunters神話探求者たち
The Search for King Arthur’s Bone
アーサー王の骨を求めて
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彼は英国で最も有名な人物だ。アーサー王!円卓の騎士の伝説の指導者だ。全能の剣エクスカリバーで武装し、その名は名誉と勇気と共に語られている。
歴史家クリストファー・ギドゥロウ「彼は伝説の人物で、戦の指導者で、卓越していた」
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20世紀。2人の考古学者がアーサー王の骨の探求を開始した。一人は事実に基づいて調査を進める科学者で、この調査のために嘲笑され、孤立するかも知れないリスクを承知していた。
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歴史家ティム・ホプキンソン「彼は賢明だという評判を得ていた人物だ。」

もう一人は、超自然現象に憑(と)りつかれていた男だった。
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ティム「ブライ・ボンドは、かなりの変人だった。」

その調査は、彼らを英国の暗黒の中世の中でも最も暗黒な部分への旅に引きずり込んだ。これはアーサー王の墓を探す物語だ。
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アーサー王は英国軍人の歴史で最も有名な人物の一人だ。伝説によれば、彼の華々しい統治は西暦6世紀のものだ。
考古学者ケン・ダーク「アーサーの最も知られているイメージは煌(きらび)びやかな鎧(よろい)を纏(まと)い円卓に着いている姿だ。英雄的な騎士で、特に聖杯Holy Grailの探求をしたことで知られている」
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アーサー王は正に伝説のスターと言える。若いアーサーが石から剣を引き抜いたとか、魔法使いのマリードと共に不思議な冒険をしたという有名な話が伝えられている。
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しかし、アーサー王の本当の姿は謎に包まれている。というのは、彼が生きていた6世紀は暗黒時代の真っただ中だったからだ。
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この時代に関して知られているのは2,3の僅かな事実だけだ。英国の人々は島の外からの侵入者によって攻撃を受けていた。伝説によれば、アーサー王は英国の保護者であり、覇者(はしゃchampion)だった。しかし、彼の物語は戦いの最中での果敢な死と共に終わる。
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考古学者ケン・ダーク「アーサーはウィンザーと烈しく争っていて、ライバルとの劇的な最後の闘いで致命傷を受けた。」
クリストファー「致命傷を負ったアーサーは、治療のためアヴァロン島に連れていかれた。それが、我々が聞いている彼に関する最後の物語だ」
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アヴァロン島は、あらゆる謎の中でも最も不思議なものだった。アーサーが最後に眠りについたこの場所が、一体どこにあるのかを知る人はいない。
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ケン「近代の学者たちのほとんどは、歴史的な観点ではアヴァロン島の存在を疑っているだろう」

しかしアーサーが死んで6百年後の1191年、イングランド西部のグラストンベリー大修道院の僧侶たちが驚くべき発見をした。アーサー王の墓を見つけたのだ。
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クリストファー「これは中世において最も祝福された発見の一つだったに違いない。」
墓には、骨がアーサー王のものだと示す鉛の十字架があった。
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クリストファー「僧侶たちが鉛の十字架の上の文字を見ると“ここにアヴァロン島で有名なアーサー王が眠る”と書かれていたのだ!」
グラストンベリー大修道院の僧侶たちは、自分たちの修道院こそがアヴァロンだと信じた。アーサー王の死の謎は解けたと思われた。
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クリストファー「僧侶たちは“アーサー王は実在していた。我々は彼の墓を掘り当てた。彼は他の有名な王と同じように、墓に葬(ほうむ)られていたのだ”と考えたはずだ」

しかし、現代の歴史学者たちには、僧侶たちの話が真実であるはずがなかった。何故なら、1539年、グラストンベリー大修道院は、カソリック教会と争うヘンリー8世(注)によって完全に破壊されたのだ。アーサー王に関する遺骨や、墓だと示す十字架など全ての痕跡は失われてしまったようだ。
(注)ヘンリー8世と教会は、ヘンリーの離婚と再婚を巡って抗争しました。

以降20世紀になるまで、学者たちにはアーサー王が生きていたという確固たる証拠は残されていなかった。
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クリストファー「アーサー王が実在したということに関しては多くの懐疑的な意見があった。彼に関する現実の記述があると思われてはいなかったのだ」
ケン「アーサーと呼ばれる歴史的な人物が存在したことを確認できる証拠は何もなかった」
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しかし、1908年、アーサー王は実在していたと固く信じる男がいた。彼は、信じるだけではなく、それを証明しようと動き出したのだ。優れた建築家フレデリック・ブライ・ボンドは、自分だけが、破壊されたグラストンベリー大修道院跡のどこかにあるアーサー王の最後の眠りの場所を追跡することが出来ると信じていた。
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クリストファー「アーサー王の存在を証明するか、証明できないかは、具体的な遺品が見つかるかどうかに係っている」
ティム「もしアーサーの遺品を見つけることが出来たら考古学者としての名声を得ることができるだろう」

ブライ・ボンドは、大修道院の所有者“イングランドの教会”を説得して、グラストンベリー大修道院跡地の発掘の許可を得た。しかし、何らかの証拠を手に入れておく必要があった。
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ティム「彼にとっては見逃せない千載一遇のチャンスだっただろう。まだ誰も手を付けていない有名な場所で、彼だけが踏み込んで調査できるのだから」
1900年代の初めは、考古学という科学分野は、産声(うぶごえ)をあげたばかりの時代だった。ブライ・ボンドはグラストンベリー大修道院における組織的な調査に建築的な手法を活用した。
修道院に残されていたのは、わずかな壁だけだった。従って、ブライ・ボンドの最初の仕事は、隙間を埋め、大修道院の全貌に関する詳細な配置図を作成することだった。
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ティム「ブライ・ボンドは配置図の作成に取り掛かった。毎日、図板に向かい、現場で発見した結果を図に記入していった。とても基本的な作業だが、このような作業がそれ以前になされたことがなかった」

この見事な大修道院には、いくつかの大きな建造物があった。ブライ・ボンドはそれらを図面に表すことが出来た。そして、歴史に関する記録は、どの場所でアーサー王の遺骨を見つけられるのかという謎を解く手掛かりのようなものを彼に与えてくれた。
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1191年に墓を見つけた後、僧侶たちはアーサーの遺品を重要な訪問者たちに公開することに不安を抱いていた。そこで、遺品を最も大きい、最も重要な建物である修道院教会の秘密の場所に仕舞い込んでしまったのだ。
クリストファー「1278年、遺品は極めて重要な訪問者のエドワード1世と彼の妻カスティール王妃に贈呈するために持ち出された。王は修道院教会の中心部に黒大理石の墓を設け、そこに遺品を収納した」
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アーサー王の墓の位置に直結するこの物語はブライ・ボンドも読んだに違いない。しかし、完全に崩壊した遺跡が並ぶ場所の中で、何処に修道院教会があったかを特定するのは困難だった。ブライ・ボンドにとって問題だったのは、失われている教会の外壁を図に表し、その中心にある墓の位置を特定することだった。その答えを得るため、彼は数学を活用しながら、長年、魅惑されていた発想に頼ることにした。
ティム「彼が最も好んでいたのが数学だった。特に、数学的なパズルや数、これらの相関などが好きだった」

ブライ・ボンドは、グラストンベリー大修道院の建築家たちは秘密の数学的暗号を使っていたはずだと考えた。大修道院での測定結果は、建物の配置が、聖書の時代から建築家に受け継がれてきた、考え抜かれた数字配置に従っていることを示していた。
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ティム「彼の測定結果に従うと、数字の繰り返しやパターンが現れていたという。これは単なる偶然以上のもので、建物の基礎や配置は、この考えに従って幾何学的に行われていたというのだ」

ブライ・ボンドは古代の建築家がしばしば“魔法陣magic square”と呼ばれる数字パターンを使うことを知っていた。全ての正方形は6列と6行を持っている。暗号を解くためには、ブライ・ボンドは各列、各行の合計が同じ値になるよう、数で埋めねばならなかった。正しいパターンを見つけようと何百回も試した後、ついに答えを見つけた。秘密の不思議な数字は111だ!
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ブライ・ボンドは、これが何を意味するかを完璧に理解していた。111x8は888インチで、74フィート(約22m)だ。彼は、秘密を探し当てたと考えた。古代の建築家は修道院を一辺が74フィートの正方形に沿って配置したのだ。ブライ・ボンドは自分が描いた配置図を実際に当て嵌めてみることで、それが正しい事を証明しようと決意した。きっと、修道院の失われた建物をひとつずつ明確にすることができるはずだ。

発掘作業者は、彼の指示に従って、正確に74フィートの長さの溝を掘っていった。
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すると直ぐに、これまで誰もその存在を知らなかった礼拝堂の基礎の石に行き着いた。それは、4百年もの間、忘れ去られていたものだった。しかし、ブライ・ボンドの図面は、その場所を指し示していたのだ。失われた礼拝堂は、まさに最後の74フィートの正方形の中に当て嵌まっていた。
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(mh上の図の一番右の四角にLost Chapelと書かれています)

ティム「ブライ・ボンドは忘れ去られていた礼拝堂と呼んでいた。修道院の隅に追加された重要な建物だったからだ。その痕跡は地上には全く残っていなかった。“付け足した建物”とも呼べるものだった」
英国の偉大な建築家の一人は、失われた礼拝堂など存在していなかったと言った。しかし、ブライ・ボンドは1週間もしないうちに、それを掘り当てた。しかも彼は、その大きさまで事前に予測していたのだ。
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ティム「ブライ・ボンドは基礎を掘り当て、続いて大きな建物も見つけた。つまり彼は、当時の著名な建築家の指摘が間違いだったことを証明したのだ」
教会関係者は驚いた。“彼は発掘を始める前に何を見つけるかを予告し、それを見つける男だ!”

ティム「礼拝堂の跡を見つけたことで彼は考古学的な力も持っていると見なされるようになった」

ティム「ブリストルの大僧正など大勢の見物客が大修道院を訪れるようになった。大僧正は“どんな方法を使って見つけたのですか?一鋤(ひとすき)の土も無駄にすることなく掘り当てるなんて信じられません”とコメントしている」
失われた礼拝堂はブライ・ボンドの74フィート区画図の中の最初の区画に当て嵌まっていた。
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その後の発掘で、アーサー王の墓があった場所としてはかなり大きな修道院教会だったことが判明した。場所は当初の予測に完璧に一致していた。

教会は大きな建物で、幅は1区画、長さは5区画だ。ブライ・ボンドは、そのどこでアーサーの骨を掘り当てられるかを知っていた。教会の中心だ!
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ティム「情報を集め終わると、彼はその場所を測定して定め、芝turfの中に鋤(すき)を刺して掘り始めた」
もしブライ・ボンドの計算が正しければ、大理石の墓は直ぐ見つかるはずだ。
やがて彼は探していたものを見つけた。特徴のある、それらしい黒い石の欠片(かけら)だ。
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1539年、ヘンリー8世によって破壊された墓の残骸だ!もし、アーサーの遺物が墓に残されていたとすれば、それは、この辺りにあるはずだ!

しかしブライ・ボンドが信じられなかった事は、作業者たちが、骨の一欠けらも見つけることが出来なかったことだ。ブライ・ボンドの独創性の全てをもってしても、アーサー王の探求は失敗に帰すことになった。
彼の大きな後退は、教会の主任が、数字に対する彼の奇妙な執着に不信を持ち始めたことだった。
ティム「彼は数字に基づいて作業を進めていたが、数字が発掘で重要な意味を持っているという学術的な根拠はなかった。それはとても異常なやり方だった。」
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教会の建設で魔法陣を使うのは数秘術(すうひじゅつ:オカルトの手法の一つ)のように思われた。その手法は超常現象的paranormalで、場合によれば悪魔主義に結びついた詐術だ。
ティム「それはとても疑わしい響きを持っていた。彼は委員会で疑いの眼(まなこ)で見られるようになった」
教会の忍耐は尽きかけ、ブライ・ボンドは、即座に、よい結果を見つけ出さねばならなくなった。彼は新しい計画を立てた。12世紀の僧侶たちがアーサー王の遺物を見つけた場所で、実際の墓を探すのだ。
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それが、僧侶たちが残していた骨を見つける最後のチャンスだ。

そうなると、ブライ・ボンドが描いた図面は全く役に立たなかった。その墓は大修道院の敷地のどこにでも在り得たからだ。敷地は22万平方フィート(2万平方m)もある。
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墓を特定しようと考えたブライ・ボンドはやけくその手段を受け入れる準備が整っていた。
ティム「ブライ・ボンドは象徴的な数字を使う手法に大きな自信を持っていた。なんとかして、この手法で墓の位置を探そうと必死だった」

そして、ブライ・ボンドはオカルト(occult神秘現象)に目を向けた。
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ジョン・バーカットと言う名の霊媒師psychicの助けを借りて、ブライ・ボンドは死者と交信しようと考えた。降霊式では自動記録という超常現象手法を使う。
ティム「数枚の白紙の用紙を準備し、心を鎮(しず)めてテーブルに向かって座り、空中に向かって質問したり、用紙の上の方に質問を書いたりしてから、霊媒師にペンを握らせ、そのペンを用紙の上に持って行く。ブライ・ボンドは自分の右手を用紙に、左手はペンを持つ霊媒師の右の手に添える。すると、暫くためらうような動きをした後、霊媒師の手が動いて用紙に何かを書き始める」
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霊媒師の記述は、見えない力に導かれて行われているように思われた。ブライ・ボンドにとっては、お告げとも言えるものだった。古代の大修道院の僧侶たちが彼に秘密を語っているのだ。
ティム「彼は、僧侶たちの霊を信じた。多くの人は全く手段を失うと、馬鹿げたことをしでかすものだ。ここを探せ、あそこを掘れ、などとのお告げがあった」

ヨハネスという名の僧侶の霊が最も関心を示してきた。彼の霊はブライ・ボンドが大修道院の図を作成するのを後押ししていた。
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霊は数学的な地形作成手段にも関心を持っていた。ヨハネスの霊に完全に魅射られていたブライ・ボンドはアーサー王の墓の位置を質問した。すると、ヨハネスの霊は驚くべき啓示を示した。大修道院の地下深くに、もっと古い、別の教会があるという。アーサーの骨の探索を進めるのなら、ブライ・ボンドはグラストンベリー大修道院の暗黒時代の過去の深くまで掘り進んでいかねばならなかった。
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ティム「グラストンベリー大修道院の最も古い部分は“古い教会”と呼ばれていた。とても古く、どのくらい古いのか、誰が最初に建てたのか、知る人はいなかった」
ヨハネスの霊によれば、古い教会は、現在は、中世に建てられた聖母マリア礼拝堂Lady Chapelが立っている場所にあるという。そこは、既にブライ・ボンドが地図で位置を確定していた所だった。
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アーサー王の墓は建物の外の、古代の集団墓地の中だったのだ。ブライ・ボンドはその位置を探り出すために彼の数学的知識を応用できると悟った。
ティム「その当時も同じ建築構想が使われていたなら、過去に遡って地形や建物を調査すれば、最初の教会の形を見つけ出すことが出来るかも知れない、とブライ・ボンドは考えた」
ブライ・ボンドは古い教会の周りに発掘範囲を描いた。まだ数字の6に固執していたので、6角形の発掘範囲を設定した。集団墓地とアーサー王の墓は象徴的な形の中になければならない。
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発掘を始めると、ブライ・ボンドは自分の目を信じることが出来なかった。どこを掘っても骨が見つかる!彼は数世紀に渡る大修道院の住民が眠っている古代の集団墓地を掘り当てたのだ。アーサー王の墓を特定するのは時間の問題だった。
ティム「彼はアーサーと彼の妻グイネヴェルGuinevereが初めて埋葬された墓を発見したと確信していた。数か月の発掘できっとアーサー王の最初の墓を掘り当てられるはずだと思った。
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しかし、ブライ・ボンドは最も大きな勘違いをしていたのだ。1918年、彼は「記憶への門Gate of Remembrance」という本を発行した。
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グラストンベリー大修道院における超常現象を使った彼の調査の詳細と、死者の僧侶との降霊式の様子を解説したものだった。このニュースは“イングランドの教会”を通じて野火のように広がった。
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ティム「これが混乱を巻き起こしたのは容易に想像できるだろう。ブライ・ボンドは有能な建築考古学者ではないとの告発が行われた。“どうしてこのような男が有能であろうか。指揮したのがブライ・ボンドではなくて中世の僧侶で、霊がブライ・ボンドを操(あやつ)って発掘させていたなどという馬鹿げたことは信じられない!”」
教会の見方では、ブライ・ボンドは悪魔に操られた、キリスト教徒ではない考古学者だった。教会関係者にとって決め手となったのは合計が111になる6つの列の合計が666だったことだ。野獣の数だ!
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ティム「この瞬間、発掘は打ち切られ、教会の支援は受けられなくなった」

ブライ・ボンドによるアーサー王の骨の探求は終わった。恐怖を感じた教会が発掘を打ち切ったのだ。1923年、ブライ・ボンドは大修道院から追い払われた。
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しかし、新たな英雄がこの探索を引き継ぐべく待ち構えていたのだ。1908年、グラストンベリー大修道院の発掘場所を訪れる好奇心の強い8歳の少年がいた。物心がついた時から、アーサー王の探求を引き継ぐ運命を持っていたようだ。
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名はアーサー・ラリー・ラドフォードArthur Ralegh Radford。発掘中に彼とも会っていたブライ・ボンドは、彼の中にあるカリスマ的な精神力を見抜いていた。
ティム「ブライ・ボンドは若いラドフォードに強い印象を与えたようだ」
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少年は古代の僧侶や伝説の王に関するブライ・ボンドの幻想的な話に興奮した。
ティム「ラドフォードを発掘場所に連れていく時、ボンドはいつもサーカスの団長のようだった。発掘作業はボンドが愛するもの、彼の感情そのもので、全てに彼の情熱が伝わっていた。それが少年の心に訴えることになったのだろう」
やがて若いラドフォードはアーサー王の墓を見つけようと決意するようになった。それは、暗黒時代の英国に関する指導的な考古学者に成長した彼の活動を通して打込む探求になっていく。
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クリストファー「ラドフォードは、過去に対する我々の恐怖は何らかの考古学的現実を含んでいるという考えに憑(と)りつかれていた」
しかしブライ・ボンドの超常現象的手法で時間をつぶすことはなかった。彼は自分の考えで行動する男だった。注意深くて論理的で、体系的だった。懐疑的で、何よりも確固たる証拠を必要とした。
フリストファー「ラドフォードは夢や見えない力に導かれることなど決してない男だった」
ケン「ラドフォードはとても現実的で、真面目な学者だった。とても厳格で、方法論的だった」
クリストファー「彼は正統の考古学者で、影を追い求めることなど無かった」
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しかし、ラドフォードですらグラストンベリー大修道院での発掘の許可を得ることは出来なかった。“英国の教会”はブライ・ボンドの悪い体験の後、心配の方が優っていたのだ。

そこでラドフォードは調査の焦点を切り替えることにした。アーサー王が死んだ場所から、彼が誕生した場所に!グラストンベリーから160Kmほど離れた、風が吹きすさぶティンタジェルTintagel島だ。
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アーサー王の伝説の切っ掛けとなった魅惑的な物語が生まれた所だ。

物語はこう始まる。
アーサー王の父ペンドラゴンはコーンウォールの伯爵の妻と恋に落ちた。
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何が起きているかに気付いた伯爵は、妻をコーンウォールに連れ戻し、ティンタジェルの最も安全な場所に閉じ込めた。
そこなら安全だと考えた伯爵は妻を一人で残しておくというミスを犯した。しかし、ペンドラゴンは、城に侵入する不思議な方法を見つけ出した。彼は不可能な仕事を成し遂げるため魔術師マーリンに依頼すると、マーリンは魔法を使った。マーリンはペンドラゴンの姿を伯爵そっくりに変えた。ペンドラゴンは、誰にもとがめられることなく城に入ることが出来た。
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彼は伯爵夫人と共に一夜を過ごし、朝、城を離れ、本物の伯爵に追いつくと殺してしまった。伝説によれば、アーサー王が生まれたのは、この結果だ。その夜、最も有名な男アーサー王が宿された。
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ほとんどの考古学者はこの伝説を真面目に捉(とら)えていない。しかし、ラドフォードはティンタジェルの名が明確に示されていることに興味をそそられた。ティンタジェル島から伝説が始まったからには、それなりの理由があるはずだ。
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“火のないところに煙は立たないThere’s no smoke without fire”という考えは合理的なはずだ。この伝説に従って調べていけば、5世紀、6世紀のアーサー王の時代の遺跡が見つかるはずだ。

ラドフォードは、ティンタジェルが6世紀のアフィリアン(mhアーサーの王国ログレスか?)王国の一部に違いないと考えた。そして、確固たる考古学的証拠を持って、それを証明しようと考えた。しかし、彼は自分自身を笑い者にする危険を冒したのだ。どの考古学者も、6世紀、島には住民はいなかったと考えていた。
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クリストファー「ラドフォードがティンタジェルで発掘を始めた時、学問的見地からは、暗黒時代のティンタジェルには何もなかったと考えられていた」
ラドフォードは、その見方は全くの間違いだと証明したいと考え、ティンタジェルの過去を求めて、これまでの誰よりも深く発掘を始めた。

そして、隠されていた暗黒時代の世界を掘り当てた。長方形の建物で、宗教的な様相で配置されていた。
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ケン「彼は、6世紀の修道院を示す一連の特徴を示していると考えた」
廃墟を掘り進めながら、ラドフォードは修道院が間違いなくアーサー王の6世紀のものだと示すことが出来る証拠を見つけた。
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それは、特殊な様式の容器で、それまでイギリスで見つかっていなかったものだ。
クリストファー「彼はティンタジェルでの発見に興奮していたと思う。見つけ出した沢山の容器の破片は、その近辺で造られたものではなかった」
容器は東地中海から来たものだった。ティンタジェルが単なる修道院ではなく、国際的な交易の要衝だった証拠だ。
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ケン「5世紀や6世紀において、ティンタジェルは明らかに東地中海の容器を運搬している交易人と接触していた。ラドフォードが発見したのは洗練された6世紀の世界だったのだ」
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ラドフォードはこれらの容器を“ティンタジェル陶器Tingtagel Ware”と名付けた。この容器は、6世紀には何もなかったと誰もが考えていた島が、既に繁栄していたことを示していた。

ケン「1930年代に、地中海から輸入されていた陶器をラザフォードが発見したことは、5世紀、6世紀の英国の考古学に関して、ある種の変換点となった」
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クリストファー「ラドフォードは十分な調査をした上で、豊かで洗練された国際的世界が暗黒時代のイギリスに存在していたという具体的な証拠を発掘したのだ。それは、これらの容器を評価できる人間にとっては、間違いなく、画期的で先駆者的なものだった」
アーサー王伝説を追跡したラドフォードは、誰もが疑っていたことを証明したのだ。
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ティンタジェルは、伝説のアーサー王が示していたように繁栄していた6世紀のイギリスの一部だった。ラドフォードはアーサーの王国を明らかにしたと考えた。次に彼が欲したのは、アーサー本人に関する証拠だった。
クリストファー「しなければならない仕事はただ一つ、アーサー王の伝説の残りがある土地での発掘だった」
グラストンベリー大修道院の発掘を始める準備は整ったとラドフォードは考えた。古代の遺跡のどこかに埋まっている謎を見つけるのだ。
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1951年、教会の権威者はついに、ラドフォードに発掘許可を与えた。彼がしなければならないのはアーサー王の墓を見つけることだけだ。
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ラドフォードは名探偵のように彼の仕事に取り組んだ。彼は12世紀からの重要な目撃証言を法医学分析した。
クリストファー「1191年、グラストンベリー大修道院の外で一体、何が起きていたのか?」
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中世の僧侶たちは、発見した墓がアーサーのものかを確認するため、ウエールズのジェラルドという名の歴史家を召喚していた。そこで、ラドフォードはジェラルドの証拠を子細に調べてみようと考えた。

証拠品Aはアーサー王自身だ。ウエールズのジェラルドは“骨は堂々たる戦士のもののようだった”と表現していた。
クリストファー「脛骨(けいこつshinbone)がとても大きく、眼窩(がんかeye socket)も英雄的指導者のように大きく、想像するに背の高さはストッキング(靴)を履いて立つと7フィート(210cm)くらいだとジェラルドは解説していた」
ラドフォードにとって決定的だったヒントは頭蓋骨に残っていた深い傷跡だった。
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それは伝説で言われている、アーサー王が戦いで受けた致命傷に合致する。
クリストファー「遺体には体から頭まで、幾つかの傷跡が残っていた。多くの傷は、完治した。しかし最後の傷は大きなもので、治ることはなく、これが彼を死に至らせたのだ」

証拠品Bはかなり異質なものだ。女性の骨で長い髪がまだ頭蓋骨にへばりついていた。
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それは王妃グイネヴェルGuinevereのものだ。
クリストファー「僧侶の一人はロマンティックな情熱に打ちのめされて手が震え、つまんでいた髪の毛を振り落としてしまうと、髪の毛は暗闇の中へ消えて行ってしまった」

そして最後の証拠品Cは鉛の十字架だ。
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遺骨がアーサー王と彼の妻のものだと示していた。ジェラルドは十字架に記された文字を写し取っていた。
クリストファー「彼らが鉛の十字架に記された説明を見た時、次のように書いてあったと彼らは言っている“ここにアヴァロン島の、有名な王アーサーが二番目の妻グイネヴェルと共に埋められ、眠っている”」
ジェラルドは僧侶たちがアーサー王の墓を見つけたことを確信した。

しかし、ラドフォードは懐疑的にならざるを得ない理由を持っていた。グラストンベリー大修道院の解体以降、鍵となるこれら3つの証拠は消え失せている。ラドフォードは、ジェラルドの話に関して、全く異なる解釈を考慮せざるを得なかった。アーサー王の墓の発見は仕組まれた詐欺話かも知れない!
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クリストファー「これらの証拠については、いつの時代でも、卑劣な手の込んだ証拠偽造だろうとの噂があった。僧侶たちが発見に関する全てをでっち上げたということは十分にあり得ることだ。似たことは、中世の謎の犯罪で頻繁に行われていた」

僧侶たちが詐欺を働く動機とすれば、資金的な問題だったかも知れない。彼らは土地の権利を自分たちが持っていると証明しようとしていたのだ。
クリストファー「グラストンベリー大修道院は12世紀、この地方で最も広大な土地の一つだったことを頭に入れておかねばならない。僧侶たちがその地を所有する正当な権利があるかどうかを証明するのは僧侶たちにかかっていた」
アーサー王の骨を手中にすれば、僧侶たちは、王が彼等にお墨付きを与えてくれたと言い張ることができる。
クリストファー「もし彼らがアーサー王の墓を見つけることが出来たなら、それは承認印とみなし得た」

僧侶たちの話を聞く限り、アーサー王の墓の発見は余りに都合が好過ぎた。ウエールズのジェラルドは僧侶たちから虚偽証拠だと知らされていなかった犠牲者かも知れない。
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クリストファー「僧侶たちは都合よく遺体を発見することができ、それをウエールズのジェラルドに見せたのだ。彼は広報者として都合が好い人間だった。指名され、グラストンベリーに招待され、僧侶たちと話し、彼らの発見品を見た」

ジェラルドが書き写した鉛の十字架に書かれていた文字は、全ての中で最も卑劣なものだろう。近代の考古学者たちは、その記述形式から、12世紀のものだと割り出した。正に、僧侶たちが偽物を作ったと考えることが出来る!
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クリストファー「彼らは、当時の状況に合わせ、もっともらしい偽物の何かを造ることが出来たはずだ。僧侶たちは本当に信頼できる人物だったのか?それは誰にもわからない」

ラドフォードは、僧侶たちが真実を話していると信じた唯一人の考古学者だった。彼は鉛の十字架に記されていた文字の記述形式は12世紀よりももっと古い可能性があり、十字架そのものも本物ではないかと考えた。しかしジェラルドの話が真実だと証明するには、ラドフォードは、今も残っているはずの、たった一つの証拠を見つける必要があった。墓そのものだ。
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それは大修道院の最も古い集団墓地の中のどこかに埋まっているはずだ。フレデリック・ブライ・ボンドのおかげで、彼は、何処から調査すればよいかを理解していた。
クリストファー「ラリー・ラドフォードは大きな利点を既に持っていた。ブライ・ボンドの調査の跡を辿(たど)ればいいのだ。ブライ・ボンドのおかげで、彼は発掘の全体計画を組み立てることが出来た」
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ラドフォードは発掘場所を大修道院の古い教会の周辺に絞った。イースター教会(?)の跡だ。中世の僧侶ジョハネスの魂に導かれたブライ・ボンドが40年前に発掘した所と同じ場所だった。しかし、ラドフォードはもっと科学的な方法を考えていた。彼の発掘チームの一員だった考古学者ピーター・ポインツ・ライトは、ラドフォードの情熱に強い刺激を受けていた。
考古学者ピーター「彼はいつも直感的な性格だったのだ」
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ラドフォードに追い立てられながら、発掘チームは大修道院の古代の集団墓地の中を深く掘り進んでいった。しかし、彼らも、ブライ・ボンドと同じ問題を抱えることになった。つまり、沢山見つかる墓の中からどれがアーサーのものかを特定しなければならなかったのだ。ラドフォードの長年の経験は、問題解決に当たって天才的な手法を生み出した。
ピーター「彼の知識の深さは、全ての分野で発揮されていた」
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ラドフォードの調査は重要な歴史的事実を見つけ出した。古い教会の場所は、今は中世の聖マリア礼拝堂が占有していた。アーサー王はその3番目の窓の南側に埋葬されている。彼の墓は巨大な2つの柱の間だ。
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ピーター「柱の一つの高さは7.8m、もう一つは6m以下の高さだった」
大修道院が破壊された後、柱は盗まれてしまった。しかし、ラドフォードオは、この大きさの建物なら何らかの痕跡を残しているはずだと考えた。そこで幅18mの溝を掘って探してみることにした。
ピーター「そこで、我々は、それらしき場所を探し始めた」
溝を注意深く掘り進む作業は1週間を要した。すると進展があった。かつてアーサーの墓の位置を示していた柱は地中に柱跡の穴を残していたのだ。
クリストファー「その穴は、どこから堀り進めればよいかという地点をラドフォードに示してくれた」
2つの柱跡の間で、土が荒れた場所が見つかった。それは空にされた墓跡だ。まさにラドフォードが言い当てていたものだ。
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ピーター「まさに遺体を埋めていたと思える跡だった」
ラドフォードが指摘していた場所には、目的の場所を掘り当てたと思わせる更なる証拠があった。小さな石の欠片だ。12世紀に僧侶たちが掘り出したものと同じ石に違いない。
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クリストファー「ラドフォードたちは、僧侶たちと全く同じ場所を発掘していたのだ」

1191年、僧侶たちがアーサーの墓を掘り当てた時、大修道院は再建工事中だった。建設用資材の石は、辺り一帯にあったはずだ。ラザフォードは、墓の中に落ちた、幾つかの資材用の石を見つけたのだ。それは、工事が行われていた時、墓が開けられていたことを明確に示していた。
ピーター「当時建設中だった聖マリア礼拝堂の建築用資材の欠片があった。作業中に欠片は散らばり、墓の中に入り込んでいたのだ」
クリストファー「穴の中には埋め戻すために使われたかの如くに、沢山の石の欠片があったのだ」
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石の欠片は、1191年、僧侶たちが墓を掘り起こしていたことを明確に証明していた。しかし、依然として彼らの話がでっち上げである可能性は残っていた。ラドフォードは、その墓跡が12世紀よりも古いことを示す、更なる証拠を必要としていた。

溝を詳しく調べた彼は、それを見つけた。土を詰めるために設計された壁の基礎があったのだ。
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ラドフォードは、直ぐに、その目的を大修道院の歴史の記録の中で発見した。1191年よりも古い時代、10世紀の大修道院の院長が、有名な人物の墓を敬うため、集団墓地全体の高さを持ち上げていたのだ。
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クリストファー「ラドフォードが見つけたのは、アングロサクソンの時代、墓地の見直しが行われ、全体が持ち上げられていた、その痕跡だったのだ」
アーサーの墓は掘り上げられ、1191年に僧侶たちが再び発見した時、墓は埋め直されていたものだったのだ。

ラドフォードは、鉛の十字架は、10世紀に埋め直された墓から出土したものだと確信した。アーサー王の墓であることを明確に示すため、十字架も埋め戻されていたのだ。12世紀の僧侶たちが十字架を造り上げたのではなかったのだ。
クリストファー「この理論は、アーサー王が生きていた6世紀と、1191年のアーサー王の墓の発見の時期との間に、何かが行われていたということに基づいていた」
12世紀の僧侶たちが真実を語っていたことを示す証拠を手にしたラドフォードは、全てを公表しても良い段階だと考え、BBC英国放送協会のインタビューを受けることにした。
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ラドフォード「僧侶は “ここにアヴァロン島の有名なアーサーが眠る”との記述がある鉛の十字架を棺の中で見つけたと言いました。その事実は長年、支持されていませんでした。私の考えでは、記述形式や十字架の形から考えて、12世紀以降のものではなく、10世紀以降のものです」
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もしラドフォードが正しいのなら、僧侶たちはアーサー王を掘り当てていたのだ。王は6世紀に教会を建てていたのだ。
ラドフォード「12世紀においては、教会や修道院の創設者をその建物内に造られた墓に埋葬することが伝統でした。同じことがアーサー王についても行われていたことに、私は一点の疑いも持っていません」

ピーター「ラドフォードは、アーサーの遺体は重要なものだったので、新しい埋葬場所に移されたのだと言っていた」
ラザフォードはウエールズのジェラルドの話が正しいことを確信していた。僧侶たちは墓を掘り当てていたのだ。そしてラドフォードがそれを見つけた。1191年、それは確かに起きていたのだ。石の欠片がそれを物語っていた!十字架はアーサー王だったことを示していた。ラドフォードはそれが偽物でないことを示すことが出来た。彼が見つけ出せずにいたのはたった一つの証拠だった。アーサー王の最初の墓が6世紀のものだったと示すことが出来るティンタジェル陶器だ。
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ケン「ラドフォードは地中海から輸入された容器を5世紀及び6世紀を特定できる重要な品として使っていた」
クリストファー「彼が墓の発掘の結果、見つけられなかった2,3の証拠の一つがティンタジェル陶器の欠片だった。当初はそこに在ったはずだが、どこかに消えていた。それさえ見つかっていたら、彼が、煙を出している拳銃を見つけただけではなかったことを証明できたのだ」

ラドフォードは、彼が見つけ出した証拠が全て状況証拠でしかないことを知っていた。発見した墓がアーサー王のものであることを直接的に示すものはなかった。

ラドフォード「ここが1962年と63年に私が発掘した場所です。そこから誰かを掘り起こしたことがある大きな穴をみつけました」
インタビューアー「誰かですか?」
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ラドフォード「私はアーサーだと考えています。がそれを証明することは出来ません」

ラドフォードはアーサー王の存在を証明しなかった。しかし、90歳になった彼はティンタジェルを訪れている。
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まだ失われているはずの決定的な証拠の断片を見つけ出したいと望んでいたのだ。彼は1998年に亡くなった。その瞬間まで調査研究を続けていた。
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クリストファー「私は個人的には、ラドフォードに味方したいと思っている。彼は彼の理論やアーサーの伝説の中に、まだ多くの隠れているものがあると語り続けている」

しかしラドフォードの理論は最後の捩じれを抱えていた。彼の死から10年後、考古学者たちがグラストンベリー大修道院での彼の発見を再評価した結果、ラドフォードが大修道院の土の中からティンタジェル陶器を掘り出していたことを発見したのだ。
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ラドフォードはそれに気付いていなかったが、彼はグラストンベリーが6世紀に遡ることを証明していたのだ!多くの専門家がまだアーサー王の存在を信じていない時期、ラドフォードは、グラストンベリーが暗黒時代の王国の中心地だったと確信していた。
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そこは英国最大の伝説が眠る場所だったのだ!
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The Search for King Arthur's Bones
https://www.youtube.com/watch?v=k4xJXdaiu28
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で~、結局、グラストンベリー大修道院はアーサー王と同じ6世紀頃に造られたものだったとの結論ですが・・・

ローマ帝国は5世紀初頭まで英国を支配していましたし、教会も造っていますから、グラストンベリー大修道院が6世紀のものであったとしても、それがアーサー王の墓があった場所だと断言するには不十分だということは衆目の一致するところでしょう。

大英帝国と言えど、かつてはローマ帝国に管轄され、その後は侵入してきたアングロサクソンの血を引き継いでいる歴史を持っていますから、5,6世紀は、ブリテン島のオリジナル、つまり、ストーンヘンジを建てた生粋(きっすい)のイギリス人の影は薄く、文字通り暗黒時代だったでしょう。これでは余りに情けないと思った、気位の高い英国人の先祖たちが、英国生まれの英雄アーサー王がアングロサクソンに反旗を翻した武勇伝を捏造(ねつぞう)したのではないのでしょうか。疑い深いmhに言わせれば、アーサーは伝説の中の人物でしかなく、現在の大半のイギリス人も、きっと、そう思っているはずです。だからこそ、アーサー王の物語は英国においても時代錯誤になりつつあるのだろうと勝手に推察しています。

翻(ひるがえ)って、我が日本はどうかと言うと・・・
ブログ冒頭で触れた大国主ですが、彼の墓や遺骨を真面目に探した人物がいるかネットで調べたら、わずかですが、情報が見つかりました!大国主の墓は九州の西都原(さいとばる)に沢山見つかる古墳の中の、たった一つある四角な墓だっていうんですね。

あるネット記事の一部をそのままお伝えすると
「西暦210年の半ば頃、オオクニヌシは日向の西都原(さいとばる)で亡くなった。五十五歳前後であったようである。タギリヒメとアマテラスの悲しみようは大変なものであった。そのため彼らは西都原の地に、日向では異例の「方墳」の墓陵を彼のために造り、そこに埋葬した。方型の墓陵を造るのは、出雲式であった。日向式は、円形の墓陵である。西都原には、全体で千数百個を超えるおびただしい数の古墳があるが、これらはすべて日向式の「円墳」か「前方後円墳」である。」
とのこと。

で~Wikiを調べると~
Wiki:西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)
宮崎県のほぼ中央に位置する西都(さいと)市の市街地西方を南北に走る、標高70メートル程度の洪積層の丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群である。3世紀前半~3世紀半ばから7世紀前半にかけてのものと推定されている。
(中略)現在、高塚墳311基が現存し、その内訳は前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基であるが、他に横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている」

おぉ!確かに、311個もある古墳の中に、たった一つ、方墳(正方形の古墳)があります!!!
常心塚古墳(じょうしんづかこふん)と呼ばれ、国指定史跡です。
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で~古墳の前の看板には「見つかった須恵器(すえき:日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器)破片から7世紀前半頃のもの」とあります。大国主との関係はなさそうです。

Wiki「出雲大社」によれば、出雲大社の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)ただ一人(一神)です。九州で愛人が丁重に埋葬した人(神)が出雲の神社に祀られているってのは、どうなんでしょうかねぇ。

古事記や日本書紀の内容は旧約聖書同様、全て虚偽とも言えるし、中には真実があるとも言えるでしょうが、虚偽と真実の境界は曖昧です。こんな調子ですから、出雲大社といえば、今の若者には縁結びの神社ぐらいにしか思われず、大国主命は忘れ去られているでしょうから、イギリスの伝説的英雄アーサー王への英国民の関心だって薄れているはずだとmhは思うのです。
(完)
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