Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

コンスタンティンの不思議


コンスタンティンConstantineとは???

よく使われる男性の名で、世界中には大勢のコンスタンティンを名乗る男がいるはずですが、今回取り上げるのは歴史上で恐らくは最も有名なコンスタンティンです。

で~どんな男か?

こんな男なんですねぇ。
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ローマのカピトリーノ美術館の中庭に展示されています。
巨像Colossusの高さは約12mでした。
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正式名はガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌスGaius Flavius Valerius Constantinus(西暦272年~337年)。ローマ帝国の皇帝です。コンスタンティヌス1世Constantine Iとも、コンスタンティヌス大帝Constantine the Greatとも呼ばれますが、聖コンスタンティンSaint Constantine とも呼ばれているんですね。

今回は、コンスタンティンが聖コンスタンティンSaint Constantineと呼ばれることになった経緯に疑問符を投げかけるYoutubeフィルムを軸に、Wikiやネット情報を織り混ぜて「コンスタンティンの不思議」をお贈り致します。
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コンスタンティンの父はコンスタンティウス・クロルスConstantius Chlorusです。ローマ帝国が4分割され“テトラルキアTetrarchy(西暦293年~323年)”と呼ばれている時代、ガリア(フランス)とブリタニア(イギリス)一帯を統治していました。

テトラルキアにおけるローマ帝国版図です。
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黄色の一帯が、コンスタンティンが育った“District of Constantius as Caesarカエサルとしてのコンスタンティウスの領”です。首都Trierトリール(現在のドイツの町)には当時の遺跡が残っています。
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“District of Constantius as Caesar”の“Caesarカエサル”ですが、クレオパトラの愛人だった共和制ローマの執政官ユリウス・カエサルJulius Caesar(ジュリアス・シーザー)以来、ローマ帝国における皇帝の称号として一般化され、英語でJunior Emperor、日本語で“副帝”を意味します。

テトラルキア時代、現在のイタリア一帯は“District of Maximian as Augustusオーガスタスとしてのマクシミアンの領”で、ここでのオーガスタスAugustus(アウグストゥス)は、執政官シーザーの後を継いで初代ローマ皇帝となったオーガスタスAugustusに因(ちな)み、“皇帝”の称号として使われています。

つまり、西暦293年に始まったテトラルキアTetrarchyでは、帝国は二人のAugustus(皇帝)と二人のCaesar(副帝)によって4分割され統治されていたのです。この4つを統一しようと動き出したのがコンスタンティンでした。

西暦312年、コンスタンティン軍はアルプスを越えて現イタリア、当時の“マクシミアンの領”に攻め入り、今もローマ市内に残るミルウィウス橋で皇帝マクシミアヌスの息子マクセンティウス皇帝の軍隊と衝突しました。
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橋の下を流れるのは有名なテヴェレ川(Tevere)です。橋は何度か修理され、今も健在ですが、通れるのは歩行者だけで、自動車は駄目です。

ラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノGiulio Romano が描いたフレスコ画“ミルウィス橋の戦いThe Battle of Milvian Bridge”がヴァチカン美術館のラファエロの間にあります。サイズは2mx5m位でしょう。
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白馬に乗るコンスタンティンの頭上では3人の天使がコンスタンティンを守っています!
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コンスタンティンの視線の先のテヴェレ川には皇帝マクセンティウスがいます。彼は、この戦いで命を落としました。
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ラファエロが描いた“ミルウィス橋の戦い”では聖十字架を抱いた3人の天使が描かれています。
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伝説によれば、コンスタンテインは、夢の中でイエスの声を聞いたり、橋に向かって進軍している時、太陽の前に十字架を見たりイエスの声を聞いたりしたようです。

また、ヴァチカン美術館の“コンスタンティンの間Hall of Constantine”には“The Donation of Constantineコンスタンティンの寄贈”という画題のフレスコ画もあります。画家は同じくジュリオ・ロマーノだと言われています。
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絵の中のコンスタンティンは時の法王Popeシルベスター1世の前で跪(ひざまず)き、小さな像を法王に寄贈しているようですが、ひょっとするとご褒美に法王から像を寄贈してもらう様子かも知れません。
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いずれにしろ、この絵の題は“The Donation of Constantineコンスタンティンの寄贈”で、意味する処は、コンスタンティンが都市ローマと西ローマ帝国の統治権を法王に与えたということです。統治権を与えたというのは捏造(ねつぞう)であり、都市伝説であって事実ではありません。しかし、この絵が暗示することは重要です。コンスタンティンは法王、つまりキリスト教に絶大なる力を与えることを約束したのです。

これで、何故、コンスタンティンが聖コンスタンティンSaint Constantineと呼ばれているかお分かり頂けたことでしょう。理由はこの絵に表現されていたのです。

ミルウィウス橋の戦いで勝利したコンスタンティンは、西暦312年に西ローマ帝国の皇帝になりました。

一方、テトラルキアの残る2つの領ですが、現在のセルビアに首都サーミウムSirmiumを持つ“ガレリウスの領”の皇帝リキニウスは、現在のトルコに首都ニコメディアNicomediaをもつ“ディオクレティアヌスの領”の皇帝マクシミヌス・ダイアを破り、東ローマ帝国の皇帝に収まりました。この時点で東西2つのローマ帝国になったわけです。

その後、2人の皇帝リキニウスとコンスタンティンは対立し、戦を繰り返します。皇帝リキニウスは異教崇拝(paganismペイガニズム)の勢力を代表するゴート族の傭兵が支援し、皇帝コンスタンティンはというと、キリスト教を象徴するラバルム(Labarum)の旗印の下に行軍していたようです。
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キリストのギリシア語綴(つづ)りは“Χριστος”で、最初の2文字のXとPをかたどった旗印です。

そして、324年、ハドリアノポリス、ヘレスポントス海峡、クリュソポリスなどの戦いを制したコンスタンティンはリキニウスを処刑し、東西ローマは再統一されました。

で、コンスタンティンは統一後の帝国の首都をどこに置いたかというと・・・
ローマじゃあなかったんですね。もうお気づきだと思いますが、コンスタンティノープルConstantinopleで現在のイスタンブールİstanbulです。
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当時Byzantiumビザンチウムと呼ばれていたこの町は、紀元前667年頃に移り住んだ古代ギリシア人が造りました。勿論、上の写真の右のアヤソフィアAyasofyaを建てたのはコンスタンティンの息子コンスタンティン二世で、西暦360年に完成しました。キリスト教会で、写真のようなドーム構造ではありませんでした。左の青いモスクとも呼ばれるスルタンアフメト・モスクは西暦1616年、オスマン帝国の第14代スルタン(皇帝)アフメト1世によって造られたものです。

で~少々長くて恐縮ですが、コンスタンティンとキリスト教との関係をWikiから抜粋しておきましょう。
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Wiki:コンスタンティヌス1世とキリスト教
コンスタンティヌス1世は、初めてのキリスト教徒皇帝として有名である。それ以前のローマ帝国では、ネロ帝(54年 - 68年)のキリスト教徒迫害に始まり、ディオクレティアヌス帝(284年 - 305年)の迫害まで、何度かキリスト教が迫害を受ける時期があった。そんな一部の時期を除くほとんどの間、キリスト教徒であることは黙認されていたが、発覚した場合は改宗を迫られ拒絶した者は処刑された。

5世紀の歴史家ソゾメノスによると、コンスタンティヌスはガリアまたはブリタンニアの辺りに駐在している間、現地で広まっていたキリスト教の洗礼を受けたという。ただし、洗礼の時期については、当時の風習に従い死の直前だったという説もある。コンスタンティヌスは自らキリスト教を信仰しただけではなく、宮殿でもキリスト教を広めようとした。コンスタンティヌスがキリスト教を広めた理由について、哲学者バートランド・ラッセルを始めとする多くの歴史家は、キリスト教の持つ組織力に目をつけたためだと指摘している。
(キリスト教の持つ組織力に目をつけた???!!!)

伝説によると、コンスタンティヌスが改宗したのは、神の予兆を見たためと伝えられる。伝説では、コンスタンティヌスは、312年のミルウィウス橋の戦いに向かう行軍中に太陽の前に逆十字と、ギリシア文字 Χ と Ρ(ギリシア語で「キリスト」の先頭2文字)が浮かび、並んで「この印と共にあれば勝てる」というギリシア語が浮かんでいるのを見た。この伝説はラクタンティウスなどいくつかの資料で詳しく伝えられているが、4-5世紀頃の文献に多く現れる神の予兆や魔法などの話のひとつである。ちなみに、この後のローマ軍団兵の盾にはそれを模(かたど)った紋章が描かれたという。
のちに「コンスタンティヌスの寄進状」という文書が偽造され、ヨーロッパ史に影響を及ぼした。

なお、コンスタンティヌス1世を正教会は「亜使徒聖大帝コンスタンティン」として記憶する事は冒頭に述べた通りであるが、日本正教会の宇都宮ハリストス正教会の会堂は「亜使徒聖大帝コンスタンティン及び聖大后エレナ会堂」であり、コンステンティヌス1世と母太后ヘレナを記憶している。
(mh:母太后ヘレナについては後述します。)
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しかし・・・
Saint Constantine聖コンスタンティンとも呼ばれる男が、キリスト教を方便とし、実は異教・邪教(mhキリスト教徒にとっては、キリスト教以外の宗教は全て異教であり邪教です)を信仰していたのではないのか?というのがYoutube 「The Deception of Constantineコンスタンティンの欺瞞(ぎまん)」です。フィルムに登場するプレゼンテーターのシムカ・ジャコボヴィッチSimcha Jacoboviciはイスラエル系カナダ人で、映画監督・製作、フリージャーナリストfreelance journalist、作家ですが、Wikiによれば、多くの賞を受賞していて、なかなか著名人のようです。で~Youtube でシムカ氏の主張を知った素直なmhは、“おぉ!すごい着想だなぁ!”って感心し、皆さんにも是非、ご紹介しようと思い立ったわけですが・・・

Wikiにもあるように、コンスタンティンがキリスト教を方便に使っていたのではないかというシムカ氏の疑念は、既に多くの歴史家も持っていたんですねぇ。その上、シムカ氏がプレゼンテーターで登場する別のYoutube“キリストの墓”(後日、紹介いたします)も見たのですが、これを“やらせ取材”だと告発するYoutubeが見つかりました。で~素直なmhは途端にシムカ氏に欺瞞Deceptionを感じた訳です。

しかし・・・当方にも、次回のブログとの関係という、どちらでもいいじゃあないのって笑われるかもしれない個人的な都合もある上に、コンスタンティンがキリスト教を方便としていたという指摘がシムカ氏に限るものではないということもありますので、ご迷惑かもしれませんが、Youtube 「The Deception of Constantineコンスタンティンの欺瞞(ぎまん)」に沿って、何故、そんな疑念を持たれるようになったのか、ご紹介したいと思います。
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ローマのコロセウムの脇に、コンスタンティン凱旋門the Arch of Constantineがあります。312年のミルウィス橋の闘いでの勝利を祝い、315年に建てられました。
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レリーフ(relief浮き彫り)には、川の神タイバー(横たわった男)、風の女神ビクトリー(羽根を持つ立像)、ローマの女神(タイバーの頭の所に立っている像)があり、この3神に囲まれた空白のスペースには、剥がれてしまっているがコンスタンティンの像があったといいます。つまり、彼は“邪教Paganの象徴のパッチワークで囲まれて居る”とシムカ氏は主張します。
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更には、門の中央に刻まれている文字に“神聖な導きによりDivinely Inspired”とあり、ここでいう神はキリストではないかも知れないとの疑念を提示します。
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何故なら、門に彫られているのはギリシア神話の太陽の神アポロApolloなどで、キリスト教から見れば邪教Paganの神ばかりです。
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更には、門の中心が古代の通りStreetの中心から2mほどずれているのは、門が建てられる前から立っていた30mのアポロ像を門の中心に持ってくるためだったと主張します。
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門の上にはチャリオットに乗るコンスタンティンの像があったとも言います。
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それは太陽の神アポロと重なっていたのです。(シムカ氏の主張)
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門には、キリスト教から見たら異教の神々は彫られているのに、キリストを表す物は十字架一つ、彫られていない。コンスタンティンは本当にキリスト教徒だったのか?
(シムカ氏の主張です)

更には、新しい都コンスタンティノープルの広場にアポロ像が載った記念柱を建てたようですね。像の顔はコンスタンティンに似ていたはずだと(シムカ氏は)言います。
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コンスタンティンはキリスト教以外の邪教を信仰していた???
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ローマのサンタ・プリスカ教会の地下には邪教の神を祀る部屋が残っています。
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(mh邪教の寺院の上に、新しい宗教キリスト教の教会が建てらていたということですね。同じことは、よく行われていたようです)

マントを靡(なび)かせているのは太陽神ミスラです。左手には屠(ほふ)った牛の頭を持っています。
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右下に横たわっているのはエジプトの神オシリスで、額にあるのは再生のシンボルだといいます。
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Wiki:ミトラ教またはミトラス教またはミスラス教(Mithraism)
古代ローマで隆盛した、牡牛を屠(ほふ)る太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。

で、ミスラ神の典型的な姿は次の通りです。
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ミスラ神が被っている帽子ですが・・・
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ブログ「東方の三賢人の不思議」で紹介した三賢人の帽子と同じです。
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三賢人が描かれたモザイク画はイタリアのアドリア海に面した都市ラヴェンナRavenna にあるサンタポリナーレ・ヌオボ聖堂Sant'Apollinare NuovoのバシリカBasilica(細長い講堂)に残されています。
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で~コンスタンティン凱旋門に飾られている聖人像の帽子も東方の三聖人と同じなんですね。
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さて・・・所変わって・・・
コンスタンティン時代、ブリタニア(Britanniaイギリス)の北限ではヘイドリアン(ハドリアヌス)の長城Hadrian's Wall)が北方からの蛮族の侵入を阻んでいたのですが、長城の近くにはローマ帝国軍の駐屯地が造られていました。
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幾つかの石に十字架が刻まれています。
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ローマ帝国の兵士や家族の中にキリスト教の信者がいたのです。
その一方で、妙な寺院跡も見つかっています。
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祀られていたのは・・・ミスラ神です。
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で、ミスラ神の冠は・・・
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“イエスの冠(光背)と似ている!”ってYoutubeフィルムのプレゼンテ―ターのシムカ氏は言うんですね。
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イタリアのラヴェンナRavennaのアーチビショップ礼拝堂Archbishop’s Chapelに一風変わったモザイクがあります。6世紀に作られたもので、キリストだと言うのですが・・・
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兵士のように見えます!足元の蛇はミスラ神を暗示しています。
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この男は聖コンスタンティンではないのか?
本来なら、こうなっていなければいけないはずなのに・・・
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で~Wiki「コンスタンティヌスの凱旋門」によれば・・・
「コンスタンティヌスの時代から遡ること200年前の建築物の装飾が用いられているため、近年、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌスはこれを改変しただけであるとする説も提唱されている。1960年のローマオリンピックでは、マラソン競技のゴール地点に選ばれた」
ともありました。
よってYoutubeフィルムで紹介されていたプレゼンテーター;シムカ氏の指摘は、証拠不足というか、欺瞞に満ちたもので、mhはミスリードされてしまったのかな?と疑い始めています。

少々欺瞞に満ちたYoutubeの情報や、mhが集めたネット情報を散発的にご紹介しましたが、自分で見直しても焦点がぼけていて恐縮しています。

気を取り直して要点を箇条書きで整理すると次の通りです。
1) 紀元前1世紀にローマ帝国が生まれた当時、ローマではミスラ神やアポロ神が崇拝されていた。
2) 古来の神を信仰するローマ人にとって、イエスは邪教を布教しようとする異端児で、ローマ皇帝には目障(めざわ)りだったため、西暦30年頃、エルサレムにあるゴルゴタの丘で磔刑(はりつけけい)にした。
3) しかし、キリスト教は徐々に浸透し、コンスタンティン(西暦272年~337年)の時代には、ローマ人の中にもキリスト教徒が現れていた。
4) ローマ帝国を統一する西暦324年まで、コンスタンティンはアポロ神やミスラ神だけを信仰していた可能性が高いが、彼の軍勢にはキリスト教徒も大勢いたので、キリスト教を迫害せずに受け入れていた。
5) 帝国統一後の西暦326年、バチカンにあったキリストの使徒ペトロの墓所に最初の教会を建てた(Wiki)。
6) コンスタンティンは洗礼を受け、キリスト教に改宗したが、洗礼の時期は不明である。
7) コンスタンテインの母ヘレンも洗礼を受け、キリスト教徒となった(Wiki)。

つまり、彼が、キリスト教を迫害することなく、ローマ帝国統一後にはバチカンに教会も建て、キリスト教の布教を支援したのは事実であり、後のキリスト教徒にSaint Constantineと呼ばれる資格はあるとして好いと思います。

それを「コンスタンティンの欺瞞The Deception of Constantine」と言うのは、誤解というよりも悪意のある曲解と言った方がよいのではないか?

で~今一度、フィルムを落ち着いて見直したら、なんと!正式なタイトルは「キリスト教の秘密Secrets of Christianity」で、副題は「Selling Christianityキリスト教の売り込み」なんですね!
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決して「コンスタンティンの欺瞞The Deception of Constantine」ではなかったんです!

ネットで確認すると、今回のブログの発端になったYoutubeは、「Secrets of Christianity」シリーズの“Episode 5 - Selling Christianity”だと判明しました!

番組紹介によれば次の通りです。
「4世紀、ローマ皇帝コンスタンティンは(西洋を)キリスト教に変えたと歴史は語っている。しかし、キリスト教がローマを征服したのか?それとも異教徒のローマがキリスト教を征服したのか?」
(mhやっぱシムカ氏は、フィルムでコンスタンティンが異教徒だったと暗示していたんですね)

「ローマとイスタンブールに残る考古学的事実は、皇帝が駆け引きの才覚the instincts of a marketing geniusを持っていたことを示している。多くの神格を戦略的に組合せながら、コンスタンティンは、例えば誕生日が12月25日のミスラ神など、太陽の神々を合併する手段として、イエス・キリストを“売り込んだ。”軍事力によって、新しい宗教は、本来のイエス・キリストの運動や、その関連で芽生えていた何百もの多様なキリスト教を抑圧した。コンスタンティンの(新しい)キリスト教は、今も世界で最も成功している流れになっている。」

つまり、Youtube 「The Deception of Constantineコンスタンティンの欺瞞(ぎまん)」と誰かが副題をつけたのは、全くの勘違いということではなさそうです。更には、彼が広めることになったキリスト教は、皇帝や法王に都合の良い教えであって、イエス・キリストが望んでいた教えではないかもしれない!って考えも含まれているのですね。

神を尊敬する宗教家が異なる宗教を邪教と呼び、弾圧し、殺戮するのは、なにもイスラム教に限ったことではなく、魔女狩りしかり、中南米でのキリスト教布教もしかりで、キリスト教でも行われていました。自分が正しく、自分と異なる考えや教えは邪(よこしま)だという排他的な考えは、トランプ大統領と同じです。コンスタンティンが聖コンスタンティンと呼ばれるのはキリスト教をローマ帝国の国教に育てたから、これで利益を得たキリスト教徒は聖人として祭ることにしたのですが、コンスタンティンは多くの敵兵を殺しているのです。それでも聖人と呼ぶとは、キリスト教とはなんと恐ろしい宗教なのでしょうか。バチカンのやり方に異を唱えたのがイギリスで生まれたプロテスタントではないかと思います。

取り留めもないブログになってしまい、本当に恐縮しています。そろそろ終わりましょう。

しかし、これだけはお伝えしておかねばなりません!!!

次回のブログは、コンスタンティンの母ヘレンが関係している不思議です。
ヘレンの生い立ちについては諸説あるようですが、キリスト教徒だったのは間違いないようで、聖ヘレンSt. Helenとも呼ばれています。

彼女には多くの伝説・逸話が残っているんですね。
「西暦320年頃、ゴルゴタに巡礼し、キリストが磔(はりつけ)になった十字架を発見した、とされる。伝説によればヘレナは息子のコンスタンティヌスに依頼されてこの地を訪れ、9月14日に探し出したという。」
「このとき同じ場所でキリストを十字架に打ち付けた聖釘も見つかった。聖釘と十字架の破片はモンツァ(イタリア)の博物館が所蔵している。この十字架をめぐるヘレナの伝説は4世紀末にヨーロッパから起こった。」
「イエスの脇腹を刺した槍を発見。」
「イエス生誕に来訪し救世主として礼拝したという3人の博士(王)の遺骸を発見し、コンスタンティノポリスに運び、ミラノ司教であった聖エウストルギウスに懇願されてこれらを贈与した。」
「聖母マリアがイエスを産み落とす時に使った飼い葉桶のまぐさをローマに持ち帰った。」

次回のブログはヘレンが持ち帰ったものかも知れない「槍」と「聖釘」をご紹介いたします。

The Deception of Constantine
Secrets of Christianity Episode 5 - Selling Christianity
http://www.dailymotion.com/video/x18s8gs_selling-christianity-secrets-of-christianity-decoding-the-ancients-documentary-by-simcha-jacob_shortfilms
(完)

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