Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ロゼッタ・ストーンの不思議


大英博物館の重要な所蔵品の一つ“ロゼッタ・ストーンRosetta Stone”がどんな石かはご存知でしょう。
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mhも35年程前に大英博物館を訪れたことがあり、見ているはずですが、全く記憶がありません。でも、4,5年前だと思うんですが、上野の国立博物館の大英博物館展でレプリカをみました。

片面には3種類の文字が書かれています。
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一番上はエジプトの古代文字でヒエログリフhieroglyphです。神官やファラオが使う神聖な文字なので“神聖文字”と呼ばれています。その下は民衆文字;デモティックDemoticで、ヒエログリフを漢字とすればデモティックは平仮名(ひらがな)に相当します。一番下はギリシャ文字です。

元々、この石は次のような石碑の一部だったと考えられています。
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発見された場所がエジプトのアレキサンドリア東方約60Kmの町ロゼッタRosettaでしたのでRosetta Stoneと呼ばれることになりました。

この石を研究することによってヒエログリフが解読(Decodingデコーディング)され、エジプトの寺院や墓に残されていたレリーフやパピルスに書かれていた記述(テキスト)の内容が判り始めたことで、古代エジプトの歴史はやっと日の目を見ることになったのです。

ヒエログリフ解読の鍵となったロゼッタ・ストーンが大英博物館に所蔵されることになった経緯、ヒエログリフ解読に到る経緯、をまとめたYoutubeフィルム(作成1996年)をご紹介致しましょう。

で~ヒエログリフを解読した人物ですが~2人の名前が挙がっているようですね。mhが知っていたのはフランス人だけでしたが・・・
もう一人の人は・・・
線形弾性体におけるフックの法則:
ε = σ/E(ε:ひずみ,σ:応力,E:ヤング率)
の中の比例乗数Eに名前を採用されたイギリス人物理学者トーマス・ヤングです!語学の才能もあったんですね!
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トーマス・ヤング(Thomas Young, 1773―1829年)

突然で恐縮ですが~
「天は二物を与えず」という格言がありました。最近はあまり使われていないようですね。ネットで調べてみましたが、出所・出典は不明です。その代りと言っては何ですが、“三物も四物も持っている人がいる!”っていう僻(ひが)みのコメントは沢山みつかりました。確かに、美人/ハンサムで、頭が良くて、お金持ちの人は身近にも大勢いますから、「天は二物を与えず」は不適切な格言だとmhも思います。mhが思うには、「天はどの人にも最低1つは美点を与えていますから、二つないからと僻(ひが)んじゃあいけません!」という有難い教えじゃあないのでしょうか。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という似た響きの格言が福沢諭吉“学問のすすめ”の冒頭部にあるようですが、アメリカの独立宣言から引用した言葉だとの指摘がネットにありました。「天は二物を与えず」も、もしかするとそうかもしれませんが、その指摘は間違いだと再確認させて頂きます。

話が随分脱線してしまいました。それではYoutubeに戻って、ロゼッタ・ストーンのご紹介をいたしましょう。
・・・・・・・・・・・・
この石は何千年前もの謎を解く鍵だ。
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その暗号を解くのは不可能だと思われていた。しかし、一人の男が人生を捧げて秘密のメッセージを解読する。
それではこれから古代の謎をご紹介しよう
The Rosetta Stone
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<第一話:発見>
ロンドンの大英博物館には古代エジプトからの多くの古物が溢れている。

3千年前のミイラ、偉大なファラオの巨大な石像もある。しかし、他のどんなものよりも価値のある一品がある。古代エジプト展示室の入口に置かれている大きな石片stone-tabletだ。
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目立つ場所に堂々と展示されているので誰も見逃さないだろう。この石はロゼッタ・ストーンと呼ばれて知られている。いつの時代でも最も重要な宝物の一つだ。

ロゼッタ・ストーンとは何だろう?一見して何の意味も無いように見える石が、人類の過去における我々の考えを、どのように永遠に変えるのだろう?
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2千年の間、古代エジプトの歴史は時間という砂の中に埋もれていた。旅行者や学者は、謎の人々の存在に気付いてはいたが、彼らについて何も知っていなかった。
どんな人々が山のように巨大なピラミッドを造ったのだろう?どんな神々に、都市と同じように大きい巨大な寺院を捧げていたのだろう?何故、彼らは信じられない程に多くの宝物と共に死体を埋葬したのだろう?
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古代世界を訪れる人々は、いたるところで奇妙な絵や文字を眼にする。最初にギリシャ人がヒエログリフと名付けた文字は、寺院や記念碑や墓にも溢(あふ)れている。
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動物や人間の頭や、見知らぬ形の奇妙な絵が使われている。文字の多くは、動物の頭をした神々に供え物をするエジプト人の絵画を取り囲んでいる。
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エジプト人の死体すらも神聖な説明文が書かれた包装材wrappingや石棺と共に埋葬されている。この不思議なレリーフ(relief浮き彫り)は何を言っているのだろう?エジプト人は黒魔術の薬や強力な武器を手に入れていたのだろうか?文字は我々に聖書の中の謎に対する答えを提供してくれるのだろうか?
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必要なのは手掛かりだ。謎を解く鍵だ。古代エジプトの再発見にとって、不思議な謎の石片tabletの発見は始まりでしかない。

キリスト時代、古代エジプトは既に遠い過去の伝説になっていた。ギリシャやローマの歴史家たちは、かつて強大な文明が持っていた知識を想像するだけだった。
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数世紀が過ぎてヨーロッパはルネッサンスを迎えたが、古代エジプトは沈黙を守ったまま、再び世に出る時が来るのを待っていた。エジプトを目覚めさせるには最も強力な人物の登場が必要だった。戦(いくさ)の統率力と歴史に対する情熱が等しい男だ。
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1千7百年代末、フランスとイギリスは世界制覇を競って戦っていた。1798年、ナポレオン・ボナパルト将軍はフランス軍を率いてエジプトへ軍事侵攻することを提案した。ヨーロッパとアジアの間にあるこの交差路を統治できれば、交易を管理することができ、フランスは世界でも最も強力な国家になる。この時、29歳のナポレオンは既にフランス軍における伝説になっていた。
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イタリアに関するオーストリアとの戦いでの勝利は、彼とフランスを無視できない新勢力に押し上げていた。ナポレオンは、歴史と運命がエジプトを彼の次の報奨にしていることを感じていた。
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1798年7月1日、ナポレオン軍の船団はエジプトのアレキサンドリアに入港した。船には、3万8千の兵士と共に、フランスの最高の科学者や研究者167人も乗っていた。軍事遠征隊が学術的な興味を持っていたのは極めて特異だ。ナポレオンの計画はなんだったのだろう?
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何故、彼は古代エジプトに魅了させられていたのだろう?アレキサンダー大王と同じように、世界を征服する途中でエジプトを併合することが彼の運命だと信じていたのだろうか?
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自己中心的なナポレオンは、エジプトを帝国建立(こんりゅう)の単なる一歩以上のものと考えていた。彼はエジプトの伝説や勢力や歴史を知っていた。そこはファラオの土地だった。王は人民に神と崇(あが)められ、世界で最も偉大な文明を2千年の間、支配していた。
ナポレオンは王たちの秘訣(ひけつ)を学ぼうと決意していた。ジュリアス・シーザのように、エジプト人の感情と心hearts and mindを獲得できると思っていた。次のファラオになるつもりでいたのだろう。彼はフランスのエジプト学会のメンバーの一員として、エジプト探検に連れていく学者たちを個人的に選出していた。
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フランス軍が対抗勢力を追い払いながらナイルに沿って内陸に侵攻している間、学者たちはカイロに学士院Instituteを設立し、エジプトの調査を始めていた。
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この学士院はナポレオンの学術的探検の拠点になった。学者たちはエジプト全土に出向いて、墓を掘り起こし、記念碑に登り、目にした全てを調査し、スケッチを描き、絵画にした。得られた情報の価値は計り知れない程大きかった。ナポレオンは、その情報を絶えず自分の元に届けるよう指示していた。もし、謎に対する答えが判ったら、直ちにそれを知りたいと望んでいた。
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ナポレオンと彼の軍勢がエジプトの土地と古代遺物の併合を忙しく進めているのを、イギリスは黙って見てはいなかった。数週間後、イギリス海軍はフランス軍を攻撃し、船を破壊し、ナポレオン軍を2年の間、エジプト内に閉じ込めた。
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ナポレオン自身は包囲網を抜けてフランスに戻ったが、世界を制覇しようと言う彼の望みはくじかれた。見捨てられたフランス軍は生き残ろうとし、科学者や研究者たちは近代エジプト学を産みだそうとしていた。イギリス軍に攻められながらも、彼らは出来る限り、古代エジプトのコピーを採り、分析を続けた。
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休眠していた謎に対する答えを探すこれらの仕事を受け継いだのは、皮肉にも、科学者や学者ではなく、兵士だった。彼は全ての中で最も重要な発見をする。

イギリスによる長い包囲が続いていた1799年7月中旬、フランス軍はナイルが地中海に流れ込む近くの町ロゼッタで防衛を補強していた。アラビア人が造った古い砦を修復すべく、ピエール・ブシャール中尉の命令で兵士たちは城壁の修理を始めた。
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アラブ人は古代の寺院を解体して建築資材に転用していた。その際、ファラオの時代からの大きな石板tabletが気付かれないまま城壁に埋められてしまうことになった。フランス軍兵士たちが砦の壁を壊していると、その石板が倒れ出てきた。兵士たちは、直ぐ、価値のありそうな、奇妙な事に気付いた。石には3種類の文字が刻まれている!ギリシャ文字、デモティック(民衆文字)、そしてヒエログリフだ。
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元大英博物館員ハリー「その石は不思議な発見だ。大きな偶然という幸運だったと私は思う。そこにいる人物が賢明で、関心を持っていて、“おぉ、これはすごい物だ。ヒエログリフ解読の鍵になるかも知れないぞ!”と思ったことも幸いだった。もし知識のない人だったら、そのまま砦の石として使ってしまっていただろう。人々は“見つけたのが無知なイギリス兵ではなく学のあるフランス兵で好かった”とよく言っているようだけれど」
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石は高さ3フィート9インチ(114cm)で、幅2フィート4インチ(71cm)、重量は1500ポンド(680Kg)だった。フランスの将軍ジャック・マニューはカイロの学士院に送り届け、ギリシャ文字を翻訳するよう命令した。
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何を言っているのか?ギリシャ語はヒエログリフの翻訳に使えるのか?

この発見は直ちに大きな噂を呼んだ。ギリシャ語は理解できている。学者たちは直ぐに記事textを翻訳した。それはギリシャ系ファラオのプトロメイ(プトレマイオス)5世Ptolemy 5thの統治1年を祈念して王を讃える法令だった。
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mh:ここで碑文の全文をWikiからご紹介します
「父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした……不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した……祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。……神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした……」

ギリシャ人が、紀元前3百年からキリストの数十年前までエジプトを統治していたことは知られていた。この石はどうして1千8百年以上もの間、生き残ったのか?他にも存在しているのか?
(mhほぼ同文の石はナイルデルタの別の町で見つかっています)

最後の行を読むまで、書かれている内容は重要な事ではないと思われた。“この法令は固い石でできた石碑の上に神聖文字と民衆文字とギリシャ文字で書かれるであろう。”
3つの文字の記述は同じ内容を言っているのだ!このニュースは直ぐにヨーロッパに伝わった。
カイロの学士院員「石が最初に人々の関心を引いたのは、おそらくヒエログリフ解読の鍵を与えるだろうという点だった。1799年8月コエドレジ」
mh:Wiki日本語版の翻訳ではギリシャ語記述の最後の部分が省略されているようです。ネットに次のギリシャ記述部の英訳がみつかりました。3つの文字の記述内容は同じだったのです。
This decree shall be inscribed on a stela of hard stone in sacred [that is hieroglyphic] and native [that is demotic] and Greek characters and set up in each of the first, second, and third [rank] temples beside the image of the ever living king.

しかし、ロゼッタ・ストーンはフランス人の手中に長く留まることはないかも知れない。イギリスの包囲網はやがて狭(せば)められ、フランスに降伏を迫るだろう。フランスの将軍はこの石をどんな方法で隠してイギリスの手に渡さないようにしたのか?
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交渉では、イギリス軍士官は石を渡すよう要求した。彼らはヒエログリフが軍事機密を含んでいると考えたのだろうか?この石は声を持ち、古代エジプトの長い沈黙を終わらせるのだろうか?

<第二話:獲得と解読の争い>

ナポレオンの2年に渡るエジプト軍事遠征は全く悲惨だった。9千人以上が殺され、フランス海軍はイギリスから壊滅的被害を受けた。残されていたフランス兵士たちは地中海岸に張り巡らされたイギリス海軍の包囲網によってエジプトに閉じ込められていた。しかし、科学的にも文化的にも、エジプト遠征は偉大で、今後も長い間、重要な出来事であり続けるだろう。
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これが近代考古学の誕生となり、過去への探求になった。更には、ロゼッタ・ストーンの発見で、エジプトの偉大な秘密はついに日の目を見るかと思われた。永年、沈黙を保っていた不思議な謎の土地への扉は、今や開け放たれようとしていた。ヒエログリフの解読はフランスとイギリスの軍隊によって熱意をもって見つめられていた。
エジプトに残っていたフランス人士官たちは古代のエジプト人たちの力と栄光を直接知っていた。明白な証拠は彼らの目の前に広がっていたのだ。ピラミッドや寺院は間違いなく偉大な、高度な文明によって建てられたはずだ。もし、ロゼッタ・ストーンが彼らの言葉の翻訳に使えるなら、エジプトの昔の栄光は蘇(よみがえ)り、フランスも復活するかも知れない。フランス人は、どれだけ早く石を解読でき、ヒエログリフを読めるようになるのだろう?イギリス軍が降伏を強要する前に暗号を解読できるのだろうか?
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軍の命令を受けて学士院の学者たちは解読を完了しようと作業を急いだ。ロゼッタ・ストーンには各々異なる表記方法で3つの文が書かれていた。
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上からハイログリフ、デモティック、そしてギリシャ文字だ。ギリシャ文字記述部によれば、石板には3つの文字で同じ情報が書かれている。ギリシャ語は簡単に解読できたが、幾つかの障害物が2つのエジプト式文字の翻訳に立ちはだかっていた。
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第一の関門は、最も重要なことだが、およそ2千年もの間、いずれのエジプト語も誰も話したり読んだり出来ないままでいたことだった。フランス人の学者たちは何も思いつかなかった。どんなエジプトの表記や言葉が何を意味するのか全く知ってはいなかった。表記はアルファベットのような表音phoneticなのか、それとも漢字のような表意pictorialなのか?何も手掛かりがないまま、彼らは一から取り組まねばならなかった。
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第二の関門は、石の上と両側が欠けていたことだ。一番上のヒエログリフ部が最も被害が大きく、たった14行の文しか残っていなかった。中間のデモティック部は32行の全ての文が残っているが右側で部分的に欠けている。ギリシャ部は54行から成っていた。挫折していたフランス人たちには、どの言葉が、どの行が、ギリシャ語のどの言葉や行に対応するのかを理解することができないまま、彼らに残された時間は無くなろうとしていた。
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ロゼッタ・ストーンの発見から2年後の1801年8月、フランスが降伏してエジプトをイギリスの物とすることを条件に、イギリスは包囲を終えた。引き上げ合意書の一部としてフランス軍士官たちの身の回り品の所有権は認められたが、カイロの学士院は発見物の全てをイギリスに引き渡さねばならないことになった。
フランス人学会員たちは激怒していた。イギリス軍士官たちは過去の伝説を傷つけるどんな権利を持っているというのか?エジプトは人類の遺産だ!それは、値の付けようがない貴重な財宝なのだ!
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ケンブリッジ大学エジプト学教授ジョン・レイ「アレキサンドリアでイギリスがフランスに降伏を強いた時、ロゼッタ・ストーンは既に有名になっていた。特にイギリスよりもフランスで有名だったと私は思う。しかし、それは明らかに戦争における盗品の一つとみなされていた。同時に、それはイギリスの勝利の見返り一つだともみなされていた。フランス人たちは石を手放すのを明らかに嫌っていた。そこでそんなものは持っていないかのように、石を隠そうとした」
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フランス人学士院員「あなた方は、私たちの絵やハイログリフのコピーなどの収集品を手に入れている。しかし、我々なくしては、これらの品々は死んだ言葉で、あなたがたも、あなた方の息子たちも、理解することは出来ない。ピラミッドが破壊されるようなことがあれば、我々は直ちに我々の所有品を破壊するだろう。そしてそれを砂の中にばらまいてしまうだろう。海の中に投げ捨ててしまうだろう。もしあなた方が目的を理解している知識人ならば、長い歴史の記憶を期待することができる。そしてあなたがたもアレキサンドリア図書館員になれるのだ。
1801年;フランスのカイロ学士院員」
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ナポレオンが逃げ戻ってしまった後のフランス軍司令官だったジャック・フランソワ・メヌー将軍は、ロゼッタ・ストーンをフランスの手元に残そうと試みた。石をエジプトから密かに船で持ち出そうという試みに失敗すると、ジャック将軍は石を布で包み、個人の所有物の中に隠した。もし検閲にあったら、個人資産だと説明すれば没収を免れるだろう。

フランス人たちがエジプトからロゼッタ・ストーンを持ち出そうとしていることを知り、英国軍のブライアン・ウイリアム・ハミルトンは、ギリシャからエジプトに移動した。
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彼は、世界の古物を見る目を持っていた。ギリシャにいた間、彼はアテネのパルテノン神殿からエーゲ海の大理石を手に入れる仕事に携わっていた。
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彼ならエジプトを王のための宝物が残されていないままにしておかないだろうとイギリス軍は知っていた。

ハミルトンとイギリス軍はジャック将軍が石を隠し持っているのではないかと疑っていた。アレキサンドリアに駐在していた将軍に会うと、石は自分のものだと強く主張した。しかしイギリス士官は頑固だった。銃口を突き付けられたジャック将軍はフランスがこの戦いで負けたことを認めた。彼は、イギリス軍はフランス軍よりも強く、石は破壊されずに、重要な賞品としてイギリスが手にする権利があると判断した。
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ハミルトンは、石が本物であることを確認し、イギリス軍はついに彼らの賞品を手中にした。ロゼッタ・ストーンは直ちに船に載せられ、1802年2月にイギリスに到着した。今やイギリスは過去への鍵を手に入れたが、フランスは石の記述部を紙に写し取った“コピー”を作っていた。誰が最初に謎を解読するかの競争が本格的に始まった。エジプトの権力と富の全てと共に、名声と栄光はその鍵を見つけた人物に与えられるだろう。多くの国が注目する中で、一流の学者たちが先を競って解読に取り組んだ。
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暗号を解読しようとしている競争相手はどんな進展を見せているのか?誰が取り組んでいて、どんな失敗をしているのか?ロゼッタ・ストーンはその答えを明らかにするのだろうか?

古代エジプトがフランスとイギリスによって再発見されている時、世界の別の場所では重要な出来事が起きていた。
1803年、アメリカ合衆国はルイジアナを買い取って国土を倍増していた。
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ルイス将軍とクラーク将軍はまもなく、2年に渡る探検をルイジアナという地図のない土地で行う。トーマス・エリジンはギリシャのパルテノンから彫像を集めてイギリスに送り、大衆の想像を捉(とら)えた。中国では、4千年後続いた王朝は週末に近づいていた。満州王国は最後の王国になるだろう。
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1800年代初頭、世界中の新たに探検された場所エジプトに関する報告書はヨーロッパやアメリカの大衆を驚かせていた。どんな発見も全て信じられないものばかりだった。全てが起こり得るように思われた。エジプトの財宝と謎に関するニュースが出回ると、誰もが貪欲に知りたがった。
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エジプト学教授ジョン「一般人には知られてはいなかったが、ヒエログリフが神々や、宇宙や、天文学の秘密を含んでいるだろうという考えはあったようだ。というのは、エジプトの品々は具体的ではっきりしていて、絵画的で、その上、寺院や宗教関連品とともに見つかっていたからだ。謎を含んでいるはずだという印象があった。ヒエログリフは普通の記述方式ではない。そこには文明があり、解読できたなら、これまで誰も考えもしなかった謎が語られることになるはずだった」

エジプトの言語を解く鍵を手にした今、全ての目はロゼッタ・ストーンの解読に向けられていた。1802年にロンドンに到着すると、ロゼッタ・ストーンのコピーはヨーロッパ中の大学に広がり始めた。
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解読競争が始まり、世界最大の“探偵の謎detective mystery”になった。その答えは宗教や科学や歴史に関する我々の見方を大きく変えるはずだった。聖書における我々の信仰はどのような影響を受けるのだろう?どんな不思議な薬や技術が見つかるのだろう?どうして、こんなにも進歩していた文明が滅びたのだろう?
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言語専門家たちは最初、3種類の記述の間にある関係を調べ始めたが、明確なパターンは現れなかった。壊れた石は、言葉や文章が一致する、どんな可能性をも排除しているかのようだった。ヒエログリフのどんな言葉も句も、正しく特定されることはなかった。この、全く不可能に思われる解読作業はどんな手法なら完結できるのだろう?そのための第一歩は何なのだろう?

どんな手掛かりにも裏切られた学者たちは、過去の中に助けを見出そうとした。エジプトの言語に関する最も初期の資料はホラ・ポウラ(?)が書いたギリシャ語の本だった。
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エジプト人祈祷師で、ヒエログリフの使い方と意味について幅広く記述していた。紀元前5世紀の彼の本“ハイログリフィカ”は将来の信仰に対する基礎になった。
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189の異なるヒエログリフの一つ一つについて、詳細な説明と神話上の意味を記していた。彼は、記号の一つ一つを特定して述べてはいたが、その記号を組み合わせて文章や文節を作ることについては触れていなかった。彼の発見の多くは正しいものだったが、いくつかの間違いも含んでいた。
エジプト学教授ジョン「例えば、母という言葉は禿鷹(はげたか)の絵で表されている。これは正しいに違いない」
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「しかし、彼は雄(おす)の禿鷹はいないから母を意味していると主張している。自然界には雌雄の禿鷹がいるのだから、彼の考えは間違っている。従って、ホラ・ポウラの説明は信用できない。つまり、彼が我々に語っているのは、謎に満ちた回りくどい説明でしかないのだ」

学者たちはロゼッタ・ストーンを解読しようと試みながら、中世から歴史家たちが発見したことも参考にしていた。
ヨーロッパがルネッサンス期に入ると、宗教的な影響力は、ヒエログリフが聖書の中の謎に対する答えを持っているという考えを支持していた。
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エジプト学教授ジョン「聖書を通じて古代エジプトを翻訳しようという動きの始まりと言えるだろう。例えばピラミッドを見て、それらが普通の王のための普通の墓ではなく、聖書にも示されている穀物倉庫で、7年の豊作の間に7年続く飢饉に備えて穀物を集めておくために造られたと考えた」
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「このような考えだと、謎はそのまま残り、その上、聖書の中の物語を反映した考えを通して検討しなければならなくなる」

学者たちはドイツ人数学者アタナシウス・カーチャーの仕事を調べ直した。
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彼は1600年代の中頃、ヒエログリフの権威として認められるようになった人物だ。先人のホラ・ポウラと同じように、カーチャーは各々のヒエログリフがある考え、ある概念を表わしていると考えた。
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が、ホラ・ポウラと異なり、記号を組み合わせて言葉や節を作った。更には、カーチャーは単なる想像に基づいて翻訳した。彼の空想的な解読は時の教皇ですら、“この人物はエジプトの言葉を読むことが出来る”と信じさせたほどだった。1世紀以上の間、ナポレオンの遠征の時期においてすら、カーチャーの研究は広く真実だと考えられていた。

ロゼッタ・ストーンを解読しようと最初に試みていた学者たちは過去の研究や作り話から、ヒエログリフは東洋の記述と同じように絵文字pictorialで、各々のヒエログリフは言葉や考えを表していると考えていた。
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しかし、過去に基づいたこれらの理論が放棄され始めるようになると、ロゼッタ・ストーンはついにその謎を現した。
1802年、フランス人のシルベスタ・デサシとスエーデンのヨハン・アカルバンは過去の考えをやめ、新たな試みを始めた。
エジプト学教授ジョン「彼らはヒエログリフを見て言った“ほかの文明は完全に普通の方法で記述している。エジプトが違う方法を使っていたとは思えない”」
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「そして彼らはいろいろなエジプトの記録を見てみた。寺院やオベリスクのヒエログリフばかりではなく、パピルスに書かれたものも調べてみた。そして言った“見てみろ。エジプト人は日常生活についても完璧に記述している。彼らの記述手段は恐らく合理的なものだったはずだ”」
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デサシとアカルバンは、デモティック言語(大衆文字)が西洋の記述方式を使っているという前提に従うことにした。“彼”とか“彼の”という題名詞や“ギリシャ”という言葉を含む、何度か現れてくるギリシャの言葉に着目し、これらの言葉が現れている位置は、ギリシャ記述とデモティック記述で同じだろうと考えて、デモティック記述の中からギリシャ語に相当する言葉を探し始めた。
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そして、これらの言葉がギリシャ記述に現れる時は、デモティック記述でも同じパターンで現れることを確認した。
ハリー・ジェイムス「これらの先駆者の成果は、記述が象徴表記(symbolic writing)ではないという証明に着手したことだ」
デモティック表記の翻訳に関するデサシとアカルバンの第一歩は期待が持てる着想だったが、彼らはヒエログリフの解読に失敗し、断念してしまう。
ロゼッタ・ストーンの発見から3年後、エジプトの秘密の窓を開くことは、誰もが考えていた以上に複雑だと判ってきた。ヨーロッパの偉大な頭脳はエジプトの謎は永遠に隠されたままだろうと考え始めていた。デサシとアカルバンの試みから10年以上の間、熱意のある努力は行われないまま時は過ぎていった。大古代エジプトに対する人々の憧(あこが)れは大きくなり続けていたが、ロゼッタ・ストーンは忘れ去られていた。ヒエログリフを解読しようと考える人々にとって、デサシとアカルバンの失敗は英気を削(そ)ぐものだった。
エジプト学教授ジョン「解読の動きに対しては、大きな報奨が期待できるがリスクも大きい、という雰囲気があった。栄光を得られるかもしれないが、完全に打ちのめされて終わるかもしれない。学者たちは心情的にかなり慎重になっていた。馬鹿にされても気にしないと考える人物が現れるのを待っていた」

次の話(第三話)では、英国の著名な科学者と、若く精力的なフランス人の学者との間で解読の鍵を見つけ出す競争が再燃する。英国の天才科学者はロゼッタ・ストーンの解読に夏休みを費やすことに決めた。彼はどのようにしてヒエログリフを最初に読むことになったのか?
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さらには、フランスの小さな町に住む少年が過去に光を当てる一人になるという魔術師の予言を巡る伝説を発見してほしい。
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<第三話:わかったぞ!>

ヒエログリフで溢れた多くの墓や寺院は発見され続けていたが、誰も古代エジプトの秘密を読み明かすことは出来ないように思われていた。この不思議な言葉は、永遠に埋められたままでいるよう運命づけられているかのようだった。
ロゼッタ・ストーンの発見から15年目の記念日が訪れ、過ぎていったが、解読についてのいかなる進展もなされないままだった。謎を解こうと試みた過去の失敗は、更なる真剣な取り組みを妨げているかのようだったが、2人の男が立ち上がった。それぞれが“自分こそ最初に鍵を開いた”と主張している。

1814年の夏、ロンドン出身の41歳の物理学者で言語学者はロゼッタ・ストーンのコピーを採って故郷に持ち帰った。彼はパズルを考えながら夏休みを過ごすことに決めていた。今回、ロゼッタ・ストーンは語り始めることになるのだろうか?
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エジプト学教授ジョン「トーマス・ヤングはイギリスが産み出した最も有名な人物の一人だ。彼の成果の一覧表を作ってみれば彼の素晴らしさは直ぐ判るだろう。彼は光の問題を取り上げ、それがどのように作用するかを調べ、光の理論を組立てた。それは多くの近代物理学の基礎になっている。人間の眼にも関心を示していた。色や感覚にも関心を持っていた。彼の眼に関する研究は近代の多くの光学の基礎にもなっている。彼は恐らく、イギリスが産んだ最も明晰な問題解決者の一人だ」

ヤングは古代エジプトを取り巻いている神秘主義はナンセンスだと強く感じていた。彼は他の人たちが発見しようとしていた宇宙の秘密を信じていなかった。彼をロゼッタ・ストーンに惹きつけたものは、問題であり、解かれていない謎だった。そして彼はそれを解読する機会を欲していた。
ヤングは言葉に図的に集中することから始めた。ギリシャ記述の中で2回以上現れる言葉に下線を引いた。次に、デモニック記述の中で、同じ回数だけ出現している文字のグループに下線を引いた。
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このような整合手法を使って、ヤングは86ものデモニック記述の翻訳を特定したのだ。その中には、“王”、“プトロメイ”、“エジプト”も含まれている。デサシとアカルバンは途中で止めてしまったが、ヤングはこの成功をきっかけに、解読作業を続けることになった。

エジプト学者たちは長年、いくつかの記号が楕円で囲まれた“カトゥシュ”に魅惑されていた。カトゥシュは特に寺院や墓で、多く使われていた。
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二三人のエジプト学者たちは、カトゥシュがファラオまたは王室の一員の名前を含んでいると考え始めていた。ヤングはこの考えを彼の理論に使い、カトゥシュがプトロメイの名を含んでいると考えた。
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この石碑は彼の名誉を讃えるものなのだから、彼の名前がハイログリフ記述のカトゥシュの中になければならない。更に、プトロメイはギリシャの名前だから、エジプト人は彼の名を表音文字で書かざるを得なかったと考えた。ヒエログリフが表意文字だったら、外国の名前や言葉が表意文字を含むことはないはずだ。

検討を始めて4年目、ヤングはプトロメイという名前の中のギリシャ文字をカトゥシュの中のヒエログリフの文字と一致させた。
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1818年、彼は石に話をさせる最初の男になった。ヒエログリフ記述は“プトロメイ”という最初の言葉を語ったのだ。
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彼の成功は英国海峡を越えたフランスでも人々の注意を獲得し始めていたが、もう一人の男が既にロゼッタ・ストーンの解読に取りつかれていた。
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ヤングが最初に勇気づけたかもしれないが、後に手助けしたことを後悔させることになる男だ。
エジプト学教授ジョン「トーマス・ヤングの仕事はイギリスだけではなく、他の国々においても良く知られていた。さらには、彼は自分の研究に関するコピーをヨーロッパ、特にパリの学者たちに送っていた。この一つをシルベスタ・デサシが見ることになった。ある日、デサシはそれを若いフランス人の男に見せた。男の名はジャン・フランソワー・シャンポリオンだ。
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ジャン・フランソワー・シャンポリオンの運命は生まれた時からロゼッタ・ストーンに結び付けられていたように思われる。フランスの伝説によればジャンが生まれる数か月前、彼の母を魔術師が訪れた。病気がちの夫人の眼を見つめながら、魔術師は過去が未来と繋がっているのを見たと言う。魔術師は、まだ生まれていないこの夫人の息子は何世紀も前の過去に光を与えるだろうと予言した。

1790年、シャンポリオンはフィジーアックという小さな町の本屋の息子として生まれた。
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彼が11歳でグレノーブルの学校で生活していた時、ナポレオンのエジプト遠征のニュースはフランス人の想像を捉えていた。シャンポリオンの兄ジャック・ジョセフはエジプトの栄光と謎に関するニュースを弟に読んで聞かせた。若いシャンポリオンがロゼッタ・ストーンのコピーをエジプト遠征に参加したことがある従弟(いとこ:注)から受け取った時、彼は魅せられてしまった。
(注:従弟かどうか不明ですが、コピーを見せたのはジョゼフ・フーリエのようですね、Wikiによると。フーリエと言えばフーリエ変換とかフーリエ級数で有名な、あの数学者です!ナポレオンと同行してエジプトに行き、カイロのエジプト学(士)院の書記として働いたようです)

この時、若いシャンポリオンはヒエログリフを読むことを人生の目標にしたのだ。それはロゼッタ・ストーンの秘密を解くことを意味する。若い時、それを念頭に彼は勉強を積み重ねた。やがて、他のことへの関心を失くしてしまう。言語学こそが彼を集中させる全てだった。彼の学習は東洋や中東の言語、特にコプト語、に注力された。
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コプト語はエジプトのキリスト教徒が話す言語で、ギリシャ文字で記述される。

エジプト学教授ジョン「14歳頃の時、彼が集中していたのは学校の勉強ではなく、エジプトのヒエログリフだった。彼は現代でいうマイナーな男で、神経質で、人付き合いも悪かった。彼はそれを治療する目的で学校から別の施設に送られた。その時、兄に宛てた、こんな手紙を書いている“ここはとても退屈です。中国語の文法本を送って下さい”。この話はシャンポリオンが偏執的な人間だったことを示している」
シャンポリオンの初期の研究はデモティック言語の解読とコプト語との関係に焦点を当てたものだった。彼は最初、ヒエログリフは象徴文字(表意文字)で、不思議な文字であって、普通の手段では解読できないと考えていた。
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しかし、ヤングとほぼ同じ時期に、シャンポリオンはギリシャの名前とカトゥシャとの関係を感じ始めていた。トーマス・ヤングの報告書が彼に届いた時、シャンポリオンは即座に、自分の考えが正しいことを悟った。シャンポリオンはヤングの研究を引き継ぎ、それを更に推し進めた。クレオパトラのカトゥシュとして知られていた資料をフィレイ寺院から手に入れた。プトロメイとクレオパトラは共通する文字を持っているのだから彼らのヒエログリフも似た傾向を持っているはずだ。シャンポリオンがヒエログリフの名前を比較してみると、P、L、O、の字が並んでいる!
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シャンポリオンは、外国の名前はヒエログリフの文字で表音的に綴(つづ)られているというヤングの理論が正しい事を証明した。扉は今や開かれた。シャンポリオンはそこを通り抜けて中に進もうとしていた。
エジプト学教授ジョン「シャンポリオンはヤングの考えが正しいことを確信した。ヒエログリフはギリシャ人の統治者の名前を記している。しかし、それはそれだけのことだ。後の時代に外国の名前を書くために使われたに過ぎないかも知れない。問題は、ヒエログリフが、さらに過去に戻った時点でも、同じような使われ方をしているかどうかだった」
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シャンポリオンは偉大なカルナック神殿に残されている記述のコピーを取り寄せた。その中には、王の名前が何度も現れていた。王の名は3つの印で書かれていた。一番上は太陽の丸Sun Discだ。シャンポリオンはコプト語を知っていた。古代エジプトにおける太陽の名は“ラーRA”と発音される。
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一番下の文字はトーマス・ヤングが特定している文字“S”だ。2つ並べて書かれている。

この時点で、彼は王の名前を手に入れた。始まりはRAで終わりはSだ。間の文字はなかなか不可解だ。ヤングも他の誰も解読してはいない。シャンポリオンはその文字をロゼッタ・ストーンの中から探し出した。何度か現れている!それが現れる時、対応するギリシャ語は、いつも“誕生する”という概念を示す言葉が使われている。シャンポリオンは“誕生する”に当たるコプト語を知っていた。“ミセME SE”だ。
これで彼は王の名前を手にしたことになる。RAで始まり、中間はME SE、終わりはSSだ!
エジプト学教授ジョン「シャンポリオンは古代のエジプトの王の名前を知っていた。有名な王ラムセスだ!」
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「彼は、この瞬間、全ての謎を解く鍵を見つけ出したのだ。コプト語の知識、トーマス・ヤングが解読したアルファベット、それに彼の古代エジプトに対する深い知識が加わり、ある日、解読が実現することになった。この日、彼はきっと言っただろう“分かったぞI got it!”と(注)」
(注:アルキメデスは何て言ったか覚えていますか?“Eurekaヘウレーカ!”です。ブログ“アルキメデスの失われた本”でご紹介しました)

シャンポリオンの努力に対するトーマス・ヤングの反応は複雑だった。彼は、誰かほかの人が彼の仕事に沿って動いてくれるのを見て幸せだった。しかしシャンポリオンが彼にもその報酬を分け与えるのを拒絶したことに憤慨した。シャンポリオンもヤングと同じ考えを持っていたのかも知れないが、彼の仕事は公表されなかった。ヤングは公表していたのに。

シャンポリオンがついに彼の研究成果を公表すると、パリ中の話題になった。
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フランス全体が、フランス人がヒエログリフを最初に解読したという事実を祝った。シャンポリオンは、どちらが早く解読したのかなどという論争には悩まされていなかった。研究に対する彼の熱意は、驚くべき強靭性と速度を持って継続されていた。彼は全てのファラオと、彼らが権力を持っていた年代に関する完璧なリストを編集しようと決心した。

1824年にはシャンポリオンは21の文字に対応するヒエログリフのアルファベット表を完成させていた。
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彼の仕事の全ては他の人たちが準備したエジプトの記述のコピーを使い、デスクワークで行われていた。もし彼がエジプトに旅をして、ヒエログリフを直接見たらどうなるのだろう?彼は本当にヒエログリフに語らせることが出来るだろうか?とすれば何を語るのだろうか?
<第四話:石が語る>

エジプトの過去への扉は開き始めていた。ロゼッタ・ストーンはついにヒエログリフを解読する鍵であることが明らかになりつつあった。しかし、それらは何を語るのだろう?どんな秘密や謎が明らかになるのだろう?
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ジャン・シャンポリオンが発見を公表すると、フランスで多くの賞賛を受けた。フランスの学会は、当初、“自分の部屋の中だけで暮らし、どこへも出かけて行かない気がおかしい憑りつかれた男”と考えていたが、今や、彼は突然、国家的な英雄になった。フランス政府はシャンポリオンにイギリス人のエジプト学者ヘンリー・ソウルの高価なコレクションの購入をアレンジするよう依頼した。1827年のベルン(?)博物館との共同研究の後、シャンポリオンは博物館のエジプト骨董品学芸員に指名された。
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しかし、シャンポリオンは博物館の収集品を増やすため、さらなることを考えていた。彼はエジプトを訪れたいと望んだ。1828年、イタリア・トリノ博物館の支援を受け、シャンポリオンはナイルに沿って遡る旅を企画した。この旅はナポレオン以来最大の科学的試みだった。
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ハリー「それはエジプトの記念碑と彼との初めての出会いだった。間違いなく、素晴らしい出会いだ。彼は精力的に歩き回ってカトゥシュを特定していった。記念碑が建てられた時代と、王たちの序列を特定することに努めた。何故なら人々は、当時、エジプトの歴史の全体枠を理解していなかったからだ」

シャンポリオンの旅は彼の解読手法が正しかったことを証明してくれた。寺院の壁に描かれたエジプトの言語を次々に読み解くことが出来た。ヒエログリフを翻訳しようと言う彼の努力は、それだけでエジプト学の一部門を創造することになった。エジプトはもはや沈黙の土地ではなく、過去から我々に語り始めていた。ラムセス、トトメスなどのファラオの名は伝説だったが、今やその原点は特定されることになったのだ。彼らがいつ統治していたのか、彼らがどの寺院で祈りを捧げていたのかは、今の我々は知っている。
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パリに戻ると、シャンポリオンは彼の仕事を続けた。今や彼はエジプトの決定的な歴史を書くのに十分な資料を手にしていた。しかし不幸にも、彼はそのチャンスを得ることはなかった。1832年3月4日、ジャン・フランソワー・シャンポリオンは死んだ。
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(パリPère Lachaise Cemeteryのシャンポリオンの墓)
エジプト学教授ジョン「シャンポリオンは彼の能力と仕事の進め方に疑いを持っていなかった。42歳で亡くなったが、死期が近い頃、彼が成し遂げたことの価値は理解されていて、フランスは彼のために、世界で初めてのエジプト学の教授を設定した。つまり、彼が死ぬ時には自分の仕事が認められたことを知っていたのだ。死後、シャンポリオンの仕事の多くは残されていたが、兄がそれを取りまとめ、家族の中の天才に対する記憶のため、レポートとして公表した」
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シャンポリオンはエジプトのファラオの歴史に注目していたが、他の人々は彼の資料をデモティックやヒエログリフを研究するために使った。寺院の壁に描かれている記述やパピルスの巻物の量は膨大だった。時が過ぎ、これらの解読が進むにつれて、古代エジプト人の社会的、政治的、経済的な歴史は理解され始めるようになった。しかし、多くの人々を驚かせたものは私的な記録だった。我々は古代エジプト人たちを見ることで自分たち自身を見るような思いにさせられた。
エジプト学教授ジョン「エジプト人は我々と同じだということが段々と明らかになって来た。彼らは銀行の管理者に手紙を書いていた。地方の税務署員に手紙を書いていた。日常の些細な事をお互いに手紙で知らせ合っていた。彼らは文学も持っていた。それは我々の物と大差はなかった」
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ロゼッタ・ストーンは古代エジプトや人々の歴史に命を吹き込んだ。ロゼッタ・ストーンが解読されてから既に170年以上たつが、埋められている謎の表面を撫(な)ぜた程度のことしか理解できていないと言えるだろう。1922年のツタンカーメン王の墓から見つかった見事な宝物から、1995年のラムセス大王の子供たちの墓の発掘まで、古代エジプトは、今でもまだ新しい、驚くべき発見を準備している。
(mhフィルム作成は1996年です)
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ナポレオン・ボナパルト、トーマス・ヤング、ジャン・フランソワー・シャンポリオンたちの甚大な努力を通じて、ロゼッタ・ストーンの謎は解けた。古代エジプト人の言語や謎は今や理解できるようになった。エジプトの過去への窓は今や完全に開かれたのだ!
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ANCIENT MYSTERIES "THE ROSETTA STONE"
https://www.youtube.com/watch?v=a40nkKmxAxc
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古代文明の文字解読については「マヤ暗号を打ち破れ」「ヒッタイトの不思議Part-2」でもご紹介しました。mhの拙い記憶によれば今回が3回目のはずで、それがヒエログリフだったわけです。

マヤ文字にしてもヒッタイト文字にしても神聖文字(ヒエログリフ)にしても、解読が必要になった共通原因があるのですね、お釈迦様が仰ったように!

で~その共通原因とは何か?

英語や日本語、日本語の源かもしれない中国語とかアルタイ語などは解読作業など不必要です。それを話し、記述する人が現存しているからですね。当たり前のことですが・・・

解読が必要な言語とは、完全に失われた文明で使われていた言語で、それを知る人が現存していないのです。しかし、
その言語を解読する“ロゼッタ・ストーン”と天才さえいれば、言語の解読は可能だということが証明されたのです。
(完)
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