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Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草:君たちはどう生きるか。

mh徒然草:君たちはどう生きるか。

【Wiki:君たちはどう生きるか】より
『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎の小説。吉野は児童文学者であり雑誌「世界」の編集長も務めた。
<総説>
当初、『日本少国民文庫』の最終刊として編纂者山本有三みずから執筆する予定であったが、病身のため代わって吉野が筆をとることになったとされる。1937年に新潮社から出版され、戦後になって語彙を平易にするなどの変更が加えられてポプラ社や岩波書店から出版された(mh出版は夫々1958年、1982年)。
児童文学の形をとった教養教育の古典としても知られる。
2017年には羽賀翔一により漫画化され、『漫画 君たちはどう生きるか』のタイトルでマガジンハウスから出版された。また、同年には宮崎駿が制作中のアニメ映画のタイトルを、本作から取って『君たちはどう生きるか』にすることを発表した。
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<構成>
旧制中学二年(15歳)の主人公であるコペル君こと本田潤一は、学業優秀でスポーツも卒なくこなし、いたずらが過ぎるために級長にこそなれないがある程度の人望はある。父親は亡くなるまで銀行の重役で、家には女中が1人いる。同級生には実業家や大学教授、医者の息子が多く、クラスの話題はスキー場や映画館、銀座や避暑地にも及ぶ。コペル君は友人たちと学校生活を送るなかで、さまざまな出来事を経験し、観察する。各章のあとに続いて、その日の話を聞いた叔父さんがコペル君に書いたノートという体裁で、「ものの見方」や社会の「構造」、「関係性」といったテーマが語られる、という構成になっている。
【コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることになるのだ】
— ものの見方について(おじさんのノート)より—
最後にコペル君は叔父への返答としてノートに自分の将来の生き方について決意を書き綴り、語り手が読者に対して「君たちは、どう生きるか」とたずねてこの小説は終わる。
<評価>
本書は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において、少年少女に自由で進歩的な文化を伝えるために企画された「日本少国民文庫」のうちの1冊である。

丸山眞男は、子供であるコペル君が現実を観察し、色々な事を発見していく過程をごく自然に描く作者の筆致と、叔父さんからの手紙という形で主人公の発見を補完する構成を称賛している。また本書の題ともなっている「君たちはどう生きるか」という問いかけには、「いかに生きるべきか」という倫理的な問題だけでなく、どういった社会科学的な認識のもとで生きていくかという問題が提示されている点を評価している。

著者の吉野源三郎によれば、『君たちはどう生きるか』はもともと文学作品として構想されたものではなく、倫理についての本として書かれた。しかし高田里惠子によれば本書は、教養主義の絶頂期にあった旧制中学校の生徒に向けて書かれた教養論でもある。高田は、官立旧制中学の代表格であった東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)出身の著者により描かれた主人公たちの恵まれた家庭環境や高い「社会階級」に注目し、本書が「君たち」と呼びかける、主体的な生き方のできる(つまり教養ある)人間が、当時は数の限られた特権的な男子であったことを指摘している。(「旧制中学校#進学率」も参照)
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mhはてっきり、マンガ本だと思ってました!でも実は文学で、漫画化されたのは2017年だったんですね。それが切っ掛けになってベストセラーになったのです。

で~Wikiによれば原作者の吉野氏は次の通りです。
【吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した】
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“君たちはどう生きるか”は【当初、『日本少国民文庫』の最終刊として編纂者山本有三みずから執筆する予定であった】とありました。山本有三と言えば次郎物語、論語物語でしょう、と思ったんですが、自信がなかったので調べてみたら、これらの作者は下村湖人でした!mhの記憶は本人が自覚している以上に劣化していることを改めて確認できました。
で~山本有三で調べると、mhが読んだかも知れない作品は「路傍の石」だけです。

しかし、残念かな、次郎物語も路傍の石も内容はほとんど忘れてしまいました。いずれも少年が苦労しながら成長していく姿を描いていた小説だった気がするだけです。
論語物語については、“論語”に登場する人物の考え方や心の動きを小説風に表現して孔子の教えを解説するもので、mhも本を買って読んだ記憶があります。とても感銘を受けたたことを覚えています。

そんなこともあって論語に嵌(はま)り、岩波文庫(?)の文庫本「論語」を座右の銘としていたんですが、その後、シルクロードへの憧れもあって仏教に関心が移り、2013年10月にインド・ネパールの仏教八大聖地を訪れました。定年までお世話になった会社のOB会で、今年の3月、「仏陀の旅」と題して当時の写真をBGMと共に8分のスライドショーにして紹介したのですが、かつての上司が“で、悟りは得たの?”って訊いてきたんですね。即座に“何度も悟りました”と応えました。これはmhの紛れもない実感です。

何度悟ったのかも忘れてしまい、今でも悟りを繰り返しているmhですが、今日(4月11日)、ネットで次の記事を読みました。URLも載せておきますが、閲覧不能になる可能性もありますから全文をコピペしてご紹介致しましょう。

<妻が願った最期の「七日間」投書にこめられた夫婦の物語 闘病中の交換日記「頑張って、生きたいよ」>
withnews 4/11(水) 7:00配信
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容子さん(左)と英司さん(右)が何度も訪れた恩賜箱根公園で、愛犬「小春」と=2015年12月、英司さん提供

 「1月中旬、妻容子が他界しました」。昨年11月に入院した妻が、そのまま帰らぬ人となったこと、病室の枕元のノートに「七日間」という詩を残したことをつづる、71歳男性の文章は、そんな言葉から始まりました。3月9日、「妻が願った最期の『七日間』」の題で新聞の投稿欄に掲載されると、またたく間にSNS上で広がり、18万7千件以上の「いいね」でシェアされました。詩にこめられた夫婦の物語が知りたくて、この男性を訪ねました。(朝日新聞オピニオン編集部「声」編集記者・吉田晋)

 投稿欄は500字ほど。朝日新聞「声」欄に掲載された詩は一部を抜粋したものでした。全文をまず紹介します。

「七日間」
神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り 作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ 心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け 私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の 一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって 憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう
神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ

<老後を過ごそうと購入した自宅>
 投稿を下さった宮本英司さん(71)は、神奈川県にお住まいです。息子さん2人は独り立ちして別に家庭をお持ちなので、今はメスのウェストハイランド・ホワイトテリア「小春」ちゃん(11)と一緒に暮らしています。
 ご自宅のマンションは、玄関やベランダからの広々とした眺めを気に入った妻容子さんが、転勤族だった英司さんと老後を過ごそうと購入を決めたのだそうです。暖かな日が差し込むリビングは、きれいに片付けられていました。
 「容子がきれい好きで、いつも冗談交じりに『あなたの後ろを片付けながら歩いているのよ』って。だから、きちんとしませんと」
 口元に柔らかな笑みを浮かべながら話す英司さんですが、時々言葉を詰まらせます。「容子の思い出を胸に前を向いて、と皆が言ってくれますが、そこにはたどりつけていなくて……」。

<すでに末期だったがん>
 容子さんが最初におなかの不調を訴えたのは、3年前の春。大学病院では感染性の腸炎との診断でしたが、夏に腸閉塞を起こしかけて開腹手術を受け、小腸がんと判明しました。すでに末期で、余命は平均2年との宣告でした。容子さんは68歳でした。
 非常にまれながんで、別の病院でセカンドオピニオンを受けると、こちらの医師は「人の命について、あと何年なんて言いたくない」。容子さんはうなずき、抗がん剤の治療が始まりました。
 最初は点滴で、副作用がきつくなってから経口薬も試しました。半年が経ったころ、容子さんはパソコンにこんな文章を残します。
 「耐えられない副作用ではない。治療することで少しでも延命ができるなら、もっと生きたい。もっとあなたと楽しい日々を過ごしたい」
 「生きることにしがみつきたい思いです。だって、やっとあなたと、ゆとりある日々が迎えられ、これからという時なんですものね」

<少しずつ決めていた「覚悟」>
 体調が許す限り、2人と1匹で旅行に行きました。
 八ケ岳、丹沢湖、鎌倉、箱根、北海道……。自宅の居間で、夕食後にパソコンの麻雀ゲームを一緒に楽しみながら夫婦の勝ち点を記録し、お金がたまったら旅の計画を立てます。
 穏やかな日々でした。腫瘍マーカーの数値も落ち着いています。「後2年と宣告したあの先生に、顔見せにでも行こうか」。2人の間でそんな軽口も交わされるくらい、経過は良好でした――昨年の夏までは。
 2017年7月。おなかが張って苦しいと訴え、緊急入院すると「腫瘍が大きくなっています」。腸がふさがり、人工肛門の手術をすることになりました。「半年程度しか持たない人に、この手術はしませんよ」という医師の言葉に、英司さんは希望を託します。
 しかし、容子さんは少しずつ覚悟を決めていたようです。手術当日の朝、白い手製のブックカバーをかけた愛用の手帳に、夫と2人の息子の名前、そして一人一人に「ありがとう」と書きました。
 英司さんが手帳を開いたのは、半年が過ぎ、全てが終わった後。そこにはこうありました。
 「病気はみんな私が背負うから 健康で長生きするのよ」

<「家に帰ったら、何がしたい?」>
 手術を乗り越えて退院した後も、容子さんの体調は戻りません。体重は10キロ以上減りました。
 10月にまた緊急入院。容子さんは「退院したら野菜スープを作るから、それ用のなべが欲しいの」「点滴をしながらでも2人で出かけたいので、車いすをレンタルしておいて」と自宅での生活を思い描きます。英司さんも在宅医療の手配を整え、妻の退院に備えました。
 「今思うと、病気が急にどんどん先に行ってしまって、気持ちが追いつかなくなっていました」
 11月、車いすで自宅に帰りましたが、毎日吐いてしまい、医師も「いったん入院した方がいい」と勧めます。数日後、自宅近くの病院に入院しました。落ち着いたら戻るつもりでした。妻も夫も。
 12月の半ば。「家に帰ったら、何がしたい?」。英司さんの問いかけに、ベッドに横になった容子さんが口を開きました。その言葉を、入院生活の覚書用に枕元に置いてあったノートに、英司さんが書き留めました。それが、「七日間」の詩です。

<闘病中に始まった「交換日記」>
 容子さんは、元は高校の国語の先生で、結婚・出産を機に教壇を離れてからも受験出版社で模擬試験の採点をするなど、文章に関わる仕事をしてきました。言葉で表現するのは習いになっています。
 闘病生活が半年を過ぎた頃、パソコンに「二人の物語」と題した文を綴り始めました。「出会い」と見出しを付けた書き出しは「あなたと初めて出会った日のことを覚えていますか」。
 大学1年生の冬の思い出から始めた独白を、途中で英司さんに読ませると、夫は書き足しました。
 「もちろん鮮明に覚えています。キミは緑色のコートを着ていました」
 こうして始まった2人の「交換日記」は、18歳の英司さんが同級生の容子さんに講義のノートを借りようと声をかけた場面から、次第にお互いの存在が大きくなっていった若い頃の記憶をたどります。
 学生時代は「どこに行くにも一緒でした」(英司さん)、それが社会人になると「会うこともままならない日々が続きました」(容子さん)。周囲に背中を押され、25歳で結婚。
 容子さんは新居の思い出を書きます。
 「通りから二軒中に入った、木造アパートの鈴木荘」
 「近くのお風呂やに行き、神田川の世界のように、入り口で待ち合わせて、帰ったりしましたね」

<「どう気持ちの整理をつけたらいいんだろう」>
 妊娠出産に続いて引っ越しがあり、英司さんの転勤と単身赴任、育児と進学……そして子離れの時を迎えます。
 容子さんは趣味でパッチワークやちりめん細工を始め、それを見ていた英司さんも木彫りや陶芸などに挑戦しました。
 「あなたの作った器に盛る料理を考えるときは、幸せ気分で台所に立っているし」
 「クラフトに夢中になっているあなたの姿は、とても穏やかで、素敵です」
 交換日記にそう書いた妻の文章を読み返し、英司さんは「容子に褒めてもらいたくてやってきたようなものだから」と振り返ります。
 2人で個展も開いたほどの、たくさんの作品が今、ぽっかり大きな穴が開いた自宅を精いっぱい彩っています。
 「どう気持ちの整理をつけたらいいんだろう、というのが正直な気持ちです」
.

<「頑張って、生きたいよ」>
 妻が亡くなって2カ月半。単身赴任時代も含めて、こんなに長い間会えないのは初めてという英司さん。
 陶芸もドールハウスも、まだ手に着きません。新聞の投稿欄に、生まれて初めて投稿してみました。
 「せっかく生きてきて、本人もまだやりたかったことがあるだろうから、その思いだけでも世の中に残ればいいな、と思ったんです」
 先日、英司さんはサクラの写真を撮りに出かけてみました。
 「頑張って、生きたいよ」――容子さんが交換日記の最後に書いた一行をかみしめる日々です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180406-00000007-withnews-soci
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で~やっと本題ですが~

mhも読者諸氏に問いたいと思います。
「君たちはどう生きるか」

毎日、悟りを新たにするmhの考えは・・・
「生きていることに感謝し、楽しく生きる」
これは、たった今、悟った考えなのですが、自分で言うのもなんですが、なかなかの卓見だと思います。「楽しく生きる」だけでも良いのでしょうが、やっぱ、生きていることに感謝する気持ちを忘れちゃあ駄目だと思います。

で~
あなたはどう生きますか?
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あいうた  唄 上間綾乃
https://www.youtube.com/watch?v=WOaVzIwUrkQ
(完)
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