Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

城壁の不思議

城壁の不思議 2014年6月3日   Mystery Hunter

11日に出発するウズベキスタン旅行で訪問するKhiva(ヒヴァ)の町をGoogle-Earthで調べると、Khiva-Castle(ヒヴァ城)と呼ばれるイチャン・カラ地区が見つかります。10世紀頃に造られたようです。

高さ約10mの城壁で囲まれています。
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面白い形をした墓が城壁に寄り添う場所もあります。
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夜明けの城壁。吸い込まれそうな空ですねぇ!
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で、ヒヴァ城(イチャン・カラ)の全貌がどうかというと・・・・・・
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城壁で囲まれた東西約400m、南北約700mの長方形の、砂漠の中の町でした。
(拡大の都合で、北を右側にしています。)

Google-Earth-3Dでは、城壁、モスク、ミナレット(塔)、中庭のある正方形の建物、が3D化していますが、その他はのっぺりしていて多分、住居です。Wikiによると約250戸あります。
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最も高い建物は、中央左側のミナレットで間違いなさそうです。

そのミナレットから撮影した城壁内の様子です。
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青天蓋モスクの手前にはドームや蒲鉾状の屋根をもつ墓も見えます。
 
僧侶たちの住居だったのでしょうか?青タイルの建物が広場を囲んでいます。
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恐らく木製だと思うのですが、彫刻が施されたエキゾチックな形状の柱が樹立している建物もあります。
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平らな屋根の平屋の中で、屋根(レンガ?)を支えているようです。
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平屋の外の側面の所々で木の棒が突き出ています。天井の棒(梁)の一部だと思います。

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手前から墓、平屋、ミナレットが並んでいます。彫刻のある柱が樹立するのはこの平屋です。

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手持無沙汰な様子で椅子に座っている男は何をしているのでしょうか?右後方は墓地の入り口ではないかと思うのですが・・・中を隠すような妙なものが入口の前に立っています。
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男が座っている椅子の向うの長椅子の前には、動物の縫い包みがいくつか並べられているようです。商いをしているのかもしれません。椅子も売り物かも。

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それにしても見事な城壁です。

これらの写真を見ているうち、ふと不思議な質問が浮かびました。

「10世紀に建てられたというヒヴァ城の城壁の中には、住居も沢山あって平民が暮らしていたようだが、城主は何処で暮らしていたのだろうか?」

ミナレットを除けば、背が高い、城らしい建物は見当たりません。

日本で城壁といえば城でしょう。城主は城壁内の建物で暮し、本丸で会議や執務をし、本丸最上階の天守閣に登っては城壁の外に広がる街を睥睨していたのです。

例えば世界遺産の姫路城がそうです。
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中国の城は少し違っています。例えば北京の故宮。
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東西に走る長安街通りの南には天安門広場があり、東は国立博物館、南は毛主席記念館、西は人民大会堂が囲んでいます。長安街の北には天安門があって、この門を通って北に5百m歩くと紫禁城の入り口「午門」に到着です。
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門を入る(入場料を払います)と、南北961m、東西753mの、城壁で囲まれた紫禁城(現;故宮博物館)です。

紫禁城の最も大きくて高い建物は太和殿でしょう。中には玉座があります。
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しかし驚くほど高い建物ではありません。紫禁城から北京の街を見ようと思うなら、恐らく城壁に登らないと駄目でしょう。その城壁にしても大して高いものではありません。
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上の3D映像でも判りますが、手前の天安門広場を囲む建物の方が、奥の紫禁城よりも高いのではないか?と思えるほどです。

唐時代の都長安、現西安のGoogle映像です。中央の黄色のピンが鐘楼です。
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シルクロードの出発点は西門(安定門)です。鐘楼から西に延びる西大街の西端にあります。
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上の写真は城壁の内側から西門を撮影したものです。
ローマは、中央のトンネル「安定門」の、ズ~~~~~と先です。

西安に残っている長安時代の建物で最も高いものは鐘楼です。
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1300年前の唐の時代は長安で最も高い建物だったでしょう。鼓楼と共に長安の街中に時刻を知らせる建物だったのですから。しかし、今は、周りのホテルに埋もれています。

玄宗皇帝や楊貴妃は城壁内の一画の未央宮(びおうきゅう)で暮らしていました。
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   (上は復元図で、今では何の痕跡も残っていないようです。)
しかしこの建物も高層建築のようではありません。

ここで今一度、不思議な質問を確認しましょう。

「10世紀に建てられたというヒヴァ城の城壁の中には、住居も沢山あって平民が暮らしていたようだが、城主は何処で暮らしていたのだろうか?」

日本では、城壁に囲まれた敷地内に城があり、城主が居住し、天守閣という高い建物から城外を睥睨していました。平民は城壁の外で暮らしていたのはご承知の通りです。

中国では、平民は、古い都長安では城壁の内、新しい都北京では城壁の外、で暮らしていたという違いがありますが、いずれの場合でも、城主は城内で暮していました。しかし、広い平野の中にあるくせに、城壁内には高層建築は有りません。城壁の外の出来事には関心が薄かったのでしょうか?

いずれにしろ、日本と中国の城では、高い城が城壁内にあったかどうかの差はあるものの、城壁内に城または宮殿があって城主または皇帝が居住していたのです。

ではヒヴァ城ではどこに城または宮殿があって、城主が暮らしていたのか???

もう少し世界の城壁を見てみましょう。去年10月に訪れたインド・アグラの城はどうか?
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堀と城壁で囲まれた大きな城です。
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城壁は10数mの高さでしたが、城内の広い敷地には高い建物はありませんでした。
2階建てのハーレムを池越しに臨む平屋の大理石の御殿がありました。
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その中央には玉座もありました。
城壁の中で暮らしていたのは城主と召使たちで、平民は城壁の外で生活していたのです。

中東サウジアラビアの首都リヤドにある「マスマク城」です。
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(ネットより)この城は、現在のサウジアラビアの王家「サウド家」が、1902年にライバルの「ラシド家」からリヤド(現首都)を奪還するために拠点となった砦です。
(mh城壁のようなものはGoogleでは見当たりませんでした。写真の城の壁が文字通り城壁ということだったのかもしれません。)

サウド家はリヤド奪還を経て他の地域も制圧し、1932年にサウジアラビア王国が成立しました。ちなみにサウジアラビアとは「サウド家のアラビア」という意味です。
今でも王族が絶大な力を持ち、政界のトップは王族の者しか就くことが許されていないそうです。
(mh:サウジアラビア王国の初代国王はアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードで、現国王に至るまで、その子や、異母兄弟の子など、身内で実権が伴った王位を継承しています。)

サウジの現在の王宮です。
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これまで6人で国王を継承し続け、王族も多いので、王宮という名の建物は数十あるようです。

20世紀に造られた王宮ですから、城壁はなく、その代わり、砂漠の街リャドには少ない緑地が建物を囲み、噴水やプールや池は建物の中にまでも造られているようです。

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上はサウジの別の宮殿のようです。

ドイツの有名なノイシュヴァンシュタイン城。
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3D映像で判るように山の上に建てられています。
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城壁と呼べるものは僅かで、建物の壁と山の斜面が城壁のようなものです。ここで暮らしていたのは城主と僅かな召使たちだけでした。

実はこの城は、戦に備えて造られた城ではありません!
ルートヴィヒ王の趣味のためだけに建設された、実用には不向きな城なのです。建設費はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りにビスマルクから送られた資金が使われました。

ドイツ・ライン川沿いの城は川を見下ろす小山の頂きに建っているものがほとんどです。
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城主は近辺の領土を統括していたようで、城内には城主とその家族と召使だけが暮し、平民はライン川沿いの町や村で暮らしていました。
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現在では、ホテルやレストランになっている城も多いようです。

フランスのChateau de Chambord(シャトー・デ・シャンボール)。世界遺産です。
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前に堀はありますが城壁はありません。
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スペインのアルハンブラ宮殿
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丘の上に建てられ、城壁に囲まれた広い敷地がありますが、平民は暮らしていないようです。
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イギリス王室の居城ウィンザー城。今はロンドンにあるバッキンガム宮殿の方が多用されていて、こちらは避暑用のようで、普段は観光客に公開されています。
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城壁で囲まれた敷地内には城主と召使が住んでいました。
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城壁内で一番高い建物は門の近くに聳える6階建ての塔のようです。丘の上にある城の塔ですから衛兵が詰めてさえいれば見通しは好さそうです。
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実は私は30年ほど前、ウィンザー城を訪れる幸運に恵まれました。閲兵交代式や城内も見てまわりましたが、所々に立ち入り禁止の場所がありました。王族が休暇を過ごす所だったのだと思います。

イギリス・コーンウィ城は世界遺産です。城壁はありません。
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恐らく城主が暮らしていたと思います。
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以上、いろいろな城のパターンをご紹介しましたが、さて、本題に戻って・・・・・不思議な問題の答えはどうなるのでしょうか?

不思議な質問
「10世紀に建てられたというヒヴァ城の城壁の中には、住居も沢山あって平民が暮らしていたようだが、城主は何処で暮らしていたのだろうか?」

考えられる答えは次の4通りです。
1. 城主は城内にも城外にもいなかった。定期的に協議し代表が選ばれていた。
2. 城主は城内の一番大きな平屋に住んでいた。平屋が王宮だった。
3. 城主は城内のモスクにいた。つまり城主とはイスラム教の指導者のトップだった。
4. 実は、上の3つと全く異なる正解があるのだ。


mh:イスラム教の指導者
イスラム教には、キリスト教の牧師のような「聖職者」は存在しません。アッラーの前には全てのイスラム教徒は平等であるという考え方に基づいているためのようです。

但し、「ウラマー」と言う宗教「指導者」は存在します。これが結構、権力があるのです!
例えばイラン。実質的な国家元首はイスラム教「指導者」のホメイニー「師」でした。1989年に死亡するとその当日、やはり指導者のハーメネイー師が国家元首に格上げされました。大統領もいるのですが、単なる行政府の長であって元首の指導者が辞任せよと言えば辞めねばなりません。昔、卑弥呼と呼ばれる預言者がリーダの国もありましたが、今でもこんな政治システムが残っている国があるんですねぇ。

しかし、わが日本には選挙ってものがあって、選ばれた議員の中から首相が任命され、国家元首の天皇は追認するだけで、辞任させる権限など持っていませんから、民主主義だ!と言えるでしょうが、実態は、キングメーカなる綽名の古株が牛耳ったりしていて、結構ドロドロした、魑魅魍魎の伏魔殿だ!と威勢のいい女性が言っていましたので、どの国も実態は五十歩百歩のようです。

あまり宗教や政治を批判すると身に危険が起きかねないので打ち切りますが、話を戻し「城壁の不思議」の正解はなんでしょうか?

私は、恐らく「2と3」ではないか?と思います。

アフリカ・サハラ砂漠からシナイ半島、アラビア半島、中央アジアにかけてベドウィンと呼ばれる民が暮らしていました。
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アラビアのローレンスの映画を見た方は「ああ、オマーシャリフが演じた、あの砂漠の流浪の民のことねぇ!」と思い出されたことでしょう。
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農耕地帯で暮らせなくなった余剰の民は、砂漠を目指して進出し、ベドウィンと呼ばれるようになりました。2千年程前のことです。
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ベドウィンの流れを汲む流民は中央アジアにも流れてきて、時には略奪をしたのでしょう。細々と農牧業を営んでいたヒヴァの人々は自己防衛の必要に迫られました。そこで城壁を造り、その中で暮らすことにしたのです。その時、リーダ、言わば城主、は農民の中でも腕っ節の強い若者達から選ばれたはずです。選ばれたリーダが住む家は、争いで権力を獲得した者が住む城のような高層建築にはなりません。他のメンバーと議論するスペースを持つ大きめの平屋で十分だったのです。

城壁を造り、会議が出来る大きな平屋を造ると、当時流行し始めたイスラム教のお寺も城内に造り、城内で生活しながら、毎日5回のアッラーへのお祈りもかかすことは無かったのでしょう。

そのうち、イスラム教が生活の中で重要な比重を占めてくると、イスラム教の有力な指導者が城内のあらゆることに関与し方針を決めるようになり、実質的な城主になっていったと考えられます。

ということで、城壁ができた10世紀は実力者のリーダが城主の役目を果たし、城内の平屋で暮らしていたが、12世紀頃には、城内のモスクで活動するイスラム教の有力な指導者が城主の役目を継承してきた、というのが正解ではないか???と推察します。

この推察の根拠が薄弱なことは、本人が一番よく感じていますので、ヒヴァを訪問した時に現地人に聞いてみましょう。誰が造ったのか知っている人がいたら、どこに城主が住んでいたのかも、直ぐに明らかになるでしょう。知っている人は見つからないかもしれません。その時は他に情報源を見つけて真実に迫るのです!

さて次回6月8日は「青の不思議(続々篇)」です。お楽しみに。

(城壁の不思議:完)

実は、以上で完了していたはずなんですが、大きな勘違いをしていたことが判明しました。
切っ掛けは、偶然目にしたヒヴァの地図です!
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Palace(王宮)が2つありました!それに24か所のMadrassah(マドラサ:イスラム教学校)も!王宮もマドラサもほぼ矩形で広い中庭があります!

下は地図で左(西)側のパレス1。「ヒヴァ王の夏の住居兼ハーレム」です。
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パレス1の別の中庭の一画にはモスクもあります。
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中央には窪みが、右側には階段があります。典型的なモスクの内部構造です。
中央の窪みはミフラーブと呼ばれる重要な場所です。
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Wiki;モスク(抜粋)
内部には、イスラム教の教義に従い、神や天使や預言者・聖者の(偶)像は置かれることも描かれることもない。装飾はもっぱら幾何学模様のようなものだけである。マッカ(メッカ)の方角(この方角をキブラ( قبلة‎ qibla)という)に向けて、壁にミフラーブ( محراب‎ miḥrāb)と呼ばれる窪みがある。これは、コーランの規程に従ってメッカの方向に対して行わる礼拝の方向をモスクに集う人々に指し示すためのもので、礼拝の場であるモスクに必須の設備である。その向かって右隣にはイマームが集団礼拝の際に説教を行う階段状の説教壇がある。付属設備としては、礼拝の前に体を清めるための泉などが見られ、礼拝への呼びかけに用いるミナレット(マナーラ)を有する場合も多い。
(Wiki完)

夏の王宮の屋根から南を見ると、モスク越しに太い煙突のようなミナレットと沢山の窓のようなものが設けられた矩形の建物が見えます。マドラサとよばれるイスラム教学校です。
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下はマドラサの中庭から太い煙突状のミナレットを望む風景。
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上の写真の反対方向でしょう。木の陰が写っています。
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上の写真の説明文をGoogle翻訳にかけるとハンガリーで、英語ならKhiva, the hotel - old caravanserai(ヒヴァ、ホテル・・古い時代の隊商宿)となっています。学校と隊商宿が兼用だったのですね?

次の写真は地図で右(東)側のパレス2。外壁は城壁のようで窓は高い場所だけに設けられているようです。
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城壁の内側は中庭がある青の広場です!ここもハーレムか??井戸もあります!
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下は地図のMosque(モスク)3:Jammi(Djami)Mosqueの内部でした。
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平らな屋根の矩形の大きな建物です。女性が写っています。モスクなら女人禁制のはずなので、今はモスクではないのでしょう。

城壁内に沢山のマドラサ(宗教学校)があるのには驚きました。別の町からもイスラム教指導者を目指す若者が集まっていたのではないかと推察します。

どうも締りのないブログになってしまい恐縮ですが、これで打ち切りにさせて頂きます。
ヒヴァ紹介ブログ、とご理解戴き、不思議が無かった点についてはご容赦下さい。

必ずは現地で、本当の不思議を見つけて戻り穴埋めしたいと考えています。

なお、世界の城を高さという観点で見ると、周辺に山や丘などがあって見晴らしが悪い日本、ドイツ、イギリスの城では出来るだけ早く敵の侵入を発見できるよう、展望台のような、高い建物が多く、逆に何十キロメートルも先まで平野や砂漠が広がった中国(北京、西安)、サウジアラビア(リャド)、ウズベキスタン(ヒヴァ)では、10m程度の高さの城壁さえあれば視界としては十分だったので、天守閣のような展望をもつ建物は無用だったと思ったりするのです、大した思い付きではありませんが。

(完)
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コメント


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もうすぐ憧れの地、ウズベキスタンですね。
こんなに下調べ、発想も豊か・・・もう行って来たも同然で、驚いています。

予習ってこういう事を言うんだ~と
子供の頃から、予習も復習も嫌いな私ですから
驚きの連続です。

さて、私もそろそろ南イタリアのガイドでも読んで
予習に取り掛かるとしましょうか?!




monalisa | URL | 2014-06-07(Sat)06:19 [編集]


Re: タイトルなし

monalisaさん;
イタリアへは7月に出かけられるようですね。不思議な問題を準備しておきますから現地調査をお願いします。イタリアはローマ帝国発祥地。でも南イタリアはアフリカやペルシャの影響を受け、ローマと少し異質な文化圏だったかも知れませんね。夏の花というと向日葵でしょうか、ソフィア・ローレンの妖艶な瞳を思い出しますね。ワインもいろいろありそう、私は断然、白が好きですが。

ビールはどうか?お土産に持ち帰る人はいるんですかねぇ?機内持ち込み不可能だと思うので少し面倒ですが。勿論、持ち帰ったビールは人にあげず、冷蔵庫で冷やしてから自分で味わうのです、旅の思い出と一緒に。となると3缶位は必要ですね!

ウズベキスタンは楽しんできます!青いお土産を買ってくる予定です。ウズベキスタンの思い出に!
ビールは現地で飲み溜めしてくるしかありません!

mystery hunter | URL | 2014-06-07(Sat)09:59 [編集]