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英国の長城の不思議

英国の長城の不思議    2014年7月18日 Mystery Hunter

   「何故ヘイドリアンと呼ばれるのか?」
   「何故、この辺境の地に長城を造ったのか?」


今回は英国の世界遺産「ヘイドリアンの長城」の不思議です。
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1987年に世界遺産に登録されました。日本での登録は1993年の、法隆寺、姫路城、屋久島、白神山地が最初ですから、その6年前です。

それでは、Youtubeで見つけたフィルムを中心に、Wiki、Googleなどの情報も参照しながら、我々日本人には馴染みが薄い「ヘイドリアンの長城」についてご紹介します。
その過程で、冒頭に挙げた2つの不思議について検討を進めてみましょう。

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(BBC Time Watch: Hadrian’s Wall)
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英国の、イングランドとスコットランドの境界付近に造られた全長74マイル(約120km)、高さ15フィート(4.5m)幅10フィート(3m)の長城です。
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CG復元した長壁の様子です。
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「ヘイドリアン」の命令で造られました。ヘイドリアンとは何者か?いつ造くられたのか?は判明しています。直ぐつまびらかにしますので暫くお待ちください。

ここで2つの不思議な質問を確認しておきましょう。

   質問1:「何故ヘイドリアンと呼ばれるのか?」?????
   質問2:「何故、この辺境の地に長城を造ったのか?」



実はヘイドリアン長城の北約160kmには「アントナイン長城」も造られました。
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アントナイン長城の歴史的な意義や規模はヘイドリアン長城と比べて小さいので詳細な説明は省きますが、不思議な質問と若干関係あるので、後段で少し触れる予定です。

さて、ヘイドリアン長城ですが、ローマ帝国第14代皇帝ヘイドリアンにより造られました。
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着手したのは西暦122年で、10年後に完成しています。ヘイドリアンがこの地を訪問し、自ら建設を指示したのです。

なんだ!質問1「何故ヘイドリアンと呼ばれるのか?」の答えは最初から出ていたのか!

いやぁ、そこは不思議な質問ですから・・・意図は別にあります!
まずは落ち着いて頂き、次にお進みください。

当時、ローマ帝国は、ヨーロッパの大半と、北アフリカ、トルコ、中近東を支配していました。
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ヘイドリアン長城は英国本島(mh注)におけるローマ帝国北限だったのです。

(mh注)
当時、ローマ人は、英国本島の北の現スコットランドを「カレドニア(Caledonia)」、南の現イングランド・ウェールズなどを「ブリタンニア(Britannia)」と呼んでいました。
何となくロマンチックな名前ですね。何故ロマンチックだと感じるのか?その不思議について近々謎解きに挑戦しますが、答えをお持ちの方、気づかれた方は、内密でmhにご教示ください、拍手⇒コメント(公開しない)でお願い致します。

ヘイドリアンの死(138年)後、帝位を継承した第15代皇帝アントナインの命で、ヘイドリアン長城の北160kmに新たな「アンナイン長城」の建設が142年に着手され、2年後には完成しました!!しかし、北方蛮族(ケルト人など)の攻勢で、完成から20年後にはヘイドリアン長城まで撤退する羽目となり、アントナイン長城は壊滅していったのです。

一方、ヘイドリアン長城は、西暦410年頃にローマ軍がブリタンニアから撤退するまでの約300年に渡り、1万のローマ兵によって守備されていたのです。
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上:朝もやの中に浮かぶ長城  下:草原を貫く長城
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長城の途中には17か所の主要な砦が築かれました。
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1マイル(1,6km)毎にゲート(関所)も造られました。
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何故こんな急峻な所にゲートが在ったのかですが、「1マイル毎にゲートを造れ!」というヘイドリアンの命令に忠実に従った結果だろう、とのことです。

ヘイドリアン長城はローマ帝国の歴史を通じ、最も堂々たる境界施設でした。
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爽やかな夏、長城に沿ってトレッキングするのはイギリス人の娯楽の一つです。

410年頃、ローマ帝国の衰退に伴って兵士が撤退してしまうと、3百年以上続いていた長城の石は蛮族によって建築に再利用され、長城の姿は大きく変貌して現在に至っています。

長城の石を使って造られた教会は、戦と宗教が結びついた証で興味深い皮肉です。
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長城に沿った道路沿いの町や村には博物館があり、砦の遺跡から発掘された当時の生活用品、アクセサリー、お祈り用の祭壇などが展示されていて、トレッカー達が訪れては昔を忍ぶ場所になっています。
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長城の警備兵は首都ローマだけでなく帝国内のいろいろな地方から派遣された男達で構成されていました。従って長城は国際交流の場所でもありました。
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フランス製のポット              イタリア・カンペイニアの鍋。

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インド製象牙の戦闘士像。          ドイツまたはエジプト製のガラス容器。

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エミーリア(EMIELIA)と名前が透かし彫りされた金の指輪。指輪を失くしてしまった持ち主はさぞ困惑していたでしょう。

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長城沿いの博物館。
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祭壇です。兵士の住居毎に一つ備え付けられていたのでしょうか。沢山あります。
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ビンドランダの町の近くの、通気性が悪い粘土層に築かれた砦の遺跡からは、鉄、革、木などで造られた当時の生活用具が見つかりました。酸化や腐食が少ないので原型に近いものが多く、ローマ帝国への「生活の窓」として、当時を彷彿させてくれます。
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飾りが付いたブーツ。裏には沢山の鉄の鋲が取り付けられています。
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重くて長距離を歩くには不適切です。多分、儀礼用のブーツだったのでしょう。

レザーのサンダル。底にはメーカーの名が刻印されています。
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高価なサンダルで皆が欲しがるようなものです。でも紐が切れたのでほとんど使わずに捨てられたのでしょう。

よちよち歩きの子供のブーツ。靴底には鉄の鋲も打たれています。
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装飾品や陶器も見つかっています。
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木製のハガキも見つかりました。特殊処理をして赤外線を当てると文字が浮かび上がります。
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ラテン語(mh注)で書かれています。
(mh注)ローマ帝国の公用言語でした。今もバチカン市国の公用語です。

ハガキのレプリカ。木製です。レザーの紐で重ね合わされ、文面は内側に書かれました。
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当時のペン。鉄製のペン先が付いています。
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いずれの品も、洗練されたデザインで、機能も完全だったため、何世紀もの間この形で使われていました。

当時、ローマは文化の最先端をいく都市。一方、ここブリタンニアは僻地でした。言葉や素行は野蛮で、食べ物も粗末な上に寒い処でした。このような辺境にローマ兵士達が暮らすためには工夫が必要でした。

例えば床暖房。床下に暖気を通す空間があります。
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また、ローマ帝国の施設で忘れてはならない浴場。サウナもありました。
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一汗かいた後の憩いの場所(記録に基づいて復元された施設です)。
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それにトイレ。開放的で快適そうです。
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「ヘイドリアン長城の警護をしていたのはローマ帝国全土から集められた兵士でした。彼等はブリタンニアに攻め込み、多くのブリタニア人・ケルト人を虐殺しました。その一方で、ラテン語の読み書きを普及させ、後の英語の基礎を造りました。同時にローマの進んだ生活様式を持ち込み、文化の発展に多大な貢献をしたのです。」
「ローマ人は何だったのか?文化の提供者か?残虐な征服者か?
皆さんのご意見をお知らせください。」

とBBCフィルムは結んでいます。

そうですよね、BBCは英国放送協会ですから、このフィルムも英国民を視聴者として作成編集されてるのは当然でしょう。

以上でBBCフィルムの紹介を終え、不思議な質問について考えてみましょう。

   質問1「何故ヘイドリアンと呼ばれるのか?」???
   質問2「何故、この辺境の地に長城を造ったのか?」


まず質問1ですが、フィルムの英題からも判るように城壁の名は「Hadrian’s Wall」です。
そして、BBCフィルムの中で、ナレーターは「ヘイドリアンズ・ウォール」と発音しています。
つまり「ヘイドリアンの壁(城壁)」と言っているのです。

よって質問1についてはこうなります。
  質問「何故ヘイドリアンと呼ばれるのか?」
  解答「BBCが、英国人が、ヘイドリアンと呼んでいるから!」  

しかし、日本語Wikiの検索枠に「ヘイドリアン長城」と入力しても何も得られません
「このウィキでページ「ヘイドリアン長壁」を新規作成しましょう。」と返ってくるだけです!

そこで英語版Wikiの検索(Search)枠に「Hadrian’s Wall」と入力してみたらページが開きました!勿論英文です。

英文ページ上で「日本語」をクリックして選択してみると出てきました!

     「ハドリアヌスの長城」!

同じ現象がアントナイン長城でも確認できました。
英語版Wikiのアントナイン(Antnine)は日本語では「アントニヌス」です!

Wikiで併記されているラテン語も加えて表にまとめると次の通りです。
     ラテン語    日本語     英語          
     Hadrianus  ハドリアヌス  Hadirian(ヘイドリアン)
     Antoninus  アントニヌス  Antonine(アントナイン)


一体全体、どうしてこんなことになってしまっているのでしょう?

日本語は原典のラテン語アルファベット表記をヘボン式ローマ字読みしたもののようです!
ローマ帝国の公用語がラテン語だったのは間違いないようですから、日本語の読みはローマ帝国民の発音に近いのかもしれません。

しかし、英語表記とラテン語表記とではスペルが異なります。それに、Hadrianは「ヘイドリアン」が普通の英語読みで、ハドリアヌスと読む人はいないでしょう。


・・・・・・・・・どうも英語の表記に問題があるようです。

なぜ英語ではHadrianusを Hadrian、AntoniusをAntonineと表記するのか?????

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言語学について情報や知識欲を持たぬmhは、感性に基づき次のように結論します!
(mhの結論)
「イギリス人は侵略者を快く思っていなかった。よって皇帝の名を、英国流の軽い、若干の侮蔑を含む名で呼ぶことにした。例えば大戦中、アメリカ人が日本人をジャパニーズと呼ばずにジャップと呼んだように。」
「ハドリアヌスは立派な人物の名だが、ヘイドリアンならその辺りにいる男の名だ。」


さて、皆さんならどんな解答を思いつきますか?

ラテン語のローマ人に侵略された蛮族、つまりイギリス原住民、の言葉は様々でしたが、ケルト語が主力言語だったようです。

ケルト文字は縦横の棒の組合せでした。数字の表記のように見えますね。
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       (ケルト文字とアルファベットの対比表)
ローマ人の侵略以降、ラテン語アルファベットを導入し、棒状の不愛想な文字が今の英語アルファベットに変化していったのです。

一方、言葉ですが、ケルト語の主力な方言だった(?)アイルランド語と、英語、ラテン語の比較表がありました。
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この例を見ると、ラテン語とアイルランド語を混ぜ合わせて英語が生まれてきたような感じですね。他の例も見たら、もう少し正確な推察もできるのですが・・・

それでは、不思議な質問2の検討を始めましょう。

   質問2「何故、この辺境の地に長城を造ったのか?」

フィルムの中でBBCナレーターは次のように話していました。
「なぜヘイドリアンは城壁を造ったのか。一つの目的だけではないだろう。」
「フィジカル(物理的)でシンボリック(象徴的)なバリアー(防壁)だった。壁の間で行き来する人を管理するのだ。」
「ある学者は通関の役目をしたと考えている。ある学者は軍事的なバリアーだという。」
「多くの兵士が集まっていて、やることがなければトラブルを起こす。6,7年、石の壁を造る作業で忙しくさせるのがいい、とヘイドリアンは考えたのではなかろうか。」
「どうして造ることになったのか、未だにミステリーだ。」


Wiki(日本語)では次のように短く評論しているだけです。
「領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つである。」

Wiki(英語)では次の通りです。
長城付近で見つかった建設直前の碑文によると「帝国を確立せよ、との神の啓示があった。」とヘイドリアンが言ったらしいが、事実かどうか疑わしい。
長城を造ることで、帝国の確固たる国土維持の意思を反抗的なエジプトなどの被占領国に示したかったのではなかろうか、との学者の推察もある。
ゲートを通行する物や人に税を課すことも目的だったのではなかろうか、との推察もある。
一旦完成したら、壁面に白い漆喰をぬって見栄えを整え、皇帝の権力を誇示することも計画していたのではないか、という説もある。
(Wiki完)

これらの答えから導かれる結論は、「長城を造るきっかけについての当時の記録は見つかっていない、よって一般的な推察しか提示できない」ということかと思います。

しかし、これで終わるのでは面白くありません。

よって、mhは頭をひねって考えてみました。
で、思いついたのは仏陀の教えに沿う解答です!
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 (青年シッダールタが悟りを得て仏陀になった場所:ブッダガヤの金剛宝座と菩提樹)

ヘイドリアンは感じていたのです。「奢れるものは久しからず、ただ春の夜の夢の如し、猛き人もついには滅びぬ」の心境をひしひしと感じていました。そこで、力尽きて敗走することになる前に、ここぞ!と決めた限界の地に長城を造ることにしたのです。

ヘイドリアンの予感は的確でした!後継者アントナインが領土拡張のために造ったアントナイン長城は10年で放棄され、結局ヘイドリアン長城まで撤退することになったのは、ヘイドリアン長城こそがローマ帝国の北限だった証です。

「世の中のすべての行いには中庸が大切で、やりすぎると好い答えが得られない」というお釈迦様の教えは、まさに真理!としか言いようがありません!
それを悟っていた「ハドリアヌス」は、一角の皇帝であったことは間違いないでしょう。

以上でヘイドリアン長城の2つの不思議の種明かしは終わりです。
皆さんの答えも同じでしたか?面白い答えを見つけられたら是非ご教示ください。

     
本日、ブログ公開後確認したらフィルムが非公開になっていました。
URLを下記に追加しましたので興味がありましたらご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=9_4m5lknX68

7月23日は「メソポタミアの不思議」です。お楽しみに。
(ヘイドリアン長城の不思議:完)
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| | 2014-07-19(Sat)13:15 [編集]


アルベロベッロの位置は確認しました。

イタリアの僻地ですね!?ネット回線の容量不足だと思います、多分。ウズベキスタンでも同じ問題を体験しました。で、今日、朝日新聞に紹介されていたマイクロソフトのOneDriveを試したら、サイズの大きなファイルをサーバーに貯めておき、そのアドレスを相手の電子メールアドレスに連絡し、相手に、サーバー上のファイルを見に行ってもらう方法を習得しました。ブログは無理ですが、ファイル(写真も含む)ならメールに添付せずに済むので使い勝手は好さそうです。で、あなたのコメントですが、私のブログ上には、まだ反映されていませんでした!メールアドレスにはコメントが有ったとの通知は届いたのですが。やはり回線のキャパシティ問題かもしれませんね?帰国後のブログ楽しみにしています!!

mystery hunter | URL | 2014-07-19(Sat)21:23 [編集]