Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ウズベキスタンとロシアの不思議

ウズベキスタンとロシアの不思議  2014年6月28日 Mystery Hunter

ウズベキスタンのツアー旅行を無事に終え、20日帰国しました。現地では私を含め、ツアーメンバーの半分程の人が食当たりを体験しましたが、後日報告するように、「青の世界」の感動は全員が等しく体験してきました。

同行して頂いたメンバー、添乗員、現地ガイドは、とても素敵な、面白い人物ばかりで、旅の楽しさが倍増しました!こちらについても、ウズベキスタンで出会った不思議な人々(仮題)として報告させて頂く予定です。
  08501.png
 (サマルカンド:レギスタン広場。観光客が誰も写っていない理由は後日ご披露します!)

現地での最終日、首都サマルカンドで国立歴史博物館を見学しました。
  08502.png
                (入口:展示フロアーは2階と3階でした。)

紀元前に日干しレンガの城が造られ、青銅器も使われていて、日本より早い時代から文明があったというのは、ウズベキスタンが古代文明発祥地のメソポタミアに近いことを考えると当たり前か、と気付きましたが、日本を発つまでは、経済の発展が日本から遅れているように、文化の歴史も日本より浅いだろう、と高をくくっていたのです。
  08503.png
                  (紀元前にあった城壁の復元図)
            08504.png
                   (紀元前6~4世紀の青銅器)
08525.png
(アヤズ・カラ:赤い(?)城の意。6,7世紀のもの。キジルクム砂漠の中にポツンと聳えていました。遥かパミール高原に端を発したアムダリア(川)が遠方に見えるような見えないような!)

南側、アフガニスタンとの国境近くでは1~3世紀に造られたストゥーパ(仏舎利塔)が見つかり、中からガンダーラ美術の影響を受け継いだ綺麗な仏像が出てきました!
08505.png 08506.png

08507.png 08508.png
(発掘された本物です。貴重な国宝に違いありません!!!)

ウズベキスタンは1800年代に帝政ロシアに征服され、以降は1991年のソ連崩壊を機にウズベキスタン共和国として独立するまで、ソ連の統治下にありました。その頃を紹介する展示スペースにはセピア色の新聞記事や写真(下段に掲載)が掲示されていました。

話が変わるのですが、サマルカンドの南にある世界遺産の町シャフリサブスを訪れました。バスで片道約2時間、英雄ティムールの夏の宮殿があった場所です。
08509.png
       (博物館の壁一面に描かれた馬に乗るティムールと当時の人々)

             08510a.png
                         (夏の宮殿の跡)
建設当時は高さ70mにもなるアーチが付いていたのですが、ティムール王朝(帝国)を滅ぼした王が王朝の始祖である英雄ティムールの偉業を辱めるために破壊したとのこと。

昼食後、サマルカンドへの帰り道でトイレ休憩しました。下左の写真で、子供達の後ろの丘に登る階段の途中に3人写っている隣がトイレです、私は青空トイレで済ませましたが。
08511.png 08512.png
そうそう、ウズベキスタンでは、上左の写真の左側の子や、上右の写真のサマルカンド近くのオアシスにある紙工房で見た子のように、髪の毛を短く切った女の子が多いのです!大人になると長く美しい髪になれる!と言う理由のようですが、医学的に正しいのでしょうか?散髪代が安いというのが理由かと思うのですが・・・

で、話を戻すと、トイレに続く階段を登り切ると、木陰でお茶やナンをサービスしてくれる質素なお店があり、隣の工房で造った絨毯やマットなどの素朴な織物が売られていました。

一休みしていると、髭のおじさんがやって来て、頼まれもしないのに、賞状と勲章をテーブルに広げて説明を始めました。
          08513.png

現地人ガイド(詳細は後日ブログで紹介します)の通訳によれば、国営農場や工場で働く労働者を確保するため、子供をたくさん産んでくれる人に連邦が勲章や賞状を出していて、名誉にも自分がもらうことになった、とのこと。
  08514.png
勲章は3人目、5人目、7人目、10人目は金の勲章(左側の青いケース入り)で、結局11人の子供を造ったようです。今、おじさんは70歳で奥さんは68歳。一緒にいた女性ツアーメンバーから「表彰状はおじいちゃんでなく、おばあちゃんにあげないといけないでしょ!」と文句が飛びました。おじさんは笑っていました、勿論、意味は通じていません。

賞状の左下側には1987年10月29日とあり、ソ連邦の国璽が押されています。
    08515.png
中央の地球儀図を取り囲む麦の穂を束ねるように何重にも巻かれたリボンには、ソ連邦に組み込まれていた国々の名が記されています。こんなにきれいなソ連邦国璽を見たのは初めて!と若いガイドは感激していました。

当時、車は、購入希望者数に対して供給数が少なく入手困難でしたが、表彰を受けた人は優先的に扱ってもらえたとのこと。でも91年のソ連崩壊で、その恩恵に与れなかったようです。

おじさんが説明している脇の方で、一生懸命、織物をしている女の子がいました。
08516.png 08517.png
髪の毛が風で顔にかかってしまっていますが、かわいい子でしょ!
隣の女の子も、負けずにかわいいですが・・・・・・・・・・・・

さて、話を歴史博物館のソ連統治下の展示資料に戻すと、当時はウズベキスタン人にとってかなり悲惨だったようです。写真や新聞記事には、コルフォーズ・ソフォーズで運河や耕作地の開拓に駆り出されて働く人、広い畑で綿花を摘み取る人など、働く人々の姿が映し出されていました。収穫した綿花はソ連に持ち出され、統治に反論する人はシベリアの刑務所に送られたり殺されたりしていたようで、人々の苦しみは写真にも滲んでいるように感じられました。
08523.png 08524.png

バスの中で、ガイドが伝統楽器による民族音楽などを紹介してくれました。多くはモスクでの礼拝時のBGMかと思われる代物でしたが、中に「百万本の薔薇」という曲がありました。昔、聞いたことがあるような旋律です。

ホテルに戻り、今回の旅のため購入し持参したパソコンをネットに繋ぐと見つかりました!

1983年頃のロシア曲のようです。ウズベキスタンでも大流行しました。
まずは下のURLでお聞きください、映像を見ながら。
08518.png
https://www.youtube.com/watch?v=zDjotWBFi4Y

ロシア語ですが、ソ連統治下で多くのウズベキスタン人はロシア語を学び(学ばされた?)この歌詞を理解していました。ガイドの話では、独立し20年以上たった今も、ロシア語を話せる人が30%以上いるだろうとのこと。ロシア語を第一言語にしている人も14%もいる(Wiki)ようです。

とても好い曲なので、覚えてお風呂で歌うレパートリーに加えようと、口笛を吹いたり口ずさんだりして歩いていると、すれ違ったおばさん達から「あなた、その曲知っているの!!?」と何度か訊かれました、勿論、ウズベク語で訊かれるので意味はサッパリ判りません。しかし、おばさんの、驚いたような、うれしいような顔を見れば私だって直ぐ気づきます!

この曲は加藤登紀子が歌ったので知っている人も多いかも知れません。恐らく、ロシア語の歌詞を日本語に翻訳したのだと思います、ロシア語の歌で「百万(ミリオンмиллион)」という言葉が何度も出てきますから。
08519.png
https://www.youtube.com/watch?v=IOFJWp4TCgA

しかし、元はバルト三国の一つ、ラトビアの歌で、原曲の日本語版が見つかりました。
「マーラが与えた人生」です。
08520.png
https://www.youtube.com/watch?v=IOFJWp4TCgA

歌詞の主題は次の通りです。
「マーラは娘に命を、尊い命を与えたけれど、たった一つ上げ忘れた、幸せを上げ忘れた。」

好い曲なのでロシアにも流行らせようと歌詞を見たら、ラトビアを支配しているロシア人には後ろめたいものだったので、「マーラが与えた人生」を「百万本の薔薇」にすり替えたに違いありません。

娘に幸せをあげることが出来なかった母親の辛さは、画家の恋になりましたが、メロディーに込められた悲しみの気持ちは隠しようが無かったので、百万本もの薔薇をテーマに組み入れて美しく仕上げたものの、失恋の歌にせざるを得なかったのだと思います。

ロシア語の「百万本の薔薇」はソ連統治下のウズベキスタンでも流行りました。

好い曲ですが、哀愁に満ちたこの曲が、ソ連邦に組み込まれた小国の間に広まったのは、考えてみると当然と言えます。この曲を聞くのを忌み嫌った人がいたとすれば、スターリンやレーニンなど、ソ連邦の指導者や側近だったに違いありません。

ゴルバチョフ大統領の決断で進められたペレストロイカ(再建)やグラスノスチ(情報公開)による民主化の流れは、とうとう1991年のソ連邦の解体を引き出すことになりました。その結果、ウスべク・ソビエト社会主義共和国、ラトビア・ソビエト社会主義共和国、カザフ・ソビエト社会主義共和国など、不本意にもソ連邦に組み込まれていた弱国が一挙に独立することになり、ウズベキスタン共和国、ラトビア共和国、カザフスタン共和国、などが生まれたのです。
          08521.png
(Wiki)ミハイル・ゴルバチョフ
1931年生。1990年ノーベル平和賞受賞。1991年大統領から失脚、エリツィンが引き継いだ。1999年、最愛の妻ライサを白血病で失い悲嘆に暮れる姿はロシア国民から広く同情を集めた。西側諸国からは絶大な支持を得たが、ロシア国内では「“偉大で強い”古き良き時代(スターリン・ブレジネフ時代のこと)であったソ連を崩壊させた」、「アメリカに魂を売った売国奴」という意見も多い。(Wiki完)

皇室が権力を継承するアラブ諸国や、共産党が国家運営を独占し続ける中国、金一族が国家を私物化し続ける北朝鮮、宗教指導者が政治を操るイスラム諸国、などなど、詰まる所は自分や一族、その仲間など、一部の人達が国政を握り続けている国では、いつの日か国民の不満が爆発し、国は混乱し、多くの人が悲惨な結末をたどることは歴史が証明済みです。そんな事態に到る前に、多くの人の支持が得られる体制に変える決断が指導者には求められています。

(補足)「嘆きの母」像
タシケントの独立広場に「嘆きの母」の像があります。1999年に造られました。似た像はサマルカンドなど他の多くの都市にもあります。
     08522.png
第二次世界大戦にソ連邦兵士として駆り出され、生きて戻ることが無かった息子を忍んで悲しみにくれているのです。

ウズベキスタンは若者の派兵に加えて650百万ルーブルのお金、53kgの金銀、2百万足の軍靴、防寒着などの供出や、ソ連邦からの数万人の避難民受け入れを強いられたようです。

毎年、戦勝記念日の5月9日(ドイツ降伏の翌日)には多くの人が独立広場に集まり、帰らなかった兵士達の冥福を祈るとのことです。

以上でウズベキスタンとロシアの不思議は終ります。
次回7月3日もウズベキスタン旅行に関する報告をさせて頂く予定です。おたのしみに。

(ウズベキスタンとロシアの不思議:完)
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

お礼

ウズベキスタン旅行では 色々とお世話になりました。 今回は素敵な人が多く 本当に充実した旅になりました。 特にこのブログを開いてみて 造詣の深さにびっくりしました。 ご一緒させていただいた感じでは 知識をひけらすことなく とても謙虚に見えました。 このブログを皆さんに知っていただきたく 私のブログで紹介させていただきました。

とよさん | URL | 2014-06-30(Mon)22:05 [編集]


Re: Re: お礼

こちらこそ、お世話になりました。これまでの中でも最も、楽しい仲間に恵まれた旅になり、これからは一人旅でなくて、ツアーで行こうかなぁ、と思ったりしています。
ウズベキスタンについては、あと3つのブログを投稿済みです。5日おいて3、8、13日に公開することにしてますが、皆さんの陰の行動を紹介することにしていて写真も使わせてもらいます。よろしくご了承下さい。何か問題がありそうだ、と気付かれたら連絡貰えると助かります、直ぐに修正したいと思いますので。次回もまた、同じメンバーで行きたいですね。あのメンバーなら、どこに行っても楽しそうです。では。

mystery hunter | URL | 2014-06-30(Mon)22:44 [編集]


今度の度でも収穫が多かったようで、よかったですね。

>髪の毛を短く切った女の子が多いのです!
>大人になると長く美しい髪になれる!と言う理由のようですが、
>医学的に正しいのでしょうか?
>散髪代が安いというのが理由かと思うのですが・・
 
  よく生まれたばかりの赤ちゃんの毛は、
  一度全部剃ってしまうといい毛が生えて来る・・・という話は
  聞いたことがありますが、迷信のようです。
  
  短く切るのは、衛生上だと思いますよ。
  シャンプーも簡単だし、シラミが湧いたら大変ですもの!!
  そういえば、ブールで移ったと言って、
  シラミ退治用のスミスリンシャンプーを買いに来た親子がいました。
  日本にもいるのだからウズベキスタンにもいるのでは?!

勲章をもらったおじさんが、11人の子供~同じ奥さんからの子供の様で良かったです・・・それならそのご夫婦に勲章の価値ありですもの。

「マーラが与えた人生」では、娘に幸せをあげることが出来なかった母親の辛さ、「百万本のバラ」では、一目ぼれした女優のために何もかも売り払った画家がバラの花を100万本買い込んで窓の下に敷き詰め、女優は金持ちの享楽と思い、貧しい画家のことなど気にもせずに立ち去っていく物語を歌にしたそうですね。
ロシアでは家を訪問するときに花束の一つも持っていくことが礼儀だそうです。また、ロシアでは割り切れる偶数は「別れ」を意味する不吉な数字なので、「100万1本のバラ」だったらこの恋は成就したのかも~というコラムを読みましたが
悲哀感ただよう曲のイメージにピッタリですね。

「岸壁の母」でもそうですが、戦地から帰りを待つ母の気持ちは、いつも同じですね。
タシケントの独立広場の「嘆きの母」の像は、何かを見つめているように思いますが、目線は?

お友達になったとよさんのブログも見てみたいですね~。


monalisa | URL | 2014-07-01(Tue)01:00 [編集]


そうか!シラミ対策ですか!きっと正解ですね。

いやぁ、久しぶりに聞きましたね、シラミという名前。日本の都会にも、まだ生息してるんですね?
ダニの一種かと思うんですが、シラミやダニ、と並べて言われていた気もするので、異なる種なんでしょか。
そういえば、小学生の頃、頭にシラミ退治の白い粉薬をかけられた仲間も多かった記憶があります、私はかけられなかったと思いますが・・・坊主頭だったから虫干し効果でシラミもいたたまれずに逃げ出していたのかも。
で、かけられていた粉薬の名前がなんだったか思い出せず、ネットで調べたらDDTでしたね。ジャガイモ畑などにまく農薬みたいで、子供の健康にも悪かったでしょうから、まず丸刈りになれば問題は大半解消か!と納得です。

mystery hunter | URL | 2014-07-01(Tue)09:39 [編集]


ソ連のなかの中央アジアとラトヴィア

ソ連時代のラトヴィアの経済は中央アジア諸国よりもずっと良く、ソ連構成国全体のなかでは恵まれた方であった。また、ラトヴィア人は、ソ連構成民族のなかでは、ソヴィエト体制―決して「ロシア」だけではない―のエリートを比較的多く輩出していた{例:ヤン・ルズターク(1887-1938年)、ヴィクトル・アルクスニス(1950年-)、ボリス・プーゴ(1937-91年)など}。このようなラトヴィアであるが、ラトヴィア人を含むバルト諸民族は、ソ連内部のアジア系民族に対しては圧倒的な優位にあり、ソ連内部のアジア系民族を軽蔑しがちだったことも忘れてはならない。ラトヴィア人から軽蔑されたソ連内部のアジア系民族が「マーラはラトヴィアに幸せをあげ忘れた」という一節を聞いたらどう思うだろうか?「ソ連内部で恵まれた地位にあるラトヴィア人が何を言ってやがる。ふざけんじゃねぇ!!」と思うのではないか?

イクーロ | URL | 2014-08-17(Sun)13:36 [編集]


百万本の薔薇とラトビア:Re: ソ連のなかの中央アジアとラトヴィア

私はラトビアとロシアと、この歌の関係についてYoutubeの百万本の薔薇の歌、及びその歌詞から得た情報以上のものはもっていませんが、おっしゃるように、ソ連邦の中においてはラトビアの国民はウズベキスタンなど中央アジアの国民と比べると、大切に扱われていたのではないかな、と推察します。ロシアはかつて、サンクトペテルブルクに首都を置いた王国だったと思うし、人種や文明や宗教はヨーロッパ系で、中央アジアや東アジアと育ちが異なります。しかし、程度の違いはあったにしても、ラトビアもウズベキスタンと同じように、ロシアによって蹂躙(じゅうりん)されていたのではないでしょうか。つまりロシアの意向に従うしかなかったのではないかと思います。とすれば、ラトビア人はウズベキスタン人より恵まれていたとしても、イギリスやフランスなど、他の独立国と比べたら不幸な時期を過ごしていたのは間違いありません。ウクライナでまたロシアが覇権を広げようとしていますが、同じことが繰り返されるような気がして気がかりです。

mystery hunter | URL | 2014-08-17(Sun)21:40 [編集]