Mysterious Questions In The World

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ウズベキスタンの不思議な質問;解答篇

ウズベキスタンの不思議な質問:解答篇   2014年7月3日 Mystery Hunter

4月18日ブログ「青天蓋モスクの不思議:ウズベキスタン」では9つの不思議を掲げました。
例えば、天蓋ドームの造り方は?なぜ青なのか?

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                  (サマルカンド)
これらの不思議の大半については、ウズベキスタンに旅立つ前に、ネットで得た情報を基に解き明かしてブログ公開させて頂きました。

また6月3日ブログ「城壁の不思議」では「ヒヴァの城壁内のどこで城主は暮らしていたのか?」を取り上げ、結局、ネットで入手した地図に「パレス(宮殿)」が見つかって「な~んだ!不思議なんかなかったねぇ。」という不祥事もありました。
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            (ヒヴァ内城、東門近くの王宮)
度重なる不祥事への反省と帰国報告を兼ね、ウズベキスタンの不思議について、これから補足・修正をさせて頂きます。

まずは、これまで何の解答もご披露しなかった不思議についてです。

     「イスラム教の前はどんな宗教だったのか?」

現地人ガイドに訊くと「ゾロアスター教?マニ教?ユダヤ教などかも」と自信なさげでした。
「圧倒的な勢力の宗教は無かった!」ということかと思います。

<ゾロアスター教>
拝火教とも呼ばれ、開祖はザラスシュトラでゾロアスターの名は彼の名から生まれたとの噂です。発祥は紀元前10世紀より古く、紀元前6世紀には既にペルシャ(現イラン一帯)で圧倒的な勢力を持っていたようです。
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          (ゾロアスター教のシンボル;守護霊「プラヴァシ」)
イランには今でも信者が多く、長い歴史をもつ寺院で祈りを捧げています。

<マニ教>
紀元前3世紀にペルシャで生まれました。マニを開祖とする経典宗教で、二元論(光と闇、善と悪、精神と物質など)を教えの礎としているようです。

<ユダヤ教>
紀元前10世紀頃に中近東で発祥し、紀元前6世紀には定着しています。唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教です。
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                 (ダビデの星)
<キリスト教>
イエスを機に発生し、新約聖書や旧約聖書を経典としています。イエス生誕の地はベツレヘムとかナザレとか言われていて諸説ありますが、大雑把にくくるとイスラエル、ヨルダン、またはその国境辺りで、これまたペルシャの近くです。イエスが生まれた時は既にユダヤ教が流布していて、少年期のイエスは、その教えを好く理解していたようです。
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 (タシケントのロシア正教会:私が観光した日も信者がお祈りをしに来ていました。)

<イスラム教>
ご承知の通り、預言者ムハンマドが神の啓示を受けた610年頃にアラビアで発祥。ムハンマドが語った内容はコーランに纏められ、今でも教義の原点です。

旧約聖書はユダヤ教とキリスト教の聖典で、イエスはイスラム教の預言者の一人で、エルサレムはユダヤ、キリスト、イスラム3教の聖地、ですから、私のような無神論者にはユダヤ教・キリスト教・イスラム教は「宗派が異なる同じ宗教」にさえ思われます。

ヒヴァの朝5時頃、ホテルを出て内城(イチャン・カラ)を散歩していると、家の前で椅子に座り、無心にコーランを読んでいるおじさんに会いました。
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写真を撮らせてくれました。手に持っている緑の本がコーランです。見せてもらうとウズベク文字でした。原典はアラビア文字で、ウズベキスタンの他のモスクには置いてありました、お祈り中だったので写真は撮れませんでしたが。

さて、以上だらだら恣意的に宗教の発生に関するmhの怪しい考察と情報をご披露しましたが、これらに基づきウズベキスタンの宗教史を総括すると次の通りです。

<my流ウズベキスタンのイスラム史>
ウズベキスタンはメソポタミアと地続きで、距離的にも1千kmと近いので、メソポタミで発祥した文化や宗教が人と共に流れ込んできました。
(5月23日「文明の起源は宗教か?」を参照頂くと同意して頂けると思います。)
          (ギョベクリ・ペテ:紀元前10世紀の宗教遺跡群)
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   (下:神殿と思われる遺跡。同じ形の遺跡が一か所で沢山見つかっています。)
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しかし、メソポタミアから遠く、かつ海で隔てられた所では状況は異なります。

<ドーバー海峡でメソポタミアと隔てられたイギリス>
ローマ軍が侵攻してきた2世紀初頭までは、祖先崇拝、自然崇拝、多神教といった原始的な宗教でした。しかし、ローマ軍がブリテン島から撤退する5世紀には、ローマ帝国の国教キリスト教が定着し始めたのです。
(本件に関係あるブログ「英国の長城の不思議」は近々公開です。おたのしみに!)

<大西洋でメソポタミアと隔てられた中南米>
アステカ文明(メキシコ、15世紀)、マヤ文明(メキシコ・グアテマラ、4世紀頃)、インカ文明(ペルー・ボリビア、13世紀頃)では、祖先崇拝や、太陽、山、川などの自然を崇拝する宗教でした。15世紀の大航海時代以降に欧州人が持ち込んだキリスト教は数十年という短い期間で古い宗教を排斥し、今では中南米全体で他教の追随を許さない勢力を持っています。

<日本海でメソポタミアと隔てられた日本>
六世紀の飛鳥時代に仏教が伝えられました。
しかし、720年に出来上った日本書紀によれば、混沌の中から天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)など三柱の神(造化の三神)が生まれ、その後、神々に統括されてきた日本は神の国で、天皇は神の子孫となっているようです。このような神話(下のURLのように神話などではなく事実だと言う首相もいました!)から推察するに、仏教伝来前でかつ日本書紀前は、太陽や、山、川、海などの自然が信仰対象だったでしょう。

そのうち突然、神々が降臨し、神道の基になりました。天照大神は今も日本の重要な神とされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%99%BA%E8%A8%80

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しかし、メソポタミアに地続きで隣接するウズベキスタンでは事情は全く異なったのです。

8世紀頃にイスラム教が流れ込んでくると、他の宗教は次々に排斥され衰退していきます。ウズベキスタン一帯はオスマントルコなどイスラム国家の勢力圏で、歴史的に見てもイスラム教が拡大する下地は十分でした。加えて、イスラム教の教え、つまり「他教(=邪教)排斥」、で旧来の宗教は徐々に駆逐されていったのです。

そのイスラム教も、ウズベキスタンでは驚異的な変革が行われたようです!

次の写真はヒヴァの「金曜モスク」の内部です。
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壁には「ミフラーブ」という、メッカの方向を示す窪みがあり、ここがモスクであったことを示しています。その右側には指導者が説教する階段がありますが、なくてもモスクとしては問題ありません。

世界中のどこのモスクも女性は入れないのは大原則!しかし、このモスクは、今はモスクではなく観光用の遺跡で、中では女性達がお土産を展示販売していました。

このような、世界遺産にもなる綺麗なモスクや神学校などの宗教施設の多くが、宗教用途で利用されず、観光用として公開され、土産品を売るスペースが建物の内外に展開されているのです!

更には、観光地にある礼拝中のモスクでは、男女を問わず異教徒の観光客が入って、お祈りの様子を見学できるのです!土足はだめで、写真撮影・談笑は禁じられているはずですが、入るに当たり特段の注意は何も受けませんでした。
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(サマルカンドのモスク:中では礼拝中でしたが、髭のおじさんが島根の姉妹(後日詳細を報告します)に「中に入ってみるかい?」と手招きしながら声をかけてきました!)

またガイドによれば、異教徒間の結婚も可能です。世間から若干は冷たい目で見られがちですが問題ないとのこと。

少なくとも15年ほど前は、私が単身赴任していたインドネシアでは異教徒との結婚はご法度でした。恐らく、今も、他のイスラム国でも、そうだと思いますので、ウズベキスタンだけが特殊ではないかと思います。
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(サマルカンドのモスク:現在は完全に観光用で、ミフラーブと説教用階段の間には現地で私に親切だった倉敷のマダムと、大阪のおばちゃんが、土足で立っています!)

このようになった原因は定かではありませんが、mhの想像(妄想)する所ではソ連邦時代のロシア統治が影響しています。
恐らく、ロシア正教を信仰するロシア人によって、ウズベキスタン人の宗教観・価値観は徹底的に破壊され変革されたのです。その結果、宗教指導者の数は激減し、勢力も壊滅的に縮小され、教義の解釈も近代的なものに変革させられることになりました。

考えてもみて下さい、異教徒でTシャツ姿の若い観光客の女の子が、礼拝中のモスクの中に招かれるのですよ!!
他の国なら絶対有りえないと思います、例え世俗化が進んだトルコでも。

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(ブハラの元神学校中庭のオープンレストランと土産物店:ここで民族ダンスのディナーショーを楽しみました。)

このように、信者に対して寛容、異教徒に対して寛大なウズベキスタンのイスラム教も、今後どうなるかは予断できません!

イスラム教の指導者やイスラム原理主義者が、アッラーの教えを盾に、異教徒のみならず世俗化したイスラム教徒をも弾圧し、殺戮し、ウズベキスタンを我が物にするシナリオは十分あり得えます。かつて、アフガニスタンのタリバンがそうでした。数ヶ月前にアフリカ・ナイジェリアで起きたボコ・ハラム(西洋の教育は罪の意)の女子大生200人誘拐もそうです。

イスラム教の悪口ばかりになりましたが、キリスト教も似たような過激な時がありました。信者たちはアフリカや中南米の人々にキリスト教を強制した上、金銀、嗜好品、労力(奴隷)を搾取したのですから。また中世には魔女狩りも行われ6万人程が殺されたようです。

神の国で、神の子の天皇を拝した大日本帝国も、欧米の進出に後れを取るまいと朝鮮や支那、太平洋諸国に派兵し、太平洋戦争を仕掛けました。

どうも人間とは「他人を不幸にする正当な理由」を見いだすことに長けた動物のようですね。ある評論家は、「人とは“取扱い注意”の生き物で、扱い方ひとつで善くも悪くも染まる」と言いました。真理だなぁ、と思います。

そこへいくと、我が尊敬すべきお釈迦様は偉いなぁ、とつくづく思います。
あつかましいことは一切しないし、言いもしません。「事の善悪は全て、あなた自身が決めるのですよ、でも、ひとまず私の話も聞いてみますか?」というスタンスです。
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勿論、ご自身のことを、神だなんて決して言いません。
「悟った人」と言われて否定はしなかったようですが。

では次の話題で、「城壁の不思議」の補足です。

ヒヴァ城壁内で最も高い建物が宮殿(城)ではなく、ヒヴァを鳥瞰できる高さ30mほどのミナレットだったのは事実でした。
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(ヒヴァ城西門脇にある夏の宮殿の展望台から南東を撮影しました。左奥に聳えているのが最も高いミナレット。)

高いところに上るのが好きなmhとしては、最高峰のミナレットに上らないわけには行きません。4000スル(200円)を払って暗くて狭い螺旋階段を手探りで最上部の展望階へ。昔はここから、住民にお祈りの開始を大声で知らせたのです。
(mh:モスクとして機能している処では、今でもミナレットから呼びかけやお祈りが流れます、時にはスピーカを使って大音量で!)

一息ついていると子供達が上って来たので記念に写真を撮らせてもらいました。
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ガイドによると、特に地方の人達は、外国人に写真を取られたり、一緒に写真に入ったりするのが好きなようです。田舎では写真を撮るチャンスが少なく、外国人に写真を撮ってもらうと自慢話になるからではないか、とのこと。こんな素朴な国民性は長く続いてほしいものです。

さて、最高峰のミナレットからの風景ですが、南東は住居しか見えません。
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この辺りを早朝歩くと、涼をとるため外で一夜を過ごした人を沢山見かけます。
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(蚊帳の中は妙齢の女性、外はおばさんが寝ています。その右はゴミ焼却用の竈)

で、反対の北西方向を見ると、右奥の青く太いミナレットの右、つまり写真の一番右上隅には夏の宮殿の展望台が黒い長方形の点のようになって見えています。その直ぐ向うには高さ10mの城壁が左右(南北)に走っています。
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眼下のモスクやマドラス(神学校)は全て観光用で、宗教目的で機能している建物は一つも残っていません。

また、いずれの方角にも山はなく、地平線が見えるだけでした。よって、ブログ「城壁の不思議」でお話ししたように、高さ10mの城壁から少し頭を出せば何10kmも見渡せる理屈になるので、高い天守閣(展望台)などは不必要だったのです。

ヒヴァで出会った人達を紹介しておきましょう。
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ルーマニアからきた美女。ミナレットから降りてきたら道の側石に座って休んでいたので少しお話しました。エレガントで、知的で、えーと、英語でなんていうんだったっけ、とその形容詞を思い出そうとしたのですが出てきません!別れて暫くしてから思い出し、頭がスッキリしたところで偶然再会したので「sophisticated(洗練されてますね)!」と言ったら、ニッコリ笑ってくれました。

目抜き通りのお土産さんで、青い目をモチーフにしたお守りを買おうかと思ったら、売り子のきれいな女性が、上品に笑いながら「中国製よ!」と教えてくれました。
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笑顔がきれいな人でしょ!で、後ろに並んでいる飾りはというと・・・
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吊り下がっている台紙に、確かにmade in chinaと小さく書かれています。

ウズベキスタン製はこれだけ!というのでそのボールペンを買ってきました。
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観光地の写真がバネで本体に巻き込まれています。2USドルでしたが、美女と一緒に写真撮影させてもらったのですから安い買い物と言えます。

中国とウズベキスタンは、シルクロードで今でも繋がっていてトラックなどで陸路を伝い中国から物も人も流入してくるのです。首都のタシケントには中国人と韓国人が多く居住していて、彼等はビザなしで出入国できるとのこと。
日本は?というとJICA(ジャイカ:国際協力機構)の職員程度のようです。

朝6時少し前、ヒヴァ城内を歩いていたら賢そうな少年に会いました。「バザールは?」と聞くと、案内してくれました。
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かわいい女の子から小さなりんごを、明るいおばさんからスモモを買いました。
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女の子が持っているビニール袋が3000スム(150円)分のリンゴです。

どこのリンゴも直径5cm程の小さくて青いものばかりでしたが、サマルカンドのバザールのリンゴは1個6000スム(300円)!証拠写真です。
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甘い富士でした!まさか日本からの輸入品ってことないでしょうね???
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バナナも、メロンも、そろそろ季節が終わるスイカも売っていました。さすがシルクロードのオアシス都市、文明の交差路、サマルカンド!

サマルカンド!好い響きですねぇ!とてもエキゾチックです!

次回7月8日は「ウズベキスタンで出会った不思議な人々」です。お楽しみに!

(ウズベキスタンの不思議な質問の解答編:完)

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コメント


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楽しみなブログになりました

今回のブログも本当に素晴らしいですね! 私の知人が 貴殿のブログを すべて一人で出してあるとは 到底信じられないと 云っていました。

とよさん | URL | 2014-07-04(Fri)23:43 [編集]


とよさん

お褒めに戴き恐縮です。少しでも多くの人に楽しんでもらえるブログを目標に、頑張ります。
でもお釈迦様ではないですが、出来ないことは出来ないのですから、努力しつつも無理しない、背伸びしない、少しづつ積み重ねる、という姿勢で、出来るだけ長く続けたいと思います。
私のブロトモがとよさんのブログ仲間の「気づけば82歳」を見て感激してました。とよさんも、倒れるまで続けるつもりで(?)出来る範囲で頑張って下さい!次回8日は問題のブログですよ!眼を皿にしてチェックお願いします。

mystery hunter | URL | 2014-07-05(Sat)09:24 [編集]


女の子が持っている直径5cmほどのビニール袋の3000スム(150円)分のリンゴは、毎朝スムージーを作って飲んでいる私には、有難いけど・・・サマルカンドのバザールのリンゴは1個6000スム(300円)のリンゴは、高すぎますね!?

サマルカンド・・・たしかに言葉の響きが勇敢で素敵です。
私の今度の南イタリア旅行先のアマルフィー、アルベロベッロ、乗継地のイスタンブールも惹かれます。

今では、デジカメで撮った写真をすぐ見ることができるから写真を取られたりする機会の少ない子供たちにとっては、珍しいのでは?孫も「写真撮って!!」と言いますが、「見せて」と言って画像を確かめ良く撮れていないと「アッツ、ダメ!!」といってもう一度撮り直し・・・なんですよ。

懐かしい蚊帳ですね。蚊帳の中は妙齢の女性、おばさんは「蚊帳の外」ですか?(笑

旅行記スタイルが、mhさんと私とは違いますが、『ウズベキスタンで出会った不思議な人々』、楽しみです。



monalisa | URL | 2014-07-06(Sun)08:36 [編集]


お孫さんの言動はとても示唆的ですね!

賢いお孫さんに違いありません!大人になっても賢いかは保証しかねますが。
次回から、写真をとったら、その場で直ぐ、見せてあげることにします、いい方法だと思います。

青く小さなリンゴですが、富士には及びませんでしたが瑞々しくて甘酸っぱく、おいしかったです。

サマルカンドが何故、よい響きなのか?今、突然、その理由に気づきました!!!?
たった今のことなので紹介できるほどまとめ切れていませんが、人間の感情の根源に根付く理由、とでも大風呂敷を広げておきましょう。後日、ブログで公開してみようか?などと思いは膨らみつつあります!!

いやぁ、お孫さんが示唆的なのも、その元となった人がそうだった!ということで納得です。

mystery hunter | URL | 2014-07-06(Sun)10:49 [編集]