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メソポタミアの不思議

メソポタミアの不思議   2014年7月23日 Mystery Hunter

「文明や宗教は何故メソポタミアで生まれたのか?」

Youtubeで見つけたフィルムとWiki情報から、その理由をご披露しましょう。

その前に、例によって漢詩を一つ紹介させてください。

上邪(じょうや) 無名氏(むめいし:詠み人知らず)
  上邪     上邪(じょうや)
  我欲与君相知 我は欲す、君と相い知り
  長命無絶衰  長(とこしえ)に絶え衰(おとろ)うること無からしめんと
  山無陵    山に陵(おか)無く
  江水為竭   江水は為(ため)に竭(つ)き
  冬雷震震   冬に雷(いかずち)震震(しんしん)とひびき
  夏雨雪    夏に雪が雨(ふ)り
  天地合    天地(あめつち)の合するとき
  乃敢与君絶  乃(すなわ)ち敢えて君と絶えん
天よ!
わたしがあの人を愛したからには、
この気持ちがいつまでも絶え劣ろうことが無いよう望みます。
高い山に峰が無くなり
その為に大きな川の水が枯れ尽きてしまい
冬に雷がしんしんととどろきわたり
夏というのに雪が降りしきって
ついに天地が崩壊して一つになってしまったときがきてこそ
はじめてやむをえず、わたしはあの人と愛を絶つことになるのです

若い女性が戦場に駆り出される恋人との永遠の愛を誓う歌、とのこと。
こんなに深く強く愛されると「怖い!」と思う男もいるのでは?
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まずは、これから紹介するYoutubeのフィルムでも紹介されているZiggurat(ジッグラト)についてのネット情報です。
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煉瓦でつくられた神殿で、イラクやイランで発見されています。高さ90mを超えるものもあったとのこと。大抵、上部は崩壊しているようです。
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イラクに残っているジッグラトです。大きいですねぇ!世界遺産ではありません。
ユーフラテス川流域にあり、19世紀に欧米の考古学者達が発掘を始めました。
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写真の神殿は紀元前2千年頃のものです。周辺には住居跡も見つかりました。
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ジッグラトは神殿で、ピラミッドのような墓とは異なります。
古代のメソポタミア地方では、神や女神に対する信仰が生まれていました。神話も伝わっていて旧約聖書の元になっています。

ジッグラトは、一説によると「バベルの塔」のモデルです。「創世記(Genesis)」という本は、ユダヤ教・キリスト教の聖典で、かつイスラム教の啓典でもある、「聖書(旧約聖書)」、の最初の書で、モーゼが記述したことになっているようですが、その中にバベルの塔の話が出ているようです。また「アレキサンダー大王(前356-323年)がジッグラトを破壊した」との記録も残されているようです。
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    バベルの塔の想像図:ベルギーの画家ブリューゲルの作(1563年)

メソポタミアの象徴チグリス川、ユーフラテス川の源流は「アナトリア」高原です。

聴き慣れない「アナトリア」という言葉は、現トルコ一帯を指す名前で、地理学的にはトルコ半島ではなく、アナトリア(地方)と言わなければいけないようです、知りませんでした!!
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アナトリアという名前の由来は、その響きから、ルーマニア、スロバキア、クロアチア、はてまた南アメリカ南端のパタゴニアなどと関係あるはずです!次回のブログでその不思議を解き明かしたいと考えています。

そのアナトリアの南には「肥沃な三日月地帯」と名付けられた一帯が広がっています。
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解説の字が小さいので読みづらいと思いますが、アメリカの考古学者が付けた名で、「古代に農業が発生した場所」が中近東のこの一帯に集中していたのが由来です。

この「肥沃な三日月地帯」にメソポタミアがあります。Wikiによると「メソポタミア」はギリシャ語 Μεσοποταμία、ラテン文字転写: Mesopotamia、で、意味するところは「複数の河の間」です。

それではYoutube「文明:バベルの庭」の紹介です。

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文明・・・・・・バベルの庭
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“そして川はエデンを流れ出るとその園を水で満たし、そこから4つに分かれた:第一の名はパイソン、第二はジホン、第三はチグリスでアッシリアの東方向に流れ、第四はユーフラテス。そして神はその男をしてエデンの園を着飾り守らせた”
「創世記2:10-15」


数千年前から、南イラクは今と同様40℃を超す熱さだったが、人々は生活していた。
メソポタミアと呼ばれる、2つの川で挟まれた一帯だ。
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19世紀中頃、欧米の考古学者は競って発掘を進めた。
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多くの驚くべき発見があった。
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(mh:バビロン法典が書かれた石の発見。石はルーブル美術館で保管されている。)

メソポタミアは「近代文明の揺り籠」だ。
しかし何故ここで文明が発達したのだろうか?


古代メソポタミアにはシュメール人が暮していた。彼らは文字や車輪を発明した。が4千年前には姿を消してしまったのだ。
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メソポタミアの遺跡は、ギリシャ文明よりも先に生まれたものがあることを考古学者に教えた。シュメール人が生み育てた文明、宗教だ。

彼等の重要な特徴の一つに灌漑がある。チグリス川、ユーフラテス川の水を水路で自在に引いて畑を潤した。また川は農業だけでなく、輸送ルートにも使われた。船を使い、上流からは木や石や青銅(ブロンズ:銅+ニッケル)などの鉱石を運び込み、メソポタミアで収穫された穀物は船で川を下ってペルシャ湾経由でアラビア半島に輸出された。

我々の旅はアナトリア山地から始まる。
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この一帯に水源をもつチグリス川とユーフラテス川は、流域を潤しながら2千キロ流れてペルシャ湾に注ぐ。
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肥えた土壌を運んだが、時に春の洪水が耕作地を荒らした。

5千年前に始まったシュメール人の生活の痕跡は今のバクダッドでも垣間見られる。
バクダッドのバザール。水が振る舞われる。
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素焼きの甕(かめ)から染み出た水が蒸発すると熱を奪う。おかげで甕の中の水は冷やされるのだ。ヨーグルトや柘榴も売られている。シュメール人時代からのものだ。

しかし、今ではシュメール人はどこにも見当らない。
かれらは誰で、どこから来たのか?そしてどこに行ってしまったのか?

アナトリア高原の近く、ユーフラテス川がシリア高原からイラクに流れ込む辺り、で考古学者はヒトツブコムギ(einkorn wheat)を発見した。
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自生している、しかも沢山。
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ここにも3千5百年前、既に人々が住んでいた。
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シュメール人はこの小麦を発見した。食用になる!種を使えば再生できる!保存がきく!手広く栽培すれば大勢の人口を支えることもできる!

それまで動物を捕獲してはその肉を食していた。肉は直ぐ腐るので3日以内には次の獲物を捕獲しなければならない。しかし、これからは保存した小麦を食べればいいのだ!定住し耕作し、管理すれば食料は確保できるのだ。

農業が生まれ、生活様式は大きく変化することになった。
そのうち、それを記録する方法にも気付いた。
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石板:人々は麦を持っている。
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石板:麦の穂、鎌や杵のような農機具、などが描かれている。

穀物はシュメール文化の源になった。
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農業や宗教の様子が彫られた1mの棒(mh:木製のようです)。
健康の女神イナナに収穫した食料を奉納する様子も描かれている。

農業の興隆で人口が増えた。
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上:動物(牛?)が引いている、下が尖った大きな漏斗(写真中央)の、上の口から種を入れ、先端の小さな口から地中に種を植え付けていく。

灌漑はシュメール人の重要な文明だ。おかげで乾燥地を農耕地に変えることができた。
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上:梃子(てこ)を使って水をくみ上げる様子。
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ロバが回す水車で川から水を汲み上げている。昔からの方法だ。
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小麦や大麦は年2回収穫できた。運河に沿って見渡す限り椰子が広がった。
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漁村も出来た。
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今でも昔と同じ構造の建物で暮らしている。
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5千年前のウル(Ur)の町には4万人が暮らしていた。
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農業や文明の発達とともに、村から町、そして都市になっていった。
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“そして誰彼ともなく言うようになった‘レンガを造れ、それをよく火で乾かせ’と。そうして彼らは石のように硬いレンガを、モルタルのような粘土を手に入れた。そして彼らは言った‘町を造れ、天にも届く塔を造れ。” 「創世記11:3-4」

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5千年前、欧州は石器時代だった。しかしここメソポタミアには都市が出来ていたのだ。

煉瓦で塔のような大きな神殿も造られた。
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都市は4千ヘクタールの穀物畑で囲まれていた。
灌漑や輸送で使われる運河は都市を巡るように設けられていた。
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8mの城壁に囲まれた町にはレンガの住宅が造られていた。
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ゴミは道路に残されたりせず、まとめて燃やし処理されていた。
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1926年、墓から見事な箱が見つかった! 当時の様子が玉石で描かれている。
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(mh:Wiki「Standard of Ur(都市ウルの生活ぶり:箱の名称)」によると4千5百年前に造られた木の入れ物。表面には貝殻、大理石、ラピスラズリ、瀝青(天然のタール:接着材)で当時の“戦”(上の写真)と“平和”(下の写真)の様子が描かれている。現物は修復されたもので、英国博物館が保管展示している。)
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ラピスラズリで出来た空を背景に人々が働いている。

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戦車と歩兵達。

現在のバクダッドから250km南、川から離れた砂漠でどうして生活が出来たのか?

まず、ダムによる治水があった。
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発見された石板に当時の様子を表す地図があった。
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寺院(緑の長方形)を囲むように城壁(黄色)があり、ユーフラテス川(左の青)からダムで水を城壁内に引き込んでいた。

また、衛星で確認すると、現在は別々に流れているチグリスとユーフラテスは、当時は一つの川になってシュメール人の町Nippurを流れ、その南で分岐してUruk,Girsu,Urなどの町を潤し、ペルシャ湾に注いでいた。
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(mh:各都市は互いに約70km(徒歩で2,3日の距離)離れていて、独立した都市国家でした。)

都市の夜明け
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人々は涼しい屋上で寝て暑さをしのいだ。
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建物売買契約書によれば一般の家は70平方m弱だった。
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朝の涼しいうちに商いが行われた。
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昼、家では男たちがビールを楽しむこともあった。
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楽器の演奏も喜ばれていた。
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ハープは宝石と貝殻で装飾され、ラピスラズリの眼を持つ牛の飾りも付いていた。
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金や宝玉でできた女王の冠。頂には3つの金でできた花が!
トルコ石やパールも使われていた。

ラピスラズリは3千kmも離れた北パキスタンの石だ。
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魅惑的なこの石は、紀元前3500年には既に取引されていた。シュメール人はシルクロードより3千年も前に、東への交易路を開拓していたのだ!

発掘中に見つかった石柱。
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紀元前12世紀の物だ。ルーブル美術館に保管されている!
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裏面にはハムラビ法典が楔形文字で刻まれている。
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法典では商取引、結婚、遺産相続などについての規則が定められていた。196条「目には目を(en eye for an eye)」もある。モーゼの戒律も繰り返し述べられている。

メソポタミア砂漠には木が無かった。シュメール人はトルコやシリアやレバノンの山岳に旅をし、シーダー(cedar:ヒマラヤスギ)を採取し、川を使って下流の町に運んだ。
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シュメール人が木を採取した一帯は、今も山肌が多く、杉の林は少ない。
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伝説によれば何本かの杉は樹齢4千年だ。

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シュメール人が杉を伐採し持ち出す様子を描いた石板。
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またタールを使い、木の船やレンガ屋根の隙間を埋め、水漏れ対策をしたのもシュメール人だった。
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上:天然のタールの沼から、砂を使って手を保護しながらタールを掴み採る様子。
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船の木と木の隙間をタールで埋める。

NinevehやDeluge(いずれも古代の町の名?)の図書に記されたシュメール人の神話は旧約聖書にも現れている。

例えば神の怒りによる洪水で一握りの動物と人間が生き残る話。ノアの箱舟の元になったと考えられる。
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つまりユダヤ教やキリスト教は、多くをメソポタミアから受け継いだのだ。
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メソポタミアの都市国家はそれぞれ自分たちの神を祀っていた。
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女神もいた。ミロのビーナスの基となったと思われる。
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メソポタミアの宗教を理解するのは難しい。神話、儀式の手順などが記載された経典も見つかっているが信仰の対象などについての記録が少ないのだ。
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ある都市のジッグラト。
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最上階では祭壇に置かれた神の像に神官が貢物を捧げてお祈りしていた。
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このように繁栄してきたシュメール人の都市国家は、紀元前3世紀、勇敢で名を馳せたギルガメシュの王の行為によって葬られることになった。
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ある時、王はフンババという化け物と戦い、首を切り落として意気揚々と町に引き揚げてきた。これに怒った神はシュメール人の都市国家を滅ぼしたのだ。
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“そこで神は彼等を地上の全てから追い散らし、彼らは都市を捨てて消滅していった。”
「創世記11:8」


水が涸れ灌漑も役に立たなくなった。レンガの建物も崩壊し塵と化した。
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しかし、神話は別として、どうして文明が滅びることになったのだろう?

「頽廃(デカダンス)」か?いや、もっと適切な言葉は「硬化」だろう。

紀元前3千年の偉大な発明は新しい時代に合わなくなってきた。昔は自由度が高かった文化や芸術も2千年経過した紀元前1千年には硬直化していたのだ。

しかし、硬直化が直接の原因だとは言い切れない。シュメール文化が衰え出した紀元前1200年は丁度、鉄が発明された時期だ!銅より高温の処理が必要だったが、製造は簡単で、銅より固く、応用範囲が広く、生活に有効な金属だった。ところがメソポタミアには鉱床が無かった!その結果、鉄鉱石を産する場所がメソポタミアより重要な役割を担うことになったのだ。

また、記録によると紀元前300年には重要な穀物だった小麦の生産は40%に減少した、大麦の方は何とか維持されてはいたのだが。

小麦の大幅な減少の原因は畑に見つかった!
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灌漑システムはシュメール人に繁栄をもたらしたが、壊滅も運んできた。
3千年に渡る耕作の結果、地下に溜まっていた塩が表面に出てきたのだ!
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塩は畑を不毛にし、穀物は育たなくなった。今も塩害で不作問題が散発している。

当時、シュメールの農民は解決策を見つけられなかった。

このようにして、聖書に記されているように「バベルの塔と共にシュメール人はチリのように分散してしまった」のだ。洪水で町は流され、砂に埋もれていった。

しかしメソポタミアでシュメール人によって育まれた文明はギリシャやペルシャに引き継がれた、それがメソポタミアのものだと気付かれないまま・・・・・・


以上がYoutubeの粗筋です。

最後に補足として、メソポタミアと他の都市における文明のラフな年代史をmh流に纏めましたのでご確認下さい。
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農業の出現はメソポタミアがエジプト、ギリシャ、ローマよりも数千年、都市についても1千年以上も先行して生まれているようです。

フィルムの実物は次のURLからお楽しみください。

https://www.youtube.com/watch?v=MKs5Wvv1-14

次回7月28日は「iaの不思議」です。お楽しみに。
(メソポタミアの不思議:完)
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