Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ローマ帝国の不思議(1)

ローマ帝国の不思議(1):ローマ帝国とギリシャ  2014年8月3日 Mystery Hunter

     ローマ帝国はどのように発祥したのか?
     ギリシャ帝国は何故、生まれなかったのか?


今となっては記憶は定かではないのですが、大学の工学部の受験では社会は1科目のみ選択で、何を選んだのか?世界史でないことは間違いないと思いますが、と言って、日本史について詳しいわけでもなく、結局は、社会と、古典を含む国語は捨て、数学と物理で得点を稼ぎ、英語(と化学?)は平均点で、何とか希望の大学に滑り込みました。昭和41年のことです。
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       (S41年NHK朝の連ドラ: お花はん。視聴率50%以上)
なんの因果か、昨年6月から、4ヶ月に一回の海外旅行を決意し、12月からはMysterious Questions in the Worldなる大仰なタイトルでMystery Hunterを騙ってブログも始め、世界の歴史や宗教、民族、文化などについて調べることが多くなり、旅行先で見たり聞いたりしたこと、ネットで調べたことをブログで皆さんにご紹介するようになって、今回が51回目です!

文明の発祥についても何度か紹介させて頂きましたが、mhの結論は「メソポタミアの不思議」で暗示させて頂いたように次の通りです。
「3千5百年前、シュメール人により育まれたメソポタミア文明は、ギリシャやローマの台頭に多大な影響を与えた。メソポタミア文明なくして、ギリシャ文明やローマ帝国は生まれなかった。」
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          (メソポタミアの古代都市ウルのジッグラト遺跡)

そこで、今回は、メソポタミア文明を継承したギリシャ文明とローマ帝国について皆さんにご紹介したいと思います。ブログ作成で集めた情報は、11月に組み込んだイタリア旅行を更に楽しくしてくれるものと期待しています。

ギリシャ文明とローマ帝国については皆さんもご存知でしょう。しかし、冒頭に挙げた2つの不思議な質問に直ぐ答えられる方は少ないのではないでしょうか?

     ローマ帝国はどのように発祥したのか?
     ギリシャ帝国は何故、生まれなかったのか?


以下は、これまで大した知識を持たなかったmhがYoutubeやネットで調べた情報の総集編です。楽しく読んで頂けたら幸いです。


調べると、ローマという町の起源に関する伝説が見つかりました。
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 (She-wolf suckles Romulus and Remus:母オオカミがロムルスとレムスに授乳する。)

(Wiki:ローマ)
伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロムルスとレムスにより建てられた。2人は町をどこに築くかで口論となり、兄のロムルスが弟レムスを殺して7代続く王政ローマの初代の王となった。また「ロムルス」が「ローマ」という名の元にもなったとされる
(Wiki完)
ローマが生まれた頃、ギリシャではポリス(都市国家)が生まれました。紀元前776年には、記録に残る最初のオリュンピア祭が開かれ、古代オリンピックはこの大会をもって第1回とするのが通例です。
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     (ペロポネソス半島のオリンピア遺跡:バルカン半島と地続きです。)

ソクラテスは紀元前469年頃ギリシャ・アテナイ(アテネ)で生まれ、プラトン、アリストテレスなどに継承されて花開いたギリシャ哲学の祖となりました。

ピタゴラスは紀元前582年、アナトリア(トルコ)に近いサモス島で生まれました。
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ピタゴラスの定理などで知られる古代ギリシアの数学者、哲学者で、彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与え、「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれたとのことです。(Wiki)

ピタゴラスの定理は「直角三角形の斜辺の長さの2乗は他の辺の2乗を足した値と等しい」というもので、証明の方法は数百通りあるとのことです!
そのひとつ、レオナルド・ダ・ヴィンチの証明を紹介しましょう。
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    (橙色のついた部分を90度回転し、緑色の部分は裏返して橙色に重ねる。)

イタリアやギリシャで町や都市が生まれた紀元前10~8世紀頃には、地中海沿岸に第三の勢力もありました。
フェニキアです!
現在のシリア・レバノン・イスラエルに拠点をもち、地中海沿岸を船で移動して交易していました。
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                   (フェニキア人の交易路)
(Wiki:フェニキアより)
フェニキア人は、エジプトやバビロニア(メソポタミア南部)などの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島(スペイン)まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
(Wiki完)

記録によると、ギリシャ人も乗せたフェニキアの船が地中海を西に移動してイタリア半島に到達した時、そこには「自分たちと異なる、しかし洗練された文化が既に花開いていた」とあります。

その文化とはエトラスカン文明(Etruscan Civilization)です。エトルリアという地方を中心としたエトラスカン(エトルリア人)の文明です。
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(Wiki:エトルリア、ラテン語: Etruria)
紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあったエトラスカンの都市国家群。ギリシャ語ではティレニア (Τυρρηνία Tyrrhenia)。

白状しますと、mhにとって「エトルリア文明(Etruscan Civilization)」は初耳の文明です!そこでYoutubeでローマ帝国に関するフィルムを探し、2本を観てみました。1本は都市ローマの建設に焦点を当てたもの。もう一つはローマ帝国の興亡を取り扱ったものですが、こちらの方はエピソード1だけ観賞しました。実は、エピソードがいくつあるのか分からないのです!エピソード7はブログ「英国の長城の不思議」で紹介したヘイドリアン長城でしたから、ローマ帝国滅亡はエピソード10とか12とかかもしれません。一つのエピソードが50分ですから、8時間以上見ないと帝国の興亡を全て見ることが出来ないのです!

それは取りも直さず、ローマ帝国が、1千年以上に渡って地中海沿岸、ヨーロッパ諸国に覇権した歴史上、最も寿命が長い大帝国で、50分のフィルムなどに纏められる代物ではない!ということでしょう。そうなると、忍耐力に欠け、気が短いmhにはとても手が付けられません。恐らく、このブログをご覧の方も「8時間のフィルムではねぇ、紹介してもらってもねぇ」と敬遠されるのではないかと思います。

そこで、今回は、手っ取り早く理解したい人を対象に、mhが「ローマ帝国の不思議」と題してご紹介したいと思います。
手っ取り早く、といっても、やはり1回のブログで紹介するには無理があるので、3回に分けたいと思います。

   第一回(今回):ローマ帝国とギリシャ
   第二回:エトラスカン文明とローマ
   第三回:ローマ帝国の興亡


ローマ帝国は王政ローマ(前753年-前509年)、共和制ローマ(前509-前27)を経てローマ帝国(前27-1453年)となりました。
(mh:以降、紀元前○○年は前○○年とします。)

もう一方の雄、ギリシャはどうだったのでしょう?

既にご紹介したようにピタゴラスやソクラテスなどが活躍していたのは前550~前400年頃です。この時期も、相変わらず都市国家が乱立した状態でした。
(Wiki;ギリシャ)
前1200年のカタストロフ(大惨事)によるミケーネ文明の崩壊以降、しばらく暗黒時代と呼ばれる文化的には不毛の時代が続いたが、紀元前8世紀ころに古代ギリシア文明が急速に開花し ポリス(都市国家)が成立するようになった。ポリスは大小さまざまあるが、1500から2500平方キロメートルの領土を持ち、市民と呼ばれる自由民男子とその家族数万から10万人と、奴隷など数万から10万人の人口を抱えているものが一般的であった。諸ポリスは、古代マケドニアによる覇権が確立する紀元前338年まで統一されることはなく、分立した。

そこに現れたのがマケドニア王のアレキサンダーです。
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       (アレキサンダー大王胸像:ヘレニズム時代の作。大英博物館所蔵)
(Wiki:アレキサンダー大王)
アレクサンドロス3世(前356-前323)、通称アレクサンドロス大王、英語風の読みでアレキサンダー大王。

マケドニア王の子として生まれ、アリストテレスに師事した。東征中、アレクサンドロスの要請でアリストテレスは『王道論』と『植民論』を書き送ったといわれる。アレクサンドロスも、各国から動物や植物を送り、アリストテレスはそれらを観察し、研究を続けた。アリストテレスとの交流はこうして、アレクサンドロスの死まで続いた。

アレキサンダーの東征
ギリシャの都市国家を含むマケドニア連合軍を編成し、前334年、へレスポントからアジアに侵攻しました。
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へレスポントはエーゲ海とマルマラ海の間のダーダネルス海峡(上の地図の黄色い部分)に面した町です。有名なボスポラス海峡はイスタンブールの近く、マルマラ海と黒海の間で、上の地図では赤い場所です。

へレスポントを越えた時、アレキサンダーの軍勢は48,100人の歩兵、6,100人の騎馬兵、38,000の船員を載せた120艘の船、で構成されていました。この中にはギリシャ人の軍隊も含まれていました。
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          (アレキサンダーの遠征ルート)
アレキサンダーは連戦連勝を重ね、多くの国を併合して広大な領土を獲得しました。ギリシャと古代オリエントが融合したヘレニズム文化も生まれました。

インドに侵攻した処で永年の遠征で疲れていた兵士が帰国を強く要望したため、メソポタミアのバビロンに引き返します。
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そのバビロンで蜂に刺されて、ある夜の祝宴中に倒れ、10日間高熱に浮かされた後「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言して、前323年6月10日、満32歳で没しました。

アレキサンダーの死後、弱体化したマケドニアを共和制ローマが攻め、何度か仕掛けたマケドニア戦争の末に、前148年、マケドニアを完全にローマの属州にします。ひき続いて前146のコリントスの戦いでローマ軍はギリシャとその同盟軍を打ち破り、ギリシャはローマの属州に組み込まれました。その後、ローマ帝国が亡ぶ1453年まで16百年の間、ギリシャは歴史の表舞台から退くことになったのです。

次回「ローマ帝国の不思議(2)」は8月8日です。お楽しみに。
(ローマ帝国の不思議(1):完)
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コメント


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年3回の海外旅行は、ちょっと生き急ぎ・・・では?
でも、ヨーロッパは、渡航時間が長いから~
私も可能なら、今のうちに年2回は、行きたいところです。

ヨーロッパを旅行していると、古代ローマ時代の遺跡が
あちらこちらにゴロゴロしていて、否が応でも歴史を知る機会が増えます。
私も、社会科の選択は、どうだったかしら?・・・と。
でも、先生の顔が目に浮かびますから、きっと世界史は取ったんだろうと思います。受験科目にないので、下駄をはかせてもらっていたんでしょう。
あまり、歴史に詳しくありません。
これからでも遅くないから、高校生ぐらいの知識は持っていたい・・・と思いました。

南イタリアを旅して来て、今「パレルモ」のことを記述し写真の整理をしています。
太古の昔から多くの民族の羨望の地で、様々な民族がシチリアを征服し、それぞれが独自の文化を残して去っていったことから、“文明の十字路”とも呼ばれているシチリア島は、面白いですよ。

11月に行かれるイタリアは、シチリア島には渡らないのですね?
アグリジェントのアーモンド祭りは2月8日~3月16日とか。
どうですか、その頃、南イタリア計画は?

ところで、ブログをはじめて1年もたたないと思いますが、悠々自適な生活のはずが、刺激的な生活になって結構いそがしいのでは?
余り力まずに、末永く~続けてくださいね。

monalisa | URL | 2014-08-05(Tue)18:11 [編集]


monalisaさん;シチリアのアーモンドは好さそうですね。

是非シチリアのアーモンド祭りの最中に行ってみたいです。アーモンドの実(種?)を齧りながらワインを飲んで、ほろ酔い気分で目の前に広がるアーモンドの花畑をみながら、ボケ~として昼を過ごし、夕方は朧月夜の下で、日本から持参するスルメイカをしゃぶりながらビールを飲む、なんていいですね。

でも11月のイタリア旅行はナポリ以北のメジャーな観光地を駆け足で回るだけで、半分は家族サービスです。ローマの歴史地区に行くことになってますが何があるのか?まだ旅行会社に確認していませんが、パンテオン、コロシアムがルート外だったら、ツアーを途中で抜けて見に行ってこようと考えてます。その時は他の人に迷惑かけないようにしないといけませんね。

mystery hunter | URL | 2014-08-05(Tue)20:10 [編集]