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世界の七不思議1:バビロンの空中庭園

世界の七不思議(1):バビロンの空中庭園  2014年8月25日 Mystery Hunter

バビロンの空中庭園は伝説ではなかったのか?
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(古代世界の七不思議)
Mystery Hunterを騙(かた)る以上、世界の七不思議の謎解きをやらなければ!と思いながらも避けてきたのは、みなさんに関心を持って頂けそうな情報は集まらないのではないか?との危惧があったからです。

しかし、そんな弱腰では臆病者と呼ばれながら残る人生を送ることにもなりかねない!との思いから、意を決してチャレンジすることにしました。

まず世界の七不思議をWikiで調べると次の通りでした。

<古典古代における世界の七不思議>
古代ギリシャ・古代ローマ時代における7つの注目すべき建造物のこと。
1.ギザの大ピラミッド
2.バビロンの空中庭園
3.エフェソスのアルテミス神殿
4.オリンピアのゼウス像
5.ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
6.ロドス島の巨像
7.アレクサンドリアの大灯台
これらは下の地図の赤字で示された場所にあった、と言われています。
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アレキサンダー大王(前356 - 前323)の東征で拡大したマケドニア(アレクサンドロス)帝国を旅したギリシャ人が、旅先で初めて見た建造物から、死ぬまでに一度は見ておくべきと選んだ7つを「世界の七不思議」と名付けました。紀元前2世紀のことです。

ところで、何故、5とか、6、8、10などではなく7としたのでしょう?決めた人がいない今では、何を言おうが戯言(たわごと)にしか聞こえないのではないかという気もします。

しかし、1週間が7日であることが関係しているはずです。
1週間が7日に確定し、人々の生活が「7」のサイクルで繰り返すようになって7は重みを増していきました。その結果、七不思議が生まれ、ラッキーセブン、七福神などの縁起物も出始めたと考えられます。

では、いつ頃、どんな理由で1週間を7日に定めることになったのでしょう?
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聖書「創世記(Genesis)」によると、神は初日に「光あれ」と言い、混沌と闇の中に光を当てて昼と夜を造りました。第二日には空と水、第三日には海と陸地と植物、第四日には太陽や星、第五日には魚類と鳥類、第六日には獣と人間を創造し、第七日は安息日としました。

ということは、聖書が生まれた時、7が意味を持ちだしたのか?

いいえ、そうではありません!
ブログ「メソポタミアの不思議」で紹介しましたが、「創世記」はシュメール人の伝説を取り入れて創作されたものです。

そうです、1週間を7日としたのはシュメール人です!しかも、第7日は休日としていました!イエスが生まれるずっと前のことです。農業を営んでいたシュメール人には太陽と月の挙動を知ることはとても重要でした!太陽の動きから1年365日を、月の満ち欠け(新月⇒半月⇒満月⇒半月⇒新月)から1カ月4週間を決めたのです。そうすると1年は凡そ12ヶ月、1週間は凡そ7日、で構成されることになります。こうして7は生活サイクルの最少単位の意味を持ち始めたのです。

今回は、古代世界の七不思議のひとつ、メソポタミアにあったとされる「バビロンの空中庭園」についてYoutubeやWikiを中心にご紹介します。
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バビロンの空中庭園(The Hanging Garden of Babylon)

紀元前6世紀頃には、メソポタミアの中流、現バクダッドの南100kmのバビロンにあったと、古代ギリシャの記録(テキスト)に残されています。地名(バビロン)、造った王の名(ネブカドネザル)、庭を贈られた王妃の名(アミュテイス)、庭の概要、植えられている植物の名前などが記録に残されているようです。
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上の絵は、これらの伝説を基に18世紀に描かれた絵で、手前が空中庭園、奥にはバベルの塔が描かれています。

空中庭園というと、反重力で空中に浮遊している庭、というイメージですが、古代のギリシャ人も、これを信じるほど迷信深くありません。あたかも空中に浮いているかのようで、そんじょそこらにはない庭園!ということで不思議とされたのです。

しかし、バビロンの空中庭園については大きな不審がありました。物の本には、前6百年頃、バビロニアのネブカドネザル王によって造られたと記されているのですが、バビロンの近郊の発掘調査では、その証拠らしきものが一欠けらも見つかっていないのです。

単なる伝説であって、実在していなかったのではないのか、という考古学者も多くなっていた時、その存在を信じさせる説が出てきました。

提唱者は英国オックスフォード大学のステファニー・ダレー博士です。
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彼女の本が発売されました。
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彼女が想像するバビロンの空中庭園の挿絵。
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彼女によると、庭園を造った王、造られた場所は、伝説と異なるのです。だから大勢の人が探しても今まで見つかるわけはなかった、というのです。

私がYoutubeで見つけたフィルムは、彼女のイラク旅行(2013年9月頃?)と彼女の主張を紹介したものです。どうも信憑性が高そうに感じられたので、このフィルムを中心に、彼女の説をご紹介しましょう。

彼女によると、空中庭園があった場所は、バクダッドから北に370kmほどのNineveh(ニネベ)と呼ばれていた町で、造ったのはアッシリアの王Sennacherib(セナケリブ:任期前704-681)です。
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彼女は取材クルーと共に現地に飛びました。
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Google Earthの写真をいくつか紹介します。
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バクダッドの北370kmのモースルMosulという町に、ニネベNineveh(黄色のピン)という古代都市がありました。

そこには一辺が約2kmの城壁で囲まれた城跡があり、その片隅にセナケリブ王が住む王宮が建っていました。
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王宮付近の拡大写真です。
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小さな長方形のトタン屋根で保護された場所が、発掘が進んでいる王宮の一部です。ここもYoutubeの映像に出てきます。空中庭園はトタン屋根のすぐ右側の、蛇行している川を見下ろす丘に在ったのではないか、とステファニーは主張しています。

下の写真は北の城壁に造られた門の一つで、人面獣像(?)も据えられています。
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下の写真は王宮の発掘場所から600mの位置の西門です。
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バビロンというと、バクダッドから約100km南にあったとされていますが、バビロンを占領したセナケリブ王が、ニネベの町を新バビロンと呼んでいたことから、後年、ニネべを訪れて庭園を見たギリシャの旅行者が「バビロンの空中庭園」としてアテネに伝えたに違いない、とステファニーは考えています。

ロンドンの博物館にニネベの王宮の壁画レリーフが展示されていました。
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上方に木が茂る庭園があります。

そこから2本の小川が、途中で支流を造りながら斜めに流れ下っています。
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中央には垂直に太い帯のようなものが描かれていますが、これは下から上に水を汲み上げている通路だと彼女は言うのです!

実は大英博物館に、ニネベで発見された八角形の小さな石柱、彼女はこれをプリズムと呼んでいます、が保管されていました。
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このプリズムの表面には、楔形文字でメソポタミアの歴史情報が記されていました。
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しかし、解読が困難だったので十分な分析は行われてきませんでした。
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ステファニーはプリズムの記事を精査したのです。
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そこにはセナケリブ王の名や、彼が造った庭園のことが記されていました。
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王は庭園を「すべての人々の不思議」と呼んでいました。
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アマナス山脈(南トルコの山々のようです)とか、木の名前も記されていました。
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上の肖像画はセナケリブ王としてフィルムで紹介されたものです。

ところで、2700年も前の人の肖像画って、どんな情報に基づいて誰がいつ頃描いたもので、どのくらい本人に似ているのでしょうかねぇ?恐らく、細かいことには目を瞑り、当時の服装や、背が高いかどうか、といった人物の極大雑把な情報だけで、人物像を空想して描くのだと思いますが、皆さんはどう思いますか?

日本にも古い肖像画、例えば聖徳太子図、が伝わっていますが、聖徳太子は実在していなかった、との説もあるようです。2700年前、セナケリブが生存していた時に実物と似せて造られた石像か肖像画が、その人の名前入りで残っていたというなら別ですが、単に逸話に基づいて描かれた肖像画だとしたら似ている保証は何もない、と疑い深いmhは思うのです。

閑話休題。
更に、ニネベの王宮で発掘されたレリーフには、空中庭園らしき図を浮彫したものがあったのです。実物は紛失していますが、レプリカ本が1853年に発行されていました。
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そこには魚が泳ぐ池のような水溜まりと木が植えられた庭が描かれていました。
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柱で支えられた小さな塔のような図も描かれていました。
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高い場所には屋根のついた庭があり木が植えられているようです!
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ステファニーは、プリズムに刻まれた楔形文字の解読と、空中庭園のレリーフから、Nineveh(ニネベ)にあるセナケリブ王の宮殿にバビロンの空中庭園があった!と考え、これを本にして公表したのです。

しかし証拠が不十分です。そこで現地を訪問して調査することになりました。

TV局の撮影クルーと共にロンドンからイラクに飛びました。2013年秋のことです。
飛行場はバクダッドを避け、北の空港を使いました。空港から車で砂漠を移動します。
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Erbil(アルビール)の町はあちこちで反政府軍による暴動が起きていました。
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まず、ニネベの王宮の北東50kmのKhinisキニスに向かいました。1967年に訪れたことがある場所です。そこに水源の跡があるのです。
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キニス渓谷の、後年掘られた洞窟がある岸壁にはセナケリブの像が刻まれています。
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セナケリブの像
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渓谷を流れる川辺に大きな石が見えます。
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この石で流れを支流に呼び入れていた形跡が見つかっていたのです。
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水路も見つかりました。
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しかし、これらの水源施設がどのようにニネベと結びついていたのか、前回の調査の時には判っていなかったのです。
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彼女はアルビールの町に戻りました。
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町で、イラクに滞在してセナケリブの遺跡調査をしている米国ハーバード大学の人類学者に会いました。
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彼は米国のスパイ衛星が撮影した地形写真などの情報を持っていました。
衛星写真から、古代の川や道、建物などの地形情報がはっきりと読み取れました。

セナケリブの王宮の衛星写真です。城壁や大通などの位置が確認できます。
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キニスからニネベに流れる運河の跡が確認できました。
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運河の水源近辺の衛星写真。
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北西から南東に流れる川を横切る水道橋の跡が確認されました。
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Jerwanと呼ばれる場所でした。
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ステファニーは訪れてみることにしました。
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アーチの土台が残っていました。
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そこにはセナケリブの名が楔形文字で記されていました。
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   07551.png50

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アーチの土台の形はセナケリブの王宮のレリーフに描かれていたものと同じです!
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残る仕事は庭園の場所を確定する作業です。
1904年に作られたセナケリブ王宮の図面。
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空中庭園は、王宮の裏庭にあり、ギリシャの旅行家の記録によれば123m四方の庭園でギリシャの円形劇場のようだったとのことから上の写真の右側の〇の辺りではないか、と彼女は予測しました。

空中庭園には、1日当たり300トンの水が、あるヤシの形をした装置を使って組み上げられていたとの記事がありました。現地の人に確認すると、そのヤシの幹は変わっていて、ネジの螺旋のような溝があるのです。
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ヤシの形の装置というのはアルキメデスのスクリューではないのか?
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アルキメデスが生まれる4百年前にセナケリブはスクリューポンプを使っていた!と彼女は想定しています。
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アルビールの町では、彼女が訪問中も本屋で爆弾が破裂し47人の死傷者がでました。ニネベの城は軍の管理下にあって外国人は近寄ることすらできません。
そこで現地人2人に頼んでカメラで撮影してもらうことにしたのです。
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セナケリブ王宮発掘場所です。トタン屋根で保護されています。
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トタン屋根の区画の入り口に守護神の人面獣像のようなものがあります。
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中には、木のレリーフがありました。ロンドンにあったものと同じ絵柄です。
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いよいよ王宮の裏庭の撮影です。
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そこには何の痕跡も見つかりませんでした。
しかし、町を見渡せる高台になっていました。
「Wonder for all people」(万人の驚嘆)とセナケリブが記録にも残した空中庭園からは町が手に取るように見えたのです。
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水は、遥か離れた山地から運河で城壁内に運ばれました。(CG)
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水道橋からは水が滝になって流れ落ちて池を造っていました。
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池の水はヤシ・ネジのポンプによって組み上げられていました。
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イラクでは今も紛争が続いていて、遺跡の調査が出来ないばかりでなく、遺跡の保護もおざなりな状態です。ステファニーは自らの足と眼で王宮跡地を調査することはできませんでしたが、空中庭園と思われる場所の最も近くで取材することができ、楽しい時を過ごせた、と語っています。セナケリブが言う「万人の不思議」である庭園がニネベの宮廷の裏庭にあり、それがバビロンの空中庭園であったことについては、みなさんも同意して頂けるのではないでしょうか。

ステファニーにメールして「ブログで紹介させてもらう」と伝えたら「完成したら見せて!」と連絡がありました。このブログの英語版を送付しておきました。

なお、最近確認したら、残念ながら、ブログの元になったフィルムは消去されていました。その一部が残っていたので下記に貼り付けておきます。放送時間3分。

https://www.youtube.com/watch?v=F6vVxbAJAog
タイトル:Who Built The Hanging Gardens of Babylon? | Secrets of The Dead | PBS

(バビロンの空中庭園:完)
月曜:世界の不思議
金曜:mh徒然草
を投稿します。  Mystery Hunter
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コメント


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歴史に疎い私には、古典古代における世界の七不思議のどれをとっても未知のことです。
バビロンの空中庭園は、単なる伝説で実在しなかったのでは・・・という多くの考古学者を尻目に
男性はロマンを追いかけ、女性は現実を見つめる・・・という諺がありますが
ステファニーさんのように・・・流石、考古学者です~ね。

所で、綺麗なバビロンの空中庭園はCGなんですね。
紀元前600年頃に新バビロニアの王、ネブカドネザル2世が、砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるためにバビロンに建造した・・・と言う事ですが、
現在のバグダード郊外ニネベにそれらしき遺跡が残っているそうですね。

CGのような空中庭園が保護され残っていたらイラクも違った国であったでしょうに~







monalisa | URL | 2014-08-28(Thu)08:04 [編集]


七不思議はあと6つ残ってます。

来週月曜は、トルコのエーゲ海に面した海岸近くの町にあった神殿です。
お楽しみに。

ところで、ステファニーが空中庭園があったと言っているニネべの城ですが、チグリス川から2kmの高台です、川面から25mの高さのようですが。

何故、近くの大河からでなく、50kmも離れた山から水を引いたのか?

チグリス川の水も町の重要な水源だったはずですが、毎日沢山の水を汲み上げるよりも、高い場所の水源から水路で運べれば、水路を造る手間はかかっても、以降は豊富な水をいつでも使えるようになるので山から持ってくることにしたんだと思います。50kmはなれたケニス渓谷の水面は城より200mも標高が高いんですね。チグリス川は平らなところをダラダラ流れている川で、200mの水位を確保しようと思うと200km以上も離れた場所でないといけないのです。そこでケニスに新たな水源を確保した、ということではないかと思います。何でも理由があるものですね、お釈迦さんが言っていたように。「因果応報」です。ちょっと違うかな?

mystery hunter | URL | 2014-08-28(Thu)10:38 [編集]