Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

世界の七不思議7:ギザの大ピラミッド

いよいよ世界の七不思議の最終回、エジプト・ギザの大ピラミッドです。
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上:Google Earth3D映像
下:航空写真
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カイロの街並みを見下ろすギザ台地(Giza Plateau)。ナイルデルタ平原から凡そ40mの高台でサハラの最東端です。
そこに3つ並んだ大きなピラミッドの一つ(上の写真で左端)が七不思議に選ばれました。

Wiki:ギザの大ピラミッド(Great Pyramid of Giza)
ピラミッド建築の頂点とされる「クフ王のピラミッド」でエジプトのギザに建設された。世界の七不思議で唯一現存する建造物である。エジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられている。完成時の高さ146.6mは、14世紀にリンカン大聖堂が完成するまで世界で最も高い建造物であった。
(Wiki完)
クフ王のピラミッドの横にはカフラー王のピラミッド(高さ136m)、メンカウラー王のピラミッド(同65m)が並んでいます。カフラー王のピラミッドはエジプトのピラミッドの中で最も新しいものです。在位は前2558―2532年ですから完成は前2500年頃ではないのでしょうか。

エジプトのピラミッドがどの辺りに造られているか、Google Earthで調べてみました。
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ナイル扇状地の要(かなめ)の位置にクフ王のピラミッド(ピン番号:p1)があり、ピラミッドの最北端です。そこからナイル川にそって上流を調べたら、結局p23まで見つかりました。
全てナイル西岸の高台にあり、東岸には見つかりませんでした。
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ギザから800km遡ったところにアスワン・ダムが建設され、ナセル湖が生まれましたが、その湖畔には、湖底に沈む前に移設されたアブシンベル神殿があります。
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上:アブシンベル大神殿
下:アブシンベル小神殿
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この辺りにはピラミッドは全く見つかっていないのですが、白い御影石の切り出し場があって、採掘された石はナイル川を船で800km運ばれて七不思議のクフ王のピラミッドの表面に化粧石(Casing-Stoneケーシング・ストーン)として張り付けられています。今ではほんの一部だけしか残っていませんが。

ここで久しぶりの不思議な質問です。
  1)ピラミッドがナイル川下流の一部に集中しているのは何故か?
  2)ピラミッドがナイル川西岸にしか造られなかったのは何故か?


答えはブログの最後で検討することにし、ピラミッドに関する情報をさらにご紹介してゆきましょう。

まず、ナイル川の最も下流にはギザのピラミッド群(p1~p3)があり、そこから10kmほど川を遡ったところからピラミッド群(p4~p20)が分布しています。
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さらにp20から凡そ40km上流にp21,p22、そこから20km上流にp23が見つかりました。
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上流側から順に、特徴のあるピラミッドを紹介してゆきましょう。
下の写真はP23:Lahunのピラミッド。正方形の一辺は70mくらいです。
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P22:Mediumのピラミッド。一辺が90mくらい。
P21:マスタバと呼ばれる長方形をした台形の墳墓のようです。
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P22のピラミッドは典型的なステップ・ピラミッドで階段状です。
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P19:一辺120mの‘八平面’ピラミッド。白く化粧されています。
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P18:一辺200m。4つの面の中央には縦に走る線が見えます。
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よって八面ピラミッドとも思われますが、この線は意図して造られたのか、それとも他の原因で自然に形成されたのか、結論は出ていません。
実はギザの大ピラミッドも‘八面ピラミッド’のようです。詳細は後で説明します。

P10:Djoserのピラミッド。一辺が約140mのステップ・ピラミッドです。
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500mほど離れた場所にBoat-Pit(ボート・ピット)が2つ見えます。
ピットは長40mx幅4mx深2m程度。詳細はクフのピラミッドで説明します。
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さて、いよいよギザの3つのピラミッドです。
中央のカフラー王のピラミッドp2から東(写真で右方向)に延びる‘アベニュー’の先にはスフィンクスs1があります。
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ピラミッドの4つの面は正確に東西南北に向いています。これは他のピラミッドでも共通しているようです。

七不思議のクフ王のピラミッドp1を上空から見ると、右側、つまり東側の辺の近くに黒いシミのようなものが見えます。昔のままの基礎の石が残っている場所で、この上下と右側にボートピットがあり、更にはピラミッドの南側の辺の近くに、船の形をした施設が見受けられます。
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これはSolar Boat Museum(太陽の船博物館)と呼ばれる建物です。
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建物の中には「太陽の船」が展示されています。
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太陽の船博物館から数m離れたボートピットに解体して保管されていた649ピースの部材を組み立てて復元しました。また直ぐ隣では1987年に早稲田大学のエジプト学研究所(吉村作治教授)が発見した「クフ王第二の船」の発掘が進んでいて、そのピット内には解体保管された船の部材が600ピース以上あることも確認されています。2016年には作業を完了し、船を復元したら現在の太陽の船博物館の第一の船と入れ替え、第一の船はカイロの博物館に移設されることになっています。

結局、ボートピットは5つ見つかっていて、南側の2つには船の部品が解体してきちんと保管されていましたが、西の3つは空だったのです。
(Wiki:クフ王の船)
クフ王の船は何のために造られていたかはわかっていない。太陽の神ラーの下(もと)で復活する王を運ぶ儀式の船に似ていたため「太陽の船」と呼ばれている。しかし、実際は水で使用されたと見られる跡があった。現在の研究では、クフ王が死んだ際、メンフィスからギザまで王の防腐処置を施した死体を運ぶために使用されたか、クフ王自身が巡礼地を訪問するのに「巡礼の旅船」として使用したのではないかとされている。また、クフ王が来世で使用するために埋められたのではないかという説もある。
(wiki完)
ボートピットは、既に紹介したようにピラミッドp10の近くにも2つあります。
ネットを調べてみたら「葬儀ボート」なる題のレポートが見つかりました。これによれば、他のピラミッドやマスタバ(長方形墳墓)からも見つかっていて、多くは2つのようです。
ギザのSenebの墓で見つかったという壁画も掲載されていました。
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手漕ぎボートと帆のボートで、昼用と夜用ではないか、というのです。クフ王の第一の船は手漕ぎボートのようですから発掘中の第二の船は帆のボートかも知れません。

クフ王の大ピラミッドの西面の最下段の一部に白い御影石の化粧石(Casing Stone:ケーシング・ストーン)が残っています。
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実は大ピラミッドは、全面が化粧石で覆われた白亜の塔でした。しかし、ピラミッドへの関心が薄れてきた時期、人々が化粧石を自宅の建材用に持ち去り、残った化粧石も滑落して破損してほとんど失われてしまったのです。
(クフの隣のカフラー王のピラミッドでは頂上付近に化粧石が残っていることは例えばこのブログのトップの写真からも判ります。下側の化粧石は住民に持ち去られた、と早稲田の吉村教授が9月2日のTV番組で説明していました。)

ピラミッドp18でもご紹介しましたが、大ピラミッドは‘八面’ピラミッドではないのか?と言われています。年二回、春分と秋分の日の数秒間、太陽の光に照らされたピラミッドを見ると、4つの面が実は8つあるように、裸眼でもハッキリ見えるのです!
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大ピラミッドは所謂(いわゆる)八面ピラミッドと言えそうですが「最初から八面で造られた」という見方には異論の方が多いようです。

八面にする説得力ある理由がないこと、八面で造る技術や手間が当時、十分備えられていたとは考えられないこと、一部に残っている化粧石から、少なくとも表面は八面ではなく四面だったと考えられること、などが異論の主な根拠のようです。地震などで化粧石が大挙して滑落したことで四面から八面に変化したのでは?という意見もあるようですが、これも科学的な裏づけは無いとのこと。
つまり、八面になっている理由は判っていないのです。

ピラミッドの造り方も判っていません!昔から提唱されてきた代表的な方法を示す絵をいくつかご紹介しましょう。
まずは、木製のレバーを使った案。
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巨大なスロープを使った案。
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外面に設けたスパイラルのスロープを使った案。
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いずれも、説得力に乏しく、現実的ではないと考えられています。

最近、フランス人建築家が内部スパイラル・スロープ案を提唱し、日本でも既にTVでフィルムが紹介されました。簡単にご披露しておきましょう。

フィルムの一画面です。
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案の提唱者ピエールがクフ王のピラミッドを指しながらなにか言っています。
ピラミッドの斜面の中央及び上方を注意深く見てください。白い2本の線のようなものに気づきませんか?

7%の傾きをもった線が表面に見えるのです。
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このスパイラルな線はピラミッドの上方まで繋がっていました。
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この線に沿って内部トンネルがあり、そこを通って石が運び上げられた、とピエールは主張しています。

1986年、フランスの考古学者達がピラミッド調査した時、ピラミッド中心の玄室(げんしつ)に測定器を持ち込んで‘重力’測定をしました。奇妙な結果が得られたのですが、その時は意味が判らず今まで放置されていました。

実は、スパイラル状のSub-Gravity Line(サブ・グラビティ・ライン)が見つかっていたのです。
簡単に言うと「スパイラル状の空間がピラミッド内部にある」となります。

それがピエールの内部スパイラル案と一致するのです!
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ピエールの案が正しいのなら、ピラミッドを調べればスパイラルの内部トンネルが見つかるはずです。

しかし、許可を得ずにピラミッドに登って調査することは遺跡の保護、事故防止の観点から禁止されています。実は、それらしい痕跡は確認できたのですが、仮説を確実に裏付けるまでには到っていません。更なる調査が待たれるところです。

既に日本のTVで紹介された、ピエールの仮説を特集したフィルムのURLを下記に挙げておきますので興味がある方はご覧下さい。55分です。
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http://www.youtube.com/watch?v=t9C3rob_cTA
The Secret of The Great Pyramid: Khufu Revealed (Ancient Egypt History Documentary)

なお、エジプト博物館の一角に大きな糸杉製ソリ(Cedar Sled)が展示されています。
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このソリがピラミッドの建材の大きなブロック石を運ぶのに使われたことは多くの考古学者も既に知っているところです。
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その他にも、大ピラミッドの不思議を紹介するフィルムがYouTubeで見つかっていますが、宇宙人が造ったとしか考えられない!という「事実」を羅列したフィルムもあったりしてとりとめが無く、信憑性に欠けるものばかりなので、この辺りで打ち切りましょう。

さて、いよいよ不思議な質問の解答を検討してみましょう。
  1)ピラミッドがナイル川下流の一部に集中しているのは何故か?
  2)ピラミッドがナイル川西岸にしか造られなかったのは何故か?


残念ながら、私も現時点では説得力ある解答を持ち合わせていません。ひょっとすると皆さんの中には、これらの質問に答えることができる方がいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、何の謎解きもしないのではミステリー・ハンターの名が泣きます。そこで、頓珍漢な空論と非難されることを恐れずに私の仮説を紹介しましょう。

まず、公平を期すため、質問で挙げた記述は正しい、と認めることにしましょう。つまり、ピラミッドはナイル下流に集中していて、西岸に造られている、ということは間違いない!と認めることにします。

で、「何故、そうなっているのか?」

ピラミッドを造る目的、造るための条件、から検討すれば解答が見えてくるのです。
ピラミッドの目的:
  1)偉大な王だったことを後世まで知らしめたい!
  2)生まれ変わるまで肉体(ミイラ)を確実に保管しておきたい!
という二つの主な目的が考えられます。

どのピラミッドも盗掘されていて、第二の目的は残念ながら達成されていないピラミッドばかりでしたから、王といえども生まれ変わることは大変なようです。また、第二の目的のために、ナイル川下流の西岸に造らねばならぬ理由はなさそうです。

よって、第一の目的、つまり多くの人にいつまでも尊敬されるようなモニュメントを残したい、という観点に注意して検討すればよいことになります。

造るための条件ですが、出来るだけ短期間に少ない費用で効率よく造りたい、という希望というか必要性があったはずです。そのためには次の2点が重要です。
  1)労力の確保が容易なこと。
  2)材料の確保が容易なこと。

つまり、偉大さを見せつけるピラミッド(墓)にしたい、そのためには耐久性のある、大きくて目立つ墓をつくりたいが、費用も時間も制約あるから、なるべく効率よく造りたい、と考えていたはずです。

その観点でナイル川下流の西岸は最適でした。

1)ナイル・デルタの要(かなめ)の場所はナイルの恩恵を受けた肥沃な平野の要でもあって、従って食物は豊富で人も多く住んでいる。だから、大勢の建築作業者を集め易(やす)い。
2)ナイル川西岸の台地は、ナイル川平野の町に近く、台地に立つピラミッドは町の住民なら誰もが毎日でも見ることができる。人民はピラミッドを見ては我を崇めるであろう。
3)西岸台地には建材となる岩石(石灰石)の岩盤が多く、ピラミッドの直ぐ近くで大半の建材を確保することが出来る。その上、ナイル川が台地の直ぐ下を流れているので、上流から石材を船で運べば、建築現場の近くで荷下しすることが出来て便利であろう。
(石材採掘場(Quarries:オレンジ色の場所)が近くに見つかっています)
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近くには運河と港も整えられていたようです。(上の図の右側の→の部分)

これでナイル・デルタの要の近くの台地ギザがピラミッドに適した場所だとわかっていただけたと思います。

しかし、なぜナイルの東岸ではないのか?

実は、西岸は台地になっていますが、東岸は緩やかな斜面から徐々に急斜面になり山岳を形成しています。Google Earthでこれを確認することが出来ます。

従って、もしナイル川の東岸で、かつナイル川の氾濫の影響がない位置にピラミッドを建てると、川からかなり離れた場所になり、ナイル沿岸の町から遠くなって住民から忘れられがちで、その上、ナイル川で運搬された石材をピラミッドまで運ぶ手間も大きくなるから建設も大変だ!となってしまうのです。

更には、これは結構重要な要素だと思うのですが、ナイル・デルタで暮らす住民からピラミッドがどう見えるのか、という観点で考えてみると、朝、ふと西の方向を見ると、直ぐ近くの台地でピラミッドに朝日が当たって輝いているではありませんか。もし東岸にピラミッドがあったなら、住民にはピラミッドの黒い影しか見えず、それが背景の山の陰に溶け込んで、結局どこにあるのか判らないはずです。

夕方になると、西岸のピラミッドは夕焼けの空の中に黒くクッキリと浮き上がって見えますが、東岸のピラミッドは弱い光の中で、背景の山の中にボンヤリ紛れ込んで目立たないのです。

西岸と東岸における朝夕のピラミッドの見え方についての以上の説明を図で示すと次のようになります。
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どうです?西岸のピラミッドの方が、朝も夕も際立って見えますよね?

(完)
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