Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

イースター島の不思議

西洋文明によって発見されたのが復活祭(イースター)の日だったのでイースター島と名付けられた絶海の孤島の物語です。
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復活祭(イースター)は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭です。「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」ですが、宗派で異なり(!)3月22日~5月8日の間の日曜日に行われています。

イースター島は、南太平洋のポリネシア諸島と南アメリカの間にあり、南アメリカ大陸からは凡そ3600km離れています。一番近い無人島(東側)まで400kmもあるため「世界一孤立した有人島」とも言われています。
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島は少し傾いた二等辺三角形をしています。
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南西端から東端まで(三角形の最も長い辺)の距離は凡そ20km。北側の高地が海抜500mで最も高く、そこから島全体が見渡せそうです。
南西端近くに飛行場がありチリ・サンチャゴからは5時間のフライトです。

1723年4月5日の復活祭の日、2つの世界が出会いました。外の文明から隔離されていた島にオランダ船がやってきたのです!
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上陸して何百もの石像(モアイ)を見たオランダ人は驚愕しました。
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その後、いろいろな出来事を経て、今日では、イースター島には4千人が暮らしています。しかし、大半はチリから、残りは他の場所からの移住者で、祖先が島民の人は一人もいません!
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つまり、この島の記憶を持つ人は誰も残っていないのです!

従って、多くの疑問が解けないまま今日に到りました。
この島に来たのは誰か?
どんな方法でたどり着いたのか?
なぜモアイが造られたのか?
モアイにはどんな意味があるのか?
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そして
何故、島民に最後の時が来たのか?この文明を破壊する何が起きたのか?

やせ細った木製の人形「モアイ・カバカラ」が語るものは何か?
大きな嘴(くちばし)と目を持つ鳥人間が岩に彫られている理由とは?
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科学者や歴史学者たちの努力によって、これらの疑問が解かれようとしています。

まず、誰が島民なのか?どこから来たのか?ですが、南アメリカから渡った人々だと考えていた冒険家が1950年代に原始的な船で島に渡り、「証明できた!」と宣言しました。
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しかしそれは単なる意見で、反対側のポリネシアから来たと考える人も多かったのです。

決着を付けたのは、島で見つかった古い頭蓋骨のDNA分析です。
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島民はポリネシア人の子孫である!との結論が下されました。
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ポリネシア人は海の民でした。何百キロも航海する技術を持っていました。島から島に船で移動した彼等は今では300もの島に定着しています。

カーボン・デイティング(炭素年代測定)から、ポリネシア人が島に来たのは西暦700年だったことが判明しました。その後1723年にオランダ人がやってくるまで1千年の間、外界から隔離されていたのです。

島に住み着いたポリネシア人は直ぐに繁栄していきました。沢山の住居の跡が残っています。
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農業や漁業も盛んでした。一時は1万2千人の人口になったと思われます。現在の3倍もの島民が暮らしていたのです。

そして、島を有名にした石像が生まれることになりました。
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この石像を見た人達は、その後300年間、悩まされることになりました。
どんな方法で造られたのか?どのようにして石切り場から島を横切って運ばれたのか?なぜ造られたのか?石象は何を意味するのか?

これらの疑問も解き明かされる時がきたようです。
ラノ・ララクと呼ばれる石切り場で、製造方法に関するヒントが見つかりました。
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300以上もの像が残っています、いろいろな製作段階の姿・形で。

硬い石で岩盤を叩いて石像を彫り出したのです。1体を彫るのには何年もかかったはずです。
掘り終えた次の仕事は運搬です。
石切り場に大きな穴が見つかりました。
像を引き起こして丘を下(おろ)すための丸太をこの穴に立てたのではないか?
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穴の縁(ふち)の一部はロープでこすられたように滑らかです。

掘り出された石像は丘や谷を越えて運ばれました。
どのように運ばれたのか、当時の道具だけを使った試みも行われました。
像を直立して運んだと主張する研究者もいます。「伝説によれば彼らは歩いたのだから。」
直立して運ぶのは不安定なので倒して運んだはずだと主張する人もいます。
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方法はどうであれ、丘や谷を越えて、時には10マイル(16km)の距離を、石像は運ばれたのです、80トンを越える石像も!
石像を運ぶ作業では椰子の丸太は必ず使われたでしょう。

最大の疑問は、何のために造られたのか?ではないでしょうか。
モアイは何を表しているのでしょう?
宇宙人が魂を入れたのだ、と主張する人もいました。
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現地系の考古学者は古代の言葉から謎解きに挑みました。
モアイの意味は「先祖が生きていた時の顔」だというのですが、死者の顔のように見えます。
ある時、倒れたモアイの近くに、妙な形の石の欠片を沢山見つけました。
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彼はそれがモアイの眼だ!と気付きました。眼を入れると死者が甦って生者になります!
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モアイが見ているのは島民ではありません。彼等の頭のずっと上を、彼等の未来を見つめているのです。
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モアイは祖先崇拝のために造られたに違いありません。海を背に建つ石像は神と島民の間を取り持ち、子孫を守っていたのです。

しかしある時、良くない間違いが起きて、大半のモアイは引き倒されてしまうのです。台(現地語でアフ)の上に据えられていた像は全て倒されました。
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(mh:本社が香川県にあるタダノ(資本金130億円)というクレーン車メーカがクレーンや技術を無償提供し、1992年から倒れた像を起こすプロジェクトが進んでいます。)

石切り場の像は放棄されました。カーボン・デイティングによると像の倒壊や放棄は16世紀に起きています。西洋との接触の1世紀前です。

どうやら、島民は何らかの理由で彼らの神を見捨てたのです!
インカ伝説のような変化が起きたのでしょうか?
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恐怖の時代とか、カニバリズム(人の肉を食べたり神に捧(ささ)げたりする行為)といった恐ろしい、不吉な事件が!

考古学者が石器を見つけました。槍(やり)の穂先です。
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石切り場が放棄された時期のものでした。何かの理由で島民は武器を造り始めたのです。

その頃の人骨を6百個ほど調べると傷がある頭蓋骨が沢山みつかりました。
争(あらそ)いがあったのです!
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しかし、こんな小さな島の中で、どんな理由で争うことになったのか?
イースター島の食物習慣に詳しい学者がヒントを見つけました。島では見られない沢山の種類の鳥の骨です。
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最初にポリネシア人が来た時、島は鳥の楽園だったのです。食物も豊富だったはずです。
しかし、1600年代までには、石切り場は放棄され、時を同じくして全ての鳥もいなくなったのです。食糧が無くなったからに違いありません!魚の骨も見当たらなくなりました。

食べるものが無くなり、島民は、木製の、痩せ細った人形のようになってしまったのです。
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飢餓でカニバリズム(人の肉を食べること)や、食料を巡る争いが起きました。そして多くの人が殺され、モアイも破壊されることになったのです。

しかし何故、食糧の欠乏が起きたのか?人口の増加が原因なのか?

実は、欧米人が初めて島に来た時、彼等は木が無いことに気付いていました、他の島には沢山あるのに!木もないのにどうして像を移動できたのか?どうしてカヌーを造れたのか?
科学者は島にある沼の底からあるものを見つけました。
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沼の底の上層の泥から丸い、草の花粉を見つけました。島の大半が草原ですから当然でしょう。しかし、下層からは細長い、ヤシの花粉が見つかったのです!
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やはり昔はヤシで島全体が覆(おお)われていたのです。
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ヤシの花粉が無くなった時期は石切り場が放棄され、争いが起きた時期に一致しました。

これらの発見が暗示する結論は驚くべきものでした。
モアイがヤシの木を絶滅させたのです!

造られる像は段々と大きくなる傾向にありました。造りかけの18mで400トンものアモイもあります。
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掘り出したり、運搬したりするために使われるヤシの量は増え続け、ヤシの林は減少していったのです。そしてとうとう、ヤシが絶滅する時を迎えることになったのです。

小さな島です。最後のヤシの木を切り倒す時、他にはヤシが残っていないことに島民も気付いていたはずです。しかし、強迫観念にとり憑(つ)かれ、狂信的になっていた島民は、モアイのために最後のヤシさえ切り倒してしまったのです!
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結果は絶望的なものでした。雨のたびに土壌が流れ去り、作物の収穫量が減少してしましました。カヌーを造れないので漁業も出来ません。カヌーが無ければ島から逃げ出すことすらできないのです!

住民は自(みずか)らが造った地獄の罠(わな)に嵌(はま)ってしまったのです。食料を巡る争いが起き、その結果、神と崇(あが)めてきた祖先の像、モアイ、を引き倒す行動に走ることにもなりました。

住民が自ら生んだエコロジカル・デザスター(生態学的悲劇)でした!
イースター島は太平洋に浮かぶ孤立した島です、丁度地球が宇宙で孤立しているように。
その地球では、我々は資源を消費し続けています。異常気象も起き易くなりました。水や食料の危機が来るかもしれません。
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島の歴史は地球の将来に対するエコロジカルな警告だと言えるでしょう。

しかし、何かまだ、しっくりしないものが残っています。
1722年に初めて島を訪れたオランダ人が記(しる)した航海記を調べた人がいます。
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記録には「島にはポテトやコーンがあった。島民は平和に健康的に暮していた」とありました!何かが島民を絶滅から引き戻していたのです。

海からそそり立つ絶壁を背にした火口近くの岩から、大きな目と嘴(くちばし)をもつ像が彫られた石が沢山みつかりました。
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鳥人間です。モアイの崩壊が島民の悲劇の始まりとしたら、この場所は悲劇からの脱出が試みられた場所だったのです。

島民は、争いの元になったモアイへの信仰を断ち切り、空を自由に飛ぶ鳥を信仰対象にしていたのです。
権力者に指名された若者達が、崖を下り、海に浮かぶ岩まで泳いで鳥の玉子を取って持ち帰る競走が毎年行われていました。優勝者にはバードマンの称号が与えられていました。
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殺し合うことも無く平穏な生活を取り戻していたのです!
だからオランダ人が初めて島を訪れた時、島は平和で、食糧も豊富だったのです。最大の危機は終わっていたのです。

としたら、この島民を破滅してしまったものは何か?それは異なる文明との出会いでした!

1722年の感謝祭の日、オランダ人が上陸して数分の後、多くの島民が銃殺されました。しかしそれはトラブルの始まりでしかありませんでした。
その後、島民の生活は大きく変えられていきます。次々に船がやってきました。
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彼等は武器より恐ろしいものを持ち込みました。病(セパリス?)です。
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多くの島民は理由も知らず死んでいきました。

1862年、最後の打撃(ブロー)が訪れます。ペルーからの奴隷商人です。人口の1/3に相当する1千5百人の島民をペルーに連れていき鉱山で重労働に従事させました。
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極悪の作業環境の中、ほとんどの島民労働者が1年の内に死んでしまいました。
生き残った15人が島に戻された時、彼らは、恐ろしい物を持ち帰ります。天然痘です!
後に「大量死」と呼ばれた悲劇で、埋めきれない死体が散在することになりました。
そして数年後、全ての文明は島から消滅してしまったのです。

いろいろな出来事がありました。環境を浪費しつくした島民の物語と言えるかも知れません。しかし、もし西洋との出会いがなければ、島民が、島の文明が消滅することは無かったでしょう。
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以上がYoutube「Horizon - The Mystery Of Easter Island」の内容です。
関心がございましたら次のURLでフィルムをお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=P-bVu_FiJ50


モアイの移動方法をコミカルにまとめた映像がありますので興味があればご覧ください。
4分程度で、本命は一番最後に紹介する案だと暗示してますが、どんなもんでしょうかねぇ。


(イースター島の不思議;完)
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