Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

アンコールの不思議

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Google-Earth-3D 上:アンコール・ワット 下:アンコール・トム
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アンコール:サンスクリット語で王都
ワット:クメール語で寺院
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Wiki:アンコール遺跡
アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。この地には、9世紀頃から数々の建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-1145年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1218年)といわれる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。
しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王にはついにアンコールを放棄するに至った。
mh:
アンコール・ワットはトンレ・サップ湖畔の北10kmの仏教寺院ですが、建設当初はヒンドゥ寺院でした。隣には仏教寺院アンコール・トムがあります。
カンボジアの首都プノンペンはアンコール・ワットの南東230kmです。
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トンレ・サップ湖は国際河川のメコン川に繋がっています。中国チベットに端を発し、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れる大河ですが、季節で水量が変化し、その影響でトンレ・サップ湖の面積も大きく変わるのです。
Wiki:トンレ・サップ湖(の面積変化)
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1年のほとんどの期間、水深は1mに留まり(このためプノンペンとシェムリアップを結ぶ定期船が暗礁に乗り上げかける場面がよくある)、面積は2700平方kmしかない。しかし夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレ・サップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しながら面積は1万6000平方km(最小面積時の7倍)まで拡大して深度も9mに達する。
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どのようにしてアンコールの遺跡は造られたのか?なぜ放棄されたのか?
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その秘密を探(さぐ)る旅に出よう!
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8百年以上前に繁栄したクメール王国。800~1432年にかけて一帯を統治した。
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アンコールは一時期、王国の首都だった。多くの寺院が造られ、突然、放棄された!
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このようなマスターピースはどのようにして造られ、なぜ放棄されたのか?

アンコール・ワットは世界で最大の宗教的モニュメントだろう。
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回廊と階段が高さの異なる多くのテラスを繋(つな)いでいる。
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急な階段だ。僧侶だけが使っていた。
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高さは63mでノートルダム寺院とほぼ同じだ。エジプト・ギザの大ピラミッドと同じ量の石材を使って造られている。
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建設期間は32年だった、信じられない速さだ!欧米の同じ規模の教会なら10倍の年月がかかっているだろう。
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5万人が建設工事に従事していた。
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回廊の壁には8百mに渡りレリーフが彫られている。デザインの発祥地はインドだ。ヒンドゥ教の絵物語が彫られているのだ、字が読めない人でも判るように。
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最後の審判の絵だ!中央の男が死者を裁いている!
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行き先の地獄は32種類も用意されている!
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インドの商人が交易で訪れ、芸術、建築技術、宗教なども伝えたので、ヒンドゥ教は一時期盛隆を迎えた。その時に造られたのだ。

レリーフは、雨や寒暖差で劣化してきたので修理プロジェクトが進んでいる。
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アンコール・ワットの北32kmには建設資材の石切り場だったクーラン山がある。
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ここの石は、アンコール遺跡一帯に数百もある寺院の建材として使われた。
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200平方kmのアンコール考古学パーク内に点在する約70の寺院のひとつに、寺院の建設方法を示すレリーフがある。
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石に丸い穴を明ける。そこに棒を差し込んでロープで吊るし上げる。
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これを別の石の上に載せ、水をかけながら吊るした石を動かして接触面を研磨する。
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もう5分経った。石の面がどうなっているか調べてみよう。
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平でツルツルだ!
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寺院に穴の明いた石が沢山あるのはこのためだったのだ!
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何故、研磨してまで石同士を密着させる必要があったのか?それは彼ら独特の寺院の建設方法にある。石のブロックを積み上げて建物を造ってから表面に彫刻を施していったのだ。
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石のつなぎ目では彫像に切れ目が残る。この切れ目を目立たないようにするために石同士を密着させる必要があったのだ。
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鼻の直ぐ下で上下の石が重なっている!
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2つの石の接触面が密着していなければ、鼻の先の形は崩れ、こんなに綺麗に仕上がらない!

アンコール・ワットはヒンドゥ教の宇宙観のミニチュア版だった。
塔は神々の故郷メイル―山(アブー山?)を表していた。周りの掘は広大な宇宙の海だ。
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しかし、なにかの間違いでこの町は15世紀に放置されてしまった。1860年、フランス人が偶然に発見するまでの400年間、ジャングルに覆われていたのだ!
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このミステリアスな遺跡の発見はヨーロッパ中を騒然とさせた!

現地で調査をしているオーストラリアの考古学者に会った。彼が持っているNASA撮影の地図によると、この一帯には沢山の運河が造られていたことがわかる。
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アンコール・ワット、アンコール・トムの近くには大きな貯水池も残っている。
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空から見るとよくわかる。アンコール・ワットはクメール人が造った神聖世界の一部で、偉大な作業の成果はアンコール・ワットよりも水システムの整備だった。この貯水池は長さ8km、幅2kmもある。
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雨期は水を溜め、乾季には放出していた。貯水量は5千万立方メートル(注参照)。信じられない規模だ!
(注:東京ドームは124万立方メートルなので、その40倍です。そう言われても、どの位の体積か、イメージが湧かないと思いますが・・・)
この水が農業を、経済を、生活を支えていた。
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貯水池に水を運びこむ運河だ。真っ直ぐ北に延びている!
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NASAの衛星情報からも複雑な水管理システムがクーラン山の南2800平方kmに展開していたことが判っている。
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1百万人が暮らすための水管理システムだった。数百の寺院もその中に造られていた。

第二次世界大戦後に結党されたクメール・ルージュ(赤色ルージュ)。これを率いたポル・ポトによる大量虐殺の時代がやっと終わって平穏が訪れると、人々は神聖な場所に戻ってきた。
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ここはカンボジアのガンジス川と呼ばれ、訪れた人は心と体を洗い清める。

一帯の川の底にはヒンドゥ教の象徴リンガのシンボルが掘られている。乾季で水が少ない時に川底の岩に彫刻したのだ。
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ここを流れて神の力を得た水が下流のアンコール一帯を潤(うるお)した。

バイヨン(注参照)はアンコール・ワットの後で造られた仏教寺院だ。2番目に大きい寺だ。
(Wiki:バイヨン (Bayon) )
カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥ・仏教混交の寺院跡。アンコール・トムの中央付近にある。バイヨンの呼び方で広く知られているが、クメール語の発音ではバヨンの方が近い。バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持つ。
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14世紀に完成した。
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200もの巨大な顔が壁面に彫られていることで有名だ。
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ここのレリーフは人々の生活の様子を表している。
例えばこれはマーケットで商売している様子だ。女が魚を売っている。
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左下では喧嘩をしている。左側がクメールで右は中国だ。
右下は女が子供を産もうとしている様子だ。
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左下は闘犬の様子で、右下は寺院を建設している様子。
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13世紀、ある中国人がやってきた。彼は外交官というよりスパイだった。
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目的はクメール王国の軍隊の調査だ。
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今、カンボジアではキックボクシングが盛んだ。元はクメール王国の軍隊が訓練のために行っていた格闘技ボーケトアだ。カンボジア最高峰の師匠は今もプノンペンの仏教僧院で若者を指導している。
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膝、肘、足、腕などすべてを使う究極の格闘技だ。

しかし強力な軍隊をもってしても王国を守ることは出来なかった!
なぜクメール王国は失墜したのか?
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15世紀、アンコールの文明は崩壊した。都市はジャングルの中に放棄された。
北部モラディ人の侵入や、王に対抗する権力者との間に起きた紛争が原因だと考える人もいる。が、最大の原因は水システムの瓦解(がかい)だろう。
クメール王国は広々とした水田と森に囲まれた豊かな国だった。
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しかし、都市が巨大化するにつれて水システムも複雑化し、管理の限界を超えてしまった。システムに綻(ほころ)びが生じ農業問題や経済の弱体化が生まれた。大きな貯水池も機能しなくなり、洪水も頻発するようになった。
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水田は荒廃し飢饉が起きた。

当時の運河から水を汲み上げている大きな水車がある。そこからカヌーで少し下流に行ってみよう。
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ここで船を下りて10mの崖を登ると面白いものがある。
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昔の橋だ!つまり今立っている所が運河の底だったということだ!
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アンコールは拡大し過ぎていた。それに追い討ちをかけるように水管理システムの瓦解による洪水や飢饉も起き始めた。1431年に北から敵の攻撃を受け、その翌年、王はアンコールを放棄して、南のプノンペンと呼ばれる町に遷都したのだ。

その結果アンコールはジャングルの中に埋もれてしまうことになった、600年もの間!
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ジャングルの木はゆっくり絡みつくように寺院を包んでいった。
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しかし、寺院が全く忘れ去られていたわけではなかった。王国には捨てられたこの地を守り続けていたグループがあった。仏教徒の集団だ!
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徐々に僧侶も増え、アンコール一帯は巡礼地に生まれ変わって今日に至ったのだ。
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(完)
カンボジアの国旗にはアンコール・ワットが描かれています。建物が描かれた国旗は世界でもこれだけのようです。
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Youtubeのフィルムは下記でお楽しみ下さい。
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https://www.youtube.com/watch?v=SUMCTbR7hcY
Angkor Wat: Digging for the Truth (History Documentary)


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