Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

インダス文明の不思議


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今回はYoutube「文明;川の征服者」をご紹介しましょう。
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「ある日、日の出の頃、サラスヴァティ川で朝の沐浴を済ませた聖人ヴィヤーサは座って瞑想を始めた。彼は千年の草(fibre of the millennium)の中に、ある異変を見つけた。美徳を失ったがために全ての生命が直ぐに滅びるであろうことを予感した。(バガヴァタム:ヒンドゥ教のヴィシュヌ神を讃(たた)える経典)」

(Wiki:インダス文明)
長い歴史をもつが、統合期は紀元前2600年 - 紀元前1900年とされている。
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(Wiki:世界四大文明)
人類の文明史の歴史観のひとつ。歴史上、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむとする仮説。
ここで、四大文明とはメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明をさす。メソアメリカ文明、アンデス文明などのアメリカ大陸の文明は含まれていない(これらを含めて六大文明ということもある)。
欧米では「肥沃な三日月地帯」(Fertile Crescent)や前述の六大文明などといった人類の古代文明の発祥の地を「文明のゆりかご」(Cradle of civilization)などと呼ぶ。
(Wiki完)

1920年、考古学者M.S.ゲイツはインダス文明(Indus Valley civilization)の鍵となったハラッパーの遺跡を感慨深げに見守っていた。
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しかし、時を同じくして、数百km南西では、インダス川を望む高台でアービー・ベナジー教授が巨大な遺跡を発掘していたのだ。モヘンジョダロだ!
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ヨーロッパの学者達はモヘンジョダロの発見に驚愕した!それまでアーリア人(注参照)の文明を過小評価していたのだ。以降、千以上もの遺跡が発掘されることになった。
(注)アーリア人:インド北西部に出自をもち中央アジアにも広がっていた民族

5千年前、ヒマラヤから南に流れ出た大河インダスの流域には文明が開けていた。
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2百年程前、考古学者はこの文明の存在に気づいていた。笛や大理石のおもちゃのようなものを見つけていたのだ。
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ここで、フランス人考古学者が何か解説しています。
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「メソポタミア・・・モヘンジョダロ・・・」。しかし、フランス語で、字幕スーパーもなく、何を仰(おっしゃ)っているのか全く分かりません!
次の遺跡の解説もしていたようです。直径4メートルくらい。住居跡でしょうか???
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モヘンジョダロはパキスタンの南部、インダス河岸に造られた町だった。
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紀元前2千年、古代ペルシャ(現イラン)の国境方面から来た侵略者によって統治されていた。
今は砂漠だが、当時この辺りで最大の都市で、1平方kmに4万人が暮らしていた!!

町は区画整理された碁盤目状で、大通りは幅9m以上ある。
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完璧な水管理システムがあった。80もの公共トイレもあった。
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どの住居にもタイルの風呂場と井戸があった。ゴミ捨て場も排水溝も整備されていた。
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最も注目すべきは町の高台にある水浴場だ。
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廻りには回廊と泉が設けられていたのだ。

フランスの2倍の面積のインダス流域には千以上の遺跡が散在している。
そのひとつにドーラビーラ遺跡がある。
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インダス河口から2百km東、今は砂漠化が進み塩田化した海に浮かぶ島にその遺跡はある。
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基礎は焼き煉瓦、その上の建物は日干し煉瓦を使ったインダスの建築方法だ。
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記念碑的な石壁も見つかった、高さ15mもある!
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町の大工は有能で、ヒマラヤ糸杉を建物の柱などに使って隙間をピッタリと埋めていた。
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水は町通りの清掃に使われた。側溝に集められた水は穴から城壁の外に排出されていた。
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周辺をレンガで覆われた城壁の上の高台に町は造られていた。
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高台では今も発掘が行われている。
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1989年に発見されて以来、発掘が続いた。地面を掘り進むと深さ8mで泥土に突き当たる。
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考古学者は町の外の城壁の周囲で深い堀のような跡を見つけた。
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幅25m、深さ7mもある。町の防御システムの一部だったのだろうか?それとも住居の跡なのだろうか?

発掘を続けた考古学者によって5千年前の都市ドーラビーラの全貌が明らかになってきた。
発掘していた堀は貯水池の一部だった。そこには昔、水が溜められていたのだ。
(CGです)
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町を取り囲むようにして16の貯水池があった、と考古学者は考えている。
町の中央には砦があった。
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48haに2万人が暮らしていた。
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郊外では大麦や小麦を耕作していた。海も比較的近くにあった。
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しかし、どんな方法でこれらの貯水池を水で満たしていたのだろう?
ドーラビーラ遺跡の近くには今も小さな集落があるが、住民は水の確保に苦労しているのだ。汚い共同井戸が数個しかない。
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5千年前の人々が貯水池を使って水の管理をしていたとは驚きだ。

毎年、モンスーンの時期になると洪水になり、インダス川流域は水の絨毯(じゅうたん)で覆(おお)われる。洪水は嫌われ者という訳でもない。農業に大切な土壌を運んでくるのだ。
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人々は住居などの施設を少し高い場所に造り洪水をやり過ごしている。
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5千年前、インダスの人々はどんな方法で水を手懐(てなず)けていたのだろうか?

考古学者はドーラビーラの近くで石の構造物を見つけた!ダムの跡だ!
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水の流れを変え、貯水池に導いていた。沢山の池は上から段々と水を蓄えていったのだ。
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池の底から30mの高台に造られていた町は水で囲まれていった。貯水池の水は灌漑に使われ周辺の畑を一年中潤(うるお)していた。
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ドーラビーラの町は水の中に浮かんでいたのだ!

町の最も高台にある砦には雨水をためる工夫が施されていた。
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しかし、人々が雨水と川の水をどのように区別して使い分けていたかは謎のままだ。
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水は重要な穀物の実りをもたらし、命をつなぎ、土地を清めてくれる大切なものだった。

砦の中央に神聖な場所がある。1つの井戸と2つの槽。
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井戸は直径4m、深さ20m。縁(ふち)には水を汲み上げたロープの跡が残る踏石がある。
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最も神聖な水は地下からくみ上げていたのだ。その水で2つの槽を満たした。
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槽の水に入って身を清めた人々は神秘の力を得えて純化されたのだ。

ドーラビーラは今では人も訪れない遺跡となって静かに眠っている。

ところで、インダス川から離れた砂漠から沢山の遺跡が見つかっているのは何故だろうか?
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考古学者はインドの民謡から答えのヒントを得た。
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昔、ハッガーと呼ばれた川がこの砂漠を流れていた。今は消え失せているが痕跡は在る。
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ダムや水路の跡が沢山発見されている。
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しかし、4千年前の大きな地震で川は流れを変えた。インダス川と平行して流れていたハッガー川は上流で方向を東に向け、ガンジス川に流れ込んでしまったのだ!

数年前、ハッガー川があった場所の地下数メートルから水が見つかった!昔の川はまた畑を潤しつつある。
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昔のハッガー川流域で、人々は再び生活を取り戻し始めているのだ!
もう一度、言おう。「水は文明の母だ!」

昔、ハッガー川流域では小麦や綿や胡椒が栽培されていた。
水牛も、羊や山羊も飼われていた。村もあちらこちらに在った。
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道具や武器も造られた。青銅の鋳造技術も習得していた。
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木工細工に優れていた。芸術家は象牙や玉石を加工して装飾品を造った。
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セラミック(下右:独楽(こま)と球)や、陶器の壷(下右)も造った。
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インダス文明でよく知られているセラミックのシール。
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契約書などを封印するために使われていた。商取引を通じ契約の概念を育(はぐく)んでいたのだ。
円柱状のシールもあった、メソポタミアのシールと同じだ!
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2千以上のシールが見つかっている。
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シールの動物の絵の上に記号が描かれている!絵文字だろう!
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凡そ4百の記号が見つかった。
ここでまた例のフランス人が何やらフランス語で・・・
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1999年、ドーラビーラで画期的な発見があった。発掘は慎重に進められた。
集まった人々は息を呑んで見つめていた。
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4千年前、木の板に石灰のような材料で描かれていた記号のようだ。ドーラビーラの北門に掲げられていた看板が真下に落ちたまま残っていた、と考えられる。
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町の名前なのか?統治者の名か?方角を示す記号なのか?
インダス記号のロゼッタストーン(注参照)は見つかっていない。従って記号の意味はまだ解読できていない。

今回発見された9つの文字は記号の秘密を解き明かしてくれるのだろうか?
インダス記号を解析できるようになるまで我々は彼らの文明を正確に理解することはできないだろう。
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(注:Wiki:ロゼッタストーン)
ロゼッタ・ストーン(ロゼッタ石、仏: Pierre de Rosette, 英: Rosetta Stone)は、エジプトのロゼッタで1799年に発見された石碑である。大英博物館で保管・展示されている。
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縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。暗色の花崗閃緑岩でできた石柱で、プトレマイオス5世のため紀元前196年にメンフィスで出された勅令が刻まれている。この碑文は三つの文字、すなわち古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)、民衆文字(デモティック)、ギリシア文字で記述されている。細かい違いはあるが本質的に同一の文章が三つの書記法で著されたと推測され、1822年、ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読された。これによってロゼッタ・ストーンはエジプトのヒエログリフを理解する鍵となり、他のエジプト語の文書が続々と翻訳されることになった。
(注:完)

4千年前、インダスでは銅やスズなどの鉱物が不足していた。これを得ようと、当初は海岸線に沿って陸路を西に辿(たど)り、交易していた。

今も使われている船。底が浅く、インダス川でも往来できる。
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デザインは4千年前とほとんど同じだ。
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人々は物流ルートを陸路から水路に代えていった。沢山の荷物を簡単に運べて便利だ。

輝かしいオデッセイ(Odyssey:ギリシャ詩人ホメロスの長編叙事詩)が始まった。
世界発見の旅だ!
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ハラッパーから始まって、モヘンジョダロを経由しペルシャ湾を航海した。
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インダス川流域からユーフラテス川河口までは3千5百kmの旅だ。
現在のアブダビ。UAEの首都でペルシャ湾入り口にある。ここで初めてインダスの民が現地人とコンタクトした。言葉が違うはずなのに、当時どんな手段で意思疎通(いしそつう)していたのだろうか?
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ここでまたフランス人が出てきます!
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オウウンナ(??)島にある貴族の墓。
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そこからカーネリアン(注参照)の装飾品が出て来た。インダス流域の特徴をもつ陶器も見つけた。
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(Wiki:カーネリアン(carnelian))
鉱物の一種で、玉髄(カルセドニー)の中で赤色や橙色をしており、網目模様がないもの。紅玉髄(べにぎょくずい)ともいう。ちなみに、網目模様があるものを瑪瑙(めのう)と呼ぶ。インダス文明(ドーラビーラ)は、この鉱物を材料とするビーズを加工して繁栄をきわめたことで知られる。
(Wiki完)
ペルシャ湾の懐の砂漠には何千もの墓地がある。695平方kmに広がっている!
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この墓からインダス文明の記号を解き明かすテキストを探し出そうとしている考古学者がいる。
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「エジプトのヒエログリフをロゼッタ・ストーンで解読したように、いつかインダスの記号を解読するテキストを発見したい。そして、この地でメソポタミア文明とインダス文明がどのように交錯していたのかを明らかにしていきたい。」

どんな文明も消滅していくことを歴史は教えてくれている。インダスも例外ではなかった。
紀元前1千8百年以降、メソポタミアの遺跡からはインダスを示すものは消えてしまった。インダス流域の都市は住民が減少し、建物や灌漑施設も修理されずに放棄されるようになった。

この凋落(ちょうらく)はどう説明つくのだろう?中央アジアから侵略者が来たと考える人がいる。
洪水で、地震で破壊された、と言う人もいる。

どんな惨事がこの素晴らしい都市を破壊したというのだろう?
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人々はどこに行ってしまったのだろう。

我々には語るべき根拠がない。インダス文明を引き継いだものはないのだろうか?
ここでまたフランス人の登場です!!!
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しかし、全てが消滅してしまった訳ではない。残っている部分もある!
ロードビーラから数十キロのインドの村アダラージ。そこに階段井戸がある。
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階段を下りてゆくと最下層に掘られた井戸に到達する。上は吹き抜けだ。
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天国と現世の2つを繋ぐ場所だ。訪れた人は水の表面を見つめている。
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この井戸の水は最も神聖で純粋だと言われている。
水を汲み、手に付けて体をこすると清められるのだ。

水に対する信仰の名残はインダス川と並ぶ大河ガンジスで見ることが出来る。
ヒンドゥ教の聖地ベナレス。町を流れるガンジス川で沐浴をする。
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この人々の顔には、インダス川流域で暮らし、帝国を築き、水を管理してきた人達の面影を見ることが出来る。
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(完)
ヒンドゥ教の「ヒンドゥ」は「インダス」が語源です。
フィルムは次のURLでお楽しみ下さい。
2006 - The Indus Valley Civilisation (The Masters of the Riv
https://www.youtube.com/watch?v=dnsatmxY7Kc
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