Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

モーゼズの杖の不思議


モーセと聞いても解らない世代の方は、モーゼと聞けば“あぁ、あのひとね”って気付くんじゃあないでしょうか。英語ではモーゼズMosesと発音されているようですね。で、今回はモーゼズで通させて頂きますが・・・

旧約聖書の中でも最初に書かれたトーラは、モーゼズが神から聞いた言葉をモーゼズ自身が書き記したと考える人たちがいるようで、日本では“モーセ五書”とも呼ばれ、5つの書から成っています。
トーラの五書は、既にご紹介したはずですが、mhも忘れていますから、ここでおさらいしておきましょう。
1) 創世記Genesis(ヘブライ語の原題は「初めに」の意)
天地創造、アダムとイブ、ノアの方舟(はこぶね)、バベルの塔など
2) 出エジプト記Exodus(ヘブライ語の原題は「名」)
モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語
3) レビ記Leviticus(ヘブライ語の原題は「神は呼ばれた」)
祭司のための規定集と民に向けた規定集
4) 民数記Numbers(ヘブライ語の原題は「荒れ野に」)
(エジプトを出国して紅海を渡りシナイ半島に到着後) シナイ山における人口調査や、ヨルダン川に辿り着くまでの旅の様子や出会った人々の姿を記述。
5) 申命記Deuteronomy(ヘブライ語の原題は「言葉」)
40年にわたる荒野の旅をふりかえり、神への忠実を説く。
シナイ山で神から与えられた十戒を説く。
来るべき死への準備をし、ヨシュアを自らの後継者に任命する。

つまり、5書の第一巻ともいえる創世記を除く4書はモーゼズが主体の内容で、神の教えもモーゼズを介して記述されているのですね。で、モーセ五書とか、モーゼが書いたなんて言われている訳です。

今回のブログ「モーゼズの杖の不思議」ですが・・・杖がどんな奇蹟を起こしたかではなく、その杖が見つかった!っていう、びっくり仰天の不思議なんです。モーゼズが生きていたのは紀元前16世紀または同13世紀と言われ、はっきりしていないんですが、かなり遠い昔だったのは確かです。その不可思議な人物モーゼズがいくつかの奇跡を引き起こす時に使った杖が見つかった???

それでは早速、見つけた!と主張する人の話を聞いてみましょう。
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モーゼズの杖。それは聖書の中で、最も畏敬の念を鼓舞する奇蹟のいくつかを創造した。
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イクスター大学フランシェスカ・スタヴラコポウロウ教授「それはとても力強い儀式的な道具だったの」
それは蛇に変身し、ファラオを驚かした。それは、最初の大量破壊兵器の一つだった。それはエジプトで大きな災厄をもたらした。
オックスフォード大学ハイウェル・クリッフォード博士「神の力を行使する道具の一種だった」
それは紅海Red Seaを2つに切り裂き、そしてファラオの軍勢を溺れさせた。
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しかし、神の力をもつこの道具は、どうなってしまったのだろう?ある一人の男は、それがどうなったのか知っていると信じている。
フィリップス「モーゼズの杖は歴史上、最も強力な手工芸品artifactだ」
彼は、その有名な杖が古代都市を経由し・・・今の社会まで旅をしていると主張する。その杖は、タイタニックの事故を生き残ったのかも知れない。そして彼は、それが今、どこにあるか知っていると信じている。彼は正しいのだろうか?
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Secrets of the Bible 聖書の秘密
The Staff of Moses モーゼズの杖
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イギリスのバーミンガムBirmingham。2000年1月1日。
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そこは英国第二の大都市だ。図書館や博物館の宝庫のような都市で、英国でもっとも頑強な歴史探偵家の一人が暮らす町でもある。新しい千年紀の初日、グラハム・フィリップスは彼の次の挑戦について熟考している。フィリップスは神話の調査官とも言える男だ。これまで伝説を追い求めてきた。契約の箱Ark of the Covenantがある場所からアーサー王のキャメロット城があった場所まで。これらの話は、学術的な研究者たちは取り扱う事を喜ばないし、時にはしり込みする。しかし、フィリップスが解き明かしたいといつも考えていた物語がモーゼズだった。
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フィリップス「モーゼズはイスラエル人の宗教の創設者だ。彼がそれを始めたようにすら思われる。そこで、私は彼について調べてみようと決心したんだ」
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フィリップスは、特にモーゼズの杖に強く興味を引かれた。頑丈な杖は古代の単なる歩行補助具ではなかった。自然を手懐(てなず)け、帝国を彼の前に膝(ひざ)ませた武器だった。もし、モーゼズの物語が真実なら、その杖は今も残されているかも知れないとフィリップスは考えている。ひょっとすると、どこか、その辺りに!彼はそれを辿(たど)ってみようと決心した。
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フィリップスは調査を開始した。モーゼズはヘブライ人だが、エジプトで産まれたことが聖書から確認された。ヘブライ人たちは奴隷として働かされるために、エジプトに連れていかれていたのだ。
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オックスフォード大学ハイウェル・クリッフォード博士「モーゼズはエジプトの土地で、危険と脅威の中で産まれた。ヘブライ人たちの比率が増えてくると、エジプトの権威者たちは彼らが軍事的な脅威になるかも知れないと考えるようになった」
全てのヘブライ人の男の子供に対する死刑判決がファラオによって承認された。子供の命を心配したある母親は、子供を籠の中に入れ、ナイルの草むらの間に隠した。
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草むらの中で水に浮いている小さな籠の中に赤ん坊を見つけたファラオの娘が、自分の養子として育てることにしたと言われている。
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作家デイヴィッド・ロール「つまり彼は、2つの側面を持つことになった。セミテック語Semiteを話すヘブライ人であるとともに、エジプトのファラオの王宮における王子でもあったのだ」
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モーゼズはエジプトの王子として育てられたが、自分がヘブライ人の血を引いていることは忘れなかった。ある日、彼は人生を永遠に変えることになる決断をする。

クリッフォード「モーゼズが歩いていると、エジプト人がヘブライ人の一人を痛めつけているのを見た。彼は、そこに行き、エジプト人を殺してしまった」
身に危険が及ぶのを恐れ、モーゼズは東のミディアンMidian(mh聖書に記述された土地でアラビア半島の北西)に向かって逃げた。
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モーゼズはその後の40年を砂漠の中に身を隠して生き抜いた。

フィリップスが読んだ聖書によれば、ある日、モーゼズは既に老人になっていたのだが、神の声を聞いた。
クリッフォード「モーゼズが自然の荒涼のただなかにいると、藪(やぶ)で火で燃え盛っていた。その火は尽きることなく燃え続けていた」
炎の中から神がモーゼズに語り掛けた。神はモーゼズに持っている杖を地面に捨てるように言った。言われた通りにすると、不可思議にも、杖は蛇に変身した。神はモーゼズに、蛇の尾を掴(つか)むよう伝えた。彼がそうすると、蛇は元の杖に戻った。
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以降、この杖はモーゼズの超自然的な武器となった。

フィリップス「旧約聖書の中で語られていることに関して我々が信じるべきことは、モーゼズの杖は歴史の中で最も強力な工芸品だということだ」
神はモーゼズに、エジプトに戻ってヘブライ人たちを“約束の土地”に導くよう伝えた。モーゼズはエジプトに行き、ファラオに許可を求めたが、ファラオはヘブライ人たちがエジプトを離れることを禁じた。するとモーゼズは彼の杖を使ってファラオを恐れさせた。
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スタヴラコポウロウ教授「モーゼズは儀式の専門家で、ヘブライ人たちがエジプトを去れるよう、ファラオを威圧する、どんな不思議な手品も出来たのよ」
彼はファラオの前で杖を蛇に変えたのだ。
フィリップス「そしてモーゼズは言った“私はこの杖でもっとすごいことが出来る”と。彼は杖を使ってエジプトに10の災厄を起こした」
死んだ魚、死んだ牛、虱(しらみlice)、蠅(はえ)、そして蝗(イナゴlocust)・・・
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モーゼズは雹(ひょう)と暗闇の災厄を解き放った。
クリッフォード「エジプトの国家は組織的に解体されてしまった」
これらの災厄は全ての中で最も恐ろしい災厄への序章だった。最初に生まれた男子の死だ。
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クリッフォード「この時、ファラオとその家族の崩壊が始まったようだ」
ファラオはついに折れた。そして、聖書が言う出エジプト記Exodusが始まる。ヘブライ人たちはついに自由になった。
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しかし、ファラオは前言を翻(ひるがえ)す。ヘブライ人たちはファラオの軍隊と紅海で挟(はさ)まれて身動きできなくなった。するとまた、モーゼズの杖が助けの手を差し伸べる。それは旧約聖書の中でも最も見事といえる力の誇示だ。
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モーゼズは杖を使って紅海を分断したのだ。ヘブライ人たちは逃げ延びたが、追ってきたファラオの軍勢は、戻って来た水でおぼれてしまう。
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聖書によれば、紅海の分断の後、モーゼズとイスラエル人たちは、40年という長い年月の間、荒涼とした土地の中を彷徨(さまよ)った。そしてヨルダンを通り、約束の地に辿り着こうというところでモーゼズは死ぬ。彼の杖も、歴史から消え去ってしまった。
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謎を調べているグラハム・フィリップスにとって、杖が見失われているのは聖書の中の大きな謎の一つだ。地上のどこにモーゼズの杖はあったのだろう?
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フィリップス「我々はモーゼズの杖に何が起きたのか知っていない。聖書によれば、杖は彼と一緒に埋葬されただろうと推察できる」
ジョージワシントン大学エリック・クライン教授「多くの人々は、彼は杖と共に墓に埋められているという考えを受け入れることはできるだろう。普通、イスラエル人は身の回りの品物を遺体と一緒に墓に埋葬する。小さな甕(かめ)とか、小刀(こがたな)、ビーズや首飾り、スカラベ(カブト虫のお守り)などだ」
フィリップスがしなければいけないことは明確なようだ。モーゼズの墓を見つけるのだ。そうすれば、恐らくそこで、彼は杖を見つけるだろう。
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フィリップス「私は不思議な墓の探求に関する2,3の本を書いていたので、モーゼズの墓だって見つけられるんじゃあないかと思った。手を尽くしてモーゼの墓を見つけようって決心した」

フィリップスは、モーゼズの墓は彼が死んだ場所の近くにあるはずだと予測した。しかし、その場所はどこか?彼は聖書を読み直すことにした。モーゼズが埋葬された場所について何か記述があるはずだ。
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最初に見つけた記述は“今日まで、誰も彼の墓地について知らない”とぶっきらぼうに言っていた。フィリップスは調査を始めたばかりの段階で、固い壁に突き当たってしまった。しかし、モーゼズの墓地が忘れ去られてしまったとは信じられなかった。聖書の申命記Deuteronomyと民数記Numbersを読んでみたら、彼が調べることができる他の記述箇所があった。この2つには期待できる同じ内容が書かれていた。モーゼズの弟アーロンの埋葬地について書かれている!
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フィリップス「申命記Deuteronomyと民数記Numbersの中で2回も、モーゼズは弟アーロンの近くに埋葬されたと書かれていたんだ」

アーロンはホー山Mt. Horに埋葬されたと言う。兄弟が近くに埋葬されるのは極めてあり得る話だ。
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フィリップス「モーゼズもホー山の近くの何処かに埋葬されていなければならないはずだ」
幸運にもフィリップスはホー山の正確な位置を知っていた。杖を探すには、ヨルダンに行く必要がある。
フィリップスは首都アンマンに飛び、そこから車で南の沙漠に向かった。アーロンが埋葬されていると言われるホー山は“ジェベル・ハルーン”と言う名前でも知られている。
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山はヨルダンの最も有名な遺跡で薔薇(ばら)の都市ペトラを睥睨(へいげい)している。
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デイヴィッド・ロール「ペトラは世界の偉大な不思議の一つだ。美しく、見事な寺院や墓が、赤い砂岩の中に刻まれている。秘密の場所で、隠れるように造られていて、そこに行くにはシークと呼ばれる細い渓谷を通り抜けねばならない」
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これらの華麗な砂岩の構造物はナバテアという名で知られる文明によって造られた。モーゼズの時代から1千年ほど後の、紀元前3世紀から造られ始めたものだ。

フィリップスは、目の前にある遺跡の大きさに打ちのめされていた。面積は広大だ。ここでモーゼズの墓を探すのは草の山の中から1本の針を探すようなものだ。
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フィリップスは大地の中で、この場所とモーゼズを結び付ける特徴のようなものがないか探し始めた。
すると突然、フィリップスは“ワディ・ムサWadi Musa”に出くわした。“モーゼズの谷”だ。
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デイヴィッド・ロール「モーゼズが生涯の一時期、この地にいたというアラブの伝統がある。エジプトから約束の地へ彷徨(さまよ)う物語の中でペトラはある役目を演じている」
つまりフィリップスはモーゼズの足跡を辿っているということだ。この地をモーゼズの物語と結びつける、もっと別の印がないのだろうか?少し進んでいくと、フィリップスは聖なる泉に出会った。
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それは“エイン・ムサ”と呼ばれている。“モーゼズの泉”だ。
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フィリップス「モーゼズが彼の杖で岩を突くと、奇蹟の泉が生まれたと言い伝えられている。おかげで砂漠の中を歩いていても、イスラエル人たちが喉(のど)の渇(かわ)きで死ぬことは無かった」
調査の方向は間違っていないと確信したフィリップスだが、まだ、ヘブライ人たちの墓に似たものを探し出してはいなかった。彼は、記念の石とでも言うような、もっと明確な手掛かりを必要としていた。しかし仮にそれを見たからといって、どうすればそうだと彼に判ると言うのだろう?

グラハム・フィリップスはモーゼズの杖を求めて調査を進めている。モーゼズの杖は、彼がそう望めば、蛇に変化することが出来た。
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ホー山の麓(ふもと)で、フィリップスは、モーゼズの墓に関する聖書の記事を読み直してみた。すると、これまで見逃していた細かな点に気付いた。申命記には“モーゼズがベス・ピオールBes-Peorに向かって埋められている”と書かれている!
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フィリップス「ベス・ピオールの文字通りの意味は“蛇の家”だ。“蛇の場所”という意味もある。つまり蛇がいる場所だと言っているのだ」
民数記はもっと有望だ。それによれば、イスラエル人たちが自然の中で暮らしていた時、モーゼズは不思議な蛇の飾りiconを造った。
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クリッフォード「モーゼズは蛇を使って神の力を発揮していたのだ」
フィリップスは蛇の像を求めて古代の谷を詳しく調べてみた。すると、ホー山の影の中に、奇妙な作り物を見つけた。大きな像で、蜷局(とぐろ)を巻いた蛇のようだ!
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フィリップス「私はこここそがモーゼズが埋葬された場所だとの思いに打たれて立ちすくんでいた。聖書によれば、“今日まで、誰もモーゼズの墓場がある場所を知らない”という。でも私はその場所に立っていたんだ!墓はその直ぐ近くになければならなかった。私はとても感激していた。私の人生における最高の瞬間だった」
フィリップスは、その近くに墓のようなものが見当たらないか、探してみた。そこに杖があるはずだと思っていた。蛇のモニュメントの周りには、沢山の穴が掘られていた。
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一人では調べきれない。発掘することなどはとてもできない。ペトラはヨルダンの国宝だ。もし脆弱(ぜいじゃく)な砂岩を傷つけたら、大きなトラブルに巻き込まれることだろう。彼の探求は、やるせない結末を迎えることになった。フィリップスは、これまで、誰よりも自分が、モーゼズの墓を特定できる一番近い所まできていると感じていた。しかし、結局、不可思議な杖は、これまでのように不可解なままになってしまうのだ。不本意だったが、彼はイギリスに戻った。
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バーミンガムに戻ると、フィリップスはモーゼズの杖を探し出すため、他に何が出来るかを考えてみた。
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彼は手元においていた本を調べ直すことにした。彼の調査で疑問が残っていた一点は、鍵となるヒントの翻訳だった。ベス・ピオール、つまり蛇の家という解釈は、他の人々に共有されていた訳ではない。
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ケンブリッジ大学マーティン・ワーシントン博士「ヘブライ語における“ピオール”はバール・ピオールとか、ベス・ピオールとかはピオールの家とか神のピオールとかを指す。しかし、私が知る限り、ピオールが蛇を指す言葉とは思えない。正直なところ、私はその考えには懐疑的だ」

フィリップスはその疑いを晴らす手段は持っていない。偶然か計画的かは別に、彼はペトラで、伝統がモーゼと繋がっていることを示す幾つかの特徴を確認している。現場でそれを調べることが出来ないのなら、バーミンガムの図書館や博物館など、自宅になるべく近い場所で手掛かりを得られないだろうかと考えた。
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彼の生まれ故郷の町は手工芸品や歴史的な書物などを持つ宝箱だ。ひょっとして先人の探求者たちがモーゼズの墓を見つけていないだろうか?
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調べていると、ある一つの記事がフィリップスの眼を引きつけた。それは奇妙な墓の解説書だった。2人のイギリス人冒険家の日記だ。
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絵師のデイヴィッド・ロバーツと、彼の友人ジョン・キニーアのもので、彼らは19世紀にペトラを訪れていた。旅先の様子はロバーツの風景画に残されていた。
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フィリップス「1839年、ヨルダンのペトラで、彼らが様々な古い墓を発掘していたことに私は気付いた」
彼らは蛇のモニュメントの後ろ側を調べていて、ある墓を発見したようだ。
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フィリップスによれば、ロバーツとキニーアは墓が特別なものだとは考えなかった。フィリップスは読み続け、彼らが遺体の痕跡を見つけたかどうか確かめてみたが、見つかっていなかったようだ。フィリップスが、その報告書を図書棚に戻そうかと思った時、彼らがあるものを見つけたと記述した文に気付いた。それは骸骨ではなかった。もっと好いものだ。黒く塗りが施された木製の杖だ!
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フィリップス「杖が見つかっていたんだ!杖だとすればモーゼズが紅海を分割した、その杖じゃないのか?」
しかし、彼らは、見つけた杖をどうしてしまったのだろう?

2000年7月3日。グラハム・フィリップスがモーゼズの杖の探求を初めて6ヶ月が経過していた。19世紀の冒険家ロバーツとキニーアのペトラに関する報告書のおかげで、彼はついに一連の手掛かりを集め終えていた。
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あとは、彼らが見つけたという杖の行方(ゆくえ)を追跡すればいいだけだ。杖に何が起きたのかを追跡しようと、パズルの断片をつなぎ合わせてみた。それによれば、キニーアは杖をイギリスに持ち帰ったようだ。しかし、彼の元に長く留まってはいなかった。フィリップは、杖が骨董蒐集家ジョン・ウィルソンの手に落ちたと言う。ウィルソンはその杖をデヴォン伯爵に売ったとフィリップスは考えている。伯爵は、イギリス南西部のサザンプトンSouthamptonにあるパウ・ドゥルハム城で杖を保管していた。
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そして1912年、杖は再び売り渡された。今回はアメリカ人の骨董蒐集家スタンリー・メイ氏に。
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フィリップス「デヴォン伯爵夫人の当時の日記によれば、アメリカ人で伯爵家の友人でもあるスタンリー氏は滞在するために城を訪れ、伯爵が所有していた多くの古物にかなりの興味を持った」
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「そして伯爵が彼に譲った工芸品の一つが、その杖だった」

フィリップスは、杖を追って1839年のペトラから1921年のサザンプトンまでの全ての道程(みちのり)を辿ってきた。そして1912年4月12日、メイは杖とその他の財宝を手にアメリカ合衆国に向かう船に乗ったようだ。するとフィリップスは驚くべき発見をする。それは、その船にとっての処女航海で、最後の航海だったのだ!
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海運歴史家ティム・マルティン「スタンリー・メイ氏にとって不運だったのは、彼が旅をしようと選んだ船がタイタニックTitanicだったんだ」

フィリップス「杖がタイタニックに載ったことまで追跡した時、私はどこでタイタニックが沈んだのかを知っていた。これで終わりだと思った。ずっと追跡してきたが、今や大西洋の底に杖はあるのだって」
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フィリップスは新たな疑問に向かい合うことになった。メイ氏の家族はどうなったのだろう?彼らは生き延びたのだろうか?そして、その時、杖も一緒に持っていたのだろうか?
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あらゆる望みをかけて、フィリップスは記録を調べてみた。掛け率は悪いことは知っていた。
マルティン「タイタニックにいた2000人以上の人の内、3分の2はおぼれ死んだ。そしてたった7百人の生き残りが救助船カルパチアCarpathiaによって救い出された」
メイ氏の家族の名は生存者リストに記載されていなかった。フィリップスは死亡者リストも調べてみた。そして、奇妙なことに気が付いた。死亡者リストにも名が見つからない!
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メイ氏は、何らかの理由で、この悪夢の悲劇を回避できたのではなかろうか?
フィリップスは、船が沈んだ時、メイの家族は乗船していなかった事を発見した。
マルティン「信じられない程に幸運なことに、スタンリー・メイはニューヨークには向かっていなかった。タイタニックは向かっていたのだが。メイ氏の家族はクイーンズタウンで下船していた。彼らは南アイルランドで1週間のドライブ旅行をしようと考えたのだ」
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スタンリー・メイと有名な人物たちは“氷の死”を避けることになった。とすれば、杖は今どこにあるのだろう?
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フィリップスは、次々と変わる出来事が信じられなかった。杖が現代まで生き残っていたことは聖書における奇蹟だった。
フィリップス「杖は生き延びていた。大西洋の底にあったのではなかった。私が次にしなければならないことはメイの家族がその杖で何をしたかを見つけ出すことだ」
フィリップスは自信をもって杖の追跡を再開した。タイタニックの惨事から1年後、メイは著名な英国人考古学者エドワード・アイルトンに杖を売ったようだ。
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アイルトンは1940年に死んでいる。彼の手工芸品類は梱包され、船でニューヨークに送られ、メトロポリタン美術館に贈呈された。結局、杖はアメリカにあるのだろう。
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しかし、フィリップスが調査を続けていると、幾つかの手工芸品は、別の場所に送られていたことに気付いた。ある一つの品物は大西洋を渡らず、まだイギリスに留まっていた。“祭司のための杖”とある!杖がどこにあるのかを探し当てたフィリップスは仰天した。バーミンガム博物館だ!
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フィリップス「そこで、私は文字通り大急ぎで階段を駆け下りて玄関を飛び出すと、建物と博物館を分けている広場を横切り、博物館の階段を駆け上がってエジプト展示室に飛び込んだ」
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「これだ!っと思った。1830年代に蛇のモニュメントの近くで見つかった杖だ。それが今も、展示されている!私が正しければ、そして私の全ての調査が間違いでなければ、そして勿論、私はそうだと信じているのだが、私は、モーゼズが紅海を分断するために使ったと聖書が言っている杖を見ている!と感じていた。驚いたという言葉は不適切だろう。驚愕(きょうがく)したと言った方がいい」
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杖は美しかった。長さは135cmで黒く塗られ、その上に白くヒエログリフが書かれていた。これがモーゼズの杖なのか?
フィリップスが最初にしたことは、ヒエログリフの翻訳だった。ヘブライ語ではなく、エジプトのヒエログリフだった。それに気付くと疑いが芽生えた。フィリップスは、ヒエログリフが杖はファラオの娘の執事か召使いのものだと言っていることに気付いた。その男の名はトゥトゥモーセスだ。
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杖の記述はモーゼズについて何も触れていない。
ブリストル大学アイダン・ドドゥソン博士「棒に書かれている文字を読んでみると、それば王家の王女の執事でモーザーと呼ばれる人物のものであることは明らかだ」
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間違った名が記されたのではないのだろうか?それとも、モーゼズとトゥトゥモーセスは同一人物なのだろうか?

エルサレム。今から2千5百年前、ここでモーゼズの物語が書き記された。
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しかし、その物語は、西暦1世紀、ユダヤ人歴史家ジョセィーフェスによっても記録されていた。彼の記述によれば、モーゼズは単に王子だっただけではなく、ファラオの軍の将軍でもあった。エジプトの歴史を調べてみたグラハム・フィリップスは、この記述に適合する将軍を見つけ出した。
フィリップス「私はジョセィーフェスの記述に適合する人物を将軍の中で探してみた。一人見つかった。紀元前1360年に生きていた男で、単に将軍だっただけではなく、ファラオの家来としても活躍している。彼の名はトゥトゥモーセス(mh日本語Wikiではトトメス)だ!」
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全くの偶然かもしれない。しかし、フィリップスはモーゼズとトゥトゥモーセスの間の更なる直接的な類似点を見つけた。手掛かりは、出エジプト記に書かれている物語の中にあった。

モーゼズはイスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し、紅海を横切ってシナイ半島の荒涼に辿り着いている。フィリップスには出エジプト記の時期が重要な問題だった。聖書学者の多くは、それが紀元前14世紀の中頃に行われたと考えている。驚くべきことに、フィリップスはトゥトゥモーセスもエジプトを離れたかも知れないということを発見した。しかも、歴史の中で全く同時期に!
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フィリップスは、トゥトゥモーセスのために準備されたと彼が考えている墓の中でその証拠を見つけたのだ。
フィリップス「アメンホテプ4世の家来と言われるトゥトゥモーセスの墓は、イタリア人考古学者ジオヴァンニ・ベルゾーニによって王家の谷で発見された」
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フィリップスによれば、ベルゾーニは墓がトゥトゥモーセスの遺体を埋葬していなかったことに気付いたという。ベルゾーニが気付いたことに関するフィリップスの解釈は、議論を呼ぶものだった。
ドドゥソン博士「ジオヴァンニ・ベルゾーニはトゥトウモーセス王子の墓を発見してはいなかった。ベルゾーニは自分の発掘成果を脚色して発表したのだ。彼が何の墓を発見したのかについて我々は正確に知っている。それはトゥトゥモーセス王子のものではない」
フィリップ「トゥトゥモーセスの墓は見つかっていないと人々が主張するのは、トゥトゥモーセスの遺体が彼の墓と言われる場所で見つかっていないからだ。しかし、見つかった墓は、彼のために準備されたものだ」
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トゥトゥモーセスの遺体がない墓は、ある手掛かりをフィリップスに与えてくれた。
フィリップス「極めて身分の高い、ある人物のために準備された、その上、使われたこともなく、盗掘もされていない墓が見つかったということは、その人物が何らかの手段で辱(はずかし)められたことを明確に示している。その辱めとは多分、追放だろう」
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フィリップスは、恐らくトゥトゥモーセスがエジプトの神に従わなかったので追放されたのだと疑っている。トゥトゥモーセスは自分の名前から“トゥトゥ”という月の神の名前を取り去り、単にモーセスと変名してイスラエル人たちの神を擁立(ようりつ)したのではないのだろうか?
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トゥトゥモーセスが消え去った時期は紀元前1360年だ。それは多くの人にとっては出エジプト記と同じ時期だ。フィリップスにとってみれば、それは単なる偶然の一致以上のものだった。
フィリップス「トゥトゥモーセスが間違いなくイスラエル人たちを自由な身に導いたという決定的な証拠はない。しかし、彼らが自由に向けて飛び立ったのはトゥトゥモーセスが歴史から消えた時期と完全に一致しているという、極めて確定的な状況証拠はある」

全てが繋がって意味を持つようになった。どちらの男も王室で育った。二人とも軍の司令官だった。二人とも同じ時期にエジプトから消え去った。フィリップスには、トゥトゥモーセスとモーゼズが同一人物としか考えられなかった。
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フィリップス「それに気付いた時、私は愕然(がくぜん)とした」
フィリップスは、バーミンガム博物館に保管されている杖こそがモーゼズの杖だと確信している。しかし、彼の確信を共有するエジプト学者はいない。
ドドゥソン博士「トゥトゥモーセスという王子は存在していた。彼は軍隊の司令官だった。しかし、トゥトゥモーセスは第18王朝において極めて一般的な名前だ。同じ名前のファラオは4人いて、多くの王子も同じトゥトゥモーセスという名を持っていた。従って、しばしば、一人の個人を他の一人または大勢と取り違える可能性は高いのだ」
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フィリップスは自分の発見に強い確信を持っていた。そこで彼は他の人たちからの支援を得ようと考えた。彼は杖の現在の保管人であるバーミンガム博物館に接触してみた。しかし、彼らもまた、フィリップスの主張に納得しなかった。
フィリップス「バーミンガム博物館の学芸員たちは、保管している杖がモーゼズのものだとは全く保証してくれていない。それはそれでいい。しかし不幸にも、彼らはその杖が1950年よりも古い物だと関係づける記録すらも持っていない」
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博物館側は杖のこれまでの履歴が明確ではないことを認めている。理屈上では、それはヴィクトリア時代の贋作(がんさく)の可能性だって高い。
フィリップス「ひょっとすると最初の発見者のロバーツとキニーアが作り出したものかも知れない。彼らはペトラとか、そういった場所にすら行っていないにも関わらず、作った杖を他人に売りつけたのかも知れない」
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フィリップスが望んだのは、杖に関する真実を確定することだけだった。本物か?それとも偽物か?彼は杖の木材の年齢を確定する炭素年代測定を望んだ。
フィリップス「もし炭素年代測定で杖の木が紀元前1360年から1350年頃のものだと判れば、この杖が紅海を分割した杖かもしれない、と人々は積極的に支持してくれるだろう」
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炭素14によるテストが実施されるまで、多くのエジプト学者はフィリップスの主張に懐疑的なままだろう。
ドドゥソン博士「本件に関して断言できるのは、何人かのエジプト学者たちが言っている誤解に基づいているということだ。私が知っている限りの証拠に基づいて言うなら、杖は存在しない」
しかし、もしフィリップが正しくて、この杖が紀元前1350年まで遡るものだとすれば、バーミンガム博物館は世界でも最も価値がある聖遺物の一つを持っていることになる。
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フィリップス「もし、あなたはモーゼズの杖を見つけたのかと問われたら、私の心からの叫びは、Yesだろう」
何人かの人々にとっては、この杖が辿った歴史は聖書の中のモーゼズの杖と同じ程度の奇跡のように思えることだろう。この杖は更なる驚きをも隠し持っているのだろうか?
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Has the Staff of Moses been discovered?
https://www.youtube.com/watch?v=5chAaAApvW0
・・・・・・・・・・・・
バーミンガム博物館に展示されている件(くだん)の杖です。
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どんな説明書きが付されているか、ネットでは見つかりませんでした。

エジプトはトルコやヨルダン辺りまで、何度も軍事遠征していますから、奴隷としてイスラエル人を連れ帰った可能性は高く、イスラエル人たちが集団脱走して故郷に向かった可能性も高いと思います。脱走のリーダーは仲間から尊敬され、モーゼズと呼ばれる人物になって聖書に書かれた可能性も高いと思いますが、モーゼズという名はエジプトでも結構、一般的だったかもしれませんから、リーダーの名は、やっぱモーゼズかモーセスだったかも知れません。

しかしですね、その彼が持っていた杖で紅海を切り裂いたってなことは、とても信じられません。杖は持っていたかも知れませんね。何故って、死んだ時、彼はかなりの老人だったわけで、杖なしでは歩行不可能だったことは十分考えられます。この辺りの話に尾ひれがついて、ヘブライ聖書のトーラが出来上がったんじゃあないのでしょうか。

しかし・・・モーゼズなる人物が3千年以上も前に使っていた杖が、バーミンガム博物館にある杖だとは思えませんねぇ。黒地に書かれた白いヒエログリフが綺麗すぎます。いくら乾燥地にあったからといっても、劣化せず、あんなにもきれいに、くっきりと残されているはずはないと思います。

木材の炭素年代分析ですが、博物館が実施したっていう記事はネットでは見つかりませんでした。無視しているんじゃあないかと思います。

それにしても、グラハム・フィリップス氏が、彼の仮説というか物語というべきだと思うんですが、その物語を、見事に辻褄合わせしていることに感服させられました。きっと皆さんも同じ思いでしょう。しかし、彼が並び立てている証拠のどれがどこまで真実なのかについては、多くの疑念が残っています。本件については彼の著書“The Moses Legacyモーゼズの遺産”を読めば、もう少しクリアーになるかも知れません。
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2002年4月11日付BBCニュースによれば次の通りです。
An ancient staff in a British museum may be connected to the Biblical figure of Moses, a new book claims.
イギリスの博物館における、ある古代の杖は、聖書の中の人物モーゼズに関係しているかも知れない、とある新刊書が主張している。

さて、皆さんのご感想やいかん。
(完)

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mh徒然草: 韓国の方がおかしいか?

(6月25日作成)

日本もですが、韓国の方がもっとおかしいのではないかと・・・

6月20日、韓国の文大統領は米ワシントン・ポスト紙のインタビューで、慰安婦問題について「(解決するためには)日本政府がその行為について法的責任を受け入れ、公式に謝罪することだ」と発言しました。(mh河野談話で謝罪し、それを追認したんじゃあ不十分ってことなんでしょうか?)
これを聞いた日本外務省は22日、在韓日本大使館の鈴木秀生次席公使が韓国外交省の鄭炳元(チョンビョンウォン)東北アジア局長に電話し、「2015年末の日韓合意で『最終的かつ不可逆的解決』を確認している」と申し入れたっていうんですね。

更に22日のロイター通信のインタビューで文大統領は「日本は、慰安婦問題を含む韓国との歴史問題を解決するための十分な努力をしていない」と指摘したので、翌日、日本外務省幹部は在日韓国大使館次席公使に電話し、日本政府の立場を伝えたといいます。

文氏は他の大統領選候補と同様、大統領選挙中から慰安婦問題に関する日韓の『最終的かつ不可逆的解決』を見直す立場で一貫しているのですが、日本に問題提起せず、海外メディアに愚痴っているんですね。前大統領の朴氏の時から、ネットで韓国の“告げ口外交”が話題になっていましたが、韓国って妙な外交をするんだなぁ、というのがmhの第一印象です。

文氏の発言には若干の伏線があって、彼ばかりがおかしいわけじゃあありません。
安倍首相の特使として韓国を訪れた自民党の二階幹事長は、6月10日の韓国メディアとのインタビューで「日本はお金を支払った。最初から再交渉しようというような愚かな話をすることは、国際的には通用しない」と答え、その後、韓国議員らとの会合でのあいさつで、日韓の関係改善を妨げる動きについて「一握りの悪巧みをする連中は見つけたら撲滅しましょう」と述べているんですね。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/11/japan-korea_n_17037268.html
これじゃあ、文大統領を恫喝(どうかつ)しているも同じです。だから文氏がアメリカで告げ口した、ってことじゃあないとは思いますが・・・
それにしても、二階幹事長もおかしいですが・・・
文大統領の対応はもっとおかしいと思いました。

慰安婦問題については、いろいろな問題はあるとはいえ、『最終的かつ不可逆的解決』を日韓両政府(外務大臣)が宣言したんですから、卑怯な物言いだとは言え、それを守るべきだと言う二階氏の発言は“一寸の虫にも五分の魂”で、間違った指摘ではありません。
が、文大統領の、所謂(いわゆる)“告げ口外交”は頂けませんねぇ。文大統領は、外交に不慣れでしょうが、そんな時こそ、筋を通すことが大切で、正々堂々と日本に見直し要請すればいいじゃあないかと思います。そうしないってことは、恐らく、見直しするか、とすればどう見直すか、などについて韓国政府の方針が決まっていないので、愚痴っているってことでしょう。それは戯言(たわごと)でしかなく、日本としては正式な提案があるまで静観していればいいと思います。

対馬の仏像盗難問題では、多くの韓国民すらもおかしいと思っている、仰天の判決が韓国地裁で出ていますし、竹島(独島)問題は、国際司法裁判所での仲裁を拒否するなど、自分の都合が悪いところは蓋(ふた)をするか、自分の考えだけを主張する一方で、相手の都合が悪いところを声高に非難する、妙な体質が韓国にはあるんじゃあないかと邪推せざるを得ません。

ま、こういった傾向は、韓国ばかりじゃあなく、日本だって、他の国だってあるのですが、日本に対する韓国の態度は異常だと思います。それは、日本による韓国併合の怨(うら)みを今も忘れ切れずにいるからじゃあないかと思いますが、太平洋戦争が終わって70年以上過ぎてもまだ拘(こだわ)り続けるってのは、韓国の未来にとっても良いこととは思えません。その辺りを文大統領はどう考えているんでしょうねぇ。

このブログの公開予定は一カ月半後の8月11日ですが、その時点でも韓国政府から不可逆的解決の見直し提案が正式になされていなければ、韓国政府は内心では不可逆的解決を認めていると思います。とすれば、韓国民の情緒に合わせたご都合主義を捨てて、未来志向の関係を目指すべきでしょう。
もし、見直しを望んでいるのなら、早く日本政府に正式提案すべきです。その時、“1mmたりとも譲らない!”ってな、つまらぬ発言を日本が繰り返すとしたら、日本は世界の笑い者になることでしょう。しかし、正式提案はせず“告げ口外交”を続けているなら、笑い者になるのは韓国です。

Delilah - Tom Jones ( with lyrics )
https://www.youtube.com/watch?v=2FCiyeyuF0g
(完)

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